カテゴリー「映画(欧州・ロシア)」の82件の記事

イタリア映画『幸福のラザロ』

 さて、Tジョンで観た昨年の名作、3本目は、イタリア映画『幸福なラザロ』 。再開後では初の他の観客なし。3度目の「一人がためなりけり」映画だった。

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 寓話的な要素がある不思議なストーリー。理解し難い部分もあるが、それはそれで味わうしかない。

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 欧米の映画ではしばしばあることだが、キリスト教の素養が求めれる。映画の主人公の名「ラザロ」とは、キリストの奇跡によって死後4日目に蘇生した聖人で、「甦りのラザロ」「復活のラザロ」として、ゴッホやレンブラントなどの有名画家の素材になっているという。この復活したこと、そして聖人であることが、この映画でもキーワードになている。

 舞台は、20世紀後半のイタリアの山深い渓谷の寒村。でも普通の村とはまったく違った。洪水によって村への道路が寸断されて以来、完全に孤立し、中世のままに時間がとまっているのである。小作制度の廃止を隠蔽された地主(伯爵夫人)に支配されたまま、物々交換に近い日暮らし。辛うじて電気はあるが電球程度。自給自足の生活で、村人は学校も、選挙も、電話やネットとも無縁。けっしてこの村から1歩も出ることなく、一生を終える。村を隔てる河を渡った先には、死があると代々固く信じられているだ。唯一、伯爵夫人の代理で収穫物を扱う男を通じて、収穫物と交換して最低限の生活必需品を支給され生きているのだが、村全体で多くの負債を抱えちると騙されて、支配されているのだ。
 そんな村人の中でも、人を疑わず、怒らず、欲しがらない、純粋無垢な男が主人公のラザロ。村人からは、愚か者とてし、バカにされ、都合よくこき使われていくのだ。

 そんな日、伯爵夫人の一人息子が母親とぶつかり、自らの狂言誘拐を決行した。そのことから、ついにこの村の存在が警察の知るところとなり、村人は解放されていくのだが…。

 前半がこんな感じのストーリーだが、なんでも80年代にイタリアで行った実話の事件が元になっているというである。

 さて後半。では、不法な小作制から解放された村人たちが、幸せで豊かな生活が待っているのか?

 ここからもストーリーは、ますます不思議度を増していく。結局は、新しい構造での弱者への搾取が続き、しかも今度の支配者は、穏やかな紳士の仮面を着けているので厄介である。自由や自己責任の名のもとに、巧みに弱肉強食の世界が広がっていくのだ。弱いものはどこまでも弱く、強いものはますます強くなっていく。そんな社会構造の皮肉も描かれ……。

 

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ポーランド映画『Cold War~我が歌、二つの心』

 Tジョイ京都で上映中の、昨年の名作の2本目は、ポーランド映画『Cold War~我が歌、二つの心』 3本のなかでぼくに一番フイットした。

  イギリス、フランスとの合作によるポーランド映画。モノクロで描かれているのに、豊かな色彩を想像させる映像美が見事。この年のアカデミー賞の外国語映画賞は逸品揃いで、『存在のない子供たち』『万引き家族』、そしてメキシコ映画『ROMA/ローマ』などとオスカーを争った。結局、受賞したのは『ROMA/ローマ』だったが、これもモノクロの見事な映像だった。

 さて、タイトルが示すように東西の緊張が高まる冷戦=cold war時代。第二次世界大戦から4年、共産圏、ソ連支配下の1949年のポーランドから物語が始まる。

 まだ復興途上のポーランドで、田舎の町を廻っては素朴な民謡やフォークソングなどの音楽を蒐集し、優秀な人達を集めて、国家歌舞団がスタート。主人公は、そのディレクターにして、音楽家、ピアニストの男だ。オーデションで出会ったヒロインは、魅力的な歌唱力に、破天荒、かつ複雑な歌手で、どうも虐待を受けていた父親殺しの過去がある。歌舞団は成功するが、国家や共産主義、ソ連を賛美するす音楽や舞踏が強要されるようになる。このあたりは、当時の共産圏の歌舞団ではよくある風景だ。
 
 そして、ベリルン公演を機会に西へ亡命する主人公だが、一緒に亡命する予定の彼女は現われなかった。

 その後、彼はパリでのジャズピアニストとなって活躍するも、パリでの公演をきっかけに再開する二人。でも、冷戦下、社会が複雑であったように、それを反映して、二人の関係も複雑で、一筋縄ではいかない。パリで活躍した彼女だが、再び夫のいるボーランドに戻ってしまう。ついに彼も自由を捨てて、彼女のために投獄覚悟でボーランドに戻り、強制収容所で労役につくのだ。この二人の関係はなかなか複雑で、妙味であることろが、この映画のキモだ。

 モノクロ映像にくわえて、説明を最小限に抑えて、描写に徹したアート系の作りになっているけれど、けっして小難しいわけではない。全編、すばらしい音楽で彩られているからだ。素朴な民謡やフォークソングに、共産圏の音楽、そして60年代パリを象徴するようなジャズに、ロックに乗って踊るシーンなど、リアリティーある音楽はすばらい。何より、タイトル(2つの心)にもなっているヒロインが歌い上げるバラッドが印象的。そして、ニヒリビム溢れるラストに、切ないピアノ・ソロと、もの悲しいアカペラもマッチしていた。

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最後の映画は『ロニートとエスティ』

 5年前から続けて学んでいる仏教大学の四条センターは、2月末から休講が続いている。その他の研究会も、3月から休みが続く。

 ただ映画館は開いていた。3月になると観客は少なくなり、4月になると目に見えて減った。京都シネマでは、だいたい10名程度、みなみ会館は、5~6名(いつものことか)程度である。逆に、大手のシネコンはさらに閑散としている。とうとう大スクリーンに、ぼく独りという事態がおこる。一度は、独りで映画を観たいと思っていたが、こんな形で実現するとは想定外だ。しかもである。それが連続して起こった。「一人がためなりけり」である。こうなると、居眠りもしないし、エンディング・ロールの最後までキッチリ見せてもらった。

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 しかし、それも今日までだ。京都の映画館も、明日からすべて休業が決定。急に決まったので、来週に見送った映画が見られなくなった。今週は、焦らずにあまり見なかったのが裏目になった。でも仕方なしだ。

 最後は京都シネマで『ロニートとエスティ』 ~彼女たちの選択~。厳格なユダヤ教のコミュニティーの中で、権威に反発し、自由に生きることを選択して飛び出した女性と、その枠の中で信仰を貫き、自己を殺して幸せになろうと女性が、厳格な指導者であり、父親の死をきっかけに、再び出会っていく物語。主演のWレイチェルが、繊細な心の機微を、または大胆な性愛シーンを激しく好演している。

 あいかわらず一神教の教えでの、厳格な父親の存在が意味を持つ。これはキリスト教やユダヤ教などの一神教の文化圏と、日本のような母性的な多神教の慈悲の寛容さ、母性が表立つ文化との違いがまざまざと出る。これは映画を見ていればよくわかる、普遍的なテーマである。日本映画の大半は、厳格な父親不在、寛容な母性がテーマとなることが多い。一方、この映画は厳格な閉鎖集団内でのタブーへの挑戦は、父親への挑戦でもあり、ぼくの心の琴線に触れるテーマでもあった。

 願わくば、これが今年最後の映画とはなりませんぬように…。

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『天才たちの頭の中』~世界を面白くする107のヒント~

『天才たちの頭の中』 ~世界を面白くする107のヒント~(英語題“Why Are We Creative?”)

“Why are you creative?”「あなたはなぜクリエイティブなのですか」という、シンプルな質問を30年以上問い続けてきたドイツ人監督。世界で活躍するクリエイティブな人物に、この疑問を問い続けた旅をまとめたドキュメンタリーだ。

 「天才」という日本語の響きと、「クリエイティブな人」というのでは少し違いを感じる。クリエイティブというと、個性的な創作者というイメージがあるからだ。質問を受けるのは映画監督、俳優、音楽家、作家、芸術家、写真家、デザイナー、建築家、科学者、発明家、宗教者、経営者、政治家など多岐にわたる。ほんとうの意味での天才だと思うが、ちょっと映画や映像に関係する人達に偏っているように思えた。初めて聞いた名もあったが、大半がぼくでも知っている世界的著名人ばかりだ。

 ほんの短い1分足らずの人も多いなかで、デヴィッド・ボウイの扱いがメーン。日本人では、写真家の荒木経惟、デザイナーの山本耀司、そしてオノ・ヨウコに、妙な扮装で、まともに答える北野武といった面々。この質問の無意味さを突きつけるスティーヴン・ホーキング博士、ダライ・ラマなども印象的だった。元アメリカ大統領のジョージ・ブッシュも、違った意味で印象的だったけど、、。

 結局、"Why are you creative?"への答えは千万差別で、画一的な答えなどない。もしあれば、その時点で模倣者ということになってしまうものね。それでも、いろいろな答え、いろいろな人たちがいる中で、クリエイティブ、つまり個性的な創作者は、こだわり、信念が強く、社会の固定観念にとらわれない変わり者が多いという印象をもった。では、天才と、単なる変わり者との違いは……。楽しめました。 

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『サタンタンゴ』

 映画館に行くのに、久々に気合が入った。

 ハンガリーの巨匠、タル・ベラー監督の『サタンタンゴ』 を観る。

 気合が入ったのは、上映時間が7時間18分にも及ぶ作品だからだ。その合間に2度のインターミッション(休憩)を挟むので、8時間も要する長尺作品だ。12時30分に始まり、20時20分に終わるのである。

 1本の映画では、ぼくの中での最長記録更新した。これまでは、イタリア映画『輝ける青春』の6時間6分が最長。 1960年代から40年にわたるイタリアを舞台に、ある一家の40年間の年代記を描いた大河ドラマだった。前後半で、途中1度の休憩があったので、380分も時間がかかった。同じく、みなみ会館だった。

 この監督の作品は、これまで『倫敦からきた男』『ニーチェの馬』と3本目見た。『ニーチェの馬』は、なかなかすごい作品だったが、それを最後に56歳で引退した。本作は、39歳の時の旧作で、デジタル版での上映である。

 さて、本作、とんでもない映像の連続だ。モノクロの映像は、長回しのカットで、時に延々と同じ場面(牛の群れの歩み、大風の中をただ歩き続ける。狂ったように妙なダンスを踊り続けるなどなど)で、しかも同シーンが違う角度のカメラで収められて反復される。

 だだでさえ昼食直後の映画は、眠い。特にこの頃は、驚くほどよく寝る。歳である。ましてこの映像である。1部はかなり記憶を失っていた。おかげで2部からは起きていはいたが、少々寝ていても、問題がないと思った。同じ映像や、シ-ンが反復され繰り返されるからである。

  そして最後のモノローグ。冒頭にモノローグの繰り返しである。あ、あ、もう一度、リフレインされ、循環され続くのだ、と。

 7時間18分を終えても、特に感銘も、感動もない。退屈な映画だった。それが、直後の率直な感想である。
 ところがである。同時に、もう一度観てみたい、とも思ったのには、驚いた。
 彼の世界観の中に取り込まれてしまったようである。

 

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今週の学びと映画

  さて、今週の学びである。今週といっても8日(月)~12日(金)の5日間。

  講義は、金曜日の1コマだけ。佛教大学四条センターでの「ブッダの生涯から見た仏教」の4回目で、「瞑想と苦行」。『ブッダチャリタ』を中心に、釈尊の成道に至るまでの修行を、伝統的インド世界との闘いとのしてとらえたもの。ただ、話されるエピソードが、毎回、聞かせて頂いてることの復習の要素が強くなってきて、ちょっともういいかなーというのが正直の実感。

  映画は、5日間で5本見た。先週同様、京都シネマで3本、シネコンで2本という構成。そのうち1本は邦画で、4本はヨーロッパの作。先週ほどの大あたりはなかったが、佳作が多かった。

 イタリア映画『家族にサルーテ!』は、1日だけなら表面は、取り繕っていても、予期せぬ嵐で島に取り残されて、3日間も寝食を共にすることとなった一族が、それぞれの問題が噴出する。もともと隠していたものが、嵐によって暴かれて来る。ただ、短時間に登場人物が多い群像劇で、人物把握に混乱してしんどかった。ここもまた混沌状態、カウスを味わう要素なのか。そして、嵐が収まり、スカイブルーが拡がる。ここを機縁に、それぞれの人生に何かが生まれて来るのか。

   フランス映画『アマンダと僕』は、突然の大切な人を亡くした喪失感と、つながりを扱ったなかなかの佳作。子役が自然体でうまい。

 ベルギー映画の『ガール』girlは、LGBTの映画で、Tのトランスジェンダー。体は男の子として生まれた「女の子」が、バレエの世界で、夢を実現しようというお話。前に『荒野にて』と同じく、彼女の孤独が浮き彫りになる。からだとこころの不一致は、つらいだろうなー。しかし、男で一つで育てる父親が応援し、また医療や福祉のサポートが整っているのは、日本より先進的である。それにしてこの辛さ、切なさはなんだ。

 17世紀のオランダが舞台の『チューリップ・フィーバー』

 そして邦画は、篠原涼子主演の『今日も嫌がらせ弁当』 は、お気軽に楽しめる1本。

という感じの5日間。

 

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『荒野にて』

『荒野にて』は、静かだが、余韻が残る映画だった。15歳の少年の揺れる心情が伝わって来る。

子供への愛情はあるが、仕事や住居を転々として、うまく人間関係が結べない父親が、女性関係のもつから大怪我をする。
たまたま出会った草競馬の落ちぶれた調教師と、殺処分直前の競走馬に出会う。父親がケガの間、ここで働きながら生活費を稼ぐ。その間、老馬に愛情を注ぎ、唯一の友人となる。ところが、父の容態が急変して呆気なく死んでしまい、しかも、唯一の友だった馬まで殺されることが決まる。
彼が頼ったのは、昔、愛情をもって育ててくれながら、父親とうまくいかなかった叔母だ。居場所が分からない彼女に出会うために、相棒は殺処分されることが決まっていた老馬を盗み出し、無謀な旅に出る。このあたりは無謀さ、計画性のなさは、子供である。そして、馬への感情移入が傷になり、悲劇も生まれてくる。

しかし、幸いに子供であることで、この無謀な旅が続くといってもいい。馬とも別れて、孤独になった少年が途上(荒野)で出会うのは、社会の底辺で生きる負け組の人達だ。イラク戦争に従軍し傷つき、アルコールとTVゲームに依存する男たち。定職にもつかずボロボロのトレラーハウスに住むカップル、時には、無銭飲食を見逃してくれるウェイトレスもいれば、彼が働いた金を盗むものもいる。皆、取り残され、孤独や自暴自棄で荒れた大人たち。このあたりが、「荒野にて」という所以である。荒々しい自然と共に、人の心もすさんでいる様子が描かれる。

しかも最後にたどり着く先は、母親ではない。自分を受け入れてくれるかどうかも、不透明の女性だ。だから、二人の出会いのシーンも、自ずから緊張感が生まれており、ここもよかった。

15歳の少年の物語ながら、同世代の友人は登場しない。(ひとりの父親に支配された少女を除き)すべて年長の人ばかりである。そこだけでも、彼の孤独が伝わってくる。それでも、荒々しい厳しさだけでなく、西部の美しい自然が描かれると共に、孤独な彼にもほのかで温かい光が差していく。

アメリカ映画だと疑わなかったが、クレジットをみたら100%のイギリス映画。なるほど、ハリウッドにはない繊細さは、ヨーロッパ映画だったからかと、納得させられた。

 

 

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映画『国家主義の誘惑』

 ドキュメンター映画『国家主義の誘惑』を見た。
  http://kiroku-bito.com/nationalism/

  明治維新から今日まで(すなわち150年)の日本社会を俯瞰し、日本人の天皇観や憲法観、そして歴史観はどのように形づけられて、今日まで形成されてきたのか。それをわずか54分という時間制約の中で正面から取り上げている、フランス製作の作品だ。『天皇と軍隊』(これもとても面白かった)の渡辺謙一が監督だ。

 憲法9条2項の削除ではなく、9条はそのままで、新たに3項を加えて自衛隊(国防軍)を明記する改憲を押し進めたい安倍首相と、それを阻止するために退位表明されたた今上天皇(憲法に定められた「国民統合の象徴」として役目が果たせなくなったことを強調)の関係も、たいへん面白かった。

 意識する、せずにかかわらず、ぼくたちは歴史的な制約の中に生きているということ。そして、大きな変革(明治維新や敗戦)があったとしても、ある意味、地続きで、形は変えて支配されているということ。恐ろしいのは、支配されていると気付かないでいることだろう。不都合の真実は、なかったことにしたいので凡夫の性。仲良く、楽しく過ごしているのに、真実を述べると袋叩きにされたり、嫌われたりする。これは、仏法の世界でも同じことだろう。

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一足早く

Img_6897 久しぶりに京都シネマで2本観た。メキシコ映画の「母という名の女」と、フランス=ベリギイーの「汚れたダイヤモンド」。2本と見応え十分で、大満足。特に「汚れたダイヤモンド」は、ノーマークだったが、今年これまでの収穫の一つ。詳しくはまた触れたい。

 京都シネマの運営会社が、経営危機でニュースになったばかり。観客Img_6901として、もっとも貢献している一人としては、正直驚いた。劇場は継続されるとのことで、一応は一安心か。 

 今日は、恒例の祇園祭のうちわをもらったImg_6907が、劇場を出ると、祇園囃子が聞こえてきた。

 音に引かれてきると、鉾の曳き初めで、四条烏丸の交差点を通っていた。予想せず、ラッキー。

 次は、鶏鉾のようで、参加したい人が集まってきていたが、スルーした。

 映画といい、曳き初めといい、予定外の収穫があった日。

 

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寒い一日の、盛り沢山の日程

  朝、外は真っ白だ。でも京都市内の積雪は少なかったが、ほんとうに寒い1日だった。日本列島が冷凍庫に入ったようだ。

 事務所は、同人会ニュースの発送作業作業。午前中、豪雪の豊岡からRさんが来館される。2月の講習会と4月の永代経の講師依頼などの相談をする。本業の合間を抜ってのご足労。

 その後、昼一番で福岡のY先生が会計の報告に来館。12月の月次だが、ひどく落ち込むことはないが、相変わらずの低調ぶりに、頭が痛い。

 そのまま「ご本典」の勉強会に進む。「行巻」に入ったが、大学院時代の普賢ゼミでのお聖教の書き込みが役立っている。しかしその大半は忘れている。実のところ、いろいろと分からないことが多くて、自分のために勉強している。
 
 時間一杯で切り上げて、仏教大学四条センターで受講。雪が舞っていたが、自転車で四条烏丸へ。夕方には止むという天気予報を信じた。約1年ぶりに、仏大の松田先生の講義。「ブッダの教えはどう記憶されたのか」とい演題。総花的で、だいだいは理解している内容であったが、釋尊の最初の言葉、仏語のパーリ語訳に関して、岩波文庫の中村元博士の定説ある本を「誤訳」と断定したり、玉城康四郎博士の「法=言葉や分別を離された形なき純粋生命」という有名な解釈を、翻訳は正しいが間違った解釈の例としてあげたり、津田真一氏に至っては「間違った解釈をさらに輪をかけて間違った」例として指摘されたりと、なかなか面白かった。いろいろと感じること多いし。

 講義終わると、やはり四条烏丸にあるcocon烏丸に向かって、京都シネマで映画を1本観る。今週、これで6本目。5日間なので、ぼくにしてもハイペース。
 今日は、トルコ映画『猫が教えてくれたこと』を観る。会館は猫好きな人ばかり。連れ合いも、母も、事務所の皆さんも、大の猫好き。まあ、ぼくは犬よりも猫派ではあるが、皆さんに比べると極めて普通。それでも、この映画は悪くなっかった。過去と現在が交錯するインスンブールというロケーションが最高。ここでは、野良猫以上、飼い猫以下の猫が街に溢れていた。

 帰りは夜7時を過ぎていたが、幸い雪は降っておらず、自転車で正解だった。ただ気温は氷点となり、かなり冷えている。こちら覚悟の上。

 夕食をすませてから、府庁への提出書類を作製する。年に1度、単立法人に課せられるオウム事件以降に増えた仕事だ。日付がかわった頃には完了し、それからプログを綴っている。ほんとうに寒い1日だったが、ずいぶん盛り沢山な1日となった。お休みなさい。

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