カテゴリー「映画(欧州・ロシア)」の77件の記事

今週の学びと映画

  さて、今週の学びである。今週といっても8日(月)~12日(金)の5日間。

  講義は、金曜日の1コマだけ。佛教大学四条センターでの「ブッダの生涯から見た仏教」の4回目で、「瞑想と苦行」。『ブッダチャリタ』を中心に、釈尊の成道に至るまでの修行を、伝統的インド世界との闘いとのしてとらえたもの。ただ、話されるエピソードが、毎回、聞かせて頂いてることの復習の要素が強くなってきて、ちょっともういいかなーというのが正直の実感。

  映画は、5日間で5本見た。先週同様、京都シネマで3本、シネコンで2本という構成。そのうち1本は邦画で、4本はヨーロッパの作。先週ほどの大あたりはなかったが、佳作が多かった。

 イタリア映画『家族にサルーテ!』は、1日だけなら表面は、取り繕っていても、予期せぬ嵐で島に取り残されて、3日間も寝食を共にすることとなった一族が、それぞれの問題が噴出する。もともと隠していたものが、嵐によって暴かれて来る。ただ、短時間に登場人物が多い群像劇で、人物把握に混乱してしんどかった。ここもまた混沌状態、カウスを味わう要素なのか。そして、嵐が収まり、スカイブルーが拡がる。ここを機縁に、それぞれの人生に何かが生まれて来るのか。

   フランス映画『アマンダと僕』は、突然の大切な人を亡くした喪失感と、つながりを扱ったなかなかの佳作。子役が自然体でうまい。

 ベルギー映画の『ガール』girlは、LGBTの映画で、Tのトランスジェンダー。体は男の子として生まれた「女の子」が、バレエの世界で、夢を実現しようというお話。前に『荒野にて』と同じく、彼女の孤独が浮き彫りになる。からだとこころの不一致は、つらいだろうなー。しかし、男で一つで育てる父親が応援し、また医療や福祉のサポートが整っているのは、日本より先進的である。それにしてこの辛さ、切なさはなんだ。

 17世紀のオランダが舞台の『チューリップ・フィーバー』

 そして邦画は、篠原涼子主演の『今日も嫌がらせ弁当』 は、お気軽に楽しめる1本。

という感じの5日間。

 

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『荒野にて』

『荒野にて』は、静かだが、余韻が残る映画だった。15歳の少年の揺れる心情が伝わって来る。

子供への愛情はあるが、仕事や住居を転々として、うまく人間関係が結べない父親が、女性関係のもつから大怪我をする。
たまたま出会った草競馬の落ちぶれた調教師と、殺処分直前の競走馬に出会う。父親がケガの間、ここで働きながら生活費を稼ぐ。その間、老馬に愛情を注ぎ、唯一の友人となる。ところが、父の容態が急変して呆気なく死んでしまい、しかも、唯一の友だった馬まで殺されることが決まる。
彼が頼ったのは、昔、愛情をもって育ててくれながら、父親とうまくいかなかった叔母だ。居場所が分からない彼女に出会うために、相棒は殺処分されることが決まっていた老馬を盗み出し、無謀な旅に出る。このあたりは無謀さ、計画性のなさは、子供である。そして、馬への感情移入が傷になり、悲劇も生まれてくる。

しかし、幸いに子供であることで、この無謀な旅が続くといってもいい。馬とも別れて、孤独になった少年が途上(荒野)で出会うのは、社会の底辺で生きる負け組の人達だ。イラク戦争に従軍し傷つき、アルコールとTVゲームに依存する男たち。定職にもつかずボロボロのトレラーハウスに住むカップル、時には、無銭飲食を見逃してくれるウェイトレスもいれば、彼が働いた金を盗むものもいる。皆、取り残され、孤独や自暴自棄で荒れた大人たち。このあたりが、「荒野にて」という所以である。荒々しい自然と共に、人の心もすさんでいる様子が描かれる。

しかも最後にたどり着く先は、母親ではない。自分を受け入れてくれるかどうかも、不透明の女性だ。だから、二人の出会いのシーンも、自ずから緊張感が生まれており、ここもよかった。

15歳の少年の物語ながら、同世代の友人は登場しない。(ひとりの父親に支配された少女を除き)すべて年長の人ばかりである。そこだけでも、彼の孤独が伝わってくる。それでも、荒々しい厳しさだけでなく、西部の美しい自然が描かれると共に、孤独な彼にもほのかで温かい光が差していく。

アメリカ映画だと疑わなかったが、クレジットをみたら100%のイギリス映画。なるほど、ハリウッドにはない繊細さは、ヨーロッパ映画だったからかと、納得させられた。

 

 

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映画『国家主義の誘惑』

 ドキュメンター映画『国家主義の誘惑』を見た。
  http://kiroku-bito.com/nationalism/

  明治維新から今日まで(すなわち150年)の日本社会を俯瞰し、日本人の天皇観や憲法観、そして歴史観はどのように形づけられて、今日まで形成されてきたのか。それをわずか54分という時間制約の中で正面から取り上げている、フランス製作の作品だ。『天皇と軍隊』(これもとても面白かった)の渡辺謙一が監督だ。

 憲法9条2項の削除ではなく、9条はそのままで、新たに3項を加えて自衛隊(国防軍)を明記する改憲を押し進めたい安倍首相と、それを阻止するために退位表明されたた今上天皇(憲法に定められた「国民統合の象徴」として役目が果たせなくなったことを強調)の関係も、たいへん面白かった。

 意識する、せずにかかわらず、ぼくたちは歴史的な制約の中に生きているということ。そして、大きな変革(明治維新や敗戦)があったとしても、ある意味、地続きで、形は変えて支配されているということ。恐ろしいのは、支配されていると気付かないでいることだろう。不都合の真実は、なかったことにしたいので凡夫の性。仲良く、楽しく過ごしているのに、真実を述べると袋叩きにされたり、嫌われたりする。これは、仏法の世界でも同じことだろう。

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一足早く

Img_6897 久しぶりに京都シネマで2本観た。メキシコ映画の「母という名の女」と、フランス=ベリギイーの「汚れたダイヤモンド」。2本と見応え十分で、大満足。特に「汚れたダイヤモンド」は、ノーマークだったが、今年これまでの収穫の一つ。詳しくはまた触れたい。

 京都シネマの運営会社が、経営危機でニュースになったばかり。観客Img_6901として、もっとも貢献している一人としては、正直驚いた。劇場は継続されるとのことで、一応は一安心か。 

 今日は、恒例の祇園祭のうちわをもらったImg_6907が、劇場を出ると、祇園囃子が聞こえてきた。

 音に引かれてきると、鉾の曳き初めで、四条烏丸の交差点を通っていた。予想せず、ラッキー。

 次は、鶏鉾のようで、参加したい人が集まってきていたが、スルーした。

 映画といい、曳き初めといい、予定外の収穫があった日。

 

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寒い一日の、盛り沢山の日程

  朝、外は真っ白だ。でも京都市内の積雪は少なかったが、ほんとうに寒い1日だった。日本列島が冷凍庫に入ったようだ。

 事務所は、同人会ニュースの発送作業作業。午前中、豪雪の豊岡からRさんが来館される。2月の講習会と4月の永代経の講師依頼などの相談をする。本業の合間を抜ってのご足労。

 その後、昼一番で福岡のY先生が会計の報告に来館。12月の月次だが、ひどく落ち込むことはないが、相変わらずの低調ぶりに、頭が痛い。

 そのまま「ご本典」の勉強会に進む。「行巻」に入ったが、大学院時代の普賢ゼミでのお聖教の書き込みが役立っている。しかしその大半は忘れている。実のところ、いろいろと分からないことが多くて、自分のために勉強している。
 
 時間一杯で切り上げて、仏教大学四条センターで受講。雪が舞っていたが、自転車で四条烏丸へ。夕方には止むという天気予報を信じた。約1年ぶりに、仏大の松田先生の講義。「ブッダの教えはどう記憶されたのか」とい演題。総花的で、だいだいは理解している内容であったが、釋尊の最初の言葉、仏語のパーリ語訳に関して、岩波文庫の中村元博士の定説ある本を「誤訳」と断定したり、玉城康四郎博士の「法=言葉や分別を離された形なき純粋生命」という有名な解釈を、翻訳は正しいが間違った解釈の例としてあげたり、津田真一氏に至っては「間違った解釈をさらに輪をかけて間違った」例として指摘されたりと、なかなか面白かった。いろいろと感じること多いし。

 講義終わると、やはり四条烏丸にあるcocon烏丸に向かって、京都シネマで映画を1本観る。今週、これで6本目。5日間なので、ぼくにしてもハイペース。
 今日は、トルコ映画『猫が教えてくれたこと』を観る。会館は猫好きな人ばかり。連れ合いも、母も、事務所の皆さんも、大の猫好き。まあ、ぼくは犬よりも猫派ではあるが、皆さんに比べると極めて普通。それでも、この映画は悪くなっかった。過去と現在が交錯するインスンブールというロケーションが最高。ここでは、野良猫以上、飼い猫以下の猫が街に溢れていた。

 帰りは夜7時を過ぎていたが、幸い雪は降っておらず、自転車で正解だった。ただ気温は氷点となり、かなり冷えている。こちら覚悟の上。

 夕食をすませてから、府庁への提出書類を作製する。年に1度、単立法人に課せられるオウム事件以降に増えた仕事だ。日付がかわった頃には完了し、それからプログを綴っている。ほんとうに寒い1日だったが、ずいぶん盛り沢山な1日となった。お休みなさい。

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『ヒトラーの忘れもの』

  アカデミー賞受賞関連品が、数多く上映される季節になった。

 映画界の最高の栄誉のように錯覚されかちだが、ハリウッドが世界を席捲していた時ならいざしらず、所詮、英語圏(原則、あくまでもハリウッド製作で、ロサンゼズルでの上映がされているなど)の映画しか対象にはならない。しかもアメリカ人は字幕で映画を見るのはキライなようで、古代の中国が舞台で、俳優は中国人でも、みんな映画を喋っている。妙なのもで、日本では吹替え映画は子供向けのよう思われがらなのが、対照的だ。

 それはちょっと余談だが、英語圏の以外の映画は外国語映画賞という分野だ。各国代表から、さらに5本がノミネートされて、本作『ヒトラーの忘れもの』はデンマーク代表。

 これがハラハラと、観ている者も肩が凝るような緊張感たっぷりの映画だった。

 第二次対戦直後、小国であるデンマーク人が、支配層であったナチスドイツに対して懐いていた感情(憎悪)が、その背景になっている。日本人には、この感覚の複雑さは、当事者ではないので、正確に味わえないものだろう。でも好意的な雰囲気でないことだけは明かである。

 連合国の上陸に備え、デンマークの海岸線に、ナチスはは200万個以上の地雷が埋めれていた。終戦後、命懸けの除去作業をおこなったのは、捕虜であったドイツ兵である。しかも大半がまだ未成年の少年兵であった。神経をすり減らす命懸けの作業が続いてく。数センチ単位で、棒をさして匍匐前身しながら、地雷を除去していくのだが、常に死と背中合わせだ。一瞬の油断や不運で、からだが粉々になってしまう。

 しかも捕虜の待遇は劣悪だ。食べ物もろくに与えられず、上官は、彼らを罵倒し、警戒しつづけている。人間扱いされていない。回りの彼らを見る眼も、おそろしく冷たい。そんな劣悪な環境の中でも、彼らには夢がある。地雷除去が終わると、ドイツに必ず戻すという約束がなされているのだ。なんとか祖国に戻り、新しい国づくりのためにそれぞれの夢を叶えたいと願うものばかりだ。みな普通の子供(青年)たちである。しかし、仲間や兄弟が、作業中にいのちを落すものも出る。それでも、あきらめずにひたむきなに作業を続ける彼と、敵視していた監視役のデンマーク兵が、徐々に心を通わせていくようになる…。というようなストーリー。

 普通なら、きっと堪えきれずに自殺するするものが出でもおかしくないような、あまりにも過酷な任務に、こちらもハラハラのし通し。狂気や、憎悪、または冷酷さと同時に、人間的な交流が徐々に生れて、立場や民族を超えた人のぬくもりも十分に味わえる佳作だった。
 

 

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201本+8本~『独裁者と小さな孫』から『ニコラス・ウィントン』まで

年間の映画館の鑑賞数が、200本を超えた。

200本に近づきなが、ながらく180~190本(つまり2日1本)のペースだったが、映画を見出して13年目で大台達成である。

実は、昨年も、かなり多忙な1年だったが、隙間時間には映画館に通って、人生でいちばんよく映画を観た年だったと記したのに、1年で更新して、今年は初の大台達成である。

1612101本目はジョージア映画(合作ですが。旧ソ連のグルジアの新しい国名)の『独裁者と小さな孫』。政権を追われた老いた独裁者と幼い孫の逃避行の果てに起こる人間の業を描いた、イランの名監督(亡命中)巨匠モフセン・マフマルバフ監督の傑作。

そして、今年の締め201本目は、チェコ、スロヴァキア合作の『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』

 第二次大戦開戦前夜のチェコ・スロヴァキア。他民族の豊かで自由な国は、大国の都合でナチス・ドイツに併合される。ナチスによる迫害からユダヤ人の子供達を救い、亡命を手助けるために、私財を投げ出し、自らの力をつくして、数々の困難のなかで、669人もの子供達を英国に亡命させ、里親を見つけ、命を救ったのである。しかもその事実を、奥様も含め50年間も知られることはなかったのだ。それが偶然に知られることとなり、50年ぶりに救われた子供達を感動の再開をする。
 こんな展開があるとは、、。僕も涙が溢れたが、周りの人たちもみな、、、。
 それにしても、100歳を超えても、常に新しいことにチャレンジし続けるニコラスに脱帽。こんな人がおられて、その精神がいまも生きていることは感動的だ。ナチズムの狂気も人間性なら、この菩薩のような強靭で、無私の慈愛も、また人間性。
  最後は、感動で今年も映画の旅を終えた。

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『帰ってきたヒトラー』

 ドイツ最大のタブーは、ナチスやヒトラー礼讃、ユダヤ政策に触れることだろう。タブーどころか法律で禁止された犯罪行為になる場合もある。そんな状況で、なんとも挑発的で、シニカルなブラックユーモアに包まれた映画。ヒトラーを風刺するというより、迷走する現代のドイツ(ユーロ、もしくは世界)を風刺したコメディだ。いや、コメディではないのかもしれない。そこが恐ろしい。

 突然、1945年の彼のまま、現代ドイツにヒトラーが生き返ったらどうなるのか。映画『帰ってきたヒトラー』は、小説をもとにしたフィクショッン(虚実)である。

 現実を受け入れて、いま社会状況を学んだヒトラーは、ヒトラーのそっくりさんとして、お笑い番組での人気者になっていく。別にギャグをするわけではない。しかし、彼の大まじめな命令や演説がギャグになる。テレビ業界を批判し、現実社会を皮肉り、政治を批判していく。その堂々とした態度は、過激どころか、きまめて真っ当に聞こえてくる。ただし、一つだけ禁止されていることがある。ユダヤ人問題には、絶対に触れないことを約束されているのである。彼は、政治家であるので、現状を踏まえ牙をかくて妥協する能力もあるのだ。天才的な煽動主義者は、今は、テレビの時代であり、さらにはネット社会であることに気づき、よりチャンスであると知るのだ。

 ところで、この映画の恐ろしさは、フィクショッン(虚実)でありながら、それを超えてドキュメンタリーになって、虚実が融合していくところにある。ヒトラーに扮した姿で、カメラマンと一緒にドイツ中を旅し、事情を知らない一般市民の中に飛び込んでいく。もちろん、彼らには、あくまでもヒトラーに扮した俳優がインタビューに来ていると思っているので、大歓迎して受け入れていく(もちろん、嫌悪的な態度を示す人々もいるが、少数)。そして、マイクを向けると、移民を受け入れている現実に対する不満をふちまけ人達がたくさんあらわれるのである。さらには、現実の移民(イスラム)に反対するデモに参加したり、NPD(ナチスに近いような極右政党)の実際の副党首にインタビューしたりもするのだ。フイクション部分では、NPDの本部に乗り込んで、その不甲斐なさをダメ出ししたりもするのだ。

 しかし、彼はテレビ界を干されてしまう。取材中に、言うことを効かないイヌを銃殺してしまうのだ。動物虐待であれだけ熱狂したいた人々は冷めてしまう。が、それを機会に、書物を出してベストセラーになり、映画化されていくというでのある。劇中映画のラストシーンが、またよく出来ている。

 彼が大衆を騙し、煽動したのではない。民衆の方が私を選んだというのだ。

 アメリカでは、誰もが笑い飛ばしいていたトランプ氏が共和党の候補となり、大統領選を戦っている。イギリスでも、大方の予想を反して、EUからの離脱が決まった。どらちも、世界でもっとも成熟している民主主義の国々で、民衆が選んだ道なのである。

   笑いごとじゃないよね~

 

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『天皇と軍隊』

  日本で大声では語れないタブーがある。前回取り上げた暴力団もそうだがhttp://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-5d0b.html、最大のタブーは天皇に言及することだろう。もちろん皇室礼讃なら問題はない。しかし、たとえば、昭和天皇の戦争責任を公然と語った場合、長崎市長のように凶弾の犠牲になることもある。

 2009年に作られた『天皇と軍隊は、日本人監督の撮ったフランス制作のドキュメンタリー映画。2009年の作品が、昨年から日本で上映されだした。

 160413日本本土の空襲の激化、沖縄戦、そして二度の原爆投下によって日本の敗戦は決まる。そしてアメリカによる占領政策、天皇制の存続と日本国憲法の制定の経緯、東京裁判、武力解除と戦争放棄から再軍備化への道。日米安保条約に、靖国神社、さらには三島事件と、現在の九条改正の動きなどが、貴重なアーカイブ映像と、当時を知る日米関係者へのインタビューで構成されている。タイトル以上に問題点は多岐に渡たり、戦後日本が抱える矛盾や課題を浮き彫りにしている。

 憲法(九条)、靖国、日米安保、オキナワ、自衛隊、そして天皇制…。どれもが国論を二分するような大問題ばかりで、それらを90分で扱うのだからどうしても総花的にはなる。しかし、簡単に答えを出しえない大きな課題が、実はその根のところで繋がっていることを示唆しているのだ。

 アメリカ(マッカーサー)の占領政策と、アジアでも緊迫化する共産主義との戦い。それが、日本側の天皇制維持との思惑で一致する。その文脈で、東京裁判も、憲法九条や、憲法二十条(政教分離)と靖国神社、さらにオキナワ政策を見ていくと、日本側が何を第一に護り、譲歩したのか。占領国のアメリカが何を利用し、妥協しあったのかが、よく分かるのである。

 予告映像のラストは、昭和天皇の初めての公式記者会見のご返答の一声目で終わっている。
「戦争終結にあたって原爆投下の事実をどのようにお受け止めになられましたか」という質問である。
1975年時点では、こんな質問が出来ていた事に、まず驚いたし、また率直なお答えにも驚かされた。
 本編では、この返答を結びとして、原爆ドームを前にした1947年の広島訪問の映像で、映画は終わる。
 その答えを聞いて、なぜマッカーサーが天皇制を維持し、またそのために日本側がどのような態度で臨んだのかの本質が隠されていているように聞こえた。

 衝撃的だった。

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『サウルの息子』

 2月に連続でヒットした観たぼく好みの良質の映画の紹介。

   4本目は、昨年のカンヌをを征したハンガリー映画、『サウルの息子』
 久しぶりに震えた。ほんとうにいい映画である。間違いなく、今年度のベスト10に残る1本だ。

160204 アウシュヴィッツを取り上げたホロコースト物は、年に2、3本は見る。封切られるのはもっと多くて、正直、食傷気味で、パスにもことも多い。既視感が強いからだ。しかし、この映画は、これまでみたホロコースト物とは、明かに一線を画している。

 まず、素材がいい。ゾンダーコマンダーという、ユダヤ人の中から選ばれて、同胞をガス室に送り込むナチの殺戮工場の協力者に仕立てられる、ハンガリー系ユダヤ人の男が、主人公だ。
 そして、カメラワークがいい。その彼の視線が中心なのだが、完全な主人公の一人称ではない。彼自身も映り込むからだ。といって、常に彼の視点から見える範囲の出来ごとなので、いわゆる神の視点や第三者からの映像はない。
 当然、全体の視点も異なってくる。たった2日間の限られた時間の設定もあって、緊張感が漂った不安げな雰囲気が、バンバン伝わてくるのだ。
 まさに、アウシュヴィッツは、まさに殺戮のための効率を優先された工場だ。どんどん囚人が送られ、大量殺人と、死体を始末するための流れ作業が、延々と続ていく。。ナチスも、ドンツ人に、汚い仕事はさせたくない。ユダヤ人のその仕事をさせ、普通の囚人よりも若干の自由もある。しかし、大量殺人の証拠隠滅のために、彼らもまた3ケ月ほどの周期で、ガス室に送られていくことになるのだ。
 この世に、地獄があるとしたら、ここだ。そんな中で、人間性を捨てさせられ、精神を破壊された男が、『自分の子供』の死体発見したことから、人間性を回復していくのだが、、、。謎や不可解な部分も多い。
 もう出尽くしたかと思っていたホロコースト物であるが、映画自体にも、新しい風が吹き込んだようである。

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