カテゴリー「カウンセリング・DPA」の134件の記事

お誘い

 今回のカウンセリグの集いも、企画だけでなく、チラシを造り、またお声かけも頑張って行った。

  お誘いは、真カ研の会員だけでなく、華光会の皆さん、さらに仏教大学ビハーラ研究会などにも出席して、チラシを配った。ご縁が浅く難しいと思っていたビハーラ研究会を縁に、3名も参加くださったので、驚いた。一方で、真カ研のベテラン常連組が距離を置かれたのは、残念だ。もっと、華光の方に参加してもらいたかったが、家庭などに問題を抱えておられる方にお声をかけるも、不発に終わった。それでも、ご縁の新しい方が、積極的に参加くださったのがうれしかった。このあたりも、自分のはからいを超えていた。

 他に、今年は、カウンセリングや仏教関係の方だけでなく、自力整体の知人、小・中学校の同級生にも声をかけてみた。それも、数日前で、かなり難しいとは思っていたが、ダメもとである。5月の連れ合いの演劇をお誘いしたことが、縁にもなっていた。

 なかなか返事がこない。これまで、仏教に関するお誘いを控えていた関係なので、先方も戸惑われていたようだ。ところが、ここから3名も参加くださったのは、とてもうれしかった。なんのことはない。自分で、勝手に垣根を作っていただけのことである。「仏教のことは何も知らなけど、難しくないかなー」といった不安は持たれながらも、それぞれが興味や関心をもっておられることが、よく分かった。選ばれるのは先方なのだから、情報として提供するだけでも、意味があるのだ。

 その中で、とても不思議で、有り難いこともあった。まさにご縁の不思議である。

 10年来の自力整体での知り合いの方。今は、整体はお休み中だが、お声をかけてみた。

 地元、九州で働いておられたが、縁あって京都に出るか迷っていたときに、相談した病院の先生から背中を押されたという。そして、「もし京都で困ったことがあったら、奈倉先生を訪ねなさい」と、紹介状を書いてくださったのである。その後、彼女は奈倉先生を訪ねるような困難なことはなく、一度、先生の講演会を聞いた程度で、20年が過ぎ去ったというのである。そこへ、今回のお誘いである。ご講師の紹介で、先生のお人柄などにも触れて、ぜひ、お会いになってみて下さい、と案内あ届いたのだ。

 今回、長い歳月を経て、先生との出会いとなったわけである。ご紹介くださった先生は、奈倉先生の学生時代の同級生で、長年の親友だということで、先生もとても懐かしく、驚いておられた。

 ぼくも、その紹介の名刺を見せてもらったが、小さな名刺に20年間の重みが感じられた。ほんとうに縁とは、不思議なつながりである。
 もし、5月の連れ合いの公演がお誘いしなければ、彼女に声をかけることもなかった。お互い知らないだけで、つながっていないものはないということである。
 

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「講座仏教カウンセリングを求めて」(2)体験学習篇

  体験学習は、主に三つだった。

 一つは、「蓮如上人の談合とエンカウンター・グループ」と題して、参加者が対等であり、各自が誠実にあろうとつとめながら、あくまで模擬で、時間的には20分程度だったが、これはこれで面白かった。見ず知らずの人の中で、いきなり心を開くことは難しいが、各自か、自己自身に正直で、誠実であろうと勤めて、また互いに尊重しあい、攻撃や批判ではなく、自由に語り合う事ができるのなら、それだけでもいきいきとした集いとなる。普段の会合で、参加者が、互いが誠実であろう、尊重しようという思いを心をがけている集いは、まずない。その意味では、いかなる集いであっても、これは率直に学ばせてもらいたい。法座での座談会でもそうだ。常に、自己に率直に、また誠実に臨みたいと思った。

 もう一つは、ブチ内観を体験。期間を区切って
 「1)母親にしてもらったこと、2)して返したこと、3)迷惑をかけたこと」の三点を内観した。
  不思議と、ある日常のごくごく普通の場面が、具体的なイメージで甦ってきたのが、面白かった。忘れているだけで、体験したことはすべて残っているということだろう。有り難いというより、業の恐ろしさを感じた。結局、自分の分かる範囲だけで、内省したり、有り難かっても、所詮、氷山の一角にすぎない。忘却していても、業の厳粛な道理を思うと、恐ろしくもなった。このことは、またどこかで書きたいと思う。

 最後は、「来談者に寄り添って傾聴させていただくロールプレイ」である。3名組の、如是我聞ゲームである。お相手は、ベテランカウンセラーのH先生だったのも、ぼくにとってはよかった。もうお一人は、先日、ビーハラ研究会で立ち話からお誘いした方。ほぼ初めての方と組ませてもらっえたのも、尊いご縁だった。

 ワーク終了後の懇親会も、時間を忘れるほど盛り上がった。ただ、呑み助に挟まれて、ぼくのピッチもいつもより早かった。とにかく心を開き、豊かに触れ合った、楽しい集いでした。

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「講座仏教カウンセリングを求めて」(2)講義篇

 真宗カウンセリング研究会の主催で、奈倉道隆先生をお迎えして「講座仏教カウンセリングを求めて」(2)を開催した。(2)とあるのは、昨年大好評で、今年も同じタイトルでの連続開催となったからだ。それで、大きなテーマや内容は、ほぼ昨年と同じだったので、続編というよりも、再編に近い感じもした。継続者もあったが、初参加の方が多かった。昨年は27名、今年は24名。いまの研究会の規模としては、参加者も多く、盛会だった。

 事前に予備学習も行い、レジュメも、2校、3校と重ねてくださった。短時間(4時間)で、講座と体験学習を2本立てがあって、盛り沢山だ。講義を挟んで、模擬エンカウンター、ミニ内観、最後に3人組でのロールプレイという流れだ。

 まずは、講義篇である。

 「仏教カウンセリングの特色」と題した講義。西洋と東洋の違い、佛教の「苦」の理解、さらには仏教の旗印である三法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂滅」を正しく捉えること。つまり、仏教は、原因よりも「縁起」、すなわち関係性を重視するということ。つまり、教える側も教えられる側にもなる。つまり話し手が、次には聞き手になり、固定化された関係はないし、「私」というのも縁によってあるので、実態はない。にもかかわらず、無常とも、無我とも分からずに、物事に執着していく、自我中心性こそが苦の根源となるのである。そこから、真に「調和」のとれた世界(涅槃)こそが、苦からの解放へと誘うというのである。
 さらに聖道門の仏教と、浄土門の仏教(浄土教)があるが、浄土教せは阿弥陀仏の本願に出会っていく道であり、願われていくいのちでるあことを自覚し、この自覚を高めるために、聴聞があるという。カウンセリングでは傾聴を大切にし、共に「願われたいのち」であることを信じて向き合う。共に阿弥陀に願われた命であるという思いをベースに寄り添うことが、御同朋の精神であり、仏教カウンセリングの根底にあるものだというふうに窺った。

 他にも、1)藤田清先生の「仏教カウンセリング」、2)森田正馬博士の森田療法、3)吉本伊信師の「内観」についてのお話を頂き、内観の体験学習を行い、最後に、来談者に寄り添う傾聴のワークを行った。

 浄土真宗の信心の理解、カウンセリングについての見解なども、ぼくとは味わいが異なるところもあった。そのことはいずれ言葉にしたいが、今年も学ぶことの多い集いとなったのは、確かである。

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「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」(2)

「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」(1)からの続き。 第一項の「真宗カウンセリングの成立」である。

 真宗からカウンセリングだけでなく、カウンセリングから真宗へという両方向からの出会いがあり、そこに「真宗カウンセリング」の成立と、可能性・必然性があるというのだ。ともすれば、「真宗からカウンセリング」の面だけで見られがちだが、「カウンセリングから真宗」もまた、時代の要請であり、必然だというのである。

  それを「両者の出会いと交流」の段落で押さえていかれる(P200~203)。ここは、真宗とカウンセリングの出会いを、巨視的・理論的視点から検討である。

 まず、1)「真宗(仏教)からカウンセリングへ」の方向。箇条書きにすると、

・釈尊は、求道から成道(悟り)至るが、そこで止まらず「伝道」へと転じられていった。それは、悟りの智慧が、迷いの苦悩の人を救おうという慈悲の行に転じることでもある。それが仏教の実践的本質である。
・その実践的本質を、釈尊以上に時間・空間に拡げ、十全に発揮しようというものが、大乗仏教の精神である。
・その精神の結晶(大慈悲心)が、弥陀の本願であり、それが我が身の上に、具体的に顕現するというのである。
・つまり、「如来より賜わりたる信心」として躍動する大悲心が、共に苦悩する凡夫として、同朋感覚にとぎすまれ、対人援助的配慮に向かう姿が、真宗カウンセリングの基本姿勢である。
・決して、宗教的権威で向き合うのではなく、共にみ光の中にある、御同朋として親しみ敬う態度である。

 次に、2)「カウンセリングから真宗へ」の方向では、

・カウンセリングや心理療法は、心の病の癒し、心の成長を促し、深い気づきやめざめによって心安らぐ道を開くものである。その理論や技法は多種多様であり、それだけ。現代人の悩みが複雑化している。
・しかし、種々の理論や技法の基礎にあるのが、「人間性心理学」。人間性を重視する流れである。たとえは、CRロジャーズやAマズローなどだが、
 ロジャーズ=人間の心の病を癒し、心を生き生きさせる原理と方法を明かにする。
 マズロー=人間の心は自己成長から、さらに自己超越に向かう深い欲求を持つ。
・上記の傾向は、仏教等の東洋の哲学や宗教に出会いや交流によって促進されてきた。すなわち、西洋の心理療法やカウンセリングは、実践や体験を重視する東洋の仏教と、既存の枠組みを破って融合し始めているといってもいい。
・しかしながら、日本仏教側からの架け橋(鈴木大拙等)は乏しく、真宗からの貢献は微弱だといのうが現状だ。
・「真宗カウンセリング」はささやかながら、対人援助という側面から、実践的に、真宗とカウンセリングを統合しようという試みである。

 しかし、この論文から30年近く経っても、真宗からの働きかけ、現実的にはまだまだお粗末なものであるのが現状。それでも、できる事から取り組んでいきたい。

 

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「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」(1)

   真宗カウンセリング研究会の月例会、今月から、西光義敞先生の『育ち合う人間関係』の第四章「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」に入る。第一項の「真宗カウンセリングの成立」を担当する。

   まず、「『真宗カウンセリング』とは」の段落。
   冒頭「ビハーラ活動実践家は、真宗カウンセラーでなければならない」とあった。いきなり、「ビハーラって何ですか?」の疑問が、。この論文は、ビハーラ関係の書物に出たので、その定義がない。大半が、カウンセリングから入って、浄土真宗を学ぶ途上の人達だったで、細かく註釈をつけたレジュメを作っておいた。

  「ビハーラ」とは、サンスクリット語で、僧院・寺院あるいは安住・休養の場所を意味した言葉だ。今は、末期患者に対する「仏教ホスピス」、または苦痛緩和や癒しの支援活動をさすもので、欧米発祥の「ホスピス」が、キリスト教系の言葉であるのに対して、「ビハーラ」は、仏教の主体性・独自性を出したところに特徴がある。 
   この用語は、昭和60(1985)年、佛教大学の田宮仁先生が、水谷幸正学長に相談し、仏教を背景とするターミナルケア施設を「ビハーラ」と命名されたことに始まている。
  西光先生も、初期から関わりをもっておられて、この著述の論文も、水谷学長の記念論集に収録されたものである。

では、「真宗カウンセリング」とは何か。その当面の以下のように定義されている。

「浄土真宗に生かされている者が、心の問題を抱えている人との直接的触れ合いを通して、その人を援助する実践である。援助の目的は、その人の心の病が癒え、その人の心が健やかに育ち、その人が真実にめざめることによって、身心が安らげるような、ひとつの縁となることである。」
 そして、その実践に自覚的に取り組む主体が、「真宗カウンセラー」だというでのある。

  いつも思うことだが、「実践」がキーワードだ。真宗もカウンセリングも、また真宗カウンセリングも、机上や文字の中にあるのではなく、生きている人の上に、直接的な人間関係を通して、しかも実践体系として躍動している点が、強調されている。ここは何度でも押さえておきたい箇所だ。

  そして、この西洋と東洋、心理療法と宗教との出会いは、一方的な方向だけでなく、両方向からの出会いであり、交流であることが述べられいる。つまり、
1)「真宗からカウンセリングへ」の方向
2)「カウンセリングから真宗へ」の方向である。

  1)の「真宗からカウンセリングへ」の方向では、
 カウンセラーは真宗者でなくてもいいし、真宗者がカウンセラーでなくてもいい。しかし、もし、真宗者が、心の問題を中心に、援助的に関わろうとする時、真宗カウンセリングは成立する。その時、真宗者は、相手との関わりで真宗カウンセラーだといっていいのだ。

  同時に、2)「カウンセリングから真宗へ」の方向では、
よりよきカウンセラーとなろうと実践している人が、その人間観を深めていく過程で、仏教や真宗に出会い、真宗者の生き方や態人的程度に共感する時に、意識していようが、していない場合でも、その人は、真宗カウンセリングを実践しているともいえるときがあるというのである。

  つまり、真宗からカウンセリングだけでなく、カウンセリングから真宗へという両方向からの出会いがあり、そこに「真宗カウンセリング」の成立と、可能性・必然性があるというのだ。ともすれば、「真宗からカウンセリング」の面だけで見られがちだが、「カウンセリングから真宗」もまた、時代の要請であり、必然だというのである。

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SDGs、ってなあに?

 6月のビハーラ研究会のテーマは、「カードゲームでSDGsを体感する」と題して。

 案内文に、「国連で2015年に採択された「SDGs」(持続可能開発目標)達成のために、私たちには何ができるのかを、カードゲーム体験を通して皆様と共に考え、さらに「SDGs」と仏教との接点を探ってみたいと思います。」

 とあった。まったく「???」である。唯一わかったのは、カードゲーム体験があるということだけだ。正直、参加も躊躇した。が、逆にまったく知らないからこそ、学びもあるかもしれない。仏教との接点というからには、何か関連があるのだろうと、「?」の頭で恐る恐る参加した。

 いきなり、岸田外務大臣(当時)とピコ太郎の映像を見せられ、早見優の歌声に合せて、「皆さん、立ってダンスしましょう」と始まった。びっくりしたが、まあ参加する以上は、積極的にが最近の心情なので乗っていくことにした。

 わからないままペアを組んで話し合ったり、ちょっとしたワークをしたりを繰り得しながら、まだ「?」のまま、「カードゲームでSDGsを体感する」体験へ。実は、始まったても、まだ「?」のままだったが、個人の願い(欲望というより、もっと深いところでの欲求)と、社会との関わりの中で、社会全体で説く組む17の課題(貧困や飢餓をなくすとか、教育の機会や差別の解消、女性の権利、環境問題)などなどを国際的な課題を、社会全体で取り組み、「誰ひとりとして取り残さない」という宣言をなされている。SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称で、SDGs(エス・ディー・ジーズ)と発音するそうだ。

 経済と環境と社会の3項目に分けて、個人の活動が社会に与える影響、個人の夢と、よりよい社会(地球環境であり、公共の福祉であり、経済発展でもある)を実現させていくために、いかに活動するのか、どうすればいいのかを、体験的に学んでいった。

 実は、今回は前半で、9月にも後半が開かれることになった。それで、「仏教との接点を探ってみる」という課題には、まったく触れられることはなかったが、いろいろと感じることは多かった。

 感じたことはひとつだけ述べるのなら、阿弥陀様の本願も、苦悩する一人一人にほんとうの幸せを与えたいというものであるけれど、同時にそれは、平和で差別でもなく、貧困もな安らぎの国(極楽浄土)という建立することから始まっている。社会(国土)と、衆生(ひとりひとり)は、切っても切り離せないということである。ともすれば、個人(自己)の安心の問題として、矮小化してしまいがちであるが、利己主義に止まることなく、社会にも開かれていくものであることを改めて考えなおされた。

 次回は、さらに深く学んでみたい。詳しくは、以下の外務省ホームページなどで。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html  

https://imacocollabo.or.jp/about-sdgs/

 

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講座「仏教カウンセリングを求めて」(2)のご案内

呼びかけ
昨年大好評だった、講座「仏教カウンセリングを求めて」を、今年も企画しました。奈倉道隆先生をお迎えし、日本生まれで、独自の仏教とカウンセリグ・心理療法の統合を提唱された先哲(藤田清氏、森田療法、吉本内観法)を基盤に、浄土門の実践的な仏教カウンセリングを探求する講座です。参加者との対話、課題のロールプレイ実践なども行います。今回が初めての方も、奮ってご参加下さい。お待ちしております。
終了後は会員・参加者の交流の場です。懇親会からの参加も歓迎です。合掌
    
日 時:2019年7月6日(土)13時30分(13時受付)~17時30分
     (懇親会)       18時~20時頃終了

場 所:華光会館(075-691-5241)(近鉄十条駅徒歩1分)
    京都市南区西九条東柳ノ内町22(075-691-5241)

参加費:(一般)3,000円・(会員)2,000円

懇親会:近鉄十条駅前「來人(らいと)」実費清算(4,000~4,500円)

内 容
 この講座では、まず先哲が開発された日本生まれの仏教カウンセリングの方法を学びます。『藤田清の龍樹の中観論(否定的啓発法)による目覚め』・『自身の乳児期から再出発し、あるがままを受容できる自己を再構築する森田療法』・『内観三法によって罪深く恵み多き自己に目覚める内観法』などです。これらを基盤として浄土門の仏教カウンセリングを探求してまいります。
 10名程度エンカウンター体験、参加者全員が3名の組を作り、与えられた課題でロールプレイなどの実践体験などを行います。多角的に自己を鍛錬してほしいと思います。(奈倉)

ご講師:奈倉道隆先生 京都大学医学部卒。龍谷大学社会学部元教授。東海学園大学名誉教授(仏教概論・共生人間論担当)介護福祉士・老年科医師

〆 切:出来れば、前日までに増井 信まで。(懇親会は定員〆切)

申込先:Eメール(mhg03073@nifty.com)、Fax(075-661-6398番)、又はハガキ に、(1)~(4)を明記しお申込み下さい。(1)氏名(2)連絡先(電話、メール)(3)会員の有無(4)懇親会の有無

主 催:真宗カウンセリグ研究会

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講座「仏教カウンセリングを求めて」の事前学習

 真宗カウンセリング研究会の月例会では、『育ち合う人間関係』を輪読中が、今月はお休みして、奈倉先生のお話を窺った。
 7月6日(土)に、講座「仏教カウンセリングを求めて」(2)と題した講座がある。昨年に引き続き、奈倉道隆先生にお願いした。その奈倉先生から、進行や内容の相談がしたいということで、レジュメに基づいて、一足早く、講座のあらましをお聞きすることができたのだ。

 レジャメに基づいた、だいたいのあらましは、

1仏教カウンセリングの特色

2目覚めの「談合」蓮如上人」とエンタカンター・グループ

3藤田清氏のの「佛教カウンセリング』

4森田療法-症状に執着する心を克服し、健康に生きる努力

5内観-過去の人生の最体験(回想)、人格の発展をはかる

6来談者に寄り添って傾聴せさていただくロールプレイ。

六項目だったが、その中心は、2と6、つまり10名程度での「エンカウンター・グループ」と、3人組での「如是我聞ゲーム」(ロールプレイ)という二つの実践を行うことが提案された。その時間配分や進行の相談が主だったが、ここに参加する皆さんが、自由に意見を出し合う雰囲気が出来ていた、エンカウンター・グループのようだったのが印象的だった。

真宗カウンセリングではなく、「仏教カウンセリング」と名乗っているのもミソで、参加者も、そのあたりも深く探求してもらいたいが、まずは、この講座をきっかけに、カウンセリングなり、仏教カウンセリングに興味をもってもらえばと思っている。奮ってどうぞ。(詳細は、次項に掲載中)

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後ろ向き発言

  今年度、最後の月例会。

 参加者が少なくて、寂しい。4名の参加があったが、2人が1時間足らずで退席されて、二人だけになる。

 今年度は4月から始まったが、たった一人の参加の有る無しで、雰囲気がよくなったり、逆につらくなくなったりするのを体感させられる1年だった。来年度もこの調子が続くようだ。

 月例会なので、しっかり内容を読みこみたい。たったそれだけの願いが、そうはならない。各人が自由に発言する場でもあるから、自分のフィールドだけにもちこんで、長々と発言をされる方がある。それはそれでいいのだが、内実に不一致を強く感じられて、正直、つらい。

 月例会の世話役を初めて、ずいぶんと長い。30年近くになる。そろそろ変わってもらってもいい時期だ。このテキストまでは責任があるので、来年1年は続ける。4月の総会では、事務局が刷新されることになるので、来年以降の、月例会の世話役の交代をお願いしたいと思う。残念ながら、後継者はなしてある。

 ずいぶんマイナスイメージの文章になった。それだけ、拒否反応があるということだろう。すみません。

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真宗カウンセリング研究会の世話人会

   新年度のパンフレットの作成の相談。

   代表のM先生と、もう一人の担当者と、ぼくの3名だけ。研究会のワークショップは彼と僕の2名だけでやっていて、運営はぼくが一人で担っているようなものだ。それでも、細々でも60年近く続いてきた。

 しかし「真宗カウンセリング」としての使命を果たしているかのかというと心もとない。なかなか先達の志(精神)を伝えていく難しさを感じている。力不足ではあるが、今年も地道でも、しかり活動を行っていきたい。

 

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