カテゴリー「カウンセリング・DPA」の152件の記事

コロナ禍の広島真宗カウンセリングWS

 今年の広島真宗カウンセリングWSは、形式を大幅に替えての開催となった。

 二泊三日間の合宿形式から、2日間の通い、しかも朝と昼座のみで夜座はなし。会場も、広くて換気がよく音響施設もある広島別院の会議室に変更。ぼくは、久しぶりの広島別院だったが、前回も真宗カウンセリングの集いでお邪魔した。窓は空けてはいるが、1時間毎に全開して換気。間隔をあけて座り、マイクは二人で1本、さらには、お茶やお菓子も出せず、昼食も各自か個別で食べる対応。もちろんマスク着用、入場にはアルコール消毒、2日間とも開始前には、コロナ対応の手引きをプリントで説明。終了後は、消毒の掃除もおこなった。

 正直、煩わしことばかりだが、手間を惜しまず出来る限りの対応を行った。それでも開催しうようという力が、このクループにはあるということで、参加者も揃ったのだ。世話人3名を含め初日が9名、2日目が10名という構成。メンバーは広島在住の方に限った。

 2日間で、多少の出入りがあったが 継続されたメンーバということで、最初から話題がつきなかった。メンバーに対する安心感が構築されているからである。本来は、グループを形成するに時間を費やしていく必要あるが、その必要はなかった。これにはよい意味もあるが、馴れ合いや固定化などの問題点も起こる。内容には触れることはできないが、単なるカウンセリングWSにはない、真宗カウンセリングWSならではの信心の領解について、こころを開いた率直な表明が出されていたのではないか。

 同じ浄土真宗のみのりを聞くものではあるが、そのお育てによって大切にしている部分が違うことがある。これはもう60年前からのテーマではある。大きく、西光先生のご縁やカウンセリングからの流れを汲む人達、信楽先生の流れをくむ人達、そして華光でお育てをいただく人達が、一同で出会う。共通の土壌も多いが、大切にしている部分の違いもある。お互いを尊重しつつ、各人か譲れない部分があるというのが面白い。当然、ぶっかったり傷ついたりすることもあろうが、一方で、同質のものだけが集っても得られない緊張感、発見や気づきも起こるのが面白い。他者との出会いとは、結局、自分を知ることであり、自分の聞いてきたことが広がることに他ならないのである。

 4座のセッション、1泊2日間と同じであるが、夜座や懇親会がなかったので、アッという間に過ぎさった感がする。これからというところで終わり、勿体ないーとも感じたか、今年に関しては、何よりも無事に開催できてよかったなーというのが実感である。ありがとうございました。

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 講座・仏教カウンセリングを求めて(3)

 今週は水曜日に月例会があったが、引き続き、土曜日には真宗カウンセリング研究会主催で、奈倉先生をお迎えしての「講座・仏教カウンセリングを求めて」(3)を開催した。

 奈倉先生の講座は、これで3年目。これまでのまとめの意味も込め、西光先生を聞き手に、「仏教カウンセリングからみた生・老・病・死」と題して、講演と対談、フロアーからの質疑で構成されていた。

 企画から、真宗の方にひろく呼びかける予定だったが、このコロナ禍である。一旦、延期となって、7月に行うことになった。感染再拡大の最中で、当日近くのキャンセルも多く、昨年呼びかけた他の会合や集いが軒並み休会で、思うような参加者を得ることができなかった。密を避けるために定員の上限を設けていたが、その定員にも達しなかったのは、残念だった。もちろん、楽しみにしていた懇親会も中止だが、今は致し方Ðなしだ。それでも、初めてお会いする方が2名あり、そのうち1名は、すぐに会員に加わってくださり、有り難かった。

 これまでと違って、実習ではなくて講演が中心。
 まず奈倉先生からは、仏教カウンセリングの立場、そして医者や介護士としての長年の、実践経験の中から簡単な事例を交えての講演であった。
 主には、(1)「倫理と宗教」~その違いから思う宗教の意義~
 (2)目覚めの宗教として「仏教」と、対話で気づく「カウンセリング」の違い。さらに、仏教カウンセリングの提唱者である藤田清先生の共談仏教と、中観の龍樹菩薩の「空・仮・中」による「否定的啓発法」について。

 そして、(3)西洋の因果モデルではない、仏教の「因縁生起」の縁起の理法によって勧める家族カウンセリングの実際の事例をお話くださった。原因を一人に押しつけないで、家族の問題、関係性の中で解決をめざすもので、家族という流動的な関係の中で、過去の隠された協調性などを甦らせていこうという試みであった。「安心して家族がぶつかりあえる(ケンカしあえる)場を提供する」ーそのために傾聴に徹し、安心の場作り行うカウンセラーの役割と、調和を求める心が建設的な方向に作用していくブロセスなどが、なかなか面白かった。

 さらに(4)浄土教の中心である『大経』『観経』の三心、中でも二種深信による心の転換による目覚め。それは自己の深い罪業性と、凡夫であることが知らされると共に、それがそのまま阿弥陀様に願われている、摂取されてる身であることに気づかされることにほかならず、カウンセリングの場面でも、どこまでも共に凡夫であるという自覚は、共に常に阿弥陀様に守られている(摂取不捨)のお互いである、「阿弥陀様おまかせします」という信心に根ざしカウンセリングが進んでいく、というような趣旨のお話をいただいた。あっという間に時間がすぎて、唯識にもとづく囚われからの解放や、内観の体験の話題は割愛されたが、そのあとも、フロアーからの質疑に積極的に答えて頂けた。

 一方で、西光先生は、故西光義敞先生の『育ち合う人間関係』の「真宗カウンセリングの成立」の論文から、真宗とカウンセリングの出会い、そして例の三角形を使っての真宗カウンセラーとクライエントとの関係、さらには、真宗カウンセリングの性格、特色(二重関係と、二重の配慮)などを、基本にかえって丁寧にお話くださった。

 対談形式、またその後のお二人でのお話し合いなどでも、気づかされることが多い講座となった。また機会があれば、また触れていきたい。

 なお、当日の講演記録を、mp3.(CD等はなし)で発信(有料)予定でいます。ご関心のある方は、研究会までお問い合わせください。

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生死=迷いを超える~7月のカウンセリグ月例会

 初めてzoom参加者が担当。ところが開始30分たっても、会場にはぼく一人。そのうち2名が加わ(一人は初参加)ったが、zoomの方が活発だった気がする。

 第4章「真宗カウンセリング人間観」も、最終回。第4節の「真宗カウンセリングの人間観」にはいる。ここはさらに、「真宗とカウンセリングの実践的出会い」と「真宗カウンセリング」の現代における使命」に二分科されている。

 とても厳しい章だ。

 結局、現代に生きる真宗者がカウンセリングに出会うことによって、浄土真宗も、長年に渡る因習や逸脱によって、教義という言語体系や教団という社会体系として固定化され、その精神のダイナミズムを喪失して、気づかぬうちに、本来の実践的使命を失っていることに気づき、実践的な浄土真宗の本来性に回帰する営みと、同時に、真宗の現代的か、使命を甦らせる可能性をも含んでいる。その意味でも、真宗カウンセリング役割は大きい。

 一方で、真宗カウンセリングは、人間中心(バーソンセンダードアブローチ)カウンセリングにも、これまで不徹底だった人間観(結局、人間存在の有限性を超えられない)、つまり生のみを正当化し、単純肯定する楽観的人間観に対してへの厳しい批判と、それを超えていく道があることを提示するものである。つまり人生を「生」の一面のみでとられ、単純肯定している。しかし仏教は、人間存在を「生死」と取られ、それを迷いととられて、その生死を超えていく道を示している。

 自己成長、自己実現などのカウンセリングの目標を示す概念は、いずれも単純肯定された生の枠内での連続概念に留まっている。生は死という否定的契機を含むことによって生であるということが実相であるから、死を見ようとはしない、あるいは死を掩った生の枠内での成長や発達や幸福や健康は、厳しくいえば、人間の根源的な幻想であり、迷妄である。

とまで言い切られているのである。その迷妄に目覚める、超えていくというところまで視野に入っていないというのだ。

 その点を踏まえてこそ、初めて真宗カウンセリングの構造の特色である二重関係、二重の配慮が生れてくるのである。

 つまり、世間レベル、カウンセラー対クライエントという人と人との関係と共に、
 出世間レベル、人間の次元を超えた人間を支える「仏」と「人」との関係という二重の関係性と、それにともなう二重の配慮(対人的心理的配慮と、霊性的配慮)]ち本伝ているという、真宗カウンセリングの独自性が顕れてくるのであろう。
 
 ただ今日の浄土真宗そのものにおいて、たして実践的に「生死超える」一点に聞法や関わりの焦点があたっているのか。大半が、生(自己)を全面的に肯定するような教説や姿勢に留まってはいないか。その意味でも、真宗カウンセリングの可能性は、カウンセリングの不徹底に働きかけるのみならで、今日の多く流布する真宗の根本的な逸脱に対しても、本来生に回帰を促す大きな契機となる可能性を祕めているのではないか。そんなことを感じてさせられ、大いに刺激をうけたのであった。
 

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~日程変更(7月18日)~講座「仏教カウンセリングを求めて」(3)案内

~日程変更版(6月から7月18日へ)~

講座「仏教カウンセリングを求めて」(3)~仏教カウンセリグから見た生・老・病・死~

 一昨年、昨年と大好評だった、講座「仏教カウンセリングを求めて」を、今年も、奈倉道隆先生をご講師に企画しました。これまでは、日本生まれで、独自の仏教とカウンセリグ・心理療法の統合を提唱された先哲(藤田清氏、森田療法、吉本内観法)を基盤に、浄土門の実践的な仏教カウンセリングを、参加者との対話や実践を通して学んでまいりました。

 今回は、まとめの意味を込めて、仏教カウンセリグのもつ実践性を、より具体的に深めてまいりたいと考えております。それで、「仏教カウンセリグから見た生・老・病・死」と題し、聞き手に西光義秀師を迎えて、老年科の医師であり、介護福祉士であり、また念仏者であられる奈倉先生との対談形式を予定しました。問題提起をもとに、参加者との対話やグループでの分かち合いなども通して、仏教カウンセリグ、又は真宗カウンセリグの実践的課題や、その可能性について考えてまいります。

 なお、懇親会は中止いたします。今回が初めての方も、奮ってご参加下さい。お待ちしております。合掌;

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日 時:2年7月18日(土)13時30分(13時受付)~17時

場 所:華光会館(075-691-5241)(近鉄十条駅徒歩1分)

京都市南区西九条東柳ノ内町22(?075-691-5241)

参加費:(一般)3,000円・(会員)2,000円

テーマ:~仏教カウンセリグから見た生・老・病・死~

ご講師:奈倉道隆先生 京都大学医学部卒。龍谷大学社会学部元教授。東海学園大学名誉教授(仏教概論・共生人間論担当)介護福祉士・老年科医師
    西光義秀先生(本会会員。浄土真宗本願寺派萬行寺住職)
コーディネーター 増井 信(本会会長)

〆 切:密を避けるため、20名定員になり次第〆切
    7月11日(土)までに華光会館内、増井 信まで

申込先:Eメール(mhg03073@nifty.com)、Fax(075-661-6398番)、又はハガキに、(1)氏名(2)連絡先(電話、メール)(3)会員の有無

主 催:真宗カウンセリグ研究会
〒601-8433 京都市南区西九条東柳ノ内町22華光会館内
 075-691-5241

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真カ研~月例会~リアルとZoomとのハイブレッド

   輪読法座に引き続いて、真宗カウンセリング研究会の月例会も開催。いつもの会場の龍谷大学が閉鎖中で、華光会館が会場。

   今回は、試験的にリアルな月例会と、リモートでの参加者での共同開催を行う。幸い、昨年の工事の時に事務所を教室に引っ越して、2階にもネット環境が整っていた。ノートパソコンからプロジェクターでのスクリーンに大写しにして、音声はスピーカーから、zoom参加者の樣子はよく分かった。ただリアルが複数の場合、こちら側の音声が聞き取りづらいという問題が発覚。それでも初めてにしてはよかったのではないか。

  参加者6名に、Zoomが7名、85歳の奈倉先生もわざわざ来館。発表のSさんも頑張ってくださった。また京都での学生時代、常連だった皆さんが、久しぶりに月例会に集いたいせつな指摘をくださり有り難かった。これはコロナの効果である。

 内容は「親鸞とロジャーズ」の項目。ある意味では、真宗とカウンセリングではなく、凡夫が弥陀の本願にめざめる道を身をもって明示された親鸞様と、クライエント中心セラピーを提示されたロジャーズさんとの両者の人間観についての比較である。まずは、親鸞様の人間観、そしてロジャーズさんの人間観のそれぞれを明かにされる項目である。

 今回一番の収穫は、発表者が真摯に、張り切って発表されたことである。だからこそ、参加者も真摯に批判し、また率直な意見が聞けた。結論をいえば、まずは発表は、著者の述べていることをしっかりと抑えていく作業である。その時は、自分の思いは交えずにそのままを要約していく。大切なことは、著者の言わんとする意図を理解し、それう要約する力である。そしてそれができた上で、初めて自分の意見や思いを述べればいい。これはカウンセリングの聴き方や真宗のご聴聞にもつながる要点だ。往々にして、自分のこと思いか、相手の思いかがゴチャゴチャになっていくしまう。日常生活ではだれもそれを指摘されないが、カウンセリングや聞法の場合は、ここは厳密にしてく必要だある。ある意味、それができることが聞けることであるのだ。

 そのことが明かになってのも、発表者が課題に真剣に向き合っておられたからだ。その姿勢の尊さに脱帽である。

 次回も、リアルとZoomでのハイブリット開催である。一度、関心のある方は、Zoomでの参加が可能がいまがチャンス。お気軽にお尋ねください。

 日時:6月17日(水)夕方18時30分~20時30分
 会場:華光会館2階教室
 内容:「育ち合う人間関係」真宗カウンセリングの人間観~親鸞とロジャーズの共通点~

 

 

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「SKYPE」から「ZOOM」

  真宗カウンセリング研究会でもリモート月例会の話がでる。会員は、京都や大阪だけではなく、福岡や広島などの遠方の方もおられる。一方で、ネット環境が整わない方もある。「ああだ、こうだ」といっているうちに、お試しでやってみることが決まった。

 最初はスカイプで開始する。初めての方もあって、チャットで教案レジュメが受けられないとか、「ああだ、こうだ」と戸惑いもおこった。それでも、会員同志でも「初めまして」とい方もおられたが、あまり親しくなかった人とつながっていくのが、不思議である。しかし、スカイプだとまったく映像がつながらない方もある。ネット環境や電波状態、人数が増えると、不安定になるようだ。
 
 ということで、このままZOOM(ズーム)に移行しようといことになったが、またここでも「ああだ、こうだ」となった。ぼくは初めてだったが、経験済みの方が多かった。一時は、スカイプを通じてズームの樣子がうつると言う不思議な状態になったり、つながったり、切れたり、「どうするの?」といいながらも、全員がZOOMへも参加することできた。

 結局、「ああだ、こうだ」と一緒に右往左往したのが、けっこう楽しかったりもした。そして、皆さんと親しくなっていくコミニケーションでは、うまくいことばかりがいいとは限られないのであろう。気がつくと、真カ研MLも開始以来の盛り上がり。そして、次回の月例会は、数名がリアルで集い、残りはリモート参加するという形式でおこなうことになった。実験的に試行錯誤しながらいい形式をみつけていきたい。

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気概

 昨晩、 カウンセリングでお世話になっているN先生よりメール。
「明朝、6月のWS『仏教カウンセリングを求めて)』のご相談に窺いますが、ご都合いかがですか」と。
 こんな時に、わざわざお出でにるのですか?

 4月の真宗カウンセリングの月例会を中止する連絡をすると、「6名程度の人数で、あの広さの部屋で、そして十分、注意をしていたら、開催しても大丈夫ですよ」と、一番、残念がられ、一番、強気の発言をされたのだのが、一番、高齢で、お医者さんでもあるN先生だった。

 今日も、定期的なボランティのために介護施設(たまに入所者と間違えられるらしいが)から寄ってくださった。

 ぼくは、80歳を過ぎてからの先生しか知らないのだが、ますますその意気込みに驚いている。6月のWSのためのレジュメと、もし参加できない方のためにと、著書の抜き刷りをコピーを持参くださった。そして、「この道場の広さなら、十分に開催できますから」とのお話である。ぼくらのような素人ではない。京大病院の先生で、大学教授だった先生の言葉だ。

 そして、「もし、ぼくが入院でしていたり、もしものことがあったなら、このコピーを参照してWSを進めてください」とのことである。そして、戦争中の空襲の生死の境をくぐりぬけてこられたことから、今の風情をいろいろとお話くださった。一方で、無責任でとはなく、緊張感をもって臨んでおられる態度が伝わってくる。その気概、姿勢には脱帽である。

 それでも、どうぞお気を付けてお過ごしください、とも思った。

 5月のことでもよく分からない。6月のこととなるとなおさらだが、ぜひ、実現したいものだ。

講座「仏教カウンセリングを求めて」(3)

 日 時:6月27日(土) 13:30~17:30
     18:00~20:00頃(親睦会終了)
 場 所:華光会館(京都)近鉄十条駅徒歩1分
 参加費:(一般)3,000円・(会員・学生)2,000円

 詳しくは、以下をご参照ください。

http://dbpca.web.fc2.com/details/20200627.html

 

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3月の真カ研の月例会

 真宗カウンセリング研究会のパンフレットが完成。発送作業を行う。

 お手伝いの方は、この半年間に入会された新人2名と、今日が初参加の方2名という、フレシュな皆さん。正直、今年の初めにまったく想像していなかった方4名である。新人2名は、華光の集りで、1度だけお会いしただけの方。それもまた不思議。

 月例会も、そのメンバーに、もう一人と、N先生が加わってくださる。皆さん、3年以内のメンバーで、N先生も、3年目に仏教大のビハーラ研究会でお声をかけて以来のご縁。新鮮なメンバーだ。

 12月に続いての担当はSさん。自ら担当を名乗り、新しい方にその喜び語ってお誘いしてくださる。レジュメも、すごい内容。本文をさらに補強して、親鸞聖人のご生涯、釈尊から大乗仏教の興隆にいたる真精神を発揮と総花的な仏教の概観を、熱情をこめてまとめてくださっている。結局、話題も多彩で(これも面白かったが盛り沢山すぎて省略する)、結局、予定の半分も進まず、来月の総会の後で発表を継続してもらうことになった。

 最後のチェックアウト。 トリに話された85歳になられたお医者様(元京大病院で老年科を立ちあげた大学教授)でもあるN先生の、コロナウィルスの対する見解に心惹かれた。ぼくが聴いた要旨です。

 この1ケ月、先生自身も、公演や会合が中止が続いている。反対しても、大半が右へ倣えで、しかも会場等で、役所(公共)とのつながりも強く、結局、責任をとるのを恐れた、ことなかれ主義で、ほんとうに深く問題を考えてはいない。コロナは高齢者、持病をもっているのもには危険だし、まだ特効薬もワクチンもない。医者としても医療崩壊することを恐れている。しかしながら、結局、それは医者が、単なる薬屋になっているのにすぎない。薬が病を治すではない。あくまでも患者さんの生命力(体力、気力、免疫力、治癒力)なのであるが、そのことを忘れて数値ばかり観ている。もう一度、改めて未知なる病が起こった時の、医療者の姿勢が問われている。
 自分も、85歳となり、持病もある。若者に比べてもコロナになれば命の危険も増している。それでも、緊張感と、責任を持って、ここに臨んでいる。結局、今回のことは、ひとりひとりの生き方が問われているのであると。

 何か勇気づけれた気がした。対症療法も大事だし、安心・安全も大切なことだ。しかし、今回のことは、私達のこれまでの生き方が問われている。ほんとうに大切なものを見直す、いい機会なるかもしれない。

 

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「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」~真宗者であることの自覚~

  華光誌輪読法座を終えて、夜は、真宗カウンセリング研究会の月例会へ。『育ち合う人間関係』を読んでいる。第3章の「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」。ビハーラ活動と題されているが、主に「真宗カウンセリング」とは何かが語られている。今日は、その最後のまとめで、真宗カウンセリングの実践的諸問題についてである。
 今年に入って、新会員が積極的に参加くださている。おかげで今夜もずいぶん活気のある集りになった。
  担当者も、6月に新会員になった方だったが、西光先生の深い文章と、自らの法の喜びとが相まって、力強い発表となってずいぶん刺激を受けた。ありがとうございました。
 さまざまな刺激の中でも、冒頭の言葉は印象深い。

「真宗者であるということは、他者による判定をまつのではなく、自覚の問題でなくてはならない。
 具体的に言えば、受け難い人身を受け、弥陀の本願に遇った喜びのあるもの。あるついは、真宗の教えに惹かれ、真宗念仏の本質を知ろうとして、聞法の姿勢を失わない人である」

 この「自覚」という言葉が響いてきた。もちろん、真宗安心の上では、用法に注意が必要な言葉ではあるが、結局のところ、真宗者であるというとこは、先生や資格、組織といった権威から認定されるものではなくて、自らの自覚、つまり「名告り」の問題になってくる。名告る、看板をあげる以上、その責任が伴うのだ。つまり他者の責任に転嫁するのではなく、自らが一人立ちするという厳しい面である。しかも、その自覚とは、わが身は、「罪悪深重の凡夫」であり「愚者」であるという、深い自覚でなくてはならないという、奈倉先生のご指摘に、頷くばかりであった。南無阿弥陀仏

 

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「真宗カウンセリングの特質」

 大阪法座を終え、参加の同人とご一緒に、19時からの真宗カウンセリング研究会の月例会へ。奈倉先生も出席くださると月例会も厚みが増している。

 『育ち合う人間関係』の第3章「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」の中から「真宗カウンセリングの特質」(219~224頁)を読む。

(1)真宗とカウンセリングの出会いによって生まれるカウンセリングある。
(2)「名号法」を基盤にしたカウンセリングである。
(3)構造的には二重の関係から成り立っている。
(4)実践的には二重の配慮の上で行われる。

 並べただけでは、特に(3)(4)の構造的、実践的に共にある二重性の「二重」とは何かが分からない。少しそこのみを補足すると、

(3)関係性=一般的なカウンセリングでみられる「人と人との関係」で成り立つ。
       上記に加えて、真宗カウンセリングでは「人と法(もしくは仏)との関係」

(4)配慮=カウンセリング一般に共通する「心理的配慮」で行われる。
      上記に加えて、真宗カウンセリングには「霊性的配慮」
  この場合の「霊性的」とは「スビリチュアル」のことである。一般のカウンセリングが「生」の次元や人間関係、もしくはその延長上の「死」の問題が主であるのに対して、真宗カウンセリングでは、より心理面よりも深層、高次元で、たとえば、死の問題にしても、いわば「生死」を超えるレベルでの問題で、その意味での「霊性的配慮」が必要になるといのうである。

 つまり、この二重の関係が成り立ち、この二重の配慮の上で行われているカウンセリングが、真宗カウンセリングの特質ということになる。

 皆さんで何度も読み、分からないところを確認しながら理解を深めていかなければ、なかなか理解しにいく箇所でした。勉強になりまし  

 

 

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