カテゴリー「カウンセリング・DPA」の109件の記事

「いま、ここ限定法」

 9月の真宗カウンセリング研究会。月例会は月1回、水曜日の夜に、龍谷大学の深草学舎で開かれている。今回は、新会員が担当くださる。参加者が少なかったことが幸いして、まるでエンカウンターグループの様相となって、皆さん、自分を開いた表明が続く。受容的な雰囲気が支配していたので、自分のところを構えず、自然に話すことができた。ベテランカウンセラーが涙を流しながら、いまの自分を語ってくださったのが印象的。

 そういう雰囲気になったのも、今回輪読した「育ち合う人間関係」の内容が果たした役割も大きい。

 内容を要約するとだいたいこうだ。

 グループに参加する時、自己の内面で、「いま、ここ」の人間関係と経験過程そのものだけを重視しようはと、意識的に制限を設けて、たえずそれを護るようにすると、「いま、わたしこのように感じている」「いま、あなたはこう考えているのですね」と、かんじんの「自分」を置き忘れこともなく、話題が外側に限りなく広がるのでもなく、ひとのことばかりあげつらったり、非生産的な抽象議論に流れることなどが防げて、常に、「いま、ここ」の自分や関係に帰っていけるというのである。そうなると経験と意識とが一致し、それに応じて造られる人間関係が次第についわりのないもの、真実のもになっていくにちがいない。

 そしてその修練を積むことで、日常生活の人間関係が、カウンセリングの学びの場となり、またカウンセリングの経験で身につけた態度が生きてくる。つまりは、いま、ここの経験事実に徹底的に忠実になろうとするとき、「一期一会」という真宗的な生き方をほんとうにしているのか、いつわりのない自己凝視や謙虚な聞法態度が一貫しているのかが、常に厳しく問われてくるようになる。カウンセリングと浄土真宗との関係が、生活的にも体験的にも一枚になるととこがあると、述べられていた。

 未熟ではあるが、僕自身もそのような「いま、ここ」の態度で臨むようにお育ていただいていることをしみじみと味わう。しかもここに、カウンセリングと浄土真宗が、、また私の生活との共通の土壌があるといっていいのだろう。

 次回(10月)からは、いよいよ「真宗カウンセリング」成立の章に入っていく。

 

 

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ビハーラ実践と仏教カウンセリング~「法然上人の一百四十五ケ条問答」に学ぶ~

 『選択集』購読に引き続き、休憩なしで、今度は2時間のカウンセリングの実践を受講する。

 1、2回目の講義を知らず欠席したのが惜しまれる。今回はその4回目。~「法然上人の一百四十五ケ条問答」に学ぶ~と題しているが、ほぼ講義はない。簡単な説明のあと、法然上人が受けれた3つの問いを、現代風にアレンジして、パネラーが自分の立場で答えを表明し、参加者もそこに加わって議論を深めていくというのである。予め決められた問いと、立場のことなる3つ答えが用意されているが、それを聞いた上で、参加者がパネラーになってディスカションをし、より深く、また多角的に問題を掘り下げていくというのである。

 参加者は少なめで、皆さん遠慮がちだったので、積極的にパネラーになって前に出た発言した。議論していく内に、どんどん深まって、要は、現代に生きる僧とは何か。何もって宗教活動をするのかという本質的な姿勢が浮き彫りになてきた。ぼくも、浄土真宗という立場を表明しつつ、かなりつっこんでことを遠慮なく発言されていただいた。またそのことで、質問が出たり、反論がでて、それを深めていった。

 とにかく面白かった。座学ではなく、ロールプレイの実践は、かかわりによって深い学びを生み出す。僧侶や大学教授の地位のある方は、一方的に知識を教えたがるものだ。それだけの経験や学びあると、確かに豊かな話題を聞かせていただくので、それもまた有り難いし、勉強になる。でも、いちばん、力がいるのは、参加者も交えた実践にある。一見、先生が手抜きというか、楽そうに見える。でも、実は、講義や法話は、こちらが用意をして一方的に話せばいいので、ある意味では楽だ。逆に、共に生み出していく歩みは、そこで何がでるか分からないので、常に真剣勝負にさらされる。ましてや、みんながイキイキした集いを造るのには、すごく力用がいる。先生が何もしていないように見えて、深まっていくグループほど、実はそれだけの促進者の器量や経験が必要なのだ。

 講師の奈倉先生の受容的な姿勢に学ばせていただくこと大である。終了後、いろいろとお話をさせていただいたが、大学の前に住んでおられたので、ぜひ真宗カウンセング研究会でも、ご指導いただきたいと願った次第である。

 来月からは、別講師の「真宗カウンセリング」の実践が始まる。こちらも楽しみである。

 

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第10回 広島「真宗カウンセリングWS」

   8月末のことだが、感想文を書いたので、ここにも一部アップする。なかなかすぐにブログが書けないのが、最近の悩みだ。

 第10回を迎えた広島真宗カウンセリングWS。広島の真宗カウンセリング学習会も15周年の節目だったそうだ。種まきをされたS先生が最後まで心を砕かれ、バトンを受け継がれたM先生が育てられた真宗カウンセリングが、今、広島の地に息づいていることが力強く思えた。そこに、小生も参画させていただけていることも、とても有り難く感謝している。

 真宗カウンセリングの学びは、単なる知的学習(研究)だけではない。体験として研修し、さらに各人の実践(お寺や地域の活動、家庭問題)がなされ、その課題が再びた研修で語られ、共有されることで深められていくプロセスである。その意味では、頭の理解に、体験的な学びが加わり、それが身のレベルにまで深められて、生き方にも影響を及ぼしていくのであるから、表層的な薄っぺらいものでは決してない。

 広島では、その学びが僧侶中心ではなく、一般方や主婦も加わり、僧俗一体となって進んでいることに深く感銘を受けた。ともすれば、リーダー役の講師や僧侶・住職の存在が目立って、他のメンバーは追従することが多いのではないか。しかしそれでは、真の御同行・御同朋の体現をめざす真宗カウンセリングの精神とはかけ離れ、深まりや拡がりのないままで終わってしまう。ワークショップの休憩時間のことだったが、広島のメンバーが、次回の例会の相談されおられた。それが、僧俗・男女・老若の別なく、誰もが対等に意見交換されていた。その繰り広げられている風景だけでも、真宗カウンセリングがこの地に根付いていることを実感させられたのである。

 それにしても今回のワークショップの内容は、10周年に相応しいものとなった。今回は、前年の参加者が全員(9名に世話人2名の11名)が、遠近各地より再び揃ったこと。これはたいへん稀なことである。そこにこれまでの参加者やカウンセリング経験の豊かな初参加者が加わって、さらに厚みを増したワークあった。顔ぶりをみて、より深みのあるグループになればと願っていたが、それぞれが他のメンバーとの関わりややりとりを通じて、自分の問題と向き合い、その気づきを表明し、またそれが次のテーマを生み出していき、グループ全体も深まっていくという、たいへん有機的なつながりのあったワークになったのではないだろうか。

 ほんとうはひとりひとりの出会いのところにも触れていきたいのだが、いま割愛をさせていただく。

 ぼくのところではずっとこころに残っていたテーマがあった。ひとつは「本願とは何か」。自分のところ、つまりより自分の体験過程に引き寄せたところで、ほんとうにびったりする一言はないかを、探す3日間だったような気がする。

 そしてもうひとつは、「もし念仏のみまことならば、カウンセリングは方便なのか」という問いである。そのこともいろいろと味わった。

 結論からいうと、ある意味ではそうだあるし、ある意味では絶対に違う。そして、ぼくの中(あくまでも主観的、主体的な出会いではあるが)では、念仏もカウンセリングも分かち合うことはできず、両者は出会い、そして統合されているといっていい。その意味では、この問いは意味をなさなくなっている。これがカウンセリングで、ここからが真宗という境がなくなっているからである。

 そのあたりはもっとじっくりと皆さんと分かち合い、語り合いたかったが、まったく時間がなくて残念だった。

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カウンセリグを学ぶ浄土真宗

 来週は、広島真宗カウンセリグWSである。

 今回は定員になっている。広島だけでなく、東京、奈良、福岡、大分からの参加者もある。ほとんどがリピーターで、10回連続の方もある。僧侶の方も半数あれば、華光同人も半数ぐらいおられる。皆さん、経験豊かな方ばかりで、ずいぶん楽しみである。

 ところで、真宗カウンセリグWSは、真宗カウンセリグ研究会の主催であるが、広島の真宗カウンセリグの学習会である、みみずくの会との共催である。そのみみずくの会の紹介記事が、中国新聞の宗教欄(洗心)に掲載された。PDFで送ってくださったので、皆様にもおすそ分け。

 登場している3名の方が今回もお世話くださる方々。それにしても好意的な文章である。

「DOC170821-20170821122505.pdf」

(回転させて読んでね)

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森田療法と内観療法

    『選択本願念仏集』に引き続いて、「仏教カウンセリングとビハーラ活動」の講義を受講。先月は、縁起と家族療法の実践(ロールプレイ)だったが、今月は講義が中心。日本が生んだ心理療法で、仏教の影響が色濃い「森田療法と内観療法」について。講義といっても概説的な話ではない。まず禅の影響が色濃い森田療法は、京都の東福寺の前にあった三聖病院(残念ながら今はない)で行われていた森田療法の実際についての院長の話から。また浄土真宗の身調べ(信心獲得のための機を問う罪悪観)がルーツの内観は、講師の奈倉先生が9日間、実践された内観療法の体験談で、極めて実践的な内容だった。医者として、また大学教授の身でありながら、地位を度外して、実際に体験され、また自分内面の弱さまで赤裸々にお話くださる姿は、尊く思えた。

 内観は、ひとりで真剣に自己と向き合う面もあるが、実は、自分のひとりでは自分は知れない。自分と他者との関係。一番の関係深いのが、母親との関係、父親との関係であり、その関係性の善し・悪しに関わらず、私と両親と関係性が、私の対人的関係の基盤になっているのはいうまでもない。「人」ではなく「人間」という言葉が示すように、関係の中でしか真の自己に目覚めていくことはできないというのである。

 そう考えると、ほんとうの自己に目覚めるとは、人間関係を超えた阿弥陀様の働きかけ(関係性)に気付く以外には知られないということにもなる。常に、無量のいのち(ひかり)から、一方的に私へ働きかけられている。その私にかけられる無量のいのちのはたらき、その根源に目覚めさせていただくことが、真の自己を知り、阿弥陀さまと出遇うことだといえよう。 

 二人組での内観実践を計画されていたが、十分な配慮や関係がないと問題も起るので、日時を改め、少人数での実践が行うことになった。

 

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第10回 広島・真宗カウンセリングワークショップ

第10回 広島・真宗カウンセリングワークショップご案内

 真宗カウンセリングワークショップは、法(南無阿弥陀仏)を根底においた人間中心のアプローチによるエンカウンター(出会い)グループです。このグループは、今、ここの人格的交流によって、新たな、自己との他者との法との出会いを実現していきます。
 具体的には、生きる上でのそれぞれの問題や苦しみや生きがいを、あるいは、真宗(南無阿弥陀仏)に関わる疑問や悩みや喜びを、今、ここに湧き出るままに語り合い、聞き合い、理解し合って、心の触れ合いを展開していきます。真宗とカウンセリングに深く学んでいる世話人も、グループのメンバーとして参加します。
 このグループは、従来の真宗の説法法座の枠組みを破るとともに、心理的な触れ合いや気づきを超えたグループを目指しています。
 広島での開催は、2008年7月の第1回から数えて、今回は10回目の記念の集いとなります。皆さまとの出会いを楽しみにしております。

日  時  2017年8月29日(火)13:00 受付 13:30(開始)
             ~  31日(木)16:00 終了 (3日間)

研修会場 広島教育会館ホテルチューリッヒ東方2001
       広島市東区光町2丁目7-31(広島駅新幹線口徒歩6分)
       Tel(082)262-5111 Fax(082)262-5126

定  員  16名

締 切 り    8月10日(木)です。(8月2日現在)11名の参加です。

参加資格  関心を持たれる方なら、どなたでもご参加いただけますが、時間をかけてメンバーでグループを創造していくので、基本的に3日間参加可能な方。また、現在精神医療的援助や、心理療法等を受けている方は、担当医師やカウンセラーの承諾の上で、お申し込みください。 

研修費    15,000円(学生・研究会・みみずくの会会員13,000円)
宿泊費       18,000円(2泊6食・研修パック利用)
        (但し宿泊・食事不要の方は、会場費2,000円が必要)

世話人  増井 信(真宗カウンセリング研究会事務局長)
       岩崎智寧(本会会員)

問合先 731-0152 広島市安佐南区毘沙門台1-17-4
     広実智子(ひろざねともこ)
     TEL(082)879-9482(みみずくの会) FAX(082)962-0245

まだ、数名行けます。大変楽しみなメンバーが集っています。お待ちしております。

http://dbpca.web.fc2.com/details/20170829.html

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真カ研「交流の集い」

 真宗カウンセリング研究会は、ここ数年、会計の問題でゴタゴダが続いていた。痛みも伴う部分もあったが再出発をすることにした。
 「交流の集い」と称した集いを持つ。主なメンバーがだいたい揃い、新加入の方も2名、元会員も2名の参加がある。外部からの参加はなかったが、こじんまりとしたいい集まりとなる。四名がそれぞれのところを発表する。「棚卸し」として称して、これまでのカウンセリングとの出会いと、いまの居所を確認するお話をくださる。

 またD-pcaを理論的に押さえてくださるお話には、改めていろいろと教えられた。最近の研究会は、真宗カウンセリングの原点であるロジャーズのカウンセリング理論を学ぶ場となっているが、この研究会の独自性である「真宗カウンセリング」について深く掘り下げる時機がきているような気がした。ぼくも、真宗カウンセリングの特色の一つである、二重関係(二重構造)に関することをお話させていただいた。要は、真宗カウンセラーの態度として、相対的次元と絶対的次元の二重性があることが特色だが、二重ではなく一重で十分成り立つのではないかという反論の論文も発表されている。しかし、この二重関係であってこそが、ダイナミックで、かつ融通性のある真宗カウンセリングが展開できるのではないかと考えているのだである。

 その後の臨時総会や懇親会も楽しかった。参加の皆さんにもいろいろと刺激になったようで、10月以降の月例会では、『育ち合う人間関係』のなかの「真宗カウンセリングの成立」の章を読む進めることが楽しみである。

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真宗カウンセリング研究会「交流の集い」のご案内

   さて、皆様に広く、真宗カウンセリング研究会主催の「交流の集い」のご案内をいたします。
   現在、当会は、会員数が減少し続けて、会計も赤字が続いております。その一方で、新加入の会員も徐々に増えております。それで、会員、新会員、元会員、さらには研究会に関心のある方へも広く呼びかけて交流と出会いの場を持ち、研究会の再出発の機会になればと計画しました。会員による研究や事例発表を中心に、会員の交流、真宗やカウンセリングに関心ある皆様との幅広い出会いの場となることを願っております。ぜひ親睦会にもご参加下さい。翌(16日は、聖典講座です)

【参加要項】            
日 時:2017年7月15日(土)13時30分(13時受付)~20時(親睦会終了予定)
場 所:華光会館(075-691-5241)
  近鉄十条駅駅より徒歩1分・地下鉄十条駅より徒歩約8分
内 容:会員による発表・参加者との交流懇談会(13時30分~16時)
   (内田・園村・増井・山下各氏を予定!)
    臨時総会(16時30分~17時)
参加費:1,000円(一般)・500円(研究会会員)

親睦会:第一部終了後の17時30分~20時頃
    近鉄十条駅前「來人(らいと)」(?075-693-8811)会員・非会員を問わず、どなたでもご参加頂けます。
    当日、実費で清算(3,500~4,500円程度をご用意下さい)
    なお、当日は祇園祭の宵々山です。終了後、四条まで足を延ばす(地下鉄で7分)と、祭りの風情も楽しめます。

申込先:華光会館内、増井 信まで。Eメール(mhg03073@nifty.com)、Fax(075-661-6398番)などで、1~4を明記の上、お申込み下さい。1氏名・2連絡先(電話、メール)3会員の有無・4親睦会参加の有無。
その他、不明点やご質問は、華光会館内、増井までお気軽にどうぞ。(なお7月5日~9日は、増井が北海道聞法旅行につき、電話などによるお問合せに対応出来ませんので、ご了承下さい。)

主催:真宗カウンセリング研究会

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ビバーラ実践と仏教カウンセリング~家族カウンセリングと縁起の法~

 佛教大学ビバーラ研究会が主催する、仏教カウンセリングの学習会が、通年で開かれていることを知った。講師は、奈倉道隆先生である。先月は、「仏教カウンセリング」を提唱された藤田清先生の相談仏教がテーマだったようだが、残念だ。
 
 今月は、家族カウンセリングと仏教の縁起観だ。といっても、座学(講義中心ではなく)、簡単な説明のあと、いきなりグループ分けがあって、ロールブレイが行われることになった。もちろん、参加したくない方は、やらなくてもいいということで、外れる方もあった。ぼくは、こんな時は、実践することに意義があると教えられてきたおかげで、積極的に関わることにした。

 末っ子が、仲間に唆されて万引きをして、家族会議を開かれるという設定で、同じテーマ、同じ役割で、4グループがそれぞれ10分程度のロールを行い、5分ほど分かち合うというものだ。

 面白いのは、同じような展開には、一つとしてならなかったということである。また、ファシリーの力量もさまざまだったように思うが、「誰か犯人か」を探すのでも、単純因果で原因を探るのでもなく、あくまでも家族全員の問題であることだ。家族は、それぞれが因縁によって結ばれているのであって、単純に問題行動を行ったものを責めておしまいではなく、ひとりひとりも問題を引き受けて、積極的に解決に向かうとする方向で進めることがポイントだ。

 ぼくは、仕事一筋で、家族にと無関心の父親役で参加。そのあとで、訪問してきた僧侶(フアシリテーター)役でも加わらせてもらった。気持ちの流れに沿いながら話しを聞いて、簡単なレスをするが、発言者は、とうしてもぼくの方を見て話されることが多い。それだけなら一対一になるので、少しずつ場にまかせていくと、いつのまにか家族同士での対話が生れ、4名で解決に向けた、前向きな方向に進んでいった。短い間でのロールプレイ(役割演技)でも、それぞれの抱えている問題が現れるが面白かった。ただ、そのことに、本人がどれだけ気付けるかで、ずいぶん意味が違ったようだが、さすがにそこまでは望めない。

 参加者の多くは、目の前でおこった事柄に反応するか、または仮定の話(こんな時はどうなるのか)の質問や感想が中心で、なかなか問題の根、本質に目をつける人は少ないように思えた。それでも、どんなコメントに対しても、ポジティブに受けられる奈倉先生の対応は見事だった。

 積極的に関わったり、遠慮せずに発言する場を提供くださったからこそ、十分に学ばせていただけました。ご縁があれば、続けて受講したい。

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真カ研6月の月例会~如是我聞ゲーム~

 5月はアメリカ布教と重なって欠席したが、6月は担当した。西光先生の『育ち合う人間関係』を輪読している。今から、50年も前に書かれた、第1章の「カウンセリングの手引き」である。古い書物だが、まったくいまでも色あせないのは、先生を通じて示された、カウンセリング理解の深さと、崇高な理念によるものだろう。流行を追うだけの軽薄なHOW TOものなら、こうはいかない。

 今月は、傾聴力の訓練ということで、話し合いのルールに乗っ取ったゲームを行った。題して、「如是我聞」ゲームである。真宗者やお寺関係の方なら、この言葉はなんのこともなく理解できるが、カウンセリング関係の方々は、「初めて聞いた」と言われている。このネーミングは、うまい。阿難尊者が、自分を交えず、お釈迦さまから聴いたままを再述して、それを同じ仏弟子たちが承認したものが、お経の始まりなのだがら、ゲームの趣旨に沿っている。

 ぼくはこれまで何度(といっても最近はやっていない)も研修で行ってきたが、知らないという方が大半だったので、さっそく実践することにした。車座になり、伝え手は、隣の聴き手に「今日、参加した感想」を語り、聴き手は、それをよく聴いた上で、もう一度、話し手にの再述して返す。再述といっても、そのまますべてをオウム返しにするのではなく、内容よりも感情を大切にし、テーマを要約するというものである。

 参加者は、ベテランカウンセラーだったり、実践をしている方ばかりだったが、なかなか人前で、自分の受け答えを観察してもうらことは少ない。ゲームとはいえ、皆さん、緊張の趣で、なかなか引き締まった訓練となった。同時に、短い話し手の話(本人は意識していないのに)にも、しっかり最初にテーマの提示があり、最後は現在形で終わるという話の形式になっていることに、驚いた。そして、事柄ではなく感情に付いていくと、着地点を見失うこともよくわかった。なかなか自分の番になると緊張してわからないことが、第3者の観察者の立場で見せてもらうとで、ほんとうに楽しく勉強になった。同時に、これまでどれだけのお育てを頂いたかに気付かせていただき、有り難かった。

 それにしても、いかに、日頃、他人の話を聴いていないかが、よくわかった。聴くということは、相手を理解することである。つまり、聴いていないということは、相手を理解していないことである。つまり理解ではなく、常に相手を評価して生きているということである。まったく耳の痛い話である。

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