カテゴリー「カウンセリング・DPA」の105件の記事

森田療法と内観療法

    『選択本願念仏集』に引き続いて、「仏教カウンセリングとビハーラ活動」の講義を受講。先月は、縁起と家族療法の実践(ロールプレイ)だったが、今月は講義が中心。日本が生んだ心理療法で、仏教の影響が色濃い「森田療法と内観療法」について。講義といっても概説的な話ではない。まず禅の影響が色濃い森田療法は、京都の東福寺の前にあった三聖病院(残念ながら今はない)で行われていた森田療法の実際についての院長の話から。また浄土真宗の身調べ(信心獲得のための機を問う罪悪観)がルーツの内観は、講師の奈倉先生が9日間、実践された内観療法の体験談で、極めて実践的な内容だった。医者として、また大学教授の身でありながら、地位を度外して、実際に体験され、また自分内面の弱さまで赤裸々にお話くださる姿は、尊く思えた。

 内観は、ひとりで真剣に自己と向き合う面もあるが、実は、自分のひとりでは自分は知れない。自分と他者との関係。一番の関係深いのが、母親との関係、父親との関係であり、その関係性の善し・悪しに関わらず、私と両親と関係性が、私の対人的関係の基盤になっているのはいうまでもない。「人」ではなく「人間」という言葉が示すように、関係の中でしか真の自己に目覚めていくことはできないというのである。

 そう考えると、ほんとうの自己に目覚めるとは、人間関係を超えた阿弥陀様の働きかけ(関係性)に気付く以外には知られないということにもなる。常に、無量のいのち(ひかり)から、一方的に私へ働きかけられている。その私にかけられる無量のいのちのはたらき、その根源に目覚めさせていただくことが、真の自己を知り、阿弥陀さまと出遇うことだといえよう。 

 二人組での内観実践を計画されていたが、十分な配慮や関係がないと問題も起るので、日時を改め、少人数での実践が行うことになった。

 

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第10回 広島・真宗カウンセリングワークショップ

第10回 広島・真宗カウンセリングワークショップご案内

 真宗カウンセリングワークショップは、法(南無阿弥陀仏)を根底においた人間中心のアプローチによるエンカウンター(出会い)グループです。このグループは、今、ここの人格的交流によって、新たな、自己との他者との法との出会いを実現していきます。
 具体的には、生きる上でのそれぞれの問題や苦しみや生きがいを、あるいは、真宗(南無阿弥陀仏)に関わる疑問や悩みや喜びを、今、ここに湧き出るままに語り合い、聞き合い、理解し合って、心の触れ合いを展開していきます。真宗とカウンセリングに深く学んでいる世話人も、グループのメンバーとして参加します。
 このグループは、従来の真宗の説法法座の枠組みを破るとともに、心理的な触れ合いや気づきを超えたグループを目指しています。
 広島での開催は、2008年7月の第1回から数えて、今回は10回目の記念の集いとなります。皆さまとの出会いを楽しみにしております。

日  時  2017年8月29日(火)13:00 受付 13:30(開始)
             ~  31日(木)16:00 終了 (3日間)

研修会場 広島教育会館ホテルチューリッヒ東方2001
       広島市東区光町2丁目7-31(広島駅新幹線口徒歩6分)
       Tel(082)262-5111 Fax(082)262-5126

定  員  16名

締 切 り    8月10日(木)です。(8月2日現在)11名の参加です。

参加資格  関心を持たれる方なら、どなたでもご参加いただけますが、時間をかけてメンバーでグループを創造していくので、基本的に3日間参加可能な方。また、現在精神医療的援助や、心理療法等を受けている方は、担当医師やカウンセラーの承諾の上で、お申し込みください。 

研修費    15,000円(学生・研究会・みみずくの会会員13,000円)
宿泊費       18,000円(2泊6食・研修パック利用)
        (但し宿泊・食事不要の方は、会場費2,000円が必要)

世話人  増井 信(真宗カウンセリング研究会事務局長)
       岩崎智寧(本会会員)

問合先 731-0152 広島市安佐南区毘沙門台1-17-4
     広実智子(ひろざねともこ)
     TEL(082)879-9482(みみずくの会) FAX(082)962-0245

まだ、数名行けます。大変楽しみなメンバーが集っています。お待ちしております。

http://dbpca.web.fc2.com/details/20170829.html

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真カ研「交流の集い」

 真宗カウンセリング研究会は、ここ数年、会計の問題でゴタゴダが続いていた。痛みも伴う部分もあったが再出発をすることにした。
 「交流の集い」と称した集いを持つ。主なメンバーがだいたい揃い、新加入の方も2名、元会員も2名の参加がある。外部からの参加はなかったが、こじんまりとしたいい集まりとなる。四名がそれぞれのところを発表する。「棚卸し」として称して、これまでのカウンセリングとの出会いと、いまの居所を確認するお話をくださる。

 またD-pcaを理論的に押さえてくださるお話には、改めていろいろと教えられた。最近の研究会は、真宗カウンセリングの原点であるロジャーズのカウンセリング理論を学ぶ場となっているが、この研究会の独自性である「真宗カウンセリング」について深く掘り下げる時機がきているような気がした。ぼくも、真宗カウンセリングの特色の一つである、二重関係(二重構造)に関することをお話させていただいた。要は、真宗カウンセラーの態度として、相対的次元と絶対的次元の二重性があることが特色だが、二重ではなく一重で十分成り立つのではないかという反論の論文も発表されている。しかし、この二重関係であってこそが、ダイナミックで、かつ融通性のある真宗カウンセリングが展開できるのではないかと考えているのだである。

 その後の臨時総会や懇親会も楽しかった。参加の皆さんにもいろいろと刺激になったようで、10月以降の月例会では、『育ち合う人間関係』のなかの「真宗カウンセリングの成立」の章を読む進めることが楽しみである。

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真宗カウンセリング研究会「交流の集い」のご案内

   さて、皆様に広く、真宗カウンセリング研究会主催の「交流の集い」のご案内をいたします。
   現在、当会は、会員数が減少し続けて、会計も赤字が続いております。その一方で、新加入の会員も徐々に増えております。それで、会員、新会員、元会員、さらには研究会に関心のある方へも広く呼びかけて交流と出会いの場を持ち、研究会の再出発の機会になればと計画しました。会員による研究や事例発表を中心に、会員の交流、真宗やカウンセリングに関心ある皆様との幅広い出会いの場となることを願っております。ぜひ親睦会にもご参加下さい。翌(16日は、聖典講座です)

【参加要項】            
日 時:2017年7月15日(土)13時30分(13時受付)~20時(親睦会終了予定)
場 所:華光会館(075-691-5241)
  近鉄十条駅駅より徒歩1分・地下鉄十条駅より徒歩約8分
内 容:会員による発表・参加者との交流懇談会(13時30分~16時)
   (内田・園村・増井・山下各氏を予定!)
    臨時総会(16時30分~17時)
参加費:1,000円(一般)・500円(研究会会員)

親睦会:第一部終了後の17時30分~20時頃
    近鉄十条駅前「來人(らいと)」(?075-693-8811)会員・非会員を問わず、どなたでもご参加頂けます。
    当日、実費で清算(3,500~4,500円程度をご用意下さい)
    なお、当日は祇園祭の宵々山です。終了後、四条まで足を延ばす(地下鉄で7分)と、祭りの風情も楽しめます。

申込先:華光会館内、増井 信まで。Eメール(mhg03073@nifty.com)、Fax(075-661-6398番)などで、1~4を明記の上、お申込み下さい。1氏名・2連絡先(電話、メール)3会員の有無・4親睦会参加の有無。
その他、不明点やご質問は、華光会館内、増井までお気軽にどうぞ。(なお7月5日~9日は、増井が北海道聞法旅行につき、電話などによるお問合せに対応出来ませんので、ご了承下さい。)

主催:真宗カウンセリング研究会

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ビバーラ実践と仏教カウンセリング~家族カウンセリングと縁起の法~

 佛教大学ビバーラ研究会が主催する、仏教カウンセリングの学習会が、通年で開かれていることを知った。講師は、奈倉道隆先生である。先月は、「仏教カウンセリング」を提唱された藤田清先生の相談仏教がテーマだったようだが、残念だ。
 
 今月は、家族カウンセリングと仏教の縁起観だ。といっても、座学(講義中心ではなく)、簡単な説明のあと、いきなりグループ分けがあって、ロールブレイが行われることになった。もちろん、参加したくない方は、やらなくてもいいということで、外れる方もあった。ぼくは、こんな時は、実践することに意義があると教えられてきたおかげで、積極的に関わることにした。

 末っ子が、仲間に唆されて万引きをして、家族会議を開かれるという設定で、同じテーマ、同じ役割で、4グループがそれぞれ10分程度のロールを行い、5分ほど分かち合うというものだ。

 面白いのは、同じような展開には、一つとしてならなかったということである。また、ファシリーの力量もさまざまだったように思うが、「誰か犯人か」を探すのでも、単純因果で原因を探るのでもなく、あくまでも家族全員の問題であることだ。家族は、それぞれが因縁によって結ばれているのであって、単純に問題行動を行ったものを責めておしまいではなく、ひとりひとりも問題を引き受けて、積極的に解決に向かうとする方向で進めることがポイントだ。

 ぼくは、仕事一筋で、家族にと無関心の父親役で参加。そのあとで、訪問してきた僧侶(フアシリテーター)役でも加わらせてもらった。気持ちの流れに沿いながら話しを聞いて、簡単なレスをするが、発言者は、とうしてもぼくの方を見て話されることが多い。それだけなら一対一になるので、少しずつ場にまかせていくと、いつのまにか家族同士での対話が生れ、4名で解決に向けた、前向きな方向に進んでいった。短い間でのロールプレイ(役割演技)でも、それぞれの抱えている問題が現れるが面白かった。ただ、そのことに、本人がどれだけ気付けるかで、ずいぶん意味が違ったようだが、さすがにそこまでは望めない。

 参加者の多くは、目の前でおこった事柄に反応するか、または仮定の話(こんな時はどうなるのか)の質問や感想が中心で、なかなか問題の根、本質に目をつける人は少ないように思えた。それでも、どんなコメントに対しても、ポジティブに受けられる奈倉先生の対応は見事だった。

 積極的に関わったり、遠慮せずに発言する場を提供くださったからこそ、十分に学ばせていただけました。ご縁があれば、続けて受講したい。

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真カ研6月の月例会~如是我聞ゲーム~

 5月はアメリカ布教と重なって欠席したが、6月は担当した。西光先生の『育ち合う人間関係』を輪読している。今から、50年も前に書かれた、第1章の「カウンセリングの手引き」である。古い書物だが、まったくいまでも色あせないのは、先生を通じて示された、カウンセリング理解の深さと、崇高な理念によるものだろう。流行を追うだけの軽薄なHOW TOものなら、こうはいかない。

 今月は、傾聴力の訓練ということで、話し合いのルールに乗っ取ったゲームを行った。題して、「如是我聞」ゲームである。真宗者やお寺関係の方なら、この言葉はなんのこともなく理解できるが、カウンセリング関係の方々は、「初めて聞いた」と言われている。このネーミングは、うまい。阿難尊者が、自分を交えず、お釈迦さまから聴いたままを再述して、それを同じ仏弟子たちが承認したものが、お経の始まりなのだがら、ゲームの趣旨に沿っている。

 ぼくはこれまで何度(といっても最近はやっていない)も研修で行ってきたが、知らないという方が大半だったので、さっそく実践することにした。車座になり、伝え手は、隣の聴き手に「今日、参加した感想」を語り、聴き手は、それをよく聴いた上で、もう一度、話し手にの再述して返す。再述といっても、そのまますべてをオウム返しにするのではなく、内容よりも感情を大切にし、テーマを要約するというものである。

 参加者は、ベテランカウンセラーだったり、実践をしている方ばかりだったが、なかなか人前で、自分の受け答えを観察してもうらことは少ない。ゲームとはいえ、皆さん、緊張の趣で、なかなか引き締まった訓練となった。同時に、短い話し手の話(本人は意識していないのに)にも、しっかり最初にテーマの提示があり、最後は現在形で終わるという話の形式になっていることに、驚いた。そして、事柄ではなく感情に付いていくと、着地点を見失うこともよくわかった。なかなか自分の番になると緊張してわからないことが、第3者の観察者の立場で見せてもらうとで、ほんとうに楽しく勉強になった。同時に、これまでどれだけのお育てを頂いたかに気付かせていただき、有り難かった。

 それにしても、いかに、日頃、他人の話を聴いていないかが、よくわかった。聴くということは、相手を理解することである。つまり、聴いていないということは、相手を理解していないことである。つまり理解ではなく、常に相手を評価して生きているということである。まったく耳の痛い話である。

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真宗カウンセリング研究会「総会」

 今年の総会で、ここ4年間続いてた会計の疑念が、解消された。その意味では、心機一転頑張ろうという気持ちにはなれる。

 ただ、その余波で事務局だけでなく、会計、パンフレット、会員管理と、ほぼすべての業務を引き受けることとなった。

 特に会計はいろいろあって立て直しがたいへんだった。
 昨年10月に、任期半ばでの前任者の退会をうけて、臨時で行うことになった。小さな所帯なので忙しくないが、懸念だった「ゆうちょ通帳」を作製したり、2年ぶりに会費請求をしたり、支出を押さえるたとめにパンフレットや会報を自前で作製したりと、とにかく仕事が集中した。

 でもその甲斐あって、一昨年、昨年と毎年7万円近く続いた赤字を、一気に解消することができたのは、うれしかった。不明だった「通帳」もできて、お金の流れも明確になった。会員整理でかなり会員数は減ったが、その分、新加入の方もあって、これからが活性化されていく予感もある。さっそく、4月にも新加入者がおられた。

 特に、今回の総会には、初参加が2名あって、お二人とも事務やPCに明るく、前向きな提案をいただいて、これまでの雰囲気とは違っていた。

 7月には「交流の集い」を開く。夕方には「臨時総会」を開催して、会員の皆様にこれまでの経緯と、代表交代を含め新体制についてご相談をさせていただく機会も考えている。

http://dbpca.web.fc2.com/2017.html

 身の丈にあった活動にはなるが、澱んだ空気を一層していきたいものだ。

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熱意と根気

 真宗カウンセリング研究会の二月の月例会。

 今年は、『育ち合う人間関係』第1章「カウンセリングの手引き」を読んでいる。ロジャーズのカウンセリングの概説が終わって、真宗者に直接つながる話題になっている。「真宗者はカウンセリングをどのように実践するか」の章である。

 今月は、「相談室を開設しよう」。カウンセリングを学んだ方は、それを留めないで、実践してください。そのためには、積極的にお寺の中に相談室(場所)を作り、カウンセリング実践を行ってくださいという、先生の熱い伝わる一節だ。

 その中、門徒や地域の方に開かれた相談室にするために、粘りづくり、熱心に、積極的なお誘いやPRをすることを勧めておられる。

「PRは、かなり長い期間、あいだを空けずに繰り返し繰り返し行わねばなりません。専門のカウンセラーをおいてPRしても、はじめ半年間はたった二人しか来談しなかったという会社の話も聞いています。短気をおこさず、愛情と誠意をもってねばりづよく、相談室の場所、趣旨、利用方法などを普及徹底するように努力します。「強制はしませんが、あなたがご希望でしたら、わたしはこれこれの時間内は精一杯ご相談に応じますよ」という、こちらの気持ちを伝達することに、どれだけ積極的であっても積極的すぎることはありません。」

とある。お寺で、何か新しい企画や集まりを持つときでも同じだ。チラシを作り、電話やメールでお誘いをしても、なかなか効果がなかったり、断られたりすることが1、2度続くと、一時の熱情も薄れ、簡単に挫折してしまい、休業状態となって生滅するケースがよくある。

 結局、伝え手に、どれだけの熱情があり、背景に深い想いがあるのかが問われてくる。どれだけ粘り強く、また根気よく、呼びかけられるのか。一見、地味な作業にこそ、伝道者の姿勢が問われるのかもしれない。

 では、飽きやすく、短気なものを、背後からしっかり支えてくださるものは何か。

 それこそが原動力なのである。

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心機一転

  真宗カウンセリング研究会の世話人会。29年度の活動プログラムを相談した。

 研究会は、ここ数年、会計上の問題で、モヤモヤした状態が続いていた。なかなか動かないまま、昨年の6月に通帳を作り直し、お金の流れを明確(普通の状態)に戻すことができた。それに伴って、臨時で会計担当することにもなった。建て直して、次ぎの担当者に引き継がねばならない。

 この間、悲しいことや失望的なこともあったが、来年は心機一転だ。
 
 2年ぶりに、研究会会員や元会員などを対象にした会員の集いの企画も持ち上がった。元研究会会員のA先生に講演をお願いすることにもなった。

 ただ、これまでの事務局だけでなく、会計、パンフレット作り、企画と、仕事が小生に集中してきたのも問題で、これはなんとか4月の総会まてに解消していかないと、研究会に拡がりが生まれないようだ。

 課題も多い。が、身の丈にあった集まりに、もう少しは背伸びしながらやっていこうではないかという話になったのは収穫だ。

 

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「カウンセリングの立場から真宗に見なおそう」

 西光義敞先生の『育ち合う人間関係』から第1章「カウンセリングの手引き」を読んでいる。

 担当者が不在だったので、ぼくが司会をした。前章までは、カウンセリングの入門であったのが、今章から急に浄土真宗の話題が出でくる。第三章「真宗者はカウンセリングをどのように実践するのか」に入ったのだ。真宗にとっては、あまりにも厳しすぎるこの章を避けられたわけではないのだが、僧侶や龍大学生、華光同人も欠席である。みな、浄土真宗と無関係の方ばかり。珍しく、まったく初参加の方も交じっていて、正直、戸惑いながらの進行となった。

 別に仏教用語が羅列されたり、難しいことが書かれているわけではない。でも、短い章に中にも、「聞法」「十方衆生」「聴聞」同行」「同朋」「願力」「坊守」「御院家」「仏徳」「讃嘆」「教化」「凡夫」「在家止住」「地獄は一定すみがぞかし」……。と、皆さんには、分からない用語のオンパレードだ。「真宗」という言葉でも、うまく読んでいただけない。もっとも、「真宗カウンセリング研究会」なので、このぐらいは分かってもらいたかったが、、。そのこともあってか、先月までの活発さはなくなって沈黙が続いて、こちらもドキマギ。質問された言葉の用語解説をすることが中心となtった。中には、仏教用語ではない「人間の生地やほんね」という言葉でも、「どんな意味ですか。人間に『生地』とは初めて聞きました。パンとか服なとの物質なら分かるけれど、人間にも使うんですか」という質問が出て、逆に教えられた。なんとなく先生のお心は伝わったようで、そのことは新鮮だという声があった(何十年も一緒にやってきた方だったので、これもびっくりだった)が、やはり言葉のレベルで停滞していくこともよく分かった。

 なかでも、皆さんが驚かれたのは、「地獄は一定すみがぞかし」の一言。他力のお救いならまだ伝わるが、それが、「地獄行き」に定まる、如来さまに照らされた生地の自己ということになると、一般の内省ででてこない話だ。

 それにしても、真宗者にとっては、耳の痛い厳しい内容だった。華光の皆様に、ぜひ読んでいただきたい。といっても、読まれることはないだろうから、このプログで「カウンセリングの立場から真宗に見なおそう」の章を、しばらく取り上げていきたい。西光先生、40歳の念仏者に対しての叫びである。

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