カテゴリー「京都」の258件の記事

比叡山へ(4)~黒谷青龍寺~

  風は冷たいが天気がいい。ハイウェーの展望台からも琵琶湖が一望出来たが、峰道からの景色もすばらしい。長く滋賀県に住んでいた長女も、この風景には興味津々であった。

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  まだ時間の余裕もあるので、念願の黒谷青龍寺に拝観することにした。20~30分、山道を歩かねばならないので、明朝には東京向う連れ合いは行かず、娘と二人で黒谷青龍寺を目指した。整備された道は平坦で、下り坂が続く。比叡山は標高848Mと高い山ではないが、都会の喧騒とはまったく異なった静寂さでここまで来ると誰も会う人はない。朝から歩き続けてかなり疲れていたが、娘は駆け足ですすむ余裕がある。15分ほど歩くと、道端に石仏群が現われてきた。青龍寺示す道しるべも何度か見かけた。

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 真盛上人のお墓がある。法然聖人といば、浄土宗と西山浄土宗の祖師であり、西山派は影響を受けた時宗、そして親鸞聖人の浄土真宗の元祖であるが、天台真盛宗は、比叡山の麓、坂本の西教寺を本山としている。

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 ここから石段の長い下り坂に入る。その先に、黒谷青龍寺がある。比叡山は、三塔(東、西,横川)十六谷と総称される。黒谷もその一つだが、「谷」の意味を初めて実感した。

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 黒谷青龍寺は、法然聖人ご廻心の聖跡である。
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 『和語燈録』によると、その時の法然様は、自らの凡夫としての悪業煩悩の身を嘆き、自らは、戒・定・慧の三学の器ではな、聖道自力の落第生としての自覚の上に、報恩蔵といわれる経蔵にこもり、「なげき、なげき経藏にいり、かなしみ かしなみ聖教にむかて」おられる。また法然様の伝記『拾遺古徳伝』(覚如上人の著作)によると、この時、一切経を披くこと五遍、そしてその中でも、『往生要修』を指南として、善導大師の『観経四帖疏』を別して、披くこと3度、ついに、

「一心に専ら、弥陀の名号を念じ、行住坐臥、時節の久近を問わず、念々に捨てざる者これを正定の業と名く。彼の仏願に順ずるが故に。」(一心專念弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼仏願故)

 の文によって回心体験される。

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 法然様43歳の時のことであった。その廻心体験は、自己の内だけに留まらず、比叡山を降りる決意となって、吉水の地での専修念仏の布教がはじまるのだから、この年をとって、浄土宗の立教開宗とされているのである。

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 ここまで訪れる方は少なく、芳名録に記入したが、平日には1~2名にというところか。ある意味、ここでの法然様の善導様の出会いがなければ、親鸞様と法然様との出会いもなかったわけで、ぼくのところまで真宗念仏が届くこともなかったと思うと、感激も一入だった。
 南無阿弥陀仏
 感激で青龍寺を後にしたが、帰路は長い上り坂が続いて大変でした。

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比叡山へ(3)~浄土院~

 椿堂の真向かいにこんな石碑が建っていた。

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「聖光院跡」~親鸞聖人住持の寺~。あくまでも伝承だが、親鸞聖人が住職をされていたお堂の跡だという。

 しばらく進むは、「親鸞聖人修行の地」という石碑があり、弁慶が担いだことから「にない堂」と呼ばれる「常行堂」と「法華堂」がある。いま、堂内で修行中なのでで、静粛にするように掲示される。ここは観光地はではなく、出離大事の修行の場なのである。

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 西塔の中心である「釈迦堂」にお参りすると、すぐ脇に黒谷青龍寺の方角を示す案内の石碑がある。が、ここからだとまだかなり距離がある。

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 来た道を「椿堂」まで戻った。「浄土院」を目指すかどうかは迷った。2016年の聞法旅行ではここは行かなかったが、東塔から西塔への徒歩ルートの途にあるから逆戻りの道となるからだ。行きは下り坂、帰路は登り坂となる。

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 「浄土院」は、伝教大師の御廟で、比叡山でもっとも清浄な聖域だという。別名、掃除地獄とも言われる場所で、塵一つ残さぬようにきれいに掃き清められている。

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 ここで十二年間の籠山行を行なう侍真僧は、生前同様に伝教大師に仕えるというのである。昨年(3年)4月に、戦後7人目の満行のニュースが報道に接して、久々にお参りさせてもらったが、静かな感動があった。

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 まだ3時前だ。黒谷青龍寺を目指すために車で、峰道レストランへと向った。

京都の親鸞聖人聖跡巡拝の旅(6)~ご修行の地・比叡山(西塔篇): かりもんの実践的!真宗法座論 (cocolog-nifty.com)


 

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比叡山へ(2)~椿堂~

 車なら比叡山ドライブウェーを使えば(別料金になるが)、すぐに西塔につく。

 駐車場からは、すぐのところに目的地の椿堂があった。 

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   思っていたよりも、ずいぶん近く、また小さなお堂であった。もうすっかり忘れていた。

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 聖徳太子1400年御遠忌を記念して、この椿堂がご開扉されている。その伝承されるおいわれはこうだ。「その昔、比叡山に登られた聖徳太子が、山の一角に光を放つ霊地を見つけられ、そこにお堂を建立され、守り本尊である観世音菩薩を安置された。そしてそこ持っていた椿の枝を突き刺されたら、その枝がみるみると成長して大きな椿となり、いつしか椿堂と呼ばれるようになった」というのである。もちろん、その後、焼き討ちにあって再建されたものである。

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 本尊の千手觀音像が光り輝いていた。この中に、胎内仏として弥勒菩薩像も収められているのだが、現在、国宝殿で見ることができるが、もちろん初公開である。

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 せっかくの勝縁です。機会があればぜひお参りください。12月4日まで、開扉中。

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比叡山へ(1)~修復工事中の根本中堂~

 今年の12月4日まで、聖徳太子1400年御遠忌を記念して、太子ゆかりの「椿堂」が初めて一般にご開扉されているので、ぜひ、訪れたかった。長女は比叡山に行ったことがないといのうで、彼女の創立記念の休講日に出向いた。

 聞法旅行や日校の遠足など何度も訪れてきた比叡山だが、久々にプライベートでの参拝だ。行きは、白川から山中越で登る。クネクネとした細い山道だが、距離には案外近くて、1時間もかからずに到着。
 紅葉にはまだまだ早いが、ほんの一部は赤くなっている。風は冷たく、さすがに一足、季節が早く、厚着をしてきて正解だった。

 まずは東塔にある国宝殿へ。いま「比叡の霊宝」という特別展が開かれている。ここは初訪問だが、国宝の衣や書物、重文の絵画や祖師像に不動明王と、見覚えのある展示品が多かったのは、今春、京都国立博物館で「最澄と天台宗のすべて」を観たからだ。それでも十分、見応えはあった。

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 比叡山で修行した高僧たちが顕彰される大講堂(重文)から、国宝の根本中堂へ。

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 ところが根本中堂は、現在、大改修中だった。前回(2016年)の拝観はは、その直前だったようだ。V

京都の親鸞聖人聖跡巡拝の旅(5)~ご修行の地・比叡山(東塔篇): かりもんの実践的!真宗法座論 (cocolog-nifty.com)

 初めての方には残念だろうが逆に新鮮で、貴重な風景だ。10年もの歳月をかかるというのだから、たいへんな作業である。伝教大師最澄が結んだ草庵が元だといわれ、本尊は秘仏だが、最澄が刻んだ薬師瑠璃光如来と伝えられている。特に有名なのが、最澄の灯した灯火が、1200年間一度も消えることなく輝き続けている「不滅の法灯」である。比叡山延暦寺の中心なので根本中堂と言われている。

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 急な石段を登って重文の文殊樓へ。延暦寺の山門にあたるそうで文殊菩薩か奉られていた。

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そこから延暦会館に出て法然堂に行こうかと想ったが、道はまだ長いので、急坂を降りかけて引き返し、腹ごしらえをして、西塔に向った。

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祇園祭(先祭)宵々山で、美味しいお酒を呑む

   今年は、3年ぶりに宵山や山鉾巡行が行なわれることになった。

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一時は、減少傾向にあった新型コロナが、ここに来て急増する気配だが、通常開催されることになった。ただ、ぼくは週末の三連休は、東海(名古屋)~広島~京都(輪読法座)と法座が続き、後祭は福岡での法座と重なる。今年はご縁がないかなーとあきらめていたら、思わぬところからお誘いがある。

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6月から、四条高辻にあるメキシコ料理店でバイトを始めた下の子が、宵山期間の3日間、屋台で売り子をするというのだ。祇園祭よりも娘の働く姿は見逃せない。

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ということで、昨年から着物教室で研鑚を積み、先日、見事、師範(立派な看板)となった連れ合いは、浴衣を来て、宵々山に繰り出すことにした。
さて、3年ぶりとはいえコロナ禍だ。たぶん、例年に比べれば、人出は少な目ではないかと予想していた。実際、地下鉄は混んではいたが、例年ほとの雑踏で身動きとれないというほどはなかった。

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が、地上にあがると、すでに烏丸通も四条通も歩行者専用となっていて、例年と変わらぬ人出。例年なら別に驚かないが、さすがに今年は、この人出には驚いた。が、屋外でもだいたいはマスク着用ではある。四条通の長刀鉾や函谷鉾、月鉾などを観て、南北の通りにはいって、蟷螂山などを見る。細い道に入るともう身動、きできないほどの人込み。放下鉾や船鉾のある新町通に入ると大変な雑踏で、こんなに密に人と接するのは何年ぶりかだ(2日間だけでも60万人以上の人手があったそうだ)。宵山よりも雑踏に驚くのも、コロナ禍ならではの祇園祭。

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人込みの中を、普段なら5分強の距離を30分以上かかって、やっと娘の勤めるお店にたどり着いた。

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昨夜は露店(夜店)にいたが、今日の店舗の手伝いをしている。四条高辻を一筋入った少し分かりづらい立地だか、当然、今夜は大繁昌。客が帰ったらすぐに次の客が入って、娘も大忙しで、動いている。賑やかにはしゃぐ客も多くて、久々に活気が戻っていた。カウンター席からは、中で飮み物を用意する娘の姿がよく見えた。初めて、娘に生ビールや、ワインを注いでもらった。まだ勤めたばかりだがテキパキ対応する姿に感心し、ちょっと感無量。おいしいお酒でした。

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東寺の蓮

 散歩に東寺まで出かける。東寺の蓮池の蓮がきれいに咲いていた。例年より少しだけ早い気がする。

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 今年は、史上もっとも短く、また早く梅雨が開けたようで、6月下旬から7月にかけて一気に猛暑が始まった。京都も38度台を記録した。気温自体は、例年の夏にも達するのだか、この時期にこの猛暑。夏は、これからが本番なのに。この先、どうなるのかが心配だ。

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 蓮は、これから見頃になる。週末の「壮年の集い」でも皆さんにお伝えしよう。早朝ならもっときれいだろう。

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<鷺と蓮↑>
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<夕焼けも見事>

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今熊野神社

   NHKの大河ドラマは「鎌倉殿の13人」を観ている。子供のころから歴史物が好きで、大河ドラマも観てきた。あまりテレビ番組には関心のない娘二人も、喜んで観ていることだ。アニメ『平家物語』の影響が大きいか。

 親鸞聖人や法然上人が活躍された時代。関連する人々がしばしば登場する。毎日、経典を開かれない日がなった法然上人が、唯一出来なかった1日が、木曽義仲が平家を京都から追放した混乱の時だというエピソードが残る。やっと登場した九条兼実公が、意外の人が演じ「エー」という違和感。以前、映画で、一遍上人をウド鈴木が演じたほどの衝撃はなかったが、真宗念仏の大恩人である兼実公には思い入れはある。これからは、承元の法難の時の帝だった後鳥羽上皇が、敵対する主役となっていくのであろう。

 さて、博物館へは自転車で出かけた。東大路通の高架を下ると、東福寺、泉涌寺、今熊野と続いていく。東福寺には、僕が生まれ、父が往生した京都日赤病院があり、その奥に、母校日吉ケ丘高校がある。次ぎは江戸期の天皇の御陵がある「御寺」泉涌寺で、長女の幼稚園である。すぐに、今熊野があり、今熊野神社がある。ここを東山の方にクネクネと登っていくと、親鸞聖人の荼毘地、延仁寺がある。そして、続いて智積院や妙法寺があり、法住寺という後白河天皇の御所があり、ゆかりの三十三間堂(法然上人が御白河天皇陵の戒師となったという名号碑)や御白河天皇陵、そして新日吉大社が列なっている。法然上人と後白河天皇との関係も深い。

 ということで、博物館の帰り、初めて今熊野神社に立ち寄ってみた。

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 『御伝鈔』にある平太郎の熊野詣でにある熊野神社の本地は、阿弥陀如来である。紀伊国(和歌山県)熊野三社権現の本宮「証誠殿」と称し、本地は「阿弥陀如来」。現当二世の広大なご利益を賜るとして、平安時代より上皇、天皇、貴族、武家、庶民に至るまで競って参詣され、そのさまは「蟻の熊野詣」と称された。後鳥羽上皇は二十三年間の在位中に毎年御幸。白河、鳥羽、後白河、後鳥羽上皇の四帝だけで、百数回も行幸されている。ただ都から熊野参詣はなかなか容易なことではない。ということで、後白河帝の勅命で、京都に熊野権現を勧請し、平清盛によって創建されたのである。自らが住まう法住寺殿のすぐそばだ。今は、地名は今熊野(いまくまも)だが、もともとは新熊野と言われていたという。新熊野神社ホームページ (imakumanojinja.or.jp)

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 京都の熊野信仰の中心地として大いに栄え、室町時代には、将軍足利義満の前で、観阿弥、世阿弥父子による猿楽、能(今熊野猿楽)を舞ったことから「能楽発祥の地」ともされている。

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 今は小さな御社だが、それでも裏手にこんな熊野古道のルートができていて、いろいろとオブジェが展示されていた。

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 <後白河帝のお手植えの楠木は天然記念物。影向の大樟とも↓>

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<八咫烏は、日本サッカーチームのエンブレム↓>

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「最澄と天台宗のすべて」~伝教大師1200年大遠忌記念~

 もう終了しているが、5月に京都国立博物館で開催されていた「最澄と天台宗のすべて」を観てきた。

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伝教大師最澄の千二百年大遠忌を記念した特別展だ。昨年の聖徳太子の千四百年の大遠忌に続いて、日本仏教の偉大な高僧の大遠忌が続いている。伝教大師は、平安時代に比叡山延暦寺を開き、天台宗を広め、それ以降の日本の仏教の発展につながる最大の功労者であり、仏教界最大のスーバースターの一人であることは間違いない。ところが、同世代のライバルでもある弘法大師空海の人気に比べると、功績ほどの名声は、一般では低いかもしれない。このPCでも「弘法大師」は一発変換できるのに、「伝教大師」は「電業大師」となってしまう。しかし、空海の密教に対して、顕教の天台宗だが、同時に密教(台密)も盛んで、日本浄土教もここで花開く。鎌倉新仏教で開祖となる高僧方(法然、親鸞、一遍、日蓮、道元)もすべて比叡山で修行したことは有名である。比叡山が日本仏教の中心であり、その後の日本仏教の母胎となる。宗教面だけでなく、比叡山が政治に与えた影響も大きいことは、さまざまな歴史的事件が証明している。

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 福岡、東京でも開催されてきたが、京都会場でのみ展示されるものも多く、国宝23件、重文71件という豪華な内容で、仏像や仏画、経典、絵巻物のみならず、国宝の袈裟や経店箱などの工芸・美術品に、国宝の文書や消息類など多彩な展覧会だった。

 僧兵による強訴で有名な山王神社(日吉大社)の御神輿の絢爛で迫力ある姿に驚いた。
 また、東京国立博物館で展示されていた六波羅密寺の空也上人像(口から六体の阿弥陀様が飛び出す)の別バージョンがあるのにも驚いた。六体の阿弥陀様がでる構図は同じだが、愛媛の空也上人は、一、二回りは大きく、お顔の造詣も違っていて(ちょっと間が抜けた感じがした)見慣れた六波羅密寺の空也上人像の方が緊張があるように思えた。空也上人も、今年がご往生一、〇五〇年の節目にあたり、東京開催されていたとようだ。
 他には浄土教に関心があるので、恵信(源信)僧都関連のものに、一段と親しみか沸くのは、当然といえどは当然。

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 とにかく勉強にもなりました。
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<不滅の法灯↑>

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鴨川の桜

 今年もどこにも桜を見に行かなかった。
 せいぜい法座の途上か、散歩中に楽しむぐらいで終わった。
 今日は、散歩コースの一つ、鴨川沿いを歩く。

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   桜がきれいだ。満開は少し過ぎているようだか、もう少し楽しめそうだ。

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 それにしても今日は天気がいい。4月にはいると汗ばむ陽気が続く。今年の冬の寒さが厳しかったこともすっかり忘れてしまう。

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 「散る桜、残る桜も 散る桜」

 今春の法座では、よく『親指のふし』の智子さんの遺書を取り上げている。来年が50回忌にあたる。

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<シロタエという品種>

 

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白梅・紅梅

 今年の冬は、いつまでも寒かった。日本海側の大雪も記録的。でも、3月を迎えると、寒暖の差は激しくても日中は温かくなって、ホッとする日が続いている。

 今日は3月の新月断食である。一昨年の4月から始まったのでちょどう丸2年、24回目の断食日にあたる。

 朝、散髪に出かける。例によって、新型コロナやワクチン摂取の話題に華を咲かせた。店主は、相変わらずマスクもしていない。

 帰りに散歩を兼ねて梅小路公園を歩く。

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  今年も梅園の梅が咲いている。早咲き、遅咲きと種類が豊富だが、今は、早咲きが満開近くなっている。
 よくみる紅白の梅が交互に植えられるが、紅にもいろいろ、また白にもいろいろ、その中間のピンクにもあって、美しい。桜まで、当分は楽しめそうである。

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<冬至↑>
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<白加賀↑>
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<月影↑ 薄緑がかかり美しい>
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<新平家↑ 淡いピンク>
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<枝垂れ梅↑>
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<大盃↑>
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<八重梅↑>
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<緋の司↑>
 きれいでした。


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