カテゴリー「京都」の262件の記事

魚三楼での祝賀~ちょっと箸休め~

 姉も「長命の集い」に参加していたので、終了後、体調の都合などで延期していた母の米寿祝い(88歳)を行なうことにした。伏見にある老舗料亭「魚三楼(うおさぶろう)」に決めた。ミシュランの星付の有名店だが、何度か前は通っても、中に入るのはこれが初めてである。こんなことがなければ、ご縁はなかっただろう。創業260年余り。「鳥羽・伏見の戦い」では、この前の道も戦場となり(近くに徳川幕府の伏見拠点だった伏見奉行所がある)、お店の格子にその時の弾劾痕が残っているのことでも有名。伏見屋敷があった大名家(特に薩摩藩)の御用達でもある。

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《格子の弾劾痕》

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 店名に「魚」の一字があるように、新鮮な魚料理が有名で、とても上品で美味しかった。なにより、主賓の母が元気に席に着いてくれたこと、そして喜んでくれたことが一番うれしかった。

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寒波

 とにかく寒い。十年に1度の寒気に日本列島が覆われている。

 京都も、夕方から大雪の予報ではあったが、昼間はそうでもなかった。

 5時前に、映画館を出たら、強い北風と共に雪が横から吹きつける。急に気温も下がっている。このあたりでは稀な感じだ。この時点では、それほどの積雪はなかったが、その後、買い物に出かけた連れ合いから、電話がかかる。

 帰宅するTさんのことを心配しての電話だった。外を見ると、2時間ほどで大雪になっている。大急ぎで、ちょっどう乗車中だったTさんに声をかけるが、とりあえず、帰ってみて、もしダメなら引き返すという返事だったが、10分ほどしたら戻ってここれらた。このあたりでもこの雪なら、京都市内でも、北部は20~30センチは積かもしれない。
 結局、Tさんは会館に宿泊された。行事など以外ではなかったことだし、仕事の後では、初めて帰宅だきなかった。大阪にバイトに出かけていた娘も、途中で、お店が臨時休業になって、すぐに引き返してきた。

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 その夜、テレビでは、京都駅の前後でJRが立ち往生(注=往生の間違った転用)して、深夜まで列車に取り残されたというニュースが報道されていた。急な気温低下と、予想以上の大雪で、線路のポイントが何十カ所も、凍結してしまったというのである。同じ京都駅に入る近鉄や他の私鉄は、通常どおり動いていただけに、JR西の対応の甘さ、その後の誘導の判断ミスが大問題になっていたが、それだけ短時間に急激に天候が変化したということでもあった。

 翌日の夕方、東寺に散歩。まだ雪は残っていた。

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東寺からみなみ会館へ

 昨年(2022年)も、映画館で映画を200本観た。毎年の目標にする数字だがら、今年は少し達成は難しいかなと思ったが、12月29日に達成することができた。そのことでもいろいろ書きたいのだがら、今は前に進もう。

 今年の1本目は、1月3日、京都みなみ会館で『ファイブ・デビルス』というフランス映画を観った。匂いの特殊能力を持った少女が、匂いをてがかりに過去にイムスリップして、母の秘められ青春時代の恐ろしい事故(事件)を知るというもの。でもそこには、黒人や女性差別、そしてLGBTに根強い差別が背景にあった。

 映画の前、散歩を兼ねて東寺までぐると一周歩いた。東寺でも初詣客が多くて、そこそこ賑わっていた。いつものように境内地をグルッと一周した。
 今年は穏やかな正月である。

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東寺の紅葉

 企画法座、追悼法要、そして強烈な新発意の菩薩誕生と、本願力の働きに撃たれた華光大会が終わった。連れ合いは、すぐに関東公演のために東京に向った。ぼくも、 からだは疲れているのだが、こころはすごく躍動し、活発に活動している。明日からは寺院布教だが、少しセーブして話さないと、皆さんに引かれてしまうだろう。

 散歩で東寺まで歩く。

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 天気もいいし、この時期にしてはかなり温かい。東寺の紅葉はこれからというところ。春の桜、秋の紅葉の季節、夜にはライトアップされるが、週末には長蛇の列となる。

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 この時期には冬の訪れも感じるものだが、今年はことのほか温かく、温暖化の影響があにおるのだかろうか。それでも、季節は進んでいる。紅葉も少しずつ進んでいて、京都は、今週末が見頃になるだろう。

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比叡山へ(4)~黒谷青龍寺~

  風は冷たいが天気がいい。ハイウェーの展望台からも琵琶湖が一望出来たが、峰道からの景色もすばらしい。長く滋賀県に住んでいた長女も、この風景には興味津々であった。

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  まだ時間の余裕もあるので、念願の黒谷青龍寺に拝観することにした。20~30分、山道を歩かねばならないので、明朝には東京向う連れ合いは行かず、娘と二人で黒谷青龍寺を目指した。整備された道は平坦で、下り坂が続く。比叡山は標高848Mと高い山ではないが、都会の喧騒とはまったく異なった静寂さでここまで来ると誰も会う人はない。朝から歩き続けてかなり疲れていたが、娘は駆け足ですすむ余裕がある。15分ほど歩くと、道端に石仏群が現われてきた。青龍寺示す道しるべも何度か見かけた。

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 真盛上人のお墓がある。法然聖人といば、浄土宗と西山浄土宗の祖師であり、西山派は影響を受けた時宗、そして親鸞聖人の浄土真宗の元祖であるが、天台真盛宗は、比叡山の麓、坂本の西教寺を本山としている。

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 ここから石段の長い下り坂に入る。その先に、黒谷青龍寺がある。比叡山は、三塔(東、西,横川)十六谷と総称される。黒谷もその一つだが、「谷」の意味を初めて実感した。

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 黒谷青龍寺は、法然聖人ご廻心の聖跡である。
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 『和語燈録』によると、その時の法然様は、自らの凡夫としての悪業煩悩の身を嘆き、自らは、戒・定・慧の三学の器ではな、聖道自力の落第生としての自覚の上に、報恩蔵といわれる経蔵にこもり、「なげき、なげき経藏にいり、かなしみ かしなみ聖教にむかて」おられる。また法然様の伝記『拾遺古徳伝』(覚如上人の著作)によると、この時、一切経を披くこと五遍、そしてその中でも、『往生要修』を指南として、善導大師の『観経四帖疏』を別して、披くこと3度、ついに、

「一心に専ら、弥陀の名号を念じ、行住坐臥、時節の久近を問わず、念々に捨てざる者これを正定の業と名く。彼の仏願に順ずるが故に。」(一心專念弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼仏願故)

 の文によって回心体験される。

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 法然様43歳の時のことであった。その廻心体験は、自己の内だけに留まらず、比叡山を降りる決意となって、吉水の地での専修念仏の布教がはじまるのだから、この年をとって、浄土宗の立教開宗とされているのである。

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 ここまで訪れる方は少なく、芳名録に記入したが、平日には1~2名にというところか。ある意味、ここでの法然様の善導様の出会いがなければ、親鸞様と法然様との出会いもなかったわけで、ぼくのところまで真宗念仏が届くこともなかったと思うと、感激も一入だった。
 南無阿弥陀仏
 感激で青龍寺を後にしたが、帰路は長い上り坂が続いて大変でした。

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比叡山へ(2)~椿堂~

 車なら比叡山ドライブウェーを使えば(別料金になるが)、すぐに西塔につく。

 駐車場からは、すぐのところに目的地の椿堂があった。 

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   思っていたよりも、ずいぶん近く、また小さなお堂であった。もうすっかり忘れていた。

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 聖徳太子1400年御遠忌を記念して、この椿堂がご開扉されている。その伝承されるおいわれはこうだ。「その昔、比叡山に登られた聖徳太子が、山の一角に光を放つ霊地を見つけられ、そこにお堂を建立され、守り本尊である観世音菩薩を安置された。そしてそこ持っていた椿の枝を突き刺されたら、その枝がみるみると成長して大きな椿となり、いつしか椿堂と呼ばれるようになった」というのである。もちろん、その後、焼き討ちにあって再建されたものである。

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 本尊の千手觀音像が光り輝いていた。この中に、胎内仏として弥勒菩薩像も収められているのだが、現在、国宝殿で見ることができるが、もちろん初公開である。

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 せっかくの勝縁です。機会があればぜひお参りください。12月4日まで、開扉中。

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比叡山へ(3)~浄土院~

 椿堂の真向かいにこんな石碑が建っていた。

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「聖光院跡」~親鸞聖人住持の寺~。あくまでも伝承だが、親鸞聖人が住職をされていたお堂の跡だという。

 しばらく進むは、「親鸞聖人修行の地」という石碑があり、弁慶が担いだことから「にない堂」と呼ばれる「常行堂」と「法華堂」がある。いま、堂内で修行中なのでで、静粛にするように掲示される。ここは観光地はではなく、出離大事の修行の場なのである。

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 西塔の中心である「釈迦堂」にお参りすると、すぐ脇に黒谷青龍寺の方角を示す案内の石碑がある。が、ここからだとまだかなり距離がある。

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 来た道を「椿堂」まで戻った。「浄土院」を目指すかどうかは迷った。2016年の聞法旅行ではここは行かなかったが、東塔から西塔への徒歩ルートの途にあるから逆戻りの道となるからだ。行きは下り坂、帰路は登り坂となる。

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 「浄土院」は、伝教大師の御廟で、比叡山でもっとも清浄な聖域だという。別名、掃除地獄とも言われる場所で、塵一つ残さぬようにきれいに掃き清められている。

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 ここで十二年間の籠山行を行なう侍真僧は、生前同様に伝教大師に仕えるというのである。昨年(3年)4月に、戦後7人目の満行のニュースが報道に接して、久々にお参りさせてもらったが、静かな感動があった。

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 まだ3時前だ。黒谷青龍寺を目指すために車で、峰道レストランへと向った。

京都の親鸞聖人聖跡巡拝の旅(6)~ご修行の地・比叡山(西塔篇): かりもんの実践的!真宗法座論 (cocolog-nifty.com)


 

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比叡山へ(1)~修復工事中の根本中堂~

 今年の12月4日まで、聖徳太子1400年御遠忌を記念して、太子ゆかりの「椿堂」が初めて一般にご開扉されているので、ぜひ、訪れたかった。長女は比叡山に行ったことがないといのうで、彼女の創立記念の休講日に出向いた。

 聞法旅行や日校の遠足など何度も訪れてきた比叡山だが、久々にプライベートでの参拝だ。行きは、白川から山中越で登る。クネクネとした細い山道だが、距離には案外近くて、1時間もかからずに到着。
 紅葉にはまだまだ早いが、ほんの一部は赤くなっている。風は冷たく、さすがに一足、季節が早く、厚着をしてきて正解だった。

 まずは東塔にある国宝殿へ。いま「比叡の霊宝」という特別展が開かれている。ここは初訪問だが、国宝の衣や書物、重文の絵画や祖師像に不動明王と、見覚えのある展示品が多かったのは、今春、京都国立博物館で「最澄と天台宗のすべて」を観たからだ。それでも十分、見応えはあった。

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 比叡山で修行した高僧たちが顕彰される大講堂(重文)から、国宝の根本中堂へ。

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 ところが根本中堂は、現在、大改修中だった。前回(2016年)の拝観はは、その直前だったようだ。V

京都の親鸞聖人聖跡巡拝の旅(5)~ご修行の地・比叡山(東塔篇): かりもんの実践的!真宗法座論 (cocolog-nifty.com)

 初めての方には残念だろうが逆に新鮮で、貴重な風景だ。10年もの歳月をかかるというのだから、たいへんな作業である。伝教大師最澄が結んだ草庵が元だといわれ、本尊は秘仏だが、最澄が刻んだ薬師瑠璃光如来と伝えられている。特に有名なのが、最澄の灯した灯火が、1200年間一度も消えることなく輝き続けている「不滅の法灯」である。比叡山延暦寺の中心なので根本中堂と言われている。

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 急な石段を登って重文の文殊樓へ。延暦寺の山門にあたるそうで文殊菩薩か奉られていた。

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そこから延暦会館に出て法然堂に行こうかと想ったが、道はまだ長いので、急坂を降りかけて引き返し、腹ごしらえをして、西塔に向った。

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祇園祭(先祭)宵々山で、美味しいお酒を呑む

   今年は、3年ぶりに宵山や山鉾巡行が行なわれることになった。

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一時は、減少傾向にあった新型コロナが、ここに来て急増する気配だが、通常開催されることになった。ただ、ぼくは週末の三連休は、東海(名古屋)~広島~京都(輪読法座)と法座が続き、後祭は福岡での法座と重なる。今年はご縁がないかなーとあきらめていたら、思わぬところからお誘いがある。

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6月から、四条高辻にあるメキシコ料理店でバイトを始めた下の子が、宵山期間の3日間、屋台で売り子をするというのだ。祇園祭よりも娘の働く姿は見逃せない。

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ということで、昨年から着物教室で研鑚を積み、先日、見事、師範(立派な看板)となった連れ合いは、浴衣を来て、宵々山に繰り出すことにした。
さて、3年ぶりとはいえコロナ禍だ。たぶん、例年に比べれば、人出は少な目ではないかと予想していた。実際、地下鉄は混んではいたが、例年ほとの雑踏で身動きとれないというほどはなかった。

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が、地上にあがると、すでに烏丸通も四条通も歩行者専用となっていて、例年と変わらぬ人出。例年なら別に驚かないが、さすがに今年は、この人出には驚いた。が、屋外でもだいたいはマスク着用ではある。四条通の長刀鉾や函谷鉾、月鉾などを観て、南北の通りにはいって、蟷螂山などを見る。細い道に入るともう身動、きできないほどの人込み。放下鉾や船鉾のある新町通に入ると大変な雑踏で、こんなに密に人と接するのは何年ぶりかだ(2日間だけでも60万人以上の人手があったそうだ)。宵山よりも雑踏に驚くのも、コロナ禍ならではの祇園祭。

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人込みの中を、普段なら5分強の距離を30分以上かかって、やっと娘の勤めるお店にたどり着いた。

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昨夜は露店(夜店)にいたが、今日の店舗の手伝いをしている。四条高辻を一筋入った少し分かりづらい立地だか、当然、今夜は大繁昌。客が帰ったらすぐに次の客が入って、娘も大忙しで、動いている。賑やかにはしゃぐ客も多くて、久々に活気が戻っていた。カウンター席からは、中で飮み物を用意する娘の姿がよく見えた。初めて、娘に生ビールや、ワインを注いでもらった。まだ勤めたばかりだがテキパキ対応する姿に感心し、ちょっと感無量。おいしいお酒でした。

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東寺の蓮

 散歩に東寺まで出かける。東寺の蓮池の蓮がきれいに咲いていた。例年より少しだけ早い気がする。

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 今年は、史上もっとも短く、また早く梅雨が開けたようで、6月下旬から7月にかけて一気に猛暑が始まった。京都も38度台を記録した。気温自体は、例年の夏にも達するのだか、この時期にこの猛暑。夏は、これからが本番なのに。この先、どうなるのかが心配だ。

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 蓮は、これから見頃になる。週末の「壮年の集い」でも皆さんにお伝えしよう。早朝ならもっときれいだろう。

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<鷺と蓮↑>
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<夕焼けも見事>

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