カテゴリー「京都」の233件の記事

お池にはちすのお花が咲いた

   緊急事態宣言の自粛中、毎日、散歩した。この習慣は今も続いている。自力整体30分と、30分以上の散歩を、毎日続けている。ただ歩くだけでなく、3分間は全力で、次の3分は普通に、また3分は全力で歩くこと繰り返す。いわゆるインタバール走法での散歩である。これがなかなかいい(ような気がしている)。

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 晴れ間をぬって、久しぶりに東寺まで歩いた。

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 お目当ては、蓮池。いつもはサギやカルガモが泳いでいる水路が、一面、蓮に覆われている。鳥はいないが、カメはいた。

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 まだ蕾のもの、今が盛りのもの、そしてもう散りかけているものとさまざま。まだ蕾もあってこれからも見頃がくるのだろうか?

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 泥から咲き、それに汚されぬ信心を譬えられ、白蓮華は、真実信心の人=妙好人を顕したりと、蓮は仏教にはゆかりの華。

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 この柳は小野道風ゆかりとあった。何度も何度も前を通っている後、この看板見逃していました。

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決定的瞬間~凡・聖の格差~

 東寺のお掘りにて。
 サギが魚を捉える瞬間を撮ることができた。

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 お釈迦様が出家されるきっかけの「四門出遊」は有名なエピソードだ。老苦、病苦、死苦を目の当たりにされるのである。そしてもう一つ、「農耕祭」のエピソードがある。これは、自然界の弱肉強食、弱い生き物が強い生き物に食い殺される現実を前に、人生とは何か、何のために生きているのかと思い悩まれるのである。

 さすがは、ブッダとなるお方である。

 残念ながら、凡夫のぼくは違った。

 おお、決定的な瞬間が撮れたなと、ただ喜んでいるのである。

 

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そして3つの御陵へ

 訪れた順序では、近衛天皇~鳥羽天皇陵~白河天皇陵だか、ここでは即位順に逆の紹介である。

 まず、第72代の白河天皇陵は、「成菩提院陵」(じょうぼだいいんのみささぎ) と言われている。新堀川通を挟んで西側にある。

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  白河天皇といえば、院政を始めた方で「白河法皇」という名で有名。平清盛は、この白河法皇の御落胤だったとか。
「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」
 の言葉が有名。天皇であっても思い通りにならないものの中に、「山法師」、比叡山の僧兵をあげておられる。
 陵は小さな方丘が残っている。

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 次の第74代の鳥羽天皇陵は、「安楽寿院陵」(あんらくじゅいんのみささぎ)と言われる。

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 近衛天皇陵から安楽寿院の前を通ってすくにある。
 方形堂の陵墓で、整備されている。

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  崇徳天皇・近衛天皇・後白河天皇の三代28年に渡り、この地に鳥羽離宮を造営し、鳥羽上皇として院政を敷いていた。

  その第九子が、第76代の近衛天皇陵で、「安楽寿院南陵」と言われる。
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 近衛陵は歴代天皇陵では唯一の多宝塔で、とても美しい。昔、近鉄電車からもよく見えて、何かお寺があると思っていたが、御陵だったと知ったのは、最近の話。
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 散策も含め100分ほどで小旅行。かなり暑かったことと、幹線道路を進む道中が面白くなかったので、帰路は少し脇道を歩いたが、見どころ満載で面白かった。

 必ずぼくの前を中年の男性が、そしてぼくのあとを初老の男性が、ほぼ同じコースで歩いて写真をとっていたのが、面白かった。どこにでもマニアック人はいるもの。絶対に、ふらっと立ち寄る場所ではないものなー。

 

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北向不動院から安楽寿院へ

 あいかわらずの自粛生活だ。1カ月以上、電車やバス、そして車にも乗っていない。1度歯医者に出かけたこと。リカマン(酒屋)とジャパン、そして郵便局(ATM)(いずれも徒歩2分圏内の町内)に1度ずつ。外出はそれだけで、自粛生活ではかなり優等生だ。最低限 散歩は毎日している。これも徒歩で動ける範囲で、半径1~2㎞以内、往復1時間程の距離だ。

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   今日は、天気もいいので少し足を延ばした。目標は、竹田駅(近鉄なら2駅)周辺の「北向山不動院」界隈だ。堀川通りを真っ直ぐ下っていくだけ。2、6㎞、40分弱。往復しても5㎞強。散策も含め90分ほどで歩けるコースだ。実際は暑かったこと、幹線道路を進む道中が面白くなかったが、ゴールは見どころ満載だ。
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 観光地とは無縁だが、鳥羽離宮があった地で天皇陵や古刹が密集している。天台や真言宗などの聖道門だが、いずれも阿弥陀仏を祀ったり浄土教の影響を受けているお寺である。平安末期の末法思想の影響を強く受けているのではないか。
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 まずは、北向不動院へ。新堀川通に面しているが、お寺は少しだけ奥まったことろにある。境内には、お不動様(重要文化財)や薬師如来や、お稲荷さんと習合である。今回驚いたのは、興教大師覚鑁(かくばん)の創建であることだ。興教大師は、弘法大師の真言宗であるが、法然聖人などの念仏や浄土思想の影響を受けて、真言教学に受容し、いかに捉えるかを理論化して、「密厳浄土」思想を唱えて「密教的浄土教」を大成されたお方。真言宗中興の祖であり、また新義真言宗始祖の御方である。

 お念仏の教えといえば浄土教で、それに対して聖道門の教えを捉えてしまうが、法然様や親鸞様当時は、比叡山の天台宗でも、南都の奈良仏教でも、そして真言宗でも(つまり、当時のほぼすべての仏教)が、念仏や浄土の教えが幅広く学ばれていたのである。それに対して、法然様が「専修念仏」(念仏ただ一つ)と宣言されたのだから、革命的な出来事である。

 余談でした。

 北向不動院の隣に「安楽寿院」がある。真言宗智山派の寺院で、本尊は阿弥陀如来だ。鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が造営した仏堂を起源とし、皇室ゆかりの寺院である。このお寺は、非公開寺院の特別拝観で紹介している。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-5488.html

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  この回りには小さいながら石碑や石仏が立っていて、これが面白い。

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 ≪鳥羽離宮の基礎石↑≫
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 ≪薬師三尊↑≫
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≪ 介護施設前に立つ五輪塔↑≫
無防備に立つが重要文化財

 

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アオサギの子育て~散歩道(4)~

 春、鳥たちは誕生の季節、そして子育ての季節である。

 散歩コースの梅小路公園でも、東寺の堀りでも、コガモが誕生している。今年は、人通りも少なくて、より静かな環境で育てられることだろう。

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 東寺の南門では、アオサギ2羽。まるで仁王様のように、東寺の入り口のところに並んでいた。
 、嘴の色などが、微妙に違うことが分かった。
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 ふと松の木をみると、1羽のサギがてっぺんとまっている。

 よくみると、枝の中で、何かがゴソゴソと動いている。
 もう1匹いる。卵を温めているのか、子育て中なのかは分からないが、夫婦仲睦まじく巣を守っているではないか。オスは、エサをとりに堀りに降りてくるが、メスは、巣を守っていた。ちなみに。アオサギは、一夫一婦制で、抱卵やエサ集めといった子育てにオスも積極的に参加する、イクメンだそうだ。

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 国道一号線の喧騒の中でのたくましい姿に、感激。これから散歩が楽しみになった。

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境内からみるとこん感じ。メスが守っています。

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鴨川を歩く~散歩道(3)~

 これまでの日常生活が一変している。

 布教も、法座もなくなった。個人的には、映画館は閉まり、月5回受講していた佛教大学の四条センターも9月まで休講、龍谷大学も閉鎖されたままでカウンセリング研究会も開催できない。家族二人と事務所のお二人以外は、1週間の間にお会いする人は、0~2人。経済的にはこれからが不安ではある。

 が、長い自粛生活そのものにはけっこう慣れ、案外楽しんでいる。

 映画は映画館でしか観れないので、映画館が閉まってから DVDでもネット配信でも、まだ1本も観ていない。その分、CDを聞き、本を読むようになった。両方とも10年以上は楽しめる量はある。そしてもう一つは、毎日、近所の散歩の距離が伸びた。1日に1時間の距離を歩くようにしているが、これは1日も欠かしたことことはない。東西南北に進むコースはいろいろと工夫し、また小さく一筋変えるだけでも街の風景が変わって、新鮮だ。

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 その中に、鴨川沿いを歩くコースが加わった。

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 華光同人のF家前を通り、鴨川まで進み、河川敷を歩く。散歩やランニング、サイクリグをする人もけっこうおられた。

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 こんなことがなければ、絶対に歩かなかったコース。

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百花春至って、誰が為にか開く(2)~梅小路公園~

 往復で40分ほどかかり、公園内を20分ほど散策すると、1時間の散歩コースにちょうどいい。

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  平日だが、午前中はけっこう人が多いので、ここは夕方の散歩コースにしている。

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 まもなく5月になるが、まだ桜の仲間が花開いていた。

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 もろちん、5月のイメージするツツジや、6月のイメージする紫陽花など、花々も季節を交差するように咲いてくれている。

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 「百花春至って、誰が為にか開く」(碧巌録)
 当ブログ。4月は30日分の記事を書いた。久しぶりの皆勤賞だが、新型コロナで法座が中止になった影響で、うれしくはない。Sさんからも「ブログが更新できないほど、お忙しくなればいいですね」と。まったくその通り。

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東寺にて(2)~水鳥篇~

  東寺にて(2)

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 拝観停止は有料区間のみ。境内は散策自由で、散歩には困らない。
 歩いていたら、子供がお世話になった東寺保育園の園長先生に出会った。0歳児を抱っこししながら、迎えのお母さんの話を聞いておられた。ご苦労さまです。

 お掘りの回りには、鷺や小鴨などの水鳥が獲物を狙っていた。

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露店のない弘法さん

 例によって、東寺まで散歩する。

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 明日から、有料区間の拝観中止が決まったからか、一昨日より人出が多いような気がした。といっても広い境内、ガラガラある。なぜか、あっちこっちに法被を着た係員が座っていた。その係に話しかけている方の声で、合点がいった。
 「初弘法の時には、こんなことになるとは、夢にも思わなかったわ」と。

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 そうか。今日は21日、「弘法さん」である。

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 21日は、弘法大師空海の入定された日で、東寺では京都の風物詩でもある縁日(こうぼうさん)が開かれるのである。初弘法(1月21日)や終い弘法(12月21日)には、20万人もの人出でごった返すのだった。

 広い境内にも、東寺の周辺にも、びっしりと露店が軒を並べるのであるが、今日はたったひとつの露店もなく、境内は静まり返っていた。こんな静か弘法さんは見たことはない。

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 おかけで、日頃みることのできない宝物の拝観や、外部から金堂の薬師如来のお参りもすることができた。。御いわれによると、承知2年(835年)3月21日(旧暦)は、高野山に入定された当日にあたり、その恩徳を感謝・供養するための理趣三昧等の法要が行なわれるという。それで、4月21日の正御影供では、後七日御修法以外は閉ざされている潅頂院に、絵馬が掲げられていた。まったく予定外で、ラッキーだった。

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百花春至って、誰が為にか開く

 今週末は、福井と、広島で法座の予定だったが、すべて中止になる。毎日が「スティーホーム」となった。
 せめて散歩だけは欠かさないことにした。これはもともとの習慣であるが、少しだけ距離を延ばすことにした。とっても半径2㎞圏内のご近所ではあるが、方向やコースに、バリエーションをつけることにした。

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 いちばん近くの公園では、まだ桜が残っていた。よくは分からないが、染井吉野ではなく山桜の一種なのだろうか。今日は、朝方から雨と風がきつかったのに、まだ散りきらずに花を咲かせてくれている。

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 夕方には、日差しも射して、青空ものぞいてきた。すがすがしい光だ。

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 もうひとつの公園では、藤が咲いている。

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 そのまま東寺に向う。境内を横切っていく。こちらは、青もみじが美しい。

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 赤いのは皐月だろう。

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 そして、八重桜がきれいに咲いている。

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 こんな時にでも、花はきれいに咲いてくれている。南無阿弥陀仏

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 「百花春至って、誰が為にか開く」(碧巌録)

 

 

 

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