カテゴリー「京都」の206件の記事

お旅所の桜

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今年の冬は、暖冬だった。ただ乾燥ぎみで、手足(特に足)の乾燥肌でかゆみが続いて、掻いて炎症を起してしまった。

滅多に病院にはいかないが、久しぶりに皮膚科に入った。歯医者以外院にいくのは、5~6年ぶりか。珍しく、弱めのImg_2152
ステロイドも塗った。1週間で回復して、薬は不要と言われて、すぐに収まった。

帰路に通った松尾神社のお旅所。桜がきれいだった。西大路七条界隈は、松尾神社の氏子町ということなのだろう。

4月に入って寒くて、桜は長持ちしているようだ。

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高瀬川のサクラ(写真あり!バージョン)

Img_1955   4月に入って、京都は肌寒い日が続いていた。1日には、山沿いで雪が舞った。市内でも最低気温が2度までさがった。

 Img_1971  夕方、高瀬川のサクラを見たが、まだ3分程度というところ。開花した宣言のサクラも停滞気味だ。夜には、冷たい雨が降っていた。

 それが、4日の木曜日頃から、春の陽気に戻って、一気にサクラも満開に近くなってきた。

Img_1997  金曜日の自力整体の教室は、五条の河原町に近くて、木屋町のサクラを少し眺めた。今日(5 日の金曜日)の時点での満開宣言はでていないが、もう満開間近である。それにしても、ここ数日、京都の街は海外からの観光客で溢れている。賑やかなのは結構だけれもど、オーバーツーリズムの問題も身近に感じられる、今日この頃。Img_1994

 

 

 

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イルミネーション

 華光誌の発送が早くすんで、夕方から佐井通、五条通を下ったところにある「ローム」の本社に向かう。

ロームのイルミネーションの見学である。何年も前から噂は聞いていたのに、なかなか機会がなかった。1ケ月以上の期間があるのが、今日が最終日。渋滞を心配していたが、それほどの混雑はなかった。かなり前のところから、前方に、金色の光が、眩い輝きを放っているのが見えてくる。子供たちからも歓声があがる。

渋滞もなく、駐車場も空いていて、回りを散策する。確かに美しい。しかし、今日は寒かった。 った。
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豊国神社~方広寺~耳塚

Img_9711 マチャプチャレは、正面通という東西に走る道に面している。正面通は、渉成園、東本願寺、西本願寺で中断されるが、両本山の正門を通っている。そこは敬意をこめて「御前通」とも呼ばれいるのだが、しかし東西本願寺の正面から名付けられたのでなはい。「大仏」Img_9706正面という意味である。京都に大仏? 実は、ここには奈良の大仏殿の三倍!という巨大大仏殿があったのだ。豊臣秀吉の造営である。何度も火災や大地震の被害をImg_9700受けて、今はもうない。

 今は正面に秀吉を祀る豊国神社がある。せっかくなので、ちょっと参拝。この唐門も、国宝にImg_9701_2指定されている。

 たまたま結婚式の最中で、生の雅楽の雅びの音色が響いていた。

 大仏殿はないが、豊臣家が滅亡の口実にイチャモン(陰謀)をつけれらた「国家安穏、君臣豊楽」の銘が入った方広寺の大梵鐘は残っている。巨大もなImg_9717のなのに、戦中の金属供出を逃れたのだらう。

 すぐ近くに耳塚という供養塔が建っている。秀吉の朝鮮出兵時、各武将が戦功の証として、朝鮮人のImg_9721耳や鼻を塩漬けにして持ちえ変えたものだ。本来なら、首なのだろうが、嵩張りすぎたのだろう。当日、朝鮮半島では、耳や鼻のない人がたくさんいとう文献を読んだこともある。
 今回は行かなかったが、豊国神社には馬塚という立派な五輪塔もある。

 耳塚の向いにある老舗の和菓子、甘春堂で一服する。久しぶりにお抹茶を頂いた。小学校の頃かImg_9722ら、ぼくは苦い抹茶が好きだった。今は、世界的にも抹茶味がブーム。

 Kご夫妻ともお別れの時が近づいた。最後に奥様からご信心の話題がでた。

 一味であっても百人百色の姿があるのが仏法である。老若男女、国柄、そして性格も違うのだから、それは同然だ。しかし、他力の本願のご回向であるのながら、その底は一味の味わいが流れている。凡夫は凡夫の仕事をし、仏様の仕事はとってはいけないのである。私に仏様の心配は入らないのである。
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(↑盛り土の上に五輪塔の耳塚)

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三十三間堂(2018年紅葉京都(5)

Img_3502 外国からの来客があると、京都で案内する場所は、近場の西本願寺、東寺、そして三十三間堂というが、ぼくの定番である。最近でも、昨年の8月にアメリカのご一家を、台風の中でご案内している。

Img_3503 中でも東寺の立体曼陀羅、それ以上に三十三間堂の千体の観音菩薩像は、圧巻の一言で、皆さん感銘をうけられる。

Img_9662 「観音さまは、冠に、おアミダさまを頂かれ」

 という子供の聖典を通り、十一面観音は、十一のお顔と共に、正面の冠に、阿弥陀様の化佛を頂いたおられるのであImg_9670る。そのことを説明すると、いたく感心していただいた。
 そして、二十八部衆と、雷神・風神像は、鎌倉期のすぐれた写実的な表現。人間に近い天部は、表情も豊かで、いろいろな特色があってなかなか面白い。「これウルトラマンのモデルですよ」とか「この人、もともと赤ちゃんをさらって食べてたのです」とか、「四十八願の二十六願にImg_9678あるように、本願力で凡夫ものこの仁王さんのような力を得るのですよ」と、トレビアを交えながらの拝観である。

Img_9673 中央のご本尊で、巨大な十一面観音も国宝、さらに左右シンメトリーに置かれた1000体の観音様も、風神雷神に、二十八部衆もすべて国宝に指定されているのである。指摘されている。特に、今は、通常は、3つの国立博物館に出張中の菩薩方もお帰りになっていて、1001体のすべてが揃っておられる貴重な時季である。

 そして、ここは法然上人の遺跡でもあることは、以前も触れた。その因縁も興味深い。このImg_9665_2ことは、ここに詳しく書いでいる。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-49aa.html

 お庭も散策したが、紅葉も見頃できれいだった。お堂の中で堪能するので、ぐるっとお庭までは拝観しない。

Img_9683 三十三間堂は通称で、正式名は「蓮華王院」。連れ合いが、芝居の舞台から、「一間は、柱と柱の間一つ。畳の長い(立て)幅で、約1・8メートル。いまでも、芝居の時の舞台の単位なんです」と、教えてもらった。成人の日には、通し矢が行われる。着飾った晴れ着姿の女性など競う姿は、、正月の風物詩。
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久々のマチャプチャレ

Img_9656 永観堂と、午前中、東福寺を拝観して、たっぷり紅葉は堪能した。

Img_9657_2 お昼は、オガニックカフェのマチャプチャレにお邪魔した。食事をするのは何年ぶりかである。連れ合いと何度か来たが、臨時休業のことか多かったのだ。

 元連れ合いの絵に囲まれながらの食事Img_9652である。 

Img_9654 ママも、大将も元気で、天然木のログハウスの建物や、京都に数台しかないというパラゴン(スピーカー)のこと、ジャズのこと、ネパールのこと、自然食品のこと、そして北海道のことなどなど、ずいぶん話題が広がった。ここのママは、余命数カ月のガImg_9655ンと宣告されるが、食生活を変え、生活を変え、生き方を変えられたら、ガンを克服されて、ますます明るく、元気になられたのである。

 「かりもんさんが元気そうで、うれしいわー」、こちらが元気をもらった。

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東福寺の紅葉(2)方丈篇(2018年紅葉京都(4)

Img_3467 通天橋庭園から、方丈の庭を拝観する。釈尊の八相成道にちなんだ、八相の庭が有名だ。

  方丈とは、禅宗での僧侶の住居だったのが、相見(応接)の場とImg_9576しての役割を担うようになった。明治期の火災によって焼失したものう再建されたのだが、庭園は、昭和に入り、作庭家Img_3465の重森三玲によるのもなので、モダンな匂いがする。それでも国指定の名勝の庭園だけあって、禅寺の趣と、気品を兼ね備えている。東西南北にそれぞれ庭を拝して、南庭を5つ分けて、釈尊の生Img_3472涯の重要な八つの出来事(1受胎、2出生、3処宮、4出家、5降魔、6成道、7転法輪、8入涅槃)に重ねているという。八相成道は、『大経』でも、その会座に集う菩薩たちもまたその歩みをしている。ちなみに、2のルンビニー、6のブッタガヤ、7のサルナート、8のクシナガラが四大仏跡ということになる。ただ、それぞれの庭が、釈尊の八相とどう対応するのかは、凡夫のぼくは不明だった。
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↑南庭は、大海に、蓬莱などの山々を拝した枯山水の庭
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↑南庭の西側は、「五山」に見立てた築山を配する
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↑西庭は、井田市松。さつきがの頃はまた見事だろう
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↑北庭は、さらに細かい市松模様。コケの緑と色紙が現代風
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↑東庭は、北斗七星に見立てられる。円柱の柱は東司(重文だが、早い話が便所)の石柱の余石
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↑国宝の「三門」。楼上には極彩画が残っている。特別拝観の時だけ拝観できる
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↑たまたま撮影で開門されていた本堂。三月に開帳される涅槃図が有名
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↑本堂の天上の龍は、堂本印象画伯の作。

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東福寺の紅葉(1)通天橋篇(2018年紅葉京都(4)

Img_9471東福寺は、会館から10分足らず。高校への通学路だった場所だ。今日も、母校の前にあるコインパーキングに停めた。東福寺やその塔頭については、ブログでも何度も登場するが、3月の涅Img_9475図開帳やイベントの時だ。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_b58b.html

Img_9493http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_d166.html

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-f17c.html

Img_9480http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-e237.html

  京都でも有数の紅葉の名所だ。東寺、東Img_9464西本願寺と並んで、ぼくには庭のような東福寺だが、混雑ぶりも充分知っているので、紅葉の時は避けていた。人を見に行くようなものだからだ。でも、今回はアメリカからの来客なImg_3422ので思い切って参拝を決めた。こんなことでもないとなかなか足が向かない。
紅葉の時の参詣は何年ぶりか。写真にImg_9519残っているのが、小学生の時に父と来た時のことだ。それ以降の記憶はない。もしそれが最後なら、約47、8年(約半世紀)ぶりということになる。その時は、今ほどの混雑はなかったように思う。

Img_9531京都五山の一つで、臨済宗の大本山であImg_3438る。広い境内は、拝観は自由だ。本山に入るまではに、周辺には25ケ寺もの塔頭が取り巻いている。今が紅葉の見頃で有料拝観できる塔頭もあるが、今Img_9551回はパスしてメインの通天橋に入る。

通天橋庭園に入場するなり、紅葉、紅葉、紅葉と、とにかく見事である。

 近所の方の道路でもある「臥雲橋」からも「通天橋庭園」眺めることもできるが、やはり有料(400円也と安い)拝観Img_9559をするに限る。ここから重文の開山堂と普門院の前庭は、五Img_9488月のころが見頃。そこからは通天橋へと向う通路からの眺めはすばらしい。黒い甍を懐く巨大な本堂、赤や黄色の紅葉の中に浮かび上がっている。橋の柱を額縁にした庭も、紅葉が一層映える。

混雑を避けるために、橋からの写真撮影が禁止になったが、混雑が酷くないときは、大目に見てもらうようだ。みんなシャッターを切っている。それだけの眺めである。

通天橋庭園の紅葉を満喫して、方丈へ。
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『永観、遅し』と永観堂ライトアップ(2018年紅葉京都(3)

Img_3399 アメリカでたいへんお世話になったKご夫妻を京都にご招待した。これまでご一緒に食事はしても、京都案内はできないままだった。せっかく11月の華光大会に合せImg_9350てお出でになったのた。少しは秋の京都を満喫していただこうと、京都紅葉の定番中の定番を巡ることにした。
 
 初日は夕方から永観堂のライトアッImg_9358ブを楽しみ、ローフードのイタリアンへ。翌日は、朝一番に東福寺を拝観し、智積院、昼食を挟んで、三十三間堂と東Img_9432山の南部を巡る。ランチは、すぐ近くのマチャプチャというオガニックカフェならば、京都駅もすぐ近い。

 まずは夕方5時30分開門の永観堂Img_9441へ。車は不可なので、タクシーを利用。開門30分前の5時には到着。ところがもうすでに何百メートルもの長い行列が出Img_9365来ている。

最後尾に並んで係に尋ねると、「6時30分頃でしょうかね」との返事。90分待ちか。並ぶのは覚悟の上で30分前に到着Img_9353したが、考えることはみな同じだとうことだ。でも敷地は広いので、入場が始まれば早いという期待はしたいた。長蛇の列Img_9357はどんどん伸びていくが、これは個人客だけ。5時15分頃になると、観光バスが続々と入ってくるが、大手団体ツアーは大行列を横目に、別の入り口から入場していくようだ。8年前も並んだ記憶はあるが、ここまではなImg_9410かった。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-5056.html

ただ師走を前夜なのに、温かいのが幸いでImg_9398ある。そして、開門と同時に列も動きだした。チケットも効率よく代える仕組みが出来ている。5時50分頃には入場できた。
 
Img_9383_2 阿弥陀堂にもお参りできた。西山派らしく観無量寿経変相図(浄土曼陀羅)が脇に掛けられている。見返りの阿弥陀如来である。

Img_9378「永観、遅し」という呼びかけられる阿弥陀様。

ぼくは、これを真宗的に味わっている。Img_3401「かりもん、遅し」。そうだよね。十劫もお待たせしてきたのだから、大遅刻も大遅刻。このお言葉が有り難い。

 ちなみに永観堂は「えいかんどう」と呼ぶが通称名で、正式名はImg_9355「禅林寺」である。そして永観律師も「えいかん」ではなく「ようかん」と発音するがImg_9435、羊羹のようで、一般には「えいかん」である。法然上人より先達の日本浄土教の先駆的なお祖師である。しかしお寺の歴史は、それよりもさらに200年以上前に遡り、もともとは真言密教のお寺だったという。「永観、遅し」も、念仏三昧の行道のエピソードである。それが、なぜ西山浄土宗の本山になったのか。

 Img_9438 鎌倉時代の住職だった静遍(じょうへん)僧都が、法然上人の専修念仏を撃つために『選択集』を読むも、読めば読むほど、間違っていたのは自分の方だったと気づき、専修念仏に帰依し、證空上人を次の住職に迎えたというのである。
 
 これもまた有り難いエピソードだと思う。南無阿弥陀仏

 ライトアップされた紅葉は艶やかで、真っ赤のものから赤みを帯びもの、だいだいに、黄色に、まだ緑のものと、そのグラデーションが見事というしかない。湖面に映る紅葉も絶景だが、残念ながらうまく写真には収めきれない。実物よりきれいに切り取れる写真もあるが、なかなか目の前の風景を収めきることはできないのも事実。
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妙覚寺(2018年紅葉京都(2)

Img_9258 本法寺、妙覚寺、妙顕寺は、200~300メートルの近距離にある。母の足を考え車で。お寺は見えているのに駐車場の入り口がわからず、グルッと回って妙覚寺へ。

Img_9180 3時を少し回ったところだが、拝観受付は終わっていた。ダメモトで尋ねてみたが、快く受付けくださる。ライトアップは、Img_9186夕方6時からだ。

 ここも拝観者はぼくたちだけで、ゆっくりさせてもらえた。

Img_9191 やはり日蓮宗の本山である。いまでこそ寺基は普通が、室町時代には、山内に百余りの塔頭と、末寺千ケ時のImg_3396大本山であったという。ところが、天文年間に比叡山による日蓮宗二十一ケ寺をすべて焼き払いによって壊滅的な打撃を受けた。比叡山による大谷破Img_9230却(本願寺弾圧)の60年後のこと。比叡山は、信長の焼き討ちの被害者(仏敵とする)であるように振舞うが、新興仏教(浄土・日蓮、禅)に対して、武力Img_9248行使して弾圧し続けていたのである。そのころの本願寺は、山科本願寺が焼け落ち、大坂(石山)本願寺にに移転したころた。当時は、盛んImg_9231に法華宗と一向宗は武力衝突をしていたようである。

 その後、信長の庇護をうけ、彼の京都での常宿になっている。信長の上洛20数回Img_9225のうち、この妙覚寺18回、そしてやはり日蓮宗の本能寺か3回だけで、その3度めが本能寺の変であるという。通常なら、「妙覚寺の変」になっていたというのだ。これも今Img_9238回、拝観して知ったことである。

 というのも、美濃領主斎藤道三が、幼少期にこの寺の小僧であり、彼の息子が継職をすることになったからだ。斉藤道三は信長の舅にあたる縁もあった。信長は、比叡山や本願寺の天台系と抗争関係にあり、京都で両者に対抗しうる勢力である日蓮宗と結んだということにもよる。

Img_9268 しかし、度重なる戦火や火災で移転を繰り返し、往時の大本山を窺わせる面影はななImg_9279い。

 法姿園という自然庭園の紅葉が美しかった。曇りだったことと、まだ少し見ごろには早いようだか、なによりも靜寂さは貴重だ。箱庭もお洒落だ。決して広くはないが、混雑している京都の紅葉の穴場である。拝観料800円也。次回は、拝観時間の関係で諦めた妙顕寺と、ライトアップの時に訪ねてみたい。

 ささやかではあるが、母の83回目の誕生日を、木屋町通にあるフレンチのお店でお祝い。新規開拓のお店だったが、リーズナブルでおいしく頂けました。
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