カテゴリー「京都」の168件の記事

京都鉄道博物館

Img_8702 午後から、梅小路にある京都鉄道博物館に行く。

 近いので何度も前を通りながら、子供たちでもいないと来ることはなかった。列車には興味がないので、とちょっと渋っていた母も一緒Img_8674に連れ出した。最後は、「興味のないものでも、楽しかったわ」と話していた。

 平日の午後で、空いていた。おかげで、Img_8659ゆっくりと、巨大な鉄道ジオラマを観たり、運転シュミレーションもできたりと、けっこう楽しかった。かなり広い施設で、母の歩くペースと、自由に動く子供を探す作業?もImg_8642あったからだが、旧来からあったSL館には寄れないまま、閉館となってしまった。SL館は、小学校時代から、それこそ何度も来Img_8650ている。

 ぼくも、子供たちも、それほど鉄道に興味があるわImg_8610けではないので、二度めはもういいかなーという気はする。たぶん、水族館の方が好きだろう。しかし、大人の方でも、鉄道好きな方にはおススメである。

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宝ヶ池~珍しい訪問者~

Img_8531_2  言葉が分からないが、雪に大興奮なのはおばあちゃんだった。この旅で生まれて初めて雪を観たという。日曜日は、大雪の広島を堪Img_8527_2能したそうだ。もう少し歩きたいというリクエトスで、近場で、まだ雪があるだろうところを目指す。日曜日の都道府県対抗女子駅伝で大雪になっていた国際会議場あたりを、車窓から覗き、宝ヶ池に戻る。宝ヶ池に、この季節、夕方に訪Img_8536れる人はまずない。

Img_8540 それゆえだろうか。珍しい訪問者が駐車場にいた。鹿が三匹も降りてきている。野生シカが、こんな都会に出てくることに驚いた。が、驚いたのは鹿も同じことで、すぐに少し小高い場所に逃げた。人間を警戒している。奈良や宮島ように、餌付けされ飼いImg_8545馴らされたものとは違う。山から、交通量のある道を横切ってここまImg_8549できたのだろう。警戒しつつも、まだ見えるところで草を食べ続けていた。

 宝ヶ池は靜寂。訪れる人もいない。墨絵Img_8561のような風景だった。

 雪にいちばん喜んでいたおばあちゃんは、ちょっとした雪合戦をしたりして、はしゃいでいる。
 ぼくも今回、予期せぬ形で、国際会議場や宝ヶ池の雪景色を見ることが出来た。雪の金閣寺も、生まれて初めてである。来客でもないと、まず訪れることはなかっただろう。
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雪の金閣寺

Img_8472  ブラジルからのお客様を連れて、京都を案内する。

 両親がイタリア系とドイツ系なので、ギリシャ彫刻のような白人男性だ。それが大の日本好き。そしてオタクだ。しかし趣味の世界だけではなく、サンパウロ大学で日本語を学ぶ秀才である。ブラジル人Img_8488といえば、陽気で、女性にやさしく、サッカー好きでというイメージがあるが、中には、人見知りで、ハグも苦手で、サッカーよImg_8507りもJ-POPが好きなブラジル人もいるのだ。「ぼくは前世で日本人でした」という流暢な日本語で、ご挨拶。これが待望の初来日で、見るものをすべてが珍しく興奮している。しゃべるだけでなく小説を読むレベルImg_8513でも漢字も読解できる。街角の表示などなんなく読んでいる。

Img_8518 京都の超定番の観光地、金閣寺へ。週末に降った雪景色を、ちょっとだけは期待しはいた。

 期待以上でした、美しかった。

Img_8512 池も凍り付き、雪も降りだした。

 それにしても、たくさんの外国人観光客で、混雑してました。
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智積院の紅葉

Img_5593 桜と紅葉のシーズン、両親と京都のお寺に行くのが恒例になっている。昨年からは、母一人だけになった。だんだん歩くのも不自由になって、石畳や階段の多いところは無理だ。できれば、観光客でImg_3040_2ごった返してるところもダメだ。昨年の山科の勧修寺~随心院は、その意味ではよかった。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-379e.html紅葉シーズンの京都で、あまり行ったところ以外で、歩きやすい、人出の少ない穴場を探すのは、難Img_7015_2くなっている。しかし。今年は、早々に決まっていた。しかも、9月に下見をすませImg_7031_2ているのである。聞法旅行の時、東山七条の智積院の会館で昼食を食べた。少し自由散策の時間もあったが紅葉が多かった。添乗員のNさんからも、「ここの紅葉は、当たり外れがないでImg_3041_2よ。東山の便利な場所なのに、穴場です」と教えてもImg_6999_2らったからだ(1枚目の写真)。しかも、会館から15分もあれImg_7126ば着く。

 支部法座と寺院布教の間の1日(11月22日)、智積院へ。晴天。暖かい。東大Img_6984_2路に入ると、観光バスが多く東福寺あたりは渋滞中。観光寺院の駐車場は閉鎖中で、その先の清水寺界隈では周辺のコインパーキングまで閉鎖しているとの掲示。智積院は、Img_7095東大路七条通の交通至便の場所だ。観光バスがドンドンはいてくる。恐る恐る駐車場に行くが、乗用車はまったく並んでいない。少し待つだけで駐車できた。しかもである。無料ときている。

 観光バスは昼食のための団体で、拝観とは別のようだ。本願寺のImg_6982_2伝燈報告に合わせImg_7125た団体もあって、話しかけると兵庫県の人達だった。これから本願寺に御参りするという。

 さっそく境内へ。見事な紅葉だ。青空にも生える。赤、黄色、ダイダイに、緑と、まさに錦織りなすである。

Img_7052 混雑もそれほどでもない。しかもである。駐車場だけでなく、本堂も、この見事な紅葉の境内も、拝観料はいらないのだ。これには一番驚いた。京都の有名寺院で、浄土真宗以外でこんな太っ腹のお寺は少ないのではなImg_3067_2いか。

 真言宗智山派総本山。正直、智山派とはあまり聞いたことがなかった。なんとImg_7092末寺は3000ケ寺もあり、その中には、節分で有名な成田山新勝寺、初詣の川崎大師、そして高尾山の大本山に、大Img_7077_2須観音などの別格本山もあるとのこと。どこも超有名な、しかも関東の裕福なお寺ばかりではないか。その総本山ともあると、これだの余裕があるといことか。

Img_7103_2 智積院というと障壁画が有名だ。国宝の長谷川等伯の障壁画は、彼の作品のなかでも逸品中の名作で名高い「楓図」Img_7034_2_3と「桜図」などを所有している。どうも、そのイメージが強すぎて、こんな立派な庭園があることをしらなかった。ということで、ここは拝観料をはらって、国宝の障壁画の数々と、名勝庭園を散Img_3069_2策した。書庫にあった等伯障壁画の模写で彩られていた。忠実に再現されたものだろうが、ホンモノを見た後では、違いは歴然。不思議なものだなー。さImg_7117_2らに、講堂には、平成になってたからの新たな襖絵の逸品が奉納されていて、墨の濃淡だけで描かれる四季も見事だったが、こちらは撮影禁止だった。

 母のゆったりしたペースに合わせたこともあったが、紅葉だけでなく、障壁画に、庭園も、たっぷり堪能できて、みんな大満足であった。Img_7000_2Img_6985
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西本願寺から東寺へ(2)~東寺かんらんさい展で驚く~

Img_6153  西本願寺から東寺に向う。
 
  共に世界遺産の国宝の有名寺院だが、通称であって正式名称ではない。西本願寺は、普通に「本願寺」、東寺は、ちょっと難しくて「Img_6173教王護国寺」である。

  閉館時間の関係で、宝物館はパス。

Img_6165 講堂には、空海が密教の教え、その宇宙観を、21躰の仏像で顕わした立体曼荼羅が圧巻で、見事。静寂の境地の如来よりも、菩薩、さらには複数の顔、腕、足を持Img_6172ち、憤怒の相の明王、そして仏教守護の四天王や梵天・帝釈天の神々のほうが、人間に近しい表情で、生き生きとしている。五智如来以外は、国宝指定である。

Img_6178 でも東寺のご本尊は、金堂に安置されている薬師如来さまだ。両脇に、日光・月光両菩薩を配し、台座に十二神将が守る、巨大な仏像。ちなみに国宝の金堂は、いま、進行中の真田丸の世界で、豊臣秀頼が発願し、片桐且元が奉行となって再興されたものだ。

Img_6179 東寺といえば、国宝の五重塔だ。前に拝観したときは内部が特別公開中だったが、今日は外から。何度も火災や雷、地震で倒壊しているが、徳川家光の再建。寛永年間(1644年)に再建されたが、それは、西本願寺の御影堂も同じこと。御影堂は、寛永年間(1636年)だ。そう考えると、興味深い。

 国宝の大師堂は工事中で、お大師様も出張中。横目に眺めて、食堂(じきどう)へ。閉館時間だったが、最期まで、待って下さった。

  いま東寺かんらんさい作品展が開催されている。以前から、ある方がその関わりを聞いてはいた。彼が、文章を書いていることも知ってはいた。が、こんなにたくさんの作品の初めの言葉を、こんなパネルで署名いりの展示され、チラシの案内文も彼の文章で、ビックリした。華光大会中も、まだ開催されています。食堂(じきどう)は、無料で入れます。

 ぜひ、運営委員長のRさんのお言葉に接してみてください。

http://www.kanransai.com/index.html

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西本願寺から東寺へ(1)~伝道院のアートに驚く~

Img_6118   東京支部でいつもお世話になっている同人が、初めて奥様を連れて来館された。かなり早くから相談を受けていた。なんでも、前の所属の会で嫌なことがあり、関心を持ちながらも法座参加に踏み出せない奥様を会館に連れてくることが実現した。昨年は、東寺までご一緒に、今年、法座のはない日に会館までお参りくださる。少しずつだが、確実に前に進んでこられた。そして、どうやら今度のことで、ご法座にも参加いただけそうImg_6119だ。

 3日間の京都旅行なので、今日は奥様のリクエストで近場のご案内をする。
 
  龍谷ミュージアムへ。伝燈報告法要記念のImg_6121「浄土真宗と本願寺名宝Ⅰ」展が開催されているのだ。招待券もたくさんあったので、ご案内することにした。

 まずは、西本願寺にお参りする。経蔵も一昨日の夜とは違う。
 先日の夜間から昼間の本山。でImg_6115も、いつもとは雰囲気は違う。伝燈報告法要の合間なので、国宝に指定された姿勢阿弥陀堂、御影堂ともにパイプイスが並べられている。カーペットに、隙間なくイスが並んでいる。確かに壮観のだが、いつもの日頃の広大な畳敷きを知っていると、障害物がある分広さが感じられないのが不Img_6143思議だ。

 伝道院を案内する。本願寺をお参りされても、ご存じない方が多い。伊東忠太のモスク風の建物の重要文化財だ。普段、内部は非公開。今日も、外部からの見学だと思っていたら、門が開いている。Img_6136伝燈報告法要の一貫で、「京都国際映画祭」(アート部門HPはこちら→)            http://kiff.kyoto.jp/art/とタイアップして、現代アートの提示会場となっていいたのだ。

Img_6144  ラッキー。つい先日まで、Rちゃんが絞られていたところで、明和電気などのさまざまなアーティストが、「燈を伝う」のテーマで出展されている。各教室が、「清浄」とか「不断」とか、十二光になっているのも、共時性なのかもしれない。残念ながら、内部の写真Img_6150撮影は禁止。普段のイメージからすると、少々違和感のある作品が多かったかなー。それでも内部をじっくり見学できたのが、有り難かった。

 本山に戻ると、まったく見慣れないゆるキャラが立っている。この映画祭は、吉本興行関わっている。これも吉本新喜劇のキャラのようだ。伝道院といい、まったく予想外で面白かった。
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        ≪もうすっかり秋の空≫

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西本願寺ライトアップ

  連休3日目、会館での聖典講座。智慧段(胎化段)といわれる一段の2回目で、ここで正宗分(本文)が終了する。
 詳しくは、また後日、報告するが、聖典講座を終えてから、西本願寺に向った。

Img_6099 10月1日から西本願寺で始まった伝燈報告法要に合わせて、Img_6063記念行事が多数行われている。 その一つが、西本願寺の夜間特別拝観だ。

 最終日、大勢の人で賑わっている。お気持ちを納めて、境内へ。ここで、うまい具合にRちゃんとも合流することができた。

Img_6105_2_3 国宝に指定された御影堂や阿弥陀堂、経蔵に、大銀杏などもライトアップされていた。雅楽音も、彩をそえている。

 が、しかし、残念ながら、
「「花灯明(はなとうみょう)」のタイトルで参拝を呼びかける。青、黄、Img_6089赤、白の4色のライトで照らし、仏教経典の仏説阿弥陀経に書かれた極楽浄土の世界を表現する」と新聞記事にはあるが、「お浄土の再現」というには、ちと遠い内容だ。『大無量寿経』の現土証誠の段を読んだあとなので、なおさらだな。

 Img_6073_2幻想的だったのは、飛雲閣だ。金閣・銀閣と並んで、京の三名閣に数えられている。一説では、秀吉の聚楽第の遺構とも言われているが、定かではない。(写真は、京都タワーとの共演)。

Img_6065_2 水面に浮かぶ飛雲閣は、暖かな光が内部から照らして、幻想的であった。混雑していることもあって、写真撮影は厳禁だったのは残念。外から、一部を垣間見える程度を撮影したが、うまくは撮れなかった。

Img_6101 左右非対照の三層構造。屋根も丸みのもの、三角のものとさまざまに変化させ、しかも中心をずらした二層部、三層部が、見事に配置されている。二層は、三十六歌仙が描かれた板扉だが、外側からも一度をみることが出来た。これまで、何度も拝観させてもらってきたが、夜間のライトアップは、すばらしかった。

 せっかくRちゃんとも合流できたので、近くの居酒屋で一杯呑んで帰Img_6078ることにした。興正寺の並びにある焼き鳥さん。いやいや、長年、この前を通ってきたし、何度も興正会館に宿泊しているのに、不思議なほど覚えがない。それまで関心がなんというのは、そういうことか。庶民的な値段で、大いに賑わっていたが、名古屋では、ノンアルコールだった連れ合いも、今日は上機嫌。お浄土の再現より、今生の百味の飲食の方が、いいのだろう。
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          ≪経蔵↑≫

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京都の親鸞聖人聖跡巡拝の旅(9)~番外篇

 今回の京都の親鸞聖人御旧跡は、お誕生からご流罪までの35年間が中心で、帰洛後30年の晩年やご往生後のご旧跡は訪れなかった。3日間の計画の時には予定に入っていたが、写真程度だが、興味のある方は京都にお出ましのおりにはぜひ。

Img_2339_3ご往生の地(光円寺)

 『伝絵』によると、60歳を過ぎて、京都に戻られた聖人はそのお住まいを転々と移っておられる。そのうち、「五条西洞院」に一時お住まいになる。いまの、松原通西洞院である。現在の五条通りは第二Img_2338_2次大戦の建物疎開で道幅が拡充されて、鴨川にかかる五条大橋には「弁慶と牛若丸像」が建っている。が、しかし、もともとの五条通は、今の松原通あたりなので、この松原京極の商店街のロゴも、弁慶と牛若丸である。

 この商店街の一角に、ひっそりと光円寺は建っている。同じ『伝絵』の平太郎の熊野詣で有名な大部平太郎が、この地を訪ねている。お寺の伝承では、この地で、親鸞聖人が遷化されて、すぐに遺体は、聖人の弟、尋有(じんゆう)の坊舎である善法院跡に移されたと言い伝えられる。

Img_2804ご往生の地(善法院跡)

 ここは、比叡山から六角堂に行く時に、バスの中から拝ませていただいた。昔は、この碑が、柳池中学校の敷地内にあって御参りしずらかったが、学校統合で御池中学校になったのを機に、前面に碑が出されている。東本願寺ではここが往生の地だといっているが、今日ではその説が有力である。

 『伝絵』には「押小路南、万里小路東」とある。また関東の高弟であった高田の顕智が訪ねた記録では、「三条・富小路」の御坊とあるのとも、符合してくる。しかもこの地の町名は「虎石町」である。善法院の井戸跡から堀り立たれた虎が伏したような石が、町名の由来だというのである。

Img_3178_3ご往生の地(角坊)
 
 ところが、西本願寺では、右京区山ノ内こそがご往生の地といっている。昔は、角坊別院(いまは、日野誕生院と同じく本願寺飛び地Img_3180境内)が建っていて、中央仏教学院が隣接している。しかし、ここに角坊が建ってたのは、比較的新しくて、江戸末期、聖人の六百回忌の時のことである。

大谷本廟

Img_7119 西本願寺の親鸞聖人の御廟。清水寺に隣接する。今回の旅では、往復この横を通った。東本願寺では、大谷祖廟といって、祇園の八坂神社や吉水の草庵跡に近い。親鸞聖人の墓所、特にお骨をおまつりしているところは、京都以外にもあって、その中でも有名なのは越後の浄興寺。聖人Img_7114の頂骨が安置されているという。十派以外のご本山である。

 そして、その近くまで行きながらまだ訪れたことがないのが、荼毘の地と伝えられる今熊野の延仁寺である。今秋の紅葉のころ、ぜひお訪ねしたいと思っている。

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京都の親鸞聖人聖跡巡拝の旅(8)~ご参籠の地・六角堂

 Img_5942雨の中、坂道を少し歩かねばならなかったので、しんどくなられたり、転倒される方もあったが、どうにか、京都市内の六角堂に向う。親鸞さまが、比叡山を降りて六角堂に向う故事に倣って、ここが最後の御旧跡の地となる。時間が許せば、聖人の臨終の地といわれImg_5954る善法院跡の碑で結び話もあったが、連休中の京都市内は渋滞していおり、六角堂で最後となった。

Img_5957 六角堂は、烏丸御池を下った、京都市内の中心部にある。誰かが都会の中のビルの合間にあるんですね」と驚いておられたが、回りのビルも池坊で、ここのご住職もImg_5962_2池坊、つまりはすべて池坊グループというのか六角堂グループ。ここは、華道発祥の地でもある。聖徳太子さまは、なんでも初めての御方なのだ。

Img_5946 古来より、観音さまの霊場として、聖徳太子のゆかりのお寺として繁栄するが、境内には、へそ石があって、これが平安京造営Img_5953の基準になったとも言われている。京都には、金閣寺、銀閣寺、東寺など俗称が全国区になっているお寺が多い。ここも、また正式には頂法寺というのだが、それを知っている人は稀だろう。お堂の形が六角形なのでImg_5951、六角堂と称されている。

 もちろん、親鸞さまがここに籠もられたのImg_5952は、聖徳太子さまを「和国の教主」(日本のお釈迦様)を敬愛されていたからである。その九十五日目の暁に、聖徳太子のご示現によって、聖道自力の教えを捨てて、法然さまの専修念仏の道を歩まれることになるのだ。青蓮院のところで触れた、20年間の回り道の話である。

 ご本像は、観音菩薩であるが、右手に親鸞聖人、左手に聖徳太子をおまつりされていて、それぞれ扁額も掛かっている。また境内には、親鸞堂があるが、そこには、御籠りをしながら、夢ともうつつともその境界がなくなっている親鸞様の夢告像が安置されている。このあたりは、新しい建物ではある。 下の写真は、六角堂の正面と、夢告像。

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 雨の影響も最小限に、こうして、無事、2日間の行程を終えた。
 いつも京都に来ても、華光会館だけという方には、聖人のご旧跡地を回るのは初めてだという方も、多かった。比叡山だけは行ったことがあるという人でも、東塔(根本中堂)だけという方もあったので、皆さん、たいへん有意義に、2日間の旅を終えてくださったのではないだろうか。

 ところで、今回の京都の親鸞聖人御旧跡は、お誕生からご流罪までの35年間が中心で、帰洛後30年の晩年やご往生後のご旧跡は訪れなかった。ただ、このブログでもちょこちょこその点には触れてるので、番外篇として結んでおこう。

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京都の親鸞聖人聖跡巡拝の旅(7)~ご修行の地・比叡山(横川篇)

Img_5879 比叡山の三塔の中でも、訪れる人が少なく靜寂の中にある。しかも、今日は雨が降っている。この地は、慈覚大師円仁によって開かれImg_5922たが、私達には、源信僧都が15歳からこの地で修行され、『往生要集』や『横川法語』などを顕された、日本の浄土信仰発祥の懐かしい地である。

Img_5886 しかも、今年は、源信僧都の一千年大遠Img_5885_2忌に当たっている。正式には、恵信僧都源信と申される。横川の中心である横川中堂は、新しい建物だが朱塗も鮮やかだ。鐘楼を抜けImg_5889て、少し上り坂を登ったところに、恵心堂がある。同朋観光の熱意で、お堂をあけて、特別にご説明をいただく。これが、法話なのか、漫談なのか、よくわからない内容だったが、雨の中立ったままで、長い話を聞かされて、いささか皆Img_5899さんもお疲れになられたようだ。

  ご本尊は、源信さまお手製といわれる阿弥陀如来で、その阿弥陀様とつながる形で、五色の紐がつながっている。浄土教が大切にしてきたImg_5890臨終行儀にも関わる。もちろん、平生業成の浄土真宗では、そんなものは不要であることはいうまでもない。平生の時に、泥凡夫の私が称える「南無阿弥陀仏」で、すでにもう充分なのである。

Img_5907 しかし、源信さまを通し、法然聖人を経るからこそ、親鸞様のお出ましがかなうのであって、ここをくぐらなけれど、浄土真宗のみ教えは生まれず、同時に、浄土真宗では捨てものであることもわかるのである。
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  ≪恵心堂↑ と 阿弥陀如来像↓≫
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