カテゴリー「京都」の209件の記事

京都タワー

 今回の同窓会。いつもの東急ホテルではなく、京都駅前の京都タワーホテルが会場。

 57年以上京都にいるが、京都タワーホテルを利用したのは、今回が初めてだというのが不思議。

 その縁もあって、みんなで京都タワーの夜景を楽しむことになった。

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 ぼくの記憶では、京都タワーに登るのは、これで3回目。それでも、夜間は初めてである。これもまた面白い思い出。

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 〈任天堂を目印に華光会館を探したが、、残念〉

 

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「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」

「踊り念仏」で有名な時宗の一遍上人の展覧会である。一遍上人は、別名「捨聖」とも呼ばれた。特定の寺院に止まらず、もちろん宗派を開かず、財産もお聖教も捨て、ひたすら全国行脚(遊行)して、身分の隔てなく念仏札を配り(賦算・人々の念仏を結び、極楽往生できるという証)、踊り念仏を勧めるご生涯だった。

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 あまり時宗には詳しくないが、このブログでは、ウド鈴木が演じた映画『一遍』のことや、別府地獄を鎮めたいわれで時宗のお寺におまいりしたとき、踊り念仏をご縁にあったことなどが、直接関係する話題。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-676e.html

 さて今回の見どころは、国宝の「一遍聖絵」。法然展など、何度か観たことはあるが、前後期を合せて「一遍聖絵」が全巻展示される。たいへん詳細を描写で、当日の風物や時代が偲ばれる逸品だった。

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 個人的には、西山派の影響が色濃い(證空上人の孫弟子、法然様からは曾孫弟子になる)ので、浄土宗との関係の展示が面白かった。また、阿弥陀様の立像が尊く思えた。殊に知恩院にある法然様の臨終仏のおいわれも尊く、その着衣も独特で心引かれた。二河譬や当麻曼陀羅など、時宗以前のもの方が、ぼくには馴染みがある。

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 今回は、たまたま説明をくださった方があった。その話で面白かったところ。

 ある時、一遍が出会った僧に、念仏札を渡そうとするが、「信心がない」という理由で拒否される。押し問答の上、無理に渡すが、その対応に悩んで、熊野に参拝する。すると、夢告で、山伏姿の熊野権現が現れ、
「なぜ、間違った念仏を勧めているのか。あなたの勧めによって、初めて人は往生できるのではない。すべての人々の往生は、十劫というはるか昔に、法蔵菩薩が覚りを得て阿弥陀仏に成った時、南無阿弥陀仏と称えることにより往生できるのである」と語ったられた。この時をもって、時宗では立教開宗としているそうだ。
 ちなみに、熊野権現の本地は阿弥陀様で、浄土真宗でも「平太郎の熊野詣」が有名である。

 「法然や親鸞よりもさらに進化して、信心も念仏すらいらない。身分の分け隔てなく救われる教えが、後発でありながら、たいへん民衆に師事されたという」言われた。うーん。ぼくには「?」。確かにすべてを捨て去る潔さ、踊躍歓喜の身のあり方、心ひかれる点はあるが、それは発展というより逸脱ではないのかなーと。

 ただし、信心など難しいことはいらない。すでに阿弥陀様が十劫の時に成仏された時に、衆生の往生も決定しているのだという「心情」(十劫安心)は、表現に注意されながらも、今も真宗者にも色濃いかもしれませんね。

 そんなことも考えさせられた展示だった。南無阿弥陀仏

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東本願寺の和敬堂

  連れ合いの演劇公演が、東本願寺の「しんらん交流館」である。

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 朝、準備ために訪れる。準備が進んでいた。

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 差し入れのお酒を持ってきた。大吟醸、純米酒、焼酎の3本である。ここで、姉弟での共演があった!

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 公演は夕方からなので、一端、戻ることにしていたが、久しぶりに東本願寺にお参りした。ひとつ目的があった。

 「和敬堂」を探す。すぐには分からなかったが、阿弥陀堂の端にある同朋会館のところにある。別に建物や、誰かに合いに来たのではない。

 和敬堂の看板が目的である。

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 この看板、高山の一位一刀彫の名人、東勝廣氏の作品なのだ。書は、三島多聞師。
 制作途中ものを見せてもらったが、そちらはもってノミの後が荒々しくついていて、迫力があった。完成作品は、青色が塗られ、ゴツゴツした荒い感じはうすらではいた。

 もちろん、看板だけを拝むのでなく、御影堂にも、阿弥陀堂にもお参りしてきた。

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 夜の公演が楽しみだ。

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お旅所の桜

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今年の冬は、暖冬だった。ただ乾燥ぎみで、手足(特に足)の乾燥肌でかゆみが続いて、掻いて炎症を起してしまった。

滅多に病院にはいかないが、久しぶりに皮膚科に入った。歯医者以外院にいくのは、5~6年ぶりか。珍しく、弱めのImg_2152
ステロイドも塗った。1週間で回復して、薬は不要と言われて、すぐに収まった。

帰路に通った松尾神社のお旅所。桜がきれいだった。西大路七条界隈は、松尾神社の氏子町ということなのだろう。

4月に入って寒くて、桜は長持ちしているようだ。

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高瀬川のサクラ(写真あり!バージョン)

Img_1955   4月に入って、京都は肌寒い日が続いていた。1日には、山沿いで雪が舞った。市内でも最低気温が2度までさがった。

 Img_1971  夕方、高瀬川のサクラを見たが、まだ3分程度というところ。開花した宣言のサクラも停滞気味だ。夜には、冷たい雨が降っていた。

 それが、4日の木曜日頃から、春の陽気に戻って、一気にサクラも満開に近くなってきた。

Img_1997  金曜日の自力整体の教室は、五条の河原町に近くて、木屋町のサクラを少し眺めた。今日(5 日の金曜日)の時点での満開宣言はでていないが、もう満開間近である。それにしても、ここ数日、京都の街は海外からの観光客で溢れている。賑やかなのは結構だけれもど、オーバーツーリズムの問題も身近に感じられる、今日この頃。Img_1994

 

 

 

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イルミネーション

 華光誌の発送が早くすんで、夕方から佐井通、五条通を下ったところにある「ローム」の本社に向かう。

ロームのイルミネーションの見学である。何年も前から噂は聞いていたのに、なかなか機会がなかった。1ケ月以上の期間があるのが、今日が最終日。渋滞を心配していたが、それほどの混雑はなかった。かなり前のところから、前方に、金色の光が、眩い輝きを放っているのが見えてくる。子供たちからも歓声があがる。

渋滞もなく、駐車場も空いていて、回りを散策する。確かに美しい。しかし、今日は寒かった。 った。
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豊国神社~方広寺~耳塚

Img_9711 マチャプチャレは、正面通という東西に走る道に面している。正面通は、渉成園、東本願寺、西本願寺で中断されるが、両本山の正門を通っている。そこは敬意をこめて「御前通」とも呼ばれいるのだが、しかし東西本願寺の正面から名付けられたのでなはい。「大仏」Img_9706正面という意味である。京都に大仏? 実は、ここには奈良の大仏殿の三倍!という巨大大仏殿があったのだ。豊臣秀吉の造営である。何度も火災や大地震の被害をImg_9700受けて、今はもうない。

 今は正面に秀吉を祀る豊国神社がある。せっかくなので、ちょっと参拝。この唐門も、国宝にImg_9701_2指定されている。

 たまたま結婚式の最中で、生の雅楽の雅びの音色が響いていた。

 大仏殿はないが、豊臣家が滅亡の口実にイチャモン(陰謀)をつけれらた「国家安穏、君臣豊楽」の銘が入った方広寺の大梵鐘は残っている。巨大もなImg_9717のなのに、戦中の金属供出を逃れたのだらう。

 すぐ近くに耳塚という供養塔が建っている。秀吉の朝鮮出兵時、各武将が戦功の証として、朝鮮人のImg_9721耳や鼻を塩漬けにして持ちえ変えたものだ。本来なら、首なのだろうが、嵩張りすぎたのだろう。当日、朝鮮半島では、耳や鼻のない人がたくさんいとう文献を読んだこともある。
 今回は行かなかったが、豊国神社には馬塚という立派な五輪塔もある。

 耳塚の向いにある老舗の和菓子、甘春堂で一服する。久しぶりにお抹茶を頂いた。小学校の頃かImg_9722ら、ぼくは苦い抹茶が好きだった。今は、世界的にも抹茶味がブーム。

 Kご夫妻ともお別れの時が近づいた。最後に奥様からご信心の話題がでた。

 一味であっても百人百色の姿があるのが仏法である。老若男女、国柄、そして性格も違うのだから、それは同然だ。しかし、他力の本願のご回向であるのながら、その底は一味の味わいが流れている。凡夫は凡夫の仕事をし、仏様の仕事はとってはいけないのである。私に仏様の心配は入らないのである。
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(↑盛り土の上に五輪塔の耳塚)

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三十三間堂(2018年紅葉京都(5)

Img_3502 外国からの来客があると、京都で案内する場所は、近場の西本願寺、東寺、そして三十三間堂というが、ぼくの定番である。最近でも、昨年の8月にアメリカのご一家を、台風の中でご案内している。

Img_3503 中でも東寺の立体曼陀羅、それ以上に三十三間堂の千体の観音菩薩像は、圧巻の一言で、皆さん感銘をうけられる。

Img_9662 「観音さまは、冠に、おアミダさまを頂かれ」

 という子供の聖典を通り、十一面観音は、十一のお顔と共に、正面の冠に、阿弥陀様の化佛を頂いたおられるのであImg_9670る。そのことを説明すると、いたく感心していただいた。
 そして、二十八部衆と、雷神・風神像は、鎌倉期のすぐれた写実的な表現。人間に近い天部は、表情も豊かで、いろいろな特色があってなかなか面白い。「これウルトラマンのモデルですよ」とか「この人、もともと赤ちゃんをさらって食べてたのです」とか、「四十八願の二十六願にImg_9678あるように、本願力で凡夫ものこの仁王さんのような力を得るのですよ」と、トレビアを交えながらの拝観である。

Img_9673 中央のご本尊で、巨大な十一面観音も国宝、さらに左右シンメトリーに置かれた1000体の観音様も、風神雷神に、二十八部衆もすべて国宝に指定されているのである。指摘されている。特に、今は、通常は、3つの国立博物館に出張中の菩薩方もお帰りになっていて、1001体のすべてが揃っておられる貴重な時季である。

 そして、ここは法然上人の遺跡でもあることは、以前も触れた。その因縁も興味深い。このImg_9665_2ことは、ここに詳しく書いでいる。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-49aa.html

 お庭も散策したが、紅葉も見頃できれいだった。お堂の中で堪能するので、ぐるっとお庭までは拝観しない。

Img_9683 三十三間堂は通称で、正式名は「蓮華王院」。連れ合いが、芝居の舞台から、「一間は、柱と柱の間一つ。畳の長い(立て)幅で、約1・8メートル。いまでも、芝居の時の舞台の単位なんです」と、教えてもらった。成人の日には、通し矢が行われる。着飾った晴れ着姿の女性など競う姿は、、正月の風物詩。
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久々のマチャプチャレ

Img_9656 永観堂と、午前中、東福寺を拝観して、たっぷり紅葉は堪能した。

Img_9657_2 お昼は、オガニックカフェのマチャプチャレにお邪魔した。食事をするのは何年ぶりかである。連れ合いと何度か来たが、臨時休業のことか多かったのだ。

 元連れ合いの絵に囲まれながらの食事Img_9652である。 

Img_9654 ママも、大将も元気で、天然木のログハウスの建物や、京都に数台しかないというパラゴン(スピーカー)のこと、ジャズのこと、ネパールのこと、自然食品のこと、そして北海道のことなどなど、ずいぶん話題が広がった。ここのママは、余命数カ月のガImg_9655ンと宣告されるが、食生活を変え、生活を変え、生き方を変えられたら、ガンを克服されて、ますます明るく、元気になられたのである。

 「かりもんさんが元気そうで、うれしいわー」、こちらが元気をもらった。

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東福寺の紅葉(2)方丈篇(2018年紅葉京都(4)

Img_3467 通天橋庭園から、方丈の庭を拝観する。釈尊の八相成道にちなんだ、八相の庭が有名だ。

  方丈とは、禅宗での僧侶の住居だったのが、相見(応接)の場とImg_9576しての役割を担うようになった。明治期の火災によって焼失したものう再建されたのだが、庭園は、昭和に入り、作庭家Img_3465の重森三玲によるのもなので、モダンな匂いがする。それでも国指定の名勝の庭園だけあって、禅寺の趣と、気品を兼ね備えている。東西南北にそれぞれ庭を拝して、南庭を5つ分けて、釈尊の生Img_3472涯の重要な八つの出来事(1受胎、2出生、3処宮、4出家、5降魔、6成道、7転法輪、8入涅槃)に重ねているという。八相成道は、『大経』でも、その会座に集う菩薩たちもまたその歩みをしている。ちなみに、2のルンビニー、6のブッタガヤ、7のサルナート、8のクシナガラが四大仏跡ということになる。ただ、それぞれの庭が、釈尊の八相とどう対応するのかは、凡夫のぼくは不明だった。
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↑南庭は、大海に、蓬莱などの山々を拝した枯山水の庭
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↑南庭の西側は、「五山」に見立てた築山を配する
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↑西庭は、井田市松。さつきがの頃はまた見事だろう
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↑北庭は、さらに細かい市松模様。コケの緑と色紙が現代風
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↑東庭は、北斗七星に見立てられる。円柱の柱は東司(重文だが、早い話が便所)の石柱の余石
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↑国宝の「三門」。楼上には極彩画が残っている。特別拝観の時だけ拝観できる
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↑たまたま撮影で開門されていた本堂。三月に開帳される涅槃図が有名
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↑本堂の天上の龍は、堂本印象画伯の作。

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