カテゴリー「法味・随想」の269件の記事

7月の「仏書に親しむ会」

 7月の「仏書に親しむ会」。伊藤康善先生の『仏敵』にはいまりした。前回は、総説だったので、今月は、第一章から、順番に声に出して読んでいきました。特に第一章の京都の描写は、小説そのものです。そして第二章の(一)は当専寺でのお母様との対話、(二)は野口道場に堀尾よしさんを見舞うシーンまでで読むました。

 ワクワクしてきました。この先が読みたいというところで、今月は終了。難しい言葉にだけ解説を加えましたが、声に出して読むだけでも楽しかったです。
 皆さんも口々に「楽しかった」とか、「よく分かった」とか、「今まで、食わず嫌いならぬ、読まず嫌いをしていたが、面白かった」などの声が聞かれました。

  せっかく乗ってきたのに、8月は子供大会やお盆参りがあるので、休会です。

 次回は、9月4日(水)夜6時50分~夜9時
 いよいよ核心に入っていきます。伊藤青年が、およしさんに会って、四方山話から、いきなり核心を問う、「おばさん、ときに自力他力の水際は、実際、心の中ではっきり分りますか」と、突然切り出されるところからです。この勇気ある切り出しが、今日の華光会の第一歩となるわけです。

 

|

大谷大学での真宗連合学会

 真宗連合学会に出席のために、久しぶりに大谷大学へ。長らく学会発表はしていないが、発表や講演を聞くだけでも刺激がある。専門分野でなくても、いくつか面白い発表を聞けた。

 ぼくの学生の頃と違い、最近の院生(ドクター)の発表は、かなりレベルは高い。ただ、学生の先生の違いは、発表の態度にはっきりにである。学生は、主張を一方的に目一杯するので余裕がない。先生の方の発表には、まだ余力が感じられて、その分、深みがあるように思える。

 講演は、大谷大学名誉教授の延塚知道先生が、「『大無量寿経』と『教行信証』」と題して。延塚先生のお話をお聞きしたいと思っていた。ただ、分かり易いようで、少し理解し難いところもあった。結局、何がおっしゃりたいのだろうみたいな、。学会の記念講演なのに、映画『ビリギャル』の話題(「バカな生徒がいるんじゃない。バカな先生がいるだけだ」)というような、法話みたいところあった。そして、そんな立派な先生ならお会いしてみいたと思えるが、それはちょうど東方を十方諸仏国土の菩薩方が、悪凡夫を救う仏様がおられるのならお会いしてみたいと、阿弥陀様の極楽浄土に往覲される。それまでの彼らは、何になりたいのか、何をしたいのかわからないが、阿弥陀様に出会って、このような仏になってみたい、こんな浄土を建立してみたいと願いと発願すると、阿弥陀仏から微笑みと共に記を授かり、そして力を得て、またそれぞれの国に帰っていくのだと。ある意味では、還相の菩薩方の活動相であると。その話が心に残った。

Img_2495

|

大きな宝

 法座が終わったら、「先生、となりの集落ですが、ぜひ、うちにもよってください」と誘われた。今は、生駒におられる同人のご実家である。急な話だったが、とても熱心に誘われた。なぜか車3台でお邪魔することになった。

 当家の主に「初めまして」とご挨拶したが、初めてではないことを思い出した。この方は、子供大会にも、仏青大会にも参加されている。そのお子さんも奥さんも、子供大会に参加されていて、実はよく知っている方であった。先代にも、先々代とも、華光とのご因縁のあるお家だ。いまは、疎遠になっているので、そのために引き合わせたいという、お気持ちであったようだ。

Img_2448

 それにしても、立派な仏壇である。それだけ、ご法に篤い家である。在家でありながら、男の兄弟が複数あれば、誰か一人は、必ず得度されるという。いまでも、ブラジル開教師として、ブラジル総長にまでなられたのも方も、ここの方で、彼の地でぼくの子供たちもお世話になったのだ。不思議なご因縁である。

 家宝として、「蓮如様のご真筆」と伝えられているお名号まで見せていただいた。うん、確かにすごい。しかし、ほんとうの宝は、この胸に他力の信心の燈火が灯り、この口から出る「南無阿弥陀仏」であろう。なんという大きな宝をもらったことなのか。

Img_2459

 また再び、仏法のご因縁ができることを願って、お別れをした。

|

『法然上人行状絵図』(1)

 3年間かけて、法然聖人の『選擇本願念仏集』の講読を受講した。途中(第4章)からの参加で、一番大切な第一章、第二章、第三章が聞けなかったのは残念ではあるが、ひとりで講本を読んでいるよりも、直接、講義をお聞かせいただくことは、意味が深い。文章にはならないつぶやきや雑談に、興味深いことが語られたりもするからだ。その後に、講義本を読むと、このように訳してあっても、別の解釈(訳)や背景があることが、よく分かるのである。

 今年から、『法然上人行状絵図』の講読が始まった。別名『四十八巻絵伝』と言われるが、法然聖人やその門弟のご一生を詳細に記述した絵巻物で、原本は国宝に指定されている。さまざまある法然上人の伝記の中でも、決定版である。全四十八巻、253段もの長編で(現存する絵巻物では最大といわれる)、「絵伝」なので、色彩鮮やかな詳細な描写が描かれている。何度か、博物館で現物を見ているが、絵画もすばらしい。詞書の内容は、単なる上人の一代期だけでなく、法語やお手紙も示され(たとえば18巻では、第18願に合せて、選択集の要文が示される)、また有力門弟の事跡も収められているのである。

 これは、法然上人の没後、100年に成立したといわれるが、内容的には、伝記以上に教学書としての意味がある。同時に、「法然上人-浄土宗-知恩院」の三位一体性が主張されるという。今日では、これは当たり前のことになっているが、当時の情勢を考えるとなかなか興味深い。

 法然上人滅後、さまざまな流派に分かれて教線を拡げるが、九州の鎮西にあった「聖光房弁長」(二祖)の鎮西義が、「良忠」(三祖)に継承され、関東、鎌倉を中心に勢力を延ばし、同時に知恩院を源流を築いた源智(紫野門徒)の流れを吸収して、西山派の勢力が強かった京都にも足場を作る。その後、鎌倉と京都を中心に六流に分派や、三河(徳川家の庇護)に進出などして大きな勢力となっていくのだが、法然上人の没後百年に合せて、第八世、第九世の時に完成しているのである。天皇の勅願であることを前面に出し、膨大な絵巻物を百回忌に合せて作りその力を誇示し、「法然上人-浄土宗-知恩院」の三位一体性で、他流に対して正統性を主張する狙いがあったのだろう。

 このあたりの事情は、浄土真宗でも似たものがあって面白い。親鸞聖人の血脈と墓所を持ちながらも、勢力では聖人の門弟系の教団に押されていた覚如上人が、三代伝授の血脈を主張のために『口伝鈔』や『改邪鈔』を顕し、異端を批判し、親鸞聖人の本流、正統性を主張する。さらに弁長や證空を批判(まあ、ディスる)して、その鎮西義や西山派に対抗しているのである。その覚如上人は、『御伝鈔』(親鸞伝絵)も作成している。権力の正統性を主張するために行うことは、みな同じということであろう。(本願寺派や大谷派からみれば、覚如さんは、ある意味での暗闘も経験され、ご苦労されています、ということになる。これはまた別のお話)。

 ちなみに、浄土宗や浄土真宗では「法然上人」だが、親鸞様は「法然聖人」を使われているので、ぼくも「法然聖人」と記述することが多い。しかし、ここは講義にならって、法然上人といたします。

   この記事、後半はあくまでぼくの私見ですので、、。

|

現代に『往生伝』は有効化か(2)

    まあ、それがだいたいの要旨ではあるが、ぼくも最後にいくつか発言した。
 一つ、浄土真宗では、江戸時代から明治期にかけて、『妙好人伝』が編纂されるが、浄土真宗の教義を逸雑する形で、臨終の奇瑞や臨死体験(蘇生)、死期の予言、来迎などが取り上げられたり、その人物像も、苦難を乗り越えて、正直、温和、孝行、また領主への忠義など、封建時代の倫理規範がそのまま反映されて、本来の浄土真宗の教義からはかなり逸雑しているが、民衆の要求には受け、また真宗の弘通には大いに役立ったこと。

 それが、現代では、教義体系の浸透し観念的な信仰となり、同時に、非論理的、非科学的な現象は切り捨てられて、たとえば三世因果や後生の解決よりも、「今を生きる」ことが中心課題となっている現状がある。

 一方で、今日取り上げられた、東日本大震災での「お迎え」現象は、確かに生きる者大きな力、癒しにはなるろう。それを頭から否定するつもりはない。では、それと浄土の教えとはどう関連するのか。ただ、科学や論理的なものさしで計りきれない、不思議な現象も、大いに役立つとしても、現状では浄土念仏とはまったく無関係である。それを前に、念仏者は、どう向きわい、折り合いをつけていくのか。そんな感想を述べさせてもらった。

 これまで問題意識のなかった問題で、いろいろと刺激を頂いた。

 

|

現代に『往生伝』は有効化か(1)

 佛教大学ビハーラ研究会に出席する。

「現代に『往生伝』は有効化か」という研究発表。テーマが面白かった。

 浄土教が盛んになると、中国で「往生伝」が作られるが、日本でも、平安時代以降、10世紀の『日本往生極楽記』を嚆矢に、いわゆる「六往生伝」が成立する。その後、中世以降はあまり注目されないが、江戸時代に入って全盛期を迎え、次々と往生伝が生み出されていく。明治期に入ってもしばらくは続くが、その数が激変。明治四十四年の「第二新明治往生伝』以降は、本格的な往生伝の編纂がなくなっている。

 では、江戸後期の浄土宗系の「往生伝」はどんなものか。その人物像として、正直、温和、孝行、また忠義といった浄土宗の教えとは無関係で、むしろ時代的、社会的要求、倫理観が色濃く顕れてくるようになる。しかし、まだ往生行は専修念仏、臨終の奇瑞や死期の予知など、これまでの伝統的な往生伝の記述を継承している。また、例は少ないか臨終行儀などの作法も述べられている。がしかし、臨終の正念や奇瑞だけでなく、たとえ病苦や死苦も「転重軽受」と受け止めたり、臨終の奇瑞のみに偏重することを誡めあったりするという。

 それが明治期になると、「往生伝」そのものが減ってきて、内容も、来迎描写で浄土へ誘引しようというような奇瑞重視から、出来る限り事実を事実として描写する傾向が強くなってくるという。特に、廃仏毀釈の嵐の中で、堕落的な僧侶の有り様ではなく、厳しい生活条件の中でも、道徳的にも、倫理的にも模範的な往生者が描かれるようになる。同時に、宗学も確立され、教義的誤解を招くような非科学的な臨終の奇瑞や来迎の描写は減ってくる。しかしそのことは、皮肉にも、民衆の要請であった従来の「往生伝」の臨終の奇瑞や死期の予知などの科学では割り切れない不可思議で魅力を削ぐこととなって、魅力を失った「往生伝」は、その後、まったく編纂されなったというのてある。
 しかし、科学では証明できないような人々の抱く割り切れない思い、血の通った思いが我切れない思いが、非科学的とか、正統な教義で切れ捨てられていくだけで、ほんとうにいいのだろうか。現代には、現代に相応しい、「往生伝」があっていいのではないだろうか。

 そして、単に、非科学的として切り捨てられない例として、東日本大震災の被災者やその家族の間で多く体験された「お迎え」現象の事例が紹介された(『魂でもいいのでそばに居て』より)。家族を失い、生き残った(取り残された)思いが抱く生存者が、夢などで、亡くなった親近者と出会い、癒されていく体験を綴ったものが紹介された。

 

|

5月の華光誌輪読法座

 輪読法座は、内装工事の関係で、3、4月はお休みをした。今日は、中心メンバーも入院中、常連の母も、連れ合いも欠席で、参加者が数名になるかと心配したが、初めての方、久しぶりの方もあって、それなりの顔ぶれになった。「見舞いに来るより、法座に出てほしい」との声に背中を押されて、お見舞いより、何ケ月ぶりに法座に参り下さる若い方。押し出されてでも、踏み出されたのは有り難い。でも、病気になられた方に驚いても、いざ、我が身の無常となると、まったく驚かないのも、凡夫の姿。

 誌上法話は、先の親鸞聖人の750回忌の時の企画「これからの求道と伝道を考える」から、トップでお話くださった松岡先生の法話を読む。誌上法話というより、信仰体験発表に近い。先生の独自の歩みは、本人曰く「しつこい、しつこい」歩みで、また「お前はダメだ、ダメだ」と自己否定するものとの自己内葛藤の歩み。決して、真似をしようと思ってもできるものではない。同時に、率直な心理描写は、とても魅力的だ。一念の時、その体験を「グーッ」と握りにかかったり、それを念仏で誤魔化す心が起こるくだりは、誰もが誤魔化しかねない自力の心で、これを具体的に、赤裸々に語ってくださっているのに、心引かれた。

 お寺のご縁から、初参加された方が、「お寺さん、ご住職とえいば、葬式や法事ばかりだと思っていたけれど、こんな方がおられたことに驚きました」という趣旨の発言された。華光での当たり前は、真宗全般では、稀なることなのだろう。

 僧俗(緇素)の別なく、一個の凡夫の身で、おのれ後生の解決を求めていくのが、この場の尊さである。その場に押し出されたのなら、その流れに乗らせてももって聞き開かせていただきたい。南無阿弥陀仏

|

日高での法事

日高での法事に向かう。

Img_2349

 前夜は劇団の打ち上げがあり、遅くまで飲む可能性を考え、電車を予約しておいた。予想は半分は当たった。ぼくは早めに帰ったが、連れ合いは華光の人と飲んで遅くなった。色々あって、こちらも遅くなってしまった。山陰線に乗って、日高法座に向かうのは久しぶりだ。まだ免許がなかった10代の頃は、いつも「急行」に乗って訪れいていた。その車中でもいろいろなこと(酔っぱらいに絡まれている女性を助けたり、逆に、妙な男に人に出会ったり)を思い出した。

Img_2354

でも、列車の乗り心地も、車窓の風景も、40年前とは大きく違う。その40年前から一番お世話になっていた方で、いわば、ぼくの外護の善知識の一周忌である。3年前に娘さん亡くされた。それでずいぶんガックリされた。葬儀、一周忌、三回忌と3年続けての勤めが終わって、一段落と思ったら、昨年、ご主人(お父さま)が亡くなった。また法要が続いている。このお家の皆様とは、ほんとうによくよくのご因縁だと思う。

 仏法のご縁がなければ、この皆様とも出会うことがなかった。それだけの念仏の法地だ。皆さんと一緒にお念仏し、勤行をしたが、次の世代、その後の世代の若い方には、お念仏の相続はこれからだ。ご法話もそのあたりに焦点をあてた。

 「恥ずかしがらず、口に出して「南無阿弥陀仏」と申してください」とお願いした。なぜ、心の中で留めないで、言葉にするのかをお話申しあげた。心の中は見えない。しかし、口に出すとはっきり見えることがある。しかしそれが難しいのだ。

 今日は母の日だった。誰でも「ありがとう」の5文字は、簡単に言えるが、母親と向かって、正面から「お母さん、いつもありがとう」「お母さん、産んでくれてありがとう」と言うとなると、照れ臭さや恥ずかしさが起こって、素直になれない。家族に対して、悪いなーと思って時も同じ。分かっていも、素直に「ごめんね」の言葉は、勇気が要る。たった一言。いや、ワンフレーズであるのに、難しいということを日頃経験している。それでいて、そうしようという思いはあるのにである。素直になれなくて、真逆な態度や言葉を出して、自己嫌悪になった経験は、誰もがもっている。

 「南無阿弥陀仏」も同じことだ。たった六字を称えることに抵抗する心が起こってくる。たった六字「南無阿弥陀仏」が素直に言えない。「恥ずかし」とか、「照れ臭さ」とか、「本心ではい」とか、「そんな殊勝な心はない」とか「そこまで熱心ではない」とか……。とにかく言葉にできない「気持ち」がどんどん湧いてきて、声に出さない。実は、そこに向き合うだけでも尊いのである。そして、その六字のお心を諄々と聞かせて頂くことが、ご聴聞である。その六字が、誰のために、なぜ、出来上がったのか。なぜ、南無阿弥陀仏の六字ですべてが終わるのか。

 心に正直であることも大切だが、行動が気持ちを造っていくということもある。「恥ずかしからず、声に出してください。一緒に、お念仏申しましょう」と、最後はお念仏を申して終わった。

 どこまで伝ってから知らないが、とにかく一座、一座のご縁を大切にしながらお伝えさせてもらった。南無阿弥陀仏

Img_2367
Img_2366
~神鍋高原での会食。ご馳走過ぎて、苦しかったです~

|

田を耕す~永代経で味わったこと(2)

 3日間の法縁で、いろいろなことを味わった。

  数年前のことだが、ある同人のお通夜に参列させてもらったことがある(このブログでも話題にしている)。交際が範囲の広い故人だったので、お寺ではなく、街の広い葬儀会館が会場だった。お導師が入場すると、ホールにお念仏の声が拡がり、お正信偈が勤まると、皆さん、一切に声を出して勤行され、ホール全体に拡がった。本来なら当たり前の話だが、都会ではあり得ないことだ。それだけご教化が行き届いているのだ。稀にみる法徳の地ではあるが、それは並大抵のことでそうなったのではない。先代、さらに先々代からの命懸けのご教化の賜物である。
 そのことを改めて思い出した。

 今、この華光の道場に集う人々から、念仏の声がほとばしる。そのおかげで、これまで念仏のご縁のなかった方でも、その中に身を置くうちに、自然と念仏を称える人に育っていくのである。そして、その環境の中で、お念仏を喜ぶ信心の人が誕生していくのである。しかし、そんな場づくりは一朝一夕のことではない。そのために先達のご苦労があったのだ。ただ、その上に私たちは乗せてもらっていることを忘れはならない。

 しかし、せっかくの美田も、日々の手入れを怠るとすぐに荒れ地となる。開墾までの苦労も、あっという間に廃れていくことも忘れてはならない。

 そして、この無仏法の荒涼の世にあって、たとえ小さくても、ひとりひとりが、おのれ分の地を耕して、念仏の種をまいて、信心の実りを刈り取らせてもらいたい。日々の相続こそがその力となるのである。南無阿弥陀仏

 ある時、托鉢中の釈尊に、ある男が言い放った。

「沙門よ、私は毎日、田を耕し、種を蒔いて、食を得ている。あなたも、自ら耕し、種を蒔いて、食を得てはどうか」と。

 釈尊は、「私も、毎日、田を耕し、種を蒔いて、食を得ている」とお応えになった。

 納得いかない男は、重ねて問うた。

「いやいや、誰もあなたが田を耕しているところを見たことはありませんよ。いったいあなたの鋤はどこにあり、牛はどこにいるのか。第一、あなた何の種を蒔いているのですか」と。

 すると釈尊はと仰った。

「信はわが蒔く種子である。
 智慧はわが耕す鋤である。
 身口意の悪業を制するのは、わが田における除草である。
 精進はわが牽く牛にして、行って帰ることなく、
 行いて悲しむことなく、われを安らけき心に運ぶ」と。
       (『仏教百話』増谷文雄著より)


 

|

仏法は具体的に聞け~永代経で味わったこと~

  3日間の法縁で、いろいろなことを味わった。

  よく仏法は「若いうちにたしなめ」といわれる。蓮如上人のお言葉だ。確かに、年をとると、体も不自由になり、頭も衰えてくる。耳も遠くなり、法席でも居眠りしてしまう。体力もなくなり、心だって頑になっていく。年齢と共に、そう実感されている方も多かろう。その点、若い人は、新しいことにもすぐ対応できるし、第一吸収がいい。心も柔らかいし、体力も、記憶力も、衰えがない。

 しかし、年齢を重ねることは悪いことばかりではない。重ねただけの経験値が増え、わが身を通して豊かに聞くことができるのだ。座談会の発言でも、身近で、具体的なテーマを出されるのは、若い方より年輩の方である。言葉を換えれば、それだけ業が深いということにもなるが、、。

 学生さんが心境を話された。非の打ち所のないその通りの発言だったが、あまりにも正解すぎて、何か面白みが感じられない。ぼくの感性がおかしいのだろうが、正解をいわれると、どこかでケチをつけたくなる。

 これは子供大会や仏青の座談会でよくあることだが、優等生発言というか、正解を並べて事足りるということがある。もちろん、それは、若い時は、法話の内容も頭にはいり、要点を押さえて、しっかり発言できるということだ。ただ、それだけではわが身と言葉とが離れている気がしてならない。つまりは、どこまで身を通して聞いているのか。日々の暮らしの中で、具体的に聞いていくかである。それがないと、今生の生活と、仏法聴聞がバラバラになってしまって、なかなか自身の味わいが深まっていかない。

 伊藤康善先生は、「仏法は具体的に聞け」と言われた。何も法座の場だけが、聴聞の場ではない。日常の生活の中でも、自分の姿を通して、ご法を聞かせてもらうのである。そうでないと、仏法が観念的になり、言葉だけの世界で事足りてしまう。生きた力になってこないのである。

|

より以前の記事一覧