カテゴリー「法味・随想」の259件の記事

和歌山寺院布教

 昨日、家庭法座の会場を提供くださったOさんと一緒に、和歌山市冬野のお寺を目指す。Oさんとは、3月の生駒での家庭法座、名古屋での仏の子供大会と、3週連続の車での旅、しかも、法座は2日連続でご一緒される。

Img_2052  冬野のこのお寺を訪れるのは、2回目だ。それも大昔。まだ大学生の頃に、子供会のお手伝いをさせてもらったのだから、40年前になる。その後、内観に力を入れられるようになってが、それに対する父の態度が厳しかったこともあって、ご縁が遠くなっていた。

Img_2046  もともとは、曾祖父の方が伊藤先生の親友であったことから、ご縁が始まる。今のご住職の坊守様は、学生服姿の母を知っているというのだがら、たいへん古いご因縁である。ぼくも、先代の女住職、また今の娘さんである坊守様には、ずいぶん可愛がってもらった。学生時代、和歌山での子供大会での会場探しの時には、一緒に会場を何カ所も探して回った。

 仏の子供大会では、お子さんたちとのご縁も長い。お声をかけてもらったとき、「お声は変わらないですね」と、ご子息に言われた。たぶん、35年前ぶりにお会いする。

Img_2054  決して大きくはない本堂は、一杯である。単立のお寺で、檀家の数は多くはないが、ほぼ檀家さん(家族の代表だが)が出席されているという。見知った顔も、少しはあったが、ほぼ初対面。ただ、最初にお念仏をしたが、「南無阿弥陀仏」の声が聞こえてこない。そん時は、「皆さん、お寺は何のためにあるのでしょうかね。ここは、お念仏を申す場であり、真実信心の人が生まれる場所ですよ」というところか、手を合せ、お念仏を申すことを、冒頭と最後の、それぞれ4回話したが、反応はいま一つ。ただ、法話は遠慮なく、最後には、後生の一大事と、僕自身か仏法に出会った体験、地獄一定ということも、自分を開いてお話申し上げた。涙ぐみながら聞いてくださる方はあったが、あまり声に出した反応はなかった。

 何度か、講師室にお出でくださるように促したが、結局、うまくいかなかった。お寺の方も、檀家さんも、法話の反応はないまま、法縁は終わった。いろいろと育てを思い出して懐かしかったが、少し寂しさも残った。

 口に出してお念仏を申すこと、聞いたところを味わい、口に出して法悦を語るということは、簡単なようでお育てがないとできないことである。仏法の相続は難しい。

 

 

|

お見舞い

   高山法座に出かける直前、京都同人から電話。「Mさんのこと聞きましたか?」。Mさんの緊急入院のことで、驚きと、動揺が伝わってきた。彼女は、先日の輪読法座にも、日曜日の講習会にも参加され、いつものように発言されていた。常々、会館での法座、たとえば、輪読、日礼、京都支部などの信仰座談会では、いつもその輪の中心におられる方である。ご法も積極的に勧めておられて、京都の方は、お世話になっておもらる方が多い。日頃、無常と聞いていても、存在が遠い人なら何も感じなくても、身近な方ほど、突然の知らせに、皆さん、驚いておられた。

 治療が始まる前にと、夫婦でも自宅近くの病院にお見舞いに行った。

 第一声。「無常と聞いていたけれど、分かってなかったですわ。ほんとうに突然、ドーッとやってきました」と、身振り、手振りを交えて話された。

 ぼくも一言、「ほんとうに仏説まことですね」と、お声をかけた。

 今年になって、インフルエンザで体調崩されていた。それから、グズグズと体調不良が続いていたが、それでも法座では相変わらずのMさん節を聞かせてくれていた。でもあまりにも不調がないので、検査に行き、念のために撮ったMRAの結果、即入院となったようだ。本人も家族も、まったく予想もされていない結果だ。診断書に「もうハッキリダメと書いてありますわ」と、少し力なく笑われた。そこには、膵臓、肝臓、そして脾臓の腫瘍と書かれていた。ステージ4で、外科の手術は施せない状態だというのである。「まだ余命宣告はないけれど、先生は、はっきり言われますわ」と、笑いながらいわれた。そしてそこからは、いつものようなMさん節か炸裂。仏法のこと、家族や同人の皆さんの思いなど、不満や愚痴を交えて滔々と尽きることがなかった。

 仏法を喜ぶ身であっても、凡夫の情として驚くばかりだ。でも、同時に、「仏説のまこと」と私自身の不実も教えられる。実際、こんなことを目の当たりにても、これはベッドに横たわるMさんの問題であって、ぼく自身の無常ははるかに遠くにおいている。まさに無明。この麻痺した無自覚さこそ、迷っている身の恐ろしさである。南無阿弥陀仏
 

|

授記

報恩講で「授記」のことに触れた。「授記」とは、如来(師匠仏)から「将来必ず仏になるだろう」という予言(記別)されることだ。そして、誓願を立て菩薩としての修行を修めていくのである。釈尊80年のご生涯が、後に過去世にも拡大され、ジャータカのような前生譚が生まれてくる。そこでは菩薩行、中でも大乗の行である布施行を修める前生の釈迦菩薩の姿が強調されている。当然、物事には必ず出発点がある。いろいろある前生の説話の中で、どこが最初の出発点なのかというと、前世での青年(スメーダ、後の釈尊)が、燃燈仏という如来に出会って供養し、記を授かったところから始まるのである。「釈迦菩薩」の誕生である。この時のお出会いシーンは、インドや中央アジアで「燃燈仏授記」として絵画や彫刻の題材となる、たいへん有名な逸話である。

この釈尊と燃燈仏の出会いは、『無量寿経』では「世自在王仏と国王法蔵(後の法蔵菩薩)」出会いということになる。その世自在王仏に遡る(下る場合と、遡る場合もあるが)五十三仏の出現にある。その時の初めの仏「錠光如来」は「燃燈仏」のことであることから、その影響がわかる。

いずれにせよ、仏様に出会って心が震え、その仏様を供養し、その師匠仏のように成りたいという菩提心(発心)を起こし、誓願を立て、菩薩としての行を修めることが、出発点である。仏様との出会いこそがそのほぼすべてだといってもいい。

そのために、釈尊亡き後の人々は、どうすれば仏様に値遇(もうあ)うことができるのか。時代(三世)と空間(十方)に拡げて、今、まさに活動しておられる仏を求めることになる。それが西方極楽浄土にあって、今、まさに説法されている阿弥陀如来である。そのために、見仏、観想する行が盛んとなる。または、死後に浄土往生して、阿弥陀如来にお会いし、その浄土で菩薩行を修めて仏と成っていこうというのばもそうだ。

ところが、善導様によって一大転回が起る。こちらからお会いするのではない、向こうからやってきてくださるというのだ。それが南無阿弥陀仏である。見仏から称名、念仏が、見ることから称えることへと一大転回するご教示た。「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀様の「お前を必ず仏にしてみせる」というお誓いである。しかも、それは願だけでなく、同時に行も備わっている。願行具足の「南無阿弥陀仏」だというところまで教えてくださった。

末代の私達は、いまこ「南無阿弥陀仏」として仏様にお出会いさせていただくのだ。それを、「南無阿弥陀仏」に出会った先達を通して、教え頂き、出会わせてもらっているのである。その出会いに心震え、聞法の場に踏み出せていただいことが、私の聞法のほぼすべてだったといえるのもしれない。南無阿弥陀仏 

|

念仏者九条の会~憲法『第一章 天皇』と『第九条 戦争放棄』今、改めて問う」~(2)

Img_1292「憲法『第一章 天皇』と『第九条 戦争放棄』今、改めて問う」というテーマでの、阿満先生の講演の要旨の続き。 

 創唱宗教である浄土真宗も、たとえば死者儀礼いう面では、日本古来の自然宗教に呑み込まれている。死者=「仏」というが、その場合は、目覚めた覚者「ブッダ」という意味での「ブツ」はなく、「ほとけ」という。仏が「ほとけ」となったのに諸説があるが、そのひとつに、先祖を祀る器具である「ほとき」を由来するという。それを補完する形で仏教の法事が使われている。あの世に入き、三十三回忌を終えた「ほとけ」は、ご先祖になって子孫を護る存在になっていく。
 日本人に根にある祖先教を克服し、「ホトケからブツへ」という仏教や真宗の本来性を取り戻せるのかが、第一の課題である。

 事大主義を破り、超えていけるのは、法然や親鸞の示した浄土教しかない。しかし、教団は覚如、蓮如を経て、自然宗教に取り込まれていった。死者儀礼や先祖教が、寺や住職の役割となって機能している。
 また教団の中にも、門主制という天皇制を内抱している。血統で護られるのは、門主制だけでなく、各寺院も同じで、そこにも裏寺や下寺の関係、僧侶や寺族と、門徒との関係、特権意識が根深く浸透し、同朋精神が欠如している。
 各僧侶が自らの特権意識をどう向き合い、お西も門主制から門首制に生まれ変われるのかが、第二の課題である。

 法然や親鸞が示した本願念仏の道はまことに厳しい。しかし、阿弥陀如来は遥か彼方のお浄土で鎮座されているのではない。どのような形で姿を顕されるのか?私の称える「南無阿弥陀仏」として顕れてくださる。どこでも、誰でも、称えられるからこそ、普遍性をもつ。阿弥陀仏が、私の中で働いてくださっているのだ。称える時だけ存在するといってもいい。それが凡夫の中にも少しずつ少しずつ蓄えられている。なかなか凡夫は変われるものではないが、徐々に変わっていく。その時二つのことに気付かれる。
(1)人と自分との違いを認められる。親の愛情といっても、エゴの自己主張にすぎない。尊重する。宿業が違うことに気付く。
(2)同時に、共通点もある。共に凡夫。共に「アホ」ということ。
 天皇といっても、門主といっても、同じ凡夫に変わりはないのに、血統を崇めて特別視するのはおかしい。

  厳しい道でも、本願念仏のみが現状破る唯一の道である。法然も親鸞も、二十名ほどの念仏する人がいることがすばらしいと。法を説くのは僧侶、門徒は聞くだけというのは間違い。たとえ5~6名でも、声を出しあえる念仏者の集いを大切にしていく。真宗念仏は大集団向きではない。そのような小集団がたくさんあって、連帯しあうことが大切てある。これは、念仏に生きる道を見い出したものの使命である。ひとりの力はしれている。人寿もたかだか100年足らず。六道輪廻の迷いの歴史を考えても、もっと長い尺度で歩んでいく。その志願をImg_1289次々と(この言葉はなかったが、連続無窮ということ)つないでいくことが大切である。

 てなことかと思います。まだ過激な発現や表現もあったけれど、この程度が、ぼくがメモった内容。隣の連れ合も何か書いていたので、何をメモしたのかと覗くと、こんな落書き中。これが一番面白かった。

 もちろん、異論(お念仏の理解や成長の部分)もあるけれども、すごく刺激をもらった。ここ5~6年、念仏者九条の会にでているけれども、いつもきな臭い、まなまなしい話ばかりだったが、初めてお念仏の話が聴けたのがよかった。同時に、わが身のこれまでの歩みや、華光や真宗カウンセリングでの目指してきたことに共感する部分が多くて、力をもらいました。感じたことをじっくり温めていきたいですね。

|

東京支部法座~外護の善知識~

今月の東京支部法座は、久しぶりに参加者が多かった。しかも宿泊者が多くて賑やかだった。今回、特筆したいのが、お世話人の活躍である。。東京支部は、行事毎にひとりの世話人を立てておらちれる。もちろんひとりでは無理なので、積極的に手伝われるから運営できるのだが、やはり進行の責任者はひとり必要だ。

それが、初めて、子育て中のママが担当くださったのだ。しかも宿泊もされた。そのため、3歳のお子さんと旦那さんもご一緒してくださったのである。2日間、法座の最中、旦那さんはお子さんを外に遊びに連れ出してくださったのである。

まさに、外護の善知識である。

すぐに自惚れて忘れているが、それぞれ法座に参加される方の背後にも、そのような外護の善知識のお働きのおかげで、ここに座らせていただている。そして目には見えないが、そこには仏様のいのちが捨ててあるという。何でもないこと、軽いことにしているが、法座で聴聞することは、たいへんな宿世のご因縁があったのだ。

|

まもなく報恩講さまです

元旦。今年、最初の電話は、副運営委員長のNさん。報恩講にご講師の欠席の連絡である。続いて、運営委員長のUさんからも電話。同じ件で、変わりご講師依頼についての相談である。幸い、何名か候補があって、すぐに対応をしてもらえた。元日の朝から、ほんとうにお世話様です。

 そして、修正会の休み時間には、報恩講の当番役から相談を受ける。お一人は初めて世話役、もうお一人も、メーンの世話役は初めてとあって、ずいぶんと心配されている。お二人だけで運営するのではなく、しっかりと運営委員会でフォローされるのだが、やはり初めてというのは不安なのだろう。ある意味では、ちょっとうまく連携が行っていないのが気がかりだが、それだけ熱心に取り組んでくださっているともいえる。いずれにせよ有り難いことだ。

 お世話役にもいろいろあって、完全な裏方もあれば、表にでる役もある。当日、忙しい方もあれば、事前準備を頑張ってくださる方もある。そして、そんな皆様の方の力が結集されて、法座が成り立ってく。お客さんとして参加するだけでなく、何かお世話をする。さらに役割をもったり、メーンの仕事をすることで、気付かされることも多い。誰かのためというより、結局、得をするのは自分自身である。

 しかし、だんだんと効率とか、損得のものさしだけで考えるようになる。若い人や新しい人の中には、深く関わると手伝わさせられるのがいやだと、と敬遠される方も増えてきている。仏法が聞きつらい世の中になっているのだ。

 その意味では、親鸞聖人のご恩徳を尋ね、報恩謝徳の念を深くするという報恩講ほど、有り難いものはない。

 皆様、どうぞ、奮ってご参加ください。

◎1月12日(土)~13日(日) 親鸞聖人の報恩講法要

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2019/detail/01/hoonkou2018-1.htm

 

 

|

聖語をいただく

 この集いの進行は、ぼくにはこれまでの真宗カウンセリングの関わりの集大成といってもいいものである。どれだけ参加者が安心して、自分の経験したことを、率直に口にだせることができるか。また出された声をどれだけ聞けるのか、そんな雰囲気作りを目指しているのだ。法話はないが、それ以上にぼくの態度や姿勢が問われる法座である。

 だからこそ面白い。やりがいもある。そして5年間で少しずつ改良されていって、称名念仏、黙想(沈黙)、そして語らいの後にお聖教を味わっていたが、前回から、そのお聖教を味わう時間を、大目にとることにした。

 1日目は和讃を1首ずつで、最後に「現世利益和讃」をすべて頂いた。

智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり
信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし(正像末和讃)

弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなふべし(正像末和讃)

男女貴賎ことごとく 弥陀の名号称するに
行住座臥もえらばれず 時処諸縁もさはりなし(高僧和讃・源信讃)

南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して よろこびまもりたまふなり(浄土和讃・現世利益讃)

 2日目は、朝座は源信僧都の「横川法語」、昼座は法然聖人の「一枚起請文」である。

 長い文章になると、皆さん不明な点けでなはく、ひっかかりが出てくるようだ。理屈が増えたり、昔の文章(古典)の理解の質問がでると、ぼくも教示的になってしまうのが反省である。ぼくとしては、二つのご文とも、煩悩一杯(妄念妄想の自性)の地金のまま、愚者と成って(というより愚者そのもの)、称名念仏申せようというご教示だと味わっていたが、皆さん、いろいろとわが胸ととらしたり、言葉の端々ひっかかったりと、苦戦しておられるよにう思えた。ぼく自身も、ながながと「正解」の解釈を述べてしまって、後味が悪かったのは反省材料である。

 それでも、称名念仏の後のこの聖語は響いてくるなー。

またいはく、妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念のほかに別に心はなきなり。臨終のときまでは一向妄念の凡夫にてあるべきぞとこころえて念仏すれば、来迎にあづかりて蓮台に乗ずるときこそ、妄念をひるがへしてさとりの心とはなれ。妄念のうちより申しいだしたる念仏は、濁りに染まぬ蓮のごとくにて決定往生疑あるべからず。「横川法語」

念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし。「一枚起請文」

|

法界広しといえども

 像観の「法界身」を詳しく話していると、皆さんとの距離が広がっていくのかよく分かる。ほとんどが、「難しい!」という顔をされているのだ。感想をお聞きすると、率直にそう仰ってくださる方もあったが、一方で、「どんどん引き込まれて聞かせてもらいました」と、言ってくださる方もあったのだ。大概は、難しいという感想だったが、積極的に質疑や感想を送ってくださる方もあって、手抜きをせずによかったと思った。

 その夜、夕食の時に、母から「行巻参照と書かれていたところは、頁数はあっていたけれど、「信巻」の間違いやで」と教えられた。

 講義が終わってから、復習をして、直接、お聖教の頁を当たって確認をしているのだ。そこは、講座時には聖典を開けず、「後で、確認しておいてください」とお伝えしたところである。

 母は、83歳になったのが、まだまだ意欲的に学ぼうという姿勢に、こちらが教えられたと同時に、うれしい気分になった。

「『正直で来い』と言うのが神様です。
『善人になっ来い』と言うのが諸仏です。
『悪人目がけてすくうぞよ』と呼びかけるのは、ただ阿弥陀様だけです。
こんな仏様が法界(ほっかい)広しといえども、どこにおらされますか?」(『仏敵』およしさんの言葉)

|

三十三回忌法要

  高山法座に向かう朝、三十三回忌法要のために宇治まで足を延ばす。

 不思議なご因縁で、檀家のようになっておられる。華光会館が完成してしばらく後、ご近所の方からのご主人のお葬儀の依頼があった。それから60年近くの月日が流れたが、息子世代になって、宇治に引っ越しをされてからもおつきあいが続いている。その奥様の葬儀も引き受けたが、その方の三十三回忌が巡ってきたのだ。

 ほんとうの家族だけの集りだったので、45分ほどご法話をさせていただいた。世情を交えながら、母親のご恩や浄土真宗の他力回向のおこころなどをかみ砕いてお伝えしたつもりだ。皆さん、特に実家もお東の檀家だという奥様は、よくうなづき、相槌も打って熱心に聞いてくださる。しかしである。自分事としてのご聴聞、聞法となると、ここからが至難である。チラシも持って、1月の報恩講や4月の永代経の説明をしお参りをお勧めしてみるのだが、ただ愛想笑いをされるだけで、なかなか次の一歩がでないのである。

 お盆の時もそうだが、わざわざ家族が総出で、外まで出て、車が見えなくなるまで、お見送りしてくださる。

 当たり前のことりが、世間では、お寺は亡き人の供養回向の場としてのおつきあいなのである。そこを丁寧に勤めてもらえることを喜んでおられるのである。

 でも、仏法は故人てはなく、今、生きている私の、後生の行先を解決させてもらう一大事であるが、そこに心を寄せるには、転機というか、飛躍が必要なようだ。

|

泉佐野の寺院布教~台風禍

Img_8836泉佐野での報恩講の2日間に渡るご縁である。ご承知のとおり泉佐野は海上に関西空港を抱えている。海上からの風もすさまじく、先月の台風21号の被害が甚大だった地域だ。

Img_8835冒頭、「皆さん、大丈夫でしたか?」と尋ねたら、「大丈夫ではなかったです」と、即答される。瓦が飛んだ、窓ガラスが割れた、壁が落ちた、停電が4日間も続いたなどなImg_8834ど、皆さんが答えくださった。確かにブルーシートが被った家が多かった。中には、そのまま何もされないままの空き家もあって、かなり危険な状態である。このお寺でImg_8838も、瓦や漆喰、本堂の窓ガラス、裏庭の木が倒れたりと被害が大きかったそうだ。また、本堂が被害を受けて報恩講を中止さぜるえない寺院も、この地域では多かったImg_8845という。

無常迅速といわれるが、迷っている身には、これから我が身の上に何が起るか分Img_8824からないのである。「一寸先は闇」というが、「一寸先」ではない。まさに今が闇の真っ只中ということが分かっていないのだ。自然災害だけでなはい。わが身の上でも同じこと。迷いを迷いとわからないほど、闇が深いのである。

 

|

より以前の記事一覧