カテゴリー「法味・随想」の247件の記事

殺生罪に飲酒罪

Img_7183 Y家の家庭法座では夜座はなく、そのまま「あり田」での宴会になる。いつもながら。これがおいしくて、楽しい一時だ。

 昼座、仏さまのお供えにはお酒や生臭物(匂いの強い食べ物)はお供Img_7174えしないものだが、今では、本願寺の別院でも日本酒がお供えされるという話題が出ていた。
 ところが、数時間もしないうち、目の前に殺生の塊の刺身と肉と、そして酒が並んで、悦にImg_7175入っている。
 
 いつのまにか、いのしし年の皆さんが、「いのImg_7188しし会」を結成されて盛り上がっておられる。大虎ならぬ大猪である。ちなみにぼくは寅年で、イノシシ会に負けない人数が揃っていImg_7187たが、ぼく以外は禁酒されていて大トラ会は不結成に終わった。

 連れ合いはここでは日本酒を中心に、二軒目のスペースワンではウィスキーやカクテルを呑んでいた。家と違ってぼくもうるさく言わないのImg_7194で、心置きなく飲めて大満足である。

 慈心不殺は、世福の善行の第3番目、不飲酒(ふおんじゃ)も、共に人間に生まれるための最低の戒律である五戒の一つである。殺生も飲酒も、地獄行きの罪である。もちろん、浄土真宗は肉食妻帯、お酒もお許しではある。しかし本願の上ではお許しであっても、それが浅ましい業の姿には変わりはない。植木等氏によると、「凡夫とは、『わかっちゃいるけどやめられない』」愚かなも存在ということになるのだ。 南無阿弥陀仏

|
|

日高町での四十九日法要

  朝から豊岡市日高町での四十九日法要へ。予定通り出発したのに、途中で、着ていた法衣を汚すというトラベル発生。すぐに引き返す事態になってしまった。それでも、連れ合いの得意の運転で、無事に到着。高速や自動車専用道がこの町まで伸張し、昔に比べると、1時間Img_7009から1時間30分は早く到着するようになった。大助かりである。

 S家へ入る。茶の間から「いや~、先生ご苦労さまです」という、Sさんの声が聞こえてくるようだ。ぼくが大学生の時から、いちばんご縁を結ばれてもらっているお家である。

 仏壇の横には、若き日の父の五条姿の写真が飾ってある。まだぼくが生まれる前。父が30代の頃なので、もう60年以上前のものである。当時から、ここが法座の会所であり、また父のお宿でもあった。どれだけ多くの念仏者が育ったことだろう。この日高の地だけではない。全国各地の無明業障の恐ろしい「病」を抱えた同人たちが、駆け込んでき、またどれだけの方が大きな幸せをされたことだろうか。日本だけではない、アメリカのお同行さんもお出でになっている。

 その仏法の機縁を、Sさんは護り続けてきてくださった。

Img_6994 満中陰の法要なのだが、親戚だけでなく、近所の方、同人の方も含めて40名以上ものお参りがあった。みんなで心を一つに、お正信偈をとなえ、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏をさせていただく。法話は、仏さまのおこころについてたが、テーマを「四無量心」に絞った。「慈無量、悲無量、喜無量、捨無量」であるが、これを阿Img_6995弥陀札のお心、お働きとしていただいた。哀れで、愚かな、しかも大恩なるものを平気で傷つける私ことを、いちばんに救いたいという大慈のお心で、自らのお命を喜んで、捨ててくださるその大悲のおこころを、「六牙をもった象王」のたとえでお話した。けっこう、皆さん真剣に聞いてくださっていたように思う。

 それにしても、暑かった。少しはましかと思っていたが、昨日は盆地である豊岡市が全国でいちばん暑く、その余韻が残って、今日も38度を超えた。会食場所は神鍋高原のお店だったが、高原の爽やかさとは無縁の暑さ。

 でも御馳走は美味しく、お腹いっぱいになって、二人とも夕食抜き。御馳走になりました。

|
|

葬儀~外護の善知識(3)

2年ぶりに葬儀の依頼。日高支部のS家のご主人が逝去された。

思い出はつきない。日高(当時は江原支部)の日曜学校の後、夜座に初めて大人の法座でお話させてもらった。大学生の時だった。未熟だった。今思うと、ほんとうに恥ずかしい法話をしている。その時にお宿がS家だったが、それ以降40年近く、ずっと日高支部の法座会場として提供してくださっている。父から数えるともう60年以上になる。会場だけでなく、お宿もしてくださるので、家族と一緒に御馳走をいただいた。Sさんは冷酒と決めておられた。晩年は、決まった銘柄のお酒を取り寄せて飲んでおられた。ご信心のことで、深く語り合ったことはない。法座も、勤行と法話が終わるとお休みにいかれた。

それでも、ぼくには外護の善知識であった。いや、ぼくだけではない。この地を訪れる方のお宿や食事を提供くださり、法座をもってくださっていた。日高支部の皆さんにといっても、多くの華光同人にとっても、外護の善知識であった。ご長男でありながら養子に入られた。ご法を第一とするS家は4名とも女性で、その末娘さんと結婚されたのだ。穏やかな性格の人で、娘さんたちも怒られたことがないといっていた。そして、常々、法の相続を願っておられた。「先生、後はよろしくお願いします」と、夕食の席では最後に必ずそう話された。

3年前、40代後半の娘さんを亡くされた。通夜で肩を落とされた姿が、まだ目に焼きついている。通夜の食事にも一切、手をつけず静かに涙を流しておられた。いくつになっても親の子に対する心は重いのだ。その後、ガクンと弱っていかれるのかわかった。倒れられて、そう長くはないかもしれないと連絡があったが、その日、かなり回復もされていた。最後にお会いしたのは、今年の3月の法座の時だ。居間でイスに座っておられた。お声がけしても、言葉は発することはできなくなっておられたが、それでも静かに目配をされて合掌して、お別れの合図を送ってくださった。

葬儀で着衣した夏の色衣と七条袈裟は、Sさんが寄進くださったものだ。七百五十回大遠忌の記念とさせていただいたのだ。あの頃のさまざまな思い出甦る。苦しい時に、快く応援くださったのが身にしみる。七条袈裟の裏にはSさんの名前が縫い付けてある。その袈裟を着衣して、Sさんの葬儀を執り行うことになった。ここでも深いご因縁。万感胸に迫る。

|
|

外護の善知識(2)

永代経が終わった翌日、高山のFさんからの電話があった。1月の報恩講でも、11月の華光大会の後でも、大きな法座の後には必ずあることだ。でも、法話の質問でも、法座の感想でもない。

 撮影くださった法話DVDの編集についての相談である。

 Fさんは、今年の九十歳になられた。このために機材を購入くださり、毎回、撮影のために宅配便で送ってきてくださる。それもすべて自費負担してくださっているのだ。Fさんの仕事は早い。機材が自宅に戻ったらすぐに編集に取りかかってくださる。先生方の法話タイトルや組み合わせを尋ねられるのだ。そして、法座終了後、1週間以内に編集原盤にダイビングされたDVDまで送ってきてくださるのである。今回も、5月5日には会館に完成品が届けられていた。

 ところが、御礼の電話しようと思ったら、Fさんが倒れて入院されたという一報が入ってきた。

 病院は、高山法座の会所への道にあって近かった。お見舞いに窺う。右側は麻痺していて、言葉もほとんど聞くことはできなかった。それでも、意識はしっかりされていて、こちらの言葉に反応くださる。お別れの時には、片手で手を合わせて(合掌したかたっのだろう)お見送りくださった。

 Fさんは、このDVD撮影を悟朗先生からいただいた自分の仕事だとライフワークにして取り組んだくださっていた。毎回、足の少し不自由な奥さまの手を引きながら、仲睦ましく参詣くださる姿は、法座の風物詩でもあった。しかし、高齢になられて、京都に来るだけでもお疲れであろうに、如来さまの仕事だと、いのちのある限りやられてもらいますと仰っていた。同時に、最近は、「これが最後です」というのも口癖であった。永代経の終わりも、少しお疲れの様子にも見えて、心配していた。

 でも、責任感の強い方で、撮影だけでなく、編集、ダビングを終え、会館に送付された直後に倒れられたというのである。

 まさに執念。頭を下げるしかない。もし永代経DVDをお買い求め方は、Fさんの法にかけるお心も聞いていただきたいのだ。

 Fさんのこの仕事は終わる。機材を会館に寄付してくださるという。

 さて、Fさんの後継者はでてくるのか。Img_6773
     ≪病室から乗鞍岳が美しい↑≫

|
|

集落の中心に信仰

Img_6620休憩時間、お寺の周りを散策する。

山合いの集落、山があり、河があり、のどかな風景が広がり、美しい。
Img_6607当然、コンビニも、お店も、自販機もない。信号機もないのである。
Img_6610しかし、集落の中心は信仰がある。

そこかしこに石碑や石仏が点在している。

中央の小高い地に、神社があった。

Img_6611その向いにおImg_6629寺。真宗大谷派の寺院である。

ここを散策中に、古老に出会った。この村の中心はお寺に隣接する毘沙門さまだという。なんでも、応仁のImg_6632乱のころ、赤松氏ゆかりImg_6637毘沙門さまをImg_6641お祀りすることから、この集落が始ったという。寺院の横に、数段の石垣の上のお堂が毘沙門堂。残念ながら扉は閉まっていた。ここはお東のお寺が収めているという。Img_6650

Img_6673 そしてもう一つが、本願寺派の法林寺である。

 500有余年の歴史がある古刹だ。毘沙門堂の話をすると、「こちらは、阿弥陀堂を預かっています」とのことだ。クネクネした細い集落の道を入っていくと、阿弥陀堂があった。今は公民館として使われているようだImg_6696が、ここの阿弥陀さまは、坐像だという。かなりの歴史があるようだ。

小さな山間の集落だが、何百年も篤い信仰と共にあったことがよくわかる。法林寺も、小振りImg_6657ながらも風格のあるお寺なのも、その所以であろう。単なる建物の相続ではなく、そこに信心の喜びの相続があったことだと思われる。これからは何かと難しい課題もあるだろうが、形式だけでなく、ご信心の相続もしていただきいものだと、そんな内容のご法話は最後に付け加えた。
Img_6714_2 
  ≪榊の阿弥陀堂↑≫ 
Img_6627
Img_6614
Img_6655
≪ちょっとバランスの悪いドラえもん像↑≫ 

|
|

お斎

Img_6284 お昼にお斎を頂戴する。長年続く伝統の味である。器をまもり、味をまもり、そして伝統を守っていく。相続することはなかなかたいへんなことである。ある求道者の方が、確かにお斎は美味だったが、Img_6286昼食、夕食、そして昼食、夕食と続くと、肉が食べたくなって、コンビニでフランクフルトを貪り食べていたと書かれていた。でも、講師はお斎はImg_6289昼座のみ、夕食は豪華なステーキが出てきたりする。

 有り難いことに、連れ合いも一緒に呼んでくださっている。彼女は、夜の懇親会を楽しみにしているのだか、一Img_6300昔前に比べると、常連メンバーも多忙になり、年齢と共に無茶ができなくなっている。今夜も、一人去り、二人去りで、2時を過ぎると住職とぼくたち夫婦だけになっていた。初日は久しぶりにA氏もいて、連れ合いが盛んにダメだしをしていのが、Img_6295面白かった。さすがに最座までは付き合わなかったが、それでも3時近くまで付き合っていたと思う。父と子の長年の確執が一触即発の緊迫した場Img_6308面まで体験させてもらった。有り難いことである。

 休み時間にはお寺の周りを散歩する。3日間ともあいにくの天気だったが、初日はまだ曇り空だった。中庭のさつきが花を咲かせている。例年、菜の花が満開の時間なのだか、今年は様子が違った。護岸工事中で、河原も無残なままだっのはびっぐたした。境内には、樹齢500年近い巨木がかわらず聳えているのだか、実は、少しずつでも風景は変わっていくようである。

|
|

春の仏の子供大会で感じたこと

 春休みに行われた「春の仏の子供大会」。「講習会」を2月に変更してまで春休みにこだわった。そのおかげで、久しぶりに参加者が多かった。班対抗での活動ができたのである。

 ただ、以前と違ってきている。子供たちもいろいろな個性のある方がおられて、一筋縄ではいかない。じっとしておれなない子もあれば、極端な人見知り、声が出づらい子もいる。個性ではあるが、その中で同時に集団生活や一体感のある集いになるのかは、先生の力量もまた試されてくる。その分、先生も手厚い人数が揃った。幼稚園や小学校の先生も交じっておられるので、どうにか2日間を事故もなく過ごすことができた。それが一番有り難かった。

 そしてもうひとつうれしかったのは、3回の法話のうち、初めて担当される方が2人もあったことだ。二人とも、子供大会の出身である。ひとりは大学生で、トップバッター。テーマ「仏さまについて」である。みんなに問いかけ、そして自分なりに考えたところを述べてくれた。子供のときに「因果の道理」ということが印象に残っていたという。ただ、仏さまに関しては、皆さんの反応(大学生の分級座談)でも、慈悲の面が中心で、なかなか智慧の面が出でこなかったのは、もう少し踏み込んで聞いてもらいたいところだ。

 もうひとりは、子供の時には随分個性的であった男性で、ぼくとしても感慨深い。
 罪悪がテーマである。ほんとうに率直に、分からないことは分からない、喜べないことは喜べないと、自然なところでお伝えくださった。子供時代は、ちょっと悪かったらしくて、それを「帳消し」にしてくれる都合のよい念仏であったらしいが、「それってすごく自分勝手な心ですよね」と、彼は言う。
 分級座談で、誰かがいった。「分からないことは分からないと言っていいのだ」と。当たり前のことであるが、それを率直に表明できるかが、結構、難しい。大人だった同じことである。みんな優等生になってしまう。その方が、信心に近いように間違うのだ。でも、彼は無明ということを、自然体に教えくれたように思えた。

 二人が異口同音に言ったことは、前に立ったらまったく違っていた。難しいかった、ということである。

 その経験が大切である。いろいろと課題もあったので、ぼくもその後で指摘させてもらったが、一度、経験したことで、それがスッーと理解してもらえるのが、よく分かった。簡単なように見えていても、伝えることの難しさを実感することは、結局、どれだけ自分が理解して身になっているのかが、問われることにほかならない。そのことに気付いてもらっただけでも、大収穫の集いだった。

|
|

広島支部法座~法友のご往生~

 1月に廿日市市で広島支部法座があった。その時、会場の近くに住んでいる同人のTさんもお参りされていた。腰が痛いということだったが、普段どおり、元気に発言されていた。法座が終わり会場の出入り口で、一言声をかけ、「また来月お会いしましょうね」と、笑顔でお別れした。

 それから2週間後のことだ。

 「Tさんが亡くなりました」との突然の訃報。

  「エッ!」と驚いた。まだ60代の後半だ。先日も、60代の同人の訃報が届いたばかりだ。その方は闘病中で、お見舞いにも伺っていた。

 でもTさんはお元気だった。何でも急に倒れられてから2、3日ほどでの急死だったようすだ。 

 浄土真宗では、阿弥陀さまの本願力のお力で、そして他力の信心を獲得したならば、必ず浄土往生の身とならせていただくのである。だから冥福など祈る必要はない。

 それでも、凡夫の情としては、仲間との別れは寂しく、悲しいものである。ましてや突然の死には驚かされる。

 Tさんは、この広島支部の一員であり、共に聴聞した御同朋・御同行である。以前は,法座の会場の確保にご苦労くださってもいた。今は会計係をしてくださっている。

 法話の冒頭、亡くなったTさんを偲び、そのご尽力のおかげを知って、皆さんと共に大きな声でお念仏を申させていただいた。還相回向のお働きで、また私達の法座にも影向してくださっていることだろう。

 「また次回」などと、明日をも知らぬ命とは思わず、うかうか聞法している私。「また聞ける」「次の法座は」などと寝ぼけている私に、身をもって無常の現実を知らせてくださったのにほかならない。

  「散る桜、残る桜も、散る桜」  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

|
|

修正会~門徒物知らず~

 風は少し強く肌寒いが、穏やかな元日を迎えた。

 修正会にお参りの皆様へのご挨拶に」ついて、連れ合いが尋ねてきた。「明けましておめでとうございます」とは言っちゃいけないのか?と。それを尋ねるには理由がある。悟朗先生が、「別に正月はめでたくない。ほんとうに明けましてというのは、迷いの闇が破れた時だ。その時にこそ、初めておめでとうなのだ」という法話のエピソードを、どこかで耳に挟んでいるからだ。といって、別に目くじらを立てる必要もない。そのこころを理解したものならば、堂々と言えばいいのである。

Img_5020 ということで、新春の法話のテーマは「門徒物知らず」に。もうひとつ理由があっって、昨年末のカウンセリングの会合で、「実家は浄土真宗ですが、門徒もの知らずなので、真宗の教えは知りません」とご挨拶される方があったのだ。残念ながら、本来の「門徒物知らず」の意味ではない。これはしばしばよく間違われることなので、改めて「門徒物知らず」の意味を申し上げることにした。

 お参りは例年より多めだ。初参加の方も多かった。ご夫婦で、ものImg_5029すごく久しぶりにお参りくださる方もあって、うれかしった。また、毎年、この修正会だけお参りくださる方もあるのだ。

 例年のように、一同で、「正信念仏偈」をあげ、「現世利益和讃」を頂く。ぼくは、年末から風邪気味で、声の調子が悪かったが、なんと皆様に助けていただいて、勤行を勤めることができた。

Img_5033  法話は、「門徒物知らず」を中心に、年末年始の所感と、今年の目標を話した。結論からいうと、阿弥陀仏に帰依し、信心一つでお救いに預かるのであるから、他の神仏を頼まず、初詣なども行わず、おみくじや御札などの占い、まじないを否定し、葬儀でも物忌みをせず、いわば世間一般の習俗に馴染まないものを(他派からの批判として)「門徒物知らず」と揶揄されたものである。しかし、それは決して恥ずかしものではない。むしろ、そこを貫きたいものだ。

 その意味で、そんな浄土真宗の念仏者は、世間では少数派だろう。加えて、華光に集うものは、その真宗の中でも少数派に属する。つまり、マイノリティーを堂々と生きることこそ、無碍の一道である。決して、多数派に流されたり、媚たりするのでも、また原理主義的に孤立したり、理解者だけで群れたりするのでもなく、どうその一道を歩みのか。ひとりひとりのご信心のありようが尋ねられる大切な要点と思うのだが、如何? 具体的にお話したが、テーマをもう少し練って、温めていきたいと思っている。

 どうか、今年もよろしくお願いします。

 

|
|

法友を見舞う

  法座のあと、福井の日赤病気に法友をお見舞いにいく。

 かなりお悪いと聞いていた。ご本人の口から「もう長くはない。年内も危ない」という話もきいた。やるべきことはやり尽くされてはいるが、まだまだやりたいこともあっただろう。高齢の方ではないだけに、とても無念だろう。

 ところが、ベットに寝ながら、六字釋のかなり厚い解説書を読んでおられた。脇にはパソコンが置いてある。最後に自分思いを、残された縁者や子供たち、孫たちに伝えたかったというのだ。そのために、最後の力を振り絞り、全身全霊をかけて、遺書といってもいい、文章を書き終えられたのだそうだ。

 執念である。

 まったく予想外の訪問だったらしく、たいへん喜んでくださって、ほとんどの時間を仏法の思いを語り続けられた。まさに篤い言葉が続いた。お疲れにならないのだろうかと思うほど語り続けられた。

  お見舞いにいった僕の方が、元気をもらい励まされていた。

|
|

より以前の記事一覧