カテゴリー「法味・随想」の254件の記事

まもなく報恩講さまです

元旦。今年、最初の電話は、副運営委員長のNさん。報恩講にご講師の欠席の連絡である。続いて、運営委員長のUさんからも電話。同じ件で、変わりご講師依頼についての相談である。幸い、何名か候補があって、すぐに対応をしてもらえた。元日の朝から、ほんとうにお世話様です。

 そして、修正会の休み時間には、報恩講の当番役から相談を受ける。お一人は初めて世話役、もうお一人も、メーンの世話役は初めてとあって、ずいぶんと心配されている。お二人だけで運営するのではなく、しっかりと運営委員会でフォローされるのだが、やはり初めてというのは不安なのだろう。ある意味では、ちょっとうまく連携が行っていないのが気がかりだが、それだけ熱心に取り組んでくださっているともいえる。いずれにせよ有り難いことだ。

 お世話役にもいろいろあって、完全な裏方もあれば、表にでる役もある。当日、忙しい方もあれば、事前準備を頑張ってくださる方もある。そして、そんな皆様の方の力が結集されて、法座が成り立ってく。お客さんとして参加するだけでなく、何かお世話をする。さらに役割をもったり、メーンの仕事をすることで、気付かされることも多い。誰かのためというより、結局、得をするのは自分自身である。

 しかし、だんだんと効率とか、損得のものさしだけで考えるようになる。若い人や新しい人の中には、深く関わると手伝わさせられるのがいやだと、と敬遠される方も増えてきている。仏法が聞きつらい世の中になっているのだ。

 その意味では、親鸞聖人のご恩徳を尋ね、報恩謝徳の念を深くするという報恩講ほど、有り難いものはない。

 皆様、どうぞ、奮ってご参加ください。

◎1月12日(土)~13日(日) 親鸞聖人の報恩講法要

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2019/detail/01/hoonkou2018-1.htm

 

 

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聖語をいただく

 この集いの進行は、ぼくにはこれまでの真宗カウンセリングの関わりの集大成といってもいいものである。どれだけ参加者が安心して、自分の経験したことを、率直に口にだせることができるか。また出された声をどれだけ聞けるのか、そんな雰囲気作りを目指しているのだ。法話はないが、それ以上にぼくの態度や姿勢が問われる法座である。

 だからこそ面白い。やりがいもある。そして5年間で少しずつ改良されていって、称名念仏、黙想(沈黙)、そして語らいの後にお聖教を味わっていたが、前回から、そのお聖教を味わう時間を、大目にとることにした。

 1日目は和讃を1首ずつで、最後に「現世利益和讃」をすべて頂いた。

智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり
信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし(正像末和讃)

弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなふべし(正像末和讃)

男女貴賎ことごとく 弥陀の名号称するに
行住座臥もえらばれず 時処諸縁もさはりなし(高僧和讃・源信讃)

南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して よろこびまもりたまふなり(浄土和讃・現世利益讃)

 2日目は、朝座は源信僧都の「横川法語」、昼座は法然聖人の「一枚起請文」である。

 長い文章になると、皆さん不明な点けでなはく、ひっかかりが出てくるようだ。理屈が増えたり、昔の文章(古典)の理解の質問がでると、ぼくも教示的になってしまうのが反省である。ぼくとしては、二つのご文とも、煩悩一杯(妄念妄想の自性)の地金のまま、愚者と成って(というより愚者そのもの)、称名念仏申せようというご教示だと味わっていたが、皆さん、いろいろとわが胸ととらしたり、言葉の端々ひっかかったりと、苦戦しておられるよにう思えた。ぼく自身も、ながながと「正解」の解釈を述べてしまって、後味が悪かったのは反省材料である。

 それでも、称名念仏の後のこの聖語は響いてくるなー。

またいはく、妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念のほかに別に心はなきなり。臨終のときまでは一向妄念の凡夫にてあるべきぞとこころえて念仏すれば、来迎にあづかりて蓮台に乗ずるときこそ、妄念をひるがへしてさとりの心とはなれ。妄念のうちより申しいだしたる念仏は、濁りに染まぬ蓮のごとくにて決定往生疑あるべからず。「横川法語」

念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし。「一枚起請文」

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法界広しといえども

 像観の「法界身」を詳しく話していると、皆さんとの距離が広がっていくのかよく分かる。ほとんどが、「難しい!」という顔をされているのだ。感想をお聞きすると、率直にそう仰ってくださる方もあったが、一方で、「どんどん引き込まれて聞かせてもらいました」と、言ってくださる方もあったのだ。大概は、難しいという感想だったが、積極的に質疑や感想を送ってくださる方もあって、手抜きをせずによかったと思った。

 その夜、夕食の時に、母から「行巻参照と書かれていたところは、頁数はあっていたけれど、「信巻」の間違いやで」と教えられた。

 講義が終わってから、復習をして、直接、お聖教の頁を当たって確認をしているのだ。そこは、講座時には聖典を開けず、「後で、確認しておいてください」とお伝えしたところである。

 母は、83歳になったのが、まだまだ意欲的に学ぼうという姿勢に、こちらが教えられたと同時に、うれしい気分になった。

「『正直で来い』と言うのが神様です。
『善人になっ来い』と言うのが諸仏です。
『悪人目がけてすくうぞよ』と呼びかけるのは、ただ阿弥陀様だけです。
こんな仏様が法界(ほっかい)広しといえども、どこにおらされますか?」(『仏敵』およしさんの言葉)

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三十三回忌法要

  高山法座に向かう朝、三十三回忌法要のために宇治まで足を延ばす。

 不思議なご因縁で、檀家のようになっておられる。華光会館が完成してしばらく後、ご近所の方からのご主人のお葬儀の依頼があった。それから60年近くの月日が流れたが、息子世代になって、宇治に引っ越しをされてからもおつきあいが続いている。その奥様の葬儀も引き受けたが、その方の三十三回忌が巡ってきたのだ。

 ほんとうの家族だけの集りだったので、45分ほどご法話をさせていただいた。世情を交えながら、母親のご恩や浄土真宗の他力回向のおこころなどをかみ砕いてお伝えしたつもりだ。皆さん、特に実家もお東の檀家だという奥様は、よくうなづき、相槌も打って熱心に聞いてくださる。しかしである。自分事としてのご聴聞、聞法となると、ここからが至難である。チラシも持って、1月の報恩講や4月の永代経の説明をしお参りをお勧めしてみるのだが、ただ愛想笑いをされるだけで、なかなか次の一歩がでないのである。

 お盆の時もそうだが、わざわざ家族が総出で、外まで出て、車が見えなくなるまで、お見送りしてくださる。

 当たり前のことりが、世間では、お寺は亡き人の供養回向の場としてのおつきあいなのである。そこを丁寧に勤めてもらえることを喜んでおられるのである。

 でも、仏法は故人てはなく、今、生きている私の、後生の行先を解決させてもらう一大事であるが、そこに心を寄せるには、転機というか、飛躍が必要なようだ。

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泉佐野の寺院布教~台風禍

Img_8836泉佐野での報恩講の2日間に渡るご縁である。ご承知のとおり泉佐野は海上に関西空港を抱えている。海上からの風もすさまじく、先月の台風21号の被害が甚大だった地域だ。

Img_8835冒頭、「皆さん、大丈夫でしたか?」と尋ねたら、「大丈夫ではなかったです」と、即答される。瓦が飛んだ、窓ガラスが割れた、壁が落ちた、停電が4日間も続いたなどなImg_8834ど、皆さんが答えくださった。確かにブルーシートが被った家が多かった。中には、そのまま何もされないままの空き家もあって、かなり危険な状態である。このお寺でImg_8838も、瓦や漆喰、本堂の窓ガラス、裏庭の木が倒れたりと被害が大きかったそうだ。また、本堂が被害を受けて報恩講を中止さぜるえない寺院も、この地域では多かったImg_8845という。

無常迅速といわれるが、迷っている身には、これから我が身の上に何が起るか分Img_8824からないのである。「一寸先は闇」というが、「一寸先」ではない。まさに今が闇の真っ只中ということが分かっていないのだ。自然災害だけでなはい。わが身の上でも同じこと。迷いを迷いとわからないほど、闇が深いのである。

 

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三回忌法要

   豊中の服部に向かう。ちょうど2年前の9月に、ご示談に窺った。皮膚病に苦しめされ、精神的にも生きる気力を失っておられた。しかし根にあるのは、この世の問題ではく、後生の一大事の不安であった。子供の頃から、横田慶哉師の法脈のご縁に連なっておられたのだ。残念ながら、一足飛びとはいかず、次回のご示談をお約束してお別れした。しかし、「またね」の「また」はなかった。次に連絡があったのは、一カ月半ほどしたころ。ただご示談の日程ではなく、葬儀の依頼だった。六十代後半での、突然の訃報。残された皆さんには、心の整理をつけるのがたいへんだっただろう。

   それから、二年。早くも三回忌も迎えた。愛別離苦の逆縁として、残された二人のお嬢さん方々が、仏法相続をしてくださるようになったことだ。それは、お母様の願いでもある。近しい家族だけでの年忌。『子供の聖典』でお勤めし、そのあとお『正信偈』を勤める。30分の予定だった法話は、40分ほどになってしまったが、残された遺族の皆さんには、故人が聞かれていた仏法の一端をお伝えしたかった。それは故人の願いは、同時、阿弥陀さまの願いでもある。

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教行寺報恩講

Img_8122 大阪支部の翌日は、教行寺報恩講のご縁。

『仏敵』の旅で訪れた大和高田市に近く、高速ICなら隣接していたのに驚いた。野口道場や当専寺は、どこか遠い(憧れもあって)存在であるが、毎年、お邪魔する教行寺の方が物理的な距離(ほんの少しだが)があるのに、グーンと身近に感じられる。

 Img_8138そんなこともあって、今回は、朝座から、後生の一大事と廃立の2本柱について、『仏敵』を通してお取り次ぎをさせていただいた。同じ奈良県の近くに、こんな妙好人がおられたことを知ってもらいたかった。そしてそれは特別なことではない。およし同行は、一文不通の尼さんである。学問や知識はなくても、信の一念に貫かれているのだ。それは了妙さんにも同じことがいえる。しかも了妙さんは蓮如上人のゆかりであるが、教行寺もまた蓮Img_8123如上人のご旧跡という縁がある。要は、信心を喜ぶのは、特別な人でも、学問や知識があるなしではない。皆さん、ひとりひとりの問題である。なぜなら、誰の人にも後生の一大事が迫っているからだと。

 そして、今回、いちばん有り難かったのは、信仰座談会の提案をいたたいたことだ。昼座二席の後、本堂から講師室に場所を移し、有志の方が車座に座り、皆さん一言ずつは発言くださったのだ。華光の皆さんも、高知、京都、大阪からお参りがあって、ご門徒さんと一緒に座ってくださる。ほとんどが顔見知りだが、初めての方も2、3名おられた。最初は、遠慮して、次の間の陰に隠れておられたのが、やっとのことで見える場所に座ってくださり、発言もしてくださったのはよかった。

 時間は40分ほどたったが、それぞれが自分の聞いているところをお話くださった。ここに自ら座られる方は、かなりご教化の行き届いたお同行さんで、感心させられたのだ。まだまだ皆さんとご一緒にとはいかなくても、ひとりでも多くの方のご縁が深まっていくことを願っている。その意味では、少しくさびを打たせてもらえたのかなー。南無阿弥陀仏。

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殺生罪に飲酒罪

Img_7183 Y家の家庭法座では夜座はなく、そのまま「あり田」での宴会になる。いつもながら。これがおいしくて、楽しい一時だ。

 昼座、仏さまのお供えにはお酒や生臭物(匂いの強い食べ物)はお供Img_7174えしないものだが、今では、本願寺の別院でも日本酒がお供えされるという話題が出ていた。
 ところが、数時間もしないうち、目の前に殺生の塊の刺身と肉と、そして酒が並んで、悦にImg_7175入っている。
 
 いつのまにか、いのしし年の皆さんが、「いのImg_7188しし会」を結成されて盛り上がっておられる。大虎ならぬ大猪である。ちなみにぼくは寅年で、イノシシ会に負けない人数が揃っていImg_7187たが、ぼく以外は禁酒されていて大トラ会は不結成に終わった。

 連れ合いはここでは日本酒を中心に、二軒目のスペースワンではウィスキーやカクテルを呑んでいた。家と違ってぼくもうるさく言わないのImg_7194で、心置きなく飲めて大満足である。

 慈心不殺は、世福の善行の第3番目、不飲酒(ふおんじゃ)も、共に人間に生まれるための最低の戒律である五戒の一つである。殺生も飲酒も、地獄行きの罪である。もちろん、浄土真宗は肉食妻帯、お酒もお許しではある。しかし本願の上ではお許しであっても、それが浅ましい業の姿には変わりはない。植木等氏によると、「凡夫とは、『わかっちゃいるけどやめられない』」愚かなも存在ということになるのだ。 南無阿弥陀仏

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日高町での四十九日法要

  朝から豊岡市日高町での四十九日法要へ。予定通り出発したのに、途中で、着ていた法衣を汚すというトラベル発生。すぐに引き返す事態になってしまった。それでも、連れ合いの得意の運転で、無事に到着。高速や自動車専用道がこの町まで伸張し、昔に比べると、1時間Img_7009から1時間30分は早く到着するようになった。大助かりである。

 S家へ入る。茶の間から「いや~、先生ご苦労さまです」という、Sさんの声が聞こえてくるようだ。ぼくが大学生の時から、いちばんご縁を結ばれてもらっているお家である。

 仏壇の横には、若き日の父の五条姿の写真が飾ってある。まだぼくが生まれる前。父が30代の頃なので、もう60年以上前のものである。当時から、ここが法座の会所であり、また父のお宿でもあった。どれだけ多くの念仏者が育ったことだろう。この日高の地だけではない。全国各地の無明業障の恐ろしい「病」を抱えた同人たちが、駆け込んでき、またどれだけの方が大きな幸せをされたことだろうか。日本だけではない、アメリカのお同行さんもお出でになっている。

 その仏法の機縁を、Sさんは護り続けてきてくださった。

Img_6994 満中陰の法要なのだが、親戚だけでなく、近所の方、同人の方も含めて40名以上ものお参りがあった。みんなで心を一つに、お正信偈をとなえ、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏をさせていただく。法話は、仏さまのおこころについてたが、テーマを「四無量心」に絞った。「慈無量、悲無量、喜無量、捨無量」であるが、これを阿Img_6995弥陀札のお心、お働きとしていただいた。哀れで、愚かな、しかも大恩なるものを平気で傷つける私ことを、いちばんに救いたいという大慈のお心で、自らのお命を喜んで、捨ててくださるその大悲のおこころを、「六牙をもった象王」のたとえでお話した。けっこう、皆さん真剣に聞いてくださっていたように思う。

 それにしても、暑かった。少しはましかと思っていたが、昨日は盆地である豊岡市が全国でいちばん暑く、その余韻が残って、今日も38度を超えた。会食場所は神鍋高原のお店だったが、高原の爽やかさとは無縁の暑さ。

 でも御馳走は美味しく、お腹いっぱいになって、二人とも夕食抜き。御馳走になりました。

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葬儀~外護の善知識(3)

2年ぶりに葬儀の依頼。日高支部のS家のご主人が逝去された。

思い出はつきない。日高(当時は江原支部)の日曜学校の後、夜座に初めて大人の法座でお話させてもらった。大学生の時だった。未熟だった。今思うと、ほんとうに恥ずかしい法話をしている。その時にお宿がS家だったが、それ以降40年近く、ずっと日高支部の法座会場として提供してくださっている。父から数えるともう60年以上になる。会場だけでなく、お宿もしてくださるので、家族と一緒に御馳走をいただいた。Sさんは冷酒と決めておられた。晩年は、決まった銘柄のお酒を取り寄せて飲んでおられた。ご信心のことで、深く語り合ったことはない。法座も、勤行と法話が終わるとお休みにいかれた。

それでも、ぼくには外護の善知識であった。いや、ぼくだけではない。この地を訪れる方のお宿や食事を提供くださり、法座をもってくださっていた。日高支部の皆さんにといっても、多くの華光同人にとっても、外護の善知識であった。ご長男でありながら養子に入られた。ご法を第一とするS家は4名とも女性で、その末娘さんと結婚されたのだ。穏やかな性格の人で、娘さんたちも怒られたことがないといっていた。そして、常々、法の相続を願っておられた。「先生、後はよろしくお願いします」と、夕食の席では最後に必ずそう話された。

3年前、40代後半の娘さんを亡くされた。通夜で肩を落とされた姿が、まだ目に焼きついている。通夜の食事にも一切、手をつけず静かに涙を流しておられた。いくつになっても親の子に対する心は重いのだ。その後、ガクンと弱っていかれるのかわかった。倒れられて、そう長くはないかもしれないと連絡があったが、その日、かなり回復もされていた。最後にお会いしたのは、今年の3月の法座の時だ。居間でイスに座っておられた。お声がけしても、言葉は発することはできなくなっておられたが、それでも静かに目配をされて合掌して、お別れの合図を送ってくださった。

葬儀で着衣した夏の色衣と七条袈裟は、Sさんが寄進くださったものだ。七百五十回大遠忌の記念とさせていただいたのだ。あの頃のさまざまな思い出甦る。苦しい時に、快く応援くださったのが身にしみる。七条袈裟の裏にはSさんの名前が縫い付けてある。その袈裟を着衣して、Sさんの葬儀を執り行うことになった。ここでも深いご因縁。万感胸に迫る。

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