カテゴリー「法味・随想」の284件の記事

おみと様の一言

 昼間の発送に続いて、夜は、「仏書を親しむ会」。『仏敵』もいよいよ最終章の第九章「深信の徹底」である。名所が随所にあるが、伊藤先生に深信の徹底された後、同行たちの仏法讃嘆の一言である。

「なあ! 泣くは我、泣かすは親ぞ! 親の手許には五劫永劫のご苦労がある。坊んち(伊藤先生のこと)、大切にいただきましょう。いくら喜んでも喜び尽くせるものではない。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」

 静かなる道場の空気を震わせるすすり泣きの声は、一声一声の念仏と共に、鋭く私の魂の奥へ食い込んでくる。ああ! 祖聖親鸞の御同行は、この貧しき念仏道場にましませるか。久しく求めて得ざりし如来の家は、この狭く薄暗き小道場の中に建てられたるか。人間こそ光明よ。同行こそ我が善知識よ。

 そうなのだ。間違いなくこの100年前の貧しき念仏道場での念仏讃嘆の声が、いまこの華光会館の道場に「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と響き渡り、この私の胸に至り届いてきているのだ。

 「大切にいただきましょう。いくら喜んでも喜び尽くせるものではない。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」という、伊藤先生へのおみとさんの言葉は、私にかけられた言葉でもある。粗末に、片手間にご法を扱ってはいないか。ほんとうに大切に、大切にいただき喜ばせていただこう。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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DVD『南無阿弥陀仏のこころ』

「k-企画」(若き日のk先生の撮影・編集)が制作した、DVD「南無阿弥陀仏のこころ」を、3度続けて拝聴する。

 先週から始まったリモート座談会で、この法話をみんなで分かち合うためだ。

 もちろん何度も観てきたものだが、こんなことがなければ、改めて観ることはなかった。皆さんも、すでにお持ちだろうと思ったら、12名の参加者のうち8本が新規で購入、売り上げにも少し貢献したか、、、。

 休憩なく100分の法話だが、やはり後半20分は説法獅子吼は有り難い。同時に、お叱りをうけているようで、反発の心も起こってくるのが感じられた。結局、最後はこの印象が強くなる。逆に前半が心に入ってこない。なんとなく流していくのである。それでもう一度、2度目は少しメモも取りながら聞いた。20年と半年前である。聴衆が若いので、おもわずここは巻き戻した。いまはご講師の先生もまだ大学生。2度も話しかけられるSさんは、まだ高校生。いまは、母となり、さらにお腹の中にもいのちが宿っている中で、今回のリモート座談会に参加中。親のご恩徳のところは、きっと感慨深く聴こえたことだろう。残念ながら、ぼくは反対側にいたので映っていない。

 一度で、終えるのはあまりにもったいないので、今週も、「南無阿弥陀仏のこころ」を拝聴して分かち合うことにした。それで、もう一度拝聴する。3度目、え~、こんな話があったのかという驚きが起こる。いかにいい加減に聞いているかだ。もし話し合うことでもなければ、まともに見てはいないだろう。「南無阿弥陀仏のこころ」というより、タイトルは「南無阿弥陀仏のすがた」か「南無阿弥陀仏のおいわれ」でもよかったなーと。

 聞き放しではなく、一緒に味わい、語り合うことが決まっていると、こんなにも聴き方が違うのかと、自分のいい加減さを実感。皆様のもう一度、聞き直してください。詳しくは以下を華光会HPをクリックしていただくと、冒頭がいただけます。南無阿弥陀仏

  南無阿弥陀仏 声は一つに、(意)味二つ
    親の呼ぶ声 子の慕う声

http://keko-kai.la.coocan.jp/book/dvdnamu.kokoro.htm

 

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月を指す指

 お釈迦様は真理(理法)を悟られ目覚めをされてブッダになられたときに、伝道をためらわれる話は有名だ。体得された深い真理を、欲得に狂う人々に伝えることが、いかに至難の業であるかを分かっておられたからだ。しかし、梵天勧請によって説法による伝道を決意されるのである。そのとき、釈尊が悟られた真理も、またその真理を釈尊が伝えられた言葉も、共に「法・ダルマ」である。前者を「理法」、後者を「教法」というのである。「教法」は真理であるが、言葉は真理そのものではなく、あくまでも真理の月を指し示す「指」なのである。

 リモートでの信仰座談会。表情は見えても生身ではないので、雰囲気や間合いよりも、ますます言葉を頼りに聞く確率が高くなってくる。

 DVD『南無阿弥陀仏のこころ』の中に、
「『はい』でもない、『分かりました』でもない、『称えます』でもない。火に触れたら「熱い!!」と間髪いれずに絶叫するように、一度も死んだことのない業魂に飛び込んできてくださった阿弥陀様の呼び声、「南無阿弥陀仏」しかないのだ」という勧めがあった。

 すると、「はっきりしない、体験のない信心はダメということですよね」という質問が出る。そんなことは仰っていないが、自分で置き換えて理解しようとしている。しかし、お勧めの言葉は、真理の月を導き示す指でも、けっして真理そのものではない。しかし、凡夫の私は、何か手がかりがないと前に勧めないと思いこんでいる。だから、その言葉に固執して、それが自分の胸に腑におちることが信心だとさえ曲解していくのである。

 結局は、聖教の文句やお勧め言葉を頼りにしたり、それを喜べる感情をたよりしたりしている。知的であろうが、情的であろうが、我が身の理解や感情を第一にして、阿弥陀様のおこころを二番手に押しやっているのであるから、ころころ変わる自分のところを一喜一憂しているのにすぎない。

 泣いたのも、分かったのも、有り難いのも、私のこちら側は、すべて虚仮で、まったく用事がないのが、不思議の世界 南無阿弥陀仏。

 

 

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K先生の訃報に接して

 今月の初め、北九州のK先生の訃報を、人伝えにお聞きした。

 次回の誌上法話にするために、晩年の先生の法話CDを拝聴している。会館での最後のご法話は6年前だ。ご病気で倒れられた後で、かなり弱っておられるのが声からも分かる。呂律も回らず、話も同じことの繰り返し。以前のような迫力もはない。明かにその2年前の元気なお声とは違っていた。続けて聞くと、これがハッキリする。これを文字化し、重複部分をカットして要旨をまとめると、半分程度にまとまるだろう。しかし文字にしてだけでは分からない感じを、どこまで伝わることができるのか。文字にして分かり易くなる部分はあるが、ライブならではのお声から察せられる雰囲気が損なわれるだろう。

 「ここは後生の一大事を解決を求める場所。信心をハッキリとさせてもらうところだ」と、病身を顧みず、命懸けのご説法であった。

 それは、K先生の生き方でもある。ご住職ありながら、自らの信心に妥協されることなく、また回りの空気に流されることなく、真実信心を求められ続けられた。どんなに苦しくても、決して諦めることなく、最後の最後まで貫き通れた御方である。その歩み続けられたお姿は、最後の求道者だったかもしれない。

 それは、善知識でもあったご母堂、T枝さんの姿そのものでもあった。

 よく精神を継ぐとか、志を受け継ぐとかいわれるが、K先生の場合は、その生きざま、その態度に、その信の相続が具現されていたと思う。
 では、これからの世。体制に流れることなく、回りに媚びへつらい誤魔化さずに、信じるところを貫き通された、先生の生きざまを引き継ぐ人が現われるのだろうか。南無阿弥陀仏

 

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F家の法供養法要

4月上旬は、恒例のF家の法供養法要が営まれる。

 高齢で、ご家族以外のお参りとは減ってきて、今年は合計3名。それでも、少しでもご縁をつけたいという、家人の熱意は頭が下る。このような状況下でも、例年のようにお勤めくださった。ほんとうに有り難いことである。

 ご法話は、「らいさんもん」いただいた。

「われいま幸いに、
 まことのみ法りを聞いて
 限りなきいのちをたまわり
 如来の大悲にいだかれて
 安らかに日々をおくる
 謹んで深きめぐみを喜び
 尊きみ教えをいただきまつらん」

 世間が騒がしい中、この身に何が起こっていても、この尊い南無阿弥陀仏のみ教えにで会い、安らかな日々と頂けるこどが、勿体ない。南無阿弥陀仏
  

 

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独生・独死、独来・独去

 2月22日にご往生された、Mさんの四十九日法要を営む。

 葬儀があったホールでの法要。もともとは身内だけで多くない集いだったが、キャンセルが続いて10名ほどがお参り。全員、マスクで着用、間隔をあけて着座だ。幸い(?)なことに、勤行の声はあまりでなかった。たぶん自粛されていたのだろうか。

 40分ほどの予定していた法話も20分ほどに短縮。四十九日法要の意義、そして還相回向のお働きについて、なるべく平易にお伝えしたが、ほとんど反響が感じられなかった。
 最後は、家族5名と一緒に、会食した。家族ならではの故人を偲ぶ話が聞けた。それでも、彼女の場合、ぼくも35年以上、かなり密接におつきあいさせてもらってきたので、逆にぼくからも話題を提供することができた。

 かなり重篤となってから、それでもまだ意識があるときに、ご主人が

「独生・独死、独来・独去やな。お前はお前の業を、ぼくはぼくの業を、それぞれ受けていかないかんなー」

と話したら、分かったのか、静かに頷いておられとのことだ。そして、これが仏法のことでは最後の会話になったとの話が、有り難かった。

 家族に囲まれようと、どれだけ仲間がいようと、独りで生れ、そして独りで死んでいくのである。しかも自らの業の道理によって、独り出ていくかねばならないなだ。南無阿弥陀仏

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下輩段(5)~善知識の金言~

 さて、以上の下輩段を踏まえてのお味わいを追加します。
 いまの私達も、念仏を申していても、どこかで、自分の有り難いとか、勿体ないとかの心がこもった念仏に意味があり、逆に、心が動かない念仏には機械的で意味がないと見なしていませんか。結局、仏様のご苦労ではなく、自分の胸のよし、悪ししか見ていない。それが我が身、我が力を頼りにする自力の計らいであるのに、それが間違いでとは聴けないわけです。この辺りを、ぼく自身の体験上での味わいからひとこと。

「『南無阿弥陀仏』には自力も他力もないぞ」。

 自力一杯で、からだ中でもがき苦しむぼくに向って、善知識の一言が、恐ろしい自力の壁を突き破っていきました。そうだったのです。自分でこの念仏は自力だとか、自分で称えているという恐ろしいうぬぼれがあったのです。ほんとうは全部頂きものの他力なのに、どこかでほんとうの念仏かあるとか、意識して称えているのは自力の念仏だとか、自分自身が決めつけていたのです。それこそが恐ろしい自力の心だったとも知らずに。結局、地獄行きのまっ暗闇の自分の姿も分からず、そんなものを何劫も間見捨てず、働きかけて、南無阿弥陀仏となって飛び込んで来てくださっていたも分からず、遠い遠い、方向違いのところを探して回していました。ほんものの念仏がある。他力の念仏があると、間違った聞法をし続けてきたのです。

 結局、自力を自力で破ることはできなかった。そこを破ってくださっのたが、善知識の一言でした。そして、その声に順って、お念仏申させていただくこうと一歩を踏み出させていただいただけのことです。実は、それまでも狂ったようにお念仏していました。でもそれは、助かりたい、はっきりしたいばかりで、自分ばかり力んだ力んだ、自力一杯で称えていました。

 でも不思議にも、この一言が入ってきたのです。それで、「よし、称えるぞ」と大きく宣言して、「南無阿弥陀仏」と称えました。その瞬間、すべてがひっくりかえってしまったのです。

 でも、ひっくり返ったから意味があったのではありまんせ。それまで絶対に従わず(助けほしいとか、聞かせてほし、といっているのに)実は自分の中ですべて答えをつくり、自分の心境の変化ばかりを眺めて、結局は、仰せに逆らい続け、疑い続けて来ました。まさに、逆謗の死骸でしかなかった。絶対に従うことも、絶対に称えることも、絶対に救われることもないものが、地獄に行くのは嫌だ、助かるはずだと、本末轉倒していただけでした。
 それが、不思議なことに、昿劫の初事で、仰せに従わせてもらったのです。南無阿弥陀仏ですべてでした。それが阿弥陀様でした。それなのに「自力じゃ、他力じゃ」とはからい続けて、逆らい続け来たのでした。ぼくは、ただ墜ちていくだけ、地獄一定の身でしかなかった。そのことが、無明の身にも不思議にも明かにあったのです。すべて南無阿弥陀仏の働き、南無阿弥陀仏の響きです。

 

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臨終勤行

 ちょうど一年前のこの日、講習会の時に、「昨年末からずっと体調が悪いので、月曜日に検査を受ける」と言われていた。数日後、検査の結果は、膵臓や腎臓などの癌が転移にステージ4で、すでに手術も無理という状態であった。年末から今年に入って、かなり悪いと聴いていてたが、ご本人も、回りもそれなりに覚悟はしいたが、ついにその時がきたのである。

 臨終勤行(世間での枕経)のために最後の対面である。霊安室におかれたご遺体は、一回りも二回りも小さくなられている。在りし日のふくよかな顔だちは見る影もなくだ73歳というのに老婆のようなやつれたおすがたであった。

 40年に及び長いおつきあいだった。熱心に通い続けられた求道の時の姿も印象深い。いまでは信じられないのでだか、そのころは寡黙で、指名しても、「頭が真っ白で何もいえません」というのが精一杯。なかなか心境は進まなかった。

 もろろん、その後のご聴聞の姿も、いいことも、悪いことも含めて何でもあってその思い出は語り尽くせない。ある意味で、むきだしのままでのおつきあいだった。法座での活躍は皆さんもご承知のとおりだが、一方で、腹を立てたり、愚痴を言ったりも容赦なく、一旦、へそを曲げると、延々続く愚痴を何度も聞かされて、閉口したともたびたびあった。彼女を苦手に思っていた人もあった一方で、信心の上で慕っていた人もおられた。

 勤行の最中、見上げて仰ぐ変わり果てた死顔ではなく、元気なころのお顔やしぐさが、お声が、ふとありありと浮かび上がってきて、思わず、声が詰まってしまうことが何度かあった。気持ちを切り換えて、どうにか最後まで勤めあげられた。『阿弥陀経』をお勤めしたのだが、少し前に、インドの祇園精舎で勤行した時の思いも去来してきたからである。

 また一人、個性的な念仏者が往生され、あの個性的な味わいが聴けないとおうと、やはり寂しい。が、これも仏説どおりで、驚くことでも、歎くことでもない。南無阿弥陀仏 

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少欲知足

 修正会で、頭陀行や五観の偈の法話をしたが、「食」について、正月ほどその浅ましさを実感させられることはない。三ケ日は御馳走三昧だった。いや正確には、正月だけではない。日常生活の中でも、御馳走に囲まれているのである。それでいて足りることを知らない。五観の偈の第三番目には、上食(御馳走)には貪欲を募られ、下食(粗食)には愼恚を起し、中食(普通の食事)には愚痴が起こるとある。
  
 修正会が終わって、今年は先斗町で御馳走をいただいた。その後、義兄と、連れ合いと一緒に、もう一軒、水族館のようなBARで飲んだ。法話の後なので、食のことがひっかかりながらも、御馳走を前にし、アルコールをいただくと、ただ「おいしい」とか「珍しいな」と喜んで食らうだけの、餓鬼や畜生となってしまう。まさに、上食(御馳走)には貪欲の姿である。

 結局、凡夫の身は 死ぬまで「無欲」にはなれない。がしかし、そうだといって、開き直って垂れ流しのままでいいのか。せっかく、「食事の言葉」をあげているのだ。「無欲」にならなくても、一旦立ち止まった、「少欲知足」のお心を考えてみた。

 「欲は少なく足ることを知って、貪り、怒り、愚かさ(三毒の煩悩)を離れていた」。

 法蔵菩薩様の兆載永劫のご修行の中のお姿である。

 悲しいことに、凡夫の身は死ぬまでこの欲から離れることはできない。しかしその時に、「足る知る」という言葉は、尊いことではないか。満足することのない、もっともっと欲望を募らせるばかりの私達。結局、その元は、満たされなさ、欠乏感、そして大きな不安があるからこそ、貪求していくのであろう。この肉体を持つかぎり、煩悩は消し去ることはできない。しかしである。法の上では、唯一満ちる世界があるというのだ。決して、私の力に寄るのではない。阿弥陀様から回向される南無阿弥陀仏のお功徳が、無漸無愧のこの身にも満ち満ちてくださるのである。南無阿弥陀仏ひとつで、大満足する世界。まさに「足るを知る」世界がある。それは、阿弥陀様が、「欲は少なく足ることを知って、貪り、怒り、愚かさを離れて」くださった積み上げたお功徳を、南無阿弥陀仏として成就したおかげというしかないでのある。南無阿弥陀仏

 

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廃仏毀釋は生きている

 『仏教抹殺』~なぜ明治維新は寺院を破壊したのか~の記事ではないが、関連して、華光誌の巻頭言の言葉が、鋭く突き刺さってくるので、紹介する。

 いまから50年前の華光誌の巻頭言に、「廃仏毀釋は生きている」という西光義敞先生の記事がある。短い記事をさらに要約すると、

「明治維新100年を祝賀しようという中で、「けっこうじゃないか」という単純さでは困る。だれが、なんのために、そういう音頭をとっているのか、よくみきわめなぱならぬ。そして、明治以降、わずか百年で立派な近代国家になったという人は、国家原理を貫くために、個人の尊厳をじゅうりんしてきた日本の罪業百年史に目をつぶるものだ。その罪業の重大な第一ページが、廃仏毀釋だ。しかも、敗戦よって、明治国家が滅んだというのも幻想で、いまだに、廃仏毀釋の影響はさまざまに形をかえて、われわれ日本人の精神生活を蝕んでいる。 江戸時代以来、庶民の中にあった仏教大事の精神は、急速にうすらいだ。外道化した自分の変質に気づかずに、廃仏毀釈の間を生き残った数少ない念仏者をほのかに恋う。そんなことでよいのか。」

 昨年は明治維新150年だった。それだ、大河ドラマも「西郷どん」で、明治維新の功績が取り上げられていた。それほど明確な盛り上がりはなかったが、一部で祝賀ムードがあったのは、100年前と状況は同じことだろう。では、それに対して現代の、私たち仏教徒、念仏者の態度はどうであるのか。
 西光先生の文章は、このように結ばれている。

 「明治以来百年、いったい仏教徒のだれが、いつ、どんな形で、廃仏毀釈にいのちがけで戦いをいどむのか」

 驚くほど厳しい文章に、身震いする。

 南無阿弥陀仏 

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