カテゴリー「法味・随想」の243件の記事

集落の中心に信仰

Img_6620休憩時間、お寺の周りを散策する。

山合いの集落、山があり、河があり、のどかな風景が広がり、美しい。
Img_6607当然、コンビニも、お店も、自販機もない。信号機もないのである。
Img_6610しかし、集落の中心は信仰がある。

そこかしこに石碑や石仏が点在している。

中央の小高い地に、神社があった。

Img_6611その向いにおImg_6629寺。真宗大谷派の寺院である。

ここを散策中に、古老に出会った。この村の中心はお寺に隣接する毘沙門さまだという。なんでも、応仁のImg_6632乱のころ、赤松氏ゆかりImg_6637毘沙門さまをImg_6641お祀りすることから、この集落が始ったという。寺院の横に、数段の石垣の上のお堂が毘沙門堂。残念ながら扉は閉まっていた。ここはお東のお寺が収めているという。Img_6650

Img_6673 そしてもう一つが、本願寺派の法林寺である。

 500有余年の歴史がある古刹だ。毘沙門堂の話をすると、「こちらは、阿弥陀堂を預かっています」とのことだ。クネクネした細い集落の道を入っていくと、阿弥陀堂があった。今は公民館として使われているようだImg_6696が、ここの阿弥陀さまは、坐像だという。かなりの歴史があるようだ。

小さな山間の集落だが、何百年も篤い信仰と共にあったことがよくわかる。法林寺も、小振りImg_6657ながらも風格のあるお寺なのも、その所以であろう。単なる建物の相続ではなく、そこに信心の喜びの相続があったことだと思われる。これからは何かと難しい課題もあるだろうが、形式だけでなく、ご信心の相続もしていただきいものだと、そんな内容のご法話は最後に付け加えた。
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  ≪榊の阿弥陀堂↑≫ 
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≪ちょっとバランスの悪いドラえもん像↑≫ 

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お斎

Img_6284 お昼にお斎を頂戴する。長年続く伝統の味である。器をまもり、味をまもり、そして伝統を守っていく。相続することはなかなかたいへんなことである。ある求道者の方が、確かにお斎は美味だったが、Img_6286昼食、夕食、そして昼食、夕食と続くと、肉が食べたくなって、コンビニでフランクフルトを貪り食べていたと書かれていた。でも、講師はお斎はImg_6289昼座のみ、夕食は豪華なステーキが出てきたりする。

 有り難いことに、連れ合いも一緒に呼んでくださっている。彼女は、夜の懇親会を楽しみにしているのだか、一Img_6300昔前に比べると、常連メンバーも多忙になり、年齢と共に無茶ができなくなっている。今夜も、一人去り、二人去りで、2時を過ぎると住職とぼくたち夫婦だけになっていた。初日は久しぶりにA氏もいて、連れ合いが盛んにダメだしをしていのが、Img_6295面白かった。さすがに最座までは付き合わなかったが、それでも3時近くまで付き合っていたと思う。父と子の長年の確執が一触即発の緊迫した場Img_6308面まで体験させてもらった。有り難いことである。

 休み時間にはお寺の周りを散歩する。3日間ともあいにくの天気だったが、初日はまだ曇り空だった。中庭のさつきが花を咲かせている。例年、菜の花が満開の時間なのだか、今年は様子が違った。護岸工事中で、河原も無残なままだっのはびっぐたした。境内には、樹齢500年近い巨木がかわらず聳えているのだか、実は、少しずつでも風景は変わっていくようである。

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春の仏の子供大会で感じたこと

 春休みに行われた「春の仏の子供大会」。「講習会」を2月に変更してまで春休みにこだわった。そのおかげで、久しぶりに参加者が多かった。班対抗での活動ができたのである。

 ただ、以前と違ってきている。子供たちもいろいろな個性のある方がおられて、一筋縄ではいかない。じっとしておれなない子もあれば、極端な人見知り、声が出づらい子もいる。個性ではあるが、その中で同時に集団生活や一体感のある集いになるのかは、先生の力量もまた試されてくる。その分、先生も手厚い人数が揃った。幼稚園や小学校の先生も交じっておられるので、どうにか2日間を事故もなく過ごすことができた。それが一番有り難かった。

 そしてもうひとつうれしかったのは、3回の法話のうち、初めて担当される方が2人もあったことだ。二人とも、子供大会の出身である。ひとりは大学生で、トップバッター。テーマ「仏さまについて」である。みんなに問いかけ、そして自分なりに考えたところを述べてくれた。子供のときに「因果の道理」ということが印象に残っていたという。ただ、仏さまに関しては、皆さんの反応(大学生の分級座談)でも、慈悲の面が中心で、なかなか智慧の面が出でこなかったのは、もう少し踏み込んで聞いてもらいたいところだ。

 もうひとりは、子供の時には随分個性的であった男性で、ぼくとしても感慨深い。
 罪悪がテーマである。ほんとうに率直に、分からないことは分からない、喜べないことは喜べないと、自然なところでお伝えくださった。子供時代は、ちょっと悪かったらしくて、それを「帳消し」にしてくれる都合のよい念仏であったらしいが、「それってすごく自分勝手な心ですよね」と、彼は言う。
 分級座談で、誰かがいった。「分からないことは分からないと言っていいのだ」と。当たり前のことであるが、それを率直に表明できるかが、結構、難しい。大人だった同じことである。みんな優等生になってしまう。その方が、信心に近いように間違うのだ。でも、彼は無明ということを、自然体に教えくれたように思えた。

 二人が異口同音に言ったことは、前に立ったらまったく違っていた。難しいかった、ということである。

 その経験が大切である。いろいろと課題もあったので、ぼくもその後で指摘させてもらったが、一度、経験したことで、それがスッーと理解してもらえるのが、よく分かった。簡単なように見えていても、伝えることの難しさを実感することは、結局、どれだけ自分が理解して身になっているのかが、問われることにほかならない。そのことに気付いてもらっただけでも、大収穫の集いだった。

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広島支部法座~法友のご往生~

 1月に廿日市市で広島支部法座があった。その時、会場の近くに住んでいる同人のTさんもお参りされていた。腰が痛いということだったが、普段どおり、元気に発言されていた。法座が終わり会場の出入り口で、一言声をかけ、「また来月お会いしましょうね」と、笑顔でお別れした。

 それから2週間後のことだ。

 「Tさんが亡くなりました」との突然の訃報。

  「エッ!」と驚いた。まだ60代の後半だ。先日も、60代の同人の訃報が届いたばかりだ。その方は闘病中で、お見舞いにも伺っていた。

 でもTさんはお元気だった。何でも急に倒れられてから2、3日ほどでの急死だったようすだ。 

 浄土真宗では、阿弥陀さまの本願力のお力で、そして他力の信心を獲得したならば、必ず浄土往生の身とならせていただくのである。だから冥福など祈る必要はない。

 それでも、凡夫の情としては、仲間との別れは寂しく、悲しいものである。ましてや突然の死には驚かされる。

 Tさんは、この広島支部の一員であり、共に聴聞した御同朋・御同行である。以前は,法座の会場の確保にご苦労くださってもいた。今は会計係をしてくださっている。

 法話の冒頭、亡くなったTさんを偲び、そのご尽力のおかげを知って、皆さんと共に大きな声でお念仏を申させていただいた。還相回向のお働きで、また私達の法座にも影向してくださっていることだろう。

 「また次回」などと、明日をも知らぬ命とは思わず、うかうか聞法している私。「また聞ける」「次の法座は」などと寝ぼけている私に、身をもって無常の現実を知らせてくださったのにほかならない。

  「散る桜、残る桜も、散る桜」  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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修正会~門徒物知らず~

 風は少し強く肌寒いが、穏やかな元日を迎えた。

 修正会にお参りの皆様へのご挨拶に」ついて、連れ合いが尋ねてきた。「明けましておめでとうございます」とは言っちゃいけないのか?と。それを尋ねるには理由がある。悟朗先生が、「別に正月はめでたくない。ほんとうに明けましてというのは、迷いの闇が破れた時だ。その時にこそ、初めておめでとうなのだ」という法話のエピソードを、どこかで耳に挟んでいるからだ。といって、別に目くじらを立てる必要もない。そのこころを理解したものならば、堂々と言えばいいのである。

Img_5020 ということで、新春の法話のテーマは「門徒物知らず」に。もうひとつ理由があっって、昨年末のカウンセリングの会合で、「実家は浄土真宗ですが、門徒もの知らずなので、真宗の教えは知りません」とご挨拶される方があったのだ。残念ながら、本来の「門徒物知らず」の意味ではない。これはしばしばよく間違われることなので、改めて「門徒物知らず」の意味を申し上げることにした。

 お参りは例年より多めだ。初参加の方も多かった。ご夫婦で、ものImg_5029すごく久しぶりにお参りくださる方もあって、うれかしった。また、毎年、この修正会だけお参りくださる方もあるのだ。

 例年のように、一同で、「正信念仏偈」をあげ、「現世利益和讃」を頂く。ぼくは、年末から風邪気味で、声の調子が悪かったが、なんと皆様に助けていただいて、勤行を勤めることができた。

Img_5033  法話は、「門徒物知らず」を中心に、年末年始の所感と、今年の目標を話した。結論からいうと、阿弥陀仏に帰依し、信心一つでお救いに預かるのであるから、他の神仏を頼まず、初詣なども行わず、おみくじや御札などの占い、まじないを否定し、葬儀でも物忌みをせず、いわば世間一般の習俗に馴染まないものを(他派からの批判として)「門徒物知らず」と揶揄されたものである。しかし、それは決して恥ずかしものではない。むしろ、そこを貫きたいものだ。

 その意味で、そんな浄土真宗の念仏者は、世間では少数派だろう。加えて、華光に集うものは、その真宗の中でも少数派に属する。つまり、マイノリティーを堂々と生きることこそ、無碍の一道である。決して、多数派に流されたり、媚たりするのでも、また原理主義的に孤立したり、理解者だけで群れたりするのでもなく、どうその一道を歩みのか。ひとりひとりのご信心のありようが尋ねられる大切な要点と思うのだが、如何? 具体的にお話したが、テーマをもう少し練って、温めていきたいと思っている。

 どうか、今年もよろしくお願いします。

 

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法友を見舞う

  法座のあと、福井の日赤病気に法友をお見舞いにいく。

 かなりお悪いと聞いていた。ご本人の口から「もう長くはない。年内も危ない」という話もきいた。やるべきことはやり尽くされてはいるが、まだまだやりたいこともあっただろう。高齢の方ではないだけに、とても無念だろう。

 ところが、ベットに寝ながら、六字釋のかなり厚い解説書を読んでおられた。脇にはパソコンが置いてある。最後に自分思いを、残された縁者や子供たち、孫たちに伝えたかったというのだ。そのために、最後の力を振り絞り、全身全霊をかけて、遺書といってもいい、文章を書き終えられたのだそうだ。

 執念である。

 まったく予想外の訪問だったらしく、たいへん喜んでくださって、ほとんどの時間を仏法の思いを語り続けられた。まさに篤い言葉が続いた。お疲れにならないのだろうかと思うほど語り続けられた。

  お見舞いにいった僕の方が、元気をもらい励まされていた。

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お通夜

   聖典講座を終えて、すぐにお悔やみにいく。10月も聖典講座のあと、同人の方のお通夜に列席したが、今度は町内会の方。

 「南無阿弥陀仏」のお名号なので浄土真宗かなと思ったが、法名が違う。浄土宗西山派のお通夜だった。浄土宗の通夜や葬儀は何度もあるが、西山派は初めてかもしれない。最初に「枕経を勤めます」といわれ、その後で通夜勤行になった。勤行時間は45分はあって通夜にしては長い。しかも一般のお焼香が始まったのは、開式から35分など経ってから。通夜は「帰三宝偈」だったが、そこまでも、さまざまな経文の断片が続いていく。やはり宗派によってお勤めがちがうようだ。

 通夜になっても、短いお経が続いて、『観経』の一節と(たぶん)「五会法事讃」の一文、ぼくが理解できたのはそれくらいで、大半の御文はわからなかったが、罪悪衆生の姿が次々出てきたり、本願の尊さを述べられたりする表白(?)のようなものが有り難かった。

 浄土真宗とのいちばんの違いは、鳴り物の派手さだ。右手で木魚、左手で鑒を交互に鳴らすところもある。それがおわったら、鉦(しょう)、伏せ鉦(かね)の甲高い音が響く。これにお念仏と合わさるとグングン迫ってくるものがある。

 がっかりしたことは、せっかく同唱十念があるのに、皆さんにお勧めされなかった。そして、勤行が終わるとそのまま退場された。通夜にご法話があるのは、浄土真宗だけなのかは知らないが、長いお経に、一般席はあいさつなどのざわめいていた。

 それにしても、町内会の高齢化は激しい。小さな世帯数だが、毎年2~3軒のお悔やみがある。だいたい父か母の同世代の方ばかりで、古くからのご近所さんが亡くなっていくのだ。今夜列席していた方も、ぼくの世代の方が2、3名の他は、大半はそんな方。足が不自由で、お焼香がたいへんなかもおられる。しかも、ここ数年で、連れ合いとか、子や親を見送った方か大半だった。

 僧侶の説教はなくても、それだけでも生きた無常のご説法。

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ご示談にて~聴聞は具体的に~

   華光大会が終わって、ずいぶんと大きな力をもらい、やる気もいただいた。それは参加の皆様も同じで、ご法を喜んでおられる方も、またまだグズグズと悩んでおられる方にも、さまざまけな影響を及ぼしている。大会の翌日から「心境を聞いてもらいたい」とか、「最後の法話での質問がある」とかいう電話が続いた。感想をメールでくださる方も多い。ご法に撃たれたのは、ぼくだけではないのだ。

   昨日も、「東京から京都まで行くので、ご示談をお願いします」という方があった。これまであまりご縁のなかった方で、会館は2、3度という方である。大会はフル参加だたっが、一度も座談会に出席されていない。食事も懇親会も別だったので、その心境も、これまでの経過もほとんど知らない。当たり前のことたが、一方的に説教することがご示談ではない。相手の心境や問題点もよく知らなければ、お話することはできない。それで、だいたいこんなお申し出は、「まず法座や座談会にご出席ください」と申し上げるのだが、今回は、ちょっとしたご因縁もある方なので、「では、ご示談というのではなくご心境をお聞きするのなら」と引き受けることにした。

 やりとりの詳しいことは述べられないが、実に、ご自分の姿を繊細にご覧になり、詳しくお話くださる。そのことは関心したが、法座で自分が感じたこと、受けたことばかりで、肝心の阿弥陀様のことは一言も(みごとに一語)出て来なかった。もろちん、吐き出すだけださねばならないということもある。一通り、聞き終わって、「ここまで語られて、どんな感じがしますか」と問いかけると、ご自分でも、そのことに気付かれているようだった。

ところで、「阿弥陀様のご苦労が私のこととして感じられません」という方がよくおられる。そこで、「では、阿弥陀様のご苦労とは具体的にどう聞いていますか」と問う。だいたい、「私を救うためにたいへんなご苦労をしてくださった」というような返事が返ってくる。では、「たんへんなご苦労とは何ですか」と重ねて問うと、大半はそこで詰まられるか、または「南無阿弥陀仏を成就してくださるために、いのちを投げ捨ててくださった」というようなお答えがある。さらに、「ては、いのちを投げ出すとはどういうことですか」と重ねると、返答に窮されてくる。結局、阿弥陀様のご苦労といっても、それを具体的に聞くこともなく、「感じられない」「喜べない」という自分の感覚に焦点があっていくのだ。プロセスを経ずに、ただ最後の答えだけを求めて焦っているパターンを繰り返す方も多いような気がする。

または、具体的に阿弥陀様のご苦労をといわれると、法蔵菩薩になってからの世自在王仏との出会いや五劫思惟から始まる一連の物語を考えられる方もある。確かに、ここもしっかりと聞かねばならない。しかし、正解だけ覚えてもダメで、その上で、それを我が身に引き寄せて考えなければ、意味はない。これは我が身の罪悪ということしても、またご本願ということにしても同じことだとろう。

 今回の華光大会の座談会でも、そんな場面があった。それで、皆さんに問うた。

「では、皆さんは、阿弥陀様のご苦労をどう聞いておられますか。ご自分の言葉で聞かせてください」と。

 ぜひ、皆さんも自分のこととして、お聖教の受け売りではなく、また「根拠・根拠」とがんじがらめになるのではなく、ほんとうにわたしにびったりした言葉を探っていくならば、ハッキリと立ち上がってくることがあるのだと思っている。

 というのも、今回の華光大会のご示談で、そんな求道者を前にして、ぼくの中で、「ああ、、」と気付かせていただいた言葉があったからだ。答えを与えることになるので、今はここまで。

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お通夜・葬儀にて

  台風の影響か、聖典講座のお参りは少なかったが、半数以上の方が、そのままOさんのお通夜に列席した。他にも、遠近からお参りがあって、聖典講座よりも、こちらの方がお参りの同人が多いかった。だいたい前列に陣取っていた。

 長らく体調不良もあって、最近は、会館には出て来られなかったが、その分、奥様が活躍してくださっている。「もう40年以上のおつきあいになるけれど、あの頃の仏青でのことが懐かしいです」という方がおられた。昔は、仏青や運営委員として、華光の活動に尽力くださっていた。一時は、華光誌の印刷のアルバイトをしてくださっていたこともある。ご法の上でも、しっかり背筋が伸びた、いい味わいをされていた。

 浄土真宗のお西のお葬式だ。立派な先生で、親族の皆さんに聖典を配られ、「正信偈を行譜であげます。ページは○○です」「御文章は、末代無智章です。○○ページをご覧ください」「最後に皆様でお念仏いたしましょう」とお勧めくださる。「帰三宝偈」が掲載されている聖典も持参されていた。おかげて、参列のぼくたちも、遠慮なく声をだすことができる。華光同人の参列も多く、フロアーからの声も大きかった。親族の皆様も、勤行されている。熱心な門徒のお家だ。

 通夜のご法話の冒頭で、「さすがにO家の皆さん、大きな声で勤行をしていただきました」と始まった。ご法話は、法名について。浄土真宗では、戒名ではなく、釈○○と、お釈迦様であること。法名「釈獨歩」は、奥様からの要望であること。そして、その獨(一)り、歩むことについて、哲学者のフロムを引用したり、精神科医の「普通がいいという病」の話をされたり、なかなか独創的な法話。「自由」「自由」と行っているが、それには獨りで立つ覚悟が必要で、ほんとうは厳しいこと。しかし、それはけっして孤立することではなく、真に獨立することである。その歩みを法名とされた。では、どこに歩むのか。浄土への歩みである。それならば、真に獨りになったとき、ほんとうは獨りではなくて、阿弥陀様がいつも寄り添い、共に歩んでくださっているというようなご法話だった。

 葬儀もおわり、最後のお別れで、お棺の中には、故人が直筆された「正信念仏偈」と「浄土三部経」、そして「安心決定抄」が和綴の本になって収められていた。どれも達筆の字で綴られていた。そういえば、アメリカのKさんが、まだ日本におられた時、悟朗先生から書道の手ほどきを受けられていて、一緒に習っておられたのがOさんだというメールをいただいた。この達筆は、悟朗先生のご指南ということになる。書写されたお聖教の下には、「昨日、キタサンブラックが勝ったので」と、故人が大好きだった競馬新聞も一緒に収めれていた。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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一周忌の法要

 一周忌の法要に大阪の豊中市に向かう。

 昨年の9月。台風の日だった。さまざまなご因縁からご示談に窺った。そして、「また次に。来月にでも」とお別れしてから1ケ月後には、その方のお葬儀を引き受けることになっていた。まさに「またね」なかったのである。あれからもう1年。早いようで、ものすごく昔のようにも思える。この間にも、さまざまな無常のご催促があったが、相変わらず人事として生きている。

 ご主人と、お子さんたちの家族というほんとうの身内さんだけでの法要だ。このことがご縁で、お孫さんたちは子供大会にも参加してくれるようになった。それで、法要の最初に「子どもの聖典」でお勤めをした。小さな子供さんでも、ここだけなら飽きずに座ってくれるだろう。続けて、皆さんと共に勤行くださるように、お『正信偈』さまをあげさせていただいた。

 法話は、子供さん向けにしたが、仏縁の浅い方にも向けていた。先日の無着先生から教えていただいた、おっぱいと、へその緒の話だ。結局、私は親の恩徳なしには生まれてこれなかったということだ。しかし、まったくそんなことは何も知らない。当然、実感などない。しかし、ひとつでもその恩徳が欠けていたなら、今の私はここに座っていない、という事実を聞かせていただく。人身受け難しということだ。では、それはなんのための命なのか。あらためてお母さん、お祖母ちゃんの法要の前に、ひとりひとりが考え、聞いていただきたい。

 一周忌の法要を勤めた後は、墓所に参って納骨も行った。ご姉妹は、ホッとされたという。形の上でもひとつの区切りがついたという雰囲気がした。形はこれで一区切りとなったので、これからは落ち着いたところで、改めて親の願い、そのお心をしっかり味わっていかれることだろう。南無阿弥陀仏

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