カテゴリー「法味・随想」の229件の記事

真宗連合学会

Img_1540 午後からの「支部長研修会」を前に、龍谷大学で開かされた真宗連合学会に出席する。午後からの講演会は出られないが、午前中の研究発表だけでも聞かせていただいた。大学教授や専門の学者に交じって、博士課程の学生も発表する。年々、その質が上がっているのに驚いた。それでも、質問される教授陣も、また専門家ならではの鋭い指摘がある。

 ただし、すべて学問や研究の世界であって、生きた信仰の場でない。それでも、大いに刺激を受けた次第だ。

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ゴールデンゲートブリッジ~アメリカの旅(1)

Img_0305  定刻にサンフランシスコ空港へ。行きは、時間が戻って、日本は翌日の深夜なのに、まだその日の朝で得した気分。駐機場が混雑で機内で1時間待たされたが、それでも無事に、Kご夫妻のお出迎えを受けて、そのままシスコ市内観光にでる。

Img_0311 まずは、定番のゴールデンゲートブリッジへ。世界でもっとも有名で、美しい吊り橋。アメリカ映画でもしばしば登場する。前回は、開教本部を表敬訪問後、この金門橋を見下ろすDさんという同Img_0326人宅にお邪魔した。もう何10年前にご往生されている。3月の霧雨はかなり肌寒く、煙った金門橋は、まさに霧のサンフランシスクのイメージどおりで、印象深く覚えている。

 今回は初夏。旅行期間中、青空が広がった。今は、乾季に入り、雨はImg_0337滅多に降らないそうだ。気温は、日差しのあることは暑いが、日陰に入ったり、朝晩はまだ冷え込む。カリフォルニアの青空が広がっている。ところが、山から海へ沸き起こった雲が流れ込んで、ゴールデンゲートブリッジは霧の中に隠れている。

Img_0318 車で渡ったあと、端の袂の展望台から眺めて、少しだけ橋を歩いた。観光客で混み合っていた。その後は、高台に上がって、上からの眺め。快晴の青空なのに、橋の付近では雲が沸き上がってくる様子がよくわかる。

Img_0330 沖合に見える島が、脱出不可能な牢獄として名高いアルカトラズ島だ。マフィアの大物、アルカボネなどの有名人が投獄され、また数々の映画のテーマになっている。今は、監獄は使用されず観Img_1496_2光資源となっている。残念ながら、今回は遊覧する時間はなかった。

 一つの橋を、車で渡り、近くから眺め、少し歩いて、最後は、離れた山から眺めた。他にも、下から眺めるポイントや船から眺めることも出来る。

 ちなみに、帰りの飛行機からは、こんな感じ。Img_0343
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    ≪アルカトラズ島≫

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常に求道者でありたい

Img_0200 京都駅の新幹線ホームには、西本願寺の「伝燈奉告法要」看板広告が掲示されている。

 親鸞聖人が明かにされた真実の法燈が確かに受け継がれて、いま、ここまで届いてきているのである。その受け継がれていく真実の燈火とは何々か。伝えるべき燈火とは? それをお考えになるのがご門主のお仕事なのだろう。

 同時それは、私達ひとりひとりにも同じ問いが投げかけられている。私が受け継ぎ、この胸に燈していただいた法燈とは、一体、何なのか。各々に、それがどんな形で私に届けられているのだろうか。

 もちろん、弥陀の本願を発したお念仏のお心なのだが、それは法蔵菩薩さまの願いを源泉とするものだ。すると、常のそのおこころ、その精神に根ざし、そこから離れないのである。ならば、それがわが胸に届いているならば、不法懈怠の虚仮不実の身ではあっても、常に求道者として歩み続けたい。道を尋ね、真実を求め、歩み続けていきたいのである。

 私の歩みに卒業はないのである。

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仏教入門講座「ブッダとは誰か」

  今年も、佛教大学の一般公開講座の「仏教入門講座」を受講している。4月から始まったが、相変わらず、イスが足りなくなるほどの盛況ふり。定年後の年代が中心である。 昨年は、大乗経典の総花的な話だったので、高野山大学の教授から窺った「密教経典」の話が面白かった。ほとんど知らないことばかりだからだ。今年は、「教えを説く人、教えを聴く人」というテーマであるが、「仏・法・僧」についての講義となるようだ。昨年は、高野山大学だけでなく、文教大学学長の平岡先生などが登壇されたが、今年は、佛教大學の仏教学の先生が担当される。

 4月からは、まずは「ブッダとは誰か」と題して、吹田隆道先生の講義を聞いている。やはり生で聞くのは書籍では味わえない面白さがある。(録音禁止)残らないので、遠慮なく、大御所である中村元先生の研究の誤りを面白おかしく批判をされていた。しかし偉大なベースとなる先行研究があるからこそ、それを発展させるだけでなく批判することで、さらに乗り越えて発展していくものだろう。

   余談となったが、パーリーや漢語経典だけでなく、特にサンスクリット経典と照合しながら、釈尊伝を洗い直しておられる。従来の研究では、釈尊の生涯をモデルにして、その後の過去仏などの仏伝が造られたと思われていたが、『マハー・アヴァンダーナ経』の前半部などは、当時、知られていた釈尊の生涯の「わずかな情報」を、過去仏に投影して、ブッタたるものはという前提条件をつくって、それを普遍化し、釈尊のブッダ伝がつくられたきたというのである。しかしそれは意味のないものではなく、考古学的な裏づけのないものは、当時の人達が求めていたブッダ像としていただくという姿勢で始まった。

 誕生のところひとつでも、これまで知っていたことに新しい視点を教えていただいた。詳しくは、別の機会に触れるが、「なぜルンビニーなのか」「なぜ、白象が入胎したのか」「右脇から生れたというわけ」や「七歩歩かれた真相」など、宗教的な意味で理解するだけでなく、それが顕されている歴史的な背景などが聞けて、「ヘェー」と驚くことが多かった。.

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広島支部法座~変わらない自性~

 永代経法座から1週間。当番だった広島支部法座である。GMの最終日、しかも法座が続くので参加者は少ないと予想した。ところが当番で参加下さった方が、変わらずお参りくださっていたのが、うれしかった。その永代経法座の分かち合いを中心にしたかったので、法話も復習のような形で短めにし座談会を主にすることにした。

 皆さん、法座の余韻を味わっておられた。刺激もうけられたのか、座談会もいつになく活発だった。この度の当番を通じて、気になった方に思い切ってアプローチされた方があった。問われた方も率直に自分を披瀝くださる。それをどう聞き、理解したのかを皆さんで確かめた上で、それぞれの味わいやら自分のことなどが展開されていって、なかなか座談会が面白かった。

 大きな法座では、いろいろな法話を聞き、いろいろな方との出会いもあり、得るものも大きい。ところが、法座に出でも何の収穫もなく、進歩もないと、ダメのように思い自分の聞き方を責めてしまう方もある。ある意味でこれも自惚れなのだが、もっとしっかりした聞ける自分だと錯覚しているのである。とはいっても、何十年聞いてきても、目立った進歩がないと自己嫌悪にも墮ちるかもしれない。

 しかし、もし何十年聞いたきという自負があるのなら、それ自体がすでに聞法の長短を誇る勲章である。「20年聞いてきた、30年聞いてきた、その根性こそが浅ましい」。
20年4聞こうが、30年聞こうが、虚仮不実の私はどこまでも虚仮不実だ。まったく進歩もなけば、発展もない。第一、誰のおかげでご聴聞の場に座らせていただたいるのだろうか。その事実こそ聞かせていただくことではないのか。聴聞とは、わが身にいろいろなものを取り込む作業でも、賢くなることでも、知識を蓄えることでもない。むしろ、法によってほんとうの自分、自体が露わになってくるのだ。自分の飾りや勲章が剥がされていく厳しさがあるのだ。この世でも同じだろうが、一端、わが身に取り込んだものを手放すのは惜しい。得ることも大変だが、捨てる方がずっと難しい。壊れていくモノならともかく、目に見えないものとなると、なおさら離れ難い。それを引き剥がしてくださるのが、法の威力であり、お同行や善知識の役割である。

 もし知識や話は覚えてわかったことが増えようとも、私の本性は何一つ変わらない。その事実に出会ってならば、そんな棒にもはしにもかからない私を、変わらずに、愛想をつかすこともなく、ずっと呼びかけてくださっているご本願があることを聞かせていただくだけではないだろうか。

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悩み

 最近、座談会の難しさをつくづく味わう。

 まず無理強いをしても、ダメなものはダメである。下手をするとお互いに傷を負うこともありうる。しかしそれでも言ってしうまのは、なんとかして相手を変えたいという思いが強いからだ。聴く方も、なんとかしてもらえるという甘えがある。下手をすると、念仏やお慈悲を握らしてしまうこともある。また正しいことをいう時ほど、ほんとうは控えめであらねばならない。相手に負い目があって、ますます萎縮していまうからだ。

  たまたまた華光の法座でお育てを受けてきた。一方的な法話ではなく、座談会の大切さも身をもって知らせていただいた。そこは、知識の伝達ではない。愚痴や不満を言い合うのでも、悪口や談笑の場でもなければ、単なる討論の場でもない。とはいっても、「こんな話題はしてはいけない」「もっと仏法のことを話さない」と、正論を言われると、みんな黙ってしまう。

  そんなことをわかりながらも、現実は難しく、失敗ばかりしている。

 他の会からきて、なかなかこの座談会に馴染めなかったり、意味が分からず、ご縁をなくなる方がけっこう多い。自分が問われない疑問や教義的な質問は出来る。そこを丁寧に答えてくれる先生もおられるだろう。しかし、なかなか自分を打ち出せる場は少ない。それをお互いが聞きあえる場は、もっと少ない。

 それにはよく聴くことに尽きるのだろが、法話だけでなく、座談会のひとりひとりの発言に対しても、また自分自身の内ある声に対しても、よく耳を傾けることが大切である。座談会の難しさと書いたが、結局、よく聴くことの難しさなのかもしれない。

 もっともっと聴く力を身につけないといけない。そこに同じように頷き、歩んでくださるお同行や先生が増えることを念願しているが、最近、そこで行き詰まりを感じているのも事実である。なかなか若い人が育たないのも気がかりだ。

  確かに、在家から僧侶になる方が増えている。教学や布教の勉強もいい。しかし、ここでは、座談会での実力を身につけることが大切なのではないか。それは肩書や知識では渡れない生きた世界だ。恐いことだが、生身の人間同士がぶつかる場なのだ。

 ならば、その荒波に身を置いてこそ、磨かれるものもあるのではないだろうか。
 
 これからもしっかり悩んで考えていこう。

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御聞かせに預かった永代経法座

  GMの前半の永代経法座も終わった。 

 法話を通し、座談会を通し、また信仰体験発表を通して、お聞かせに預かった3日間。

 平日(金曜日)が入るので、初日の参詣者は少なめだったが、2日目からは例年並のお参りがあった。3日間の昼座は法要もあって、順次、浄土三部経をお勤めさせていただいた。
 今回は2座ご法話を担当した。他にも4名のご講師からご法話を頂戴する。ぼくも、努めて前列に座りご聴聞させていただいた。ちょっと最初が欠けたこともあったが、ほぼ道場に座って拝聴することができた。大きな行事中は所用や雑務が多い。法座の合間に会議もあって資料作りもある。それを理由に、疱瘡での聴聞が多かったが、今回は事前に用事をすませた。法話検討(2席目目)は残ったが、道場に座ることを優先させた。当たり前のことだが、身を置いてお聞かせに預かることの大切さを感じた。
 
 もし法話を聞くだけなら、録画したものでも同じ内容は聞ける。繰り返し繰り返し聞けるというメリットもある。何かを暗記したり、覚えるのならそれでいいかもしれない。だが、その場の空気感を味わうことはできない。からだがしんどかったり、居眠りしたり、念仏が溢れたり、暑かったり寒かったりも、すべてこの身に直を置いて、肌で聞かせてもらうことである。それには、お金もかかる。時間もかかる。日程や仕事のやりとりもある。からだもしんどい。閉じていたいときは、億劫だ。懈怠の身は、楽な方に楽な方に流されていく。
 それが凡夫の性である。

 だからこそである。常に一歩を踏み出して聞かせていただきたい。その懈怠の身を一歩踏み出して、法の仲間(お同行)の集うの法(のり)の集いに身を投じる。そして、口を開き、互いに腸(はらわた)をみせて法を語り合う。

 改めて、その幸せを味わわせて頂いた永代経法座だった。

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イキイキした法座を、共に創造していきましょう

 京都支部法座をあえて、明日から3日間の寺院布教にお招きいただく。 華光会の永代経法要を前で、日程はハードだが、とても楽しみである。

 事前に寺報に掲載される巻頭の言葉を書いた。

 結局、華光の集いであろうが、寺院布教であろうが、ぼくの法座に臨む姿勢、態度のようなものである。3日間、楽しみである。

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 4月の別修永代経で、皆さまとの2年半ぶりの再会を心待ちにしています。
 ところで、皆さんは、お寺の法座をどう思っておられますか? 最近、ご講師の力量は上がり、知識も豊富、教義の裏付けもあり、話術も巧みな先生が増えています。でも、それに伴い法座が活性化されているかというと、そうともいえません。法座が、立派な先生の「結構なお話」を聞く講演会か、教義の勉強会のようになっていませんか。

 法話という伝道形式は、一方的なコミニケーションです。しかし正確には、決して一人では成り立たず、話し手と聴き手が、共に創造していく共同作業の場です。でも、テーマを出すのは話し手。ちょうど料理店でシェフのおすすめ料理を食べるようなものです。既知の講師なら、和食かフレンチかと、だいたいの中味は察しがつきます。だからそれを楽しみにできるが、常に主導権は説き手側にあります。どうしても、聴き手は、受け身で、おまかせのサービスを受けるだけで終わってしまいます。だから、何となく参詣し、「よかった」「眠たかった」「難しかった」…批評的な感想で終わってしまいがちですね。

 人と人との出会いは、予期せぬ化学反応も引き起こします。しかし法座は、人間の出会いだけを喜ぶ場ではありません。本来の法座は、人と人の出会いを超えて、私がご法に出遇っていく場です。浄土真宗でのご法は、南無阿弥陀仏の名号法です。私が南無阿弥陀仏に出遇せて頂く場だということです。つまり、ここに集うお一人お一人が、南無阿弥陀仏という、いま、ここに生きて働いておられる仏さまに、お出遇いをさせて頂き、ほんとうの幸せをいただく場なのです。ご本願の前では、僧も俗も、男も女も、聞法歴の長短も関係なく、平等です。ぜひとも一方通行の法座で終わらず、ここに集う人々が、共に聞き、ご法の喜びを語り合い、分かち合っていきましょう。もし本願に疑問がある方は、その不審を尋ね、また初めての方も臆せず、率直な思いを表明して下さい。そして、阿弥陀さまのお力で、「南無阿弥陀仏」に溢れたイキイキとした場を、共に創造していきましょう。

 そのために、ぼくも、精一杯、おのれを開いて臨む3日間にしたいと願っています。合掌

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温かい一言

華光同人のお孫さんに当たる方の三十三回忌法要。

  散る桜 残る桜も 散る桜

享年十四歳。あまりにも早すぎる突然の死だった。春休み、明日から学校という夕方、学習塾へ「行ってきます」と言葉が最後となる。目撃者のない交通事故だった。
とにかくまだ学生だったぼくにとっても、印象深いことがたくさんある。当時、七日七日のお参りの間、学習机の上は彼女が出かけたままで、時間が止まっていた。元気な声で「ただいま」と帰ってこられるかのようだった。

それから33年もの月日は流れた。学生だったぼくも、すっかり中年だ。父も亡くなっている。
ご姉妹も、ぼくと同じ世代になっておられた。それぞれの業縁とはいえ、人生はほんとうに厳しい。

お姉さまが、そのとき覚えていることのひとつが、父の言葉だと教えてもらった。

火葬場でのことである。逆縁なので、両親は焼場にはいかれなかった。そのふたりの姉妹に、父が、「『かわいい妹さんのまま覚えておいてあげて』と、骨を拾わさずに帰してくださったというのである。その言葉のやさしい響きが、胸に迫る。三十三年前のことが、たった一言で、今のことのように、そこにいる人達の涙となった。

ぼくにとっても、父の発した意外な言葉だった。それでも、三十三年たっても、その暖かい言葉が、人の心に残っていることに感銘させられた。

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通夜の法話は、、。

  またまた町内会でお悔やみがある。60軒ほどの小さな町内なのに、年に3~4件は訃報が入る。特に、寒い時期、暑い時期は、よくある。

喪主は、一学年下の方で、小学校の時には毎日のように遊んでいた。書道教室にも熱心で、一時は、書道の教職を目指しておられたときもあった。 葬儀を執り行うのは、同級生の浄土真宗本願寺派のお寺だ。といっても、彼は次男で僧籍は取っているが、お寺には入っていない。

 通夜は、三奉請、表白、そして、頌讃と続いて、正信偈六首引である。通夜で、頌讃を初めてきいたが、なかなかお上手で、この流れもかっこよかった。ホールは静かで、時折、雑談の話声が聞こえる。ひとり僧侶の読経の声が響く。正信偈から勤行させてもらった。もちろん、抑え目に出したが、最初だけ、始まってしまうと関係ない。お念仏は、大きな声でさせていただいた。が、最初に司会者から、「合掌」という合図があったが、最後はなかったのは、残念だ。

 ちょうど1年前の1月にも、このお家の葬儀があり、同じ先生のご法話を聞かせていただいている。前回は、死後の世界、七七日までの審判の話だった。今日は、最初は、故人の思い出を話されて、亡くなられたことは寂しいことだが、けっして塩をまいて忌むことではない。なぜならば、浄土真宗では、阿弥陀さまのお力で、みんなが間違いなくお浄土に行かせていただく。倶会一処で、誰もが、間違いなく、よい世界に生まれることができる。どうか安心してください、と堂々と仰るのである。よくよく聞いていたが、一言も、「お念仏を申して」とか、「ご信心ひとつで」という言葉はなかった。はっきりと、二度、三度も同じことを繰り返される。ここまで堂々とされると、後の話が耳に入ってこない。その後、前回と同じく、私と亡くなった方を分けない。みんな無常の身などとも仰っていたようだが、、。

 せめて、「阿弥陀さまの願いは、皆様すべを必ず浄土に生まれさせるというものです。その願いが皆様にかかっています」とか、もう一歩踏み込んで、「そのお心をお聞きさせて頂きましょう」「南無阿弥陀仏と申しましょう」というのならともかく、「浄土真宗では、みんな間違いなく浄土(よい国)です。安心してください」では、、。

 いくら通夜の法話とはいえ、これで浄土真宗の法話かと、ちょっと憤りつつ、がっかりしたのであった。

  http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-852f.html

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