カテゴリー「今日の華光会館」の468件の記事

76-4号の発送

 午前中は、仏教大学の四条センターでの講義を受ける。「立ち現れる阿弥陀仏」と題して、『観無量寿経』に説かれる見仏思想の転換、つまり観仏から、声としての念仏に転じるダイナミックな展開で、3回に渡って仏滅後におこる見仏思想から辿っての体系的なお話。とにかく刺激を受け、ワクワクと聞かせていただいた。

 慌てて戻って、華光誌の発送だ。

 今号は、76巻4号である。悟朗先生の正信偈の大意で、救済の縁(十二光)・因(十七願、十八願)そして、果(十一願)という重要な箇所である。これからも、年に1度程度の割合で連載を進めていきたい。
 特集号は、5月の真宗法座の集い、同じくアメリカ布教の感想集、そして7月の北海道聞法旅行という3つの感想集があって増ページとなり、「はちす」は休んだ。
 巻頭言は苦心したが、伊藤先生の五十回忌を前に、もう一度、その原点に戻ろうという宣言で、かなり力が入っている。理由は、前の記事にあるが、温室育ちのぼくにも、親ライオンの声で野生に目覚めたのだろうか。とにかくぜひ、ご一読いただきたい。

 同封のチラシは3枚ある。

 ひとつが「年賀交換」。奮ってお申し込み頂きたい。

 2枚目が「華光誌のバックナンバー」をセット販売のお知らせ。

 そして、昨日まとまった伊藤康善先生の五十回忌の企画に関するお願いである。ひとりでも多くの皆様からの一言や参加をお願いしたい。

 月曜日ぐらいからお手許に届くだろう。お楽しみに!

 明日は大分での九州法座だ。連れ合いも、初めて九州支部法座に参加する。2年前は、出発日前夜の大地震で中止になっている。参加者は少な目だが、初めての方もおられるので、楽しみである。

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野生の血がたぎる!?

 9月に入ってから運営委員長のRさんが、華光大会の打ち合わせのために週1回のペースで来館さくださる。ひとつは、伊藤康善先生の五十回忌法要に向けての企画。もうひとつはその時までに、伊藤康善先生-増井悟朗師-そして小生の法話3編を本にする件。そして、最後は総会の相談で、そのときに発表する運営委員長の交代の件や、外壁工事の件など、詰めておくことが多い。Rさんは、前日まで高山に足を延ばして、相談役や副委員長と打ち合わせをしてくださっている。寛いだ中にも、大切な話し合い、そのまま分級座談会のような雰囲気での有意義な話し合い時できたようで、興奮気味にはなして下さった。

 おかげで、五十回忌の企画もかなり固まってきた。書籍の方も予定どおり進んでいて、選出した三編にルビをつけるところまできた。三編に共通する流れもハッキリしている。来週には、完全データを渡すことになる。総会は、これから役員さんや設計関係者は打ち合わせをして詰めていかねばなならない。課題はいろいろあって、難題にも直面しているが、モチベーションは高い。五十回忌、三回忌を前に、ぼくに流れている華光のお示しや気風というものが、ぼくに力をくださるようである。

 伊藤先生の法話に、インドではペットでライオンの子を飼う家があるが、飼い馴らされてエサをとる術もしらない子ライオンも、夜中に森から親ランオンの遠吠えと聞くと、俄然、野生の本性に目覚め、平穏な生活を捨てて、野生の森へと逃げていてという話がある。私達も釈尊の声に導かれて、仏法求道の後生の雄大な世界に飛び出すというのである。いま、伊藤先生と、先生を讃える増井先生の著述を読み返し続けているが、その念仏の雄叫びに導かれて、俄然、ぼくも真の聞法の場へと乗り出す活気が出てきたのである。ウカウカはしておられない。

 

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苦戦

 華光誌の最終校を印刷所に渡す。

 今号は、とにかく苦戦した。誌上法話は「正信偈講讃」の5回目。実は、かなり前にある程度まとめていたので、それほど手間はかからずに進んだ。体験記も続編で、しかもよくまとまった内容なので問題はない。他には、真宗法座、アメリカの家庭法座、そして北海道聞法旅行と感想文が多かった。特に北海道は充実した内容だったので原稿の量は多く、いつもり増頁になった。ただの感想文はどうしても似かよった内容になるので、少し配置などに工夫が必要だった。

 ぼくも、アメリカ家庭法座の記事を書くことにした。既存の感想文だけなら全体像が分からないからだ。2頁1段と、決して長いものではないのが、うまくまとまらず手こずった。ただ感想文ではなく法座の雰囲気や内容なども伝えたいと思うと、なかなか難しい。それでも、まだここまでは予定どおりに進行。

 表紙の写真を選び、説明文を書き、聖教のこころを書いた。聖教は、予定を変更した。今回は、志向を変え「雑阿含経」日本語訳で、解説(味わい)はなし。そのままなら長文になるので抜粋して掲載した。実は、表紙の写真を決めたことで思いついたものだ。

 あとは「巻頭言」を書くだけだったが、ここでつまずいた。編集・校正作業と平行しながらだが、5日間も停滞。ブログも含めて息詰まった。書くつもりの材料は2、3あった。一つは、広島カウンセリングWSでの、「真宗(念仏)のみまことならば、カウンセリングは方便か」の問いだ。もう一つは、今日の真宗の法話の目標が、相手に伝わること。そのためには、分かりやすさ、やさしさが求められているということに関して。でも、結局は、11月の華光大会での伊藤康善先生の50回忌法要に関する記事になった。合わせて、増井悟朗師の3回忌法要の集いも持つが、両先生から受けたご恩徳というより、改めて華光に集う意義を示したかった。

 苦戦したのは、きれいごとで終わりたくなかったからだ。ほんとうに両先生の流れを汲む我々は、その真精神をしっかり受け止めて継承しているのか。改めて、皆さんに厳しく問いかけてみたい内容になっているからだ。

  まあ、なんとかまとめることはできて、予定どおりに印刷所に渡り、9月29日に発送する準備に入った。

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だんだんと

 このところ毎週、運営委員長のRさんと華光大会の打ち合わせをしている。

 喫緊の仕事は、華光誌の編集と、16日からの壮年の集いであるが、11月の華光大会の案内も準備していかなければならない。

 講師の選定や依頼、総会の打ち合わせの他に、「伊藤康善師五十回忌法要、増井悟朗師三回忌法要の集い」を併修することになったからだ。

 華光大会は11月3日(祝)4日(土)5日(日)の3日間、九州支部が当番で開催されるが、4日(土)昼座には、法要と法座をもつことになった。このところ3年連続である。一昨年は、増井悟朗先生を偲ぶ会、昨年は、一周忌の集い、そして今年は、伊藤康善先生の五十回忌と、意義ある年忌が続くことになる。

 ただ今年は、食事会や懇親会は行わず、夜座はしっかり総会を持つことになった。こちらも相談を要する課題が多いからだ。

 伊藤康善先生を偲ぶといっても、もう先生の直接の薫陶を受けた方は十指にも満たない。三十三回忌の時には、面授口伝の先達から、先生の痛快なエピソードや人柄もお聞きすることができたが、先生方も含めて先達の多くが浄土に旅立たれている。多くは、著述を通じて、または増井先生を通じてしか触れられないからだ。

 遠くなりかけているだけに、改めてその威徳を偲び、今日の華光に集うひとりひとりの信を問う意義は、深くなっているのではないだろうか。

 法要以外の内容は、いま、いろいろとアイディを出し合い検討している。

 打ち合わ、話すうちに、だんだんとその気になって盛り上がってくるから、不思議だ。

 当日のプログラムではないが、伊藤康善-増井悟朗、そして小生の3編を法話を収めた小冊子の法話集を造ることも決まった。また、ひとつ仕事をや増やしてしまったが、こんなことでもないとなかなか動かない。こちちは華光誌の編集が終わったすぐに取り組みたい。

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充実した10日間

  しばらくブログを休んだ。

 分かっていたことだが、8月下旬から多忙の日が続いた。連続で法座や研修会があったのだ。8月の華光誌輪読法座のあと、土曜・日曜日は「東京支部法座」。切符は京都途中下車で、火曜日~木曜日の2泊3日は、「広島での真宗カウンセリングWS」、戻ってすぐ、月末の会計の処理。9月にはいって、金曜日に会計月次と「本典学習会」があり、土曜日は大谷本廟の部屋をお借りして法事、日曜日は聖典講座。その間、教案の準備もあるし、華光誌の原稿を整理手直し、月曜日中にある程度、渡す予定になっていた。今回は、アメリカ布教や北海道聞法旅行の特集号で、増ページになっている。

 行事が続くと、その分、味わったことや分かち合いたいことが沢山生れる。また8月に見た映画や講演でも随分、刺激を受けた。奈良博での「源信展」も、とてよかった。結局、あれやこれや、いろいろと書きたいネタが増えたのだが、逆にテーマが絞りきれなかったり、例によって法座順に書かねばという思いが強すぎて、ひとつが詰まると先には進めずにいたのだ。このままズルズルと今夜も書かずに終わりそうだったので、言い訳でも書いて前に進めようと思ったのだ。

 とにかくこの10日間は、たいへん充実した日々だったということ。

 特に広島でのカウンセリグwsは素晴らしかった。その感想と源信展ぐらいは振りかえて書きたいと思っている。

 とにかく今夜はこのあたりで、、。

 

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お盆の思い出

Img_3101華光会館でのお盆のお参り。
予定していた家族が急にキャンセルで、うちの家族とTさんだけ。例年は盆休み中のTさんは、会館でのお盆は初めてだという。

勤行を覚えたのも、「正信偈」よりもお盆の「阿弥陀経」が先だった。
初めてご示談を受けたのも、小学校5年生のお盆の時。父は、その日の予定を取りやめている。
その後、父に付いてお盆参りもした。中学生になると2軒のお家だけひとりでお参りもした。子供だったので可愛がってくださった。お勤めを終え、他のお参りに回ってから迎えにくる父を待って、茶の間でジュースを出してもらって、テレビをみせてもらっていた。2軒のお宅とも、引っ越しされて、何十年も前に音信不通だ。
華光会館での盆参は、脇について、ずっと節柝を担当した。導師をするようになったのは、亡くなる3年前のことだ。
そして、父は、襦袢が肌につかないようにと、籐製の(つまり木だ)下着(?)を着るのが夏の風物詩だった。それでも大汗をかいて帰ってきた。これは晩年になっても、同じ光景。でもこの習慣は継承していないが、同じように盆参りは続けている。

なぜか、お盆は、母は一つもなく、父との思い出が詰まっている。

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お盆参り

Img_3090 11日、今年もお盆のお参りが始まった。山の日として祝日になってから、この日がスタート。
 
 午前中は、南の方面。伏見や宇治を回り、午後からは鴨川沿いから鞍馬街道を北進する。山手の緑の多い地区だ。同じ方面の方が、同じ日になればいいのだが、なかなかImg_3099うまくいかず、あと3回、宇治や伏見方面に出向くことになった。13日は、M家のお盆と京都支部を兼ねた家庭法座だ。

Img_3094 1年に1度だけにお会いするうちもあるが、皆さん、快くお迎えくださる。例によって、『阿弥陀経』を勤行し、弥陀経和讃と、「往覲偈」のいわImg_3091_2ゆる破獄の文をいただく。長年のおつきあいのお家では、皆さん、一緒に大きな声で勤行くださる。しかし、称名念仏になると、合掌はされても声はほとんど聞こえて来ない。これは毎年の課題。勤行をしてただくまででも、何年もかかった。現に新しいご縁の方は目で聖典の文字を追いかけるので精一杯だ。お念仏は、「南無阿弥陀仏」のおいわれを話せば、なんとなく声がでるが、なかなか身にはつかない。1年の1度、小一時間のご縁ではなかなか難しい。

ところが、この話題を耳にされたFさんが、ぼくが「では、お念仏申しましょう」と勧めた後で、「声に出してお念仏してくださいね」と念押し、皆さんにお勧めくださった。すると、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」という大きな声が出る。そして、「家でお参りする時は、お念仏申してます。お坊様の邪魔をしてはいけないと思ってました」とのお答えが返ってきた。慣れていないというより、忖度があったんですね。普通は、法事の時にお坊さんのお経を邪魔しないように黙って聞いているのが、大半だ。でもそれは檀家さんの責任ではなく、長年の僧侶側の怠慢にほかならない。どうしても安易な方、楽な方に流れていくものね。法話の内容のしても同じこと。自戒を込めて教訓に。
 

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76-3号の発送

Img_46492 華光誌発送する。暑い。梅雨らしく蒸し暑い。このところ、夜中から午前中は、雨が降って、日中はムシムシして熱帯のような暑さ。

 6月30日なので、水無月を食べた。関西、特に京都では、この日が水無月を食する日だが、地域によっては知られていないようだ。お手伝いのことの手作りで、小豆は、大粒は京都丹波産、小粒のは北海道産だそうだ。ちなみに、このご家庭もうち夫婦と同じく、京都(夫)と北海道(妻)の組み合わせだ。

 華光誌は、前号の続編で、悟朗師の一周忌の集いでの誌上発表として、「如是我聞」(下)でのK師のお話がすばらしい。先生からの薫陶か、頭ではなく、身で教えられ聞かれたところで、それかまた実践されているのだ。ほかに体験記が3篇に、寒中子供大会の法話集を特集に加えている。お楽しみに!

 なお、「仏の子供大会」の案内状も同封されている。参加者が少なくて、開催が危ぶまれている。ぜひ!!

 

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『教行証文類』学習会

 いわゆる『教行信証』を、読むことにした。

 大学時代、特に大学院時代に、いろいろな高名な先生の講義やゼミを受けてきた。また講義本も何種類も買って目を通してきた。それでも、難しくて理解は出来ていない。もちろん、解説書を読んだ時には、何か分かったた気にもなるけれども、じゃ、何が分かったのかと問われると、まるで広大な海原で彷徨っている気分だ。

 その後、恩師の信楽峻麿先生の『教行証文類』が全巻揃った。そして、最近、お東の藤場俊基師の『親鸞の教行信証を読み解く』を読み返してみて、ずいぶん刺激を受けた。お二人とも、伝統教学からは外れている。たとえば、お西の宗学院での『本典』講義などの参考文献には挙げられないという話も聞いた。

 もちろん、相いれない箇所も多いし、僕自身の理解が浅いところもあろう。いちばん根本的(他力廻向信の一念の領解)なところで、見解がまったく相反するのだが、批判を踏まえた上でも、これまでの講本にない面白さがあった。口述なので脱線というか読み物として面白い部分もあるが、それだけでなく、伝統的な枠にとらわれない視点が新鮮なのである。

 まだ講習会や聖典講座で話せるレベルではない。といって自分でひとりで講本を頼りに読んでいるだけでつまらないので、大学院などで専門の勉強をされた方々と、共に読み進めていくことにした。

 メンバーの意識や力量にまだ差があると思った。どのように進めるのかも、まだ漠然としている。しかし、この先、何年、かかるか分からないが、たとえ一人、二人になっても、頑張って続けてみたいという意欲だけは、十分にある。

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ビアノの調律とレストラン

 子供会から60年以上もご縁の続く日高のWさんがピアノの調律にきてくださる。ぼくが生れる前からのご縁の方で、この方のお母様は、華光でも、1、2を争うほどの強く機を勧められる名物同人でもあった。

 華光会館にあるピアノを寄贈してくださり、そして自ら調律までしてくださる。華光会館で下宿されていた若いころのご恩を忘れることなく、交通費も含めてすべてご喜捨である。皆さん、ご存じないことだが、華光会はこんな同人の皆様に支えていただているのだ。いまは、すべて合理的に割り切った考え方の方多く、自分に見合うだけのお金を払えばそれでいいだろうということになる。ご法の恩恵は受けたいが、組織に入ることはイヤだという方も増えている。参加者が増えても、また同人

やお金が活発になったとしても、目には触れづらい場所で、善き仏法のあり方は滅んできているのかれしれない。

 

お誘い頂いて、事務所の方皆さんが、会館の近くのASAというレストラン(洋食店)で、ランチをこ馳走になる。彼が、会館に下宿されていた頃からあるお店だか、貧乏な若い時にはなかなか入れなかたっというのだ。息子さんがぼくの中学校の同級生だが、厨房の立つ人は違うような気がした。

 全員、一番、高いAランチ。ハンバーグとエビフライ、そしてビーフの黄金焼き(牛肉を卵でくるんだもの)が皿に乗っている。ものすごく久しぶりに食べる。昔ながらの洋食の味だ。なんとも郷愁誘う、懐かしい味がするのだ。

 Wさんといい、この味といい、昔にタイムスリップするようでなんとも懐かしい。ただ、今の聞法のお誘いになると、するりするりとうまくかわされてしまう。まあ、これもまたWさんのご縁であろうか。

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