カテゴリー「今日の華光会館」の572件の記事

79-3号の華光誌発送

7月1日、令和2年も、早くも半分過ぎた。2月からのコロナ禍の中で、例年とは異なる半年だった。

79-3号の華光誌発送を発送。今年はあと1冊になった(実質、新年号は12月末だけれども)。

今号は、誌上法話は木村先生の、特集は水谷さんの追悼号。他にも先輩同人のご往生が相次いだ。

また5月から9月に延期された「永代経法要」の案内も同封。こららも初めての延期、そして分散開催となった。4日間を、前期(1泊2日)後期(1泊2日)の日程で、定員を絞り、宿泊や食事、懇親会を中止して行う。ご熟読の上、お申込みください。

 

 

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次号の華光誌は誌上感話

 華光誌はここまでは調に進んできた。

 誌上法話についてはふれたが、もう一つは、昨年の華光大会でのSさんの誌上感話である。本番では、マイクの調子が悪く、声が小さくて聞き取れなかった点もあったようだが、こうして文字に起してみると、とても有り難い。求道の道程も、克明に書いてくださっている。少しさわりだけを紹介。

 初めて、華光にお参りされた時から、後生の一大事に焦点があたり、自分のことが問題になっておられた。最初の方は、だいたい外側(本人は、いたって真剣に自分の問題だと思っておられるが)、三願転入がどうしたとか、宿善がどうしたとか、〇〇会についてどう思うかとか、どうしたらいいのですかとか、まあ、まったく無意味な質問を並べられる。しかし、これもプロセスで、一応無意味でも、お答えしていかないと、次には進んでいかないので、もっともらしいことを答えていく。邪魔臭くて、ドンドン進めていくこともあるが、ほぼそんな質問されてる方はついてこれず、中には傷付かれる方もあるようなので、最近は関わりに注意している。

 その点、彼はよくよくのご因縁のある方だった。そんな彼なればこそ、ぼくも、父も、最初からずいぶん厳しく接していたようだ。

 まずは、最初に、ぼくの座談会に。
 初めに来たきっかけを聞かれて、「信心決定しに来ました」と言ったとたんに、シーン。「あなた、信心欲しいんやー」「ふうーん」っ感じ。間違ったこと言っていないに、でも何か違うんですよ、何か雰囲気が…。
 その後、今の自分の現状、仕事や家庭のことをいろいろと話したら、先生から

 「あんたな、家庭が大事、仕事が大事、仏法も大事、全部同じにしてるやろ。仏法はそんなもんやないでー、もっと大きいもんや。それでは、ここでなくても良いんじゃないですか。他に行かれたらどうですか?」 と、バッサリと言われたというのだ。

 次は悟朗先生の信仰座談会へ。どんな発言だったのかは記憶はないが、先生からたった一言。

 「あんた何しにきたん。出ていきなはれー」

 私は、結構、切羽詰まってた。たぶんそれを見られて、私にビッタリな言葉をかけてくださったんだと思うが、その時はショック。

 「あんた、仏教聞く資格はないんだよ」…。

 まあ、ここに至るまでのプロセスもなかなか面白いので、華光誌をお楽しみに。

 ちなみに、もう一度、聴聞したい。仏法しかないと、聴聞の場を求めたとき、彼はインターネットで検索したという。その時の検索ワード。

「火の車、造る大工はなけれども、己が造りて、己が乗りゆく」

 これで華光会の誌上法話にヒットしたというのだがら、やはりなかなかのご因縁のお方。南無阿弥陀仏

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華光誌の編集作業

 6月に入って華光誌の編集作業が本格化している。

 まずは誌上法話。4月にご往生された福岡のK先生の、華光会館での最後のご法話。終始一貫、人生でほんうとに急がねばならない一大事とは何かを、自身が種々の病におかされ不自由な体をおしてお説きくださっている。仏法以外のこの世のものは、学校、会社も、家庭も、人生を生きる手段や方法を教えるば場所であるか、唯一、お寺だけは人生の目的、生れてきて一番大切なものは何かを教えてくださる場所である。その人生の目的を語り合う場所、お寺には、その境内に必ず大木が立っている。その大木は、道場樹と呼ばれて菩提樹であったが、いまは、銀杏の大木が樹っている。「さあ、みんな集まって、生れてきて一番たつせつなことを聞き合いましょう、語り合いましょう」というのである。それが四十八願の中の第二十八願「道場樹の願」であると。
 そしてお寺で語られる人生の目的とは、生死を出づべき道を聞くこと。後生の一大事の解決にあり、それを浄土真宗では、南無阿弥陀仏の一つにして届けてくださっているのだから、その南無阿弥陀仏の一声を聞くことにあるというのである。

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63年の歴史に幕

 華光会館を建立され、維持できたことは、同人の皆様方のおかげではある。経済的な面では、創建当時から30年近くは、アパート(間貸し)と文化教室の収入がなければ、借金返済も、維持もできなかった。特に、当初からの文化教室は大盛会で、華光会を支えた一番の功労者であった。毎日、実にいろいろ教室が開かれていた。

 「珠算」「書道」を中心に、「簿記」に、母が担当した「華道」や「茶道」、「図画・工作」は悟朗先生が担当し、「学習指導」、「編物教室」まであった。その生徒さんが、毎日曜日朝の日曜学校にも参加くださったのである。アメリカさんKさんがおられた時には、「英会話」教室も開かれた。終わっていくものもあったが、珠算(週3回、2部制)、書道(夕方と夜の2部制)が主力で、どちらちも100名以上の生徒からがおられた。そして、姉が頑張っていた「ピアノ」「オルガン」教室が加わった。

 終わっていく中で、頑張っていた「珠算教室」が終わり、悟朗先生の最晩年に「書道教室」もなくなった。細々だが、最後まで続いていたのが「ピアノ教室」だ。それが3月からコロナの影響でお休みとなり、そのうち先生が体調を崩された。6月からの再開を約束していたが、先生がステージ4の癌宣告と分かったのは、一昨日のこと。休止中に生徒も減少し、あまり急なことで交代の先生のメドも断たなかった。

 残念ながら、華光文化教室の廃業を決めた。

 突然、63年の歴史に幕が下りた。

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新刊~聖教のこころ~『経教は鏡なり』

~聖教のこころ~『経教は鏡なり』が完成した!

3月から準備を進めていた。5月初めの永代経法要での「修繕事業」記念法要でお配りする予定だった。しかし、永代経は延期、記念法要も中止。一方、印刷所も出勤制限の影響を受けて遅れたが、Rさんのご尽力で無事に完成した。今回は、企画からレイアウトのすへてをRさんの提案だ。3、4度と来館され打ち合わせを重ねてくださった。ほんとうにありがとうございました。

華光誌本文の1ページ目、目次上に掲載される「聖教のこころ」をまとめたものである。「聖教のこころ」は華光誌創刊からではない。第35巻2号(昭和51年・1976年)に始まる。44年前からで、合計160篇ほどの記事。その内、半数の80篇をぼくが担当している。それをどうまとめるのか? いろいろ試行錯誤したが、第1集は、浄土三部経(大経、観経、阿弥陀経)を、掲載順ではなく、経典のページ順に並べて再編集した。

一話、見開き二頁に納まるようになった。浄土三部経といったが、冒頭だけは善導様の『観経四帖疏』から頂いた。

「これ経教はこれを譬ふるに鏡のごとし。しばしば読むしばし尋ぬれば、智慧を開発す」

お経は、呪文でも、学問や根拠の対象にするものではない。それは教えであり、教えとは鏡である。鏡に写るのは、ほんとうの私の姿だ。その教えを鏡として、私のほんとうの姿を聞くのが、聞法なのである。

小難しかったり、十分に言い表せなかったりするで、ぜひ味読いただきたい。

題字を書き、表紙写真は今回のインド仏跡旅行で撮影。

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以下から立ち読みできます↓

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Zoom会議、法座続く

自粛が続くなかで、会議もSkypeやzoomを利用することが増えてきた。皆さんのお宅の部屋が一部でも映し出されて、なんとなく親しみも涌く。

法座が開催できない。中止にするのか、延期にするのか。またはリモート開催するのか。リモートならばどうするのが一番いいのか。先のことは誰も見通せないので、すべてを決定するわけにも行かない。状況はコロコロと変わるので、とにかくギリギリまで待って判断するしかない。

この週末も高山法座はなくなったが、土曜日・日曜日とそれぞれzoo信仰座談会。他に、運営委員会を初zoom開催。支部長研修会をどうするか。今後の法座運営をどうするかなど課題は多い。
各支部との相談もある。6月の東海支部は、早々にリモート開催が決定。続いて東京支部の役員さんたちとzoom会議。東京は、予約していた会場が、6月以降、使用不可(コロナで業績悪化が原因か)で、安くて、便利で、集まり易い宿泊できる会場探しが課題となる。しかも、今は首都圏での宿泊法座は開けない。とにかく6月の東京支部法座はリモート開催となった。

日曜日のzoo信仰m座談会では、無料版でも延長サービスが終わって、40分の2コマで途切れては流れを戻するが難しいことがわかった。これは、すぐに有料版に切換えて解決した。
夜は、ブラジルの子供たちと、こちらはSkypeでコミニケーション。ブラジル、南米がパンデミックの中心になっていることを心配している。

法座はなくても、会議や相談が増え、リモート座談会やテスト通話なども続いてけっこう忙しくなっている。十分でなくても、いま、出来る可能性のあることはやっていきたいのである。

 

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この世のことは、なんとでもなる

 今月も、会計士のY先生と、スカイプでの会計(月次)の説明。

  法座が開けないのだから分かっていたことだか、4月の収入が振るわない。前年同月比で60%の落ち込みだ。それでもまだ4月は前半に法座があった。5月以降はさらに厳しくなることか予想される。もちろん厳しい状況は世間も同じ。幸い、会館は、家賃(以前は借地だったのであった)や借金の負担がない分、助かっている。それでも、この先が見通せない以上、運営や経済的な不安はつきまとう。

でもこのような状況であればあるほど、真実のお法りが光が輝いてくる。そして、先師の悟朗先生のお言葉が思い出される。

「この世のことは、なんとでもなる」

というのが常の仰せだった。
別に、単なる楽観論でも、心の持ちようをいったものでもない。「なんともならない」というのは、ただ私の都合が悪い方に進行するだけのことであって、たとえ、自分にとって最悪の方向に動いたとしても、今生事ならばなんとでもなるというのである。

ほんとうの大事、問題は別にある。「後生の一大事」である。後生の解決こそが、一大事なのであって、この世の経済も、生活も、今生事であり、因縁ならば何が起こるかわからないのだと。
そのことをお聞かせに預かり、その後生の解決に焦点をあてて、聴聞させてもらってきた。そして、有り難いことに、後生の夜明けをさせててもらったのである。

確かに、今の状況は厳しく、先行きは不安だ。法座が開けず同人とも語り合えない寂しさもある。しかしである。どこかで、それもまたこの世の中の出来事。業ならば受けていくしかないと、落ち着いて腹を括らせてもらえるのが、なんとも不思議である。

しかしながら、いまの華光会も「コロナの一大事」が看板になってしまった。改めて「だれのひとも、早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたの」めとの勅命をお聞かせいただきたい。

親鸞様は、行巻に『楽邦文類』を引用されている。

「一たび人身を失ひつれば、万劫にも復せず」。

これは、いのちは貴重だら大切に守れというような寝惚けた意味ではない。前後を現代語訳(本願寺出版)で示しておく。

「人生は、夢幻ようであり、真実のものは何一つない。寿命ははかなくて、長くたもつことができない。わずか一呼吸ほどの間にすぐ来世となる。ひとたび人としての命を失えば、もはや一万劫を経てももとにはかえらない。今この時 目覚めなかったなら、仏にも、私たち衆生をどうすることもできない。どうか、深く無常を思って、いたずらに悔いを残すようなことはしないでほしい。」

 今、聞かずにいつ聞くのか! 南無阿弥陀仏

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マスク

 3月の広島法座、Sさんから布マスクのブレゼントがあった。まったく手に入らない時だったので、たいへん助かった。

 その後、日高支部のTさん、続けてまたSさんからも「事務所の皆さんへ」と、多くのマスクを送ってきてくださった。ありがとう!!

 そのころから、高額ながらネット販売でもマスクが売られるようになっていたが、今では市中でも出回り、値段もかなり落ち着いてきている。マスクが手に入らないことから、手作り派のも増えてきて、工夫されたお洒落なマスクが目につくようになった。

 そして、先日も、高山支部のFさんがマスクを送ってくださった。こちちは、お手製。器用な方で、ひとつひとつデザインの違う布が使われて、素敵だった。

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 マスクの喜捨がおこなわれる世の中になるとは想像もしておりませんでしたね。
 皆さん、ほんとうにありがとうございます。

 肝心の「アベノマスク」は、まだ届いておりません。

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花祭り

お 誕 生

 『そのとき、ルンビニー園では、木の根元から、枝の先に至るまで、すべて同じように花が咲き乱れていた。枝の間と花の間には、五色の蜜蜂の群や、様々な種類の鳥の群が美しい声で鳴きながら、飛び回っていた。ちょうどルンビニー園全体が、帝釈天のチッタラター園と同じように大偉力ある王が巧みに整備された宴会場のようであった。
 王妃はそれを見ると、サーラ林で遊びたいという気持になった。そこで臣下たちは、王妃を連れてサーラ林に入った。王妃はめでたいサーラ樹の下に行き、そこでサーラの枝を取りたいと思った。するとサーラの枝が、よくぬれた蘆の先のように垂れてきて、王妃の手の方に接近してきたので、彼女は手をのばして枝をつかんだ。ちょうどその時、この彼女は産気づかれた。女官達は、彼女を幕で囲んで準備をし、他の大勢の人々は退いて静観することにした。マーヤ夫人は準備の整った頃、丁度サーラ樹の枝をつかみ、立ち姿のままで出産された。と。その瞬間、四人の浄らかな心の大梵天が黄金の網を持って来て、その黄金の網で菩薩を受けとり、母の前に立ち、「王妃よ、喜びたまえ、大偉力あるあなたの息子がお産れになりました」といった』(「ニダーナカター・ジャータカ」)

「教主世尊は、弥陀仏の 誓い説かんと生(あ)れたもう
 にごりの世にしまどうもの 教えのまことを信ずべし」

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≪姉が、日曜礼拝の子供たちにと、花祭りのスノードームを送ってくれた。残念ながら、日曜礼拝(子供会)は当面は休会。
後ろは、インドで購入した合掌像。南無阿弥陀仏≫

 

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運営委員会~永代経は延期~

  いよいよコロナウィルスの感染拡大が深刻になってきた。テレビをつけても、ネットをみても、ニュースはコロナ一色。近々緊急事態宣言が発動される見通しにもなった。 こんな状況で、GM中の永代経法要を開催できるのか。例年は3日間で130~50名のお参りがある。しかも寝食を共にする方もある。法要もあるので、道場に前は、法中の席となり、法要中はかなり詰めて座ってもらう。今年は、修繕事業の記念法要も計画していた。ただ申込みの出足はかなり悪い。もしこのまま開催しても、30~40名の参加しかないかもしれい。それでも全国各地からの人と人との接触が濃厚になる。

 形態を変えて行うのか、それとも中止や延期をするのか。3月20日以降、行事や法座の中止が続いているので、今後の行事予定も見直さねばならない。 

 あらかじめ役員MLを使って意見出していただき、その上でスカイプでのネット会議を行うつもりだったが、全員のネット環境が整わなかった。これはこれからの課題だ。というわけで、委員長、副委員長、そして事務局のTさんと、ぼくの4名が集まって会議。全員、マスク着用し、机も4つ並べて、1人が1つずつ間隔をあけて坐る。かなり異様な光景だが、これが今のスタイル。

 真宗の法座が、不要不急なものなのか。法要や法話は、ネット中継で代用できるが座談会はどうか。ただ、人が集まるからやめるのでは、「後生の一大事」の看板が、簡単に譲ることにならないか。悟朗先生ならどうされたかという声もでる。もちろん、ぼくもそこは常々考えてるところで、そこが師をもった者の幸せである。

 つくづくと顔を合せて話し合うことが、如何に大切かということを思い知らされた。もちろん、メールやラインでのやりとりで事は足りる。しかし、遇わなければわからない、機微というのを感じることもあれはば、触発されて考えが変わることもある。今回のように、これが「正解」というものがない以上、あれや、これや、ああでもない、こうでもないというプロセスこそが大切だ思う。

 個人的には、これを機会に法座の有り様もかえてみたいと思った。あまり活気のない法座で時間を使うよりも、少人数(6名程度)の小さな集りを、きめ細かく開いていきたいと思った。直接的なコミニケーション、しかもグループの力のようなものの重要さを想うのだ。もし今開くなら、「一蓮托生の会」はどうだろうかなも思ったが、当面は、おとなしく自粛することになりそうだ。

 結局は、永代経法要はGM中は取りやめて、9月に延期の決定。もちろん、9月も開けるどうかはかなり不確定。まあ、その時は、その時として考えればいい。他の集いについてもそれそれの状況や地域の判断で、ギリギリまで考え、待つことにした。

 新手目て法座をもつ意義や覚悟が問われているのである。南無阿弥陀仏

 

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