カテゴリー「今日の華光会館」の483件の記事

外護の善知識

今年もピアノの調律に、日高からのWさんがおいでくださった。

お母様が強信な念仏者であった。ご本人も、華光会館に下宿し、子供大会や仏青で聴聞されていた。聞法聴聞としては、疎遠になっておられるが、ご喜捨くださったピアノの調律に、毎年、毎年、欠かさずに、この5月になるとおいでくださる。

あわせて会館修繕のご喜捨もしてくださった。今回の修繕募金には、いま、疎遠となっていたり、高齢や病気などでお参りが適わなくなった旧同人からも、篤い思いを届けてくださっている。

いま熱心に華光でご聴聞されている方にお伝えしたい。無数の外護の善知識のおかげて、私が、ここで仏法聴聞ができるのことを。

ところが、私はただ自分の信心が欲しい、ハッキリしたい、喜びたいと、必死に自分で求めている思っている。しかしなかなか聞けないと、辛くなって、八つ当たりしてふくれている。要は、信心も自分の思い通りにしたいだけで、この世のことであっても、どれだけのご苦労があるかなどには眼中にないのである。ましてや、如来さまのご苦労があったことなどまったく知ることもできない。狂った、無明の身そのものである。

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永代経法要の打合せ

永代経法要の準備のため、Rさんが来館。今月だけで3度目だ。
講師の手配、分級座談会の講師や司会の顔ぶり、信仰体験発表などが決まってきた。当番は、日高支部なので、単独では難しいが、中心になって動ける方が数名あるので、そこは頼もしい。

後は拡大運営委員会の議題である。なんといっても、修繕の問題が大きい。とても幸先よくスタートしたが、皆さんにお願いしていくのはこれらかの話である。
宿泊や食事は締め切っているが、参加はまだまだ大丈夫だ。どうぞ、奮ってご参加ください。

永代経の準備と並行しながら、聞法旅行の準備も進めている。こちらは、野口道場や當専寺(伊藤先生のお寺や墓所)は、旅行社ではなく、直接、拝観の交渉をしている。古ぼけた野口道場が取り壊されていないかかを一番、心配していたが、これはまだ残っていたのが、いちばん安心したことだ。當専寺は、20年前の電話番号が変更(お寺で変更になるのは珍しい)になっていて、なかなか連絡がつかずに困ったが、本山興正寺を通じて連絡先を教えていただいた。快くお迎えいただけるのがうれしい。永代経法要の直前に旅行社にあい、打つ合わせを進めていく予定。もう少しまとまったらまたお知らせします。

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華光誌の発送

 春の子供大会終わって、華光誌の発送準備に追われていた。

 本体は、久しぶりの外注で少したいへんな思いをしたが、今号は同封物も多い。その作業も、打ち合わせやなどが必要だったので、時間がかかった。

 まずは、4月末の永代経法要のお誘いと法要軸のお誘いだ。

 そして7月の聞法旅行のご案内。今年50回忌をお勤めした、伊藤康善先生のご自坊(當専寺)と墓所、さらには「仏敵」の舞台の野口道場を訪ねる旅である。加えて、大和の御旧跡を訪ねるが、『歎異抄』の著者唯円房の墓所「立興寺」、存覚上人御開基の「願行寺」、さらに蓮如上人との糸車でのやりとりでも有名な大和の了妙尼師の「金台寺」など、なかなか個人ではお参りしないところに行きたいと思っている。

 最後は、建設依頼22年経過した華光会館の大規模修繕募金のお願いである。これは華光誌本体にも役員の記事が掲載されている。いろいろと考慮しながら文章を作ったが、ぜひ、ご一読をいただいた上で、ご協力をお願いする次第です。

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ご示談

 今年に入って、「ご示談をお願いしたいのですが…」というお申し出が増えている。
 
 すべては受けれらないので、「座談会で発言してみませんか」とか、「スカイプで聞きましょうか」と対応したり、「原則、会員の方が中心です」と言ったりもしている。

 どうも、一対一ではないと、なかなか座談会では話しづらいという方が多くなっているようだ。ただ、ご示談といっても、最後の詰めというより、まだ聞法の緒という方もおおくて、大半は、いまのところの心境をお聞きすることが多い。持ち時間のすべてを発言されつづける方だっておられる。

   実は、僕自身もご示談というより、カウンセリグ的な姿勢で臨んでいる。

 カウセリングの実践勉強を始めて35年以上が経過したが。このところ、少しは聞けるようになったなーと思えるようになった。聴きながらもいろいろ試している。聞くポイントを別に置いてみたり、言葉の奥の気持ちにフォーカスしたり、少しレスに工夫したりと、試行錯誤をしているのだ。僕自身も、大勢の法座の場よりも一対一の方がじっくりと聞かせて頂けるのだろう。

 たぶん、今後も機会は増えてくるだろうな。

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華光誌編集作業

 今回の華光誌は、かなり手こずった。

 いつも会館で作製してくれているRさんが産休に入るので、久しぶりに外注に出すことになったからだ。ほぼ(9割方)、ぼくでもできるが、きれいなルビと2段のタイトルだけがうまくいかないので、改めて組んでもらうことになるからだ。そのためには、いつもの口頭ではなく、字体や大きさの指示をいちいち書き込まねばならない。
 そこに、加えてちょっとした行き違いから、完了しているはずの手直し作業がうまくいかないこともあって、印刷所との約束前夜は、かなり焦った。「仏書に親しむ会」が終わってからも、切迫しながらの作業である。若い頃は、華光誌のために何度、徹夜の作業をした。でも、さすがに最近はない。要領も得たこと、かつ計画も立てられるようになったからだが、今回だけはちょっとピンチだった。

 それでも3時頃までは頑張ったら、だいたい完了して、後は朝の作業で補えるところのメドがたってよかった。

 ただいつもと違って、このあとにまだ校正が何度かやってきて、表紙などの座業も待っている。それでも、翌朝には渡せて、ちょっと一息。ただ、月曜日までに表紙関係の作業があり、巻頭言も書かなくてはいけないが、束の者やすらぎだ。

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報恩講の準備

 Img_5087報恩講の準備が進んでいる。ぼくもお荘厳や法要の準備、細々した事務仕事を行っている。

 布団や食事、おやつや懇親会の準備は、会館の事務局で進めていくが、同人の皆さんの協力がなければ法座は成り立たない。

 京都の有志の皆さんが、10日、11日と、そうじや仏具のおみがきや荘厳の準備をしてくださる。
 報恩講の法座担当者は、当日の進行や役割分担を差配ある。また運営委員を中心に、分級座談会の担当なども決まっていく。当日、参加できない方でも、掃除を手伝ったり、事前準備に関わってくださっているのだ。これまで総数を考えたことはなかったが、事前準備の段階でも数十名、当日はさらに数十名のお世話役がおられるのだからら、お世話の総数は30名以上の方が関わって、ひとつの法座を造られているということになる。

 さらに、そこに講師や法中、分級司会者などが加わるのだから、実に多くの皆さんが関わり、そして支えられてこの法座が開かれているのだ。しかも華光同人に加えて、専門の業者-仏華や朱蝋、お供え、酒屋に、弁当屋に、布団屋などなど-実にさまざまな皆様のお力が加わってくるのである。参加の皆さんにしてもそうだ。たとえば交通機関ひとつとっても、実に多くの方の尽力があればこそ、私がここに参加できるのである。大きな顔して、自分の力でお参りにしたと自惚れていても、実に十重二十重の、おかげさまが重なりあわねば、私はここに座れないということである。

 ところが、京都のお掃除の方も高齢化が進んできた。最近では、お世話を嫌う方もあるし、組織には入りたくないという方も増えている。親切心から基金を出しあってでも専門業者に任せればよいという声もいただく。しかし、仏法を聞く座とは、「経費を負担したから」とか「参加費を出しているから」といった損得の物差しだけで、はかることのできないおかげでの賜物である。何よりも、なんとか仏法を聞いてもらいたい、ご法を伝えたいという篤い情熱が法座を生んできた。そして、自らの聞法の場を、一丸となって作り上げていこうというプロセスこそが、身をかけた大切な聞法にほかならないのである。なんとか、その伝統を次世代へも伝えていきたい。確かに、お金で解決し専門業者に丸投げした方が、きれいでうまくいくこともあるだろう。しかし、それではせっかくの大切な法への熱情が、スルりと抜けていく気がしてならないのだ。もちろん、時代に合わせて、効率よく準備したり、特定の方だけに負担がかからないような工夫も必要だ。しかし、多くの皆さんのお力が結集されてこそ、私がお聞かせに預かる法座が出来上がり、そこにひとりでも多く方が参画し、共に法座を造っていくことがなけれど、華光に集う意味がないようきがするのだ。

 たとえ、一人でも、二人でもいいのだ。共に頑張っていこうという皆様と力を合わせて、この華光の集いを作り上げていきたいのである。
 

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skypeでの相談

 ある会員から、スカイプ(いわば、PCでの画像付き電話、昔は、テレビ電話って夢の世界だったなー)での信仰相談とういか、カウンセリングの依頼を受けた。これまでスカイプ会議などの経験はあるが、カウンセリングを引き受けるのは初めて。しばしば電話での相談や質疑はあるのだが、画像付きは初めてである。確かに生身で出会うわけではないのだがら、ある程度、相手の表情やしぐさもわかる分、電話相談よりもずっとやりやすいと思った。概ね好評だったようで、これからも定期的に継続して行うことになった。

 このやり方は、初めてなのでまだ試行段階だが、もしうまく継続するようなら、今後は、他の皆さんにも広げられるツールになるのかもしれない。楽しみである。
 
 

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来客? 珍客?

 正月2日目。来客もなくゆっくり1日を過ごした。風邪気味なので、ちょうどいい。

3階で、名古屋からの洋風おせちを、姉一家も一緒に食べていたら、電話がなる。タクシーの運転手、「すぐ近くまで来ているが、華光会館が分からない。教えてほしい」と。正月の来客は珍しいことではないが、夜8時を過ぎてからの来客は珍しい。しかも、場所が分からないというのは、お参りされたことのない方か、高齢者の可能性もあるが、それなら夜の訪問はないだろう。母が、「アメリカのお同行さんかな」と言った。突然、来られることはこれまでも何度かあったのだ。ところが、「すぐ近くまで来ている」と言われわりに、10分たっても現れない。「華光会館を目印に路地の方ではないか」とも思ったが、それならここに電話はかけて来ないだろう。 

そのうち、チャイムがなる。1階に降りて、姿をみて、「ああ、なるほど、あなたでしたか」と、一気に合点がいった。初来館ではないが、場所が思い出せず、十条駅からタクシーに乗ったというである。おいしいコーヒーがあったので届けてくださった。

遠くからせっかくお出でくださったのだ。お酒を飲んでいたが、道場で勤行をした。聖典を見ながら、「漢字は難しいですね」と仰る。それから、しばらく談笑。12月の東海支部法座での法話について質問された。「あの時されていた、頭に「こ」のつく話が聞きたい」と。いーや、これは困った。まったくわからない。いろいろと尋ねるが、要領を得ない。「ああ、もしかして五劫のことかな」というと、「私は囲碁をやっているが、劫というのがある」という話題に変わって、もう法話のことはなくなって四方山話が続く。たまにチラチラと本音に近い言葉も出るがすぐにまた流れていくが、けっこう面白い話が多くて、興味深く聞かせていただいた。

最後は、「私も忙しいので失礼します」と。近くのスーバーに寄ってから、三重まで帰るといわれた。お酒の話題がでたので、「次回は、おいしいお酒をもってきます」と約束してくださって、お別れした。気をつけてお帰りください。

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華光誌新年号の発送

 華光誌を発送した。助っ人としてAさんとMさんが加わってくださり、ぼくと連れ合いと、Tさんの5名での作業した。終了後、お茶を飲みながらの懇談が楽しみなのだが、今日は、夕方に歯医者の予約があって、そちらは不参加となった。

 皆様のお手許に年内には届くだろうが、年末の宅配便はたいへん混雑している。もしも未着の時は、ご遠慮なくお知らせください。

 表紙は紫色。新年号なので、来年度の年間行事表と、同人の方には年賀交換が付録している。

 体験記は1編だけだが、随想が面白いものがある。誌上法話は、ちょっと難しいだろうが、熟読いただけると期待している。

 どうぞ、新年のお楽しみに。

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華光誌作業完了

いろいろとたいへんだったが、「華光誌」と「年賀交歓」が完成し、夕方に印刷所に渡る。予定どおりだ。新年号の華光誌は記事が多くて、48頁建て。随想もあって、体験記はひとつだけとなった。残り、次号に回る。読み応えがあると号なので、お楽しみに。「年賀交歓」も例年の頁数。ただ「年間行事表」だけは、月曜日渡しとなった。まだ確認とれていない箇所があるからだ。

引き続いて、毎月の会計士のY先生との月次の報告。毎年、毎月、ボチポチというのが華光の会計である。ただ、ボチボチでも、上向きのボチボチと、下向きのボチボチがあるが、最近は下向きの時が多くなった。

その後は、「本典」の勉強会に移った。まったく準備は出来ていないが、学生時代の書き込みが、まだ生きているのが確認できて面白い。行巻は、普賢先生の研究室で読んでいたが、その時は、まったく不勉強、無知を恥じるばかりである。その意味ではいまもまだ何も分かっていないのだが、ただ学習意欲だけは高い。しっかりと読んでいきたい。

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