カテゴリー「今日の華光会館」の610件の記事

命日に

 孫の付き添いで、姉も仏の子供大会に参加してくれた。母から見ると、母-娘-孫-曾孫と、4代が揃ったことになる。

 翌日は、父の命日。八周忌になる。8年前の夏も猛暑だった。仏の子供大会に参加して、3日後に倒れたのである。

 6月に得度をおえた娘の調声で、家族だけでお参りをする。お「正信偈」の後の六首の和讃は、父の「三帖和讃講讃」から和讃六首と、その意味(意訳)をいただいた。

 勤行のあとで、母と姉は、昨年の母の特別講演会の原稿のチェックを念入りにしていた。最後の質疑応答のあたりで、一緒に座る。姉が編集した文章を音読して、訂正する作業だった。文章を目にした時と違い、本人を前に、声に出された文章には重みがあった。母の八十八年の生涯がこめられている。しかも、父の命日にその作業があったことも感慨深かった。60年以上も、父と母の二人三脚での伝道の歩みが、そこにはあった。
 そにれしても母の記憶力の良さには驚くばかり。 

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支部長研修会~支部長の役割~

 支部長さんに新しい顔が増えてきた。一回りして再度ベテランが受け持つ支部もあるが、主は、初参加者や2回目の方で、新鮮な顔ぶれだ。

 喜んでばかりもいられない。これまでの支部の成り立ちや背景などの学びがなく、十分なレクチャーがないまま引き受けておられる。支部長研修会の意味も分かないまま参加していると、正直に話しくださる方もある。その率直さが有り難った。とにかく支部長を決めたいと、丸投げしている支部があるようだ。そして2年ほどで、次の新人にバトンタッチでは十分な引き継ぎもできない。多くの皆さんに役割を担ってもらうことは大切だが、支部長の役割がいかなるものかを時間をかけて学んでもらう必要があるのではないか。それだけ支部長という役割は大きい。

 そもそもなぜ、各支部法座が行なわれているのか。その支部が起こってきた経緯は? そこすら理解されていない支部長もおられる。即、実践しながら学びもいいが、2年交代となると、支部長が事務係や雑用係の役割を担っているのにすぎない。支部員間のコミニケーションがとれているのか。支部長研修会の前後で、支部で会議をもたれているのか。報告のための支部法座でも報告会がもたれていないのだ。

 自分のやりたいことをやるために支部長になるのではない。まず支部長は、本部と支部のパイブ役になり、支部員を声をよく聞き、それを報告したり、2度の会議での本部での動きを伝える役割が第一番にある。そのためには、支部員の声を聞き、支部をまとめていくことが基本だ。それがうまく伝っていないのは、そのようなにお育てをしてこなかった先輩同人の責任である。以前のことだが、ある支部で、まだ3、4年目の新人を支部長にしたいとの申し出があった。その方は、社会的には人の上に立つ方で、人柄も申し分なかった。ただ仏法の上では新人だ。それをベテランの方が、「ぼくが、しっかりフォローして育てます」と宣言され、丁寧にフォローで育てあげ、4、5年後には、華光にとっても(役員になられる)なくてはならない支部長さんに成長されたケースがあった。いま、そんな実践をされている支部があろうか。丸投げして、うまくいかいなと批判するのでは、人は育たない。

 もちろん華光の場合、支部長は信仰の上で支部をリードする役割も担ってほしい。信の上で、不審がおった時、その相談を支部長にされる支部が、どれほどあるだろうか。まず、互いに信未信を厳しく問う。喜んでいる方は、さらにその味わいを深めていく。そのための支部長研修会であった。当然、真剣なビリビリするような集いだったが、何時の間にかそんなムードは消えてしまった。今回も、その点を指摘されるベテラン勢があった。しかし、それは新人の責任ではない。その時のムードを知る我々の責任であることはいうまでもない。結局、華光に関わる、またリードする一人一人の責任であることに、もう一度立ち返ろう。

 釈尊当時から、仏教教団(サンガ)には、一人前の比丘・比丘尼に育てるための教育機関という役割を果たしてきた。決まった師匠に付き、一定(5年間)の見習い期間、教育期間を経ることが必要で、それは現在に至るまで(律がない日本を除く)すべての仏教教団で受け継がれいることだという。

 その点では、我々も大いに考え直す必要があると実感させられた。今回は意味のある研修会となった。南無阿弥陀仏

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甘茶

 明日からの福岡での前に、花祭りの準備である。

 仏具屋に「甘茶」買いにいく。甘茶は、紫陽花科の植物だと聞いたことある。甘露ともいう。

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本山前にある昔から利用しているお店だ。毎年、花祭りのボスターや花祭りグッズ(記念品やボストカードなど)を買っていた。会館の2代目の誕生仏や花御堂も、ここで購入した。ちなみに初代のものは、日髙支部の日曜学校で活躍していた。日髙支部ではその後も、花祭りグッズを買え揃えて行かれることになるが、残念ながら今は倉庫に収まったままで、日の目をみない。
 
 日曜日の花祭りの法話は、娘が担当する。福岡での法座があるので聞けないのが残念だが、今年も花祭り迎えることが出来た。

 

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お別れ~ありがとうございました

 さて、昨日の華光誌発送がIさんの最後の仕事となった。4年間、学生時代からHPや法座案内、CD作製に、音声編集、そして華光誌の版下作りに、さまざまな事務の雑用をお願いし、この2年間は、ZOOMの仕事が加わるなど、事務所にはなくてはならない存在であった。
 がしかし、残念ながら、ご家庭の事情もあって、これで一旦、事務所の仕事を終えることとなり、3月中頃からは、引き継ぎのために娘をと指導して頂いきたのである。

 お別れといっても、明後日の日髙支部法座もご一緒するし、これからも日礼も仏青もまだまだ頑張ってはもらう。それでも、これが会館でのが最後の仕事だと思うと感慨深く、お別れの時にはとても切ない気分になった。ほんとうに別れとは、不思議なものであるなー。

 長い間、ありがとうございました。さらなる飛躍を楽しみにしています。
 そして、これらかの仏青や日曜礼拝も、どうぞよろしくお願いします。

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華光誌発送

 華光誌の発送をする。誌上法話や体験記のみならず、未信者の方の文章が面白かった。今、ところを隠さずに伝えてくださると、その心境がよく分かる。同時に、ご本人は分かっておられなくても、どこでつまずき、引っかかっておられるのかも分かるような気がする。ただ、一方的に正しく指摘しても、なかなかあいての聞く耳に届かない。結局、自分自身の気づきが起こらなければ、所詮、理屈で終わったり、スローガン的な理解で留まってしまうようだ。その意味では、正しい指摘よりも、相手の引っ掛かり、こだわりを、こちらがより正確に理解する方が早道のように思うのだが、座談会になると、このアプローチを行うのがなかなか難しい。いまだに、その時、その時の対応しかできない。まだまだ道半ば

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80-2号の編集作業

 華光誌の編集を急ピッチでおこなった。Iさんも編集作業に慣れて、仕事がスムーズに進む。おかげでいつもより1週間は早く9日には完成。印刷所の都合などもあって、華光誌データ渡しが11日になったが、それも十分、3月中には発送できる。
 誌上法話(講話)は「正信偈の大意」で、信心の五徳の3回目。信仰体験記は新しくなって、「信心獲得病にかかった求道者アルアル」の描写には、大きく頷くと共に、クスッと笑ってしまう。本人は至って大真面目なのだが、冷静に見てみると、とても滑稽な求め方をしている。それが自力の正体なのだが、なかなかそこを手放すことがてきない。他にもいま熱心に求めておられる方々の率直な告白が、それぞれに味があっていい。その気持ちに頷きつつも、そこを翻っていかねばこの難関はと超えられない一大事。そんなこんなで、いろいろと読み応えのある号となったと思う。

 最後になったが、編集作業してくれていたIさんが、今月一杯で退職されるので、これが最後の編集作業。お疲れさまでした。 

 

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恭賀新年

 恭賀新年

 昨年はたいへんお世話になりました。
 
 昨年もブログの更新は遅れ気味で、特に後半は休み休みで、11月~12月中旬は全休したりもした。本当は、短くても、小まめに早めに更新すればいいのだが、性格上、書くならば詳しくてってしまって、逆に、あれここれもと考える内に筆が停まり、次ぎの行事がやってくるという感じである。

 今年は、もう少し効率よく行きたいと思っている。これは毎年思っていることだが、そうなった試しはないのではあるが、今年、どうぞ皆様、よろしくお願いいたします。合掌

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一筆添える

 新年号の華光誌を発送する。助っ人2人を交えて、5名で作業。夕方には、集配が済んだので、年賀交換も合せて、年内には届くだろう。

 合せて、1月の法座案内を年賀状にして、全員に一筆添える。今年は、20日から開始している。例年より、1~2日間ほど早く作業を開始したので、華光誌発送に合せて投函できそうである。一筆の文章は、その人を思いだしながら、お味わいを添える。今年は、5つのパターンをアレンジしてい添えた。あの顔、この顔、それそれの思いが甦る。スッと書ける人、なかなか書きづらい人。なんとなく後回しになっていく人。関係が近しい人やなんとなくいま気になっている人の方が、筆が停まる。逆に、疎遠の方は、あいさつ程度で書くことが決まっているのであっさりと済む。

 ああ、最後はこの方々が残ったか。最近、法座でちょっと気になるやりとりをして、その後お顔を合せていない人だった。こんな一言を添える些細な作業でも、心に、ちょっとした揺れが起こるのが面白い。

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華光誌データ渡し

 例年、この時期の日程が一番厳しい。華光誌の編集に、年賀広告が加わる。年内発行のための印刷所への〆切日が決まっている。そこへ3日間の寺院布教。曜日に関わらず「13日、14日、15日」と日程が決まっていて、〆切日と重なるってしまう。しかもその前後の週末は支部法座が続くかちだ。今年も、岐阜の寺院会所にした東海法座と宍粟市山崎町での3日間の報恩講と続いたので、その出発の朝に華光誌の渡して、すぐ宍粟市山崎町に出発した。

 おかけで、華光誌は24日に完成することになった。すぐに発送したら、年内にはお手許に届くだろう。お楽しみに。

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F家の年忌法要

 毎年四月に法供養として法要をもってくださるF家だが、親族の皆様の法要も欠かさずに営んでくださる。施主の義姉の方の年忌法要。勤行の後、正信偈の冒頭の「帰命無量寿如来、南無不可思議光」についていただく。なぜ、無量寿、無量光の如来様になってくださったのか。そして、「帰命無量寿如来」と「南無不可思議光如来」とは、きいかなるお働きの如来様であるのかを、なるべく分かりやすい言葉でお伝えさせていただいた。
 短時間ではあったが、お世話になりありがとうございました。

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