カテゴリー「法座と聞法」の887件の記事

福岡での九州支部法座

 今週末は、福岡での九州支部法座。昨年に続き、A家が会場となる。12階の自社ビルの最上階が会場である。まだ新築なのできれいで、眺望も素敵だ。ここにお念仏の声がこだまする。そのことが一番すばらしい。

 初めて参加される若い方があった。たぶんこれきりにならず、ご縁が深まることだと思っている。20年ぶりに参加の古い同人(伊藤康善先生にあっている)もあったし、1年ぶりに参加された学生さんもある。人数は多くはないが、聞法の長短、参加の思いはそれぞれ違う。焦点をどこにあてるのかで、法話難しかった。

 ただ、すべての方が、「仏の力で参りきて、喜び、敬い奉る」法の仲間である。皆さん、それぞれの仏縁が熟して、ここに足を向けられたのである。

 娑婆往来八千遍。釈尊の身命が捨てられた場であるからこそ、ここで法座がたつのである。考えれば不思議なことだ。お寺でもなければ、法事でもない。それがマンションの12階で、ご信心について真剣に問い語り合う。そしてお念仏かこだまする。現実には、「念仏がこたまする」とは、少し誇張気味ではあったが、なかなか稀なことであるのには違いない。
 
 さて、今後、ここはお念仏が染みわたる家となるのか、それとも愚痴だけがこだまする家で終わるのか?
 南無阿弥陀仏

 

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盛況だったO家家庭法座

Img_2008  4月は、京都支部の家庭法座。家庭法座といっても、会場は華光会館だ。しかし、今年は修繕工事中で、会館を使用することができない。

 その時、名乗りを上げてくださったのが、Oさんである。かなり昔に、悟朗先生を招いた家庭法座があったそうだが、それから何十年もたっている。「手狭で、座談会ができないかも」と心配されていたが、Tさんが下見され、「大丈夫」とのお墨付きで、会場に決定。もしギュウギュウでも、距離が縮まる家庭法座のメリットもあるだろ。

Img_2030 近鉄東寺駅からも、また京都駅からも近く、東寺の東門につながる東寺道から路地に入ってすぐのところの京都の長屋。門構えに比べて、奥行きが広くなっている。二間を縦長に拡げて会場に、悟朗先生の若かりしころの六字名号が掲げられる。光っていました。

  お誘いの声かけも盛んで、同時に「Oさんのお家、どんな感じなのかな?」という興味半分の方も多く、通常の支部法座よりは5割増(?)のお参り。珍しい参加者もあって、うれしい意味でギュウギュウになって、会場は熱気に包ま れていた。入院中のMさんもご夫婦で参加。「当番の永代経のオープニングテーマ曲を作ってきたよ」と、ご夫婦で歌の披露される、サプライズも。ご夫婦の法味の語らいもよかった。何より、全体も活気があり、一言の法味を語るだけで時間がきてしまった。

 もともと亡くなったOさんとは、古い古いおつきあいだ。一時、華光会館のお手伝いもされていた。でも、病気になられて、肉体的も、精神的にも、かなりつらい時期が続いて、いまの皆さんとはご縁がほとんどない。しかし,ぽくは、子供の頃からすいぶん可愛がってもらった。中学生の時の着衣式で、子供用の五条をOさんのお母様が寄進くださった。45年も前の懐かしすぎる思い出だ。Oさんも、亡くなったご主人からの言葉を随想として、4月号の華光誌に掲載されている。ぜひご一読を。通り一遍の味わいでないところが、いいです。

 もの珍しさもあって、仕事を休んで参加されたという方もあったが、それはたぶん今回だけのこと。O家家庭法座が、2年、3年…と続くうちに、参加者は減っていくことだろう。それは仏法も今生腹での聴き方だからだ。大方の方は、「お金も大事、家族も大事、趣味も大事、そして仏法も大事」と、いろいろある「大事」の中の、ひとつぐらいで仏法を聞いてる。そこまで育つのも、たいへんなことではある。しかし、そこで止まっていけない。もろちん、「ひとつでも『仏法大事』の順位をあげていきましょう」という話でもない。

 いろいろある大切なものの中での「大事」でも、また大切なものと比較して一番の「大事」でもない。

 「後生の一大事」は、比較級ではなく、最上級なのだ。いくらこの世のこと、目の前のことが大事でも、すべて死と共に崩れさっていくのである。しかし、後生の一大事だけは、違う。そこからがほんとうになっていく、取り返しのつかない一大事が待っている。「そこに心をかけて聞けよ」というのが真宗の教えである。まあ、そんなこともお話申し上げた。南無阿弥陀仏

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十七回忌年忌法座

  午前中、京都の同人宅での、十七回忌の年忌法要に赴く。

 単なる法要ではなく、ご親戚の方への法座として営んでくださっている。有り難いことだ。でも、伝道という意味では、参詣者が高齢になられ、難しさも感じている。いつものように、「ご一緒に、声を出してお念仏申しましょう」とお伝えして、お念仏を申させてもらった。

 先の仏の子供大会のテーマであった「感謝」ということから、当たり前のことなはく、みんな有り難いこと、頂き物だということをテーマに、かみ砕いた法話につとめた。頂き物は、このからだも、いのちもそうだ。そして、その口から出る「南無阿弥陀仏」、すべて阿弥陀様のお命でないものはない。

 

 

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東京支部法座~出会いがテーマ~

    木曜、金曜の名古屋での仏の子供大会に続いて、土・日の週末は、東京での支部法座。名古屋から直接、東京に入りたかったが、皆さんを車で送迎する関係もあって、一端京都に戻って、東京入りした。早くからサクラの便りが聞こえている東京だったが、今日はすいぶん肌寒かった。
 
 法座が続くと、ご法義が篤くなってくる。ましてや子供大会では、最後に悟朗先生の遺言に触れたようなものだから、最初から燃えている。法話は4座、長い話が続いた。参加の皆さんは、今生の仏とも法ともない日暮らしの中からお参りで、まだエンジンがかかっていない。にもかかわずら、機関車は煙を吐いてを勢いよく走るが、客車が連結されていないとおいけきぼりをくらってしまうので、こんな時は要注意。

 一貫して流れていたテーマは、出会いということか。会うという漢字は、悟朗先生の「法に遇う」に詳しい。しかし、単に会うのではなく、「出会う」というのは、文字通り「出て」会うのである。部屋の中に閉じこもっていては、人との出会いはない。もっとも、部屋をできなてくも、ネットを通じて、さまざま人達との出会いはあり、買い物もできる。ぼくもブラジルの子供たちでも、スカイプで会話をすることはできるのだ。しかし、それは画面上での文字や映像であって、ほんとうの意味での人のもつ空気感に触れることはできない。やはり、一歩の踏み出すことが、出会いなのである。ご示談の場面でも、その場に座っていただけでは動かない。実際に、一歩、前に出たものだけが、出会う世界があるのだ。

 たとえば、今回も三名の初参加の方があった。そのうち2人は、これまで浄土真宗のご縁のなかった方で、HPや『仏敵』を手がかりにご参加くださった。ほんとはう昼座でお帰りの予定だったが、話の詳細は難しくても、ぼくと同人のやりとり、またその態度を通じて、何かを感じてくださって、夜座も延長してご参加くださり、誰も勧めていないのに、同人会にも加入るたさった。勇気をもって、一歩を踏み出して参加くださったからである。

 そして、法座に出るようになったならば、今度は自分の枠や殼を出て、出会ったいくるである。阿弥陀様は、正覚の座を一歩出で、法蔵比丘に成りさがってくださった。もし「私は仏になった」に止まっておられたなら、凡夫との出会いはなかったのである。阿弥陀様が正覚をかけものに、一歩を出てくださったならば、私も、小さな自分の枠、殼を出て、その阿弥陀様にお応えさせてもらいたい。それは、勇気のいることかもしれないし、恐いことかもしれない。そのために、友同行の励ましがある。その一歩に、阿弥陀様の十劫が昔からのご苦労があるからだ。 南無阿弥陀仏

 

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仏の子供大会In名古屋(2) 写真篇

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〈東海支部の有志による特選カレー。大好評〉
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〈朝は豚汁とおにぎり。そのための具材を切りを、子供たちが担当〉

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〈早起きし時刻を知らせる梵鐘を打たせてもらう。寺ならでは〉
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〈公園で、浅野屋特選弁当を賞味する。おいしかった〉

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〈スタンプラリーは、七高僧を探せ〉

 

 

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仏の子供大会In名古屋

 名古屋市のお寺を会所にしての「春の仏の子供大会」。春休みなので、平日の木曜日・金曜日の開催となる。夏と違って1泊2日と短い。そして、小学3年生からではなく、幼児も親が同伴するれば参加を受け入れた。

 テーマは「感謝」だったが、盛り沢山の企画で楽しかった。なによりも、会所のお寺が会場も広く、さまざまな企画が出来た。七高僧のスタンプラリー、朝食の食材準備、手作りカリーに、浅野屋の特製弁当(これは絶品)などなどである。

 現在、華光会館が改修中なので、春の子供大会は中止の予定だった。消極的な理由だけでなく、もともと初春の仏青研修会を代わりなおに、子供会のお手伝いが仏青からはほとんどなくなっている。いまは、仏青の皆さんのお育ての必要性を感じているので、仏青の1泊法座に戻す案を考えていた。

 ところが、仏青メンバーだった今のパパ・ママ世代の皆さんが、自分たちで企画・運営するので、ぜひやりたいという声をあげてくれた。会館改修中で、現実的に準備も行えないこともあって、皆さんで運営面を含めたお世話を条件に、開催をお願いした。会場も、元仏青メンバーのお寺に、すんなりと決まった。仏青の皆さんは、日高支部の合同法座に出席してもらおうことになった。

 とはいっても、開催までの歩みは簡単ではなった。あちこちこら不協和音が聞こえきた。アイディアはでるが詰めができておらず、不安だらけ。個々の企画は、それぞれしっかりとやっておられることは分かった。しかし、全体の運営という面では、責任がぼやけている。もし華光会館が会場なら心配はない。問題は、初めての会場、しかもお寺ということだ。手製カレー作りや子供たちによる朝食作りなどの計画では、人出の確保の不安の声も入ってきた。もちろんなるようにしかならない。しかし、幼児を含めた子供さんを預かるのだから、運営面の相談が大切だ。60年の経験からみても、そんなときにケガや事故が起こっている。安全面や健康面は、特に油断大敵。

 不安もあって久しぶりに進行に加わった。打ち合わせにも中心になって参加したのも、何年かぶりだった。先生役で参加してくれた、高校生、大学生を育てる意味もあったが、主体的に関わったおかげで、収穫も大きかった。お世話の皆さんにとってもいい経験になったのではないか。ありがとうございました。
 
 そして、連綿と続くお働きに気付かされて、最後は心撃たれた。相手の成長を待つのも他力のお働きだが、こちらの思いに関わらず働きかけてくるのも、また他力のすばらしさだ。子供たちの反応は正直だ。面白くなければすくに飽きる。それでも、それを超えて真摯に向き合わねばならない時もある。何のための集いなのか。たとえうまく運営ができても、また楽しい集りであっても、ご法の相続がなければ何の役にも立たない。それをどう態度で示すのか。いまのままなら、65年前に仏の子供大会を初めた悟朗先生に叱られる。先生からの鉄槌を最後に受けた。南無阿弥陀仏

 

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広島支部法座~本願の実機~

    広島支部法座。

 華光誌輪読法座として、「本願の実機が知れる」を読む。

 昨年、伊藤康善先生の五十回忌に合せて、「仏敵」の旅に出た。その時の現地での法話である。

 伊藤先生の『仏敵』は、学生時代の伊藤先生が、一文不知でありながら、廃立(捨てもの・拾いもの)の水際を厳しく教示されるおよし同行に出会い、彼女が危篤となり、往生されていく間に、およしさんに育てられた在家の同行方に導かれ、「本願の実機」が知れる、つまり獲信するまでの求道物語である。この伊藤先生とおよしさんとの出会い、そして同行との出会いこそが、いまの華光の出発点になのである。

 そして私たちも、よき師、よき友との出会いを通して、弥陀の本願のお目当てである、ほんとうの自分に出会っていくのである。獲信とは、何かを得たり、つかんだり、有り難いものを納得することでなはい。本願の実機である、これまで一度もあったことない、自分でも分かっていない、阿弥陀様が立ちあがらねばならなかった、ほんとうの自分に出会っていくのだ。だからこそ、十八願にブチあたれば恐ろしいのである。

 広島では、先の日高法座に参加して方が多かったが、一様に、まだその余韻が残っていた。日高の古老たちに出会って、『仏敵』で繰り広げられる同行たちと同じ匂いを感じたのでる。古い華光の伝統を体現されているといってもいい。そんな人に出会えた喜びを分かち合えた、いいご法座となった。朋同行の集う法座は、いいな~

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同行の態度に撃たれよ~大阪支部法座より~

 奈良県生駒市での大阪支部の家庭法座。春と秋のお彼岸に、K家を会所にさせてもらっている。

 まだ日高支部の余韻が残っている。法話の冒頭は、その時の経験から。やはり、日高の古老たちの「態度」というところだ。いくら言葉が巧でも、そこに姿勢や態度が一致していなければ、人の心はなかなか動かないものだ。逆にいうならば、どんな稚拙な言葉であっても、たった一言であっても、態度と言葉が一致しているとき、人の胸をうつということもある。

 それは僕自身にしてもそうだ。善知識である父や母の言葉以上に、その態度、生きる姿勢に、心撃たれてきた。それは、華光に集う同行や同人の姿でも同じである。そんな先達の中で、お育てをいただいてきたのである。

 中でも、決定的な出来事は、小学生の時の夏に起こる。仏の子供大会の海水浴で、目の前で二人の溺死者を見た。夏休み中、自分の死が、自分の上に迫ってきたのだ。特に夜は不安で不安でたまらなかった。そしてお盆の夕方、ひとり泣いているぼくの所に、お盆参りの行く直前の父が、顔を出した。その時の父の態度がなければ、ぼくは仏の子供になっていなかったかもしれない。子供相手ではなく、一個の大切な求道者、聞法者として向き合ってくれたのである。

 お盆参りの予定を延期して、すぐにご示談をしてくれたのだ。お盆参りなので2時間ほどのことだ。夕食後にだって、時間とたっぷりある。その方が、ゆっくりとご示談することが出来るだろう。第一、他人様とのお約束を優先するのが、当たり前のことだ。商売上、約束を守ることが、一番大切なはずだ。しかし、その時の父は違った。「聞かせてください」と泣いてる、後生の一大事に心をかけた求道者が目の前にいれば、それが我が子であっても、今生事のお参りより後生こそ一大事だと、その場で、すぐに懇切な丁寧なお取り次ぎをしてくれた。

 しかし、ぼくは分かりたい、不安をなくしたいばかりで、話が聞けなかった。焦るばかりで、時間はどんどんとすぎていく。そのとき、父が子供のぼくに向かって、「これ以上の時間ない。もしほんとうに聞きたいのなら、命をかけて聞くか。そうでないのなら、これ以上の話はしない」と突き放した。そのとき、父もまた必死で、真剣そのものだった。結局、その姿に促されたのである。自分の心の変化や心境ではない。相手の態度に動かされたのである。意味など考えず、ただ間髪入れず、「はい、聞かせてください」と頭を下げた。

 すると、そこで飛び出したのが、「南無阿弥陀仏に飛び込むんや」の一言だった。まさに、善知識の仰せ、勅命である。それがどうすることやら、こうすることやらというはからいはなかった。ただ、その仰せに従うだけ。南無阿弥陀仏」と身をかけて飛び込むだけであった。

 今日の法話は、冒頭で日高の同人の、最後に父の態度について触れた。そこを中心に、光明の二つの働き、調熟の色光の照育の働きと、摂取の心光の照破・照護の働きについて話した。しかし、なかなかうまく皆さんに聞いてもらうことが出来なかった。目の前の事柄やエピソードは聞けても、何が中心で、テーマなのか、そのお心はと、話の核を聞こうとする人は極めて稀である。聴聞は、なかなか難しいものだ。

 

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日高支部法座~絶滅危惧種?~

Img_1434  日高支部法座は、仏青有志の集いと合同として企画。仏青の方は少なかったが、それでも20代、30代の方が4~5名はあった。一座だけだが、日高の同人のお孫さんが参加してくださったのは、うれしかった。実際は、仏青というより広島支部合同法座で、広島や鳥取からの参加者が、日高支部の参加者を上回って賑やかだった。

 でも、日高の古老たちは健在であった。いま同人方の生き残りは、10代の娘時代に聞き開かれた方ばかり。古株の中でも若手だった方が残られている。しかし、彼女たちも、老・病の苦しみに苛まれている。ガンでの余命宣告を受けておられる方、腎臓の病で顔が2倍に膨れ上がっている方、肺炎で寝込んでおられる方、そして悟朗先生の同世代の方は、おうちの仏間に出てくるのが精一杯という方もある。  それでも、法に向かう態度は、往時を彷彿される。どれほどこの念仏者の法に向かう姿勢や態度に教えられてきたことか。今日もまた、過度に忖度するのではなく、また相手に合せるのでもない。自分のところで、一致した言葉を発しておられる。カラダはボロボロ、頭も認知になって、とんちんかんなことも多い。しかしである。 「皆さん、ここで信心喜ぶ身になってください。どうか信心獲得の身となってください。無常は待ったなし。いまここで、聞き開いてください。」と。

押しつけるわけでも、厭味がなるわけでもない。相手の事情を、あれこれ察する(忖度)するのでもない。ただ、率直に、自分のところ表明されている言葉は、強い。そして、その態度に、心が動かされる。結局、仏法は、お聖教や教義の中にあるのでも、単なる感情でもない。一人一人の中に息づき、それがどう発揮されているのか。その姿勢、態度の中にある。そのことは、すでに伊藤康善先生が『仏敵』の中で指摘されていることだ。

そんな同行に接すると、ぼくの中でもご法の火が立ち上がる。甘い法話も示談してられない。それではこれまでの先達に申し訳が立たないのだ。もちろん、参加の皆さんの心境は、まだまだ遠い。有後心の、人事の聴聞である。待つ必要もあるろう。それぞれのごお育てもあろう。しかしである。なんのためにここまで、のこのこと足を延ばしたのか。

 伊藤先生は、同行学を勧めてくださった。決して、日高(江原)に行けば獲信できるのでなはい。そこだけに仏法があるのでもない。ただ、仏法を体得し、それを態度で示される同行との出会いがあるというだけのことだ。それは、凡夫であり、一文不通であっても、その身をかけて喜んでおられる。そんな同行にお育てをいただいて身の幸せを思う。

 仏法を喜ぶ人が集う華光にあっても、もう彼女たちは絶滅危惧種なのかもしれない。が、その最後の生き残りは誰なのか。各々の胸に問いたい。

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福井でのご縁

 福井でご縁をいただいく。

 いつもの平日ではなく、土曜日の開催となったので、参詣者が多かった。同朋会の方もおられるが、初めて方やご縁の新しい方もあった。福井以外から、金沢や富山の同人もお参りくださった。

 演題は「人生の実相」について。仏説まことの眼で見れば、「人生は苦なり」だ。この世でどれだけ成功し、どんな金持ちでも、賢者でも、地位の高い人であっても、「生老病死」の四苦から、絶対に逃れられない。そして、どんな立派な葬式が行われて、出かける時はたった独りである。厳かな業の道理によって、自らの行いの責任、自らが取る以外にはいのである。「独り生まれ、独り死ぬ、独り来た、独り去る」。賑やかな人生であっても、たった独りなのである。

 無常の姿、苦の姿、そして不浄の姿の現実が、毎日、毎日、私の回りで繰り広げられている現実だ。予期せぬ無常の宣告、突然の別れ、認知になり寝たっきりなりなる。家庭内で争いが断えず、誰にも知られずに孤独死する。今年になったからでも、私の回りで起こったことばかり。その身近で起こった具体例を挙げながら、あらためて人生の実相を味わった。

 しかし、転倒している私たちは、無常を常と、苦を楽と、無我を我と、そして穢を浄と、みごとに真っ逆さまに思い込んでいる。それで、いつまでも変わらず、楽しい、私がいると信じて疑わない。それでいて、自分のことは自分がすべて知っている、分かっていると自惚れているのである。

 そんな導入から簡単なゲーム交えたり、また自分を開いて、お念仏に出会ったご因縁(特に父との縁)を語ったり、厳しい話にもったりもした。後で、1時間ほどの座談会も持てた。質疑の中で感じるところもあったが、これは略する。

 また、いいご縁になったのではないか。
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 今日の福井は快晴、しかも温かくて、春の陽気。
 東別院の紅白のウメがきれいだった。

 

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