カテゴリー「法座と聞法」の768件の記事

M家のお盆法座~陰徳のおかげ~

 M家のお盆法座。8月のお盆と、12月23日(今年は24日)の誕生日法座の2回、家庭法座を開いてくださる。

 昭和18年8月に、50代半ばで往生されたお祖母さんことが話題になった。たびたび聞かせて頂いている話だが、過去帳を前にすると、また違った意味で新鮮に聞こえてきた。

 大正年間、北陸の村がダムに沈み、朝鮮半島か、北海道開拓の選択があったが、朝鮮半島で小作農として夫婦で頑張り続ける道を選ばれた。20年以上も働き続けて、小さいながらも自分の田んぼをもてるようになったが、無理がたたって病気となった。出産後も養生もせず、翌日には田んぼで重労働をされた。いのちが長くないと知ると、自分のやらねばならないことは仏法聴聞だと、一大事を心にかけ、夫も土地も残し、まったく縁もゆかりもない京都七条の地へ。ご本山が近くにあるからだ。貧しい長屋住まいをしながら、総会所(聴聞場)での聴聞生活を送られたという。その聴聞が縁で、法の篤い家からお嫁さんをもらわれた。Mさんのお母さんだ。まだ戦前のことで、結婚式の後、地髪で結った文金高島田を降ろすやいなや、「うちの嫁の一番の仕事は、仏法聴聞です」と、そのまま総会所参りが始まったというのだ。そして、昭和18年、50代半ばで亡くなっていかれたのだ。その2年後、終戦。その夫(祖父)も、せっかく朝鮮半島で手に入れたと土地もすべてを失い、命からがら、息子を頼って京都に来たという。高齢だったが、お東の総会所の下男をしながら貧しい生活を送られたという。しかし、土地を失ったことも一切愚痴ることなく、ご聴聞され続けたというのだ。そのご法は、息子夫婦に受け継がれて、孫のMさんへと連なっていくのである。

 子供のころのMさんは、貧しい暮らしでずいぶん苦労をされている。そのことを恨みに思った話をよくされている。仏法も嫌っておられて、真反対の活動もされていたという。しかし、子孫に美田は残されなかったが、ご法という宝を残してくださっていたことが、華開くことになる。孫さんであるMさんは祖父母の顔は知らない。しかし先祖がいのちをがけで聴聞し、そのご法を相続され、また陰徳を積んでくださったおかげで、この地で毎年のように家庭法座が開かれるようになったのである。新築される時、家庭法座が開けるようにと仏間の部屋が二部屋続くように工夫されたという。

 仏縁のあるところは、釈尊のいのちが捨ててあるのだ。

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2泊3日の仏の子供大会

   今年も、参加者不足で、2泊3日で短縮開催された仏の子供大会。団体生活や班活動をするためには、ある程度の人数が必要だが、子供の参加者は最低限度。会場も、華光会館で、これで3年連続だ。3泊4日のプログラムを3日間に短縮するので、無理もある。追ハイは中止、水泳後すぐ、昼間の地獄のスライド、夜には、室内ファイヤーでスタンツの準備もある。ご法の上でも、分級座談会が2時間あるのが最終日だけと、消化不良という感じがしてならない。

  ご法の上では、課題も多かった。厳しさという意味では、ずいぶん甘い面もある。また、「生きる喜び」というテーマは、難しいということもあるかもしれない。

 それでも、子供たちはほんとうに楽しそうだった。 先生方も中心になる方は少ないながら、法話に、ゲームに、運営にと3日間、頑張ってくれた。加えて、分級座談会も、高校生グループ、大学生グループも出来たことも、うれしかった。大学生は、1、2回生だけの若いグループで、ほんとにう久しぶり。そこにアメリカから参加の方もあって、これからの子供大会にも、仏青にも一筋の光明が射す思いがした。子供の参加が減っただけでなく、高校や大学勢が不作だったのが、将来の心配事だったからだ。

 これからの若手のさらなる発展、深まりに期待したい。 

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広島支部法座in安芸高田篇~迷う~

例年7月は、安芸高田市のYさん宅での広島支部法座だ。

Img_2571広島駅からYさん宅の家業であるジャンポタクシーで迎えがある。10時、新幹線口タクシー乗り場に集合。駅前が改修工事中で、これまでの集合場所が変更になった。迎えの車が目立つので、そこに行けImg_2570ば大丈夫だろうと思っていた。ところが、広いタクシー待合場はガラーンとしている。一望できる2階デッキから眺めても、ジャンポタクシーはどこにも見当たらない。当たりを探し回る。出口を間違えたのかと、昨年まので場所に出向くも、誰もいない。こんな時にケイタイがない者は不Img_2590便だ。タクシーよりも公衆電話を探すのも難しい。

30分は経過した。ここで気がついた。ぼくがいる場所はタクシー降り場で、奥にタクシー乗り場がある。もちろん、そこにもお目当てのタクシーはないし、同乗する同人の方もおられない。もしかして時間を間違えた? 日時を間違えた? いやもう出発した? と不安になって思案をしていると、お声をかけてくださる方があった。ヤレヤレだ。しかしその方もImg_2577お一人で、皆さんはどこにおられるのか? 

タクシーが入場できる時間が限られていて、屋上の駐車場で待機中なので、皆さんを屋上に誘導されていたというのだ。世話人のHさんは、心配していろいろと電話しておられたようだ。ご迷惑をおかけしました。乗車タクシーが分かってばかりに、不要に探してしまってこんなことになった。

Img_2564と同時に、自分が迷っていることが分かっているから、不安になることよく分かった。迷うとは、しっかりした目的や目標が前提になるからだ。その目標を見失うと心配にもなる。これで正しいのかと不安になる。ということは、目標もなく、行く先も分からない身には、迷っているという自覚すらないということになる。迷いを迷いと知らないということが、無明というのだろう。凡夫のわたしの姿そのもの。なかなか仏法を聞く身にならないはずである。

40分ほど遅れたが、昼食や法座は時間どおりに進んでよかった。

お庭には、いまは蓮が花盛りである。例年より1~2週間遅いだけで見事に咲いていた。
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〈駐車場の軒下にはツバメ。一人立ちはもうすぐ〉
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〈古い巣は、荷物伝ってヘビが上がってきて、親鳥が宿替え〉
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〈見事な自家製野菜のお土産付〉
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大阪支部・京都支部合同法座

  大阪支部と京都支部との合同法座が開かれる。日頃から、大阪支部法座に京都の方がお参りされ、京都法座にも大阪の方がお参りされるので、特に支部間の意識はほとんどない。それはメリットでもあるが、弱みでもある。地元の方は支部意識が低くい。支部法座がなくても、聖典講座や輪読法座、日礼と、近い華光会館で行事があるからだ。でも今日は、京都支部法座だかと珍しくお参りさている方がある。お声かけがあったからだ。ただ合同法座といっても、人数はそれほど多くなかった。もう一つ、せっかくの合同法座だったが、そこを意識することなく、いつものように進行してしまったことは、残念だったといえば残念だ。

  法話は、北海道聞法旅行で味わったことが中心。ところが、お参りの中に参加者ないので、うまく共有できなかった。スライド(写真)を観てもらったが、今回の旅は、実際に現地に立ち、講師の話をお聞きし、この身で味わわなければ、なかなか理解しがたい部分があるのだろう。別のテーマでの感想が続いたので、やはり伝えたかったことは浮いたまま終わってしまったようだ。これも反省だ。

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『教行証文類』の輪読会

 前回は顔合わせで、今月から中味に入る。龍大大学院ドクターで学ぶYさんと「総序」を読む。教義的な問題点というより、ここはじっくり味わいながら読ませていただく。弥陀の本願に出遇った聖人の喜びと深いおこころが滲み出る文章である。

 講本によっては、微妙だか、科段(段落分け)が違う点もあって、そのあたりの比較も面白かった。ただ、そのことで全体として見失うことがあるわけではないので、ここは、ぜひ、最後まで読み終えた暁には、もう一度、味読させていただこうと思っている。

 

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7月の伝道研究会~平生業成~

 伝道研究会で「真宗の基礎」安心篇を学ぶのも、あと数カ月となった。得益篇(安心の価値)に入って、今月は「平生業成」である。親鸞さまは、直接「平生業成」という用語を使ってはおられないが、浄土真宗の教義の独自性を示すものである。

 「平生業成」の「平生」とは臨終に対する言葉で、「業成」とは業事成弁、もしくは業因成就の略である。つまり、私の往生は、平生の信の一念の時に決定するのであって、臨終を待つものではない。臨終を待ち、来迎をたのむのは諸行往生の人にいうのであって、真実信心のものは、その一念の端的に、摂取不捨の利益をたまわり、この世で正定聚不退の位に住するのである。だから、親鸞さまは「臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるときに往生また定まる」と(『消息集』第一通)と断言されているのだ。

 今日の浄土真宗でも、この平生業成の立場を強調している。臨終も、来迎もたのまないのである。しかし、「信心の定まるときに往生また定まる」の「信心の定まるとき」というところは、たいへん曖昧なまま誤魔化されている。覚如さまのいう「平生のとき善知識のことばのしたに、帰命の一念を発得せば、そのときをもって娑婆のをはり、臨終とおもふべし」が通じるか、通じないかである。信心が定まるときとは、「平生のとき善知識のことばのしたに、帰命の一念を発得する」ときにほかならない。そのときが、娑婆のをはり、臨終なのである。つまり、私の迷いの根源である自力の心が死ぬ時なのだ。しかし、三度の飯がうまいうちにこの葬式をすませたと言い切れる真宗念仏者が、余りにも少なくなった。その味がないのなら、「平生業成」も単なる言葉の上だけの喜びで終わってしまうのだ。どんなに「有り難い、有り難い」と言っても、いちばんの要が喜べないとは、なんと寂しいことか。

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東海・北陸合同法座~造悪無碍者とは誰か!~

  S先生が同乗されて、金沢へ。金沢での新潟・北陸支部、さらに仏青との合同法座である。東海支部の合同法座は、これが4回目。最初は掛川で仏青と、2回目は熱海で東京と、そして昨年は、長浜で京都支部との合同法座だった。今年は、金沢開催ということで、新潟・北陸支部の方が中心で、東海や仏青のメンバー少ない。日頃、京都まで参加される方が少なくて、顔ぶれは新鮮だった。

 ということで、法話の前に交流のための自己紹介を兼ねたゲームから入る。かなり打ち解けた雰囲気になった。おかげで、東海支部の酒豪が集まったとはいえ、北陸支部が主体の懇親会も、ずいぶん盛り上がった。

 法話は、二席づつ。ぼくは、アメリカ布教で感じたことを中心にした。もう一席は、S先生からは、伝統奉告法要での親教の「念仏者の生き方」と、親鸞さまの消息(お手紙)うち、「今、すべての人々を救おうという阿弥陀如来のご本願をお聞きして、愚かなる無明の酔いも次第に醒め、むさぼり、いかり、おろかさという三つの毒も少しずつ好まぬようになり、阿弥陀仏の薬をつねに好む身となっておられるのです」という、御消息第二通(末燈抄なら二十通)を巡っての、真の念仏者の行き方の法話を頂いたの受ける形で、その消息を頭から頂いた。

 念仏者の生き方としての法話を聞いて、さまざまな思いが去来したからだ。同時に、改めて、造悪無碍を強く誡め、批判される聖人のお手紙に打ちのめされた。いまの今まで、これは信見房など聖人の教えに反して、悪人が本願のお目当てだとしたい放題の悪を積極的に勧める異端者を誡め、近づかくなと示し、本願を喜ぶものは、無明の酔いも醒めて少しずつ三毒を好まなくなるのだとお勧めされていると頂いきた。その上で、なかなかそうならない自分をあれこれと味わったり、お手紙を計らったりしていたのだ。

 しかし、今回、初めて気付かされたのは、聖人から五逆・謗法の人だと誡められ、けっして近づくなと嫌われているのは、歴史的に存在していた造悪無碍者のことではなくて、わたし自身のことだ! と懺悔させられたのだ。

 そうではないか。「こころにまかせて悪い心を起し、悪い行い」を平気でおこなっているではないか。「師を誹り、善知識を軽んじ、念仏者の仲間でも落してめている」のは誰なのか。「仏法を信じる心がないから、悪い心がおこる」といわれれば、そのとおりだ。そんな人に近づいてはいけないと親鸞聖人からも嫌われているのである。それは、歴史上の造悪無碍者ではなく、このお手紙すらも自分流に解釈し、せっかくの法話にも違和感を感じたりする、わたしそのもの姿にほかならない。いまのいままで、自分が造悪無碍者そのものだとは味わうことができなかったのである。
 
 ところがである。そんな親鸞さまにすら「近づくな」「私の手には負えない」と嫌われているわたしを、たったひとり、「そのような罪を犯して人にも親しく近づいてくださる」方があるという。それが、本願力廻向の働きで、弥陀同体の悟りを開いた還相の菩薩さまだ。親鸞さまにも嫌われたわたしを、たったおひとり阿弥陀さまだけはお捨てにならずに、喜んで近づいてくださるというのである。なんという勿体ないことであろうか。

 涙と、お念仏でご法話をさせて頂くしかなかった。

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東京支部法座~安心の核心~

 最近、なんとなく停滞気味の東京支部法座だが、今回は違った。

  さまざまなご縁で、初めて、もしくは何年かぶにりにお目にかかる方が、7名もあったのだ。

 真剣(もちろん凡夫の真剣は「真剣なつもり」だが)な態度で向き合われると、こちらも熱が入る。様子見の方もあっただろう。中には、土曜日の昼座だけといわれていた方が、夜も参加され、翌日も参加され、涙を流してご聴聞されている。

 ここにお参りされるきっかけは、全員違う。ただある会の出身である(中には現役の方もあるようだが)という共通項はあるが、どうも心境も違うようだ。中には、ある会をやめた後、法体募り(法に偏って自分がお留守)の教えを、ただホクホクと慶んでいたのだが、それだけでほんとうにいいのだろうか疑問に思い、またここに戻ってきてくださった方もあった。

 すでに阿弥陀さまがご苦労されて、泥凡夫の私のために本願を成就されて南無阿弥陀仏の声となって、今、呼んでくださっている。そのお呼び声をお聞かせに預かるだけでいい。もうすでにお慈悲は届いているのだから、それを仰がせていただく以外に、凡夫のすることはないというのである。

 それが浄土真宗のお法りだ。でも、算用(計算)や理屈はあっても、なんとなく胸中にモヤモヤがあるのは、なぜか。ただ仰ぐだけで満足という方に、とやかくいう気はない。ただ、ほんとうに後生と自分に引き受け聞いていかない限り、ここの不審や疑問は起こってこないのではないか。それが宿善のある方だといってもいい。
 華光では、その不審を見て見ぬふりをするのでも、モヤモヤを無視するのでもなく、お慈悲で誤魔化していくのでもはない。ほんとうにその一点に向き合い、焦点を絞ってご聴聞させていただく。つまり信疑廃立、自他力廃立、「捨てもの、拾いもの」の分際こそが、真宗安心の核心だということである。

 その意味では、聞法は甘くはない。厳しい面もある。聞いても聞いてもわからない(当たり前だ。自力でわかる世界ではないのだ)。しかし、せっかく生れ難い人間に生れ、聞き難い仏法を聞かせていただいたいるのである。そこを一つを誤魔化せず、求めていこうという人達が集う場に勤めて交わり、慶んでいる方がいる以上、、一歩踏み出してそんな得道の人に道たずねて求めていく。ここは、そんな場であり続けたい。
 そんな思いを強く持たせてもらったのも、真摯に求める方との出遇いがあったからだ。

 

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支部長研修会

   今年の支部長研修会は、各支部からの報告に加えて、講話と「念仏の雄叫び」の輪読を行った。また、11月の華光大会での伊藤康善先生の五〇回忌法要と増井悟朗師の三回忌と併修して行うが、その企画について相談である。

 講話は、アメリカ布教で感じたことが中心。なぜ、英語で法話もできないぼくが、わざわざアメリカ法座に招かれるのかのである。とりになおさず、伊藤先生から流れ、増井先生とつながる法脈がなることだ。直接的には、増井先生から面授口伝された同行の上に、まだご法がいきいきと生きているからだ。真摯な聞法者、求道者を前にすると、私達が華光に集っているということは、どんな意義があるのか。また、これまで華光の法座が何を大切にしてきたのか、そして、それをお前はどう領解しているのかが、問われる結果となるのだ。

 華光会といっても、浄土真宗の流れを汲むもだ。本願寺派の教義の上での、差異はあまりないといっていい。聖道自力の教えやキリスト教などの他宗と比較するならば、それは歴然だ。にも関わらず、わざわざ私達が遠近各地から集ってくるのは、なぜなのか。また、共に聞法していた方が、阿弥陀さまのお慈悲の有り難い話に引かれて、疎遠となっていく方も多くなっている。一番、大切な華光の特色を、私達が疎かにしているということはないのだろうか。

 改めて、伊藤康善先生が『仏敵』を著し、それに接して驚きが立った同行が集い、草の根的な信仰活動が、先生亡き後も50年も継続して続いてきた(華光誌創刊からは76年も)わこである。その意義とは、その精神を問う機会としたかったのだ。

 ということも含めて、先達たちが著してくださった『安心調べ』『仏敵』、そして『親指のふし』に触れながら講話させてもらった。

 また翌日には、『念仏の雄叫び』を輪読。その中の一章「救済(ぐさい)の予定概念」をとりあげた。三つの心、特に「暗い心」=自力計度(けたく)の心について、小賢しい働きについて詳しい。しかもこれは、他力廻向の信の一念破れる心だ。その信疑廃立の水際を立てて聴聞するのが、華光に流れるもっとも大切な伝統だと言っていい。その意味でも、今回の五十回忌と三回忌の集いは、タイムリーな企画となろだろう。しっかり準備をしていきたい。

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広島支部大会~十重二重のご因縁~

Img_1519  6月は宿泊での広島支部大会である。「大会」と書いたがそれは以前のことで、今は、普通に支部の宿泊法座だろうが、以前は、そんな意識が広島の皆さんにあったと思う。宿泊だが広島の方が中心。最近、島根の方のお参りが少ないのが気にかかる。

 知らない顔はなかったが、最初は、改めて華光とのご縁のところ、また今の課題を出し合った。先月も感じたが、このところ広島支部のImg_1527座談会は、なかなかいい感じになっている。

 法話は、アメリカでの家庭法座で感じたことを中心に聞いてもらった。ぼくの中で、今回のアメリカでの法座のご縁は、かなり大きな転機になりそうな予感がしているのだ。

Img_1533 しかも今回のアメリカ法座は、広島支部との関係もかなり深い。法座に集まった方の大半は、広島出身の方が多かった。それだけではない。もともと、華光の広島支部の出発点のご縁と、今回のアメリカ法座の出発点のご縁は、まったく同じ先生のご教化によるご兄弟が、そのルーツになっているからだ。

Img_1531 先生の名は、羽栗行道師。アリメカで開教師として活躍されているが、罪悪観の徹底することで、ほんとうの自己に出会うことを、具体的にまた鋭く説かれた名師である。

 その先生にアメリカで出会われたのが、広島から開拓のために渡米されていた「武一氏」である。この一大事のご法を、家族や親戚縁者に伝えるために、羽栗先生の帰国と一緒に、日本に戻られたのでImg_1516ある。その後、武一氏のお子さんも仏法を聞く身となられて、全員、華光とのご縁を結ばれている。広島だけでなく、奈良や東京に移られたのちも、ご縁は途絶えることはなく続いている。そのお子さん(武一さんからはお孫さん)が、今回の法座に参加されている(つまりクライドさんとはハトコになる)。今は、お孫さんから曾孫さんへ。さらには玄孫(やしゃご)へと、ご縁はつながっているのだ。実は、この関係は、一昨年の広島廿日市での壮年の集いで、詳しくお聞きしたのだ。

 そしてその「武一氏」の弟にあたるのが、アメリカの「米一氏」である。そのお子さんたちも、アメリカで仏法を相続されて、皆さんが華光とのご縁を結んでくださったのである。今回は、米一さんのお孫さん(長女、長男、三男の方)のそれぞれのお子さんとその連れ合い、さらには曾孫さんにあたる皆さんが、法座に集ってくださった。こちらも、お孫さん、曾孫さん、さらには玄孫(やしゃご)へと、ご縁がつながっていこうとしているのだ。

 そう考えると、日米と地域は異なるが、まったく相似形のような形で仏法相続されている、なんとも不思議な稀なる一族である。

 それは、皆さんだけではない。羽栗先生から皮切りに、伊藤康善先生、そして父でもある増井悟朗師とご縁がつながって、いまのぼくがここでご法縁を結ばせてもらっているのだから、これもまたなんとも有り難い、不思議なご因縁である。

 これは目に見えて遡れるだけでも、十重二重のご因縁の賜物なのであるが、過去世からのご因縁を心馳せたなら、まさに「遠く宿縁を慶べ」としかいいようがないのだろう。すべて、阿弥陀さまのご執念によるものにほかならないのだ。

 緑に囲まれた会場の神田山荘には、終始、ウグイスの声が響きわたっている。「ホーホケキョ」-「法、聞けよ」の呼び声である。まるで浄土にあって六鳥の説法の声のようだった。
 

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