カテゴリー「法座と聞法」の779件の記事

最後の伝道研究会

 講習会のテキストであった「真宗の基礎~安心篇」も、「名号論」「信心論」「称名論」、そして「得益論」と続いてきて、今月で、最後の「得益論」が終わった。長かった。真宗は現当二世の御利益を説くが、当来世の御利益である「還相廻向」ついて学んのだが、研究会の最後を、還相廻向で終えることができたのは、やはりよかった。

 ところで、これまてのテキストが終了すると同時に、長年続けきた「伝道研究会」も、しばらく休止することにした。来月からは、「仏書に親しむ会」を立ち上げる。これは、今の参加者の関心や力量、意識を踏まえた上でのことだ。というのも、もともとは先生方や司会者レベルの方々が、法座での反省も含めて、伝道や教義の研究を行うために続けてきた勉強会だった。一時休止されていたものを、30年ほど前に復活したのだが、それがだんだん先生方も多忙となり、同人の方、一般に広く参加を求めるようになった。京都の同人の女性が中心である。「安心篇」のテキストに、皆さん悪戦苦闘だったと思うが、よくこれまでついてこられたと思う。

 しかし、いま内容では「伝道」という命名がおかしいし、これ以上深く教義や聖教を深めるという雰囲気もない。もう少し皆さんの力に添った形を模索していた。お聖教に親しむという形式でもよかったが、それは「聖典講座」があるし、7月から「ご本典」を読む会は立ち上げている。というけとで、この集いでは一から華光双書を読むことにした。伊藤先生や悟朗先生の著述をしっかり読ませてもらいたいし、いまは品切れになっている「一願建立と五願開示」や「種々の安心問題」などの伊藤先生のものへと進んでいきたい。ということで、まずは悟朗先生の「親指のふし」の第1章からおこなうという告知をした。

 ところが、その後、11月の華光大会に向けて小冊子を編集が進んでいる。伊藤先生の50回忌と、悟朗先生の3回忌を勤めさていただくので、それに合わせて、伊藤先生、悟朗先生、小生の3編の法話を掲載するもので、小冊子というより、かなりまとまったものになっている。

 それで、急遽、これを読むことにした。といっても、まだ完成してはいないが、11月1日の発行を目指して、編集作業が進んでいる。タイトルは「非僧非俗のこころ」~華光を貫く精神~である。

  名称=「仏書に親しむ会」

 日時=11月8日(水)夜6時50分~9時

 内容=新刊「非僧非俗のこころ」~華光を貫く精神~の輪読

 

 

|
|

福山家庭法座

   週末の東京法座を終えて京都は途中下車し、体育の日は広島福山での法座に向かう。 

 10月の広島支部法座は、福山での家庭法座である。広島市内の方には、備後までは少し距離があるが、皆さんご参加くださる。当主が亡くなり空き家になっているが、また今年も法座会場として提供くださっている。

法話は、壮年の集いでのご縁、そして大阪や大分でのご示談などのご縁の実例を中心にした。「汝、一心正念にして直ちに来れ。我よく汝を護らん。すべて水火の難に堕することを畏れざれ」の本願招喚の勅命に信順された人達の姿を通して、何を聞くのかを改めてお伝えした。
 
 人のことではないのだ。私の後生の一大事なのだ。大勢のなかのひとりではない。「汝」と名指しをされて、私に呼び声されているのなら、直ちに飛び込むしかないのである。

 私達のところにまで流れてきた、華光の原点に立ち戻ることの大切さを痛感されられるご縁でもあった。

|
|

盛り上がった東京支部交流会

 あと2ケ所、国東の神仏巡りの旅行記は続くのだが、今週末は3連休で、東京支部法座と広島支部の福山法座が続けてあった。

Img_3723 まずは、東京支部法座である。いつもは法座が4席あるが、今回は企画があった。本部に合わせ、年度末(10月から新規)の総会がある。当初、夜座を総会にあてるということであったが、ぼくから、昼座のあとの夕方に総会、夜座は、懇親・交流会にしてはどうかと提案した。というのは、最近の東京は、新人も増えているが、宿泊の参加者は少なく、宿泊の懇親会に参加者が激変している。ぼくは、昭Img_3729_2_2和の男で古いのだが、呑みにケーョンがたいせつだと思っているのだ。今の仏青の皆さんにはこれはなかなか受けないのだが、人間、飲み食いをたり、一緒に寝泊まりしてもしてこそ、「裏もみて、表もみせて、散る紅葉」の味わいがあると考えている。その点、法座の優等生顔が増えて、ちょっと寂しい気分でいるのだ。また最近、法座から遠ざかっている方が、東京支部には多い。直接、聞いた訳ではないが、間接的にImg_3730_2は、批判めいたことをはなしておられる方もある。法の勧め方もあれば、ぼくに対するわだかまりやご批判もあるようだ。といてっも、すべて、間接的に聞いた話なので、直接、ぼくの耳には入ってはこない。せっかくなので、いいたいことがあれば、直接、ご批判なり、ご意見くださればいいというので、今回の交流会を提案したのだ。とはいっても、東京支部の主催。ぼくは直接関与していないので、参加者があるか、誰が来るのかは知らされなImg_3731かった。

 ところが法座に参加した全員が、総会にも参加され、そしてすべて(同人以外の方も含めて)が交流会にも参加してくださったのである。日頃、くだけた場で話したことのない方も交じっておられる。なによりも全員参加ということだけでもテンションがあがる。会場近くの中華料理の二階に集ったが、始まるなりどのテーブルもわきあいあいとした雰囲気である。しかもここは、貸し切りで、安くてボリュームもあり、2時間呑み放題という願ったり、叶ったりのお店だった。年代ものの紹興酒が何本も開いた。随分、盛り上がったし、法座ではみられないような明るい姿もみることができた。いろいろな方ともお話したし、何より皆さんもとても喜んでおられた。

 ご機嫌で、飲み助2名を2次会に誘った。すると、「なぜ、私達にも声をかけないの」と女性陣もゾロゾロとついてこれらた。気付くと宿泊者全員が集まっていた(支部長さんだけはお休み)。ぼくこのあたりで知っていた、ちょっとこじゃれたイタリアンのワインのお店に座っていた。ここでは、泡と赤を飲んで、門限ぎりぎりに帰った。さすがにぼくはダウンしたが、女性陣は部屋で遅くまで三次会もあったようだ。

 ただし、いまちょっと疎遠組の皆さんは、今回も不参加。ここはかなり残念だった。できれば、顔を合わせた上で、言いたいことがあるのならその気持ちやお考えを聞きたいとは思っていたが、その点では、参加が叶わずに残念ではあった。それでも、いま参加の皆さんのお気持ちがひとつになったという意味では大収穫。もっとも支部の総会はいろいろと課題があったようで、まとまるには少し時間が必要かもしれない。

 今回は、法座の内容ではなかったが、いい法座を作っていくには、お金や時間、人間関係も重要であるということだ。

|
|

九州支部法座~一歩前に~

 初日の昼座。法話のあと、一言ずつの自己紹介がおわり、すぐにAさんと向かう。1年ぶりである。今回のご正客と定めていた方だ。昨年、初めてご縁を結び、ご示談となったが、とうとうお念仏の声がでなかった。そのことを1年間、ご本人は心にかけつづけておられた。ご高齢で、しかも喉頭ガンの治療もあって声が出にくい中での決死の参加である。

 最初から、「獲信させてもらいたい」とか、「ここで聞かせていただく」と、ありありと「ご信心が欲しい」と意気込んでおられる。でも、焦りは禁物だ。その言葉には乗らないで、「『聞きたい、聞きたい』というお気持ちはよく分かりますが、何を聞かせていただくのですか。褒美ばかり気になって、肝心のコースを走らないとゴールはできませんよ」と。でも、「何を聞くのか」と改めて問われると、しばらくは自分の欲しい気持ちばかりを述べられる。相手は高齢者である。相手のペースで、その都度受けながらも、「では、何を聞くのでしょう」と何度も聞き返す。やっと「ご本願を聞かせていただく」いう答えがでる。では、「ご本願とは何ですか」と問う。分かっているつもりでも、改めて問われると息詰まられたようだ。でも、与えられた答えではなく、ご本人の口から聞きたかった。もちろん、もし分からなければ、「お教えください」と頭を垂れて聞けばいいのである。自分に問われておられたが゛「阿弥陀様のお呼び声です」という答えが出る。

 では、「阿弥陀様はなんと呼んでくださっていますか。Aさんが阿弥陀さまになって、前に座っていると仮定したAさん自身に呼びかけてください」と。でも、これはなかなか難しい。主語が自分になられる。目の前にイスをおいた。サイコサラピーでいうところのエンプティー・チェエーである。なかなか高齢の方には難しそうだったので、ちょっと目に入ったSさんにAさん役をお願いした。この時、彼女は、「あ、私がでなければ」と思っていたのである。以心伝心であった。

 おかげで、Aさんもイメージをもちやすくなられたようだ。改めて、「阿弥陀様のなんと呼びかけてくださっていますか」と問うと、「アッ」と声に出していわれた。何かに触れられたのは確かだ。誰からが、代わりに声をだされたが、あえて制した。本人自身の声でないと、今は意味はない。そこで、「それを声に出してください」というと、「Aよ、直ちに来れ。今すぐこい」といわれたのである。目からはスーと涙が出ている。「そう! 汝一心正念にし直ちに来れ。我よく汝を護らん」とぼくも言った。そして、AさんよくのSさんに、「Sさん、今度は阿弥陀さんになって、今のAさんに声をかけて上げて」と頼んだ。一瞬、戸惑われたが、「ありがとう。よく聞いてくれた」と、頭を下げて、Aさんを拝まれたのだ。もうそれだけで充分だった。

 「さあ、Aさん、南無阿弥陀仏様にお念仏申しましょう」とお勧めした。下は冷たいタイルである。クツも履いたおられるし、第一、足もお悪い。お名号の前に、「まあ、仕方ないのでここに座られたら」とイスを勧めたが、なんとイスを避けて、お名号様の真ん前にクツのまま正坐されると、頭を床にすりつけて、「申し訳ありませんでした。勿体ない。南無阿弥陀仏」と懺悔されて、お念仏されたのである。ノドの具合がお悪いので、決して大声は出ないが、それでも精一杯のお念仏である。皆さんも、一緒にお念仏されて、この数年、関わり続けてくださっていた支部長のTさんも、本人以上に喜んで、共に並んでお念仏されている。

 もしかすると、ぼくは、もうAさんとは今生最後のご縁になるのかもしれないが、なんとも言えない尊いお姿に、共にお念仏せずにはおれなかった。まさに阿弥陀様の念力である。
 

|
|

九州支部法座IN大分~大分づくし

  九州支部の大分法座は、今回で3回目である。大分開催の時には何かと災害や事件が起こっている。

Img_3348 まず第1回目は2014年9月で、恩師の信楽先生のご逝去の訃報が届いた。そして、法座の初日には戦後最悪のといわれた御嶽山噴火があり、会場のテレビに釘付けになった。法座修了後、呉での葬儀に参列。しかし、法座自体は、とてもよかった。特に、大分の同人の皆様との交流も深まり、疎遠になりかけていたTさんが、ご本願に出会われて尊い法座となった。

 第2回目は2016年の4月で、熊本大地震がおこる。前震の時はまだ開催予定だったが、前夜のImg_3353本震の揺れはすさまじく、しかも震源域は大分への移動、九州の交通機関もストッブしてやむなく中止となった。それでもその年の10月には再開することができたのが有り難かった。この時には、広島、福井、高山と遠近各地からの参加者もあった。

Img_3339 そして今年が第3回目である。Tさんが支部長さんになられて、お世話くださる。これもまた不思議だ。これまでの狭間町の温泉施設「陣屋の村」から、大分市内に移った。初めて平穏に開催できたのに、肝心の九州支Img_3341部の参加者は少数だ。しかもこれまで大分ならばご縁をいただけるという方々は、不参加である。その点では、たいへん残念だった。それでも、新しい参加者が宮崎から一家で参加くださった。他にも広島からも参加がある。ただ初日の夜の交流(懇親)会の参加者が、あまりにも寂しいと聞いて、急遽、連れ合いを呑み要員で動員することになった。

Img_3343 人数は少なかったが、夜の交流会は晴々とするものだった。関サバなどの大分尽くしの御馳走で、お酒も弾んだ。最後はやせうまといデザート。

 でも単に楽しかっただけではない。その昼座のご縁が尊かったのである。一宗の繁昌は人数ではない。ひとりでも信を獲るかどうかであるという蓮如さまのお諭し通りの尊い法座となった。その充実感で、気分も高揚していたいうわけ。その内容は次で、、。

 

|
|

9月の広島支部法座

  大阪支部の翌日は、広島支部法座へ。

 お参りが少ないくて少し驚いた。でも、逆にじっくりと関われる。不審のある方が、その不審を尋ねてくださって、尊いご縁に。

 また縁があって、始めての方もお参りくださった。ほとんど聞法をされたこともなく、皆さんの熱心さにとにかく驚いておられた。今年になって縁もゆかりもないこの地に引っ越してこられたそうだが、以前に住んでおられたところで知り合った同人のご紹介で、今回参加くださった。

 それでも最後までおつきあいくださり、自分を開いて率直な表明もくださった。これがいちばんうれしい。きれいごとで終始される方もあるが、分からないことは分からないと話してくださったのだ。相手を批判するのでもなく、相手に会わせるのでもなく、自分に引き寄せて、自分のところを表明する。長年、参詣されていることでも、ここが分からない方も多い中で、ずいぶんご縁のある方だと思った。

|
|

秋の彼岸の大阪家庭法座にて

  大阪支部法座が生駒市のK家の家庭法座として行われた。

 K家の家庭法座は、年に一度、春に開催されるが、急遽、会場の都合で秋も開いてくださることになった。今日は、お彼岸のお中日だ。お彼岸の法話をしようと思ったら、春のお彼岸のお中日もKの家庭法座になって、彼岸の法話をしていた。春も秋も彼岸の中日が同じ家庭法座になることは、なかなかないことだ。ちょっとしたご因縁を感じた。

 その上、亡くなられたご長男の三回忌が近いということで、簡単な法要も勤めさせていただいた。午前中、宇治の方面でお参りがあったので、一式、準備は出来ていた。故人はぼくと同学年で、50代半ばで早すぎる死であった。

 ご法話のあと、座談会。一言皆さんに回す。K家の家族のお言葉が有り難かったが、司会の方が気になる方の発言を取り上げた。要は、「信心にしがみついている(信心欲しい)のではいけないと指摘されるが、もう年をとりはやく聞き開かねばならない」というような内容だ。ただぼくが見る限りだが、ご本人の発言と実際の感じに隔たりがあるように思った。「聞きたい」といいつつ、今はほっておいていう感じだか。でも司会の方は、言葉の方を取り上げられたのだ。しばらくやりとりの様子を窺っていたが、縁他力的なおすすめがになっていく。わかりやすい。これなら相手も受けやすく、そこには素直に頷かれいく。でも畳や車のご苦労なら納得されるが、では南無阿弥陀仏となるとどうか。そすると本心からは納得されない様子がよく分かる。真剣ではない(本人の談は別だが)人に迫っていく気持ちはなかったが、やりとりを聞く内にこちらに火がついてきた。これは壮年の座談会の時も同じだった。いま、ぼくの中で動かす大きな力が働いているのだ。

 いつまでもグズグズと言いながら、一方で聞く気もみせるという煮えきれない態度や、甘いお勧めぶりに、机を叩いて迫る。ほんとうにその発言の言葉どうりなら、いま、ここで南無阿弥陀仏に飛び込む以外に道はないはずだ。そして南無阿弥陀仏を成就された阿弥陀様のおこころをお取り次ぎする。しかし、他人事のように首を傾げながら、わが胸に聞いておられる。いや聞いておられるのではない。自分の心の変化ばかりを追っておられるのだ。ますますこちらも力がはいる。「何をグズグズしているのか。いま、一歩出て聞かせてもらえ」と迫る。すると、突然、その前におられたYさんが立ち上がた。お仏壇の前にでて、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と号泣念仏が始まる。畳に頭をすりづけて「申し訳ありません。南無阿弥陀仏々々」と懺悔されているのである。生きたお説法だ。

 ところが、相変わらずご示談相手の方は人事のように座っておられる。逆に、その姿がぼくには有り難かった(お目当ての凡夫の姿だものね)が、せっかくのYさんのお勧めがいまあるのだ。『お念仏が出ない。こんなこころのままでは』という思いなら、その心にはかまわないで、Yさんの真似をしてください」と勧めた。やっと前に出られたが、Yさんのように頭は下らない。ぼくもYさんを真似て、さらに促してみる。少と頭が下るが、まだまたYさんのように畳にすりつけることはない。それでも高い頭のまま称名念仏される。何か気付いてくださるかと思ったが、何のことはない。大幅に時間オーバーしていることを気にかけておられる。先生や皆さんに申し訳ないというのである。うーん、ぼくの何を忖度されているのかな。複雑な気分。

 それにしても、言葉ではなく、目にものみせてくださったYさんの大芝居は、まさに菩薩の姿だった。もしかすると、それにまったく無自覚に他所事を感じながら、「欲しい、欲しい」というその姿もまた、わたしへのご催促かもしれない。グズグズ、長綱を引いている時ではない。

  とにかく有り難いご縁でした。

 

|
|

大谷本廟にて

Img_3301  年忌法要を大谷本廟の一室で法要勤める。なんとなくこんな場所にくると身構える自分がいたが、総合受付に某先生の講演ポスターの掲示をみて、何となく妙な気分に。Img_3297

 お施主は、同人ではないが、龍大の職員だった関係で、冒頭で、皆様に称名念仏を勧めてくださり、勤行もご一緒される。今は、曹洞宗系の大学に教員をされていおり、同じように大学での宗Img_3293教行事があるそうだが、勤行の時、参列の皆さんは黙って聞いていImg_3296るだけで、一緒にお勤めされないことに驚いたといわれた。それひとつとっても、浄土真宗が僧俗の別のない在家止持の同朋教団であることがよく分かる。

 法要の後、お墓参りへ。浄土真宗の墓石なので、多くが「南無阿弥陀仏」とか「倶會一處」と刻Img_3298まれているが、戦争中のものは随分と勇ましものもある。Img_3299

 久しぶりに親鸞さまの墓所にもお参りさせていただいた。ここが古い大谷本廟から移築された石窟跡だといImg_3303う。知りませんでした。  

Img_3305 法要の後は、青蓮院のお隣の料亭で会食。お庭も立派だった。大谷の墓所からお得度の地の青蓮院に移ったのだが、そのことを話すと、「ちょっと意識していました」とのお答え。

 ご馳走になりました。

 

|
|

教行寺法座

日本列島を縦断した台風は猛スピードで北海道へ。台風一過で、蒸し暑い一日になる。

Img_3314 壮年の集いに引き続き、奈良の教行寺への布教。台風で足止めされた高知のYさんも同乗し、連れ合いが運転する。朝座、昼座共にたくさんの参詣者があり、華光の方も10名近くおられた。四国、広島、福井と遠方からのお参りである。有り難いことだ。

 寺院布教だからと別に内容が代えるわけではないが、例話は身近な話題を中心に、お聖教の引用も馴染みのあるものに心がけている。2座あったが、それぞれ和讃のお取り次ぎ。前席で「生死の苦海」や「五濁悪Img_3323世の衆生」といった人生の実相を語り、後席は「如来の願船」や「弥陀の名号」という如来様からのはたらきかけについてでいただく。結局、真宗のお救いは、人生の苦の対症療法、目先の救いではない。むしろ、そこは自分の業縁として受けていくしかない。しかしただ火の粉を払うことに一喜一憂するのではなく、迷いの苦の元を抜きさる、火の元を消しさってくださる救いであるところを聞Img_3309かせていただく。しかもそれは、後生の一大事に心かけ、自力のこころをふり捨てて弥陀をたのむ一念の時に決定するのである。あれもこれもと広げないで、そこひとつに焦点を定めてお聞かせにあずかることをお勧めした。

 皆さん、熱心に頷きながら聞いてくださる。ただそれ以外に反応は分からない。難しいことはなくて、いま聞いたところを分かち合う、もしくは語り合う。座談会がないのはやはり寂しい。熱心なだけにますます勿体ない。
Img_3329
  ≪萩と裳階(もこし)付きで二階建てのようにみえる立派な本堂↑≫
Img_3316
Img_3333

|
|

壮年の集い雑感

今回の壮年の集いは、いままでにない雰囲気があった。

 ひとつは台風接近で落ち着かない人がでたことだが、これは状況の問題なので致し方ない。

 もうひとつは、昔の仏青や壮年メンバーたちが数年ぶりに参加されたこと。特に、ぼくのグループは仏青の同窓会メンバーが多くて不思議な気分になった。「学生時代、AさんとBさんの3名で、聞法の集いのあと七条大宮のカフェでお茶したなー」と、ほんとうに忽然と思い出したりもした。なぜか、その時の話の内容も少し甦ってきて、Aさんの心境があまり変わっておられないことに気付いたりもした。もっとも、他の方は覚えておられなかった。

 懐かしい人もあったが、大半はご縁が短い方(5年以内)が主流。そのせいか分級座談会で大人しいくて、ちょっとお通夜の雰囲気。緊張もあったのだろうが、どのような話題をだせればいいのか戸惑っておられるように思えた。教義の質問だったり、有り難いことをいわねばならないと思っておられるのだろうか。ただ、壮年の集いの原点は、子育て、介護、仕事や地域の人間関係、要は多忙同世代の方々が集って、じっくりと仏法を語り合うという趣旨でスタートした。その意味では、10名程度の少人数、そして同じ顔ぶれで、じっくりとという条件は揃ったが、なかなか深まるところまでには至らなかったのは残念。

 そして最後は、原点に戻って聞かせていただこうということを再確認した。ご法話にしても、分級座談会にしても、法の勧め方は、果たして伊藤先生や増井先生のみ教えを、「如是我聞」と継承させていただいてるのだろうか。今回の巻頭言のテーマにしたが、分級座談会の質問から、僕自身にも火がついて、かなりはっきりとお伝えさせてもらった。いつのまにか、仏様の願いを聞くことが前面にで、求道者や息詰まっている方にすぐにお念仏を勧めたり、「とりあえずお念仏」では、まるで浄土宗の亜流に成り下がってはいないか。
 後生の一大事と自他力(信疑)廃立の原点を問うご法話もさせていただいたが、ここはこれからも外さずにお伝えしていきたいところだ。

|
|

より以前の記事一覧