カテゴリー「法座と聞法」の914件の記事

臨地法座(6・番外篇)将軍塚

 参加者からの要望で、希望者のオブションとして、「将軍塚」まで足を伸ばすことにした。
 夕陽を前に、逆光がまぶしくて、視界は悪い。

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 でも目的は、ただ京都市街を眺めることではない。ここが、『仏敵』の冒頭の舞台だからである。

それは日和よい三月下旬の午後であった。私は、東山の将軍塚の上に立って、松林の間から隠見する京洛の風光を眺めていた。
ここから俯瞰する京都市街は、かわいらしい盆栽の街だった……

『仏敵』は、将軍塚から眺めれる京都市街の詳細な描写から始まるのである。そして、

私は塚の周囲にある広場を、ぶらぶら歩きながら、ものを考えた。
この将軍塚の松の大木で、私の学友が首をくくって自殺したのは、ちょうど昨年の今ごろであった……

と相撲部のエースが、柔道帯を松に括りつけての最期であった。 
 
 男たちは、「どの松なのかなー」と、あたりを探していた。それらしき一本松はなかったが、「この松がそうです」と、将来「伊藤先生の御旧跡」として、案内板が建つ日がくるかもしれない?
 一方、京都マダムたちは「甘い思い出があるんですわ」と、口々にロマンスの思い出を語っておられた。夜景が美しいデートスポットである。

 京都マダムの思い出は、かなり昔なのだろうが、伊藤先生がこの地を訪たのはもっと古い。もう100年も前のことだ。まだ東山ドライブウェーはなく(当たり前)、山道を徒歩で登り、早足でくだり降りて、円山公園から知恩院、そして岡崎の地まで足を伸ばしておられる。

 恐ろしいほどの健脚ぶりである。
 

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臨地法座(5)~佛光寺~

 お店から佛光寺までは1㎞あるかないかのご近所だ。

 真宗の本山で真宗十派の一つで、京都に四つある浄土真宗のご本山だが、ほとんどの方が「初めてです」と言われていた。今回の旅はある意味で、隠れた真宗のゆかりの地を巡ったことになる。

 さて佛光寺は、越後流罪に遭われた親鸞聖人が、ご赦免の翌年建暦二(1212)年に、京都に帰られ、山科の地に草庵を結ばたという。この草庵が佛光寺草創とか。でもこれは史実とは言い難いのだが……。

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 親鸞聖人ご在世の時、真宗の教えは関東を中心に広がっていた。第七世了源上人は、教化活動の拠点を旧仏教の盛んな京都に置き、光明本尊・絵系図・交名帳を用いて西日本一帯の布教活動に力を入れる。人々は上人のお徳を慕って念仏申すようになり、元応二(1320)年には、寺基を山科から今比叡汁谷(現・京都国立博物館あたり)に移されたという。了源上人は、わが国で初めて真宗教団を組織された仏光派の中興の祖。
 
 寺号の佛光寺は、佛光寺の繁盛を妬む者が、ご本尊や法宝物を盗み出して竹やぶに投げ捨てた。その夜、後醍醐天皇が夢枕に東南の方向から一筋の光が差し込むのをご覧になり、ただちに人を遣わせられたところ、阿弥陀如来のお木像が現れた。この仏像がご本山の阿弥陀如来像の台座と一致したので、勅願により「阿弥陀佛光寺」、略して佛光寺の寺号を賜ったと伝えられている。

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 もっとも、光明本尊・絵系図・交名帳は、蓮如上人よって、異端として排斥されるのはご承知のとおり。つまりは、難信に対する印可(保証)を与えるもので、その結果、いくら教線が拡大したとしても、明確に聖人の教えではない異義が、正統としてまかり通っていたことに恐ろしさを感じる。

 詳しくは、悟朗先生の『後生の一大事』~蓮如上人のご教化~をご一読ください。

  とにかく、今回のミニ旅は、「見真大師」で始まって「見真」で終わりました。

 

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臨地法座(4)~ランチ篇~

  さて、朝から効率よく3ケ寺を回れた。午後1時となり、少し歩いたこともあって、今度はお腹がすいた。ここでまで計画どおりに進行して、ぼくも満足である。

 高辻新町にある町家のイタリアン(クチーナ・ナチュラーレ・エッフェ)で、会食。すでに、母など合流組もいる。今回の目玉はここでのランチ。居酒屋などで、華光の皆さんと会食することは多いが、こんな形のランチ会は初めてかもしれない。

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 ご夫婦とも、自力整体の仲間で、火曜日はここが会場になる。自力整体をしていたら、突然、思いついた。「20名の集りなら大丈夫ですよ」とのお返事。ランチの時間を2時間延長してもらって、会食の後法話をする-そこを中心に前後の行程を考えたのである。

 小麦、乳製品、砂糖を使わず、飯は酵素玄米、パンも米粉、パスタもグリテーンフリー対応と、健康志向のお店。それ話をしたら、ベジタリアンのイメージをされたのか、「私は、体に悪くてもおいしいものが食べたい」と言われた方があった。が、決して、お肉も、魚もおいしく、量もたくさんあって、皆さん、ほんとうに満足のご様子。喜んでいただけてよかった。

   スムージーに始まって、酵素サラダと前菜盛り合わせ。 

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旬を感じる季節のパスタは、ホタテがやわらかった。

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 メーンは、野菜たっぷりのお肉は、牛ほほ肉のワイン煮。これが柔らかくし好評。8割以上が肉派だった。

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 最後は、乳製品や砂糖を使わないデザートと、ハーブティーという、充実のコースだった。

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 ということで、食事が充実していた分、どうもご法話は、料理の添え物に終わってしまったが、まあ、今回はそれはそれで致し方なしだろう。

 御馳走さまでした。

 

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臨地法座(3)三十三間堂~法然塔(名号石)

 道路を隔てた三十三間堂に向かう。本堂に入る前に、「法然塔(名号石)」の前で、説明と記念撮影。寺伝では、元久元年(1204)土御門天皇が、三十三間堂で後白河法皇の十三回忌を行った際、請いを受けた法然上人が、「六時礼讃」を修し、「南無阿弥陀仏」と書写して参集した人々に分け与えたという。この「六字の名号」が石に刻まれて、世に法然塔とも呼ばれている。国宝『法然上人行状絵図』の第十巻にも記述される法然聖人の霊場の一つである。

 さて、蓮華王院三十三間堂は、やはり後白河上皇が自身の離宮内に創建されたものである。さすがに、2/3程度が拝観されていたが、「修学旅行以来、五十年ぶりです」など、「覚えてないなー」という感想が多くて、ほぼ初めて感もあった。京都の方は逆にわざわざ来ない。ぼくは、お客様を連れてくることが多いので、ブログでも2~3度話題にしている。写真も、前のバージョンアップ前の方が断然きれいなので、以下をご覧ください。共に、アメリカからの同人をご案内した時の物です。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-d106.html

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-49aa.html

 湛慶作の国宝の千手観音坐像を中尊に、左右に各500体の千手観音立像(十一面の四十手に略されている)が立ち並び、本尊の背後に、逆向きの1体があって、計1,001体が整然と並べられる姿は、まさに壮観だ。誰もがそのスケールに圧倒的されていたようだ。ちなみに観音様が1,001体なので、その冠には1,001体の阿弥陀様もおられるのだ。「観音さまは冠に、お阿弥陀さまをいただかれ」と十二礼の意訳もあるが、お寺の説明では、阿弥陀様とはなっていなかったのは、残念。

 千体仏の手前には「二十八部衆像」と「風神・雷神像」も、写実的でとても素晴らしい。観音様も含めて、すべてが国宝というのも、すごい。二十八部衆とは、千手観音の眷属の主にインドの神々である。東西南北と上下(六方)に各四部、各四部、北東・東南・北西・西南(十方)に各一部が配置され、合計で二十八部衆である。少しだけ真宗にもゆかりの方々を紹介したので、ここでもおすそ分け。

 ◆那羅延堅固(ならえんけんご)-いわゆる仁王様で、四十八願の中の「第二十六願」に、浄土に生まれた者は、金剛那羅延のような金剛の身を得るというのである。
 ◆難陀龍王(なんだりゅうおう)-八大龍王のひとりで、現世利益和讃に、「南無阿弥陀仏をとなふれば、難陀・跋難大龍等、無量の龍神尊敬し、よるひる常に護るなり」と親鸞さまは、和讃された。
 ◆帝釈天王(たいしゃくてん)-元インドラ神で、阿修羅と戦闘する武勇の神。仏教に取り込まれ、成道前から釈迦を助け、その説法を聴聞する。梵天と並ぶ仏教の二大護法善神で、四天王を配下におく。阿弥陀経には、「釋提桓因」(しゃくだいかんいん)とある。
 ◆大梵天王(だいぼんてんおう)帝釈天王とならぶ仏教の二大護法善神。成道後、説法をためらう釈尊に、三度の勧請するエピソードは有名。
 ◆毘沙門天(びしゃもんてん) 四天王のひとりで、北方の守護。多聞天ともいう。御文章には、「人間の五十年を考えへみるに、四王天といえる天の一日一夜にあひあたれり」とある。他の三名は探してみて下さい。
 ほかにも、阿修羅、乾闥婆(けんだつば)、吉祥天、鬼子母神(子供を食べる)、金比羅神(ほんとうなら、ちょうど金比羅宮にお参りしている頃)など、有名な方がおられるので、よく探してみたくださいと宿題をだした。

 1時間の予定だったが、時間が足りないほど見応えは十分。

 

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臨地法座(2) 法住寺~養源院

Img_3495    荼毘所から法住寺までは、わずか3㎞足らず。法住寺は、三十三間堂と道を隔てた天台宗の寺で、後白河法皇の院の御所として創建された地である。御白河法皇の御陵が隣接するが、残念ながら土・日曜日は閉鎖(宮内庁管轄)されていた。法住寺殿といれば、後白河法皇のことを指す。このお寺には、後白河法皇像の他に、自刻「阿弥陀如来像」と「親鸞聖人身代わりソImg_3499 バ喰い像」がある。もともと渋谷(仏光寺にも関連。後で渋谷街道を通る)にあったという。比叡山の大乗院にも、身代わりソバ喰い像があるが、両者の関連をぼくは知らない。ただ、ソバアレルギーのぼくの身代わりで、外でソバが出たら、連れ合いが食べてくれることを、特記しておこう。残念なから、今日拝観中止。

 代わって北隣の養源院を拝観。浄土真宗「遺迎院派」の寺(天台宗からの分派。本家浄土真宗とは関連はない)。今日のメンバーの半数は京都の人達だったが、全員が初訪問という、隠れたImg_3504 名所だ。

   ご住職が、軽快にご説明くださった。それほど広くない方丈だが、俵屋宗達作の重文指定の「襖絵」(松)と「杉戸絵」(象、唐獅子)などが拝観できる。特に、大胆な筆塚とタッチの象の絵は、現代にも通じるモダンな具象だった。ここは、秀吉の側室淀殿が父浅井長政の供養のため創建。その後、徳川秀忠の正室崇源院(江)により再興されたので、浅井家の女性たちのことを、特Img_3506 に詳しく説明されていた。また、徳川家の菩提として、歴代将軍の位牌をまつられる。そして、、伏見城の遺構を移して再建されたもので、伏見城落城時の廊下を、天井に使用している。落城の際、自刃した徳川側の武将たちの血のりのしみた「血天井」でも有名。説明を聞くと、手の跡や切腹の時のうつ伏せの体の形にみえるのである。
 ちなみに、ご本尊は、阿弥陀如来立像で、源信僧都の作だという。これが唯一、真宗との関連であった。
 予定オーバーの丁寧な説明と、俵屋宗達の絵、そして方丈までの美しい緑に、皆さんも感銘をうけておられる様子。 

 

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臨地法座(1)~親鸞聖人荼毘所~

Img_3478   四国への聞法旅行が中止になって、急遽、臨地法座を企画した。

 1日だけの縮小版だったが、拝観、ラント共に、充実の内容で、皆さん、満足していただけたのではないか。ただ宿Img_3481 泊でない分は、物足りなさは感じてはいるが、ちょっとした京都へのてミニ修学旅行みたいな雰囲気で、皆さん、喜んでおられた。少し順を追って、紹介しておこう。

 Img_3482  遠近各地からそれなりに参加者も集まり、車に分乗して会館Img_3473 を出発。~運転手の皆様、ありがとうございました~。

 今熊野から滑石道を上がって「延仁寺」へ。ぐるぐる細い道を登っていくが、15分ほどで、親鸞聖人の荼毘された場所に到着する。ここは、全員、初めての場所である。京都にか なり詳しい 人でも、なかなか知らない場所だろう。

 ここから、少し急な坂道を歩かねばならない。あまり訪れるひImg_3472 とがないのか、蜘蛛の巣を払いながら、荼毘所に着く。今度は、 藪蚊に要注意である。

 『御伝鈔』下巻第六段には、

 「はるかに河東の路を経て、洛陽東山の西の麓、鳥部野の南の辺(ほとり)、延仁寺に葬したてまつる。遺骨を拾ひて、おなじくき山の麓、鳥部野の北の辺、大谷にこれをあさめをはり ぬ」

Img_3487  とある。古来より、このあたり鳥部野と呼ばれていて、今も、近くには京都市の中央斎場(火葬場)や、霊園も多い地域だ。

 親鸞聖人は、弘長二年、十一月二十八日に、九十歳でご往生される。その翌日二十九日に、この地で荼毘にふImg_3490 され、翌三十日に拾骨され、その後、大谷に埋葬されたということである。
 ここは、明治期に廟所が建てられたので、親鸞聖人ではなく「見真大師御荼毘所」という碑文になっている。

 聖人のご往生を偲び、皆さんで称名念仏をさせていただいた。距離が短いが、降りる方も、滑らないように慎重に進む。

  大谷の 流れも清し 汲み得ては
   味わい深き 法の水かな (含弘)

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「仏書に親しむ会」~『仏敵』第二章~

 『仏敵』に入ってから、全員で声に出して読む形式から、一~二頁ずつ、順番に朗読してもらう形式に代えた。

 これがなかなかいい。黙読でも、自分で声を出すのでもない、他人の声をとおしながら、目で追っていく方法は、新鮮だ。お芳さんのセリフを、同じ年代の方が、感情を込めて読まれると、グーッと迫ってくる。今回は、深刻なガンを治療中の方が、乳ガンで苦しむお芳さんのところのセリフを読まれた。「一大事やぜ!一大事やぜ!」という叫びは、まるでお芳さんの直説法のような響きがした。

 そしてなによりも、この濃厚な内容である。伊藤先生とお芳さんが初めて出会う、この短いやりとりの中に、今、私たちが相続させてもらっている、華光の聴聞の原点が詰まっているのだ。ここにも、あちらにも、明言だらけ。「神様と、諸仏と阿弥陀様」の話題、火に触れたようにはっきりする一念のするどさ。さらに「捨てものと拾いもの」という廃立と、「三つの心」のご教示。「ここが分からぬと、百座、千座の聴聞も何の役にもたたぬ」との頂門の一針。すべての華光でご聴聞し、喜んでいると自称している人に向けた、するどい金言である。

 改めて輪読し、これまで気付かず見過ごしていた金言が、この短い箇所に散りばめられていることに震えた。皆さんも、ぜひ、この機会にご再読ください。

 なお、次回の「仏書に親しむ会」は、

 10月2日(水)夜18時50~21時
 第二章の残り(36~41頁)と、第三章にはいります。

 

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高山法座~お念仏の声は響いたか~

Img_3341  週末は高山支部法座である。今回は、F家での家庭法座である。

 高山線での落石事故の影響(途中、落石の岩が処理中だったのが見えた)で到着が遅れたが、『阿弥陀経』の勤行を頼んでいたので、勤行の最中に到着することができた。

Img_3342  『阿弥陀経』を3座でお取り次ぎした。初日の夜座は、「序分」(六事成就と有名な声聞方のエピソード)に、極楽や阿弥陀様の荘厳(ありさま)について。2日目の朝は、その極楽浄土に生まれるための念仏往生の道と、難信の法について、最後は、今回のメーンである六方段で、諸仏の證誠護念について、特に、「広長舌Img_3345 相」の種々のエピソードを中心にした。ただ、高山支部なので、あまり講義というか、勉強臭い話は控えめにして、身近な話題やエピソードを交えた。次号の華光誌の誌上感話にもあるが、高次機能性障害になられたFさんの姿を通して、人間の虚仮の姿、そして平成業成の素晴らしい教え、さらには、「今現在説法」の、今轟いている阿弥陀様の雄叫びと、十方に響く諸仏方の證誠の無量の声に触れさせてもらったら、自ずと最後には力が入った法話になったと思う。ただし、聴衆の反応とは、少し距離があったのは、残念ではあった。南無阿弥陀仏の声が響かなければ、どんないい話も、自己満足の空しいもので終わってしまうのである。

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盛り上がった「華光誌輪読法座」

 先の大遠忌での「これからの求道と伝道を考える」と題した企画で、二人目の孤杉師のご講演部分である。

 その前半部分だっだが、文句なく、お育ての尊さを感じた。母親の常の念仏、そして母親の若い日の信仰体験談の強烈な記憶。強いお勧めがなくても、日頃の念仏と、体験談の尊さが薫習されて、若き日の悩みに直面した時、浄土真宗にその解決を求めていかれる。お東の僧侶もあるので、東の有名な先生の勉強会や研修会に何年も通い続けられるが、その中で、学問や理屈、個人の信念ではなく、母が称えていたお念仏に、どんどん傾斜していくさまが有り難かった。理屈を超えて、阿弥陀様に出会ったという母親の姿こそが、尊い仏縁へに繋がっていくのである。

 今回の輪読法座は、ガンで苦しんでおられるMさん夫妻が揃って参加された。ほんとうに重病なのかというほど、元気に、饒舌に語ってくださった。Mさんの言葉が、とても痛快で面白く、かつ有り難かった。いくら無常と聞いていても、また分かっていたつもりで、また「いつ死んでもいい」と豪語していても、いざとなると、死にたくないの執着があらわれる。体調が不良の時には、お念仏も出て来ない。ほんとうに何ひとつ私にはあてになるものはない。見事に崩れさる中で、一方的に届けられる南無阿弥陀仏のまことが立ち上がってくるのである。南無阿弥陀仏

 個人的には、最後にMさんから出た「コウケントー」(K先生は「ケコウトウ」と呼んでいたそうだが)の話題がでたが、悟朗先生の薫陶を受けた人達の間で、盛り上がりに盛り上がったくだりが、いちばん面白がった。華光の20年以上のベテラン選手か、子供大会出身者しかしならい、秘密の法ですからね。このブログでも初登場の話題か。

 

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南無阿弥陀仏が響く東京法座

  お盆明けの週末の東京支部法座。

 お盆は終わったが、『仏説阿弥陀経』をお勤めして、初日は、講習会並に、そのお心をお取り次ぎした。

 前半は、序分のおこころ、極楽と阿弥陀様のありさま。そして、二〇願の念仏と他力念仏、さらに臨終来迎と平生業成の浄土真宗の真骨頂を、特に,悩出血で、高次機能性障害になられたFさんのお姿を通して、味わわせてもらった。

 後半のメーンは、六方段である。諸仏の護念と證誠の一段である。中でも、無数の諸仏方が大千世界を覆うほどの舌を出して、阿弥陀経とその念仏往生をほめる(延いては、阿弥陀様を褒めたたえられる)一段を、大智度論にある、釈尊が面を覆うほどの舌を出して證明さる逸話を合せて、お聞きいただいた。親鸞様は、この諸仏の證誠こそ真実と見ておられるのでに、私たちは、自分の小さな計らいや感覚、理解をたよにりに、お聖教や法話を聞いているのであるから、もう到底、物差しが違うのである。

 翌日の朝は、自己の機の真実を、「唯信抄文意」の「不得外現賢善精進之相」のご解釈のご文を、かなり丁寧に頂いた。本来なら、自己の不実、虚仮性を聞ければ聞くほど、落ちこんだり、嫌悪するとはずなのだか、法の真実の前では、それが懺悔と共に、喜びとなるから不思議を味わう。

 午後からは、六名グループに分かれて、朝のご文を、グループ毎に味わった。これがすこぶる活発で、かつ有意義だった。もしそのグループに先生がいると、どこかで頼っていく。その答えを聞いて「正解」として「よし」で終わってしまう。しかし、誰もが対等に、かつ率直に語り合ってこそ、うわべではない自己が顕れてくるチャンスでもある。他にも、「4つの深刻な悩みを提示して、どれがいちばん深刻化か」を議論しあい、最後は、「南無阿弥陀仏の讃嘆をしましょう。それも積極的に、たくさんしましょう」と結んだ。諸仏の讃嘆である。

 そして、最後は全体会で締めくくったが、この全体会が尊かった。法の真実と證誠の真実を聞き、機の真実を聞き、そして少人数で、自分を開いて心を述べた後だったでの、率直に、自分のところを述べてくださる方があったのだ。詳しくは述べられないが、ご法の勧めに、なぜかムカムカと反発する自分を通して、ほんとうの自分、さらにそこにかけられた阿弥陀様の願いに出会っていかれたのである。まったくこちらのお声がけも、その声に応え一歩でる姿も、自然そのもので、どこにも無理がなかった。そこまでにいたる法の流れが出来ていたのであろう。最後は、一同の高声念仏で締めくくることができた。どんな有り難い話でも、また機の深刻な話でも、もしお念仏に帰ることがないようなら、こんな空しいことはない。最後は、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」の響きだけが轟いた。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 尊いご法座でした。

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 ≪法座も篤かったが、東京も暑かった。その東京の空≫
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≪昼休みに付近を散策。緑がきれいです≫

 

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