ある程度予想はしていたが、想像以上に追悼法座が尊かった。皆さんからも一言を頂いたが、故人の偲ぶというセンチメンタルな思いを超えて、諸仏の讃嘆の声となっていた。皆さんの口を通して、松岡先生の讃嘆がそのままご法の讃嘆となったのである。最後の奥様のご挨拶のお言葉も尊かった。病魔に苦しめられながらも、「わが腹底には地下水のごとく真実が脈々と流れ、南無阿弥陀仏となって浮かび上がって来る。ほんとうに幸せものだ」と。
総会を挟み、夜座の法話後の座談会。参加者は減少していたが、追悼法要の分かち合いをしたかった。みんなが、自分の計らいを超えたありのままのところで分かちあいたかった。でもこれが難しい。相変わらず、頭で作られた「分かる、分からない」「変わる、変わらない」といった話題が続く。しかし、「どうすれば~」といった問いには、司会者を制して答えなかった。同じレベルで、相手を変えようというエネルギーを使いよりも、今、このご法の力を分かち合いたかったのだ。
すると不思議ことが起こる。
Yさんが、自分のほっぺたを殴り涙ながらに語ってくださった。「私は、松岡先生も、悟朗先生も知りません。でも、皆さんのお口を借りて、松岡先生の人となり、悟朗先生の人となりを聞かせていただきました。そして、皆さんの口を通して、お二人の先生に流れている仏法を、今、聞かせてもらいました。ただ、私はそこに居ただけなのに、お会いしたこともない先生が伝えて下ったご法に遇わせてもらいました」と。
実は、伏線があった。支部法座での厳しいやりとり、7月の壮年の集いでの感想、そして9月の特別講演会での感激、ずっと続いてる法の流れがあったのだ。前日もまた、グズグズいっておられた声に、司会者と二人で時間をかけて関わっていたのだ。
おもわず、「その遇わせてもらったご法とはなんなの?」と問う。すると「分かりません」と。ああ、せっかく法の働きに撃たれたというのに、また分かる、分からんの二項対立の頭で作った世界には戻ってしまいそうだ。それで間髪入れず次の一言だけ言った。
「さきほどの法座で、松岡先生のことを分かろうと思って聞いていたか? 違うやろう。ただそこで聞いていたら、向うから届いてきたのと違うか。遇ったこともないの方の方が、届けられたのと違うか」と。
たたその一言だけだった。すると、突然
「ワアアアアアアアアアー バカでした。バカでした。バカでした。届いてました。届いてました。ワアアアアアアアアア」と、七転八倒しながら暴れだした。「バカでした、バカでした。バカでした」「届いてました。届いてました。届いてました」。「オオオオオオオ」と号泣し、のたうち回っている。その口から、「南無阿弥陀仏゛南無阿弥陀仏」の念仏と、「バカでした、バカでした。バカでした」「届いてました。届いてました。届いてました」と繰り返すだけであった。
本願力の「力」(エネルギー)そのものは目には見えない。ちょうど、重力が目に見えないのと同じだ。しかし、その働きにあって動かされている作用は見ることができる。諸仏方の称讃から立ち上がったご法が、泥凡夫の自力の心を突き破り、自然と新発意の菩薩が誕生するのである。まさに松岡先生の還相廻向と言わざる得ない。南無阿弥陀仏