カテゴリー「法座と聞法」の1000件の記事

報恩講~法然上人のご恩徳~

 夜座は『御伝鈔』の拝読。今年は下巻第一段から第四段まで。拝読も、三年目になるとかなり慣れてきて、余裕もでてきて、それらしく聞こえて来るようだ。

 親鸞聖人のご恩徳を明らかにし、そのお徳に報うていくのが、報恩講である。報恩講は、覚如上人が、親鸞聖人三三回忌に始められて以降、今日まで一度も欠かされることなく700年以上続いているという。その時、拝読する『御伝鈔』は(正確には、伝絵で、そこから言葉の部分が『御伝鈔』、絵画の部分が親鸞聖人『御絵伝』である)、その三十三回忌の翌年、覚如上人が26歳の時に作製されたもので、その後、報恩講では欠かさず拝読されるようになった。

 今回は下巻なので、冒頭の第一段が、流罪の顛末を聖人の『化身土巻』の後跋(ばつ)から引用しておられる。師資遷謫-「ししせんちゃく」で師匠と弟子が共に、流罪に遭うという意味-の段に始まり、第二段は稲田興法で、流罪によって関東に真実仏法が流布したのも、六角堂での聖徳太子(観音菩薩)の夢告の通りだったことを示し、第三段では、山伏弁円(後の明法房)の帰依、救済が示される。そして関東での布教を終えて帰京される聖人は、ただ人ではなく、まさに弥陀の化身であることを「箱根霊告」をとして示唆されていく。若いころは、馴染めなっ方この第四段も、今では、そのまま有り難くいただけるようになった。それは親鸞聖人だけではない。親鸞聖人からすれば、御師匠様の法然上人こそが、勢至菩薩の化身であり、究極は、弥陀の化身であることを喜ばれていくのである。  

 浄土真宗なので、聖人のご恩徳、ご苦労は常にお聞かせに預かっている。では、同じように流罪になれらた法然上人はどうか。とうしても、浄土宗の開祖ということで、親鸞様に比べると、今日の真宗ではその比重がけっして重くはない。が、しかし、法然様がおられなければ、親鸞様の活躍もなかったわけだし、「師資遷謫」の段名が示すように、法然上人こそ、専修念仏の門徒たちの先頭にたち、法難、弾圧の矢面に立たれ、命をかけて真実を貫かれたことは、決して忘れてはならないことである。それで、親鸞聖人ではなく、法然上人が度重なる法難の対処された姿勢や、承元の法難で流罪となられた顛末を頂くことにした。 

 主に、長く講読中の「法然上人行状絵図」(「四十八巻伝」とも言われる)によって窺うことにした。

 まず元久の法難の顛末、そして(親鸞聖人が釋綽空時代の署名が残る)「七ケ条起請文」や前関白九条兼実公の天台座主へのお手紙、さらには法然上人の「登山状」などの一部を頂きながら、承元の法難(流罪)の経緯をしめして、法然上人が流罪道中、遊女(2月の仏青大会ではこの地を窺います)や漁師など、涙と共に業に生きざるおえない悲しみを抱えた凡夫への、温かくも、深いお言葉をいただいた。それは、親鸞聖人の流罪やその後のご布教の態度と、まったく符合するものであった。当たり前といえば、当たり前のことではあるが、お二人とも、ただ人ではなく、弥陀の化身といわざるをおえない姿が、この非常事態に明らかになってくるのである。後の私ども、そのご恩徳をただただ仰がざるをおえなかったのである。親鸞聖人の報恩講に、その善知識であられる法然聖人のご恩徳を明らかにさせていただけるご縁を頂き、ほんとうに有り難かった。南無阿弥陀仏

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報恩講~初心忘るべからず

 親鸞聖人の報恩講法要を勤める。
 
 今回は、昨年6月に得度長女の出勤デビュー。得度習礼で同班だった方にも出勤をお願いする。年齢も性別も違うが、初々しい二人組で臨む。娘は、お母さんの色衣に、ぼくが初めて着けた五条袈裟で出勤した。あまり緊張している様子は感じないが、年長の方から緊張ぶりが伝わって来る。

 打ち合わせを済ませて、「それではよろしくお願いします」と立ち上がった時、「もう一度トイレにいきます」と。一般参列では絶対に味わえない緊張感だろうが、致し方ないことだ。長女と一足早く向って、勤行内容を皆さんにお伝えているうちに、全員所定の場所へ。
 まずはお二人でスタート。うまくこなされているのが、緊張気味に見守る。大師影供会作法なで、頌讃、画讃は独吟に、最後の乙回向句は一緒に練習をした。何事もなく最後まで無事に勤められて、一安心。

 控室に戻ると、連れ合いが「背中の首のあたりにタグがついていますが、おかしくないですか」と。ぼくも後ろ姿に違和感を感じていたが、トイレに立った後、慌てて裏返しのままで着られたようだ。本人を含めて大半は気づかれなかったが、これもデビュー戦の想い出となろう。

  「初心忘るべからず」

 世阿弥の金言である。回数を重ねるうちに経験を積み、余裕が生れるのは悪いことではないが、ともすれば緊張感を無くし、手ですることを足でする無精をし、解怠に陥るのが、凡夫の性でもある。初心を忘れずに臨みたい。

 聞法でも同じこと。慣れきった村雀は、鳴子にも乗って、無常と聞こうが、落ちると聞こうが、平気になっていく。ご用心、ご用心。

 「驚かす かいこそなかれ 村雀 耳慣れすれば 鳴子にも乗る」
 

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日曜礼拝~超久々のオルガン~

 先生方の都合で、10数年ぶり(もっとか)に、勤行の伴奏のためにオルガンを弾くことになった。30数年前、一人で日曜学校をやっていた時、必要に迫られて、猛特訓してなんとか弾けるようになり、しばらくはぼくの担当だったが、布教活動が忙しくなって以降は、日曜礼拝を若手にお願いすることになったので、オルガンに触れてもいなかった。
なんとかなるだろうと、当日の朝、練習を始めたが、すぐに事前に練習しておかなかったことを後悔するはめになった。うまく弾ける時も1度はあったが、ほぼどこかで躓くとあとはガタガタになることがわかった。手堅く右手だけでもいいかともおもったが、メンバーもよく知っている方ばかりだったので、まあお許しねがうことにして、本番に臨んだ。プチ発表会にでた気分である。まあ結果は、あんなものである。でも、ちょっとまた練習しておこうとは思うきっかけになった。

 今年の最初の日曜礼拝は、次女が法話のトップバッター。昨年の1月デビューだったので、これが2回目だが、堂々とした話ぶりである。
自分の身の回りの人間関係、友人も、恋人も、常に関係は無常で刻々と変化し、末通らず、結局、空しさをであったというのである。しかし、無常も、人生の空しさも、実は2500年前にすでにお釈迦様が説いてくださっていた人生の実相であり、末通る幸せを教えくださっている、その教え出会った幸せというようなテーマであっただろうか。あまりにも身近なテーマすぎたこと、そして「自分の薄っぺらさを知らされた」と座談会で話していたが、もうそれが知らされたならば、たいへん尊いことでもある。

 子供の参加もなく、参加者は少なめだったが、長女が司会進行し、次女が法話を担当し、ぼくがオルガンを担当できたことだけでも、うれしいことである。

 

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修正会(1)~華光出仏~

 今年も、新年の初頭にあたり、一同で、『正信偈』「現世利益和讃」をお勤めさせていただくことからスタートした。

 法話の前半は掛軸の説明。江戸時代の浄土宗の高僧、徳本上人の「南無阿弥陀仏」の拓本のおいわれ(若い日、増井先生と伊藤先生が、和歌山のお寺で拓本されたもの)、もう一幅の善導大師のご旧跡である玄中寺で購入した雪景色の玄中寺の風景画について説明する。そして、いつも見慣れている扁額の「華光出仏」から、その意味をもう一度お話しした。『大経』上巻の最後にある極楽浄土の有様を「華光出仏」のご文として出されているが、そこから、親鸞様は次ぎの3首の和讃を造っておられる。

 一々のはなのなかよりは 三十六百千億の
 光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし

 一々のはなのなかよりは  三十六百千億の
 仏身もひかりもひとしくて 相好金山のごとくなり

 相好ごとに百千の  ひかりを十方にはなちてぞ
 つねに妙法ときひろめ 衆生を仏道にいらしむる

   昨年12月の聖典講座が『口伝鈔』の開出三身章だった。平たくいうと、釈尊を始めすべての諸仏方は、みな阿弥陀様のお浄土から現われて、そしてその諸仏の国々で弥陀の本願を説くことを出世の本懐として、極楽浄土から現われてお出でになったというのである。だから、諸仏方からみれば、報身仏の形をとっているが阿弥陀如来こそが、すべて諸仏の本師本仏というのである。

 お浄土の美し蓮の華の、一つ一つの花びらから、六×六=三十六、それが百億千、つまり三十六百億千の光を放ち、またその一つ一つの光から三十六百億千の仏が現れ、またその御仏方がみ光を放ち、それぞれの国において、その国の衆生のために、阿弥陀様の本願の法、南無阿弥陀仏一つで仏と成ることがきでることをご説法されているのである。お釈迦様のその一仏だというのである。

 華から光が現われ、そしてその光から仏がでて、三世を貫き、十方に響きる無量寿・無量光の阿弥陀如来のご活躍が、このようにダイナミックに説かれているのである。南無阿弥陀仏

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初盆

今年もお盆参りが始まった。昨年は、間に寺院布教が入ったが、今年はなく、3連休にもなったので、ゆとりのある日程が組めた。

午前中は、ご近所の同人宅へ。このお宅は、親子共々、丁寧に仏事をされてくださるのが、有り難い。「横川法語」のご法話。泥中の中から、泥に汚されずに咲く蓮の花を、他力の念仏にお譬えになっている。

すぐに戻い大阪に向う。同人宅で、支部法座の会所も引き受けてくださっている。今年が初盆にあたる。遠方からも含め近しい親戚が集まってこられる。なんとかご家族、特に子供さんへのご縁を願われているが、まずは手を合わせてもらい、共に勤行してもらうところから。勤行一つ、称名念仏一つ、初めてならば抵抗もあるだろう。特に、「南無阿弥陀仏」と声に出すことは難しい。簡単に見えても、その意味を知り、そのこころを知り、ほんとうに身につくまでには、知らないだけで、あの手この手のお手間、ご方便があったのだ。個人の相続も難しいが、縁ある人に相続していくこも、難しい。それでも、小さなことから、一つ一つを丁寧にお伝えしていくしかない。

法座の後、場所をホテルの日本料理店に移し、和やかに会食が行なわれた。これもまた小さなご縁を造る一つになるのだろう。

 

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夏の仏の子供大会開催!

 たった1泊2日、夏も仏の子供大会を開催した。子供が集まらず中止にしてもよかったが、たとえ2~3名でも宿泊開催すると決めていた。夏はもう3年間も中止になっているので、このままならズルズルと無くなってしまう気がしたからである。
 開催してよかった。たとえ数名でも子供たちのエネルギーは大きく、皆様のおかげで、やっぱり仏の子供大会となったのだ。ご喜捨もたくさん頂き、大いに助けられた。子供の参加は少なかったが、幼児、小学生、中学生、高校生、大学生と揃ったし、大人も2日目からは多くなって、30名近い人が集って、賑やかな子供大会となった。初参加の高校生や大学生もあって、それだけでも意義があった。

 ただ班活動はできなかった。当然、班長もいなし、班のモットーや歌もなければ、班評価もない。そして野外活動も、追ハイ、ファイヤー、室内オリンピック、水泳もなかった。つまりは、すべての野外活動、団体行動の規律を重んじる面から見れば、仏の子供大会らしさはどこにもなかったのだから、一抹の寂しさもある。

 それでも、短時間の準備でスタンツ(劇)が3つ、創作活動として、昼食は「おにぎらず」という形で、みんなが会食し、ワイワイと賑やかでおいしかった。大人数で、各自が作りながら、会食するスタイルは4年ぶりで、ほんとうに楽しかった。男の子たちには、銭湯が大好評で、なかなか帰ってこなかった。
 そして、4年ぶりに、地獄(等活地獄)のスライドも見た。反応は、今ひとつだったが、これは上映したことに意義がったのだ。法話も、ぼくが担当した若手班の分級座談会も、法話を丁寧に振り返りながら、充実した内容だった。味わうこともあったが、またの機会で。
 先生方の中でも、娘が中心になって、準備の勧めてくれた。生活面の担当で、法話や「おにぎらず」の企画や会計と、最後までやりとおしてくれたのが、とてもよかった。

 もしかすると、もう以前のような仏の子供大会は難しいかもしれない。それでも、形が代わったとしても、その精神を生かしながら継続していきたい。
 来春には、2泊3日での開催を計画している。早くから呼びかけて声かけをして、なんとか班活動も実現していきたい。どうぞ皆さんもご協力をお願いします。

 

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広島での法事

 葬儀の翌日、早朝から広島に向う。

今度は、別院の近くにあるお寺を借りての年忌法要と納骨である。

 お母様の法要は、「釈遠慶」と、父が付けている。彼女の祖父の代、広島からアメリカ移民でカリフォルニに渡った方から、逆輸入で真宗のお法りが伝えられた。浅い歴史の華光ではあるが、そのご因縁は5代渡って続いている。お母様の兄弟姉妹5名も、昔からの華光同人であったが、今も、そのお子様たち(ご姉弟)も同人としご縁を結んでくださっている。それどこなか、そのお孫さん、そして曾孫さんの代まで、仏の子供大会でのご因縁がある。だから、今日集まったご姉妹の4名も、まだご縁を結んでくださっていて、そのお子さんたちも、小さな時からの法友でもあって、その再会を懐かしんだ。

 法要や納骨は、ご住職がお導師を勤めてくださるので、参列者の一人としてお参りした。

 墓石の「南無阿弥陀仏」は父の書だ。

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 午後からの時間は、ご法話で、座談会。ところが、新幹線が名古屋から東京方面でトラブルが発生しているとのことで、慌てて帰っていかれたりしで少しバタバタとした。
改めて、手を合わせこと、勤行すること、仏事の意味について、ご説明した。中でも、何故、南無阿弥陀仏と称えるのかを、ある意味、原点に帰ってお話させて頂いた。

 

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大阪での葬儀

   報恩講の初日、夜座を前に、大阪同人より電話がある。予てよりお父様の葬儀を頼まれていた。1ケ月前に、危篤状態との連絡をいただいていたが、その後、回復に向かわれていたが、ご逝去の連絡である。やはり火葬場が混み合い葬儀の日程は未定。

 本業は「生きた葬式」をする場なのだが、同人の依頼があり日程が合えばご縁を結ばせてもらっている。それでも10年近く葬式がないことも珍しくない。昨年も一度もなかったが、年2回、それも1週間も開かず葬儀が続いたのは、初めてのことだ。1年以上間が開くと、勤行も七条の着付けも忘れているが、さすがに1週間以内なら、そのまますんなりと進んだ。

 初日は、電車で会場に向う。このところよく道に迷い。特に東京や大阪の地下鉄からの経路は、複雑だ。事前に地図は用意するので、だいたいの方角はあっていたが、確かめながら進むので、倍以上の時間を要して会場に到着した。ナビをするスマホがないのでしかたないが、早めに出発してよかった。

 昨今、特にコロナ禍では、家族葬、もしくは親族や友人だけの少人数の葬儀が主流になっているが、今回は、社葬でもある。創業者でもあるので、業界団体の参列あって、献花だけでも100以上、弔電も多数あり、通夜・葬儀を合せると4~500名の参列者があったのではないか。

 通夜では、少し長めにご法話も聴いていただいた。葬儀でも、ごく短いご法話をしたが、最後の喪主のご挨拶が、立派なご法話になっていた。自分の出会っている浄土真宗がいかなるものか、なぜ、僕を招いて葬儀をされたのか、そのことをきっちりとお話くたさって感心した。身近なご遺族(特に家族)にご縁を結んでもらいたいという思いを感じられて、有り難かった。亡き方の追悼をきっかけとして、いま、その縁につならっていきるものにも、少しでもご法縁が広がり、我が事として法に向き合ってもらえることになることが、ほんとうの意味での意義ではないかと思われた。

 

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葬儀から報恩講

 幸い、葬儀は姪っ子の連れ合いが脇についてくれることになった。彼は長く法務員を勤め、時には午前、午後と1日の2度の葬式も珍しくない葬儀のプロである。声もいいし、よく事情も分かっていて、ぼくの勤行にも合せてくれた。そして姪のRちゃんに七条を着つけてもらった。こんな日が来るとは、昔は夢にも思ったことがなかった。皆さんのおかげて、いい葬儀となったのではないか。

 家族葬だったが、親戚も多くそれなりにお参りがある。通夜の法話は、法名(釋法鈴)のおいわれを中心に、分かりやすい話に勤めた。葬儀の法話は、Rちゃんがおばあちゃんの想い出と共にお話くださる。同じ世代の従姉妹もいるので、なによりのご縁になるであろう。

 ご親戚の方はお帰りになるが、ご自宅の戻ったらご家族で還骨と初七日法要を託しておいた。ご法を中心にした家族なのでなんの心配もなく、葬儀を終えると、雨の中、京都に戻る新幹線に飛び乗った。
 
 これから報恩講である。行事前に、新幹線に向うのは遠方のお同行さんの気分である。誰かに会わないかなーと当たりを見回したが、この車両には同人とおられなかった。ただ、明日の成人式、京都三十三間堂の恒例行事である通し矢(弓道大会)があり、弓や矢をもった成人たちがたくさん乗っていた。

 ちょっと不思議な気分で、報恩講を迎える。初日は法話はあたっていないので、勤行が中心である。大師影供作法を勤め、夜座は『御伝鈔』下巻を拝読させていただいた。自信のない声明だが、皆さんの力を借りて無事に勤めることができてよかった。 

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名古屋での葬儀

 突然の訃報だった。

 火曜日の朝、名古屋に住む姉より、お義母さまが倒れて危篤状態だという連絡がある。重篤な状態で、今夜は越せるかどうかも難しい。昨日までお元気で、お正月には得意の絵を添えた年賀状を頂いていた。それが、夜には訃報となって届いた。

 火曜日のご往生。週末の報恩講とは重ならないと思っていが、火葬場が混雑していて日程はすぐに決まず、翌日、金曜日のお通夜で、報恩講の土曜日が葬儀と決まった。ただ葬儀は午前中なので、葬儀を終えてすぐ新幹線に飛び乗れば、報恩講には間に合う。ただ、初七日法要に出るのは難しい。ところが、葬儀屋から「初七日は葬儀の中ですませる(式中初七日)でお願いします」と伝えられた。葬儀に不慣れなぼくは、その言葉を初めて耳にした。今は、これが主流になっているという。収骨まで待ち、再び式場に戻って、そこで初七日法要、会食となると、葬儀会館も皆さんも二度手間なので、葬儀中にすませ、火葬、会食、収骨、そして解散となれば効率的なのだろう。残念ながら、還骨の後の初七日で、遺族の方にご法話を聞いてもらうことを最初のご縁にしていたのだか、これからは勧め方も考え直さねばならない。

 急に慌ただしくなった。報恩講の準備を早める。『御伝鈔』の拝読の練習も必要だし、法話の教案もある。また、久しぶりの葬儀で七条の着付けの確認や勤行の練習にも時間が取られる。法名を考え、参列の皆さんにその意味をお配りもする。慌ただしくても、せっかくの法縁である。しっかり勤めさせて頂きたい。

 そんな気持ちで、金曜日に新幹線に乗って名古屋に向った。

 

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