カテゴリー「書籍・雑誌」の60件の記事

傾聴ではなく、態度なのだ!

 東京法座の帰路、車中で池見陽先生の講演録を読んでいた。先生とは、2、3度、お会いしたことがあって、「聞」ついてお話したことを印象深く覚えている。

 あるカウンセリング研究会の会報にあった講演会の記録で、その中にあった、ある女子高生との面談事例が出でいる。ロジャーズの中核三条件は「態度」であって、けっして傾聴の具体的な応答の方法や技法ではないことを示す事例である。

 熱い涙が流れてしばらく止まることはなかった。しずかな涙だったが、こんなに泣くのは久しぶりだ。2日間の法座後、法水のおかげで防衛的な心がほぐれていたのだろう。幸いなことに、コロナで新幹線は混雑しておらず、隣席は空いていた。しばらくその余韻を味わいつつ、その感じをからだで確かめていく。フォカーシング的にいうと「ああでもない、こうでもない」と味わっていたが、どこで、なぜ起こっているのかは明確にはなてこなかったが、別にすべてをクリアにする必要もなく、なんとなくその余韻を味わうことにしていた。深い温かいものに触れている感じがしたが、不思議なのは、いま読み返しても、それほど深い感慨がおこるような場所ではない。この文章全体から、追体験するような何かに触れたのだろう。けっしてここに涙したのではないが、核心部分のみ引用する。

 1960年代のロジャーズの自己一致の記述をみると、それは「防衛的な仮面の後ろに隠れているのではなく、体験過程として感じられている気持ちと共にクライエントにあう」となっている。「病院の臨床心理士です」みたいな仮面をかぶっているのではなく、本当の私の体験過程~眠たい、退屈~その気持ちと共にクライエントに会う、それが自己一致、「本物であること」です。

 その人に共感的であり、そして私も自分らしくいる。退屈は退屈だと素直に言い、そして無条件の肯定的なまなざしで見ている。学校へ行かせようと思っていないし、彼女がいきたいなら行ったらいい、といった態度。でもここで注目は、一度も傾聴してない、ということです。結局、このセラビーがクライエント中心だというのはそういう態度によるもの、あるいはそういった人間関係によって人は変わるのであって、傾聴の技法ではない。本当にロジャーズ理論の見本のような事例です。

「クライエント中心療法以降発展し続けるカール・ロジャーズのカウンセリグ」より 
 

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『絵はがきの大日本帝国』

 もし、お声をかけていただくことがなかったら、聞かなかっただろう。「絵はがき? なんのこと」としか思えなかった。絵はがきといえば、観光名所、お寺、展覧会などのポストカード、海外の観光地から送ったり、お礼状に使う程度で、タイトルから、戦前の観光案内の意味しか想像できなかった。

 が、それは違った。当時は、まだテレビも、もちろんネットもない時代。新聞を中心に、ラジオや記録映画などのメディアはあったが、スピードと拡散力では、絵はがきが力をもっていたという。アメリカ人夫妻が日本の5万枚にのぼる絵はがきの蒐集し、その中から400点を限定し、またその中から数十点を展示(ホンモンではなく、拡大してプリントアウトされたもの)した企画。絵はがきを通して、日本の近現代史、日清戦争から大二次世界大戦までの事件や出来事やイベント、大日本帝国が領土拡大するプロセス、当時の世情をリアルに伝えるメディアとして、また有力なプロパガンダーとして、さらに出された文面からは、今日のSNS的な役割も担っていたことを教えられた。関東大震災の折には、大量に、またさまざまな種類の絵はがきが造られて、それが拡散されている。この分野の先行研究も進んでいることなど、まったくしらなかったテーマであった。

 と同時に、軍国、拡大路線の日本の広がりの歴史も、一直線ではなく、常に米英(特にアメリカ)を意識して、なんとか離れないでいようと、ドイツとの三国同盟には前のめりではなかったことなど、絵はがきの絵柄や種類でも分かるところかとても面白かった。他にも、満鉄の存在や、

  中でも、皇紀2600年を記念して、東京では、万博と、オリンピックを開催する予定でいたが、戦争の激化で中止になる。一足、絵はがきで、肌木では。他にも、札幌での冬季五輪も断念する。それが戦後、高度成長を背景に、1964~1972年の間に、東京五輪、大阪万博、そし札幌冬季五輪が開催されることになる。そして、コロナ禍の今も、東京五輪、さらには大阪万博、さらには札幌冬季五輪の誘致と、戦前も、戦後も、そして現在も、政治体制は変わっても、発想がまったく同じなのにはあきれてしまった。

 他にも近、現代史が好きには面白い話がたくさん合って、満足した。
 同タイトルの新書を買って、サインももらいました。

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『育ち合う人間関係』終わる

 真宗カウンセリグ研究会も、今年度(2020年)の最終回。

 西光義敞先生の『育ち合う人間関係』の輪読も、今回が最終回。2017年5月から始めたので、2021年3月まで、4年間、約40回ほどで読んだことになる。これだけ時間がかかると、最初のことはもう忘れている。輪読を始めたころのメンバーもすっかり代わっている。幸い本書は、40歳から76歳までの幅広い年代に書かれた6つの論文が網羅されており、各章は、ある程度関連はあっても、前後の直接の関連はない。「カウンセリングの手引き」というカウンセリング色が濃いものから、真宗カウンセリング、そして最後は、「浄土真宗の聞法と法座に関する一考察」という真宗色が濃いものへと移っていく。最後は、実践的法座論、聞法論で、カウンセリング畑の方にはかなり特異な内容で、気がつくと大半が華光の同人方で、カウンセリング畑の方は脱落されていったのは残念ではあったが、論文の性格から見て、致し方ないだろう。

 たぶん、普通の寺院の住職やご門徒さんにしても、儀礼と一方的な法話を聞くだけで終わっていては、信仰座談会のあり方や態度に関しては、体験的に知りうることはかなり難しいかれしれない。その意味では、カウンセリングは初心でも、華光の皆さんには身近なところで実践的に、また我が身の問題として考えることができたのではないだろうか?

 最後の「説」と「聞」の問題も、実践の場での今後の課題を頂いた気がした。
 
 次回からは、原点に帰って、ロジャーズ論文の輪読を行います。奮ってどうぞ。

 

 

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大声で「南無阿弥陀仏」

 念仏と黙想と語らいの集いも、懇親会は午前2時まで続いた。終了後、男性部屋は、さらに仏法讃嘆が続いたそうだから、皆さん、なかなかタフである。

 朝、新聞を広げる。

 大声で「南無阿弥陀仏」

 という大きな見出し文字が、飛び込んできた。本願寺新報や宗教系の新聞ではない。京都新聞である。
 え~ これ、昨晩、最後に皆さんに言った、僕のセリフそのままじゃないですか。

 A級戦犯 東條の最期 

とある。A級戦犯の絞首刑の場に唯一立ち会った日本人である、教誨師の花山信勝師の講演録をまとめたものである。

 仏説無量寿経について、真っ先に政治家が読んでおかなねならない。

という東條の述懐や、刑の執行直前の様子は、

 「東條大将が、一番大きな声で南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。他の皆も南無阿弥陀仏と称えた」

とあった。死刑囚という意味では、僕たちも同じことですがね。まあ、詳しくは、新刊ですが『A級戦犯者の遺言』(青木馨著・法蔵館)を御覧ください。

 ところで、大声でというと、怒鳴ったり、喚いたりする人もいるが、それではちょっと荒れた感じがして勿体ないですね。この場合の大声は、力強く腹底から申すことのように思っている。朝一番のチェックインで、この話題を出したが、実際は、大きな声でお念仏するのはなかなか難しいとの声。特に、朝はまだ喉が温まってませんかね。徐々に、身についていけば尊いものですが、、。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 

 

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廃仏毀釋は生きている

 『仏教抹殺』~なぜ明治維新は寺院を破壊したのか~の記事ではないが、関連して、華光誌の巻頭言の言葉が、鋭く突き刺さってくるので、紹介する。

 いまから50年前の華光誌の巻頭言に、「廃仏毀釋は生きている」という西光義敞先生の記事がある。短い記事をさらに要約すると、

「明治維新100年を祝賀しようという中で、「けっこうじゃないか」という単純さでは困る。だれが、なんのために、そういう音頭をとっているのか、よくみきわめなぱならぬ。そして、明治以降、わずか百年で立派な近代国家になったという人は、国家原理を貫くために、個人の尊厳をじゅうりんしてきた日本の罪業百年史に目をつぶるものだ。その罪業の重大な第一ページが、廃仏毀釋だ。しかも、敗戦よって、明治国家が滅んだというのも幻想で、いまだに、廃仏毀釋の影響はさまざまに形をかえて、われわれ日本人の精神生活を蝕んでいる。 江戸時代以来、庶民の中にあった仏教大事の精神は、急速にうすらいだ。外道化した自分の変質に気づかずに、廃仏毀釈の間を生き残った数少ない念仏者をほのかに恋う。そんなことでよいのか。」

 昨年は明治維新150年だった。それだ、大河ドラマも「西郷どん」で、明治維新の功績が取り上げられていた。それほど明確な盛り上がりはなかったが、一部で祝賀ムードがあったのは、100年前と状況は同じことだろう。では、それに対して現代の、私たち仏教徒、念仏者の態度はどうであるのか。
 西光先生の文章は、このように結ばれている。

 「明治以来百年、いったい仏教徒のだれが、いつ、どんな形で、廃仏毀釈にいのちがけで戦いをいどむのか」

 驚くほど厳しい文章に、身震いする。

 南無阿弥陀仏 

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『仏教抹殺』~なぜ明治維新は寺院を破壊したのか~

 新年号の華光誌の中でも紹介しているが、『寺院消滅』が話題になった鵜飼秀徳さん(京都の浄土宗の僧侶)の『仏教抹殺』~。これまたセンセンショナルなタイトルだ。副題は「なぜ明治維新は寺院を破壊したのか」。明治維新の直後から断続的に出された「神仏分離令」るより、各地で起こった廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の歴史が紹介されている。

 たとえば、今年は天皇の代替りの儀式が続いたが、すべて神道方式で行われていた。しかし、明治以前は天皇家も仏教徒だった。京都の泉涌寺-長女は泉涌寺の塔頭の幼稚園に通っていた-は、「御寺」と言って天皇家の菩提寺。天皇家を檀家に、何十という歴代天皇の墓所があり、明治天皇のお父様、孝明天皇の墓所があって、先ほど、新天皇も参拝された。ところが明治維新で国家神道に生まれ変わると共に、仏教も切り捨てられていく。民衆も、権力への忖度から弾圧に加担する。興福寺の五重の塔が、今の価格で1万円ほどで売り飛ばされそうになり、京都では、木像は薪に、金仏は溶かされ四条大橋の欄干になったりする。神仏習合を否定して神仏を分離させていく中で、僧侶が神主に鞍替え(時には積極的)する例も紹介されていた。

 中でも一番の決定打は、明治5年の「自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事」という布告。それまで僧侶は浄土真宗以外、肉食妻帯が禁止されていた。実際は、形骸化していても、出家者は、頭を剃り、結婚もしない、肉食や飲酒禁止が建前だった。それが、明治政府が、僧侶も結婚や肉食を自由にしてよろしいと許可がでて、それに各宗派が飛び乗ってしまった。すると僧侶と俗人を分けるものがなくなり、世俗化が進んでいく。江戸時代に檀家制度が確立していたので、宗派に関わらず、寺院の世襲が当たり前。僧侶は代々の家業になりさがる。浄土真宗では、在家止住の道を、親鸞聖人が選ばれたが、本来の仏教は、家庭や世間的な幸せを捨てて出家を選ぶのに、明治以降、世俗権力に従ったがために、世俗化が進み、日本仏教は衰退していく。さらに致命的になるのが、上知(あげち)令で、広大な境内地が没収され、寺院は弱体化をしていくというのである。

 興味のある方は、ぜひともご一読ください。(補足で、次に続く)

 

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今週の多彩な学び

  学びという意味では、充実した一週間だった。
 
  3日連続(2、3、4日)で、仏教講座を受講し、仏教講演を聴講した。週末(6日)には、仏教カウンセリングWSにも参加する。

 一つ目の講義は、永観律師の『往生拾因』の講読の3回目。第一章の念仏を疑う者との問答の部分で、最後は、「疑い」と諸仏と「證誠」のくだりは、人間の浅はかな知恵では仏智計らえないという点でも、有り難かった。

 翌日の講演は、本派の宗学院の公開講演で、苫米地誠一先生の「密教浄土教と阿弥陀如来像」と題して。未知の分野だが、前日に聞いた、法然聖人以前の南都(三論宗で、東密も学ばれている)念仏者である永観律師の思想に通ずる部分があって、重ねて勉強になった。

 もう一つの講義は、哲学者でもある佛大講師の西本明央先生の「仏身論の展開の中に見る「仏の慈悲」と題して、3回シリーズの第1回目。西本先生は、西洋哲学などの切り口からのお話で、いつ聞いても面白いと思うのだが、今日は、かなり総花的で、寄り道も多かった。でも「見仏と善知識と、仏の慈悲」のくだりは、興味があった。

 合わせて、今週は、1日~5日の5日連続で映画を見た。

 インド映画の「SANJU(サンジュ)」。

 アメリカ映画の「ハッピー・デス・ディ」。

 インドネシア映画「マルリナの明日」。

 日本映画は「新聞記者」。

 そして、イタリアなど合作の「君の名前で僕を読んで」。

の5本。いつもながら映画も、見放しで終わっているのが、ちょっと勿体なくもある。最後の「君の名前で僕を読んで」は繊細すぎるのと、苦手な分野(LGBTのGの世界)なので、乗り切れなかった以外は、かなり面白い映画が続いた。これだけ「あたり」の続く週は、珍しい。中でも、予定外のホラー(といよりサスペンス)コメディーの「ハッピー・デス・ディ」は、かなり笑った。続演も楽しみ。

 読書は、谷書店で仏書を2冊(涅槃経と、大経「下巻」の解説)を買ったが、読んだのは『修験道としての生き方』。「インドの集い」でご一緒した、聖護院門跡の宮城泰年師他の対談だ。まったく知らない世界で、とても新鮮。刺激もいただく。

 法座は、「仏書に親しむ会」があり、『仏敵』を読みだしたことは、すでに触れた。

 完全に、アウトブットよりインプットが多かった1週間。
 発信する方は、日曜日の聖典講座の準備をした。いろいろと聞いたり読んだりしても、自分が発言せねばならないとなると、これが一番の勉強になる。レジュメを作るには、繰り返し繰り返し、読まないといけない。ある意味、本気である。

 

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2018年は206本

今年はもずいぶん映画館に通った。

今年は、1月3日に京都シネマで、アメリカ映画の『ギフト~僕が君に残せるもの』(元NFLのスターアメスト選手が、ALSという徐々に筋肉が萎縮して硬直していく難病になり、生まれてくる子供に向けてのビデオメッセージ)と、
ドイツ映画の『わすれな草』(こちらは、自立してたインテルの夫婦が、妻の認知症によってその関係性変わっていく姿を、実の息子がカメラにおさめたもの。夫婦って何? 人間の尊厳って?と、考えさせられる)の、なぜか、海外ドキュメタンリー2本に始まった。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-30b0.html

12月29日には、スペイン~アルゼンチン映画の『家(うち)に帰ろう』(アルゼンチンに住む、かなり頑固な老仕立屋が、子供たちに老人ホームに入れられ、悪い足も切られることになるが、それを逃れてポーランドへ脱走、そこでさまざまの出会いのなかで、彼の過去明らかになる、ホロコースト生き残り感動作。ラストは、甘いが惜しいが、再会シーンは泪)と、

アメリカ映画の『ウィンド・リバー』(ハリウッドのすっきり謎解きサスペンスと思っていたら、ネイティブアメリカンや、特に女性の置かれた差別や厳しい現実が背景にある社会派サスペンス。悪くはなかった)で終わった。

 206本を映画館で鑑賞した。これで3年連続での200超えである。面白いと思ったり、刺激をもらったものもおおかったが、なかなかここにアップできなず、下書きのまま時期を逃すということが多かった。法座関係のものが停滞した影響を受けている。来年は、もう少し映画や本のことも発信していきたい。

 対照的に、相変わらず読書量は少ない。こちらは、たった18冊ほどで、昨年よりは若干増えた程度だ。ただ、直接、講演や講義を聞いた先生のものが多くて、年初めは、心理学者の泉谷閑示氏のもの、中旬は、並河~平岡聡先生の師弟関係にある仏教関係のものを読んだし、秋からは白井聡氏や、関連の政治関係のものを読んでいる。
映画を押さえてでも、もう少し読書をしたほうがいいなーと思っている。それでもこの年になって勉強が面白くなって、講義や講演には、定期的に出かけて刺激をもらっている。

来年もこんなペースで動くようの気はするが、そろそろ自分から発信できる基盤を造る年にしたいと思っている。

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中村敦夫朗読劇『線量計が鳴る』~元・原発技師のモノローグ~

Img_3815Img_3816 Rさんに校正を渡しぎりぎりまで仕事をして、急いで今出川の同志社大学に向かう。構内の寒梅館のホールで、中村敦夫の朗読劇を観る。
 整理番号は300番だったが、中央の2列目にの空きがありラッキーだ。休憩を挟んで2時間近く、一人での朗読劇。それでも、飽きさせることなく聞かせるのは、やはりプロ。
Img_3812    啓蒙演劇というジャンルで、情感に訴えて感情を揺さぶるのではなく、問題を指摘し観客を覚醒させ、新しい視野を提供する」というものだ。フクシマを通して、日本の原発にまつわるさまざまな嘘やごまかし、詭弁、さらにチャルノブイリでいま起こっている現実も踏まえImg_3807て、原発の本質を見極めて、ひとりひとりがわかこととして考えるきっかけになればという願いで始まっている。

 オリジナルの朗読だけてなく、プロジェクターを使った講義風で、啓発的な内容で、触発をうけた。もし近くで公演があるようなら、ぜひ足をの運びください。

http://www.monjiro.org/%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/

 おまけですが、今回の朗読劇とは別だが、弁護士である河合弘之が撮った映画『日本と原発』(合わせて同じ著者の新書『原発訴訟が社会を変える』)だ。多岐にわたる原発問題の問題点が浮き彫りになってくるので、こちらも面白くて、お勧め。

 最後に、まったく関係ないことだが、主演の中村敦夫氏についての余談をひとつ。

 感想を会館の事務所で話ていたときの会話。。

T「中村敦夫といえば、「シトシトピッチャン、シトピッチン」ですね。
S「いや、それは子連れ狼でしょう。」
T「ああ、子連れ狼は、カツシンか」
S「いや、カツシンは座頭市でしょう。」
と、若いRちゃんには「?」の珍問答が続いていた。

   ちなみに、子連れ狼は若山富三郎(もしくは萬屋錦之介)で、中村敦夫は木枯らし紋次郎である。でもしかーしである。ぼくにとっては、「水滸伝」の林冲(りんちゅう)なのである。日テレが総力を結集した放映記念の大活劇で、中学時代のテレビ番組だった。ぼくが、いちばん影響を受けた番組かもしれない。おかげで、何十年たっても、いまだに水滸伝フリークである。その後、ほんもの水滸伝を読んで時、林冲が主役でないことに驚くことになり、北方水滸伝で、また衝撃をうけることになる。

 まったく原発問題とは別次元の話でした。

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『いしぶみ』

Img_5452  平和公園にいった目的の一つは、本川沿いに建つ「いしぶみ」にお参りしたかったからである。

 先日、『いしぶみ』という映画をみた。是枝裕和監督の作品で、女優の綾瀬はるかが主演して、演劇的なセットの中で、「いしぶみ」を朗読Img_5464するのがメーンで、その合間に、登場人物の家族や遺族を、池上彰が訪問してインタビューするというシンプルな構成だ。

Img_5463_2  空襲に備えた建物疎開で、空き地を後片付けの作業のために、集合していた、広島二中の321名の生徒と4名の教師たちの頭上で、原子爆弾が炸裂する。即死者やImg_5461不明者も多数いるが、重体の体で自力で自宅戻ったり、子供を探す父母たちと再会した者たちの最期の姿が、それまで日記や遺族の証言などでに克明に描いている。

 Img_5448_272年たってなお、戦争や原爆の悲惨さと、親子(家族)の絆の深さが、リアルに伝わってきて、何度か目頭を押さえた。平和記念館に展示されていた原爆でボロボロになっている「制服」の、その持ち主であった中学生の弟(の遺体)を発見するまでのことを、その遺族(兄さん)が語っているシーンと、その実際の制服を前に胸が痛んだ。

Img_5523  10万人以上の名もなき犠牲があるのではない。その一人一人に名があり、それまでの人生があり、そして家族があったことを改めて教えられた。

  映画は、リメーク放送である。もともとは、女優の杉村春子が朗読して、1969年に広島テレビで放送され、それが、翌年、ポプラ社から出版されている。それらを参考にしながら、今回、新たに映像化されたのである。

 いまだに、ぼくの本棚にも「いしぶみ」がある。発刊当時のものだ。小学校の高学年だったぼくに、I先生がくださったもので、いまでも大事にしている。

 映画をきっかけに何十年ぶりかに読み直した。子供の時とは違って、いまは完全に親の目線で読むことになって涙を禁じえない。

 

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