カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の579件の記事

勇むこころ

 法座を前に散髪に行く。髪の毛が疎開して久しいが、少ないからこそまめにいかねばならないというまったくの矛盾がある。

 新型コロナの影響が話題があがる。コロナがあっても法座が開けていること、明後日からGo To トラベルで割安で大分に向うこと。記録的台風が接近中で開催を心配してることなどを話した。するとこんな反応があった。

 「そんなたいへんな中でも、開催しようとされたり、集まってこられる方があるというのは、とても有り難いことですね」と。

いや、まったくその通りだ。

 安易にリモートに逃げないで、台風のリスク、コロナのリスクも受けながら、開催して集まってくださる方があることが有り難い。 確かに、コロナや台風の影響で、参加者はとても少ない。普通の集まりなら中止という判断されるだろう。でも、たとえ一人でも二人でも法座を開き、居酒屋で懇親会までやるという。その心意気が尊い。ぼくも、人数の多少ではない。聞いてもらいたいと思う人もおられる。そうなると勇んでお参りさせてもらえるのだ。帰れなくなる場合の備え、翌日の宿も確認する。猛烈な台風の接近に予定どうり行き来できるのかという心配もある。

 それでも、共に仏法讃嘆させてもらいたいと、こころは勇んでいる。有り難いことである。

 

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親ごころ

 北海道に帰省していた連れ合いが、大きな荷物を引きづるように帰ってきた。

 当初は、都会からの帰省は止めるつもりだった。姉が東京で働いていることもあって、義母が迷っていたからだ。それでも、横浜にいる義姉の呼びかけでお盆をずらし、姉妹で戻ることになった。実家は、自然豊かな果樹園で、庭先にキツネやオコジョ、こんな立派な角をもったシカまで現われるようなところ。他の人への影響はないのだが、やはり高齢の両親が心配だったのだ。

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<ここが庭というのもすごいけど↑>

  連日38度越えの猛暑の京都から夜は肌寒い北海道。そして、留萌での超豪華ウニ丼(バフンウニ・5000円也!)と、短い間の北海道を満喫していた。

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<馬糞のネーミングはどうなの?↑>

 そして、抱えきれないほどの大量の北海道の幸を、カバンを引きずるようにもって帰って来た。スモモやブルベリーは本職だが、立派なきゅうりやなすびなどの野菜は、出発直前に線に庭からもいできたものだという。いや~有り難い。他にも、地元深川の名産品に、北海道の定番の土産が並ぶ。写真にはないか、山のようにお手製のパンや肉類もあった。いつも「車でなくて、飛行機なのよ」と困りながら、時間ギリギリまで荷物に詰め込まれて、時には追加料金が必要なほどものお土産。

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 親おもう こころにまさる 親ごころ

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手作り

 広島から戻ると、京都駅で母と長女、そして、高槻で、出産した娘と孫のお世話をしている姉と待ち合わせて、会食をした。実は、昨年も、広島カウンセリングWSあと、東本願寺前のお店で姉たちと食事をしているが、今年も、なぜかまったく同じ流れになった。顔ぶれは少しだけ違って、母と姉、ぼくの3名は同じだが、今年は北海道に帰省中の連れ合いに代わり長女が加わった。コロナ対策で、半個室になるお店を選んだ。しかもテープルの真ん中には、大きなパーティションがおかれていた。透明のアクリル板の仕切りで、課は見える。しかし横同士はいいが、向いの人には声が届きづらい。勢い大声になってしまう。壁で仕切られているのに、お隣のテーブルからの声がよく聴こえるという不思議な現象が、、。今は致し方はなしだな。

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 連れ合いの帰省で留守の間、長女が食事を作ってくれた。

 有り難いことに、ブラジルでは調理の専門学校に通っていたこともあって、料理は得意だ。時には、材料から作る本格派。前回までは、連れ合いが不在の時は、ぼくが用意していたのだから、すごい成長である。せめて片づけだけは父娘の共同作業で。

 食事以外にも、手作りのお菓子は趣味のようで、腕をふるってくれるのは、うれしい。

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<桃のパンナコッタ >

 長い海外生活で自転車、スマホ、PC買い物も多い。なにかとい何年か分を取り戻す日々。

 

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長女の帰宅

 ということで、めでたく2週間が経過して長女が帰宅してきた。1年半ぶりの再会だ。

 ブラジルの自宅を出て飛行機でサンパウロまで。ホテルで待機後、サンパウロからドイツはフランクフルトで乗り換え、日本の羽田まで。東京で、2週間お待機を経て、新幹線に乗って京都まで帰ってくる。自宅を出発してから19日間もの長旅だった。ある方が「ひとりでの大冒険だったですね」といわれたが、確かに、普段なら経験できないことの連続だったようだ。

 しかし、ほんとうにたいへんなのはこれからだ。生まれ育った場所とはいえ、ぼくたち夫婦にとっても新しい関係での、新しい生活様式が始まるのだ。

 とはいっても、親子とは不思議なもので、離れていても、顔をみたらサッーとブランクが戻ていった。

 さあ、これからが楽しみでもあり、ちょっぴり心配でもありだ。皆さん、どうぞ、よろしくお願いいたします💥


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厚生労働省から…

 子供がブラジルから日本に帰国後、3日後頃だったと思うが、コンピューターの合成声が「厚生労働省」を名乗る電話がかかる。予期しておらず、新手のコロナ便乗の詐欺の類ではないかという警戒もあっ、最初は戸惑ったが、帰国者とその同居の家族の健康状態を問合わせる電話だった。同時に、所在の確認もしているのだろう。

「体温37・5分以上の者はいないか」、「せきなどの体調不調はないか」の2問だけを問いかけ、「はい、いいえ」で答えるのた。本人は、公共交通機関が使えないので、東京のウィークリーマンションに自主隔離中だが、電話がないのでここが連絡先になっていた。体の状態はのことは逐一聞いているので、家族が代わって答えていく。

 その後、毎日電話があった。最初は、昼12時40分ころだったが、なぜか、毎日5~10分ほど早くなって、このところ11時過ぎに電話がかかっくる。それも月曜日まで。

 2週間は、長いようで、あっという間に過ぎ去った。人生もかくのごとし。

 

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帰国!

 とにかく最後まで心配だった。まず飛行機が飛ぶのか。帰国後もPCRの結果は? 公共機関を使わないで無事に宿に入れるのか。などなど、簡単にはいかなかったが、とにかく無事に、長女がブラジルから日本に戻ってきた。

 このコロナ騷動下、感染拡大が続くブラジルからの帰国。予定日の飛行機は飛ばず延期となったが、別ルートでの飛行機になった。でもいつもどおりとはいかない。関空便はなくなり羽田到着。帰国後も、空港でのPCR検査後、14日間は自主隔離が要請されて、その間、新幹線や電車を含むすべての交通機関の使用を自粛が求めれている。自家用車で迎えに行き、自宅隔離も検討したが、もしもの時のリスクは大きい。会館には人の出入りもあるからだ。

 まずはブラジルの自宅を出てサンバウロまで飛行機で飛んで、そこで2日間待機。12時間かけてドイツ・フランクフルトへ。そこで乗り換えて、また12時間かけて東京羽田までのフライトである。無事にブラジルを出発しても、ドイツからの便が欠航するリスクも充分ある。念のため、ブラジルの母親はサンパウロに留まって、フランクフルト発まで待機してくれていた。

 羽田に到着後も、どうなるかは分からない。空港でのPCR検査の結果が分かるのは、当日か、翌日か、または2日間待たされることもある。万が一、陽性の時もある。陰性の場合でも、その後、2週間の自主待機は宿泊も交通も自前で準備しないといけない。連れ合いが、何度もブラジルと連絡を取り合って、日本国内の宿泊場所、交通、少しでも快適な方法はないか考えてくれた。それでも、当日でないと分からない不確定要素が多く、到着後も二転三転。宿の変更や、交通機関の変更などの手配をすべてやってくれた。

 トラブルもあった。ブラジルの出発が大幅に遅れ、ドイツでの乗り継ぎがギリギリになった影響で、一緒に飛んでくる荷物(スーツケース二個)が、フランクフルトで乗り遅れたようだ。行方不明にはなっておらず、数日以内に宿に届くようだが、2週間分の生活必需品も入っているので、しばらくは生活も少し不自由だ。しかし、ブラジルのお寺を出発してから、4日間を費やしたのだ。ドッと疲れたようだが、いまは独り暮らしを楽しんでいる樣子で、ひと安心。

 再会は、2週間後の楽しみだ!

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3度目の新月断食

 コロナ自粛から始まった新習慣、月一度の新月の日、断食である。

 いつものように断食を始める前は、憂うつになる。「なんかもういいかなー」とポソッと連れ合いに言ったりもした。でも、始まったら、それほどのことなはい。断食はいいいことだらけだ。食費はかからず、料理の手間は入らず、洗い物もない。時間も浮けば、食後の疲れで眠くなったりもしない。そして、翌日の体重は、1㎏以上のマイナスになっている(ただしこれは数日以内にもとに戻る)。しかし、それでも始まる前はなんなく躊躇する。決して空腹に堪えられないということはない。正直、ぼくには1日くらいでは大して空腹感はおこらず、お腹がすいてイライラするとか、眠れないとかもない(むしろよく眠れる)。だがら、断食明けの翌朝、「この調子なら、もう一日くらい平気だよね」と会話している。

 が、それでももう1日続けて断食はしない。なんとなく寂しいからである。

 たとえば、毎朝、コーヒーを淹れ、一口だけ甘いものを食べる。それは、クーキーやビスケットの1、2枚か、チョコレートの1、2カケラという程度で、空腹を満たすということより、ほんの少し甘いものを口にして、幸福感を味わうのである。そして、それが習慣として根付いているのだが、この習慣というのか厄介だ。それがないとなんとなく落ち着かないのだ。それは、夕食時の晩酌も同じ。酒飲みは、甘党てはなく左党というけれども、ビールや日本酒の正体は果糖なのだから、やはりこれも同じことだ。加えてアルコールの効果も大きいのだろう。

 そのアルコール依存(昔は、中毒)が厄介なことは誰でも分かる問題だが、あまり問題にならず厄介なのが、果糖依存(中毒)である。単に生活習慣病だけの問題ではない。人間が生きる意欲やエネルギーを削ぎ、考える力や精神性にまで影響を与えている、現代の大問題である。

 ところで、食べるということは何かとつながることではないか。だいたい口というのは面白い器官で、耳や鼻(穴)、目は、二つあっても役割は一つなのに、口は一つしかないのに、三つの役割を担っている。食べること、話すこと、そして触れること(性交)の3つもある。よく考えたら、その3つとも、自分以外の外部とつながる手段でもある。食べることは、異物を自分の中に丸ごと取り込み、それをエネルギーにする、私が生きるために必要不可欠なたいへんな行為なのであるが、いまは単に生きるための最低限の意味よりも、豊かさを求め、または寂しさを紛らわすために行っている。だから、単にお腹を膨らますのではなく、味わうのである。この味わうことがいかに大きいか。同時に、誰と食事をするのかも大きい。これもたいせつなコミニケーションの手段となり、孤食や拒食の問題ともつながっている。意識してければ当たり前だが、食は非常に深い意味があるなー。なんかここをもう少し深く考えたら、ブチ法話ができるような気がした。そんな効果もある新月断食。初めた以上、一年間は試してみたい。

 

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「不要・不急」とは何か

 夕刊に、アベノのマスクの配布が全国で完了とあった。
 その新聞と一緒に、マスクが届いていた。ということは、これが最後の最後ということだ。

 もう世間で、マスク不足は解消されている。

 こういうことを、「不要・不急」っと言うんだと、教えてくださいます。

 京都市から国の一律10万円の給付金の申請用紙も5日前にやっとこさ届いて、返送したばかり。

 今日は、京都府休業要請対象事業者支援給付金(長~い)の手続きの最終日。ネットではなく郵送をする。
 これでやれるべきことはすべてやった。あとは待つだけ。

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唯除(3)~今生バージョン

 新型コロナの影響で、永代経を始め大きな行事は延期、支部法座も寺院布教もすべて中止になって、4月、5月は、前年の同時期の収入の半分以下に落ち込んだ。売り上げが50%以下となった中小事業所は、持続化給付金の申請ができる。しかし宗教法人に関しては賛否両論があって、結局、見送りとなった。いまのところ雇用も守られているので雇用助成金も不要で、いただけるものがあればいただこうという、さもしい凡夫の根性は見事に砕かれたのである。

 持続化給付金の対象外について、京都仏教会が声明を出したという。それが

 「給付金対象から宗教法人は除外すべきだ」というのである。

 意外な気がした。除外せずに援助すべき、かと思ったら、逆だったのだ。声明の意図は、だいたい次のようだ。宗教法人に関する公金の支出が、宗教に対する援助や助成の促進につながり、憲法第20条3項、第89条に違反するからというのである。要は、公権力による介入を防ぎ、信教の自由をまもるという意味である。
 
 ああ、唯除されているのだなーと思った。でもこの唯除もまた有り難い。宗教法人は税務上での優遇措置を受けているのも、信教の自由、こころの問題への課税に絡んでいるからである。そうである以上、ここで援助が唯除されていることも、国家が宗教に対して口をださないことへの担保なのであって、その意味ではたいへん有り難いことなのである。

 京都仏教会の声明はこうも述べている。

「寺院の大多数は檀信徒の布施寄進に依存しており、営業自粛で特に大きな影響を受けた事業者に該当しない」。

 ところで、京都仏教会の中心は、超有名な観光寺院だ。それは名だたる多くの国宝・重文級の文化財を抱えている寺院である。このような宗教と国家の関係について立派な声明をだされたのだが、文化財の名においては(文化財指定が条件だが)、国からの補助金を受けおられるのだ。確かに国宝級の文化財の修復には莫大な費用がかかり、国家をあげて人類の宝を護ることは当然ではある。がしかし、信者が集う本堂や礼拝の対象である本尊は、まさにその宗教の目に見える形での本丸ではないのか。もし今回の仏教会の立派な表明の筋を通すならば、信仰対象である本堂や本尊も檀信徒の力だけで頑張って護るべきであって(できないのなら信仰の力の限界)、そこで筋を通す姿勢こそ、われわれ弱小零細寺院の模範となると思うのだが、、。本音と建前は違うのだろうな。

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気持ちは分かる!

 自粛生活が続くなかで、意外なものが売れているというネットニュース。巣籠もりで、ゲーム(特に任天堂のあつ森)が売れるのは分かる。粉者関連(たこ焼きやお好み焼きなどのグッズ)も分かる。除菌グッズや衛生関連も分かる。一人でも、家族でも楽しめたり、身を守ったりするものなのだ。しかし意外なものではない。

 意外なものの正体とは……。

 「男性用カツラ」 

 何故? 売り上げが伸びる理由、皆さんは分かります? 自粛中で人に会うことも少ない。飲み会もない…。いまさら奥さんに隠す必要もない。それなのに何故? その意外な理由は、

「zoomやskypeなどのリモート会議が増えたこと」。

 えーどうして? 人に会わないのに。がしかし、実際にzoomやskypeでの長時間の会議をやった人は、うすうす実感する。

 そう、zoomやskypeでは、相手だけではない、自分の姿も同じように映っているのだ。日頃の集りや会議では、目の前の人は分かるが、自分の姿は見えない。だから、人のことをあれこれ言える。目は、外を見るようについているからだ。

 人は、毎日、鏡は見る。しかし、そのときはすました顔をする。そして薄くなっていることに気付いていても、見て見ぬふりができるのである。そう、事実であっても、都合の悪いことは、ないことにできるのである。

 しかし、zoomやskypeでは、他人と同じように、自分の発言している姿も、退屈そうに人の話を聞いている姿も、平等に映しだされる。しかも瞬間ではない。2時間でも、3時間でもありありと映し出されるのだ。嫌なものだ。

 い~や、この気持ち、痛いほど分かる。

 しかし連れ合いが言った。

「でも昨日のリモート会議で禿げてた人が、突然、フサフサになったらおかしくないか」

 その通り。こんな滑稽な話はない。

 人は、他人の目を気にしている。しかし、結局、その他人の目とは、自分が「人の目に映っている自分」を気にしているのである。要は、他人ではない、すべて自分の気持ちの問題なのだ。

 あれ、これって聞法でも同じじゃないですか?

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