元旦
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2月の北海道旅行で、ブログが止まってしまった。真冬の北海道から連日の猛暑日である。ここ2~3年、停滞気味ブログではあったが、ここまでの長期の離脱は初めてで、このまま終わった方が楽な気もする。もう役割は終わったのかもしれないね。
この冬は、何かと億劫な感じが味わっていた。これはここ数年感じてきたことが、還暦を過ぎた歳のせいもあろう。加えて、煩わしい事務手続きが増えてきている。デジタル化で、大目に観られていたことが厳密に適用され、書類作製が増えた。それもネットで処理やスマホがなければできないこともある。この流れは、個人でも法人でも加速化されていくのは必然であろう。華光の活動自体も多岐に渡ったり、事務量が増えているのも確かであり、そんなこんなでバタバタと慌ただしくて、なかなかプログに向えなかった。
味わうことは種々増えている。学べ学ぶほど気づくことも多い。法座でもさまざまな気づきをいただいている。そのあたりをもっと言葉にしたいとも思う。何度か、再開を考えていたが、一つが踏み出せずにいた。それが、7月末に、初のミニカン実習合宿を行ない、20数年ぶりに逐語録を作製をした。クライエント役で、今の億劫な感じを言葉にしてみたら、億劫さは相変わらずだが、何事も少しずつ動いていこうという気になった。
ということで、ブログの再開を決めた次第である。
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修正会が終わると、以前は、名古屋の姉一家も交えて外食に出ていたが、コロナ以降は止めにしている。母も高齢になり夜の外食もたいへんになってきてた。今夜は、いただきものの高級牛肉ですき焼きを、みんなで食べた。
2日目のお昼まで5名でお膳を囲んだが、昼から連れ合いは、北海道に帰省した。娘たちは、友達と遊びに出かけて滋賀県に行くもお、飲食店のバイトで、新規店のヘルプで広島出張に出かけていくものと、それぞれである。
正月3日からは、京都、滋賀、広島、北海道と、別々の場所で過ごすことになった。結果、ぼくは、正月のお雑煮やおせちを食べきる担当となった。年末年始、連れ合いと七が体調(コロナではなくよかったが)を崩したこともあり、例年以上に食べるもののが多くて頑張らなくはならない。足の早いものは、匂いをかぎなら、食べたり、(勿体ないが)捨てるものもある。例年のことではあるか、今年はかなり苦戦した。5日目になると、無の境地で使命を果たしていった。御馳走なのではあるが、勿体ないことである。
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メキシコ料理店でバイトしている次女が、皆に、お店のCMをしている。お客が少なくなって、バイトの機会が減っているからだ。今は、別のお店(BAR)で勤め出したが、ここのお店が気に入っていて、法座にお参りの方にも盛んに営業活動をしている。小さな時からうまくお願い事をするのが得意で、この子らしさでもある。
ちょうど関西での仕事に合せ、横浜から参加されていたOさんが、もう1泊して日髙支部法座にも参加されるということで、今夜はこのお店に行くことを約束をさせられていた。いやいや、ご無理をいいます。あまり呑まない彼をお一人で行かせるのは申し訳なくなって、結局、ぼくたち夫婦もご一緒することになった。まんまと子供の策略にはまってしまった。
メキシコ料理なので、今夜はテキーラを呑んだ。テキーラがサボテンのお酒でないことを知った。
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朝から雨が降っている。着付教室に出かけていた連れ合いを京都駅前で拾って、そのまま二人で本願寺聞法会館に出向いた。
「北海道・笹の墓標展示館」の全国巡回展の京都会場(本願寺聞法会館)の初日に合せて、追悼法要が営まれる。ぼくも法中として法要に参列。導師が、昔からよく知る信楽ゼミの大先輩である。他に、浄土宗西山派の僧侶がお二人、浄土真宗は本願寺派と大谷派の僧侶が各一名。宗派は違うが共通の経典がある。『阿弥陀経』という話もでたが、呉音と漢音(かんのん)違いがあるので、『重誓偈』(浄土宗は『四誓偈』、大谷派『三誓偈』)が勤まる。表白から始まり粛々と進む。
法要の後、しばらく毛利悠先生と歓談。その後、連れ合いがお世話になってきた宗平協(宗教者平和協議会)の方に引き合わせてもらう。聖護院門跡の宮城泰年先生も、今週はここに助っ人にお出でなるのだが、残念ながら今日はお会い。
これまで体験することのなかったこと、会うことのない方々の出会いもあって、不思議な気分で帰宅する。
夕方、突然の訪問者がある。これまで2度(その方のお父さん(ぼくには父親と同世代の遭った事のない従兄弟)のご往生の時にお世話するご縁)で会ったきりの親戚が訪ねてくる。「ああ、こんな頼みごともあるのね」とまたまた驚いたが、これもなにかのご因縁なのだろうからと引き受ける事にしたが、ほんとうに大丈夫かは不安。まったく予想外のことでかなり驚いた。
そんな気持ちのまま、次女の誕生日に祝いを兼ねて家族で会食する。場所は、親鸞聖人の霊夢の地、六角堂のビルで、エレベーターから六角堂を眺められる。ライトアッされた六角堂を、不思議な気分で眺める。
なんか朝から晩まで不思議な1日が終わった。
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久方ぶりに夫婦で結婚式(披露宴)にお招き頂いた。しかも200名を超える大きな式である。コロナ禍で、披露宴が中止や延期となったニュースをよく聞いたが、今はコロナ対応をしながら大規模な式も行なわれるようになっていた。
新郎・新婦とも20代前半。新婦は大学卒業を待っての式なので、参列者の大半が20代の若者。新郎側はお寺関係の方が多く、地元のお寺さんや役員さんで顔見知り方ばかりで、懐かしい方との再開もあった。
連れ合いは、2年間通い続けている着物(着付)教室の成果を発揮して、着付けをして列席することになった。いわば公式戦初デビューだ。でも、それを決定するまでは紆余曲折。決まってからも特訓、特訓の日々で、結構大変だった。稽古も大切だが、実践、本番の席を経験しないと力は付かない。経験こそが自信につながることを、身をもって教えてくれた。
ぼくはぼくで、仲人のお隣の主賓席で、両家に向けてのあいさつだと会場で頼まれた。スピーチ依頼はあったけれど、よもやの大役である。新婦は初対面だし、新郎とは、何度か酒を酌み交わすしてはいるが、それほど親しくしている気持ちがない。ほとんどがお父様とのご縁である。とはいっても、その父親のことはよく知っているのかといえば、知っているようで知っていない。そう問うていくと、隣に座っている連れ合いのことが分かっているのか。結局、どれだけ、どけで出会っているのか。表面的なことは言えても芯のところでの出会いである。そして、ご法の上での出会いとなると、新郎との出会いはまだこれからだ。ということで、率直にその思いを述べた。新郎は新郎なりのご法の喜びをもっているし、自分を開きうち出せる力ももった希有な人である。だから、檀家さんたちはその姿を喜び、涙する。が、そご縁を離れた、真の仏法の喜びとなるとどうか。そこのところで出会えたとは思えないので、祝福の席だからこそ率直にそう述べさせてもらった。ぜひ、伴侶を得た節目に、真摯な仏道を歩んでほしい。それ以外に、ぼくが彼に贈る祝福の言葉はなかった。南無阿弥陀仏
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あっちこっちと飛び回っていた4日間が過ぎたが、華光誌発送の準備がある。月末に発行を控えているからだ。朝、ご示談の申し入れがある。自分が安心したいだけじゃないのかと思ったが、「それだけではない。今度は仏様から押し出されている」とのこと。午後一番で、納車の約束があったので、夕方から受けることにした。こちらにお出でになると思っていたら、ZOOMがいいという。まあ、この時点でこちらの意欲は少し萎えてきた。でも、ご示談の内容は有り難かった。詳細は述べないが、こうして自分の心に捕らわれて迷っていくのだなー。仰せや教えを、都合よく持ちかえ、解釈していく迷いの恐ろしい姿を、これでもか、これでもかというほど見せていただいた。ほんとうにお芝居をして、自力の執心の根強さを、私にご教示くださっているかのようだ。
9月は慌ただしく過ぎていた。高山法座の後も、新車の納入にご示談、そして、水曜日の「華光誌輪読法座」、木曜日の「80-4号の華光誌」の発送作業、そして金曜日は年度末(9月末)の〆日と行事や事務作業が続いた。
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