カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の603件の記事

迎春

 映画館の帰り、勤行用の書籍を買うために西本願寺に立ち寄る。

 「迎春」の字が踊る。

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 今、西本願寺とお隣の興正寺は、改修工事中だ。本願寺さんは、来る親鸞聖人ご誕生八百五十年、立教開宗八百年にあたり、阿弥陀堂を改修中。今は阿弥陀堂内に入ることはできるが、それもまもなくのことで、しばらくは閉鎖される。

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 阿弥陀堂から御影堂の中央にご本尊の阿弥陀如来立像が移られ、親鸞聖人は脇に移動中である。一般寺院の内陣と同じなのだが、「見真」の扁額の中に阿弥陀如来像が拝めるのも、今だけのこと。

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新春新月断食

年末、連れ合いと、娘がお節料理を造っている。昨年までは、既製のものを買っていたが、今年は、少量でいいので、母も含め、みんなで少しずつでも造ることにしたのだ。一番、張り切っていたのは娘で、特に、お重に詰める作業は楽しかったようだ。

 お雑煮は、元旦は、京都風で白味噌に、丸餅、そこに金時人参や大根が入る。何故か2日目は、すましで、穴子と牡蠣が入り、3日目は、また元旦に戻るということにてっている。

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<元旦のお雑煮>
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<2日のお雑煮>

 1月3日は新月、三が日に新月断食の日が回ってくる。でも、三ケ日は、お正月のご馳走を食べたい。それで、断食を4日に延ばそうと思った。予定した。ところが、2日の昼頃からお腹の調子がよくない。下痢ではないが不調。北海道に帰省中の連れ合いに代わり、娘が食事を作ってくれるが、暦どおり新月断食をすることにした。

 夜、映画館から戻ってくると、母と娘がおいしそうに食べている。でも、こちらに食欲がない。お腹の調子を戻す感じがして、この2年間で、一番楽な断食日となった。

 翌日、用心気味に食べたのに、夕方から下痢となる。冷えが大きいのだろう。といことで、もう一度、断食をすることにした。といっても、今度はプチで、朝、昼を食べなかった。おかげで徐々に回復に向う。

 「食べない」(食べなくてもいい)という選択が加わったことは大きい。

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忘年会

 恒例の元日の会食はなくなったので、年末に、連れ合いと子供の3名だけで忘年会を行った。

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 八坂の塔から高台寺を通って、石塀小路へ。少し人出は戻ってきたとはいえまだ少ない。でもこの界隈は、着物姿で散策している観光客が多かった。石塀小路まで行くと、もともと静かな界隈ではあるが、すれ違う人もない。

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 別に忘年会といっても、今年も振り返ることもなく、1月にやってくる一大イベントについて少し話した。たぶん、来年はそれにともなう種々の問題で、きっと心悩まされることも増えるであろう。もちろん、先のことは未定なので何が起こるかは分からないが、業なれば受けていかねばならない。

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 それにしても今年もコロナに振り回された1年で、実にいろいろなことがあった。さまざまな出来事、出会い、別れ、それにともなう種々の気持ちや思いを経験させてもらった。
 それでも、最後には、常に一味のお念仏にかえられせていただくのである。南無阿弥陀仏

 

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全休

 11月のブログを全休した。全休は10年以上ぶりか。

 しかし、11月にブログを書かなかったわけではない。11月に入って、ノロノロと10月後半の法座に触れていたのだ。そのうちに遅れすぎて、あズルズルと時間が過ぎてたしまった。

 もう一つは、11月の法座の印象が強すぎて、言葉にしづらかったのもある。

 特に強烈だったのが日高支部法座、面白かった報恩講の寺院布教。が、何もよりも華光大会の3日間の感銘深かった。分科会からの3日目の朝座の分級座談会の流れも、キリキリと突き刺さる痛みを伴っていて、しんどかったが、同時に感じるところ大である。目が覚めたといっもいい。
 他にも、輪読法座、仏書に親しむ会、聖典講座、大阪支部と続いて、触れておかねばらないことが多すぎて、逆に書けなかったのだ。

 12月に入っても更新できないでいた。今度は華光誌の編集に追われていたのだ。年末は〆切日が厳しい。そこに年賀交換の作業がある。加えて寺院布教を含む法座日程の関係で、いつもよりも早く手渡しする予定になっていたからだ。

  頑張った甲斐あって、おかげさまで無事に山を超えることができた。

 明日からも、岐阜のお寺を会所とした東海支部法座、そして3日間の寺院布教(報恩講)、カウンセリング研究会、そして12月の聖典講座と続いていく。

 ということで、久しぶりに声をだすことが出来ました。

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箸休め

 10月に入り、京都も緊急事態宣言が解除され、お店でアルコールがお店でも飲めるようになった。感染者は減り続け、府独自の時短要請、もうしばらくで全面解除になる。

 会計の話が終わり、Y先生を誘って烏丸御池の「じじばば・木馬亭」へ。コロナ禍の間はご無沙汰だったので約2年ぶりか。Yさんは1週間ぶりだと言っている。ぼくより九州の方が常連になっておられた。例によって楽しくお酒飲んで、いろいろと雑談に花を咲かせた。もう1軒行こうと言うことになった。梯子酒は久しぶりだー。だが次のbarは断れたので、9月末にオープンしたばかりの韓国居酒屋に入る。
 ただ前の店で何を話したかはよく覚えているが、この店で話したことは見事に何も覚えていない。大したことを話していなかったのだと思うが、久しぶりに酔っぱらった。 

 ブログが停滞して厳しめの法座の話題ばかり続くので、ちょっと箸休め。

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<マッコリ、小学生の時の給食を思いだす>

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水浸し

  朝、2度目の洗濯機を回し終えた頃、連れ合いの叫び声が聴こえた。覗きに行くと、洗濯の排水が出来ずに、部屋中が水浸しになっている。
   
 洗濯機の排水管が外れていないので、原因は外だ。4~5年前にあったことなので、外の下水管につながる排水口を見ると、やはり汚水が流れずに一杯になっている。元が詰まっていては、いくら流しても流れはずはなく、流した分だけすぐに溢れたようだ。

 急いで濡れた荷物を動かす。大きな段ボールに2箱が、底が水浸しだ。中身と、法座や法話関係の未整理の書類。慌てて取り出し、広げると部屋は書類だらけになった。底が濡れた書棚を動かすのに、中身も取り出さねばならない。法座を前に予定外の事態である。

 水が使えないことほど不自由なことはない。ちょうど和歌山市の水道管事故のニュースをやっいていた。水が出ない不便さは想像できるが、水が出るのに使えなくなる事態は思いもよらなかった。入れることばかりに大切にしても、しっかり出すほうも同じだけ大事だということだ。業者の到着は、昼をかなり回るという。水が使えないと、食事は造りないので、お昼は外食をすることにした。
 
 連れ合いは法座を欠席して対応に追われていた。駆けつけた業者によって、この数年でたまりにたまったヘドロをかき出してもらって、元通り使えるようになった。すべて普段の生活からでた垢である。

 目には見えていないだけで、アスファルトの下に、無数の水道管や下水管、ガス管などが十重二十重に巡らせられているという、当たり前に気づかされた。東京都の水道管だけでも地球を何周もするとテレビで言っていた。下水が溢れたことで、日ごろは見ていない地下の下水管の存在に気づかされた。見えないところで巡られていて、そこに日ごろ少しずつ少しずつ暮らしの中で出る垢が、たまりにたまってたいへんなことになるのである。まるで私の業と同じではないか。日ごろ厚く飾って隠されているのだが、そこに毎日毎日、業の種子を貯めていくるである。そして、何か事が起こったなら、すぐ溢れだして、自分のことでありながら自分でも手がつけられない事態を起こすのである。必ず、最後に、この人生の総決算をしなければならない時がやってくるのだから、ほんとうに恐ろしい。

 排水は直ったが、書棚を動かしたり、広げた書類を整理する作業が、待ち構えていた。二人とも疲労困憊で、夕食も外食となり、久々に「来人」で飲んだ。ほぼ1年ぶりかな~
 

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通夜~素晴らしい法名~

 華光の先輩同人が、また一人ご往生された。ZOOM法座を終えて、大阪で開かれたお通夜にお参りする。仏法聴聞の上でも、ご相続やお勧めの上からも、またカウンセラーの資格を取得された学びの上からも、華光同人のお手本のような存在であった。

 世間的に言っても、生きざまも、その死にざまも、まったく見事な100歳での大往生だ。しかし真宗の上からはもっと深い意味がある。長寿であったことや、死にぎわの見事さではなく、平生、元気を時に、しっかりとお念仏に会われて業魂のお葬式をすませたお方、つまり平生業成の人が、ついに往生の素懐をとげられたのであるから、ほんとうの意味での往生「おめでとうございます」である。

 法名は、「諦聴院 釈尼聰耳」。いやこれには参った。これほど見事に、故人の生きざまを現わした法名があろうか。

 まず院号の「諦聴」とは、釈尊がこれから大切なご説法が始まるぞ「諦かに聴け」と、キーとなるお言葉を発せられる。たとえば、『観経』第七華座観では、難しい定善のご説法が続く中で思わず居眠りをされていた韋提希夫人に、お釈迦様が、「諦聴(たいちょう)、諦聴」と揺り起こされる。「諦(あき)らかに聴け、諦(あき)らかに聴け。これから汝がために苦悩を除く法を説くぞ」と宣言されると、お釈迦様が消えて、目の前に阿弥陀様が立ち上がられるのである。

 また法名の「聰耳」も見事だ。俗名の聰の一字に耳を加えられたものである。これは聖徳太子の別名である「豊聰耳命(とよさとのみみのみこと)」から「聰耳」とされたのだろうが、また他力によって頂いた聴く耳を現わす言葉ではないか。それにしても、仏法を聴聞の上でも、またカウンセリングで聞く耳を育まれた故人には、最高のご法名である。

 ご法話も、故人に対する種々の暖かい思い出と共に、一番大切なのは、ほんとうに仏法を喜ぶ身となったか。もしそうでなければ、なんのための人生なのか。空しすぎるぞ。故人は、仏法を決して押しつけたり、厭味にもせず、それでいてブレることなく、要所、要所で語られた仏法聴聞へのお心を、時に厳しくお伝えくださった。参列のお子さまも、お孫さまもすべてが、仏の子供大会でご縁のあった方々で、再会が懐かしくもあった。同時に、ぜひもう一歩出たご聴聞を願わずにはおれなかった。南無阿弥陀仏

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スコール?

 ここ数日、大気が不安定な日が続く。近畿地方は、連日、激しい雷雨に見舞われている。雨は一時だけで、しかも局地的、それでも降れば激しい。

 夕方、散歩に出かける。東寺まで歩いて、蓮を愛でた。

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  妄念のうちより申しいだしける念仏は、濁りに染まぬ蓮のごとくにて、決定往生疑いあるべからず  横川法語

 帰路、もう家まで5、6分のところで雷が鳴りだす。急ぎ足で進むも、大粒の雨が降りだし、突然、雨足が強くなってきた。激しい雷雨。怖くなって軒下で雨宿りするが、横からも雨が入っきて、ずぶ濡れになる。しばらく待っていたが止みそうもない。道路が川のようだ。すでにずぶ濡れなので雨の中を強行突破することにした。傘も役立たない。結局、帰宅して30分ほどで雨は止んだが、まるで南国のスコールのようだった。これも気象変動の一貫なのだろう。

 もうしばらくこの状態が続きそうで、梅雨明けは週明けにあるのだろうか。

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誕生日

 7月4日、アメリカの独立記念日が連れ合いのうん十歳の誕生日だ。
一緒にお祝いをするようになって、7回目。まだ7回目なのか、もう7回目なのかという感じはする。

 カリフォルニアに住むK夫妻から、お祝いメールをいただく。やはり7月4日に絡んで覚えてくださっていたようだ。実家が果樹園という共通のルーツをもっておられて、聞法旅行の時には、北海道の実家に寄ってもらったこともある。

 法座で留守をしていたので、翌日、子供がケーキを造ってくれて、みんなでお祝いをした。

 おめでとう。

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リモート同窓会、いや同僧会か

 2年に一度、大学の同窓会がある。同期入学の真宗学専攻の人達で、完全に同僧会である。今年は、還暦祝いを予ていたが、コロナ感染拡大で、早めに中止が決まった。もし開催されていても、緊急事態が発令中の京都ではアルコールは飲めなかった。

 その代わりに、リモート(zoom)同窓会が開かれることになった。この年代は、ネットに強いものいれば、苦手という方もあるが、20名ほどが集った。ぼくはリモート飲み会は久しぶりだ。昨年の今頃は、珍しさもあって何度か開いていたが、物足りなさもあってほぼやらなくなっていた。

 今回面白かったのは飲む人が多かったことだ。おかげで、酔っぱらいが出てきたら、よく分からない話を聞かされたり、話者が固定してしまったが、リモート飲み会でも、本気で飲まないと面白くない。司会者もなく、また同窓生でも、「初めまして」という方もある。リモートでは話し出すタイミングが難しかった。ブレークタイムなどを使ったりするのも手だなと思いながら、それでも3時間近く付き合ってお開きになった。だいだいはたわいない話だが、中には刺激を受ける話も出たりしていた。

 同じ時間帯、隣室では、連れ合いも先日の劇団公演の打ち上げでをしていてリモート(zoom)飲み会中。例によって、彼女はしっかり酔ってましたが、これが飲み会の正しい姿。

 来年は、ぜひ、リアルで集まりたいものだ。 

 

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