カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の533件の記事

賑やかなお正月

 今年は、元日となった。

 2年ぶりにブラジルから子供が帰ってきている。

Img_9991 それに加えて、15年ぶりに新メンバーが加わったのだ。5月5日に誕生したJ君である。子供たちは、赤ちゃんが可愛くて仕方がない。Img_9989ところが一方、春には高校生になる下の子が、生まれたばかりの赤ちゃんに嫉妬しているのが、おかしかった。

 「私が、一番の人気者でいたい」というのだが、おばあちゃんも、みんなも、赤ちゃんに対するImg_0016_2顔つきや声がまったく違うというのである。まあ、それは仕方ないことだ。長らく、一番の末っ子で、大人に可愛がってもらっていたのだが、その地位を譲ることに寂しさがあったのだろう。

 でも、そんなことを率直に、またお笑いに話せる力がこの子にはある。

  そして今日は、おしとやかに着物姿で、先斗町へ。

 

 

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迎春

恭 賀 新 年

Img_9971昨年はいろいろとお世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願いします。

京都は穏やかな新春を迎えております。
我が家も、子供たちと賑やかなお正月です。

ここ数年、遅れ気味のかりもんブログですが、本年もどうぞよろしくおつきあいください。

  「『迎』はむかふるといふ、まつといふ、
    他力をあらはすこころなり」 (唯信抄文意)

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りんごの香り

北海道の連れ合いの実家から、りんごが届く。

といっても、荻原果樹園のものではない。たくさんあったりんごの木はすべて切られて、りんご園は終わってしまったからだ。後継者がないからだ。

これは、近くに住む「三女」といわれる方のところのもの。遠く離れた実の娘よりも、ずっと親孝行で、たよりになる娘さんのようだ。

四種類ほどのりんごが詰め合わされている。

ダンボールをおいてるだけで、甘酸っぱい匂いが部屋一杯に広がっていく。
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お見舞い

京都の同人が仕事中に骨折された。

京都第一日赤は、ぼくの馴染みが深い。ぼくはここで生まれ、また父が死んだところでもある。高校時代、この病院の横の道を東福寺に向かって学校に通っていたので、毎日のように見ていた。

脊髄を骨折されていた。もしかすると車イスや寝たっきりになられるかもてしれないという情報が入ってくる。ご本人は同人会MLにその経過を逐一報告されているので、状況はだいたい理解できていた。さすがに手術の前は不安そうだった。

幸い、手術は成功し、結果はとても良好だったようだ。もう明日、退院だといのうだ。

見た目は、まったく元気で驚いた。てっきり包帯やギブスでグルグル巻の状態を想像していたからだ。ただ胴にコルセットをされているだけなので服を羽織ったら、ケガ人のようには見えないのだ。歩くことも、食べることも普段ようにされているが、力仕事はもう難しいと言われていた。

「目が覚めたらもう終わっていて、あっという間でした」

と言われたのが、どこかおかしかった。麻酔で眠っていたので、実際はあっという間かどうかは分からない。自分の実感としては一瞬だっただけだか、凡夫は自分の実感のところでしか感じられないということだ。

退院の2日後の聖典講座にお参りされていた。またびっくりである。

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「日本の国体と憲法九条」~白井聡氏の講演

Img_8155   西本願寺系の「念仏者九条の会」と「大谷派九条の会」の合同全国集会が、七条油小路の「同朋研修センター」であった。

 講師は、京都精華大学の白井聡氏。永続敗戦論で名を馳せた新進気鋭の政治学者である。今月、彼も出演している『国家主義の誘惑』というドキュメンター映画を見たところで、講演を楽しみにしていImg_8153た。

 テーマは、「日本の国体と憲法九条」と題した講演。
 
 国体の維持は、戦前なら天皇制であり、それが戦後、国体維持のために、憲法九条とアメリカ従属の道を歩むことになるのだが、結局、天皇よりアメリカがその上位にきた必然的な背景を聞かせていただいた。敗戦直後に、アメリカにつくか、ソ連につくか(中立もあるImg_8154が現実的は難しい)の中で、アメリカ側に付いことはある意味よかったかもしれない。世界最大の経済大国、軍事大国、超大国のアメリカに依存しない国はないといってもいいのだが、日本の従属はきわめて異常であり、腐りきっているというのだ。属国扱いで、日本に主権がないにもかかわらず(沖縄の基地題吉を見ればよくわかる。いくら民意でNOと示されても別の力が働く)、とても自由で、民主的な国だと錯覚し、自分の力で知ろうとしない、今日の日本人のありようを「蟻以下だ」と断罪されるなど、歯に衣着せぬ言動が、なかなか心地よかった。

 今年も、いろいろな講義や講演を聞いてきたが、浄土真宗の集いなのに、もっとも今生的なきな臭い話題だったのが、なんとも妙で、また面白いところ。このブログでの「カテゴリー」も、法座や法味ではなく、日記・コラムの項目にした。

 

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メガネ

 2カ月ほど前、懇親会で、元連れ合いが持参したブラジルの強烈なお酒を呑んでいたら、突然、メガネが折れた。おお、ブラジルからの呪いなのか。びっくりしたが、代わりのメガネで過ごしていたが、どうも片方が見づらい。PCを見たり原稿をチャックすることが多いので、緩めの度数にしてもらっていたからだ。
 最近は、コンタトクが主になっていることもあって、10年ぶりぐらいにメガネを作り直すことにした。前は京都北山にあるOBJというお店で作ったものだが、今回は別のお店を探した。

 かなり目が悪い。当然、レンズも厚くなるので、薄型レンズに比例して値段も張るのは覚悟していた。

 ショックだったのは、この年でまだ目が悪くなっていることだ。さらに、使わないと目の筋肉もサボるということだ。片方が緩い度数だったので、そちらの目が怠けていて、ほとんど片方だけで見ていたという。筋肉もサボるが、目もサボるのか。これに、またショック。

 完成したメガネを受け取りに行き、かけている。が、家族も事務の皆さんは何も言われない。母には、「メガネを取りに行く」と言って出かけたので、母に、「どうかな」と尋ねる。「なにが?」というので、顔を突き出すと、「散髪したのか?」の返事。「メガネが変わったろう?」」。「ハー、そうか?」と、まったく気付いてもらえずに、またまたショック。

 「それだけ自然ということや」とは連れ合いの弁。ものはいいよう。まあ、人のことなんかそんなもんなんですよね。
 

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第三室戸台風?

 台風21号は、各地に大きな被害をもたらしたが、皆さん、大丈夫でしたか。大阪や和歌山の同人の中には、被害(大半が建物や車で人的被害ではなった)の様子を窺った。また停電(4日間も停電と断水が続いた同人もあった)で不自由された方も多かったようだ。

 台風がやってくると、父のことを思い出す。ぼくの中で台風での被害の記憶はない。ただ、ラジオやテレビで情報を集め、汗だくになりながら会館中の雨戸を打ちつけていた姿が印象的だ。昔は、役員さんも心配で駆けつけてくださり、一緒に作業された。その後、全館がサッシとなった。格段に安全性が高まったが、それでも防風用のシャッターがすべて降ろされた。昼間でも会館全体が真っ暗になった。

 でもそこまで用心するには、それなりの理由があった。若い時から重なる台風の被害を受けて来たからだ。中でも、初代華光会館が完成した数年後、第二室戸台風では大きな被害があった。ぼくが生まれる前年のことだ。強風で道場の南東の角の土壁が飛ばされて、暴風雨が会館の中を吹きつけたのだ。当然、道場のタタミがだめになるだけでなく、大屋根が持ち上がって飛ばされる直前までなったという。当日は、下宿や間借りの家族がたくさんおられた時代。総出でタタミを上げ、抜きた場所を大至急タタミで覆って、なんとかしのいだそうだ。当時、会館付近に高い建物はなく、強風が直撃したのであろう。建設資金の返済は続いていたが、すぐに風水害募金が始まった。それで、翌春に予定されいてた親鸞聖人の700回大遠忌も延期された。そのおかげで昭和39年に開催された700回大遠忌には、ぼくもお稚児さんで出席することができたのだ。まだ2歳で記憶にはない。頭を大やけどして、グルグル巻の包帯姿の写真が残っている。

 特に、今回のような室戸岬を通るコース台風に敏感だった。「室戸岬から四国をかすめ、大阪湾に上陸すると、台風の東側になるので(大阪や京都は)大きな被害になるんや」というのが、台風のニュースを見る時の口癖だった。余程、懲りたのであろう。

 今回の台風がまさにそのコースだった。風速や潮位(高潮)は、室戸台風や第二室戸に匹敵したり、それ以上に史上1位を記録した地域もたくさんあった。京都でも、室戸台風以来、戦後は最大の瞬間最大風速を記録した。

Img_8073 会館にもいろいろなものが飛ばされきたが、隣りビルのアンテナが一斉にこちらに折れ曲がり、飛んでこないかと心配にはなった。翌日、みんなで駐車場や屋上の掃除や片づけをした。この一角は停電もせず、点検する限り建物に被害はなかった。たいへんな暴風で、歴史的な建物は大きな被害を受けたが、大半は無事に済んでいる。昔に比べれば、それだけ建物が丈夫になっているということだろう。ただ温暖化に伴い、もっと強烈な台風に襲われたり、これが毎年の恒例になるのでは?という予感も強くさせられた

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お久しぶりです

9月入ってもブログが停滞している。その間、
 1日・2日の聞法旅行
 8日・9日には、聖典講座スクリーング
と準備や資料を作製しなければならない宿泊行事が、2週続いた。もともと年間計画ではなかった行事だ。7月の大雨で延期となり、中止になった壮年の集いの代わりに開いたものだ。しかもこの時期は、華光誌の編集に追われる。これは14日に印刷所を渡すことで作業中である。巻頭言を残すのみで、後の作業は順調に進んでいるようだ。

 それにしても、先週は、近畿直撃の台風、北海道の地震と、天変地異が続いた1週間となった。

 せっかくの『仏敵』の聞法旅行だったので、ボチボチでも遡って書いていきたい。

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信楽峻麿先生生誕92年記念会

 信楽先生の92歳を記念した集いである。

Img_7782 ゼミ生の同窓会かというと、それだけでもなく、ゆかりの皆さんが40~50名も集われた。大半が先輩にあたる方だ。ほぼ同世代はそれなりにあるが、後輩は2~3名だけである。大学では、ぼくたちが最後の教え子ということになる。

 大宮学舍の本館が会場だ。講義は、いつも広島カウンセリングでご一緒するI先生だ。今回の大雨で被災地となった呉から。まだ電車が不通で、船でこられたという。経歴では、広島での真宗カウンセリングのことにも触れ、ぼくとの出会もレジュメにはあった。

 内容は、いま取り組んでおられる、Img_7790呉の公立中学校での教科書採用を巡る訴訟についてだ。共同代表を勤めておられるのだ。刺激的な話題提供で面白かったが、講義の後、質疑や分かち合いもなく、あっという間に終わったのが、ちょっと残念だ。

 京都駅前のリーガロイヤルに移っての懇親会。半数ぐらいは面識のない方だが、出会ったことのある方には積極的に話しかけていった。また、新しく知り合った方もあった。皆さんからも刺激をもらったが、ぼくがやりたいこととは、また違った世界に生きておられる方も多いようだ。信楽ゼミのOB、なかなかユニークである。

 二次会は、Iさんと二人だけで、静かなバーでゆっくりと呑ませてもらった。いろいろと考えることの多い1日だった。

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甲子園100回、100勝

高校野球、地元、京都のチームが出ると応援してしまう。その中でも、平安高が出場する年は別格だ。母校ではないが、浄土真宗の宗門校であり、今は「龍谷大」と冠されるのでなおらだ。ほかの地方(北海道や広島、北陸などか)でも、宗門校が出ると応援する。新興宗教系の高校が強いのだが、やはり負けるなという気持ちになる。

  その名門平安高校も80年代はかなり低迷していた。京都でも勝てず、たまに甲子園に出ても一回戦負けということが続いた。ところが、ここ数年は最近はかなり復調している。今年の京都予選は、コールド勝ばかりの圧勝だったが、今日は接戦でサヨナラ勝ち。第100回の夏の記念大会で、甲子園通算(春夏含めて)100勝目を手にしたのは、歴史を感じさせられる。

 母方のおばあちゃんは、大高校野球好きだった。でもプロ野球には関心がなかった。息子(ぼくの叔父さん)が、甲子園を目指し、和歌山予選の決勝で敗れ、その後ノンプロ(今では社会人野球)に進んで活躍されていた。その影響か、母も、プロ野球観ないが、高校野球は好きだ。ご自分はスポーツオンチを自負しているが、大相撲と高校野球好きで、熱中して応援している。スポーツの中で、母と話題が合うのはこの二つである。

 

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