カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の598件の記事

水浸し

  朝、2度目の洗濯機を回し終えた頃、連れ合いの叫び声が聴こえた。覗きに行くと、洗濯の排水が出来ずに、部屋中が水浸しになっている。
   
 洗濯機の排水管が外れていないので、原因は外だ。4~5年前にあったことなので、外の下水管につながる排水口を見ると、やはり汚水が流れずに一杯になっている。元が詰まっていては、いくら流しても流れはずはなく、流した分だけすぐに溢れたようだ。

 急いで濡れた荷物を動かす。大きな段ボールに2箱が、底が水浸しだ。中身と、法座や法話関係の未整理の書類。慌てて取り出し、広げると部屋は書類だらけになった。底が濡れた書棚を動かすのに、中身も取り出さねばならない。法座を前に予定外の事態である。

 水が使えないことほど不自由なことはない。ちょうど和歌山市の水道管事故のニュースをやっいていた。水が出ない不便さは想像できるが、水が出るのに使えなくなる事態は思いもよらなかった。入れることばかりに大切にしても、しっかり出すほうも同じだけ大事だということだ。業者の到着は、昼をかなり回るという。水が使えないと、食事は造りないので、お昼は外食をすることにした。
 
 連れ合いは法座を欠席して対応に追われていた。駆けつけた業者によって、この数年でたまりにたまったヘドロをかき出してもらって、元通り使えるようになった。すべて普段の生活からでた垢である。

 目には見えていないだけで、アスファルトの下に、無数の水道管や下水管、ガス管などが十重二十重に巡らせられているという、当たり前に気づかされた。東京都の水道管だけでも地球を何周もするとテレビで言っていた。下水が溢れたことで、日ごろは見ていない地下の下水管の存在に気づかされた。見えないところで巡られていて、そこに日ごろ少しずつ少しずつ暮らしの中で出る垢が、たまりにたまってたいへんなことになるのである。まるで私の業と同じではないか。日ごろ厚く飾って隠されているのだが、そこに毎日毎日、業の種子を貯めていくるである。そして、何か事が起こったなら、すぐ溢れだして、自分のことでありながら自分でも手がつけられない事態を起こすのである。必ず、最後に、この人生の総決算をしなければならない時がやってくるのだから、ほんとうに恐ろしい。

 排水は直ったが、書棚を動かしたり、広げた書類を整理する作業が、待ち構えていた。二人とも疲労困憊で、夕食も外食となり、久々に「来人」で飲んだ。ほぼ1年ぶりかな~
 

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通夜~素晴らしい法名~

 華光の先輩同人が、また一人ご往生された。ZOOM法座を終えて、大阪で開かれたお通夜にお参りする。仏法聴聞の上でも、ご相続やお勧めの上からも、またカウンセラーの資格を取得された学びの上からも、華光同人のお手本のような存在であった。

 世間的に言っても、生きざまも、その死にざまも、まったく見事な100歳での大往生だ。しかし真宗の上からはもっと深い意味がある。長寿であったことや、死にぎわの見事さではなく、平生、元気を時に、しっかりとお念仏に会われて業魂のお葬式をすませたお方、つまり平生業成の人が、ついに往生の素懐をとげられたのであるから、ほんとうの意味での往生「おめでとうございます」である。

 法名は、「諦聴院 釈尼聰耳」。いやこれには参った。これほど見事に、故人の生きざまを現わした法名があろうか。

 まず院号の「諦聴」とは、釈尊がこれから大切なご説法が始まるぞ「諦かに聴け」と、キーとなるお言葉を発せられる。たとえば、『観経』第七華座観では、難しい定善のご説法が続く中で思わず居眠りをされていた韋提希夫人に、お釈迦様が、「諦聴(たいちょう)、諦聴」と揺り起こされる。「諦(あき)らかに聴け、諦(あき)らかに聴け。これから汝がために苦悩を除く法を説くぞ」と宣言されると、お釈迦様が消えて、目の前に阿弥陀様が立ち上がられるのである。

 また法名の「聰耳」も見事だ。俗名の聰の一字に耳を加えられたものである。これは聖徳太子の別名である「豊聰耳命(とよさとのみみのみこと)」から「聰耳」とされたのだろうが、また他力によって頂いた聴く耳を現わす言葉ではないか。それにしても、仏法を聴聞の上でも、またカウンセリングで聞く耳を育まれた故人には、最高のご法名である。

 ご法話も、故人に対する種々の暖かい思い出と共に、一番大切なのは、ほんとうに仏法を喜ぶ身となったか。もしそうでなければ、なんのための人生なのか。空しすぎるぞ。故人は、仏法を決して押しつけたり、厭味にもせず、それでいてブレることなく、要所、要所で語られた仏法聴聞へのお心を、時に厳しくお伝えくださった。参列のお子さまも、お孫さまもすべてが、仏の子供大会でご縁のあった方々で、再会が懐かしくもあった。同時に、ぜひもう一歩出たご聴聞を願わずにはおれなかった。南無阿弥陀仏

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スコール?

 ここ数日、大気が不安定な日が続く。近畿地方は、連日、激しい雷雨に見舞われている。雨は一時だけで、しかも局地的、それでも降れば激しい。

 夕方、散歩に出かける。東寺まで歩いて、蓮を愛でた。

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  妄念のうちより申しいだしける念仏は、濁りに染まぬ蓮のごとくにて、決定往生疑いあるべからず  横川法語

 帰路、もう家まで5、6分のところで雷が鳴りだす。急ぎ足で進むも、大粒の雨が降りだし、突然、雨足が強くなってきた。激しい雷雨。怖くなって軒下で雨宿りするが、横からも雨が入っきて、ずぶ濡れになる。しばらく待っていたが止みそうもない。道路が川のようだ。すでにずぶ濡れなので雨の中を強行突破することにした。傘も役立たない。結局、帰宅して30分ほどで雨は止んだが、まるで南国のスコールのようだった。これも気象変動の一貫なのだろう。

 もうしばらくこの状態が続きそうで、梅雨明けは週明けにあるのだろうか。

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誕生日

 7月4日、アメリカの独立記念日が連れ合いのうん十歳の誕生日だ。
一緒にお祝いをするようになって、7回目。まだ7回目なのか、もう7回目なのかという感じはする。

 カリフォルニアに住むK夫妻から、お祝いメールをいただく。やはり7月4日に絡んで覚えてくださっていたようだ。実家が果樹園という共通のルーツをもっておられて、聞法旅行の時には、北海道の実家に寄ってもらったこともある。

 法座で留守をしていたので、翌日、子供がケーキを造ってくれて、みんなでお祝いをした。

 おめでとう。

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リモート同窓会、いや同僧会か

 2年に一度、大学の同窓会がある。同期入学の真宗学専攻の人達で、完全に同僧会である。今年は、還暦祝いを予ていたが、コロナ感染拡大で、早めに中止が決まった。もし開催されていても、緊急事態が発令中の京都ではアルコールは飲めなかった。

 その代わりに、リモート(zoom)同窓会が開かれることになった。この年代は、ネットに強いものいれば、苦手という方もあるが、20名ほどが集った。ぼくはリモート飲み会は久しぶりだ。昨年の今頃は、珍しさもあって何度か開いていたが、物足りなさもあってほぼやらなくなっていた。

 今回面白かったのは飲む人が多かったことだ。おかげで、酔っぱらいが出てきたら、よく分からない話を聞かされたり、話者が固定してしまったが、リモート飲み会でも、本気で飲まないと面白くない。司会者もなく、また同窓生でも、「初めまして」という方もある。リモートでは話し出すタイミングが難しかった。ブレークタイムなどを使ったりするのも手だなと思いながら、それでも3時間近く付き合ってお開きになった。だいだいはたわいない話だが、中には刺激を受ける話も出たりしていた。

 同じ時間帯、隣室では、連れ合いも先日の劇団公演の打ち上げでをしていてリモート(zoom)飲み会中。例によって、彼女はしっかり酔ってましたが、これが飲み会の正しい姿。

 来年は、ぜひ、リアルで集まりたいものだ。 

 

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長谷寺での衝撃

 朝は土砂降りの雨。五月晴れの季節のはずだが、今年はすでに梅雨入れをしている。史上もっとも早く、平年よりも3週間も早まっている。温暖化の影響なのか、桜といい、梅雨といい、異常気象が常態化しているようだ。

 雨は昼前にはあがった。ここまできたので、近くの室生寺に足を延ばすことにした。が、連れ合いは喪服で、足元が悪い。昼食を食べる場所も閉まっていたので、女高野といわれる室生寺を散策するには条件が悪すぎて、別の機会に譲るとした。道の駅で昼食を済ませて、長谷寺を目指すことにした。

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  観音様の霊場として、また「花の御寺」と呼ばれて、中でも牡丹や石楠花で有名だ。
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  ぼくはこのお寺で忘れならないことがある。
 昭和40年代、まだ小学校にあがるかどうかころだと思うのだが、家族でお参りにきたことがある。その時、門前に、白裝束の数名の男たちがいた。手や足がなかったり、黒眼鏡をかけてアコーディオンやハーモニカの演奏をしながら、物乞いをしていたのである。異様な雰囲気が漂っていた。戦争で負傷した傷痍軍人だというのである。もう50年以上前のことなのに、その異様な光景を覚えている。幼心に何か見てはいけないものに触れた気がしたのだ。同時に哀れに思ったことを父に話すと、父の一言に、さらに衝撃を受けることになるのだ。

 長谷寺のことは覚えていないが、ここで傷痍軍人の物乞いを見たことがこのお寺を印象つけたのである。

 それ以来に訪問なので、50年以上ぶりだ。

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 天武天皇の勅願によるお寺なので、歴史ある古刹である。しかし建物の多くは、近代(明治以降)のものも多く戦後の造営(五重塔)のものもある。

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 仁王門を抜けて↓

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 登廊(のぼりろう)を進んで、本堂へ。この登廊が優雅いい。↓

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 本堂は江戸期に再建されたものだが、14、5年前に国宝に指定された。長谷の舞台として有名で、中には内舞台もある。「大悲閣」とある。↓

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 そのご本尊が有名な、十一面観音菩薩立像で、10メートル以上の迫力がある。↓ 脇士は、難陀龍王と雨宝童子。

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 本長谷寺や五重塔を経由するコースをゆっりく歩いて巡った。↓

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 今回は、なにも衝撃をうけませんでした。

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21歳

 画面越しではなく、リアルに子供のお誕生日をお祝いできたのは6年ぶりになる。

 自分の時とダブらせるが、春には大学の四回生になるころだ。覚えている記憶もチラホラあるが、ほとんど覚えていない。それよりも、その頃の父と同じ年代になったことが感慨深い。そう考えるとずいぶんまだまだ未熟だなーと思えた。

 本人は、ケーキ作りが趣味なので、誕生日ケーキを自分で造ってくれた。逆に、みんながお相伴に預かる。

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 ただロウソクを立てられなかったので、夕御飯の時に、から揚げの上にロウソク立て、もう一度お祝い。

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 翌日は、入学祝いも兼ねて、木屋町沿いのお店で外食した。ここでは、ロウソクではなく花火で、その火を消した。

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 早くも満開を過ぎた桜たったが、まだ十分見頃。夜桜がきれいだった。 

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着付け教室の成果
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お彼岸の夕陽

お彼岸の西に沈む夕陽をカメラに治める。20日のお中日は残念ながら雨だった。真西ではないが、ほぼ真西に近いところに沈む。

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特別な場所ではなく、会館の前の道路に沈む太陽と、近くの公園に沈む太陽。

善導大師は罪を懺悔しながらの日想観を実践されている。最晩年の父も、西に沈む太陽に手を合わせていた。西方は、三光(太陽、月、星)が集所なのである。

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ところで、お彼岸だというのに、もう染井吉野の開花が始まった。京都は、観測史上もっとも早い開花宣言で、今週末には満開になる予定。季節を1ケ月ほど先取った気温が続く予報。西日に桜が輝く。

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今年は、なんかと今月中にお花見を楽しみたい。
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新月断食の日に

 新月の前日、いろいろなことがあった。

 午前中は自力整体教室。月4回から3回になったが、18年間も続く習慣である。

 午後には消防署の査察をがある。念のため事前に会館内の点検し、消防署の職員から指導を受ける。会館の防火責任者でもあるのだ。先日、防火器具の点検での不具合は、来週に交換することになっている。消防署に書類報告も、毎回提出しているここともあって、特に指導もなく無事に終了。

 終わってすぐに佛教大学の講義。10月から再開されているが、対面はなくズームのみ。これも3月で一旦すべて終了する。仏教関係と心理学関係の講義に登録したが、例年以上に多く参加できたのは、リモートのおかげ。今日は、仏教以前のウパニッシャッドでの出家ということについて。最後は、最近のインド事情を現わす、数本のインド映画の紹介。

 その空き時間で、華光誌の最終チェックをする。大半は、昨日済んでいて細かな点を修正する。今週は予期せぬ出来事があったが、夕方には予定通りに印刷所に渡った。封筒も在庫が無くなったのでこちらもデザインを一新し、発注した。ぜひお楽しみに。

 データを渡し終え、夜の映画を観るために京都シネマへ。雨が降っていたので散歩を兼ねて徒歩で。四条烏丸までは45分強かかるが、インタバール走法で強弱をつけながら歩く。ロシア・ウクライナ映画の『DAU. ナターシャ』 を観る。
 ソ連の秘密研究所のレストランのウェイトレスが主人公。延々と続くたわいものない会話。研究所で働くフランス人科学者との生々しいSEX。そして秘密警察による尋問(拷問)によって、密告者に仕立てあげられていくのだが、バイオレレンスと、エロティックな描写、そして、2年間にも渡るセット(ソ連時代の秘密研究所を精密に再現)での生活と撮影という手法も合せて、評価と物議を醸しだした問題作だった。

 新月には1日早いが、明日は法座があるので前倒して、断食をする。昼食も夕食も食べない時間を、アクティブに動くことができた。コロナ禍の中で始まった新しい習慣も、ちょうど1年。月1回で、回数はたった12回だか、自分なりには「よく頑張りました」という感じがする。今日は、次々と用事が続いたので空腹も苦にならなかった。

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顛倒

 昨年は、たいへんご縁の深かった同人のご往生が相次いだ。今年に入っても、先輩同人の厳しい無常のご催促が続いている。

 死苦だけではない。ポリープ除去のために入院するとか、ガンの闘病に入るとか、とにかく病苦の報告も多い。それも近しい同輩となると人事のようには思えないのだ。病苦や老苦がヒシヒシと身近に迫ってきているのである。

 中でも、週始め知らせには驚いた。お世話になってる同人が、脳出血で緊急搬送されたという。しかも、意識不明の危篤状態で、今夜が峠という連絡。1週間前には、会館で、講習会や修繕募金の記念品ことなどの相談したばかりで、その後もメールや電話でやりとりをしていたのだ。

 幸い危機は脱して、今は落ち着いた状態になったと聞いて、安堵はした。今後の回復や容態が気がかりで、元気なお姿でお会いしたいと思っている。

 それにして、「無常、無常」と聞いていても、実際は何も分かってはいない。身近の方の突然の病や死を前にすると、「うかうかできない」と一瞬は思う。しかし、それは、「もう若くないなー。無理せず健康に留意しなければ…」と、自身の健康や今生事に収まり、決して、仏法聴聞、後生の一大事への驚きではない。無常を無常と聞いても、「常」であろうとする。ほんとうに顛倒しているのである。南無阿弥陀仏

 

 

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