カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の573件の記事

3度目の新月断食

 コロナ自粛から始まった新習慣、月一度の新月の日、断食である。

 いつものように断食を始める前は、憂うつになる。「なんかもういいかなー」とポソッと連れ合いに言ったりもした。でも、始まったら、それほどのことなはい。断食はいいいことだらけだ。食費はかからず、料理の手間は入らず、洗い物もない。時間も浮けば、食後の疲れで眠くなったりもしない。そして、翌日の体重は、1㎏以上のマイナスになっている(ただしこれは数日以内にもとに戻る)。しかし、それでも始まる前はなんなく躊躇する。決して空腹に堪えられないということはない。正直、ぼくには1日くらいでは大して空腹感はおこらず、お腹がすいてイライラするとか、眠れないとかもない(むしろよく眠れる)。だがら、断食明けの翌朝、「この調子なら、もう一日くらい平気だよね」と会話している。

 が、それでももう1日続けて断食はしない。なんとなく寂しいからである。

 たとえば、毎朝、コーヒーを淹れ、一口だけ甘いものを食べる。それは、クーキーやビスケットの1、2枚か、チョコレートの1、2カケラという程度で、空腹を満たすということより、ほんの少し甘いものを口にして、幸福感を味わうのである。そして、それが習慣として根付いているのだが、この習慣というのか厄介だ。それがないとなんとなく落ち着かないのだ。それは、夕食時の晩酌も同じ。酒飲みは、甘党てはなく左党というけれども、ビールや日本酒の正体は果糖なのだから、やはりこれも同じことだ。加えてアルコールの効果も大きいのだろう。

 そのアルコール依存(昔は、中毒)が厄介なことは誰でも分かる問題だが、あまり問題にならず厄介なのが、果糖依存(中毒)である。単に生活習慣病だけの問題ではない。人間が生きる意欲やエネルギーを削ぎ、考える力や精神性にまで影響を与えている、現代の大問題である。

 ところで、食べるということは何かとつながることではないか。だいたい口というのは面白い器官で、耳や鼻(穴)、目は、二つあっても役割は一つなのに、口は一つしかないのに、三つの役割を担っている。食べること、話すこと、そして触れること(性交)の3つもある。よく考えたら、その3つとも、自分以外の外部とつながる手段でもある。食べることは、異物を自分の中に丸ごと取り込み、それをエネルギーにする、私が生きるために必要不可欠なたいへんな行為なのであるが、いまは単に生きるための最低限の意味よりも、豊かさを求め、または寂しさを紛らわすために行っている。だから、単にお腹を膨らますのではなく、味わうのである。この味わうことがいかに大きいか。同時に、誰と食事をするのかも大きい。これもたいせつなコミニケーションの手段となり、孤食や拒食の問題ともつながっている。意識してければ当たり前だが、食は非常に深い意味があるなー。なんかここをもう少し深く考えたら、ブチ法話ができるような気がした。そんな効果もある新月断食。初めた以上、一年間は試してみたい。

 

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「不要・不急」とは何か

 夕刊に、アベノのマスクの配布が全国で完了とあった。
 その新聞と一緒に、マスクが届いていた。ということは、これが最後の最後ということだ。

 もう世間で、マスク不足は解消されている。

 こういうことを、「不要・不急」っと言うんだと、教えてくださいます。

 京都市から国の一律10万円の給付金の申請用紙も5日前にやっとこさ届いて、返送したばかり。

 今日は、京都府休業要請対象事業者支援給付金(長~い)の手続きの最終日。ネットではなく郵送をする。
 これでやれるべきことはすべてやった。あとは待つだけ。

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唯除(3)~今生バージョン

 新型コロナの影響で、永代経を始め大きな行事は延期、支部法座も寺院布教もすべて中止になって、4月、5月は、前年の同時期の収入の半分以下に落ち込んだ。売り上げが50%以下となった中小事業所は、持続化給付金の申請ができる。しかし宗教法人に関しては賛否両論があって、結局、見送りとなった。いまのところ雇用も守られているので雇用助成金も不要で、いただけるものがあればいただこうという、さもしい凡夫の根性は見事に砕かれたのである。

 持続化給付金の対象外について、京都仏教会が声明を出したという。それが

 「給付金対象から宗教法人は除外すべきだ」というのである。

 意外な気がした。除外せずに援助すべき、かと思ったら、逆だったのだ。声明の意図は、だいたい次のようだ。宗教法人に関する公金の支出が、宗教に対する援助や助成の促進につながり、憲法第20条3項、第89条に違反するからというのである。要は、公権力による介入を防ぎ、信教の自由をまもるという意味である。
 
 ああ、唯除されているのだなーと思った。でもこの唯除もまた有り難い。宗教法人は税務上での優遇措置を受けているのも、信教の自由、こころの問題への課税に絡んでいるからである。そうである以上、ここで援助が唯除されていることも、国家が宗教に対して口をださないことへの担保なのであって、その意味ではたいへん有り難いことなのである。

 京都仏教会の声明はこうも述べている。

「寺院の大多数は檀信徒の布施寄進に依存しており、営業自粛で特に大きな影響を受けた事業者に該当しない」。

 ところで、京都仏教会の中心は、超有名な観光寺院だ。それは名だたる多くの国宝・重文級の文化財を抱えている寺院である。このような宗教と国家の関係について立派な声明をだされたのだが、文化財の名においては(文化財指定が条件だが)、国からの補助金を受けおられるのだ。確かに国宝級の文化財の修復には莫大な費用がかかり、国家をあげて人類の宝を護ることは当然ではある。がしかし、信者が集う本堂や礼拝の対象である本尊は、まさにその宗教の目に見える形での本丸ではないのか。もし今回の仏教会の立派な表明の筋を通すならば、信仰対象である本堂や本尊も檀信徒の力だけで頑張って護るべきであって(できないのなら信仰の力の限界)、そこで筋を通す姿勢こそ、われわれ弱小零細寺院の模範となると思うのだが、、。本音と建前は違うのだろうな。

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気持ちは分かる!

 自粛生活が続くなかで、意外なものが売れているというネットニュース。巣籠もりで、ゲーム(特に任天堂のあつ森)が売れるのは分かる。粉者関連(たこ焼きやお好み焼きなどのグッズ)も分かる。除菌グッズや衛生関連も分かる。一人でも、家族でも楽しめたり、身を守ったりするものなのだ。しかし意外なものではない。

 意外なものの正体とは……。

 「男性用カツラ」 

 何故? 売り上げが伸びる理由、皆さんは分かります? 自粛中で人に会うことも少ない。飲み会もない…。いまさら奥さんに隠す必要もない。それなのに何故? その意外な理由は、

「zoomやskypeなどのリモート会議が増えたこと」。

 えーどうして? 人に会わないのに。がしかし、実際にzoomやskypeでの長時間の会議をやった人は、うすうす実感する。

 そう、zoomやskypeでは、相手だけではない、自分の姿も同じように映っているのだ。日頃の集りや会議では、目の前の人は分かるが、自分の姿は見えない。だから、人のことをあれこれ言える。目は、外を見るようについているからだ。

 人は、毎日、鏡は見る。しかし、そのときはすました顔をする。そして薄くなっていることに気付いていても、見て見ぬふりができるのである。そう、事実であっても、都合の悪いことは、ないことにできるのである。

 しかし、zoomやskypeでは、他人と同じように、自分の発言している姿も、退屈そうに人の話を聞いている姿も、平等に映しだされる。しかも瞬間ではない。2時間でも、3時間でもありありと映し出されるのだ。嫌なものだ。

 い~や、この気持ち、痛いほど分かる。

 しかし連れ合いが言った。

「でも昨日のリモート会議で禿げてた人が、突然、フサフサになったらおかしくないか」

 その通り。こんな滑稽な話はない。

 人は、他人の目を気にしている。しかし、結局、その他人の目とは、自分が「人の目に映っている自分」を気にしているのである。要は、他人ではない、すべて自分の気持ちの問題なのだ。

 あれ、これって聞法でも同じじゃないですか?

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2度目の新月断食の日に

4月に引き続き2度目の新月断食日。新月は明日だが、法座の関係で1日前倒し。前回の経験があるので心配はないが、食べないということは、寂しいことである。大半は、習慣という脳が食べるのであって、食事時間が近づくとお腹がすく。でもそれが過ぎれば、なんともなくなるのが不思議。夫婦でやるとお互いに励み(もしくは監視)になるので長続きする。積極的に水分は補給するがアルコールは呑まない。まる1日の断食だが、昨晩の夕食後なので翌朝までで36時間断食だ。この分なら、明日の夕食まで進めると、48時間も苦ではない気もする。

今日から、かなり日常が戻ってきている。もちろん徐々にではあるが…。

朝は自力整体の教室があった。午後からは、散髪に行った。久しぶりだ。なんとなく控えていたが、法座も再開されるので2ケ月以上ぶりに短くしてきた。

明日の聖典講座の準備。法話は3月20日以来となるので2ケ月ぶり。まだ府県をまたがる移動は控えぎみなので、急遽、zoomでのライブ配信をも思い立った。教案の準備よりも、ネット配信の作業に時間を費やしている。

夕方、風呂にお湯がたまらず給湯器がエラー標示。給湯器が水浸し。水漏れがしているようだ。ここは改修時には変えなかった部分。やはり歳月による劣化は避けられない。修理は明日以降になった。幸い3階は大丈夫だったので、不自由だが助かっている。ある意味、これもまた日常の出来事。

 

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母の日

   靜寂の連休が終わった頃、お花の宅配便が届く。母の日は、5月の第2日曜日。宅配集中を心配してかなり早く申し込んで、平日を指定日にしておいたのだ。

  ところが母宛ではなかった。宛名は、連れ合いの名前だ。

 彼女へのプレゼント? 誰から贈られたのか? 

 賢明な皆さんは、なんとなく結末はお分かりだろう。

 彼女は、数年前、5月と6月とを1ケ月も間違って贈る失敗をしたことがあった。それで、今年は早めに準備をしていた。

 今回は日にちは間違えなかったが、もっと大切なことを間違ったのである。

 贈る相手である。北海道の母のもとには届かず、自分に贈ったのだ。

 ちなみに、送り主は連れ合いの旧姓、旧住所。古い自分から、新しい自分への花のプレゼントだと思えば素敵だけれど、。
 
 北海道へ転送する間には萎れるので写真を転送。再度の失敗に、彼女の背中もしょんぽり萎れていた。

 そして自粛で誰も来ない玄関を飾っている。せめて写真で愛でてやってください。

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ちなみに母へは翌日、無事届きました。紫陽花です。
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姉からもおしゃれなお花
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法友の往生

 お試しリーモト会議のあと、遅い夕食の途中で、訃報が届く。献身的に華光を支え、大活躍してくださったIさんが、2月に亡くなったというのだ。予想外の話に驚いたが、同時にあまりのことに、まったく実感も湧かないでいた。姉に電話したが、Iさんと親しかった人達も知らなかったようだ。ぼくより9歳の年長だから、まだ60代後半。昨年の11月に倒れられ、意識が戻らないままにお亡くなりになったという。

  思い出は尽きない。中学生の頃から可愛がってもらい、その後も30年以上に渡って、節目節目には必ず彼の存在があり、もっとも信頼を寄せ、共に歩んできた方である。もし彼がいなければ、華光の宿泊行事の運営はできないのではないかは自他ともに認めるほどで、多くの同人からも先生のように信頼をされていた。いまも、華光の中心で動いておられる方や先生方も、ずいぶんお世話になってきたのである。

 しかし、これまたご因縁事で、最初に華光を離れられた時には、僕自身にも大きな試練となった。ご自宅まで会いにいったりもした。その後、活動の場を絞って復活されたが、以前のような密接な関係に戻ることはなかった。そのまま徐々に疎遠となり、もう10年近くになった。時より聞こえてくる噂話は、あまりいいものはなかった。

 それでも、彼から受けたご恩徳は量り知れないし、思い出も量り知れないほどある。同時に10年という歳月の重さも感じずにはおれなかった。たぶん、急激なではなく徐々にくるのだろうと、、。

 2月22日は、奇しくも京都のMさんのご往生の日。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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世界共通

   母も交えて、ブラジルの子供たちとのスカイプ。話題はコロナ一色である。

 これまでは、どんな大災害でも、また世界的祭典でもそうだが、被害にあった国や開催されている地域と、それ以外の国では、ずいぶん温度差があった。要は所詮、他人事なのである。

 ところが今回だけは別だ。カリフォルニアのお同行さんからのメールも、ブラジルのサンパウロ郊外に暮らす子供たちとも、話題は新型コロナばかり。国情の違いで、自粛の程度や回りの雰囲気は多少違うが、最後には「これからどうなるのかなー」という見通せない不安で終わるのも、世界共通である。

 青空の広がるカリフォルニアでも、まだ夏のサンパウロでも、そして初夏の京都でも、その対策は同じ。外出「禁止」か、「自粛」かは別としても、家に籠もり、人との接触機会を減らし、少しでも感染リスクをも下げて、医療崩壊を防ぎながら、「時間稼ぎ」をする。その間に、有効なワクチンや薬の開発(もしくは集団免疫という国もあるが)を急がせているしかないのである。

 結局、今の自粛は根本解決ではない。ただ我慢してやり過ごして「待つ」という対策(ブラジル大統領は強引でサンパウロ州の知事と対立しているそうだが)を、世界共通で取っている。今後は通常の日常生活と、どう折り合いをつけるのかが問題になっている。

 緊急事態宣言は、5月末まで延長されて、自粛生活が続くことになった。
  5月の寺院布教、法事、支部法座、出張法座はすべて中止となり、6月以降も見通しがつかないが、今で出来ることを、喜んでやらせていただくだけである。

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問題です

 京都新聞に、あるキリスト教系の私立学校が、紙面の見開きを使ったカラー広告を出している。
  これまでの入試問題なのかどうかは知らないが、ぼくもあれこれ考えて楽しんだ。
 要は、知識を問うのではなく、発想力や想像力、考える力を問う問題なので、「正解」があるのではない。模範回答もないのかもしれないが(広い意味では求められる方向はあるのだろうが)、答えの一部が紹介されていて、なるほどという回答がよせられている。それはそれとして、皆さんも童心に帰り考えてください。

 問1、信号の3色に1色追加するとすば、何色にしますか? それはなぜですか?

 問2 手元に1000円あります。
 たくさんの人を笑顔にする方法を考えてください。

 さてさて、1000円ではなく、10万円が支給されることになった。

 みんなが笑顔(幸せ)になるのか? それとも餓鬼や修羅になるのかな? 

 皆さんも自由な発想で、それぞれの回答を、ぜひ同人会MLにお寄せください。

 

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よりにもよって、、。

 5月9日まで、毎日が「スティーホーム」のぼくに、たったひとつだけ外出の予定が入っていた。

 歯医者の予約である。

 今、一番、行きたくない場所は病院だが、次いで、歯医者も避けたいところだ。

 でも予約は、1月のインド旅行前。その時に、だれがこんな状況を想像していただろうか。

  幸い、大きな歯医者で、個室になる場所ではあるが、こちら側が知らずに、迷惑をかけるという恐れもあるのが、新型コロナの厄介なところだ。

 かなり迷った。

 が、先送りしたところで、来月も状況は未確定。それなら時間のあるうちにすませておくことにした。

 先方もいろいろと工夫されている。待合室で待たせないように、支払いもその場で聞いて、受付でサッーと支払って、手を消毒して終わった。

 次は、7月末になった。
 さて、その頃は、どんな世界になっていることでしょうか。

 

 

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