カテゴリー「旅行・地域」の283件の記事

嘉納治五郎先生が、、

Img_1935    今年の東京は暖冬で、季節外れの陽気で、かなり早くサクラの開花宣言があった。だいたい開花から、一週間で満開になるのだから、。Img_1926この週末が見頃になる予定だった。ところが、開花後、寒い日が続いてる。今日も、かなり肌寒くて、 コートが手放せない。おかげで、サクラの満開が遅れて、その分、長く楽しめるようだ。Img_1948

 昼休み、会場近くの公園を散策。7分咲きというところか。

 いままで知らなかったが、教育の森を奥に行くと、こんな場所があった。都心とは思えない森であImg_1940る。筑波大学の附属小学校の庭園、占春園。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E6%98%A5%E5%9C%92

Img_1947   こんな場所に、ひっそりと銅像が立っている。いま、大河ドラマで放映中の、嘉納治五郎氏。近代柔道の創始者で、前身の東京師範学校の創始者でもある。大河ドラマでは、龍谷大学大宮学舎で学校のシーンは撮影されている。今年、ドラマを見てなかったら、あまり関心もなったかもね。

 30年近く訪れていても知らなかった。ほんの少し寄り道しただけで、新しく知ることもあるのだな。

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県立広島美術館~サヴィニャック展~

Img_1356 午前中、県立広島美術館まで歩く。広島駅からなら1キロほどだが、ホテルからだともう少しある。ひろしま美術館には行くことがあるが、こImg_1314こは縮景園に行った時に通っただけで,初めてだ。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-4de3.html

 今日まで、サヴィニャック~パリにかけたポスターの魔法展を開催していた。
  http://www.hpam.jp/special/index.php?mode=detail&id=194

Img_1324 サヴィニャックという名前を、ぼくは知らなかった。が、その作品には、これまで何度も目にしImg_1322たものがあって、驚いた。知らぬ間に、彼の作品が身近にあったらだ。「パリにかけたポスターの魔法」という副題があるようImg_1345に、フランスで、広告ポスターを一新させた人物。ダンロップ、ミシュラン、シトロサンのImg_1323ような世界的有名企業に、タバコ、アルコールに、数々の食品、石けんや毛糸などのさまざまな雑貨、日本の企業でも、森永製菓や「としまえん」などのポスターがあった。誰もが馴染みになっているビックボールペンのキャラクターも彼の作品。鮮やかImg_1347な色彩、ユーモアに満ちたみ表現に、なによりも抜群にセンスがいい作品ばかりで、Img_1348楽しかった。巡回箇所は5~6箇所と少なめだが、全国巡回展なので、充分見応えもあった。

 常設展もなかなか充実していた。小さな特集として、写真家マン・レイの世界観と、Img_1329菅井汲の展示。やはりぼくは知らない人。菅井汲の作品には、心ひかれるものがあった。

 後、広島出身やゆかりの画家などの作品も多かった。
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≪写真OKの作品。文殊菩薩との問答で有名な「維摩経」の維摩居士。ただし中国の道教風≫
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≪隣の縮景苑は、梅が咲きかけ。美術館からの眺めも美したかった≫

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梅と富士山と

Img_1248 週末は東京支部法座。

 今朝は寒かった。京都は雪が舞っている。こんな時は滋賀県内はImg_1267かなりの雪が降っている。それでもすぐに晴天となって、久しぶりにきれいな富士山を眺めることができた。1月末なのに、静岡県側から眺める山頂付近は、かなり雪がImg_1280少な目に見える。

 会場の途中の公園には、もう紅梅が咲いていた。林野会館の隣のお寺の梅は、小さな蕾を付けるだけだったが。それでも確実に春は近づいてきている。

 帰路も晴天で、品川から新横浜にかけて見える富士山が、夕陽の中に孤高の輝き放っていた。暗くて写真は無理だったのが残念。
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冬の北海道(8)~荻原果樹園

Img_0784 今年の荻原果樹園は、雪が降って、あまり散策ができなかった。

 例年より雪が少なくて、半分程度だという。しかし、夏にはジンギスカンをする見晴台まではいけない。

Img_0926 毎朝、除雪車が来て道をつけた後、地域のブルドーザーが家の前の雪かきをしてくれて、車がださるようになる。

Img_0773 夜が晴れ間の時のほうが、朝方は冷えて、氷点下20度を下回る日もあるのだか、今年は雪が降っている分、気温は高め。子供は、百均でしゃぼん玉を買って、凍らす計画だったがうまくいかなかった。それでも、空気が澄んでいる分、いつまでも浮かんでいてきれいだった。

ながながとして北海道紀行文におつきないくださり、ありがとうございました。
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≪↑これでも、例年の半分程度だという≫
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≪↑寝室の窓をあけるとこのツララ≫
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≪↑お別れ。この駅の線路で、義母の父は乗客を助け、殉死された≫

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冬の北海道(7)~カムイスキーリンクス~

Img_0794 義父が、カムイスキーリンクスというスキー場にソリに連れて行ってくれる。
 近くにあるカムイコタンという景勝地を経由して、カムイスキー場へ。晴天ならば、果樹園からも見えるが、今日は視界が悪かったが、前回の冬にはよく見えていた。
 もっともみんなにそんな準備はなくて、雪遊びをする程度の軽装てImg_8369ある。それでも、荷物を抱えならがも、バイク型のソリはずいぶん楽しかった。最後は、リフトに乗って、コースも滑ったようだ。

Img_0813 子供たちがソリを楽しんでいる間、義父とゴンドラに乗って、頂上に登ることになった。どうも、そんな計画を練っていたらしい。スキーやスノボー客に交じって、おかしImg_0830な組み合わせだ。ここも海外からの観光客が多かったが、ほとんどが白人のグループ。オーストリア人(つまり今は夏)が多いと聞いた。

Img_0895 山頂は煙っていて視界は悪かった。後で考えると、たぶん山頂から果樹園の風景を見せたかったのではないか。石狩平野が一望できるというのだ。山頂のカフェでゆっくりコーヒーを飲んで、誰Img_0899も乗らない下りのゴンドラに乗った。樹氷がきれいだった。昼間でも氷点下10度を下Img_0901_2回っていた。

 帰宅後、深川駅前の今保羅(コンポラ)というカフェで、おいしいパスタを食べて、多度志にある一乗寺の殿平先生にご挨拶に窺った。Img_0911_3一昨年の夏の聞法旅行の御礼を言う。それよりも子供たちのブラジル話で盛り上がった。写真は、一乗寺のImg_0881自動鐘撞台。

ここまでは前回と同じコースだったが、後は、秩父別という町の温泉施設で入浴した。このあたりの町には、どこも天然温泉の施設がある。さすがにこのありりは海外の観光客はいない。秩父別町(ちっぷべつちょう)の「鐘のなる町」と掲示をくぐった時に、鐘が鳴った。確かに鐘のなる町だった。
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≪↑カムイコタンは紅葉の名所。冬は閉鎖中≫
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≪↑カムイの樹氷原≫
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≪↑鐘のなる町秩父別≫

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冬の北海道(6)~登別マリンパークニクス~

Img_0602  登別といえば温泉が有名だが、最近、3つのテーマパークが人気だという。

Img_0579_2 60年以上の歴史があるのが「登別クマ牧場」、太平洋に面した「登別マリンパークニクス」という水族館、その途中に、江戸期の街並みを再現した「登別伊達時代村」がある。なぜ北海道に時代村か。明治の初め、仙台の伊達家の武士がこのImg_0593地を開拓し、それが伊達市の始まりだという。それなら開拓村が相応しいのだろうが、それでは海外の人には受けないのだろう。全員一致で時代村はパスし、水族館に決まった。

Img_0720 西洋風のお城の建物に、雰囲気のあるエントランスから、水槽を見下ろしながらエレベーターで上がり降りて来る構造。頭から期待はしたが、Img_0688展示はかなりこじんまりしたもので、少し寂しい。誰の趣味かわからないが、Img_0712魚とは関係ない陶磁器のコレクションがあったり、ちょっと不思議な雰囲気だった。

Img_0721 笑うアシカのショー(ぼくは恐かった)やベンギンの散歩を見た。地味な水槽が多いが、案外、珍しいカメとかカエル系がウケていた。午後からImg_0725回るには手頃な広さで、早めに切り上げて深川の連れ合いの実家へ。

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 登別から深川までは、京都から金沢までのの距離だという。そう聞くとかなり遠い気がするが高速だとスムーズだ。夜の雪道を心配していたが、雪も少なく順調に進んだ。途中の景色は北海道という感じ。いずれも車窓からの写真
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冬の北海道(5)~クマ牧場

Img_0573 翌朝は、ホテルの目の前にある登別の熊牧場。駐車場からロープウエイ(ゴンドラ)に乗っていく。好天で眺めがいい。ときおり魚が干さImg_0470_2れているゴントラとすれ違う。熊のエサになる鮭トバを作っているという。ぶら下がった鮭が空中を漂う姿は、なんとも面白い。

 熊牧場と聞いて、冬は閉鎖されていると思っていImg_0482た。熊は冬眠しているからだ。しかし、クマ牧場(ここ以外も)熊は冬眠をしない(ささない?)という。ほとんどが園で生まれたヒグマだそうだ。

Img_0484人間のオリのゾーンへ。オリといっても、アクリルのドーム状に両サイドにクマがいて、そこにエサを投入する筒がれり、人間がくるとエサをもらえるのが分Img_0486かって、クマがそこにへばりついている。梅干し大の小さなエサ欲しさに、もらえないと吠えて訴えるというのだ。目の当たりにすごい迫力だ。でも、このシステムを見て、子供が、「人間って残酷なこと考えるな」というImg_0505と、もう一人が、「それを、うちらは喜んでいるのだから」と答えていた。

 そしてメーンのクマ牧場へ。何頭も大人のクマがいる。それぞれが、見物客が投げるエサを欲しさに、それぞれのアピールをしている。立ってImg_0529手を振るものに、正座(?)してたのももの、V字するものに、ただ眺めるもの。なんとも人間ぽくって愛くるしいが、同時に何とも哀れである。たったImg_05192段(人間と畜生)違うだけで、これだけのみじめな姿をさらしてたいるのだ。

 なんか楽しいとうより、哀れというもなかなかあわれなり、である。といって、この姿、僕たちとどう違Img_0441うというのか。

 ほかにも木渡りなどのアスレチックをやらされるものいったが、こちらのほうがまだ楽な気持ちで見れた。

 で、そのせいかしらないが、子供が、「一番楽しかったのは、アヒルの競争やったな」といっていた。馬券ならぬアヒル券を買うものレースが、クマの前にあって、それがみんなもっていったということか。

 以下は、クマ牧場からの壮大な風景
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 ≪↑アイヌコタンを再現したエリア≫
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≪↑日高山脈≫
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≪↑クッタラ湖は、真っ丸なカルデラ湖。透明度も抜群で、厳冬期は氷一面に≫
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冬の北海道(4)~登別地獄谷~

Img_0381 お寺を後に登別へ。そのまま地獄谷に向かう。

 荒涼たる風景に、湯気が立ち込め、高温の温泉が湧き、硫黄の匂Img_0361いが漂う。別府もそうだが、温泉源は地獄と呼ばれるのは南も北も同じか。ここでも地獄なので、鬼がお出迎え。また薬師如来などの仏様も同じようにお祀りされているし、極楽通りという通りもある。もともとは火山爆発の火口跡で、複Img_0378数の噴気孔がある。壮観な景色で圧倒されたが、下の子Img_0342は、硫黄の匂いが苦手で早く戻りたがった。

 地獄谷をぐるりと周遊できるようImg_0383になっているのだが、足元が覚束Img_0391ない。坂道はもちろん、石畳や木も滑りやすくなっていて、あっちこっちで転倒者がいた。ぼくたちもほどほどのところを回っただけだか、妙に足元に力が入って、翌日は膝が痛かった。

 宿では豪華な温泉に浸った。特に露天風呂は見事で、雪化粧して風情がある。ここも中国人を中心にアジアの人達でずいぶん賑わっていた。
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冬の北海道(3)~もう一つの有珠山

 有珠山を後に登別に向かう。高速に入る前に、伊達市内で遅い昼食。北海道の地理には詳しくないので、洞爺湖から登別に向かうのに伊達市を通るとは知らなかった。
 伊達市には、真宗カウンセリング研究会の会員がおられるのだ。昨年の9月まで龍谷大学の実践真宗学などで学びながら、会館で開かれていた研修会もお手伝いされていた。たよりない記憶をたよりに、お寺の検索。伊達市にお西のお寺は数少なく、すぐに目星がたった。食事場所から、徒歩2~3分のところではでいか。ここに来るまでに通っていたようだ。でも、電話が通じない。しかし、ここで素通りするのは勿体ない。お留守でも、華光誌だけでも置いて帰ろうと思った。

 Img_0332庫裏の呼び鈴を押すが返事がない。庫裏にはシートで覆われているが、先の北海道の地震被害なのか。境内には車がたくさん止まっている。本堂に向かうと総代会の真っ最中だったが、うまく会うことができた。彼が戻ってきた後に、庫裏が火災になったというのだ。そのための相談やら結婚の報告やら、大切な会合のようだ。お寺を維持するということも、たいへんなことだある。あまりお邪魔してはならImg_0330ないのでご挨拶をして切り上げてきた。

 2年前の冬も、小樽天狗山ロープウェーで震えた後、余市の大谷派の寺院を尋ねた。今年は有珠山ロープウェーで震えた後に、伊達市の寺院を尋ねた。共に予定外の行動だが、せっかくここまできたのだからという想いがある。

 ちなみに今年お訪ねしたお寺の山号は「有珠山」。

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冬の北海道(2)~昭和新山・有珠山~

Img_0261 天気が回復したので、有珠山ロープウェーに乗ることにした。

 まずは昭和新山へ。田園地帯だったところに、昭和18年12月からImg_0270昭和20年ころにかけて、地震や噴火などの火山活動を繰り返し、山が隆起して、成長を続けて、溶岩ドームとなり、あたりの集落は消滅したという。

 昭和の奇跡とあるが、その昭和も終わり、平Img_0289成も終わろうとしている

 有珠山ロープウェーに乗って山頂へ。ちょうど洞爺湖と昭和新山の眺望が開ける展望台も霧が立ち込める。しかも山頂は寒い。もう一つ上に防寒着を借りて着込み、火口原へ向かう。距離としては徒歩で10分程度のハイキングであImg_3544る。たぶん冬以外、また好天の日なら問題ないのだろうが、横殴りの雪が吹きつける。防寒をしていても寒く、しかも視Img_3546界は開けない。それでも引き返さずに歩き出した。連れ合いが、小、中学時代、4キロ以上の道を大雪や吹雪の中でも通学していたというご苦労を聞かさImg_3545れていたからだ。せっかく火口原に来ても何も見えない。カメラもスマホも、寒さのためにバッテリー切れになっていた。

Img_3555 引き返したら、今度は晴れ出した。これが山の天気というか冬の天気なのでと、案内係の女性が言っていた。

 おかしくなったのは、デジカメやスマホだけではない。寒さのために、ぼくの顔はニキビのような湿疹が一杯出ていると、みんなに驚かされた。寒かった~
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≪↑戻ってきたらまた晴れ間、洞爺湖と昭和新山≫
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