カテゴリー「旅行・地域」の348件の記事

飛騨大鍾乳洞

 高山には会館の車で向った。京都出発組は、ぼくは黒一点。女子会の様相で賑やかだった。しかも京都の大学にゆかりの方ばかりで(在学中か、出身者)で、共通の話題もあったよう。高山でもう一台と合流し、法座まで高山見物をする。高山が初めての方もあったが、定番の古い町並みではなく、郊外の鍾乳洞に向った。会場の前から鍾乳洞に向う看板があって、1本道を奥飛騨温泉郷に向けて進んでいく。距離はあるが、もっと山道を想像していたが、観光ルートにもなっていて道の左右には土産物屋や飲食店、民宿が続いていた。数年前に、拡大壮年の集いの会場もこの方向にある。

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 飛騨大鍾乳洞&大橋コレクション館も、土産物屋が並ぶ観光地で、他の客も多かった。大橋コレクションという世界の美術品を展示された美術館もあった。以前、展示されていた金塊が強奪されその後取り戻したもののて、いまはその経緯とレブリカが展示されていた。

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 そして鍾乳洞へ。よく考えると、そう人生で鍾乳洞に入ることは少ないなと思った。修学旅行でた山口の秋吉台の秋芳洞、福岡の平尾台の千仏鍾乳洞 、そして京都の質志鐘乳洞の3回だけだろうか。質志鐘乳洞は、子供たちと広島のM君も一緒だったことが懐かしい。

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 今日は少し肌寒く、鍾乳洞もヒンヤリと寒かった。飛騨の鍾乳洞は全長が800mとあって、足腰に応じて、3カ所の出口が設定されていた。前半の方が見事ではあるが、奥に行くほど迷路のようで、また急な坂や階段もあって、探検気分が味わえるようになっている。若い仏青の皆さんのなので、一番、奥までいったが、これがなかなか楽しかった。最後に、妙な神社があるが、このあたりは不明。全体に商魂たくましいのと、コレクションの成金趣味のセンスと、その俗っぽさが昭和の観光地らしくてよかった。

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<大仏の耳↑>

 終わってから天然温泉に行き、夕食。ああ。このまま懇志会があれば最高なおのだが、これからが本番。法座が始まる。でも、このインターミッションがよかった。みんなの心が開けてくるのだ。おかげで、楽しく、かつ充実の法座となった。南無阿弥陀仏

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<昭和の秘宝館ぽく終了↑>

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車窓の富士

 東京の桜の開花は、全国一早くて、もうすで染井吉野は終わっていた。が、会場の前に公園では、八重桜が満開だった。会場との合せてショットである。

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 お参りもずいぶん増えてきた。会場の都合で夜座がなかったが、その後、居酒屋の懇親会があった。ぼちぼち懇親会も増えているが、参加者も徐々に増えてきている。ということで、2日目の終了後は、反省会という名の懇親会には出ないで、そのまま帰宅することにした。
 4月の半ばなると、かなり日が長くなってくる。夕陽が落ちるところだ。新横浜を過ぎたあたりで、富士山が見えて来た。天気がよくきれいに見えた。

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 静岡に入るとかなり薄暗くなっていたが、行きには見えなかった富士山がきれいに見えている。

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  前後に濃厚な書き込みが続くので、今日は軽いメニューで。

 

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但馬国分寺での納骨

 納骨のために、墓地があるお寺へ。といっても、ここは浄土真宗のお寺ではない。が、聖武天皇の国分寺に地にある由緒ある寺院。この復興のために、先頭を切ってご夫婦で尽力されてきたのである。

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 この薬師堂には、悟朗先生の直筆の扁額が掲げられているのだが、残念ながら拝ませてもらったことはない。せっかくのチャンスだったが、最近は無住状態になって、期限以外は観ることが出来ないそうだ。
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 墓地は、一番奥、高台にあって、その上には立派な石垣があり、桜が咲いている。それも私有地だそうだが、桜の掃除がたいへんで伐ってしまうおうとかいう話も出ているそうだが、ちょっと勿体ない景色だ。この時期に納骨選ばれた理由が分かったきもする。 山桜はこれからだが、染井吉野は今、見頃。好天で、気分もいい。

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 桜に惹かれて円山川の土手を歩いていると、蛇が日向ぼっこ中。都会のものには珍しくても、地元の人には、なんということもないようだ。

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お昼からご馳走をいただき、月忌参りをすませて、お宿のある神鍋高原へ。町は桜が咲いていても、神鍋高原にはまだ雪が残っていた。今年は豪雪だった。夕食も、娘さんたちと打ち解けてお話ができたのが、一番よかった。なんとか次ぎの仏縁を結んでいただくきっかけになればと願っている。

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橘寺~聖徳太子御生誕~飛鳥巡り(9)

 聖徳太子の父上、用命天皇の離宮で太子がお誕生になられた地に建立されたのが、橘寺である。ここを飛鳥巡りの最後にした。

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 「仏法最初」という石碑にゾックとくる。ここから日本の仏教が始まったのだ。

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 またこの地は、『勝鬘経疏』が誕生した地でもある。太子が、推古天皇のために講義された『勝鬘経』は、女人である勝鬘夫人に説かれたもので、推古天皇にはビッタリの内容である。講義跡のすぐ側に、善悪二つの顔が彫られているという二面石もあった。

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 他にも、太子の愛馬の像とか、尊いおいわれがある三光石があったり、お堂が点在していたが、正直、お寺そのものの印象はあまり残らなかったかなーと。親鸞聖人の像は見落としました。

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 最後に、「仏法最初」の石碑の前にある川原寺跡の遺跡を見学した。ここは跡地だけ。
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 これだけ回ったもまだ時間があったが、みんなかなり疲れていた。カフェでお茶をし、道の駅を覗いて帰宅の途についた。が、そのルートもまた太子町経由で、太子ゆかりのルートであった。飛鳥の旅はこんなところまで続いていた。

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 とにかく50年ぶりに感激の旅でした。

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飛鳥寺~大仏と入鹿の首塚~飛鳥巡り(8)

    蘇我馬子が発願し、推古天皇の時代に創建された日本最初のお寺だと言われる。発掘調査から、創建当時は壮大な伽藍(法隆寺の3倍!)もあったそうだが、度々の火災などで、室町期に荒れ果てていたものが、江戸時代に再建されたのもので、いま、安居院とも呼ばれて、田園の中に小さなお堂が並んでいる。

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   その中心に鎮座するのが、推古天皇の勅願により、止利仏師が造ったといわれる日本最古の仏像、飛鳥大仏だ。大仏は釈迦如来像である。やはり何度も火災で焼け落ちて、お姿せ痛々しくもある。飛鳥時代のものは、お顔の一部と右手の指の一部のみで、大半が後世に補修されたものだ。それでもご住職の説明では、創建当時の場所に鎮座しておられるというのである。聖徳太子もこの場所で拝まれたのであろう。
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 また ご本尊の写真撮影がOKなお寺は稀で、しかもわざわざご住職が説明くださったのは、有り難かった。他に、聖徳太子の孝養像(室町時代)や、阿弥陀如来坐像は藤原時代のものだという。

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 お寺をぬけて数百メートル行くと、田園の中に五輪塔がある。蘇我入鹿の首塚だという。

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   聖徳太子一族(山背大兄王)を滅ぼし、その後、中大兄皇子(後の天智天皇)に殺害された、大化の改新の始まりである。飛鳥寺の境内こそ、蹴鞠の会で、中臣鎌足(後の藤原鎌足)と中大兄皇子が蘇我氏討伐を図ったあまりにも有名のな故事の舞台だ。まさに古代史のロマン。今は長閑で静かな風景に、往時の面影はないが、そこがまたしんみりとさせられる。 

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岡寺~飛鳥巡り(7)

 主な古墳や石像物めぐりを終えて、ここからはお寺巡りである。仏教伝来や聖徳太子など古刹ばかりである。

 最初は岡寺。

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 残念なから、このお寺の思い出は、お寺そのものではない。駐車場の顛末にある。お寺に入る入り口に、門前有料Pを示す表示が、逆方向を指したいる。それにしたがって進むも、かなり距離が離れている。車を入れかけて、「こんなに離れているのなら、岡寺はパスする」という声が出てた。結局、2対2で、行きたいものだけが行くことになった。それならお寺の近くまで車で行き、待っていることになった。もとの道を戻りグルグル細い坂道を進む。ここを歩く(しかも往復)となると、かなりしんどいだろう。道が細くなって車が行けるか心配していたら、岡寺まで着いて、そこには無料駐車場が多数設置されていた。いやこれどういうことなのか?  有料、かつかなり遠い駐車場と、無料で隣接している駐車場があるとは?入場口に、「有料P(民営)は当山とは無関係」との注意書が掲示されている。たぶんトラベルや苦情があるのだろう。おかげで4名、みんなで岡寺にお参りすることができたが、お寺の印象があまり残らなかった。

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 本堂も、この時期は行事のために入れず、窓越しに「観音坐像」を拝ませていただいた。一見、無骨で観音様には見えないが、日本最大、最古の塑像(粘土や石膏で造られた像)の如意輪観音像である。

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 同時に、日本最初の厄除けの霊場で、盛んに「厄払い」祈願のCMがあった。還暦も中厄ですか、、。真宗念仏の尊さを思った。南無阿弥陀仏

 

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石舞台古墳~飛鳥巡り(6)

 午前中、いろいろ回って疲れた。日差しも強くて、気温が上がったのもあるのだろう。遅い昼食はお目当ての店が休みで、石舞台古墳まで進んで農村カフェで古代米のランチを楽しんだ。回りに桜の木に取り囲まれるように石舞台を眺めるテラスで、光を浴びながらのランチ。もう2~3週間すれば桜が見事だろう。

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 飛鳥巡りのメーンである石舞台古墳へ。一番(といっても鄙びているが)このあたりが賑やかで、人ともあった。それでも、疎らで、家族だけで石舞台古墳を堪能することができた。

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 石舞台古墳 は、日本最大級の方墳で、盛土をがすべて失って横穴式石室が露出している。天井石の上面が広く平らで、まるで舞台のように見えるので、古来から「石舞台」と呼ばれている。7世紀初頭の権力者で、聖徳太子と共に、仏教を守護した蘇我馬子の墓だと伝承されている。

 50年前に唯一、ボンヤリでも記憶があるところだ。ただ外部からしか眺めていないような気がしたが、しっかり中にも入ることができた。恐ろしいほどの石組みである。それが1500年も頑丈に残っている、古代の人々の技術の高さにおどろいた。

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〈奈良といえばシカなのに、ここはヤギ〉

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〈しかもどうして二宮金次郎? 不思議空間〉

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謎の石造物~飛鳥巡り(5)

 飛鳥には、古代の謎の石造物が点在している。

 まずは、猿石。吉備姫王の円墳にあり、男、女、法師、そして山王権現だと言われているが、確かにサルに見える。

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 続いて、のどかな田園の中の歩行者専用道を脇にあったのが、古墳の石窟の側室、および天井石が、鬼の雪隠と呼ばれる。

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〈鬼の雪隠↓〉
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 <鬼の俎板↓〉
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 こちらは、少しだけ山間にあって、古墳の石室の基礎石だといわれる。
 この街道にいた鬼が旅人を捕らえ、俎板で料理し、厠で用をたしたという伝承が残されている。 
 それにしても一気に春本番で、歩くうちに汗ばむ陽気。

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 橘寺に向う途中にボツリとあるのが亀石。「亀石前」の交差点名でわかる。

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亀石↓ユーモラスな笑顔〉

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 聖徳太子誕生の寺ともいわれる橘寺の境内にある二面石は、善悪二つの顔が彫られている。

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 他に有名なところでは、酒船石があるが、近くまでいくも、疲れて歩く元気がなく今回はパスした。
 まったく古代遺跡とは関係ないが、お地蔵さんが、辻々に点在していた。
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欽明~吉備姫王~天武・持統陵 飛鳥巡り(4)

 欽明天皇陵の入り口は分かりづらかった。でも是非訪れたかった。細い参道を歩くと、突然、鳥居と共に視界が開けてくる。四面に堀が巡らされる前方後円墳だが、その全体像は空からでないと分からない。

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 欽明天皇の538年に、百済の聖明王が仏教をもたらされた。その時に招来された仏像や経典が蘇我氏に下賜されるも熱病が流行り、廃仏派の物部氏に破棄される。その後、またしても疫病が流行り、再び蘇我馬子に仏教信仰の許可がおり、飛鳥寺が造営されていく。そして、推古天皇の時代、蘇我氏と聖徳太子が廃仏派の物部氏を破って勝利し、仏教が日本の政治の中心思想となっていく。これらの歩みは親鸞聖人も和讃されているところだ。

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 欽明天皇陵の西側の小さな森に、吉備姫王(孝徳・皇極両天皇の生母)の円墳がある。ここは、猿石と呼ばれる石造物が有名だ。玉石垣の墓域でお墓を守護するかのように4体の石像が置かれていた。

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 欽明天皇陵から、鬼の雪隠、鬼の俎板を挟んで、天武天皇・持統天皇陵があった。持統天皇は初めて火葬された天皇で、天武天皇の皇后であり夫婦が合葬儀されている。登らないで、離れた場所から撮影した。鳥居見えてます。

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高松塚古墳~飛鳥巡り(3)

  次いで、高松塚古墳 に向かう。快晴だ。

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 住民の生姜の貯蔵庫に使われていたというのが、発見のきっかけであるという。高松塚古墳の発見は空前の考古学ブームを巻き起こし、記念切手を求めて長蛇の列ができことまで子供心によく覚えている。前回の旅では、まだ発見直前だった気がするが…。今年は、その発見から50年目の節目の年にあたるという。

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  やはり古墳時代の終末期の小型の円墳だか、鮮やかな色彩の壁画が残されてることで世界的に有名になる。古代中国思想に乗っ取った四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)と日月に、天上の星宿図に加えて、男女四名ずつの群像が繊細なタッチで描かれている。劣化が防ぐために密封されて実物は観ることができないが、「高松塚壁画館」で、その忠実な摸写や石室を観ることができた。想像以上に、石室も壁画も小さなもので、有料の割に「エッ、これで終わり」という小さな展示館ではあったが、複製とはいえ、一瞬で、色鮮や絵画に古代のロマンを感じさせられた。

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