カテゴリー「旅行・地域」の220件の記事

ナパ・バレ-~アメリカの旅(5)~

 翌日は、カリフォルニア・ワインの一大産地ナパ・バレーへ。 サンフランシスコの北の郊外なので、南のサンノゼに近いサニーベルからだと、2時間以上はかかる。ここも前回も来たので2度目。その時、訪れたワイナリーまでは覚えていないが、ワイン製造のプロセスをみせてもらい、ブドウの甘酸っぱい匂いは甦てくる。Img_0478_3Img_0483
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  さまざまなワイナリーが点在していて、S字カーブの山越え道を通って、遠いワイナリーにも連れいってもらった。≪ここは2軒目↓≫Img_0534
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  それぞれのワイナリーで有料でのテーステーングをする。日本と違って、ドライバーでも少々の飲酒は問題にならないらしい。3ヶ所もまわると、ほんの少しずつでも、かなり呑ませてもらった。気になったワインもあったが、荷物には制限がある。ここまで来ないと買えないものをお土産用に3本ほど購入しいた。

≪3か所目は、山越をした静かなワイナリ-。いろいろ案内下さり、親切に対応くださる↓≫ 
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 3か所をめぐって、夕食のメキシカン料理のお店を目指して車は走り出した。が、しばらくして緊急事態が発覚。いや、この下の写真の時に、もうすでに事件は起こっていたのだが、もう1度、今日立ち寄った場所に戻って、忘れ物探しがこれから始まるのだった、、。Img_0509

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フイシャーマンズ・ワーフ~アメリカの旅(4)~

ゴールデンゲートブリッジと並ぶ、サンフランシスコの定番の観光地が、フイシャーマンズ・ワーフ。前回は、到着した夜にここで歓迎会をもってくださった。
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今回は、ピア39へ。街は、観光客も多くて、音楽やパフォーマンスで華やいだ雰囲気。
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アシカが集まる埠頭だそうだが、そこまではいかずにブラブラお店を覗く。Img_0423

 遅いランチをご馳走になる。普通のものをたのんでも、ビックサイズなのはやっぱりアメリカ。その後の食事は、肉にしても何にしてもビックサイズ。Img_0418
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ケーブルーカーとミュニメトロ~アメリカの旅(3)~

 フイシャーマンズ・ワーフへ向かう。
 その前に乗り物の紹介。坂の街に似合う定番の乗り物は、ケーブルーカーだ。
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 ケーブルーカーは観光用で、トロリーバスがよく走っていた。
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 お洒落な路面電車(ミュニメトロ)が走っていた。
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個人的にはレトロなミュニメトロも素敵だと思った。

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サンフランシスコの街並み~アメリカの旅(2)~

ハイウェイから、サンフランシスの高層ビル群が見える。Img_1363

サンフランシスの中心街へ。文化地区の中心に建つのがサンフランシスコ市庁舎。
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夜もライトアップされてなかなか美しい。
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お洒落な外観のビルもあちこちに。
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 サンフランシスコは坂の街だ。たくさんの丘(ヒル)があるが、その丘の一つに建つのコイトタワー。街が見渡せる眺望がいいらしいが、今回はタワーを外から観ただけ。
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 レンガ畳のS字カーブの坂が続く、ロンバート・ストリートへ。何でも、世界一勾配のあるクネクネ坂だそうだ。なぜ、世界一なのかは、よくわからないが、とにかくその看板には偽りはなかった。回りはよく手入れされた庭と華麗な建物が続く街並みも美しい。
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車中から、ジャイアンツの本拠地、AT&Tパークを観る。外見だけだけど、巨大コーラも少し写っている。
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山伏弁円さまの墓所

Img_0074_2 山崎町に弁円さんのお墓があることは、最初にお参りした時から聞いていた。しかし、これまでご縁がなくて、初めてのお参りだ。

 山伏弁円、板敷山や稲田の草庵に乗り込み、親鸞聖人を殺害しようとするも、聖人に姿やその態度に接して、その場で深く懺悔し、そのお弟子になられた「親鸞伝絵」のエピソードは、あまりにも有名だ。親鸞さまも、「明法御房の往生のこと、おどろきもうすべきことにあらねども、かえすがえすうれしくそうろう」とお手紙で述べられた明法房を指すともいわれている。

 聖人のもとで懺悔回心された時の弁円さんのお歌が

 「山も山 道も昔にかわらねど かわりはてたる わが心かな」

 まさに獲信の歌である。

 その弁円さんのお墓がこの五輪の塔である。でも、何故、関東(常陸の国)の弁円さんのお墓が、兵庫県山崎町にあるのだろうか。不思議に思っていら、ここがお母様の出身地であり、彼は播磨公弁円と称されていたと、ご案内の副住職さんが教えてくれた。

 おいわれを示す案内板がお墓の前に掲げてあった。立派なもので平成二十六年というからつい先日できたものだった。
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快晴の播州路

 Img_0001法座の間、とにかく天気がよかった。特に、初日、2日目は快晴で、ボカボカと気持ちがいい。連れ合いが思わず、「こんな天気のいい日曜日は、どこかに出かけたいね」といっている。確かに、本堂でImg_0066座っていては勿体ない気がする。でも、逆に、気候も天気もいいからこそ、お参りは多かった。風は強かったが、陽気はもう春である。

Img_0020 GMを前にしているが、まだ山桜は咲いていて、ちょっと驚いた。この時期にしてはImg_0031菜の花も蓮華もこれからで、今年は少しだけ季節が遅いようだ。

 山と河(揖保川)に囲まれたのぞかな播州Img_0033路の田園風景。本当に気持ちがいい。さまざまな花が咲いて、春爛漫。

 ただ市長と市会議員の選挙が始まったばかりで、選挙事務所がすぐ近くにある関係で、朝から夕方までうるさかった。前を通るたびに頭を下げられる。後で、その候補の後援会会長が住職と聞いては、それも致し方なしである。

 縁のない町だが、ちょっとだけ選挙結果が楽しみ。
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吉崎(2)蓮如の里 

Img_9380 御山からおりて、西別院(写真1~3)、東別院(写真4~7)にお参りし、宝物もみせていただく。ここでも(お東)では丁寧な説明をいただいた。まもなく京都の本山から蓮如上人像が吉崎まで旅をされる「御影道中」があるという。Img_9388

 途中にある吉崎御坊願慶寺(写真8)は、「嫁威しの肉付きの面」だけでなく、史実をImg_9391詳しく説明してくださるが、今回はバスした。「御坊の本家はここ!」的Img_9394な標示が、至るところに掲げられいる。主張はなるほどと思ったが、景Img_9399観的にはちょっと興ざめ。

 その代わりに、蓮如上人記念館に向かう。いわゆるお東騷動での法主側「東本願寺派」である。

Img_9400_2 正面の立派な建物に入ろうとすると、ここではないという。隣の小さな地味な建物が入り口。

  この立派な方はなにか。レストランやお土産屋。なるほど、それで「営業中」の看板なImg_9407んてすね。記念館の方がぐーんと地味でびっくりしたが、拝観料を払って入場。「お時Img_9417_2間大丈夫ですか」といわれて、一時間以上も丁寧な説明をして案内くださった。蓮如上人の六字名号を中心にした蓮如上人のお名号が、時代や様式で分類されてたくさん展示されていた。

http://honganjifoundation.org/rennyo/index.htmImg_9420

 お庭は、五重の義をモチーフにしたもの。凡Img_9444人に、なぜここが「宿善の野」だとは分からないが、話のネタに写真をとった。桜はまだだが、梅や桃は花盛り。

 結局、2時間近く吉崎をお参りさせてもらった。さすがに蓮如の里である。ただあImg_9437まりにもさびさびとしていたのは平日だから? 御山や東別院では誰にも会わず、西Img_9395別院でお1人、そしてここで老夫婦と、2~3名にしか出会わなかった。その分、どこにいっても、丁寧にお話いただけたのは有り難かった。
大丈夫ですか」といわれて、一時間以上も丁寧な説明をして案内くださった。蓮如上Img_9440人の六字名号を中心にした蓮如上人のお名号が、時代や様式で分類されてたくさんImg_9432展示されていた。

  お庭は、五重の義をモチーフにしたもの。凡人には、なぜここが「宿善の野」だとは分からないが、l一周したら信心が深まるというご利益(?)があるそうなので、話のネタにImg_9438写真もとった。

  結局、2時間近く吉崎をお参りさせてもらった。さすがに蓮如の里である。ただあまりにもさびさびとしていたのは、平日だったからか。御山や東別院では誰にも会わず、西別院で1人、そしてここで老夫婦と、2、3名にしか出会わなかった。

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吉崎(1)御山(御坊跡)

Img_9336_2 久しぶりに吉崎御坊にお参りする。子供たちときたのは5年ほど前か。連れ合いは、「たぶん初めてだろう」といっている。

 ナビどおりに進むと、東西の別院を通らずにいきなり吉崎御坊跡Img_9349(御山)に着く。いつもは徒歩でここまでくるので、車で入れることに驚いた。蓮如上人のさまざまな遺稿をお参りしていたら、東別院の方がImg_9360_2こられて、パンフレットと説明してくださる。

 ここは、大谷破却のあと、たびたびの難を逃れた蓮如上人が、「虎狼(ころう)のすみなれしこの山中」に開かれて、あっというまに未曽有の仏国土に発展すImg_9332る。上人、57歳の時。しかし、時代は戦国の混乱期。加賀の守護、Img_9375_2富樫氏との抗争に巻き込まれることを避けられた上人は、4年あまりでこの地を退去されることになる。

 御山には、お手植えのお花松(吉崎七不思議のひとつ・写真1)、本堂跡(写真2)、腰掛石(写真3)に、腹籠Img_9353_2もりの聖教で有名な本向房了顕師のお墓(ただし近代の石碑・写真4)や、上人の第Img_9352四女で26歳で逝去された見玉尼のお墓(写真5)、などが点在しているが、その中心に、高村光雲作の蓮如上人像がお立ちになっている。なんでも彼の四大作(上野の西郷さん、宮城(きゅうじょう)の楠木正成、博多の亀山天皇像)だそうだ。(火事の時、カニの大群が消火にあたったImg_9365という七不思議の故事から、カニの飾りだった)

 蓮如上人が愛でられた北潟湖や鹿島の森の風景は、昔も変わらない。サクラまつりにはまだ早かったが、1本だけ早咲きのサクラが咲いていた。開花するとまた花をそれるだろう。

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兼六園の日本武尊像

Img_3155_2 昼で法座は終わるので、その後、兼六園と金沢城を見学した。

 昨年は、兼六園でも満開の桜が満喫できたが、今年はちょっと残念。Img_9236_2

 でもまだ梅を楽しむことができた。1本だけだが早咲の桜もあった。

Img_9249 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)像を発見した。昨年は、気付かずに素通りしている。

 今年は、ちょっと興味をもっていたのだ。何でもハトなどの鳥が、絶対にとまらないのだそうだ。そのことを研究し、イグノーベル賞を受賞した学者さんのことを深夜番組にした。日本では、もっとも古い銅像らImg_9251しいが、鋳造の過程で、鳥が嫌う成分が含まれているのだそうだ。そんな研究が何のためになるかというと、害鳥駆除に役立つというのである。なるほどね。

Img_9256_2 そして、もうひとつ感心したことがある。ガイドさんの説明に耳が入ってきたが、両脇に立派な松(お花松)は、東西本願寺の御Img_9285門跡(説明のママ)が、競うように寄進されたものだという。その意味では、明治期(西南の役以降)のことで、加賀藩の前田家とImg_9280_2はゆかりのないものだが、東から寄進された松は、兼六園でも1、2を争うほどの立派な松だそうだ。確かに、すごい枝振りだ。明治維新以降、政治的には、長州側(新政府)にあったお西に比べて(幕末には新撰組が睨まれた)、徳川側のお東は劣勢になったので、盛んに新政府にすり寄っていくのだが、もしかすると、こんなところでも頑張ったのかもしれない。
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  ≪早咲きのサクラ。この樹だけ咲いていた↓≫
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古風な宿

Img_9116  博多は、「しゃぶしゃぶ・あり田」でのご法座。夜座は、法座はなくて、懇親会になる。例によって、御馳走という名の殺生に舌鼓を打つ。

Img_9118 大分、熊本組、京都や広島の参詣者と、宿に移動。ビジネスホテルではなく、博多祇園の繁華街のビルの合間にある古風なImg_9125宿だ。「子供大会の会場だった、義乃家みたいでしょう」と言われたが、確かに客室にはImg_9129コタツがあり、雰囲気が似ている。中は、迷路のようImg_9126で、あっここちにトイレや洗面所が、ボチボチと点在していた。

 でも、ここは福岡市で唯一の国の有形文化財だそうだ。その点では、近江八幡の会場と同じImg_9124である。

 確かに、トイレも、洗面所も古く、不便だ。でも、それを「レトロで懐かしい」と置きかれると良さになる、というのが不思議。

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