カテゴリー「旅行・地域」の215件の記事

山伏弁円さまの墓所

 Img_0074_2山崎町に弁円さんのお墓があることは、最初にお参りした時から聞いていた。しかし、これまでご縁がなくて、初めてのお参りだ。

 山伏弁円、板敷山や稲田の草庵に乗り込み、親鸞聖人を殺害しようとするも、聖人に姿やその態度に接して、その場で深く懺悔し、そのお弟子になられた「親鸞伝絵」のエピソードは、あまりにも有名だ。親鸞さまも、「明法御房の往生のこと、おどろきもうすべきことにあらねども、かえすがえすうれしくそうろう」とお手紙で述べられた明法房を指すともいわれている。

 聖人のもとで懺悔回心された時の弁円さんのお歌が

 「山も山 道も昔にかわらねど かわりはてたる わが心かな」

 まさに獲信の歌である。

 その弁円さんのお墓がこれである。でも、何故、関東(常陸の国)の弁円さんのお墓が、兵庫県山崎町にあるのだろうか。不思議に思っていら、ここがお母様の出身地であり、彼は播磨公弁円と称されていたと、ご案内の副住職さんが教えてくれた。

 おいわれを示す案内板がお墓の前に掲げてあった。立派なもので平成二十六年というからつい先日できたものだった。
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吉崎(2)蓮如の里 

Img_9380 御山からおりて、西別院(写真1~3)、東別院(写真4~7)にお参りし、宝物もみせていただく。ここでも(お東)では丁寧な説明をいただいた。まもなく京都の本山から蓮如上人像が吉崎まで旅をされる「御影道中」があるという。Img_9388

 途中にある吉崎御坊願慶寺(写真8)は、「嫁威しの肉付きの面」だけでなく、史実をImg_9391詳しく説明してくださるが、今回はバスした。「御坊の本家はここ!」的Img_9394な標示が、至るところに掲げられいる。主張はなるほどと思ったが、景Img_9399観的にはちょっと興ざめ。

 その代わりに、蓮如上人記念館に向かう。いわゆるお東騷動での法主側「東本願寺派」である。

Img_9400_2 正面の立派な建物に入ろうとすると、ここではないという。隣の小さな地味な建物が入り口。

  この立派な方はなにか。レストランやお土産屋。なるほど、それで「営業中」の看板なImg_9407んてすね。記念館の方がぐーんと地味でびっくりしたが、拝観料を払って入場。「お時Img_9417_2間大丈夫ですか」といわれて、一時間以上も丁寧な説明をして案内くださった。蓮如上人の六字名号を中心にした蓮如上人のお名号が、時代や様式で分類されてたくさん展示されていた。

http://honganjifoundation.org/rennyo/index.htmImg_9420

 お庭は、五重の義をモチーフにしたもの。凡Img_9444人に、なぜここが「宿善の野」だとは分からないが、話のネタに写真をとった。桜はまだだが、梅や桃は花盛り。

 結局、2時間近く吉崎をお参りさせてもらった。さすがに蓮如の里である。ただあImg_9437まりにもさびさびとしていたのは平日だから? 御山や東別院では誰にも会わず、西Img_9395別院でお1人、そしてここで老夫婦と、2~3名にしか出会わなかった。その分、どこにいっても、丁寧にお話いただけたのは有り難かった。
大丈夫ですか」といわれて、一時間以上も丁寧な説明をして案内くださった。蓮如上Img_9440人の六字名号を中心にした蓮如上人のお名号が、時代や様式で分類されてたくさんImg_9432展示されていた。

  お庭は、五重の義をモチーフにしたもの。凡人には、なぜここが「宿善の野」だとは分からないが、l一周したら信心が深まるというご利益(?)があるそうなので、話のネタにImg_9438写真もとった。

  結局、2時間近く吉崎をお参りさせてもらった。さすがに蓮如の里である。ただあまりにもさびさびとしていたのは、平日だったからか。御山や東別院では誰にも会わず、西別院で1人、そしてここで老夫婦と、2、3名にしか出会わなかった。

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吉崎(1)御山(御坊跡)

Img_9336_2 久しぶりに吉崎御坊にお参りする。子供たちときたのは5年ほど前か。連れ合いは、「たぶん初めてだろう」といっている。

 ナビどおりに進むと、東西の別院を通らずにいきなり吉崎御坊跡Img_9349(御山)に着く。いつもは徒歩でここまでくるので、車で入れることに驚いた。蓮如上人のさまざまな遺稿をお参りしていたら、東別院の方がImg_9360_2こられて、パンフレットと説明してくださる。

 ここは、大谷破却のあと、たびたびの難を逃れた蓮如上人が、「虎狼(ころう)のすみなれしこの山中」に開かれて、あっというまに未曽有の仏国土に発展すImg_9332る。上人、57歳の時。しかし、時代は戦国の混乱期。加賀の守護、Img_9375_2富樫氏との抗争に巻き込まれることを避けられた上人は、4年あまりでこの地を退去されることになる。

 御山には、お手植えのお花松(吉崎七不思議のひとつ・写真1)、本堂跡(写真2)、腰掛石(写真3)に、腹籠Img_9353_2もりの聖教で有名な本向房了顕師のお墓(ただし近代の石碑・写真4)や、上人の第Img_9352四女で26歳で逝去された見玉尼のお墓(写真5)、などが点在しているが、その中心に、高村光雲作の蓮如上人像がお立ちになっている。なんでも彼の四大作(上野の西郷さん、宮城(きゅうじょう)の楠木正成、博多の亀山天皇像)だそうだ。(火事の時、カニの大群が消火にあたったImg_9365という七不思議の故事から、カニの飾りだった)

 蓮如上人が愛でられた北潟湖や鹿島の森の風景は、昔も変わらない。サクラまつりにはまだ早かったが、1本だけ早咲きのサクラが咲いていた。開花するとまた花をそれるだろう。

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兼六園の日本武尊像

Img_3155_2 昼で法座は終わるので、その後、兼六園と金沢城を見学した。

 昨年は、兼六園でも満開の桜が満喫できたが、今年はちょっと残念。Img_9236_2

 でもまだ梅を楽しむことができた。1本だけだが早咲の桜もあった。

Img_9249 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)像を発見した。昨年は、気付かずに素通りしている。

 今年は、ちょっと興味をもっていたのだ。何でもハトなどの鳥が、絶対にとまらないのだそうだ。そのことを研究し、イグノーベル賞を受賞した学者さんのことを深夜番組にした。日本では、もっとも古い銅像らImg_9251しいが、鋳造の過程で、鳥が嫌う成分が含まれているのだそうだ。そんな研究が何のためになるかというと、害鳥駆除に役立つというのである。なるほどね。

Img_9256_2 そして、もうひとつ感心したことがある。ガイドさんの説明に耳が入ってきたが、両脇に立派な松(お花松)は、東西本願寺の御Img_9285門跡(説明のママ)が、競うように寄進されたものだという。その意味では、明治期(西南の役以降)のことで、加賀藩の前田家とImg_9280_2はゆかりのないものだが、東から寄進された松は、兼六園でも1、2を争うほどの立派な松だそうだ。確かに、すごい枝振りだ。明治維新以降、政治的には、長州側(新政府)にあったお西に比べて(幕末には新撰組が睨まれた)、徳川側のお東は劣勢になったので、盛んに新政府にすり寄っていくのだが、もしかすると、こんなところでも頑張ったのかもしれない。
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  ≪早咲きのサクラ。この樹だけ咲いていた↓≫
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古風な宿

Img_9116  博多は、「しゃぶしゃぶ・あり田」でのご法座。夜座は、法座はなくて、懇親会になる。例によって、御馳走という名の殺生に舌鼓を打つ。

Img_9118 大分、熊本組、京都や広島の参詣者と、宿に移動。ビジネスホテルではなく、博多祇園の繁華街のビルの合間にある古風なImg_9125宿だ。「子供大会の会場だった、義乃家みたいでしょう」と言われたが、確かに客室にはImg_9129コタツがあり、雰囲気が似ている。中は、迷路のようImg_9126で、あっここちにトイレや洗面所が、ボチボチと点在していた。

 でも、ここは福岡市で唯一の国の有形文化財だそうだ。その点では、近江八幡の会場と同じImg_9124である。

 確かに、トイレも、洗面所も古く、不便だ。でも、それを「レトロで懐かしい」と置きかれると良さになる、というのが不思議。

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立春

Img_8790  立春。それに相応しい晴天。しかも暖かい。
 
 近鉄の十条駅から東寺の五重の塔を撮影する。

Img_8791 新幹線に乗る。お隣も、回りも、中国の観Img_8807光客。浜名湖から静岡を過ぎて、しばらくすると一斉に、歓声があがた。

 実は、ぼくも最初から狙っていて、デジカメImg_8808も用意していた。まさに狙いどおりで、美しい。

 もちろん東京も、快晴だった。

Img_8816 チラホラと梅がほころびだしていた。

 気持ちよく公園を歩きながら、法座会場へ。2月の東京支部法座が始まる。

 会場の林野会館からは、スカイツリーがよく見える。

 しかし天気は長持ちしない。明日の朝から雨になるという。撮影は、土曜日の内に済ませた。

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冬の北海道へ(6)~一乗寺訪問

Img_8340 層雲峡から旭川のラーメン屋台村で、旭川ラーメンを食べる。お店は、青葉。外国からの観光客で一杯だ。特に、東南アジア系の観光客が多いのは、雪が目当てで、みんなはしゃいでいる。雪が珍しく喜んでいるのはぼくたちも同じなのだか、さすがに5日目となるとそImg_8334れにも慣れてくる。

 アイヌ関係の施設に寄る計画だったが、次ぎの約束が迫っていて急いで深川に戻Img_8338ることにした。

 一件目は、連れ合いが高校時代から馴染みの喫茶店に立ち寄った。実は、これまで予定をImg_8344立てながらも縁がなかったお店で、マスターが歓迎してくださった。とにかくマスターの色鉛筆による模写された絵がすごい。これをみるだけでも価値がある。

 二件目は、今回の旅の目的でもある。一乗寺に向かう。信楽ゼミの大先輩で、社会的な実践活動にかけては、第一人者のT先生にお会いImg_8347することだ。不思議てことに、何度かゼミ同窓会で同席しT先生の朋友の方とは知り合いでなのに、なぜかまったくご縁がなかったのだ。T先生も、華光のことも父の名前もよく知っておられるし、真宗カウンセリングに参加されてことがありながら、華光とはご縁がなかったという。

 ところが、連れ合いとは同郷、しかも劇団の有力な支援者のおひとりで、保育園の関係で果樹園との付き合いも長くて、家族ぐるみのお付き合いであることが分かって、今回、お寺を表敬訪問させていただいた。

 とにかくいろいろな話が出た。恩師の信楽先生の教え、教団改革の経緯、ブラジルの仏教会の事情、もちろんご自身の活動と、話題が次々と溢れ出る。すごいエネルギーだ。 

 朝鮮半島から強制連行され家畜同然に、埋葬もされないまま野垂れ死された方々の遺骨収拾し、朝鮮半島に届ける実践活動を行い続けておられる。ともすれば、かわいそうな人達の遺骨を返し喜んでもらうボランティア程度の認識しか持てもらえないようだが、そうではないImg_8384_2。私たちの共業、罪業を逃げることなくみつめること。そして被害者・加害者の垣根を超えていくこと。さらには、両者が怨讐を超えて互いに手を携える活動をされているのである。言うは易し行うは難しで、けっしてたやすいことではないのだが、それを長年にわかり実践されているのだから、まさに菩薩行である。7月の聞法旅行では、半日、もしくは1日、資料館や実際の現場を訪れるこども含めて検討している。一風変わった聞法旅行になることを願っている。

 正月まいりのご多忙の中を、時間を割いて歓待してくださり、帰りには、すっかり暗くなっていた。
 

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冬の北海道へ(5)~層雲峡~

Img_8178  昼過ぎから、 上川町にある層雲峡へ。途中、「愛別」という四苦八苦のような地名を経て、層雲峡温泉へ。ぼくは二度目だが、子供たちは初めてだ。大雪山系とあって、とにかく寒かった。Img_8254

 夕方に着いて、流星、銀河の二つの滝を観に行ったが、寒さで見学は明日にして、温泉に入った。楽しみにしていた「氷爆祭り」は少し先のことで、いまは準備中だったImg_8256のは残念。最初、間違って「水爆Img_8257まつり」と読んでしまったが、よく考えるとそれでは恐ろしすぎる。「水爆」ではなく「氷爆」だ。氷がきれいな水色だったのが印象的。本番では、夜間にライトアップされるそうだImg_8264が、極寒の中で映えることだろう。

 翌朝、リベンジして、流星、Img_8270銀河の二つの滝を観に行く。昼間でも風が冷たい。石狩川は流れている。流星の滝は、すぐにわかったが、銀河の滝がわからない。売店で尋ねると、「目の前に見えてますよ」といわれる。見事に凍っているのである。まずそれに驚いたが、凍った滝を登っている人がいることにまた驚いた。ロッククライミングだ。何名かのパーティーが滝Img_8283を登りかけようとしていたが、なかなか容易なことではなさそうだ。

 層雲峡温泉より北見方面へ、小函から大函にも足を伸ばした。新大函Img_8292トンネルを過ぎるとすぐ左手が大函。マグマの冷却などで玄武岩が六角柱状垂直に発達した柱状節理の巨大な岩壁が、Img_8300_2屏風のように並ぶ渓谷美で有名だ。ところが、せっかく来たのに昨夏の台風の影響で通行止めとなり、近付けない。大型重機が、護岸や岩肌を工事中だ。

 ならば、大雪ダム湖を目指した。大雪山系と湖の眺めが美しい。Img_8297予想外だったが、見事に湖が凍って、その波形の紋様がとても美しく感動的だった。にもかかわらず、観光客がだれもこなく、穴場中の穴場。夏場の緑も美しかったが、厳しい気候ならでは白銀の美しさが堪能できた。天気はよかったが、大雪山系はそこだけガスがかかって、ちょっと粘った見えなかったことだけは残念。

  でも、子供は雪の中に倒れこみ転がり続けるのでした。

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    ≪水爆でなく、氷爆祭りの準備中≫Img_8279        ≪凍る銀河の瀧≫
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      ≪凍った大雪ダム湖の紋様も美しい≫Img_8307_2

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冬の北海道へ(4)~深川市荻原果樹園

Img_8174 連れ合いの実家は、深川市納内町にある果樹園である。
http://www11.plala.or.jp/miharasi/

  リンゴやサクランボの観光農園なので、バスで観光客が訪れるImg_8044こともある。少し小高い場所にあるので、お隣までは1㎞離れている。回りは田んぼに囲まれているが、いまはすべて雪に覆われている。深川は、リンゴと米の町だ。

 天候は穏やかだったが、朝晩「しばれた」。この日も、最低気温がマイナImg_8129ス20度になった。隣接する旭川市江丹別で、この冬最低のマイナス26.6度を記録した。ウィンタースポーツをやらないので、この寒さは初めてである。室内は、二重窓や凍結防止のImg_8142暖をとる工夫はあり、寒さを感じないが、外に出て感じるは、抹消部分(手や足先、鼻や耳)がすぐに冷え痛くなるのだ。

 しかし、日中、太陽が出ると、雪に反射してキラキラとまぶしい。子供たちは雪遊びに夢中だ。スキーをしたり、ソリもどきをした。ただ、雪がサラサラなので、雪だるまが造りづらいということがわた。ある程Img_8119度水分が含まれていないとうまく固まらないというのだ。あちらこちらに、キタキツネやテンの足跡が残っていた。Img_8040_2

 夏場も爽やかでいいところだが、冬場もまたきれいだ。ただ連れ合いは、厳しい暴風雪を体験させたかったようだが、残念(?)ながらまたの機会に。

 長年、ここで果樹園を営まれていたが、両Img_8368親共に高齢となっては、たくさんのりんごの木手入れは年々難しくなるので、今年はりんごをの木は切って、サクランボとブドウだけになってしまうようだ。残念だが、これもまたシュウカツのひとつである。

Img_8376 この山で、7月の聞法旅行では、山小屋の上でジンギスンを予定している。サクランボ狩りもできますよ。初夏の様子はいかでご覧ください。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/2-ec7d.html

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        ≪フェイクした写真ですが、、≫

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冬の北海道へ(3)~余市町の真宗寺院~

Img_8033 小樽まで来たら、ぜひ余市町まで足を伸ばしたかった。最近は、朝ドラ「マッサン」で注目されたニッカウィスキー蒸留所で有名になった。が、目的は他にある。

Img_8002 華光同人がこの町におられるのだ。しかも大派のお寺だ。会館にも御参りされたことがあるが、最近はちょっとご無沙汰である。こちらの方に足を伸ばすこともないので、この機会にぜひ寄りたかった。ただ小樽行きが決定したのは、Img_8014出発の2日前のことで、予定も不透明だったので、連絡が当日になった。北海道では、宗派にかかわらず、正月は「正月参り」の風習があって、とても忙しくされていた。一端は、断念したが、やはりここImg_8005まできているのだからと、天狗山から余市町に向かうことにした。雪の中を、山間から海岸沿いを通って40分ほどで到着した。

 お寺の回りも今年は豪雪だという。境内に、普通に除雪作業のブルドーザーがあるのに驚いたが、北海道のお寺では当たり前なのだろうか。お忙しい中、ご住職は歓迎してくださった。本堂もそうだImg_8004が、立派な門徒会館てお迎えくださった。久しぶりにお会いした。華光とのご縁の経緯などを詳しくお聞きしたが、改めてご縁の不思議さを感じさせられた。しかもである。ご縁は信仰の上だけでないことがここで判明して、お互いに驚いた。

 連れ合いの劇団である希望舞台の支援者のおひとりで、過去のImg_8018余市公演の時には、お手伝いくださっていることが分かったのだ。連れ合いの劇団は、昨年六月にも余市町仏教会主催の後援を開いている。その時にはご長男がお手伝いされて、劇団の代表と意気投合されたといのだ。思わぬ形の再会にみんなびっくりである。

 でも、おかげで悩みも増えた。聞法旅行では、小樽から余市へも足を伸ばしてお寺を表敬訪問したいものだと思えた。欲張っては難しいが、あれこれ膨らむ計画に頭を悩ませているのである。お昼に食べたパスタも美味しかったです。Img_8021Img_8023

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