カテゴリー「文化・芸術」の75件の記事

沖縄の旅(5)~残波岬、万座毛~

Img_8247 今回は3泊4日の旅。しかし、初日と4日目は移動のみで、正味2日間の沖縄である。おそろしい(いい意味で)ほどに安いツアーチケットを手に入れた。JALの伊丹と那覇間の往復運賃、リゾートホテImg_8250_2ルの3泊と朝食、夕食1回、4日間のレンタカー代がすべて込みで、京都から大分を往復交通費とほぼ同じ料金だった。新潟の往復新幹線代にもなならい。10月の中旬から閑散期になるのだが、観光地もホテルImg_8249も混雑していた。インパウンドの恩恵を受けているのでだが、アジア系の観光客が多かった。今回は、大浦湾にも行きたかったし、うるま市Img_8251の華光同人や知人の真宗寺院にもお参りしたかったが、このあたりは丁寧に回りたいと思ったので、次回の旅に持ち越すことにした。

  ホテルは読谷村の残波岬にあった。先の強烈な台風で被害があって、残波岬の灯台は修理中で登れなかったが、青空に紺碧な海は美しImg_8477い。岬に、偉人の像が立Img_8491ってた。「ここはどこでしょう」と、クイズを出すと、すぐに分かってしまった。この方、有名なようです。

  翌日は、沖縄の西Img_8492_2海岸を進むと、万座毛がある。ここも観光客で混雑していた。今日も、からだがもっていかれるほど強風だったが、台風の凄まじさはおそろしいものだろ。昨日は、まだ泳ぐ人も多く暑かったが、一日で天気は急変。今日は、冷たい風が吹きつけている。
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 ≪残波岬から紺碧の海≫
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  ≪万座毛≫
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 ≪アダンの実≫

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釈迦内柩唄を観る

Img_62825年ぶりに連れ合いが舞台に復帰する。結婚後も、劇団の制作には関わってきたが、舞台に上がることはなかったが、本人にとってもライフワークだといってもいい水上勉作の『釈迦内柩唄』の公演が始まったことも大きい。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-f3c7.html

Img_6277たまたま東京法座と公演が重なった。というわけで今回は昼座の代わりに、希望者が観劇することになった。東京支部の方だけでなく、東海支部や大阪、福岡からも集まってくださった。3日間の公演で、20数名も華光から観劇に参加してくださった。ありがとう。主演ではないのに、彼Img_6278女宛に大きなお花まで贈ってくださっていた。たいへん恐縮している。こちらも「ありかとうごさいました」

3週間前から、舞台稽古のために東京に入っていた連れ合いも、久しぶりの舞台にちょっと緊張気味の様子。ぼくも、皆さんにお声をかけてチケット販売をした手前、責任を感じていて、こちらも少し緊張していた。

Img_6259会場は築地本願寺のブティストホール。200名も入ると一杯になる小さめの会場だ。これまで5~600名ほどの大ホールで公演を見てきたので、舞台もずいぶん狭く感じた。しかしその分、観客との距離は小さくて、とても迫力があった。後で分かち合いをしたときに、迫力があったこと、プロ役者さんが上手いこと、そしてテーマに感銘を受けたというのが、異口同音聞かれたことだ。しかも、早めに並んで整理券をもらったので、華光の皆さんは3番からのたいへん早い番号。おかげて前列3番目の中央という絶好の場所に、皆さんが座ることができた。

今回は、俳優座の協力で行われているので、連れ合いのお相手は加藤頼氏。公演前には、加藤剛氏も観劇されたとのことだが、若い時の剛氏を彷彿とさせる、いい男である。連れ合いは、若い男前の旦那だと喜んでいた。主演の有馬さんも半分以上は一人芝居なのだか、ここまで魅せるのはさすがにブロである。

Img_6280二人に比べると連れ合いの演技は、グッと抑えた気味だったのが好印象だ。家族にはやさしい笑顔の素敵な、控えめな母親役なのだが、あるところで、毅然とした態度で死体焼き場で対峙するシーンは、前の米斉加年氏の演出よりもずっとよかった。短いシーだが、彼女の演技と生のチェロ演奏で迫ってくるのもがあった。

感動を受けたとか、人間の悲しい業を感じたとか、昨年の北海道聞法旅行で学んだ朝鮮半島からの強制労働者の遺骨収拾のテーマと被ったとか、いろいろとあって、中には「法話の方が感激します」という方まであったが、まあそれは致し方ないことだ。概ね、皆さんから高評価をいただいて、ほっとしたというのが、正直なところ。

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龍谷大学ミュージム-マンダラのほとけと神ー

Img_5453 招待券があったので、母も一緒に、龍谷大学ミュージアムへ。

http://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/reg201801.html

「特別展示-マンダラのほとけと神」と題されていた。密教関係はあまり好きではないし、招待券がなければパスしただろう。でも、「仏教の思想と文化-インドから日本へ~」というこれまでのシリーズものImg_5455の一環で、密教やマンダラだけに特化した特別展ではなかった。

第一室は、アジア仏教と題して、ガンダーラやマトゥラー出土の仏像や仏伝の浮彫、経典などが、かなり体系的に展示してあった。これまで見たことのあるものも多かったが、ガンダーラの仏や菩薩たちは精悍で、かつ美しい。インド、西域、そして中国の展示で、まったく密教関係はなかった。

次の第二室は、日本仏教の展示である。やはり密教関係や国家仏教に関する仏像やマンダラもあったが、半分は、浄土教や浄土真宗のものであった。その意味では、馴染みのあるものも多くて、とても興味深いみせてもらった。

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奈良と京都での『地獄・極楽』展

Img_3199 細見美術館の「末法展」のことを書いたら、かなり古いが夏に見た奈良博で源信展と、秋に見た龍谷ミュジーアムでの『地獄絵ワンImg_3192ダーランド』展にも触れて起きたくなった。昨年は源信(恵信)僧都の千回忌で、今年は、各地で源信僧都ゆかりの展覧会が開かれていた。そのうち、二つの展覧会を鑑賞したのだ。

Img_3203 夏には、奈良国立博物館で『源信展』~地獄極楽へのいざない~の開催されていた。

これはとても見事なもImg_3240で、感動した。単なる、地獄極楽の図だけでなく、源信僧都の思想に迫る内容。その著作もたくさんImg_3228展示されていたし、その思想の背景にあるもの、また同時代の学僧たちの書籍の展示など、体系的な展示がとてもよくて、久しぶりに興奮というか、感動した展覧会だった。

 ただ売店で売っていた地獄Tシャツの購入を迷ったが、やっぱりやめた。

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Img_3796 秋は、京都の龍谷ミュジーアムで『地獄絵ワンダーランド』展が開催された。

 招待券もあり、連れ合いと母と一緒に出かけた。この地獄絵展は、東京でも行われているが、地獄のかなり人気のテーマのようImg_3790で、平日でも盛況だ。どこかで恐いもの見たさの気持ちがあるのだろう。ただ国立博物館と比較しては申し訳ないが、源信展に比べると、量、質ともにかなり落ちる。国宝や重文などの一級品の展示さ比べると、如何せん二軍(いや三軍か)の試合である。もちろん、国宝の一級品ばかりで世の中は出来ていない。美術品として二流、三流であったとしても、どこか味があっりり、面白かったり、キッImg_3794チュさが愛らしかったりする。庶民に生きた地獄・極楽の世界を味わうという意味では面白かった。

 ビデオ上映もあって、女流講談師による地獄めぐりが語られていた。これがなかなか面白い作りで、飽きずに見ることができた。これを最後にどのようにまとめるのかと興味津々でいたら、「地獄も極楽も、いまの心の問題だ」というオチで終わり、監修は龍谷ミュジーアムだとクレジットさImg_3797れた。あれれ、いまの己の心に、地獄、極楽があるのだとなると、下手すれば唯心の浄土になっちゃうよ。要は、地獄なんか心の問題だと言いたいのだとすると、極楽だって同じことになる。せっかくの私を指し示してくださった仏説まことが死んでしまう。
 結局、展示の意図も含めて、この企画を浄土真宗系の龍谷大学のミュジーアムで行う明確な意味が感じられなかったのが、もっとも残念なところ。
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細見美術館~末法展~

Img_4931_2 ずっと気にはなっていたが、初めて岡崎になる細見美術館に行く。このあたりは、京都の文化ゾーンでホールや会館、そして大小さまざまな美術館が点在している。大きなところでは、国立近代美術館。その対面に、京都市美術館がある。その周りには、野村美術館や泉屋博古館、そしてこの細見美術館と、小振りだが、センスのいい私立美術館があるのも魅力的だ。特に今年は、四条大橋にある南座が耐震工事中で、美術館のお隣のロームシアターで顔見世興行が行われているので、一層賑やかImg_4941だった。

 細見美術館のテーマは「末法展」だった。テーマに魅力を感じていた。が、美術館としても強い意図もった企画で、今日(端的にいうならば、国宝展のような大企画、国宝○○点とか、新発見といったセンセンショナルなマスコミや美術館が造った)の美術展示のあり方に、小さなImg_4938抵抗をおこなう企画で、あくまでも一人称で語られる、小さな美術館だから出来る企画だった。

 ただし、テーマはかならずしも仏教的な意味での末法ということだけに特化されたわけではないが、今日の美術界の有り様が「末法的である」という拡大解釈で行われていた。展示所も小さく展示品も60点ほど。しかし、しいと思える作品がたくさんあったのがよかった。美Img_4946術館も、そして展示物も、品があるのだ。中でも、興福寺伝来で明治の元勲、井上馨が所蔵していたという「弥勒如来立像」は、気品もあり、とても美しかった。また末法とは関係ないが、長谷川等伯の屏風絵、与謝野蕪村、円山応挙が、小さなImg_4947作品だが一室になった。応挙の「驟雨江村図」にこころ引かれた。

 ただ、三階(実際は地上1階で地下におりるのだが)二階、一階へと階段を歩くのが母には難しく、特別にエレベーターを使わせてもらった。普段は職務用なので、職員がいちいち付いてご案内してくださった。その親切な対応も有り難かった。

 詳しくは、こちらで。(寺の写真は、向かいにある日蓮宗の寺院)

http://www.emuseum.or.jp/exhibition/ex056/index.html

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「国宝展」

Img_4249 今秋の京都の目玉行事のひとつが、京都国立博物館での「国宝展」である。

http://kyoto-kokuhou2017.jp/index.html

http://www.kyohaku.go.jp/jp/index.html

 母が行きたいと言い出したが、待ち時間も長い。たいへんな人込みで、歩行が困難な母には難しいと思ったが、週末にある夜間鑑賞の時は、団体客も少なく比較的空いているとのでは思った。

Img_4254 幸い、入館までの待ち時間はない。それでも、展示物の前は黒山の人だかり。京都の街はいま外国人だらけだが、国宝展では外国人は目立たない。それだけいかに皆さんの関心が高いかである。

  約200点以上ある展示物すべてが、国宝。建築物を除くと、日本の国宝の実に1/4近くが展示されるというのである。もっとも、Ⅰ・Img_4251Ⅱ期、そしてⅢ・Ⅳ期の4期に分かれていて、かなりの展示替えがある。前半、後半といってもいいが、Ⅲ期のみの展示される国宝もあるので、4期を通し券まで出ていた。それだけの値打ちがある。

 圧倒的な迫力だった。右を見ても、左を見ても「国宝」。しかも、教Img_4262科書に出ているような有名な国宝中の国宝も多い。それが考古から始まり体系的に集められているのだ。このうち、何割かはすでに観たことのあった。京都ゆかりのものも多くてどこかで目にしている。しかし、(もう終わっていたが)一室に雪舟の国宝6点が一挙に見れるなどの見どころもある。今期なら、伝平重盛・源頼朝・藤原光能像の三点が並んImg_4258で展示されるところだ。さすがに、肖像画の最高傑作、極致ともいっていい逸品で、伝源頼朝像の精悍さと品はすごさは、遠目からも伝わる。細部をみても、たいへんな技巧で、普通は真っ黒に見える袍にも細かな紋様が描かれているのは、間近に実物を見ないとわからなかった。
 
 中でも、ひときわ黒山の人たかりは、このⅢ期のみの展示されている「金印」だ。前列でマジかにみるには、40分待ちの行列である。そんなに並びたくないので、ここはパスしたが、なんのことはない。前列ではないImg_4261が、頭越しに十分見れたし、ちょっとだけ待つと後ろかられでマジかにみることもできた。いちばん、びっくりしたのはこんなに小さなものとは思わなかった。2センチほどのもので、もっとも小さな国宝だという。まあ、これはこんなものかという程度。

 とにかく見どころだらけので、かなり早足で回ったが、それでもあっという間に2時間半たっていて、外はすでに真っ暗。

 出口からライトアップされた京都タワーが見える。母が「わー、きれいなや。下の蓮台(?)までみえるわ」と、いつも会館の窓から観ているタワーにいちばん感心していたのが、面白かった。

 京都タワーが国宝になる日はあるのか。

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映画『幻を見る人』と詩人吉増剛造

 知の巨人吉本隆明は、「今、日本でブロフェショナルの詩人とは、谷川俊太郎、田村隆一、そして吉増剛造の3名だけだ」と言ったという。ところが、そんな吉増剛造のことを、ぼくはまったく知らなかった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%A2%97%E5%89%9B%E9%80%A0

 川端康成が『古都』を執筆した京都で、その吉増を捉えたドキュメタンリー映画を見る。今回が初上映。被写体の吉増も初めて観たといった。会場は、同志社の寒梅館のホール。先月、中村敦夫氏の朗読劇を観たことをきっかけに、今夜も参加した。大学での上映、しかも無料なのに、年輩の方ばかりが集まっている。不思議に感じたのは、ぼくだけでなく、終了後「なぜ学生さんは来ないのか?」と受付係に質問していた人もいた。結局、今の若者の関心事ではないということだろう。

 映画は、東日本大震災の大津波の映像からはじまった。おそろいしほどの自然の脅威だ。日本を代表する詩人でも、この東日本大震災の惨状を前に言葉を失ったというのである。そして、京都の美しい四季が描かれれていく。こちらは、息をのむほどの美しさだ。特に、光の鮮やかさが印象的。映像美でもある。
 春の醍醐寺の桜、夏の貴船神社の緑、秋の岡崎の流響院の紅葉、そして冬の妙心寺と雪景色。そして、川端康成が『古都』の部隊である京都北部の中川地区。北山杉の里だ。余談だが、学生時代、Aさん兄弟と一緒に、冬の中川で写真撮影に出かけたことがある。その後、自分でフィルムを現像しプリントもした。懐かしい思い出だ。そして、神秘的な池は沢池だろう。中学時代、ここでキャンプして泊まったこともある場所。ラストは、妙心寺の狩野派の筆で,法堂一面に描かれる龍である。

 大震災と京都の四季は、一見、無関係なようで、水をテーマに、また古代から日本人に流れる自然(水)への畏怖と報謝が、神と祀られたり、龍となっていることを示しているようだ。京都盆地には、琵琶湖の水量に匹敵するほどの地下水が貯蔵されているそうだ。それが伏水となって、名水を生み出している。伏見が酒作りで有名なのもこれに関係し、各地の神社には湧き水の名所も多い。日頃は隠れているが、そこかしこに痕跡があるのだ。

 しかも単なる自然を映し出す美しい映画ではなく、主役は、その場所で言葉を紡ぐ詩人、吉増剛造。その創作活動の一端をおいかけることだ。鬼才のパフォーマンスは、凡人の理解を遥かにしのぐ、身を削っての創作活動の一部をかいま見る。

 映画がおわり、吉増剛造氏が舞台上でパフォーマンスと、対談。終了後、その場で参加者とのちょっとした交流会。なぜか、鬼才の詩人が、連れ合いの目をじっと見つめて創作のたいへんさを語っているのが面白かった。何か響くものがあったのかわからないが、彼女は、「こわいよー」と小声で。ある程度、養生してあった舞台だっだが、そこかしこに墨汁が飛び散っている。詩人の靴も、服も墨だらけだ。

 創作過程のほんの一部、言葉を紡ぎだす苦悩のほんの一旦にも触れられて、いろいろと刺激も受けた集いだった。
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中村敦夫朗読劇『線量計が鳴る』~元・原発技師のモノローグ~

Img_3815Img_3816 Rさんに校正を渡しぎりぎりまで仕事をして、急いで今出川の同志社大学に向かう。構内の寒梅館のホールで、中村敦夫の朗読劇を観る。
 整理番号は300番だったが、中央の2列目にの空きがありラッキーだ。休憩を挟んで2時間近く、一人での朗読劇。それでも、飽きさせることなく聞かせるのは、やはりプロ。
Img_3812    啓蒙演劇というジャンルで、情感に訴えて感情を揺さぶるのではなく、問題を指摘し観客を覚醒させ、新しい視野を提供する」というものだ。フクシマを通して、日本の原発にまつわるさまざまな嘘やごまかし、詭弁、さらにチャルノブイリでいま起こっている現実も踏まえImg_3807て、原発の本質を見極めて、ひとりひとりがわかこととして考えるきっかけになればという願いで始まっている。

 オリジナルの朗読だけてなく、プロジェクターを使った講義風で、啓発的な内容で、触発をうけた。もし近くで公演があるようなら、ぜひ足をの運びください。

http://www.monjiro.org/%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/

 おまけですが、今回の朗読劇とは別だが、弁護士である河合弘之が撮った映画『日本と原発』(合わせて同じ著者の新書『原発訴訟が社会を変える』)だ。多岐にわたる原発問題の問題点が浮き彫りになってくるので、こちらも面白くて、お勧め。

 最後に、まったく関係ないことだが、主演の中村敦夫氏についての余談をひとつ。

 感想を会館の事務所で話ていたときの会話。。

T「中村敦夫といえば、「シトシトピッチャン、シトピッチン」ですね。
S「いや、それは子連れ狼でしょう。」
T「ああ、子連れ狼は、カツシンか」
S「いや、カツシンは座頭市でしょう。」
と、若いRちゃんには「?」の珍問答が続いていた。

   ちなみに、子連れ狼は若山富三郎(もしくは萬屋錦之介)で、中村敦夫は木枯らし紋次郎である。でもしかーしである。ぼくにとっては、「水滸伝」の林冲(りんちゅう)なのである。日テレが総力を結集した放映記念の大活劇で、中学時代のテレビ番組だった。ぼくが、いちばん影響を受けた番組かもしれない。おかげで、何十年たっても、いまだに水滸伝フリークである。その後、ほんもの水滸伝を読んで時、林冲が主役でないことに驚くことになり、北方水滸伝で、また衝撃をうけることになる。

 まったく原発問題とは別次元の話でした。

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広島県立歴史博物館にて

Img_3773 福山駅の目の前に福山城がある。お城を中心に美術館や博物館などの文化施設がたくさん集中している。なかなか福山を訪ねるご縁もない。もしかすると、今年が最後かもしれない。というわけで、在Img_3733来線の乗継ぎを利用して、お城に隣接した広島県立歴史博物館を訪ねた。http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekishih/

 メーンは、草戸千軒遺跡の復元や出土品Img_3767の展示が中心で、別名「ふくやま草戸千軒ミュージアム」といわれてImg_3736いる。草戸千軒とは、福山湾岸で南北朝に栄えた港町でその後衰Img_3744退し、それが川の氾濫で水没したのだが、ものが、中世の街並みの遺跡の出土品や、原寸で復元されたと街並みが再現されている。出土したものは、料理や生活に使Img_3746われる日常品が中心だ。鍋や釜、食器、包丁(重文の包丁)や、まじないや占い(やはり(重文の陽物)に使われたものもある。当日の人々の等身大の生活を知る上で貴重なものだが、陶Img_3747_2器は大陸との交流も窺えるものだ。

  ところで、第1室は瀬戸内の歴史を、古代から近代までを体系的に展示されている。ここでいちばん驚いたことは、展示物はの大半が複製品であることだ。ぼくもこれでまで各地の美術館Img_3741や博物館を訪れたが、国宝級のお宝でもないのに、これだけあれこImg_3739もこれも複製というのは、かなりがっかりさせられた。劣化が進むものは展示が難しいだろうし、複製の方がもともとの状態をよくImg_3761顕していることもある。

  しかしこれだけ(複製品)の標示が多いと、Img_3757_3ほんとうに公立の博物館として、展示する意味があるのか。複製技術を堪能できるという意味では、広島県立複製博物館と命名したほうがすっきりする。しかも写真撮影は禁止。複製品なのにだ。意味が分からない。まったく混雑はしてはいない。ほんものではないので劣化することや著作権があるわけでもImg_3787ないのだ。でも第2展示だけは撮影OK。しかし、同じ出土品でも、第3室はまた撮影禁止となる。
 ちなみに、東京国立博物館は、(フラッシュや三脚は禁止だが)複製ではないほんもの国宝でも、自由に撮影できた。ここは特別だけど。

 

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浄土真宗と本願寺の名宝Ⅱ

Img_9158 ご本山の伝燈報告法要記念の、龍谷ミュージアムでの「浄土真宗と本願寺の名宝Ⅱ」に行く。

 Ⅱとあるのは、昨年の秋に「Ⅰ」も鑑賞に行った。名宝展とあるので、本願寺の所蔵の国宝の名品も展示されている。が、なぜか西本願寺所有するのは、「本願寺三十六家集」とか龍大が所有の「類聚Img_9155古集」といった歌集ばかり。美術品としては超一級品かもしれないが、まったくお念仏の教えとは関係ない。もちろん、法宝も展示されているが、そのほとんどが末寺の名号や阿弥陀仏像であって、本願寺所有のものは少なかった。第一期と同様、歴代ご門主の肖像画が順番に展示されるのが、第1室のメーンである。

 もっとも期間限定(1週間ほど)で、Ⅰ期は「鏡御影」、Ⅱ期は「安城御影」と肖像画は展示されるようだが、聖人直筆はなし。若き日の筆の「観無量寿経註」とか「阿弥陀経註」。せめて「清書本」でいいので「教行信証」といって、聖人ゆかりの著作ももっと惜しみなく展示してもらいたかった。

 確かに本願寺の名宝に違いないのだろうが、絵画や書といった美術品よりも、もっと教えに直結したもの、もしくは信仰の対象となるものを展示してもらいたいという欲求不満は残った。

 もっとも共に招待券で鑑賞だったので文句は言えません。有料なら、、、、ぼくはパスする内容かな。

http://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/sp.html

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