カテゴリー「文化・芸術」の65件の記事

名古屋観光の定番

Img_7283 浅野屋に寄っても日帰りできる時間だったが、運転手がノンアルコールになるので、名古屋の栄に一泊することにしていた。

Img_7285 栄が法座会場になる時はテレビ塔に近いが、一度も登ったことがなかった。クリスマス前で、館内での星座をテーマしたマッピング。正直、特別料Img_7306金を払うほどのことはなかったが、夜景はきれいだった。名古屋城もライトアップされている。すぐ近くのオアシス21という複合施設も散策する。

Img_7323_2 翌朝は名古屋城へ。御三家筆頭尾張藩の居城として名高い。快晴。師走とは思えない陽気だ。陽だまりの紅葉が、まだ赤く染Img_7342まっているとこもある。

  一部修復なった本丸御殿を拝観する。まだ一部は工事中で、全体の完成は、2年後だという。それでも、真新Img_7352しい檜と、絢爛な襖絵が美しかった。たまたま、假屋崎省吾氏の華道展も行われていた。

Img_7357 名古屋城といえば、金の鯱。

Img_7370 しかし、国宝だった天守閣は昭和20年の空襲で焼失して、約60年前に再建されたもの。残念ながら、金の鯱も当時のものではないという。7階の展望台からは名古屋の街を一望する。昨夜は夜景Img_7379で眺めたところだが、今日では、視界を遮る高層ビルディングも林立している。

Img_7382 名古屋めしのひとつ、きしめんを食べた後、大須へ。大須観音は、紅葉を見にいった    天台宗智山派智積院の別格本山のひとつだ。目的は、御参りではなく、大須の商店街の散策。掘り出し物や面白いお店も並んでいる。子供Img_7342たちは、アニメのキャラクターにフィギアーを見つけて、大喜び。例によって、下の子は、自分の目的を果たしたら、名所観光よりも、Img_7433早く帰りたくなるのであった。

 年に何度も名古屋を尋ねがらも、今回、初めて定番の観光名所を回ったのでした。
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佐川美術館~三蔵法師展~

Img_6580_2  先日、琵琶湖大橋にほど近い佐川美術館に出かけた。今年の3月にも初めて訪れたが、今秋は、特別展として「三蔵法師展~薬師寺の宝物と共に~」が開かれているのだ。

 日本画の平山郁夫館、彫刻の佐藤忠良館、そして陶芸の楽吉左Img_6544_2衛門館の3つを柱として、常設されている。特に平山郁夫画伯の作品は、仏教伝来や東西交流の道であるシルクロードをテーマImg_6584にしたものであるが、その中でも、特別展に合わせて「玄奘三蔵~求道の軌跡」と題されていて、インドやシルクロード、中国などの三蔵法師が旅をされた各地が描かれると共に、三蔵法師が中国に持ち帰って唯識、法相宗として栄えImg_6601_2た奈良の薬師寺などが題材になっていた。ぼくも訪問した場所が多くて懐かしくもあったし、量、質共に見応えがあった。

 そして、三蔵法師展の方は、以前、龍谷大学ミュージアムで、「玄奘~迷いつづけた人生の旅路」(仮題は「玄奘三蔵と薬師寺」)で観覚えのあるものImg_6600が多くて展示されていた。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-f48c.html
  巡回展ではないので、まったく同じ企画ではないかったが、薬師寺の宝物が中心ということで、どうしても似たような企画になっていた。

Img_6588 でも改めて、三蔵法師玄奘さまのすごさを再認識させられた。17年間にわたり、30,000㎞以上を旅して、当時の国Img_6604_2で130ヶ国に渡る国々を訪ねて、多く経典や仏像を将来した。しかもそれだけでなく、その後20年をかけて、1335巻もの経典翻訳に邁進し続けるのであるから、もう超人としかいいようがない御方である。その翻訳事業にもしても、翻訳は正確を究めているので、玄奘さまの以前と以後では、その名称も代わっていくる。その以前である鳩摩羅什三蔵さまなどは旧訳(くやく)と呼ばれ、玄奘さまからは、新訳(しんやく)といわれるほどである。こんな三蔵法師さまの命懸けの活躍のおかけで、仏法は東漸しますます盛んになっていくのである。
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        ≪佐藤忠良氏の蝦夷鹿↑≫

 

 

 

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西本願寺から東寺へ(2)~東寺かんらんさい展で驚く~

Img_6153  西本願寺から東寺に向う。
 
  共に世界遺産の国宝の有名寺院だが、通称であって正式名称ではない。西本願寺は、普通に「本願寺」、東寺は、ちょっと難しくて「Img_6173教王護国寺」である。

  閉館時間の関係で、宝物館はパス。

Img_6165 講堂には、空海が密教の教え、その宇宙観を、21躰の仏像で顕わした立体曼荼羅が圧巻で、見事。静寂の境地の如来よりも、菩薩、さらには複数の顔、腕、足を持Img_6172ち、憤怒の相の明王、そして仏教守護の四天王や梵天・帝釈天の神々のほうが、人間に近しい表情で、生き生きとしている。五智如来以外は、国宝指定である。

Img_6178 でも東寺のご本尊は、金堂に安置されている薬師如来さまだ。両脇に、日光・月光両菩薩を配し、台座に十二神将が守る、巨大な仏像。ちなみに国宝の金堂は、いま、進行中の真田丸の世界で、豊臣秀頼が発願し、片桐且元が奉行となって再興されたものだ。

Img_6179 東寺といえば、国宝の五重塔だ。前に拝観したときは内部が特別公開中だったが、今日は外から。何度も火災や雷、地震で倒壊しているが、徳川家光の再建。寛永年間(1644年)に再建されたが、それは、西本願寺の御影堂も同じこと。御影堂は、寛永年間(1636年)だ。そう考えると、興味深い。

 国宝の大師堂は工事中で、お大師様も出張中。横目に眺めて、食堂(じきどう)へ。閉館時間だったが、最期まで、待って下さった。

  いま東寺かんらんさい作品展が開催されている。以前から、ある方がその関わりを聞いてはいた。彼が、文章を書いていることも知ってはいた。が、こんなにたくさんの作品の初めの言葉を、こんなパネルで署名いりの展示され、チラシの案内文も彼の文章で、ビックリした。華光大会中も、まだ開催されています。食堂(じきどう)は、無料で入れます。

 ぜひ、運営委員長のRさんのお言葉に接してみてください。

http://www.kanransai.com/index.html

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西本願寺から東寺へ(1)~伝道院のアートに驚く~

Img_6118   東京支部でいつもお世話になっている同人が、初めて奥様を連れて来館された。かなり早くから相談を受けていた。なんでも、前の所属の会で嫌なことがあり、関心を持ちながらも法座参加に踏み出せない奥様を会館に連れてくることが実現した。昨年は、東寺までご一緒に、今年、法座のはない日に会館までお参りくださる。少しずつだが、確実に前に進んでこられた。そして、どうやら今度のことで、ご法座にも参加いただけそうImg_6119だ。

 3日間の京都旅行なので、今日は奥様のリクエストで近場のご案内をする。
 
  龍谷ミュージアムへ。伝燈報告法要記念のImg_6121「浄土真宗と本願寺名宝Ⅰ」展が開催されているのだ。招待券もたくさんあったので、ご案内することにした。

 まずは、西本願寺にお参りする。経蔵も一昨日の夜とは違う。
 先日の夜間から昼間の本山。でImg_6115も、いつもとは雰囲気は違う。伝燈報告法要の合間なので、国宝に指定された姿勢阿弥陀堂、御影堂ともにパイプイスが並べられている。カーペットに、隙間なくイスが並んでいる。確かに壮観のだが、いつもの日頃の広大な畳敷きを知っていると、障害物がある分広さが感じられないのが不Img_6143思議だ。

 伝道院を案内する。本願寺をお参りされても、ご存じない方が多い。伊東忠太のモスク風の建物の重要文化財だ。普段、内部は非公開。今日も、外部からの見学だと思っていたら、門が開いている。Img_6136伝燈報告法要の一貫で、「京都国際映画祭」(アート部門HPはこちら→)            http://kiff.kyoto.jp/art/とタイアップして、現代アートの提示会場となっていいたのだ。

Img_6144  ラッキー。つい先日まで、Rちゃんが絞られていたところで、明和電気などのさまざまなアーティストが、「燈を伝う」のテーマで出展されている。各教室が、「清浄」とか「不断」とか、十二光になっているのも、共時性なのかもしれない。残念ながら、内部の写真Img_6150撮影は禁止。普段のイメージからすると、少々違和感のある作品が多かったかなー。それでも内部をじっくり見学できたのが、有り難かった。

 本山に戻ると、まったく見慣れないゆるキャラが立っている。この映画祭は、吉本興行関わっている。これも吉本新喜劇のキャラのようだ。伝道院といい、まったく予想外で面白かった。
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        ≪もうすっかり秋の空≫

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生老病死か、老病死か

Img_33783月末のことだが、関西の美術館と博物館の無料パスで、龍谷大学ミュージアムの平常展に行った。

「仏教の思想と文化・インドから中国」と題されるように、インドで生まれた仏教が、シルクロードを経て、中国から朝鮮半島、そして日本へと伝わるまでの仏教2500年の歩みを、大きく「アジアの仏教」と「日本の仏教」に分けて通覧している。そんな広くない限られたスImg_3386ペースで、あまりに広範囲な内容なので、かなりの部分を解説で補いながら、あらあらの総花的な展示になっているはいたしかたない。ひとつひとつは面白いものもあるが、解説や写真だけで実物の展示がないものもある。それでも、一般的にみれば、仏教の誕生から日本で花開く各派のものの大要は、なんとなくわかる仕組み。

Img_3375_2 でも、どうしてもいただけないことがあった。冒頭に「仏教とは何か」のパネル解説である。そこに、仏教は、人間として避けられない「老病死」の根源的な苦しみを現実として受け止めて、それを超えていく道を示されたということが書かれていた点に、引っかかった。別にその要旨ではない。苦しみを、「老病死」と限定しているところである。しかもこの言葉が、2度も出てきている。どうやら「生」は意図的に抜かれているようだ。実は、「「生老病死」の四苦ではなく、「老病死」の三苦の言葉は、80年代に出された前ご門主の教書(消息)に同じ問題があって、そこを鋭く指摘くださる先生があり、感銘をうけたものだ。

 仏教は、「生老病死」の四苦を、人間の苦しみの根源と見ている。確かに「老病死」の苦は、いまの私達、誰もが共感する苦しみである。それに比べると、「生苦」(この場合は、生きるではなく、生まれてくる苦しみ)は、今日の世相には相反するものだ。無条件に、生は肯定されていて、出産のたいへんさは語られても、「生苦」は無条件に、いのちの誕生の喜びへと還元されているのだ。もし世の中に迎合しなければ、仏教は伝わらないとお考えなら、それは悲しいことだなー。

 

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佐川美術館

Img_3327 姉からもらった関西エリアの美術館パスの期限が迫っている。母も一緒に、前から関心があった滋賀県守山市にある佐川美術館に向かう。湖西を経由し琵琶湖大橋の渡ってすぐなのだが、山科での渋滞が激しくて、80分はかかった。

Img_3339 水に浮かぶ建物は、美しかった。 

 さてこの美術館は、分野の異なる3名のImg_3335芸術家の作品が展示されている。
 まず、日本画家の平山郁夫氏。
 もうひとりは、彫刻家で佐藤忠良氏。
 そして、楽吉右衛門氏は、陶芸家として有名だ。
Img_3340 日本画、彫刻、陶器と、それぞれ分野はが異なる、日本の第一人者である芸術家に特化して作品が集められている。

 加えて、今回は特別展として、「華麗なる美人画の世界」と題して、明治以降、大正、昭和初期の日本美術で描かれた美人画を、東京画壇、大阪画壇、Img_3354北陸画壇、そして京都画壇と、体系的に分類して展示されていたが、どれも華麗な絵で美しかった。

 平山郁夫館には、東西架け橋としての広義のImg_3359シルクロードの風景や人物が中心に展示される。インドや中国、シルクロードなどは、ぼくも足を踏み入れた場所が多く、親しImg_3373みをもってみせていただいた。中でも、有名な廃墟の都、楼蘭の三部作が、見事だった。

 また、楽吉右衛門館は、建物、展示方法ともに贅沢で、お洒落だった。作品は、何代も続く伝Img_3369統の中に、アフリカの大地からのスブリッツが融合された茶碗が展示されていたが、その作品を際立たせるたそに、展示空間や照明も含めてひとつの作品のように思えた。

 もっとも、今回、一番関心したのは、まったく心になImg_3343かった佐藤忠良氏のブロンズ像たちだ。身近な子供や女性たちがモデルになっているが、命があるかのような息づかいが感じられる作品で、すごいと感じつつも、今に動きだし、語りかけてくるような錯覚も生まれて、ある意味でゾッとしたりもした。彼の紹介ビデオもみせてもらったが、実は、よく知っている作品(絵本の大きなかぶ)の作家だったり、ぼくが無知なだけで、立派な作品を生み出されている方々がおられるということだ。勉強になりました。

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平成知新館

Img_2972 姉から、関西版の「ミュージアムぐるっとパス」をもらった。関西の美術館などに割引や無料入場ができるパス。期限が3月31日までに迫っているので、母を連れて「国立京都博物館」常設展に行く。一昨年に新しくなってから、平成知新館は3回目になる。が、ふたりは初めてで、その規模や体系だっImg_2974た展示に、ずいぶん驚いたい。特に1階の第1展示室の仏像は、その大きさに圧倒される。今回は、今、法話のネタに使っている冥界(中有)界の姿-閻魔王を中心として十王像と、奪衣婆と亡者、さらに閻魔様の本地である地蔵菩薩が展示されていて、あまりにもタイムリーだった。そのなかでも、いちばん心を引かれたのは、京都二尊院の、「釈迦如来像」と「阿弥陀如来像」。二河譬の招喚と発遣の二尊像であるが、その上品で、やさImg_2976しいまなざしに感心させられた。

 いくつか特別展示があったが、ひとつが「刀」がとありあげられていた。国宝や重文の宝並んでいて、けっこうな人だかりができていたが、どうもその良さは理解できなかった。でも、坂本龍馬愛用だとか、信長の桶狭間合戦の戦勝品だといった歴史的な名剣と聞くと、少し心は動いた。
 
 Img_2981もうひとつは「狛犬と獅子」像が集めれていた。日ごろ神社でお馴染みの狛犬と獅子の像だが、それほど心して観たことはない。でも、京都や滋賀などの有名寺院や神社の重文の獅子たちであって、それぞれが意匠や素材なども個性があって、実におもしろかった。もともと中国や日本では、想像上の動物だったライオンを模したものでるあるが、左のあって、頭上に1本の角があり、吽と口を閉じているのが「狛犬」。右にあって、阿と口を開いているのが獅子だそうだ。http://www.kyohaku.go.jp/jp/theme/floor1_5/shishi_2016.html

 そして今回は、特集陳列として「皇室ゆかりの名宝」として、天皇の肖像や書(宸翰)、宮中の装束、門跡寺院の所蔵の仏画、蒔絵の調度品など、国宝や重文の名品が体系的に並べられていたが、狩野元信による、京都、妙心寺塔頭の霊雲院の障壁画が、気品高く、雅びで、ときに静寂な姿の画が、圧巻だった。http://www.kyohaku.go.jp/jp/project/2016_koshitsu.html

 結局、休みなく2時間半も歩いてかなり疲れてきたので、最後は、かなり駆け足になったが、平常展なのに、来るたびに特別陳列があるので、目新しく見応えがあって満足した。

 

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アンコールワットへの道

 Img_084912月8日。成道会の日。1月のカンボジア、アンコールワット遺跡群の旅行を前に、アンコールワットへの道と題した興味深い展覧会が、龍谷大学ミュージアムであった。大学から招待券をいただいたので、連れ合いと出かけた。

快晴。西本願寺も公孫樹の黄色と、青空と、白い雲と、国宝に指定されImg_0860た御影堂の黒瓦のコントスラトがくっきりと美しかったなー。

 展覧会は、充実の内容だ。細かな細工の違いでも、時代背景が異なるところも、詳しく紹介されていた。
Img_0847_2 ただし、これはあらかじめ予感していることだったが、正直にいって、アンコール遺跡の神々も、仏様方も、ぼくの感性では、かなり奇異に見えた。まだ、馴染みのないヒンドゥーのImg_0864神々は仕方ないだろう。インドのエローラ石窟寺院にしても、その半分はヒンドゥー遺跡で、ちょっと違和感があった。しかし、隣のアImg_0865_2ジャンター石窟寺院の仏像や仏画は、文句なく素晴らしかった。インドネシアでも同様で、荘厳なロロジャングランもヒンドゥーの神々だったでの、あまり感心しなかったが、ボロブドールや周辺のプランバナン遺跡群の仏教寺院のもの、深く感銘を受けた。 

Img_0876 ところがである。カンボジアのものはそうはいかない。ヒンドゥーの神々ではない、カンボジア遺跡の仏像にしても、違和感ありありで、なかには気味の悪い観音菩薩像に、嫌悪感さえ覚える始末である。いや、これはちょっと参った。
 現地の足を運ぶと、評価が変わるかもしれないが、日本人のぼくの感性には、ちょっと会わないというのが正直な感想だった。

 それでも、博物館の売店で、アンコールワットのガイド本を何冊購入した。パラパラ読んだ限りでも、興味津々ではあって、旅行自体は楽しみにしているのであった。以下で、神々や仏さま方をご覧いただけます。

http://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/sp.html

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「玄奘~迷いつづけた人生の旅路」展

Img_9254先日、会期末を前に、龍谷ミュージアムで「玄奘三蔵と薬師寺」を観る。実は、この名は仮題であって、正式名称は、「玄奘~迷いつづけた人生の旅路」という冠されていた。ただ、このサブタイトルには少し異論がある。若い時にはいろいろと迷いのあった玄奘さんだろうが、その生涯は求法の道を歩み続けられ、インドからの帰国後は、翻訳の一大事業に、一生涯、全身全霊を傾けられたからだ。「求法」とImg_9260「伝道」、つまり、生涯を「法」を中心にした旅路で゛その方向には一点の迷いもなかったのではなかろうか。

それはともかく、玄奘さんの生涯に多角的に光をあてた展示で、(1)「どんな人?」、(2)「その伝記」、(3)「仏教に出会う」、(4)天竺に旅する、(5)唐に戻り訳経に挑む、(6)死してなお…の六章仕立て。さまざまな面の玄奘三蔵さんが映し出されていた。地球一周がImg_92554万キロだが、彼の旅は、最低でも3万5千キロというのだから、ほぼ地球1周近い旅というのも凄まじい。また翻訳事業の功績も凄まじく、中国で翻訳(漢訳)された経典のうち、1/4は彼の仕事だというのである(75部-1335巻・鳩摩羅什さんは、74部-384部)。それには、膨大な資金が必要で、中国の皇帝のみならず、西域や印度の王などからも、惜しみなく援助を引き出すだけの政治力を兼ね備えていたというのである。

ぼくの心に残った2、3のことを記すと、

ますは、チームでなされていた経典翻訳の「訳場」のイメージ図を眺めるImg_0104と、翻訳がどのようになされたのかが想像しやすくなったこと。
旅の守護者は、弥勒菩薩であり、観音菩薩であるが、もうひとり「深沙大将」という神で、後悟浄のモデルになっるのだが、さまざまな絵画や単立でもおまつりされるようになっているが、時にに荒々しく、時にユニークな像は微笑ましかった
最後に、玄奘三蔵さんの尊敬するは、「菩提流支」三蔵さんで、鳩摩羅什さんじゃないんだなー。

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「仏法東漸」~仏教の典籍と美術~

Img_9192先週の木曜日、終了間際に、国立京都博物館の「仏法東漸」~仏教の典籍と美術~を観た。

http://www.kyohaku.go.jp/jp/project/daizoe.html

壮観というのとは少し異なるが、静かな感動があった。

最澄、空海、法然、証空、親鸞という、日本仏教の巨人たちの肖像画と、彼らの国宝の直筆の数々が、体系的に展示されていた。
他にImg_9194も、禅宗では臨済宗を中心に、国宝の墨跡や肖像画が展示されている。日蓮系統のものはなかったのは、京都に本山があったり、関係大学がある縁で、天台、真言、臨済、浄土、西山、そして浄土真宗の各本山の逸品が展示されていたからだ。それでも、平安仏教以降の日本仏教の流れが、通史的に俯瞰できるようであった。

Img_9200インドで興った仏教は、大きく、スリランカや東南アジアに拡がった南方仏教と、中央アジアを経て、中国、朝鮮半島、そして日本に至る北方仏教がある。北方仏教は、主に大乗仏教として発展するが、独自に発展するチベット仏教以外は、ほぼ漢字文化圏にもあたるのだ。

Img_9201釈尊の教えは、もともと口誦されたものだ。それが、結集によって、ついに文字となり、「経」として残されてきた。最初は、紙ではなく、貝葉に梵語で書かれた。それが、インドに入った西域や中国の僧によって中央アジア、シルクロードにもたらされ、中国に入り、漢文に翻訳されたのである。中国仏教は、翻訳仏教だといっていい。同時に、中国は、文字と、紙と印刷技術に長けた最新の文化国家だったので、お経は印刷され、膨大な量の経文が翻訳されるが、それが体系的にまとめられていき、「一切経」とか「大蔵経」と呼ばれるものになる。
ちなみに、それが日本に入ったとき、日本人は、それを日本語訳するのてはなく、漢文を日本語読みする技を身につけていくのである。

本展覧会は、第一部で、釈尊の教えと題して、大蔵経を中心にさまざまなお経が展示されていた。
そして、第二部は、「教えの拡がり」と題してだが、日本での仏教の受容と、日本的展開を歴史的に追っていた。

日本では、平安時代になって、最澄、空海という二大巨人が現れて、本格的な日本的な発展を遂げることになる。そこから、鎌倉時代にはいり、禅系統や浄土系統へと展開して、日本民衆の仏教へとなっていくのである。

何より、仏教のスーパースターたちの、直筆の書物に触れるだけでも、それぞれの個性が窺い知れる。もちろん、日本の三筆のひとり、弘法大師の書などもいいが、やはり、浄土のお祖師方のものに心を奪われた。

『選擇集』の題字などを書かれた、法然聖人の力強いながらも、肉厚で、穏やかな書は、晩年か。一方、親鸞様は、50代の書なので、跳ねるように躍動的だ。国宝の『教行信証』坂東本は、「教行」「信」「証」「真仏土」「化身土」本、「化身土」末の六冊が、すべて揃っていた。正信偈の箇所が開いていた。

ちなみに展覧会の最後の展示は、高僧ではない「恵信尼公」の肖像画で終わるのも、象徴的な感じがした。仏法東漸とは、仏教が東へ、東へと伝播してくるのことだが、同時に庶民の仏教になっていくのであろう。

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