カテゴリー「文化・芸術」の97件の記事

ARU「聞こえない波」

 急遽、神戸にコンテンポラリーダンスを見に行くことになった。

 今週、連れ合いが劇団関連の仕事で神戸三宮に出かけた。舞台に出るのではなく、裏方(照明)のスタッフの助っ人である。その縁で、公演に誘われた。お芝居ではなく、音楽とダンスのコラボである。
 これまでまったく縁のない分野。しかも急な話、聖典講座の準備もある。ギリギリまで迷ったが、これもなにかの縁だと、三宮まで足を延ばした。会場の近くでは、神戸ルミナリエが開催されていたが、昼間の公演でライトアップにはまだ早かった。

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 レトロなビルの一角、おしゃれをカフェやライブラリーもある、旧生糸検査場、kiito のスペース会場。

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 倉庫のような会場で、照明設営もかなり大変だったようだ。3日間、昼夜の公演だが、観客も30名ほど。そんな感じのファッションをした若い人が多かった。劇団のスッタフにご挨拶。

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「聞こえない波」は、音楽とダンス(からだ)の共演で、ある意味で即興集団音楽に、コンテンポラリーダンスが呼応するというもの。楽器も琴、笙 (しょう)などの雅楽や和楽器に、ドラムやトロンボーンなどが、自由に奏でているように感じられた。ダンスも感じるtものがあった。
 今月は、バレエを鑑賞し、すぐにコンテンポラリーダンスと、日ごろ触れることのない世界を垣間見ることができた。

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ウクライナ国立バレエ「ドンキホーテ」を鑑賞    

 お昼を食べたカフェで、「今夜、ロームシアターにウクライナのパレエを見にいくねん」と話すと、「バレーポールですか」という惚けた返答。「ロームシアターでバレーはないよ」と笑ったら、「バレエなんか見たことないわ」と。ぼくも本格的なバレエを見るのは生れて初めてだ。でも「本格的ではない」ものなら何度か見ている。子供がバレエを習っていたので、年1度の発表会で見たことがあるからだ。

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 自力整体のお仲間のご縁で、今回もお声かけて頂いた。これまでは、コロナ禍やウクライナ侵攻で中止なることもあり、昨年8月に、「キーウ(旧キエフ)の友と愛と平和」という、ウクライナバレエ団が客員するバレエを見たのが、初めてだった。不出馬宣言直後の門川京都市長が、表彰や挨拶をしていた。京都はキーウとも姉妹都市でもあるが、大晦日の紅白歌合戦で、審査員を勤めた寺田宣弘氏(写真中央)が劇団の芸術監督を勤めていることもあり、京都との縁は深い。

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 前列7番目の真ん中の特等席は、18-19-20番と三願転入のような席番だ。連れ合いと娘は、着物姿で鑑賞する。

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 昨年12月から1ケ月近く日本公演が続いていて、京都での演目は「ドン・キホーテ」だ。有名な小説がパレエとして上演されてから100年以上、「バレエの祝祭」といわれるようで、明るく華やかで美しい舞台だった。何よりも、ダンサーの体幹やスタイルのよさはすごかった。バレエ経験者の娘の解説によると、バレエは究極の様式美なので、プロの人でも、基本動作は変わらず、それを何度も何度も反復し、からだを鍛え、節制をて、より美しく、よりたくましく、自然に身につくまで、絶え間ない鍛練を行なうのだという。
 初めてでも、堪能するステージでした。

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『居酒屋夢子・1961』

 9月に続いて希望舞台の公演を名古屋で観ることになった。

 華光大会の直前で、今夜は「真宗カウンセリング研究会」の月例会もある。無理だろうと諦めていたが、またしてもチケットの売れ行きが悪い。今回は、役者ではなく制作に回っている連れ合いが、名古屋にチケットを売りに出かけているが、如何せん、体制が整わないままうまくいっていない。せめて一人でも観客が多い方がよいだろうと思って、名古屋に向う。

 地下鉄からは大須觀音の境内を横切り、商店街の中に劇場がある。前回は夜、しかも車だったので、こんなにお寺や駅から近いとは思わなかった。うまく乗り継ぎができると、新幹線なら1時間ほどで会場に入ることが出来た。

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 希望舞台で新作の芝居を観るのは初めてだ。コメディタッチでもあり、これまで見てきた舞台とは少し毛色は違ったが、なかなか面白かった。『釈迦内棺唄』出演していたメンバーも、何名かが舞台に立っていたが、まったく違う役柄をこなしているのは感心させられた。演歌歌手だってほんとうにそうとしか見えないし、舞台上の唄もよかった。ところが、連れ合いに言わせると、まだ出来立てで、科白が体に入っていないというのである。言葉の不思議ではあるけれど、法座でも、口先だけの正解が何も届いてこないのと同じで、上手いか下手とは別に、その人の中から生まれる言葉が、こちらにも響いてくる不思議があるのだ。そんなことも教えてもらえた。時間的に,9月も、今回も少し無理をして見に行ったが、それだけの値打ちがあったのじゃないかなーと。
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高度経済成長に踊り、昭和が最も輝いていた最後の時代。演歌のメロディのなか、兄弟の背負った運命が明かされていく。

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大須演芸場での「釈迦内柩唄」

  コロナ禍で本格的な活動が難しかった劇団希望舞台も、今秋から活動が活発になっている。通算千回公演を目指す『釈迦内棺唄』に加え、『居酒屋夢子』という新作の公演も決まり、連れ合いも稽古や準備で留守の日が多くなった。主要法座行事や京都での用事もあるので、東京-京都の夜行バス往復がすることも多い。

 今は『釈迦内棺唄』に出演している。東京と神奈川の公演の合間、2日間の名古屋公演。名古屋には行きたいと思っていた。この芝居を見たことのない子供たちも連れて行きたかったが、法座が続くので日程的には厳しかった。寺院布教の前夜の公演なら行けるが、子供の授業の関係で到着が公演ギリギリ、帰宅も0時近くになる。翌朝は寺院布教のために同人も同乗される。かなり迷ったが、今回は無理はしないことにした。が前夜になり、不参加だとと言っていた次女が、「行きたい」と言い出したのだ。もっと早く言ってよ。それならこんなに迷わななかったのに…。

 ということで、急きょ、長女を大学で拾い、3人で名古屋の大須演芸場に向うことにした。前座の歌は聞けなかったが、開演前に到着し,劇団関係者にもあいさつができた。中に入ってびっくり。閑散(多めの支部法座というところ)としていて会う人、会う人、東海支部の皆さんだった。後で聞いたところでは観客の1/3はぼくがお誘いした人だったらしい。

 それでも、芝居はよかった。何度も同じ芝居を見せてもらっているが、演じる人や観客が代わるとそれだけでまた違った味がある。この方が主役のふじ子役は初めて見せてもらったが、少し柔らかい雰囲気がした。(舞台上での)連れ合いの亭主役は「網走番外地シリーズ」では高倉健とも共演しているベテラン男優さんだが、これまで見た父役の中で、一番、この雰囲気にシックリしているように思えた。連れ合い以外は、初めてお会いする方々だったが、温かい雰囲気がするのは、この劇団の持ち味でもある。皆さんと記念撮影をして、急いで京都へ戻る。高速道が補修工事もあって深夜でも渋滞していたが、日常と違う雰囲気を存分に味わった。

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「ブッダのお弟子さんたち」展

 龍谷大学ミュージアムに「ブッダのお弟子さんたち」展を観に行く。同展は2020年に開催直前で、新型コロナ感染拡大で中止になった展示だ。

 

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釈尊のお弟子と言えば、十大弟子が有名だ。特に指定された経典があるのではなく、伝承によって10名で、2.3名は出入りはある。それでも、舎利弗、目連、大迦葉、富楼那、須菩提、羅ゴ羅、阿難各尊者などの上足の仏弟子はだいだい同じ顔ぶれである。

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 歴史的に観れば、釈尊の成道の後、鹿野園(サールナート)での初転法輪の相手である五比丘からブッダのお弟子は始まる。彼らは、以前、共に修行したお付きの弟子でもあったが、釈尊が苦行を捨てた時、堕落したと非難して離れていった。が、釈尊がお悟りを開き「この境地を伝えたい」と思った時、すでに二人の(瞑想の)師匠は亡くなっており、彼らならばきっと聞いてもらえると思った人達である。その後の経緯は有名なので省略するが、仏教の始まりは、釈尊のお誕生でも、成道でもなく、この鹿野園(サールナート)での初転法輪で、「仏法僧」の三宝が揃った時である。特に、一番弟子のコンダンニャ(驕(りっしんべん)陳如・「大経」では了本際)が、釈尊のご説法によって、最初に法眼を得た時、おもわず釈尊も「アンニャン・コンダンニャ」(コンダンニャよ、汝は知了した)と喜ばれた。釈尊にとっての最良の時であり、その後、五名の比丘は、次々と真実の眼を開いていかれる。ここに「六人の比丘が誕生」して、仏教教団が始まるのである。

そして今度は釈尊の涅槃によって、ほんとうの意味での仏教が始まるといっていい。その時、釈尊の遺命を奉じて法灯を護っ

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て行く仏弟子十六名を、十六羅漢として尊重されている。もっとも伝説(伝承)の域をでないもので、別に『阿弥陀経』に説かれる「舎利弗」から始まり16名の仏弟子を指すこともある。それでも、実際は、釈尊の遺命を頂き、その志を引き継いで、仏教が流通していたのは、多くの仏弟子たちのおかげである。そんな伝道・伝承者たちの尊い歩みが、十六羅漢の伝承を産んだのであろう。今も有名な掛軸や絵図などに残されて語り継がれている。

他にも、釈尊滅後の第一結集の時に集った大迦葉を上首にした500名の仏弟子を、五百羅漢と称することもある。日本でも、五百羅漢の石造などをおまつりするお寺が各地にある。
 
 そして最後に、忘れてはならないことがある。この末法にあっては、無戒名字であっても念仏者こそ、立派な仏弟子であるのだ。釋〇〇という法名を頂くわけだが、本来は他力念仏を頂いたものを、釈尊は「わが善き親友よ」と讃えて下さるのである。姿、形は違っていても、他力念仏の教えには釈尊の真精神が息づいているのである。南無阿弥陀仏

 

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「最澄と天台宗のすべて」~伝教大師1200年大遠忌記念~

 もう終了しているが、5月に京都国立博物館で開催されていた「最澄と天台宗のすべて」を観てきた。

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伝教大師最澄の千二百年大遠忌を記念した特別展だ。昨年の聖徳太子の千四百年の大遠忌に続いて、日本仏教の偉大な高僧の大遠忌が続いている。伝教大師は、平安時代に比叡山延暦寺を開き、天台宗を広め、それ以降の日本の仏教の発展につながる最大の功労者であり、仏教界最大のスーバースターの一人であることは間違いない。ところが、同世代のライバルでもある弘法大師空海の人気に比べると、功績ほどの名声は、一般では低いかもしれない。このPCでも「弘法大師」は一発変換できるのに、「伝教大師」は「電業大師」となってしまう。しかし、空海の密教に対して、顕教の天台宗だが、同時に密教(台密)も盛んで、日本浄土教もここで花開く。鎌倉新仏教で開祖となる高僧方(法然、親鸞、一遍、日蓮、道元)もすべて比叡山で修行したことは有名である。比叡山が日本仏教の中心であり、その後の日本仏教の母胎となる。宗教面だけでなく、比叡山が政治に与えた影響も大きいことは、さまざまな歴史的事件が証明している。

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 福岡、東京でも開催されてきたが、京都会場でのみ展示されるものも多く、国宝23件、重文71件という豪華な内容で、仏像や仏画、経典、絵巻物のみならず、国宝の袈裟や経店箱などの工芸・美術品に、国宝の文書や消息類など多彩な展覧会だった。

 僧兵による強訴で有名な山王神社(日吉大社)の御神輿の絢爛で迫力ある姿に驚いた。
 また、東京国立博物館で展示されていた六波羅密寺の空也上人像(口から六体の阿弥陀様が飛び出す)の別バージョンがあるのにも驚いた。六体の阿弥陀様がでる構図は同じだが、愛媛の空也上人は、一、二回りは大きく、お顔の造詣も違っていて(ちょっと間が抜けた感じがした)見慣れた六波羅密寺の空也上人像の方が緊張があるように思えた。空也上人も、今年がご往生一、〇五〇年の節目にあたり、東京開催されていたとようだ。
 他には浄土教に関心があるので、恵信(源信)僧都関連のものに、一段と親しみか沸くのは、当然といえどは当然。

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 とにかく勉強にもなりました。
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<不滅の法灯↑>

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国宝、聖林寺十一面観音展

 久しぶり(5年ぶりか)に家族4名で旅にでた。こんな時期なので近郊の奈良旅行への1泊旅行である。

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 初日は、奈良国立博物館で国宝 聖林寺十一面観音展 を見る。「日本彫刻の最高傑作、24年ぶりに奈良はく公開!」がうたい文句だ。24年前は「天平展」で展示されていた。あれ? じゃ、以前も見てるのか。帰宅後、図録を調べたら、24年前にも鑑賞していたのだが、まったく記憶にはなかった。

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  仏教伝来以前、日本の神は山、滝、岩や樹木等に宿ると信じられ、自然のままの依代を礼拝対象とされてきた。三輪山を御神体とする大神神社もその一つだが、仏教興隆の奈良時代になって神仏が接近して神社に付属する寺(いわゆる神宮寺)が造られるようになる。大神神社にも大神寺(後に大御輪寺)が建立された。ところが、今度は、明治維新に国家神道が強要されて、新政府による神仏分離令で、仏教、寺や仏像は苦難にさらされていく。そして廃仏毀釈の大きなうねりの中で、多数の仏像や寺院が破壊されるという悲劇が起こったのだ。

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 幸いなことに、大御輪寺の仏像は周辺の寺院に移されて、今日まで守られてきた。今回の展示は、かつて大神寺にあった4体の仏像が、150年ぶりに奈良博に一同に会するというものである。国宝 十一面観音菩薩立像(聖林寺蔵)、国宝 地蔵菩薩立像(法隆寺蔵)、そして月光菩薩立像、日光菩薩立像(正暦寺像)である。中でも、十一面観音菩薩は、日本仏像の中でも傑作の誉れが高い逸品で、確かに、均整のとれた体く、気品高く、美しい仏像であった。ただ、この展示は、思った以上にあっさりしたものだった。

 むしろまったく予定外の特別陳列、「お水取り」に魅せられた。ちょうど二月堂のお水取り(修二会)の真っ最中だった。厳粛、荘厳な雰囲気が伝わり、感動的だった。

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 例によって一番楽しかったのは、鹿へのエサやり。土産物屋前の常連の鹿は凶暴で、みんなかまれたり、突かれたりしてなかなか大変だったが、これも奈良の楽しみ。
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『絵はがきの大日本帝国』

 もし、お声をかけていただくことがなかったら、聞かなかっただろう。「絵はがき? なんのこと」としか思えなかった。絵はがきといえば、観光名所、お寺、展覧会などのポストカード、海外の観光地から送ったり、お礼状に使う程度で、タイトルから、戦前の観光案内の意味しか想像できなかった。

 が、それは違った。当時は、まだテレビも、もちろんネットもない時代。新聞を中心に、ラジオや記録映画などのメディアはあったが、スピードと拡散力では、絵はがきが力をもっていたという。アメリカ人夫妻が日本の5万枚にのぼる絵はがきの蒐集し、その中から400点を限定し、またその中から数十点を展示(ホンモンではなく、拡大してプリントアウトされたもの)した企画。絵はがきを通して、日本の近現代史、日清戦争から大二次世界大戦までの事件や出来事やイベント、大日本帝国が領土拡大するプロセス、当時の世情をリアルに伝えるメディアとして、また有力なプロパガンダーとして、さらに出された文面からは、今日のSNS的な役割も担っていたことを教えられた。関東大震災の折には、大量に、またさまざまな種類の絵はがきが造られて、それが拡散されている。この分野の先行研究も進んでいることなど、まったくしらなかったテーマであった。

 と同時に、軍国、拡大路線の日本の広がりの歴史も、一直線ではなく、常に米英(特にアメリカ)を意識して、なんとか離れないでいようと、ドイツとの三国同盟には前のめりではなかったことなど、絵はがきの絵柄や種類でも分かるところかとても面白かった。他にも、満鉄の存在や、

  中でも、皇紀2600年を記念して、東京では、万博と、オリンピックを開催する予定でいたが、戦争の激化で中止になる。一足、絵はがきで、肌木では。他にも、札幌での冬季五輪も断念する。それが戦後、高度成長を背景に、1964~1972年の間に、東京五輪、大阪万博、そし札幌冬季五輪が開催されることになる。そして、コロナ禍の今も、東京五輪、さらには大阪万博、さらには札幌冬季五輪の誘致と、戦前も、戦後も、そして現在も、政治体制は変わっても、発想がまったく同じなのにはあきれてしまった。

 他にも近、現代史が好きには面白い話がたくさん合って、満足した。
 同タイトルの新書を買って、サインももらいました。

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まるごと! 龍谷大学ミュージアム』展

『まるごと! 龍谷大学ミュージアム』

 龍谷大学ミュージアムが日本初の仏教総合博物館としてオーブンして10年。それを記念した企画展。緊急事態宣言の発令があって、一時、ミュージアムも閉鎖。そのまま終わってしまうかと思っていたから、会期延長の上で、また再開された。

 所蔵品の提示なので、ほとんどがこれまでの展示で観たことがあるもだが、一同に会するのはよかった。しかも今回は撮影OK。せいぜいSNSでCMしてください、ということなのであろう。

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 浄土真宗は仏教美術の関して、特に仏像の分野では、新興勢力で、信仰歴史も浅く、弥陀一佛なので、バリエーションも乏しい。(といっても1点だけ展示↓)

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 ただ西本願寺は、大谷探検隊の歴史があり、シルクロードやガンダーラの仏教美術とのつながりもあるので、収集品にも、古い(2~3世紀とか4~5世紀)ガンダーラ、マトゥラーの仏像や神像が、半数を占めていた。不思議と、東南アジアや中国、また今のインドのものよりも、このころの仏像は、写実的なリアリティーがあるだけでなく、日本人の琴線に触れるような哀愁あって、人気もある。

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 また、仏像だけでなく、お釈迦様のご一生を表す仏伝浮彫の一部も多く展示されていた。これは、釈尊の前生譚で燃灯授記↓

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 いろいろと撮影したので、合間、合間に紹介できればと思っている。
 

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「聖徳太子と法隆寺」展

 家族で奈良へ。緊急事態が発令されて京都国立博物館の「鑑真和上」展は休業となったが、奈良国立博物館の「聖徳太子」展は開催されている。前日までにネット予約し、指定時間を決めていく方式で、密にならず回ることが出来る。

 ならまちの町家カフェでランチをする。外食にはめずらしく、とても薄味のやさしい味つけでホッとする。

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 ブラブラと奈良公園の鹿にエサをやりながら歩く。連れ合いは、鹿との触れ合いの方が楽しみなようだ。

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 さて、今年が聖徳太子、千四百回大遠忌にあたり、ゆかりの寺院でも法要があり、奈良国立博物館「聖徳太子と法隆寺」展も記念開催である。

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 法隆寺には、何度もお参りさせてもらっているが、日本の世界遺産の第一号に相応しい仏教美術の宝庫である。飛鳥時代(7世紀)という歴史の重みが違う。

 本展も、いわば「和国の教主」。つまり、太子は、日本に生まれ、日本に仏教を広めれたお釈迦様であり、「聖徳太子と仏教」が主なテーマで、さらに、その後、日本人の精神的な根底を築いた太子に対する敬愛が、太子信仰(親鸞聖人にも大きく影響する)として流れていることにも触れておられた。これまで法隆寺などでも拝観したことのある仏像もあったが、改めて体系的に示されて見応えのある展示に、ただ堪能した。

 特に、法隆寺の聖霊院に安置されている秘仏本尊である聖徳太子および侍者像は、始めて拝観させていただけて感銘した。威厳ある太子像とは対比的に、子息の山背大兄王などの侍者像は、どれも柔らかくユーモラスな表現で描かれているのが印象的だった。

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  最後に有名な「玉虫厨子」があったが、綿密な細工や、今なお輝いてる玉虫の翅が残っているのも驚き、また各面のモチーフである四「施身聞偈」(修行者と羅刹、とか「いろは歌」)や「捨身飼虎」などもじっくり拝観させていただけた。

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 続いて、別館になる「なら仏像館」に足延ばしたが、みんな、歩く疲れてサッーと見るに留まった。その中でも、特別公開されていた金峯山寺の金剛力士像が、天上まで届くような迫力ある存在感を示していた。

 疲れたけれど素晴らしかったです。

 6月20日まで奈良国立博物館で。7月13日~9月5日の機関は、東京国立博物館で開催予定。

 

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