カテゴリー「心と体」の18件の記事

新月断食も2年目突入

 1年前の4月。あの不安感、切迫感と、そして過剰な自粛圧力。結局、緊急事態宣言がでて社会活動か停まっていた。

 憂うつ気分にならないように新たに3つのことを開始した。。

 まずは、勤行を浄土三部経の繰り読みにして、和讃は、『三帖和讃講讃』から6首づつ華光節であげ、続けて「現代語訳」も合せて頂くことにした。これも四順目に入っている。

 二つ目は、インタバール走法での散歩。ただダラダラ歩くのではなく、全力での3分、普通に3分、そして全力で3分…と繰り返し、30分は歩くというもの。最初の自粛中は、かなりいろいろなところを歩いていたが、今は、決まったコースでしっかり30分は歩くようにしてる。

 三つ目が新月断食だ。こちらも一年間(十二回)続いて、二順目に入った。不思議なことに、毎回違う感覚を味わう。それほど苦でないときもあれば、かなり空腹な時ある。それでも我慢できないほどではない。ただ朝起きたときは、普段の寝起きの感覚と変わらないのをいつも不思議に思う。特別、空腹というわけではない。ならば、もう1日続けようかと思っても、やはり食欲には負けてしまう。どこかで48時間断食には挑戦してみたいとは思っている。昼食を続けて抜けばいいのだか、これがなかなか難しい。

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新月断食

 今日は新月だ。

 今年から、夫婦で話題になっていたある計画を実行に移す。

 新月断食である。丸1日、固形物を食べない。

 以前、インフルエンザになった時、医者に行かずに、別室で4日間、じっと寝たままで何も食べずに(水分と、梅干しは少量食べた)、ひたすら寝て治した経験がある。その後の自力整体の時、からだが羽根のように軽かったことは忘れない。外部から抑えるのではなく、病気のブロセスを妨げないで自然治癒力で対処した経験は、ぼくにとって大きい。体調が悪くなると、食べないでからだを病気の方に集中させてるのが、ぼくの治療法である。でも、元気な時の1日断食は初めてだ。

 夫婦でやるので、お互い励まし合うというか、監視し合うということで励みにもなる。

 いつもの昼食時間の前後、夕食時間の頃は、お腹がすいた(たぶん習慣というか、脳からの信号がでる)ので、この時は、手作りの野菜ジュースを飲んだ。

 昨晩の夕食以降、1日断食を挟んで、翌日の昼食まで食べないので、36時間の断食となる。連れ合いは、「もう1日くらい大丈夫だ」といっている。ぼくも、もう1回、昼食を抜いて、夕食までの48時間断食なら、そう難しいことははなさそうだ。一番つらかったのは禁酒になることだったな。

 二人とも、それほど苦しくはなかったが、逆に、一口食べて「わーおいしいー」というような感激もなかった。
 楽しみにしていた排泄も、まあまあ普通かなーというところ。もう少し期待していたけど…。
 体重はちょうど1㎞痩せていたが、これは2~3日で、許に戻るだろう。

 偶然なのだが、新型コロナの到来と共に、酵素玄米が始まり、解毒スープを呑みようになり、そして今回の新月断食。この調子なら、今後もしばらく続くだろ。

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≪新習慣・堀田先生推奨の解毒スープ≫

 

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自力整体~体癖を知る~

  会食や飲み会が4日間続いたが、顔ぶれが違うと雰囲気は違う。同級生と飲み、劇団員と飲み、法事で飲み、そして今日は、自力整体の生徒さんとの会食。教室では、黒一点だが、食事会でそうだった。昔からのおつきあいの方もおられるが、初めてお会いする別会場の方もおられた。人生の先輩方である。ただこの教室、自力年数では、ぼくがかなり先輩である。

 午前中、自力整体を終えた会場で、会食する。しばしば利用しているイタリアンローフードの京町家のレストランである。
 
 先生から、「体癖」という話を聞いた。癖は体にもある。それを「上・下」「前・後」「左・右」「開・閉」「ねじれ」の5種類に分け、それぞれに「開・閉」を加えた8種類に分類して、体の癖に連動した性格や心の癖をタイプ別にしたものである。

 「なくて七癖」というが、しぐささ、思考には癖があるように、体にも癖があるのだ。たとえば、足ひとつでも、右にくむのと、右にくむでは違う。振り向くのでも、右と左でも、やり易いほうがある。楽な方が緩んでいてい、片方が縮んでいるのだ。かといって、楽な姿勢ばかりを続けていると、それが凝りや痛みとなっていくのである。しかも、体は心に連動しているのである。姿勢が変わることで、気持ちだった変わるのだ。もしかすると、身(姿勢)が心を造っているといてもいいかもしれない。世間は、だいたい逆の発想(心が第一)ではあるが。体の癖、タイプが異なると、発想や行動が変わる。そのことを、よく知って、見極められれば、他のタイプの人と軋轢が軽くなるのかもしれない。その意味、体を癖を知ることは、人生を楽に生きることにつながるのかもしれないなー。

 

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早咲きのサクラ

 お彼岸に入る。今年は、記録的な暖冬だったが、このごろも各地で20度を超える気温が続く。

 自力整体の教室が変わった。この教室に通い出して、17年目。ぼくが覚えているだけでも、8ケ所目の会場。金曜日は、華光会館を会場提供しているが、火曜日は鉾町である新町通り沿いの町家イタリアン(ローフード)の店が、会場だ。

近くの高辻通沿いにある元小学校のサクラがきれいに咲いていた。近くにある中華料理屋は、連日、中国からの団体観光客で大賑わい。バスに戻る前に、ここで写真を撮っている。東京では、サクラの開花宣言が近いとうニュースをやっていた。京都はまだ1週間ほど先のことだが、それは染井吉野のこと。サクラの種類によって、すでに咲いているものもあるし、もう散りかけているものまであれば、まだこれからというところも。

サクラといっても、ほんとうはいろいろと楽しみがあるということだなー。

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にくの日

 29年2月9日は、2(に)9(く)の日だという。
 まったく知りませんでした。

 10日の朝、自力整体の教室で、その話題を初めて聞いた。先生は、「どうせなら、2(ふ)9(く)=福の日にしたら」と言っている。

   お昼は、何年かぶりに、サルーテというオガニック食堂へ。「肉」とは真反対に、ベジ菜定食を食べる。いっさい動物性のものを使っていない。ローフードやマクロビオティックなどのオーガニックな料理をだす名店。路地のまたその奥にあるお店だか、満席に近い。外国の方もけっこうおられる。http://da-maeda.shop-pro.jp/?mode=f12

 お隣の女性二人連れは、「肉の日」の話題をしてる。昨日、有名店のローストビーフ丼を注文したら、「肉の日」だったので、肉だけでも300グラムも使っていて、とうてい食べきれなかったという、にくにくしいお話。まあ、ぼくだって、先日は、あり田の無量壽コースで、下痢になるほど肉を堪能したばかりだ。

 それにしても、ここの料理は、ほんとうにおいしい。しかも食べるだけでも、元気になる逸品だ。
 食とは、人を良くするものだが、いまは、人を悪くするものになっている。いや、食ではない。人が悪くなったのだろう。

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≪↓あり田の御馳走の後は、博多駅でマクロビ弁当を購入≫Img_8788

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耳年齢

 自力整体の冒頭、CDから流れる高音を聞きながら、耳年齢を確認するテストがあった。
1~6番まであって、どの番号が聞き取れるかのテストだ。
1番、2番、3番と、よく聞き取れたが、4番になるとちょっとあやしくなった。まして5、6番になるとまったく聞き取れない。
あとで1番が70代、2番が60代、3番が50代、4番は40代、5番が30代、そして6番は20代だというのがわかった。

高齢になればなるほど、高音が聞き取れなくなるというのだ。だから、年輩の方には、ゆっくり、低い声の方伝わるというのである。
おかけで、ぼく自身も、しっかり50代を実感させられたが、老眼が進み目の高齢化は実感してたいが、耳も、しっかり年相応になっているには、驚いた。
同じように聞こえている、聞いているつもりでも、聞こえない音域があることが、耳ならぬ、目からウロコの体験ができた。

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初自力

 年末年始にかけて、予期せぬことがつづいて、けっこうハードだったが、子供の笑顔と 昨日からは事務所も開いき、またショートステイも始まったりして、環境的にも、ちょっとホッコリした。

Img_8187 体調管理のために、予定を早めて自力整体に行く。

 からだは正直だ。

 疲れていたり、心配事や不安があると、動きにもひっかかりがある。でも、呼吸やカラダをうまく使うと、心も変わってくる。カラダや姿勢で、こころや気持ちもコントロールできるのだ。 今朝は、寒くて、特に腰が固かったが、関連する違う部位をほぐすと、あら、不思議。腰もやわらかくなってImg_8189前にも倒れやすくなる。ゆったりした動きと、呼吸で、気分も爽やかになった。

 ここでの自力とは、然治癒のことで、計らいこころ、疑いこころではない。教室のメッセージにも、「動いてみると自分がわかる」とあったが、むしろ、凡夫の小さな計らいや、心配、クヨクヨなどとは、対局にある世界を言っている。

 2月で12年目に入るが、今年も、カラダ貯金と思って、コツコツ続けていこう。

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継続

 朝、自力整体でからだをほぐす。

 教室でアンケートがあったが、開始年月日を考えると、ちょどう、この2月で11年目に突入したことになる。最初、まだ始まったばかりの小さな教室で、レッスンを受けた時を考えると、ここまで継続されるとは思いもよらなかった。それが、10年以上、毎月4回のレッスンは皆勤、原則、朝食抜き、牛乳抜きも、10年以上続けたことになるのだから、我ながらびっくりである。

 さすがに、昔のように毎朝、30~45分間のからだほぐしまではできないが、それでも、毎週1度のレッスンは、体を整え、心を整え、食を整えるたいせつな時間にはかわりはない。

 その間、創始者の矢上先生の指導は、変化し続けているが、その根本精神のようなものは貫かれているのは、なかなか立派である。

 今日も、ぼくの横で、M先生がに、からだを揺らしておられた。ちょっといま苦しそうなM先生ではあるが、先生にお伝えしてからも、9年以上がたっている。お互い、かなりベテランの部類に入っているというこだろうし、9割8分が女性の教室にあって、貴重な黒二点である。

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初自力

  朝、自力整体の教室へ。

  会場の都合で、新年の始まりが遅かったので、2週間以上も空いている。

年末年始はお酒やご馳走の機会が多かった。その上、ひとりでのレッスンはまったくサボったし、散歩も、最近はご無沙汰している。唯一、肩や首の凝りをほぐすために、10数年ぶりに再開したダンベル体操だけは、ボチボチと続けている。これが15㎏のダイエットの原点でもあったのだ。

  ほんとうに、からだは正直だなー。

  いつもは平気なことが、今日は苦しかったり、きつかったりする。案の定、体内年齢も、いつよりオーバー気味だったが、まあ20代だったので許容の範囲内か。また週一でも、定期的に続けていると、春には戻っているだろう。

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完全勝利!「裕越感」に浸る

 数日前のこと。自力整体の教室が帰ったら、連れ合いが、ちょっといまひとつの声でいった。

 「どうやら、わしら同級生だったらしいわ」。

 例の体組成計の体内年齢で、彼女も25歳だったのだ。

 こんな偶然ってあるんやね。これは夫婦そろって大したものなのだ。

 しかし、彼女の声がいまひとつなのは、ぼくと同じだったからだ。彼女なりに、自信があったのだろう。

 「引き分けということは、ぼくの優勢勝ちということやなー」

 追い打ちで、ぼくがいった。実年齢では、7歳以上の差があるのだから、普通なら、彼女の方が、1、2歳若くならないと、負けも同然。同年齢なら、ぼくの判定勝ちになるからだ。

 「悔しいなー。珍しく、前日に、ブタ肉(冷シャブのサラダ、肉の夕食は、1月に1、2度)を食べたからなー」と、言い訳をしつつ、「細かな数字を比べて勝負しょう」と言ってきたが、ここは男女の違いがあって、一概にはいえない。みな若干ではあるが、内蔵脂肪は、彼女の方が少ないが、筋肉量や基礎代謝は、ぼくが上回っているからだ。

 そして、「よしー。今度は、絶対に24歳をめざすわー」と、かなり強気な宣言。彼女の闘志に火がついたようだ。

 それから1週間。今日は、レッスン日で、珍しく同じ教室に、別々に向かった。

 レッスンが終わって、皆さんが計測する。別に、誰もが、「25歳」になるわけでなく、その人なりの、それなりの数字が出ているようだ。たとえば、40歳の女性なら、「36歳」でもやはりうれしい模様だし、先生が、「毎週計って変化をみますよ」の声、「エー、そんなんー、毎週ですか」と、凹んでいる人もあった。

 さて、彼女が先に計測器に乗った。

 「ああ、ゆうこさん、内蔵脂肪も、体脂肪も減ってるわー」との先生の声。

 そして、体内年齢へ。

 「ああ、すごい、すごい。24歳やって」

 「エー!、アハハハハ」と、彼女の弾んだ甲高い笑い声が、教室中に響く。

 クソー、なんてこった。宣言どおりに若返っていやがる

 ヤバイ!  この1週間、何もしていないし、昨晩の夕飯は、9時30分と遅かった。こんなことなら、もう一度、トイレにいければよかったなーなどと思いつつ、誇らしげなゆうこが見つめるなか、測定器に乗る。このあとは嫌だなーと、ちょっと不安げに、測定してもらう。

 「ああ、かりもんさんも、減ってるわー。内蔵も、体脂肪も、それでいて筋力量が増えてるよ」との、先生の声。

 ええ、ほんと? これは期待が出来そう!

 最後は、いよいよ体内年齢だ。

 「ああ、すごいわー。23歳やって」

 「エー、ウソ、ちょっとー。エエー、それなんかおかしいんと違う」と、ゆうこの声。

 すぐに数値を詳しく覗き込んでいる。「なにー、あんたいやらしいなー。なに、密かにやっていたの…」

 アハハハハ、残念でしたネ。

 前回は、判定勝ちだが、今回は、ぼくの完全勝利。正義は必ず勝つ!のだ。

 別にお昼を食べて帰宅したら、ぼくの顔を見るなり、また始まった。

 「朝に、紅茶飲んだからな」、「今日は、レッスンの間、ほとんど寝てたからなー。やっぱりしっかりやらんとなー」、「それより、あの機械、やっぱりおかしいん違う?」とか、次々と、敗者は、言い訳や文句を並べるのであった。

 負けん気の強い彼女のことだ。よほど悔しかったのだろう。

 アハハハ、「あなたとは、身体の柔軟性が遥かに違うものなー。きっと、ぼくは、触光柔軟の願の影響で、お浄土のみ光を蒙って、身体が柔らかなくなっているのと違うのかなー」と、常から思ったいたのだ。

 「まあ、自動車ばかり乗ってないで、自転車や歩きにして、少し筋肉を付けたらどう?」と、アドバイスしたら、マジで悔しいそうだった。

 マイナス2歳になったことより、彼女を破ったことがうれしいのである。

 これは、まさに裕越感やなー。

 当然、明日の法話のネタにもなります。

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