カテゴリー「映画(アジア・日本)」の159件の記事

アップリンク京都~『名も無き日』~『いとみち』

 ぼくが見に行く映画の半数以上は、京都シネマで上映されているものだ。残り半分は、京都みなみ会館と、2つあるイオンシネマ そしてMOVIX京都で分けあい、たまに二条TOHOシネマズに行くこともある。ここまではみんな会員になっていて、割引と特典がある。小学校の隣に立つTジョイは徒歩でも行けるのだが、割引や会員制度がないので滅多にいかない。

 ほかに京都市内の映画館は2つのミニシアターがある。
 一つが「出町座」。名前のとおり出町柳にあるで遠くてご縁がない。
 もう一つが、新風館内の「アップリング京都」で、一番新しい映画館だ。京都シネマより地下鉄一駅分だけ遠いが、MOVIX京都よりは若干近く、自転車で行ける。やはり3スクリーンあって、上映数も多い。今でも年間200本以上見ているのに、この映画館を守備範囲に入れると、ますます訳がわからなってしまいうそうで、これまで避けてきたのだ。

 が、その禁を破る日がきた。イオンシネマで上映されていたのを見逃した『名も無き日』を観に行った。

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 リニュール前には利用していた新風館だが、ずいぶん久しぶり。映画館は、商業施設やホテル、そして地下鉄とも直結していた。駐輪場もあって、アクセスもいい。そして、座席がゆったりして映画が見やすいのがいい。ネット予約の段階で、座席の高低についても説明があるのは驚いた。小さなシアターだったが、隣とも離れ見下ろせる席を予約したが、とても見やすかった。同じミニシアターでも、京都みなみ会館せ新しくて、座席もすり鉢になっていて見やすいのだが、座席のサイズ、前後の間隔が狭くて窮屈。京都シネマは座席はゆったりしているが、後方以外はほぼフラット構造で、うまく座席を選ばないと、前席の方の頭で画面がとても見づらい。メーンシアターなので、どのスクリーンならどの座席を選べばいいかが分かっているので、見づらいというのは映画館としては致命的な欠点だと思っている。その点、ここは座りやすく、かつ見やすさかった。プログラムも、大手シネコンの2番目もあったが、なかなかいいプログラムを組んでいた。
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 『名も無き日』は、名古屋市熱田区を舞台に、永瀬正敏を主演に、弟、オダギリジョーの孤独死という不可解な現実に向き合い、また親友の死から停まったままの時間を送る今井美樹などが、予期せぬ別れ、死んでいくものの理解しがたい苦しみと、残されたものが抱える不条理などの現実に向き合っていくというもの。個々の背景が分かりづらく、すぐには共感しずらかったが、そこも含めて媚びない、骨太の映画の印象を受けた。生きていく中で、一人一人が抱えているさまざまなものは、まさに業であって深いということかなーと。

 ランチした後に、京都シネマでもう1本、青森を舞台にした青春映画『いとみち』。津軽三味線の名手を祖母に仕込まれた女子高生が、津軽のメイド喫茶でバイトしながら、自分を見つけていくという青春映画。津軽弁なので、彼女のセリフの半分くらいは分かりづらいのだか、そのことも十分折り込まれた造りになっていて、好感が持てた。

 

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『けったいな町医者』『痛くない死に方』

 さて、長女と『AGANAI(あがない)~地下鉄サリン事件と私~』を見に行った時、連れ合いは、別の映画を見に行った。ぼくが勧めた『けったいな町医者』と、『痛くない死に方』だ。

 共に尼崎に実在する長尾和宏医者が関わっている映画で、『けったいな町医者』は、長尾医師を追いかけたドキュメンタリー。『痛くない死に方』は、彼の原作を基にした在宅医療を題材にし、柄本佑が主演したドラマ(長尾医師役は、奥田英二が演じている)。ぼくは、3月に京都シネマで見て連れ合いに勧めていたが、5月にみなみ会館でも上映されることになって、2週続けて見に行った。

 ぼくは、ドキャメンタリーの『けったいな町医者』の方が面白かったが、連れ合いは、『痛くない死に方』に涙したようだ。2本をみた方が在宅医療の現実への理解が深まるだろう。

 結局、医者が向き合うのは、病気ではなくて目の前の患者さん、いやその人であり、誰もが死ぬことを免れえない以上、死とも向き合わねばならない。しかし、病気を完治させるのが医者の役目であるというのが第一義なので、当然、町医者よりも、大病院や大学病院の、さらには高度な最先端医療おこなう医師のランクが上で、治療よりも看取りを行う在宅医者や町医者は、ランクが下だという偏見を、一般人はもとりより、医者自身がもっているというのである。上位にランクされているものほど、その優越感が強いのであろう。医療云々の前に、人としての生き方と同時に、死に方をどう向き合うかのは、それぞれの人間観にも深く根ざしている。

 その意味では、長尾医師のやっていることは、今の医療現場からみれば、非常識なことばかりである。住み慣れた時に散らかった部屋に、家族が普通に生活していく中で、点滴などの管につながれて溺死するのでなはく、脱水を恐れずに枯れるように死んでいく姿には、人間らしさ、その人らしさが表れて、自然で、温かい景色に見える。また救急車を呼ぶのでも、それがどういうことかを問われる(病院で死ぬことを意味する)、薬=医療ではない、などなど目からウロコのシーンが多かった。結局、医者に、覚悟と信念と、経験が裏打ちされているのである。それでも現代医療を否定するのではなく、その恩恵をうまく受けるために力をになろうというのだが、一方で、製薬会社から大学病院の教授に流れる研究費を指して、「医学部教授は、薬屋の手先、広告塔で、魂を売っていないといえる人がいるのか」と辛辣な批判も口にされる。
 この人、絶対に業界から嫌われ、きっと変人として無視されているだろうと思うと、俄然、親近感が湧いてきた。

 

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『AGANAI』~地下鉄サリン事件と私~

長女と京都シネマに出かける。娘と二人だけでの映画は、久しぶりだ。連れ合いは京都みなみ会館で、別の映画を見に行った。映画のあと、二人でまったりとスィーツを食べて帰ってきた。でも観た映画のテーマは重かった。

『AGANAI』(あがない)~地下鉄サリン事件と私~である。

 地下鉄サリン事件が起こった時、ぼくは新婚旅行中のイタリアにいた。日本でたいへんなことが起こっているが、詳細が分からないまま、地下鉄のイタリア版のキヨスクに、麻原彰晃が表紙を飾る雑誌や新聞が、ズラッーと並ぶ異常さ。当然、長女は、まだ生まれる前だ。たまたま授業の課題で、映画「A」や関連の図書を読んでいたタイミングだったので、興味をもって映画館にいった。

 さて、 地下鉄サリン事件は、14名が犠牲になり、6000人以上が負傷し、事件から25年以上が経過したいまも、後遺症で苦しむ人たちが多くおられる。加害者側も13名が死刑になるという、未曽有の大事件である。監督は、そのサリンが散布された車両に乗り合せたために被害者として数奇な人生を送らざる得なくなる。勤務先の電通を退職、また元オウム信者との結婚と離婚、被害者団体と問題、今も後遺症に苦しめられているという。

 その監督が、事件の被害者であるオウム真理教の後継団体アレフとの広報部長である荒木浩氏と向き合う。この人、森達也監督の「A」でも中心になっていた人物だ。

 向き合うといっても、面と向って事件や信仰を問うのではなく、時間をかけて関係を構築し、そして二人でお互いの故郷や学生時代の思い出の地を、電車で旅をするロードムービィであり、バディ(相棒)ムービィなのだ。長年の親友のように笑い、音楽を共有し、童心に戻って水切りをして遊び、その親密さの中から、彼のことばを引き出し、時には被害者の心情をぶつけるという手法だ。

 両者には共通の点が多い。お互い同じ丹波出身(あいはらは兵庫県側、荒木は京都府側)で、また京都大学出身で1年違いで、同じ時間と空間を共有してきたのだ。しかも、京大の学園祭のイベントにきた麻原に、一方は野次を飛ばし、一方は講演を聞いてその不思議な容貌に引きこまれ出家をするというのだから、縁の不思議さを感じずにおれない。

 故郷や実家以外にも、京大キャンパス、ユニクロでの買い物、鴨川や比叡山、そして幼少期を過ごした高槻(摂津峡をハイキングする)など、地域的には、ぼくの身近なところで語り合いがなされていたことも、親近感が生まれた。

 そして、荒木の子供時代の精神的な体験談、たとえば欲しかった筆箱を手に入れたあとの色あせていく感覚や、弟が病で死にかけたときの衝撃などの話を詳細に語られるだ、けっして特殊ではない、普遍的な宗教情操の持ち主であることに共感を覚えた。

 彼自身は、一連の凶悪なオウム事件とは直接の関係はなく、その経緯や真実を知る立場にはない。しかし、首謀者である麻原の教えをいまなお信じ、明確な総括や反省をおこなわないまま勧誘活動を続けて信者を獲得している以上、無関係とは言い難い。しかも、これまで被害者やその遺族とは、まったく向き合ったことも、その苦しみも想像したこともなかったことが、映画のプロセスで明らかになっていく。当然、彼からは謝罪の言葉は、最後までうまれることはなかった。

 権威や力は目には見えない。たとえ二人か対等な形で向き合っているように見えても、二人のあいだには隔たりがある。加害者側の負い目、被害者側の攻撃性(傷つきからの)が、親密さの表情の合間に、態度や姿勢として表れてくるのを目撃できただけでも面白い映画。見終わった直後よりも、余韻が味わえた。A

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『無頼』『ヤクザと家族』そして『すばらしき世界』

 今年に入って、毎月1本「反社」ものの映画を観ている。ヤクザもの、反社会ものは面白い。

 1月に、井筒和幸監督の『無頼』

 2月には、藤井道人監督の『ヤクザと家族』

 そして今月は、西川美和監督の『すばらしき世界』 である。

 昔は、「ヤクザ映画」「任侠もの」といわれた。無法であっても、任侠や漢(おこと)たちが命をかけ、その散りぎわを美学がテーマになったりもした。それが今では、反社会の時代錯誤の半端もの。それどころか「ヤクザ者に人権はあるのか」がテーマになるほどの絶滅危惧種。その意味での哀れさ、哀愁がテーマとなっているのも共通だ。

 余韻が残ったのは、『すばらしき世界』が一番よかった。主人公の実在のヤクザものを、役所広司が演じる。人生の半分を刑務所で過ごした男に社会の眼は冷たい。しかし、母親の面影(幻想)を純粋に追い求め、弱いものいじめを許さず、後先なしに暴力や脅し以外の解決法を知らず、ありまにも純粋、飄々とした時代錯誤の男に、知らぬ間に手を差し伸ばさそうとする人達がいるのである。世間の物差しでの「正義」や「善悪」は、何を基準にしているのか。ほんとうに彼は悪人なのか。そんなことを考えさせられるものだった。監督の西川美和は(デビュー作の『蛇イチゴ』のみDVDで観たが)、2作目の『ゆれる』が強く心に突き刺って、皆さんにお勧めをしたが、とにかくお気に入りの監督である。これも「ヤクザ、ヤクザ」した映画ではなくよかった。

 一方は、井筒和幸監督の『無頼』は、第2次世界世界大戦後、親に見捨てられ、貧困と差別の中で、誰にも頼らずに闇の世界でのし上がり、ついに親分となって頭角を現わす過程を、昭和という時代と共に描いている。そして暴対法によって力を削がれて足を洗って仏門に入っていく大河ドラマである。

 その意味では、『ヤクザと家族』に登場する舘ひろし演じる親分は、義理、人情に篤く、曲がったものを嫌い、覚醒剤などにはけっして手を出さない。無頼と同じ親分がモデルじゃないかのというような、古きよき?親分を演じている。その男にほれて、親子の契りを結び、全盛期から衰退、そして哀れな末路をたどる漢(おとこ)を、綾野剛が演じていた。一番、哀れ度が高かった。

 それぞれが面白かったが、真面目な善人の人生よりも、道を外した無頼の生きかた方が俄然、面白く、小説や映画の主題になっているはどうしてか。どこかで、そうなれない分、嫌いながらも、妙な憧れがあるのかしれない。

 ところで実際に暴対法以降のヤクザの人権をドキュメンタリー映画は以下に紹介していますので、読んでください。

 『ヤクザと憲法』: かりもんの実践的!真宗法座論 (cocolog-nifty.com)

 

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『春江水暖』

 『春江水暖』 (しゅんこうすいだん)は、余韻を残す映画だった。今年、6本目の中国映画(台湾も含む)だ。昨年も、新世代監督の意欲的な作品を観たが、これも若い監督で、1988年生まれなので、撮影当時はまだ20代だったということか。

 中国映画が好きだ。香港や台湾もそうだが、やはり大陸のものがいい。中学生の時にテレビ『水滸伝』にはまってしまった。それ以降、歴史や地理が好きだったが、中でも中国史には興味を持ち続けている。

 別に歴史物でなく近現代の中国映画が好きだ。現代に至るまで苦難の歴史が続いているが、この数十年だけでも、これほどめまぐるしく社会情勢が変動し続けている国はない。同時に、権力による弾圧によって表現が不自由な国でもある。そんな大きな流れの中で、小さな個人が翻弄され続けている。それだけ映画となる素材も多く、悠久の時が流れる大河的な時間とあいまっているのだ。

 その意味でこの映画は、期待に違わない、いい映画だった。

 年老いた母と4人の息子たち。そしてその家族の物語。それぞれがさまざまな事情を抱え、苦闘している姿がごく自然に描かれている。ほとんどがプロの役者ではなく、監督の親戚や縁者であって、役どころそのままに、実生活でも料理人や漁師である。障がいのある子役も、ほんとうの父子での出演だという。でも素人という感じはまったくせずに、見事に風景にはまっている。

 中国の江南地域、杭州、富陽の、大河、富陽江が舞台である。この自然が単なる背景ではなく、主役だといってもいい。そしてカメラワーク。ロングショットや長回しの映像で、山水画のようにみずみずしい自然が描かれる一方、急速に進化する大都会の風景も描かれる。そんな急激に変化する社会に呑み込まれている市井の人々と、そして変わらない日常もある。四季おりおりの自然の美しと、大河から搖らめく水蒸気、アジア独特の蒸し暑さが感じられたりもした。

 一大絵巻の最後は「巻一完」とクレジットされた。「巻一」は完了は、次ぎの「巻二」に続くことを示していたのである。楽しみである。

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三が日、変わったこと、同じこと

  皆さんも同じだろうが、昨年までとは少し違ったお正月を過ごしている。

 別にお正月には変わりはない。元日は修正会があり、お節やお雑煮を食べ、正月番組も同じだ。

 でも人の流れがやはり違う。

 わが家も、名古屋から姉一家が、年末から2日までの滞在が無くなり、修正会のみの日帰りになった。姉は、嫁いで「ウン十年で初めてだ[と言っていた。元日の夜の外食も中止し、家族4名だけで過ごした。逆に、2日の夕方から北海道に帰省する連れ合いは帰らなかった。いつも大勢が集って賑やかな連れ合いの実家も、今年は来客がないという。義母も、」こんな静かなお正月は嫁いできてから初めてだ」と言っていた。彼の地は年末からの寒波と大雪でたいへんだという。最高気温でも氷点下10度、最低気温は氷点下20度を下回る日もある。家の中はすごく暖かいのだが、屋根の雪が凍てついて雪下ろしもままならないという。いくらこのあたりで、「寒い、寒い」といっても比較にはならない。

 結局、例年とそれほど変わらない正月を過ごした。

 相変わらず映画館に通ったが、2日も、3日も人出は疎らだった。三が日は自粛したのだろう。4日の方が混んでいたか?

 今年の最初は、韓国映画『82年生まれ、キム・ジョン』からスタート。これは、とても繊細で、考えさせられる映画だった。同世代(30~40代)の女性が、育児に、結婚生活、社会進出するなかでの、女性ならでは社会や時代の無言の圧力、抑圧、生きづらさが、身のレベルでの不調という抵抗で現れたさまを、等身大で描いた佳作だった。日本でも大いに共鳴される内容ではないか。よかったです。

 あとは連続して、日米の音楽映画のドキュメンタリー映画をみた。なかなかいいスタートがきれた。

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恐るべし『鬼滅の刃』、でも『スパイの妻』を観る

  久しぶりに大手のシネコンで映画。大型ショッピングモールのエレベーターがあいて、映画館のフロアーに入った瞬間、目を疑った。正月やGM中のような大勢の人(若い人が多い)の熱気で溢れていたのだ。特別な日ではない、平日の金曜日の午後である。でも、その原因がすぐわかった。「鬼滅の刃」の新作の公開初日だったのだ。この映画館でも、15分おきに上映されて1日で35回以上のフル回転である。それが全国の大手シネコンのすべて行われているのだ。まだ座席は半分のみとはいえ、興行収入の新記録になるのかもしれない。
 3月や6月には、このシネコンで観客がたった一人で観た映画があった。今は、京都シネマなどでは100%の座席での上映が始まり、かなり人出は戻ってはきている。でもこの賑わいは、コロナ禍の中では初めてではないか。恐るべしである。

 でも、ぼくが観たのは『鬼滅の刃』ではない。今日が初日のスパイの妻』 。黒沢清監督がヴェネチア映画祭で監督賞を受賞した話題作ということで、満席に近かった。といっても50%なので両隣は開いているのでゆったり観ることができる。

 太平洋戦争突入前の神戸で、裕福な貿易商を営む夫婦主人公。当時としては、てはかなり進歩的な国際人で、暗い時代に逆行しながらも優雅に生きているが、偶然(ほんとうに偶然なのか不明だが)、仕事先の満州で捕虜の人体実験という恐ろしい国家機密を知り、その証拠も手に入れてしまう。祖国を裏切ることになっても、人道的な正義を貫くために、国家に反逆する行動を起こそうとするのである。

 「お見事!」という評も多かったが、ぼくとして悪い映画とは思わなかったが、物足りなさを感じた。決して、面白くなかったとか、嫌いとかではないの。ただ映画のティストの好き嫌いの問題で、この手の演出や手法がいいと思う方にはいいのだろう。憲兵隊に厳重マークされながら二人だけでやすやすと事が進んでいたり、かなり緊迫感のある状況なのに、ハラハラ感やドキドキ感を感じさせずに淡々と進んでいく。夫婦共々、大義(正義)をなす為に、愛する人や大切な人を簡単に差し出していくことに、葛藤や戸惑いをまったく感じさせず(それを超えたところで訴えるものを観るのだろうが)、どうも感情移入しずらく、淡々と見ている感じがしたからだ。
 全編、映像(フィルム)がキーワードになっていて、重要な場面では光と闇が交錯している。731部隊を彷彿させる映像や拷問場面もあるところが、胸を締めつけられた。

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『なぜ君は総理大臣になれないのか』

  8月に観た刺激を受けたり、目からウロコのドキュメンタリー映画が続けて4本(プラス以前の1本)のシリーズの第4弾は、『なぜ君は総理大臣になれないのか』

 これら4本の映画を連続3日間(『沖縄戦』と『鈴木邦男』は、15分の休憩を挟んで1日)で観たが、その最後が『なぜ君は総理大臣になれないのか』である。

 現役の野党(今は何党になるのかな?)の中堅、国会議員、小川淳也を追いかけたドキユメンタリー。とにかく面白かった。政治家の選挙運動、家族とのかかわり、悩みや葛藤、人間の弱さや意志、そんな人間性が、記録映画というよりエンターテーメントとしても、充分に楽しめたのだ。

「地盤、看板、カンバなし」からの負け戦か出発して、選挙区では、地元を牛耳る四国新聞・西日本放送のオーナー一族に挑戦し続ける。巧みな情報操作(一見、公平を余所いながらも)の記事やニュースに接する。結局、弱い野党の中でも、いくら小選挙区で善戦しても勝てず、野党内でもいまひとつ地位をえられない。それでいながら世の中を良くしたいという青臭い志をもち、どこまでも誠実であろうと苦悩し、それを「政治家に向いていない」と言いいつつ家族が一丸となって支え続けている。

 何よりも面白かったのは、民主党ぐるみでの希望の党への合流のドタバタ劇と、小池百合子の「排除します」発言(今となっては懐かしい)から逆風が吹き荒れる中での壮絶な選挙。前原誠司の側近としての苦悩、同じ香川で、高校・大学(東大・官僚としての先輩・盟友でもある玉木雄一郎との関係で苦闘する姿だ。そして、応援弁士の井手教授の演説に胸が熱くなったり、家族のひたむきさも胸にせまる。

 判官贔屓という言葉があるがひたむきな敗者を応援する風潮があるのかもしれない。ただ弱いだけでも、人情だけでもない、何か今の政治に欠けているものが見えてくるかのようだった。

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『愛好者に気をつけろ!~鈴木邦男~』

   8月に観た刺激を受けたり、目からウロコのドキュメンタリー映画が続けて4本(プラス以前の1本)のシリーズの第3弾。

  愛好者に気をつけろ!~鈴木邦男~』  4本の中でインパクトというか、意外性が一番だったのが、この作品だ。前の2本は、これまでの学びでの延長線にあるものであったが、この映画は、ぼく自身が、レッテルを張って決めつけていた偏見を破られたという意味で、一番、目からウロコ率が高かったのである。
 
 最初は、見ないという選択肢を取ったいた。武闘派右翼活動家として名を馳せた鈴木邦男を取り上げた映画だったからだ。右翼といいう言葉一つで、誰もが共通するような紋切り型が出来上がってしまう。愛国を叫び、天皇を崇拝し、旭日旗をはためかせ軍艦マーチの大音響の街宣車を走らせ、日教組(古いけど)や共産主義を攻撃し、反日的と決めつけたものを(映画でも芸術、新聞社でも人間で)実力行使で攻撃する。一言でいうと、自分とは対極にいる聞く耳を持たない怖い人達というイメージを抱いているからだ。

 ところが映画の主人公は、その紋切り型からの対極にある意外な人物像が映し出しされていく。

 寡黙で、質素な好々爺。本に囲まれたボロアパートに住み、さまざまな立場の人達の声に耳を傾け、若者の集会にも気軽に顔出し、孫のような娘にいじられても、ニコニコと黙っている。これが武闘派、民族派と呼ばれた人なのか。

 しかも、その政治姿勢にも驚いた。安保法制に異議をとなえ安陪内閣が勧める憲法改憲に反対し、反対勢力(立憲民主の議員)の選挙応援の演説をする。クジラ問題を取り上げ映画(ザ・コープ)が反日映画であると、映画館前での右翼の妨害活動の現場では、「映画も見ないで上映禁止はおかしい」と、体を張ったカウンター行動をとる。オウム真理教の信者たとも交わり、特に麻原の三女(アーチャリー)を娘のように可愛がり舞台ではその父親役(つまり麻原彰晃)を演じ、村井殺害犯で刑期を終えた徐裕行氏と上祐氏を引き合わる。または元拉致被害者家族会の事務局長で、今は安陪さんに批判的な蓮池亨氏と親交を結んだり、元連合赤軍のメンバーとの会合せ持っている。

 要は、さまざま政治、宗教、そして思想をもつ人達と、立場を超えて本気で付き合っているのである。そこにあるのは、相手に立場を尊重して耳を傾ける姿勢である。そして、立場で行動するのでも、世間の風潮や空気を読んで発言するのでもなく、自分自身が本気でその問題に向きい、自分の言動に対して責任を負う覚悟が滲み出ている。

 「批判精神がないところでは恐ろしいことしかおきない。批判精神と、批判される精神である」

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『日本人の忘れもの』~フィリピンと中国の残留邦人

 8月に観た刺激を受けたり、目からウロコのドキュメンタリー映画が続けて4本(プラス以前の1本)のシリーズの第2弾。

『日本人の忘れもの』~フィリピンと中国の残留邦人

 企画・製作(出演も)は、弁護士の河合弘之氏だ。彼自身が、満州生まれの引揚者で、兄弟を失くしている。有名な経済大型事件を担当しているが、原発差止訴訟でも有名で、映画『日本と原発』などの製作・監督している。映画を観たり著書を読んで、大いに教えられた。そして本作でも目から鱗だった。

  中国(満州)での残留日本人孤児の問題は、80年代に大きな話題となって関心も高かった。テレビでは、感動的な家族の再会シーンが繰り返して流されていた。感動的な美談が消費されたあとは、帰国後の苦悩や問題点は関心がもたれることはない。中年になってからの日本での新しい生活。言葉や習慣の違いで苦しみ、経済的苦悩がつきまとう。高齢となっても年金が受け取れず、大半が生活保護受給で、辛うじて生き延びるが、中国に残る養父母の葬儀にも出れない。何よりも、同じ日本人から差別的な扱いがあるのだ。国も世論におされて、帰国政策を勧めてきたが、包括的な生活支援の法整備は無策のまま放置してきた。感動的な家族の再会シーンに涙し熱中した人々が、帰国邦人の正当な国の支援(つまり税金)に対しては「特別扱いをするな」とクレームをつけるというアンビバレンスな構造もある。そこには、帰国邦人が環境に適応するための労力に対して、まったく想像力が欠如し、また国策としてなされた移住、そして戦争責任についての歴史認識の欠如という問題もある。その点では、まさに日本人の忘れものというタイトルがピッタリである。

 帰国事業が進めれた中国残留邦人よりも、悲惨なのはフィリピンの状況だ。戦前、多くの日本人が渡り、そこで現地の女性と結婚し、日本人として家庭をもっていた人たちが多い。3万人以上の日本人の移民社会があったという。しかし、戦争が激しくなり、現地では男性が徴兵や徴用で戦争に駆り出され、戦死や負傷したものや日本に戻されたもが多い。そして、敗戦。残された妻子は、日本人であることが分かると殺害の恐れがあるので、身分を隠して山岳地帯に逃げ延びるのだが、その子が日本人であるという証明がなく、またフィリビン国籍もない、無国籍状態のまま取り残されるのてある。国は、その実体を知りながらも、フィリピン移住は国策ではなく各自の意志であったこと、大半がフィリビン人との混血児(ママ)であること、そして終戦のどさくさで現地に残ることを奨励。混乱の中で日本人だという証明も残っていなどの理由で、無国籍状態を放置してきたのである。国策で渡り、また両親が日本人である中国残留邦人とは事情が違うというのが、国家の言い分である。父親を戦争で徴兵しながら、この言い分がまかり通るのだ。

 結局、国家は国家の論理で動く。決して、弱者を護るためにあるのではない。もちろん終戦直後の混乱期はしかたなかったもしれない。しかしその後の高度経済期においても、決して日本人の忘れものを取りにいくことはなかった。現状を認識しながらも、高齢(76歳以上)になっている残留邦人が死に絶えることを待っているかのような無策ぶりだ。

 それに対して、残された時間が少ない中で、一人でも多くの日本人の国籍を取り戻そうとする人達の活動を描いている。国連が動き、フィリピン政府が動く。しかし、一番張本人の日本は動かない。「戦後レジュームからの脱却」を目指すアベ政権が、本来取り戻さねばならない忘れ物ではないのか。でも現実はまったく方向違いだ。

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