カテゴリー「映画(アジア・日本)」の134件の記事

『標的の島~風(かじ)かたか』

  以前、お東の九条の会で講演を聞いた三上知恵監督作品。『標的の島~風かたか~』は、高い評価を獲ている『標的の村』(キネマ旬報ベストテン文化映画第1位)『戦場ぬ止め』(キネマ旬報ベストテン文化映画第2位)に続く第三弾だ。

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 170615鑑賞中も、鑑賞後も、なんとも言えぬやり場のない感情が沸き上がってくる。悲しみのようでもあり、怒りのようでもあり、絶望的な無力感でもあるのだか、そのものではなく、なんとも形容し難い痛みに襲われる。
 あまりにも理不尽なのである。でも、その一端を造っているのは、まぎれなくいまの私達であることも事実だ。民主主義とは何か。正義とは何か。そして、ほんとうの軍隊は誰が、誰を護るのか。標的の島とは、沖縄のことかと思っていたら、そうではない事実に驚愕するしかない。

 『ハクソーリッジ』が72年前の沖縄での日米戦争であったなら、それは今もまた形を変え日米の正義の名のもとでの理不尽が沖縄の人達を苦しめているという「事実」に目を背向けてはならない。

 詳細のストーリーは、なんらかの機会でぜひご覧いただきたいのでここでは触れない。ただ声だかな反戦映画ではなく、沖縄の豊かな文化や風習も随所に現れ、どこか未来への希望もある映画だった。最後に、このタイトルの~風(かじ)かたか~ということについてだけ監督の言葉から触れておこう。

 2016年6月19日、過去最も悲しい県民大会が那覇で開かれた。炎天下の競技場を覆い尽くした6万5千人は、悔しさと自責の念で内面からも自分を焼くような痛みに耐えていた。二十歳の女性がジョギング中に元海兵隊の男に後ろから殴られ、暴行の末、棄てられた。数えきれない米兵の凶悪犯罪。こんな惨事は最後にしたいと1995年、少女暴行事件で沖縄県民は立ち上がったはずだった。あれから21年。そのころ生れた子を私たちは守ってやれなかった。

  大会冒頭に古謝美佐子さがの「童神」が歌われる。(略) 被害者の出身地の市長である稲嶺進さんが歌の後にこう語った。「今の歌に『風(かじ)かたか』という言葉がありました。私たちはまた一つ命を守る風除け-『風(かじ)かたか』になれなかった」。とう言って泣いた。会場の女性たちも号泣した。

 できることなら、世間の強い雨風から我が子を守ってもりたいというのが親心。でも、どうやったら日米両政府が沖縄に課す残酷な暴風雨の防波堤になれるというのか。勝算はなくても、沖縄県民は辺野古・高江で基地建設を勧めるトラックの前に立ちはだかる。沖縄の人々は、未来の子供たちの防波堤になろうとする。

 一方で日本という国も今また、沖縄を防波堤にして安心を得ようとしている。中国の脅威を喧伝しなが自衛隊のミサイル部隊を石垣・宮古、沖縄本島、奄美に配備し、南西諸島を軍事要塞化する計画だ。その目的は南西諸島の海峡封鎖だ。だが、実はそれはアメリカの極東戦略の一貫であり、日本の国土もアメリカにとっては中国の拡大を封じ込める防波堤とみなされている。

 この映画はそれら三つの「風かたか」=防波堤を巡る物語である。

 (公式パンフレットの「ディレクター・ノート」より)

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『人生フルーツ』

170414 『人生フルーツ』を観る。

 東京では昨年から評判になっているが、京都はこの5月からやっと映された。1日1回上映なので、連日、立ち見がでる盛況ぶりだ。

 愛知県の春日井市のニュータウン。自然と共生する街づくりをされている老建築家夫婦が主役だ。その立ち居振る舞いが、まったく素敵だ。自然と共にいき、衣食住を整えて、かつ無理なく生きておられる姿が、共感を呼んでいる。

 実は、市井の老夫婦の晩年(どちらかの死まで)を地道に追いつづけるドキュメンタリー映画を、最近よく観る。昨年ならば、山口の山に住む夫婦と家族の25年を追いかけた『ふたりの桃源郷』お隣の韓国でヒットした『あなた、その川を渡らないで』もそうだ。こちらは98歳と89歳の純愛物語。けっこうジーンとなった。

 その2本と比べると、人生フルーツの二人には、生きる指針というか、哲学的なよりどころがかなりはっきりしていて、それが凛とした生きざまにつながっているように思えた。モットーは「年を重ねるごとに美しくなる人生」.。

  ただヴィム・ヴェンダース監督の『誰のせいでもない』と、2本続けての鑑賞だったので、ちょっと眠ってしまいましたが…。

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『ラサへの歩き方』~祈りの2400㎞

  『ラサへの歩き方』~祈りの2400㎞は、昨年秋に観た映画。何度かご法話でも話して、いまさらだがちょっとご紹介。

Fdb5f885d2cbb47802d3966a212a5298212  チベットの小さな村から、親戚や仲間たちが、はるか遠く聖地ラサ(1200㎞)、さらにカイラス山へ山岳道(1200㎞)の祈りの旅に出るのである。2400㎞もの道中、「五体投地」で、1年をかけて巡礼する。その様子が、大自然の中での巡礼風景と、チベットの人々の暮らし向きや日常が、丁寧に描かれていた佳作だった。

 Map_2巡礼者は、老若男女を問わない。子供だけでなく妊婦や高齢者までいる。日常がそうであるように、一見、非日常の巡礼の旅の途中にも、出産もあれば、死もあるのだ。特に、鳥葬のシーンもある。生前、生き物のいのちを奪い生かされてきたことに対して、最後にその身を布施するというのである。

「五体投地」のルールは、
(1)合掌する
(2)両手・両膝・額を大地に投げ出してうつ伏せる
(3)立ち上がり、その動作を繰り返して進む
(4)ズルをしない
(5)他者のために祈ること

これまで、インド仏跡でも、五体投地での巡礼者に出会っているが、恥ずかしいことにまったく(5)の視点が、ぼくにはなかった。そして(4)の徹底ぶりにも、頭が下る。

  ところで、インドで興った仏教は7世紀頃にヒンドゥー教の影響を受けた密教が興り、中国や日本にも弘まるものの肝心のインドでは、結局、ヒンドゥー教に呑み込まれてしまい、仏教は滅んでしまう。しかし、チベットでは、その密教と民族信仰(ポン教)とが結びつき独自のチベット仏教が花開くことになる。なかなか日本では、チベット仏教のことは知られておらず、神秘的で、呪術的で、そのおどろおどろしさが魅力だという、そんなイメージがあるだろうか。

 しかし、チベット仏教は大乗仏教でもあるのだ。 大乗仏教の大きな特色のひとつが、菩薩道、利他行の実践である。

 だからこの祈りの旅もけっして自己の欲求満たすために祈りではない。これだけの難行苦行も、すべて他者の幸せを祈るというのである。

  目の前に虫が歩いてると歩みを止めて殺生をしないようにつとめる。 夜には、ゲルに一同が会して夜の勤行し、語り合う。静かな、豊かな時間が流れているのには、こちらちの胸も熱くなった。

 ではなぜ、衆生の私が行もせず、善も積まず、布施もせず、祈りもしない浄土真宗が「大乗仏教の至極」なのか。……しみじみ味合わせられます。

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『この世界の片隅に』

 今年の日本のアニメション映画は豊作年だった。しかし3本ともジブリ系ではない。
 
 人気、動員では、『君の名は。』がダントツで、社会現象にもなっている。映画の出来では、『聲の形』や『この世界の片隅に』もけっして劣っていない。むしろ『この世界の片隅に』は、今年の邦画ベスト10に入る名作ではないだろうか。

 1「あまちゃん」の能年玲奈が「のん」と改名して、戦前から戦後を市井の女性の独特な雰囲気で好演。のどかで平和な戦前の少女時代に始まり、広島から呉に嫁いだ日常生活の細々した暮らしぶり、ごくごく平凡な人達に襲いかかる戦争の悲劇が、とても繊細なタッチで描かれていた。

 原作者のこうの史代は、一度、『夕凪の街 桜の国』を実写映画を見たことがある。今度はアニメ。戦争四部作で有名な故黒木和雄監督の作品にもつながる気がした。

 今年になって、呉の大空襲を経験した人から、猛火の中を養父母に両手を引かれて足が地につかないほどの勢いで、必死に逃げまどう話を聞いたばかりだ。土地柄、海軍勤めの方も下宿されていたという。猛火が収まり、広場に集まった時に、消化活動をせずに、いち早く子供連れて逃げだした父親が「卑怯者!」と罵倒され、鉄拳の制裁を受けたなと、60年前のことをまるで昨日のように、なまなましくお話くださったのが印象的だった。まるまるこの映画の世界であった。

 おススメです。

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『ソング・オブ・ラホール』

   やはり映画と音楽ほど相性のいいものはない。

 『ソング・オブ・ラホール』は、危機的状況にあるパキスタンの伝統音楽の継承者たちが、起死回生の秘訣としてジャズ演奏に挑戦するというもの。これがなかなかの佳作で、実際のNYでのライブ映像は、感動的であった。

161203 豊かな歴史と伝統を持つパキスタンの都市、ラホール。インド同様、この地も映画産業が盛んだ。アメリカがハリウッド、インドがボリウッドならば、パキスタンは「ロリウッド」と呼ばれ、伝統的な音楽とも結びついて発展していた。

 ところが、70年代後半に政権を握った軍事政権はイスラム化を推進。世俗化の代表である歌舞音曲の類は軒並み衰退し、さらには、90年代から台頭したタリバンによって徹底的に弾圧をされていく。伝統音楽の名手たちも、つぎつぎと転職し、衰退の一途をたどっていた。

 このままなら親から子に、師匠から弟子に、世襲されてきた音楽は消えていく。そこで、彼らがとったのは、伝統楽器によるジャズの演奏である。

「なぜ、ジャズなのか?」。そして、「テイク・ファイヴ」なのか。これにもちゃんと背景があって、なるほど思った。

1956年、アメリカ国務省の親善大使として中東に、トランペッターのディジー・ガレスピーを初めて派遣している。その後も、大物が親善大使として、世界各地を訪問ているが、有名なところでは、デューク・エリントン楽団が1963年にインドなどを訪問した印象と、訪日の体験から『極東組曲』というアルバムをだしている。そして同じように、パキスタンのラホールを訪れたのが、デイヴ・ブルーベックで、この仕掛け人がその音楽に生で触れたというのである。
 もしかしたら、変拍子というのも相性がよかったのかもしれない。

 そして、その50数年後。彼らが招かれたのがNYのリンカーン・センター。ジャズの殿堂と言っていい聖地で、世界一と称されるジャズビックバンドのリーダーで、世界的ジャズ・トランペッターのウィントン・マルサリスと競演するという因縁が、なんとも面白いではないか。

ぼくには、、世界的ジャズ・トランペッターのウィントン・マルサリスが、丸くふくよかな姿も衝撃的だった。デビューアルバム以来、ずいぶん彼のレコード(いまはCD)を聞いてきた。デビューから「天才」と絶讃されていたのである。が、その音楽に心引かれることはないのが不思議で、『自由への闘い』というアルバムを最後に、いまはもう聞くことはない。破天荒さや猥雑さというか、何かプラスαを感じられなかった。要は、ぼくには面白くなかったのだ。ジャズのルーツを探るまでもなく、40年代、50年代でも、虐げられ、抑圧され、もしくは反骨精神が、音楽になんらかの形で影響を与えてきたことは、間違いないからだ。

 その意味では、ジャンルは違っても、パキスタンの音楽家たちは、下層グループに属し、パキスタンでは少数派のシーア派であり、しかも現状は厳しい。一方、ウィントンは、虐げられた黒人の音楽をルーツに持ちながら、いまや指導者としても一流、その地位も名声も十分に得ているのである。

 かなり穿った見方だけでも、そんな背景を見ても二つに異質の出会いは、ほんとうに面白かった。同じ即興性といっても、リハーサルでの戸惑いにはハラハラした。シタール奏者のように実力が伴わないものは脱落し、またアプローチの相違もあって、なかなか息が合わないまま、失敗に終わるのではないかという危機感の中で、本番では、世界最高峰のジャズミュージシャンと伍しても、互角以上の存在感を発揮したタブラ(打楽器)や、特にバーンスリー(横笛)の演奏のすばらしさは、鳥肌ものだった。

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インド映画『PK』

 『PK』といっても、サッカーではない。

Img_6626_2 インド映画は、最近では、日本でも当たり前に上映されるようになって、もう見るのはいいかな?と考えるようになったけれど、これは違った。

 とても面白かった。前作は、日本でもスマッシュヒットした『きっと、うまくいく』。これもよかったが、それ以上に面白い。

 ちょっとネタバレになるが、冒頭から奇想天外で、おやと思った。宇宙船がインドに不時着し、宇宙船のリモコンを奪われた宇宙人が苦心惨憺して、そのリモコンを取り返すというストーリー。それだけ聞くと荒唐無稽のご都合主義の映画のように思えるが、コメディータッチでありながら、ラブストーリーであり、人の心も機微も十分に描かれている。まったく信じられない荒唐無稽の話が、事実になってくるくだりも見事だ。

 でも、一番の主題は、宗教問題を強烈に風刺している点にある。しかも宗教大国のインドでの話だから、驚く。日本でも友人間での宗教の話題はタブー視されるが、インドは、激しい宗派対立で武力衝突も起こっているのである。ただ宗教そのものではなく、そこに関わる宗教家(教祖)のまやかしを批判するものではあるが、ある種、信仰への皮肉とも取れるシーンもあるのだ。

 結局、神さまの声は、人々を苦しめたり、過酷な要求や、荒行を強いるものではなく、弱者に寄り添う慈悲のあらわれだ。しかしながら、その神の声を伝えているという教祖や宗教家が、混線した誤ったメッセージを発し、人々の弱みに付け込み、支配し、時に脅迫して、金品も、精神も巻き上げていくというのである。

 「PK」とは、ヒィンドウーの俗語で、「酔っぱらい」だ。お人好しのアホという意味もあるのだろう。

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『何者』

  『何者』は、 6名の人気若手俳優が織りなす群像劇だ。

 女優陣は、二階堂ふみと有村架純、男性陣は、佐藤健と菅田将暉に、岡田将生、それに山田孝之が絡む、まさに旬の若手俳優が勢ぞろいした青春ドラマだ。青春ドラマといっても、リアルなシュウカツ(就活)がテーマである。SNSでのコミニケーションを駆使する現代の若者気質と合わせて、うまく描かれていた。劇中で、演劇がキーワードになっていることもあって、映画自体が舞台で繰り広げられる演劇ように演出されているのも、面白かった。

 ぼく自身には、シュウカツの経験はない。ぼくの回りでも、大学生時代にシュウカツは盛んではなかった。9割以上が、寺院の師弟という特殊な環境で、だいたいが次ぎの進路が決まっているものも多かった。就職するにしても、本山か、故郷に帰って兼業が可能な公務員(役所か、教員か)になるコースも多かったのである。当時は、携帯も、インターネットもまだない時代。はるか大昔のことである。

 隔世の感ではあるが、現代のシュウカツ事情をかいま見せてくれるこの映画は、興味深かった。結局、「私は何者なのか」が問われるプロセスが、面白かったのだ。

 ところで、匿名性のあるSNSの危険性がしばしば指摘されている。しかしほんとうに恐ろしいのは、それを操るこの人間にある。普段は隠されている、もしくは隠している心の闇が、密かに露わになるだけのことかもしれない。結局、どのような便利なツールが生まれても、最終的に発信するのはこの生身の人間であり、使い方や発信の次第では、毒にも、薬にもなるということ。まあ、大半は、毒にも薬にもならない、自己満足のための垂れ流しなのだろうけどね。

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『君の名は。』

 「『君の名は。』を見た?」 

  高山で、高校生のYちゃんに尋ねた。地元、飛騨地方が舞台である。すると、友達と一緒に、富山まで出かけてみたというのである。

 飛騨古川町などをイメージした大ヒットアニメだ。高山線の様子や、山林などは、同じ旧吉城郡なので、ここにいても感じることができる。

 ところがである。高山周辺、つまり飛騨地方には、いま映画館は一軒もない。高山の映画館は、2年ほど前に閉館になったというのだ。というわけで、地元の映画でありながら、高山の皆さんは、富山などの他県に出て映画を観に行くという。岐阜に出るより近いそうだ。そん中で、Kさんはと、なんと2度も、しかも『聲の形』も観たと言うのたから、かなりのツウだ。最後の町長室での顔ぶれについて、その続編との絡みを熱く語ってくれた。ぼくが「?」という顔をしていると、「あれ、観てないの」。いやいや、とても面白い映画だったが、さすがにそこまでついていけなかっただけ。

 ちなみに、『聲の形』は大垣が舞台なので、岐阜を舞台にした2本のアニメ映画が、今年は大ヒットしているわけである。

 ブラジルにいる子供たちは残念がっていたが、大ヒットのおかげでロングラン上映となって、今月の帰国後でも、十分、楽しめそうである。

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映画『聲の形』

 いま、話題のアニメ映画『君の名は。』は、ジブリでも、ディズニーでもないのに、異例の大ヒット中だ。

 しかしストーリーなら、映画『聲(こえ)の形』もお勧めだ。ぼくは、アニメ映画はあまり見ないが、下の子がコミックにはまり、ブラジルまで全巻を送ったので、映画も楽しみにしていた。

Koenokatachi 転校してきた難聴、耳に障がいがある少女と、いじめの問題という難しいテーマだ。しかも、いじめる側(加害)が、一転、いじめられる側(被害)になるという、小学生特有の微妙な関係がうまく描いている。そして、何よりも登場人物の大半が、自分が好きになれず、自信もない、極めて自己肯定感が低いことだ。当然、傷つくことをおそれて、なかなか本音で、他者と接することができない繊細さの持ち主たちばかり。それは、今の大人でも同じことだが、特に、子供から青年に移ろう思春期に顕著なのかもしれないが、そんな届かないような聲が、さまざまに、発せられる。

 ところで、ぼくの子どもたちが通っていた京都の小学校は、難聴の子も一緒に学ぶ学校だった。これは昔からことで、会館の書道教室にも難聴の子供が通っていたが、それだけの実績があった。アニメとの一番の違いは、同じ授業でも分かるように、手話ができる別の担任の先生が付いていたということだ。おかげで、子どもたちも手話を覚えたり、小さなうちから、さまざまな環境や障がいを持った子供たちと、同じ教室で学ぶ貴重な経験をさせてもらっている。ただ、能力や障がいの度合いによっては、いろいろと難しい問題もあろし、その賛否を一概にいえる問題ではない。ただ映画で描かれているような、学校側に何の配慮もなく、障がいをもった転校生が置いてきぼりをくうようでは、貧しい社会といわねばならない。

 そんなこんなで、けっこう聲なき聲が、胸に響く映画だった。

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『シアター・クノンペン』

 生まれて初めてカンボジア映画を観た。『シアター・クノンペン』

56541e0cfcfe8b6615a54394befecaa7 1月にカンボジアを旅したが、年輩者よりも若者が目立っつ、若い国だった。しかし、そこには悲しい歴史があるからだ。

 カンボジアは、第二次大戦後にフランスから独立を勝ち取るが、1975年に、中国共産党の影響が強いクメール・ルージュ(日本では、ポルポト派の方が通じやすい)が政権を奪取し、世界でも稀にみる暴力による暗黒の圧政が、4年近く続く。その間、知識人や文化人を中心に一般市民も含めて、人口の1/4以上の人々が殺害されたといわれている。その後、ベトナムの侵攻でボルボト派は敗走するが、タイや中国の影響を受けた、ボルボト派を含む諸勢力が離反集合しながら、泥沼の内戦が続いて、また多くの命が奪われていくのである。

 映画は、最初、主役の女子大生の青春ドラマの様相で始まる。偶然入った廃墟寸前の映画館で、若き日の母親が出演した映画ポスターを見つける。平和な時代に未発表に終わった映画は、最後の巻が、内戦の混乱の中で、行方不明。ロマンティックな映画のラスト部分を撮影するため、映画館主で、映画監督と名乗る男と、彼女のボーイフレンドを巻き込んで、ラスト部分を新たに撮影するために奮闘するという展開。

 ところが、そのプロセスで、病弱な母親と厳格な軍人の父親、さらには、映画監督を名乗る男の封印されていた複雑な過去を、初めて知ることになる。それは、個別の問題というより、内戦を生きた大人たちが、戦後生まれの子供や孫へは語るには、あまりにも残酷すぎる歴史であって、皆が口ごもっていたという背景があるのた。

 だから、過去の物語は複雑に展開し、現在へと綿々と続いていく。映画関係者は、文化人としてひどい仕打ちを受けていくのだが、単純なクメール・ルージュ時代に悲しい抑圧の歴史とは語りきられないところに、心引かれた。極限状態の下で、個々の業のようなものが露わになるようだ。弾圧され側も、弾圧した側にも、それぞれの物語ある。抑圧の被害者にも、肉親を裏切らねばならないこともあった。そして、多数の犠牲者の上に、生き残った者たちが背負っていかねばならないものは、一層重い。弾圧者が後の時代でも、支配者側になることもあれば、憎しみを越えて、結びつくこともあるというのだ。

 映画は、負の歴史を暴くだけでなく、深い傷を受けた大人たちのバトンを受け継ぐ若者たちが、どのように未来の社会を築こうとするのかを示していくのである。

 カンボジア映画を興味本位でいたが、素材としても魅力的な佳作だった。

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