カテゴリー「映画(アメリカ・その他)」の84件の記事

『グリーン・ブック』

 今年のアカデミー賞の受賞作やノミネート作の主要な作品は、ほぼほぼ観た。作品賞は『グリーン・ブック』だった。

 まだ黒人差別が顕著な1960年代の南部に旅する、天才音楽家の黒人男性とその用心棒兼ドライバーの白人男性のバディー(相棒)ロードムーピー(旅物)。さすがに、映像も、音楽も、ストーリーも、飽きることなく面白く、最後は幸せな気分になれるおすすめ映画。

 何よりも二人の演技がよかった。水と油の二人のバディーで、差別を受ける黒人の男性が、知的、スマートで、冷静沈着で、堂々としているが、常に黒人としての差別を受けつづける男の覚悟を、マハーシャラ・アリが、孤高の威厳さ、天才の孤独を巧みに演じている。
 一方 イタリア移民で「イタ公」と罵られる、労働者階級のヤサグレな男。無教養で、ガサツで、ケンカ早く、口は達者なので、常に腕力と、口先で問題を解決していく。これをヴィゴ・モーテンセンが、かなり増量(役者さんも大変)して、腹の出た大食漢役を演じている。

 食べるものも、音楽も、趣味も、生活スタイルもまったく違うからこそ起こるトラブルが笑いのネタになる。本当なら会わないはずの異質との出会いがある。特に差別意識のあるものとの出会いは、他者を理解することから始まるが、相手が稀なる才能ある天才だったことも、理解の発端にはあったし、自己の無いものを互いが相手に見つけ、嫌いつつも引きつけってくだけの、人間的な魅力があったというだろう。結局は、他者ではなく、新たな自分自身に出会うことだろ。それは世界の拡がりであり、より豊かになるということだ。そのことを教えられた。
 ただ黒人差別を扱っている割には、あまりにも安定調和の世界での優等生の作品だ。万人向けの感動作だが、ぼくには猥雑さというか、もう少し毒気が欲しいところ。

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『ローマ』

 ベルリンでは金獅子賞、アカデミー賞では最多ノミネート、しかも配給がネット配信中心という映画『ローマ』を観る。

 日曜日のレイトーショーで終了が0時をすぎるので、観客は誰もいなかった。すぐに中年のカップルがぼくの前の座席に座ったが、観客は合計3名。一度、大劇場で、ひとりで映画を鑑賞してみたいと思っているが、他にも1名や2名ということがあって、いまだに1人だけということない。

 モノクロなのに、色彩が溢れてくる作品だった。カメラワークも秀逸で、映像も美しかった。冒頭も斬新な映像で、最初と最後、中盤にも、飛行機が頭上を飛んで行く姿が映し出されるのが、何かの暗示なのか印象的だった。

 基本はネット配信用の映画で、劇場は限定的という代物だが、これこそ映画館の大画面で観る価値のある映画だと思った。
 
 タイトルから、イタリアのローマを想像していたが、そうではなく、アルフォンソ・キュアロン監督が少年期に居たメキシコの地区の名前で、監督自身の自伝的映像だという。1970から71年にかけての時代の匂いが伝わってくる。地震、学生運動、弾圧する民兵組織、テレビ番組やヒット映画など、もしぼくが、メキシコの歴史や時代背景にもっと詳しければ、さらに楽しめただろう。そんな時代を背景に、主人公は、メキシコの中流(中の上か)白人家庭に住む込みで働く家政婦(ネイティブ系)の若い女性を中心に、その雇主一家の物語で、誰の上にもおこる人生の一コマが、丹念に拾われていく。

 作品賞の最有力だったそうだが、しかし、非英語圏、しかもネット配信を主にしたもの、そして少し退屈なアート系の作品だったことなどが影響したのか、作品賞は逃した。それでも監督賞の受賞(他に撮影賞と外国語映画賞も受賞)となったところをみると、この機微は面白い。確かに、全体的には退屈ではあるが、ぼくには、印象的な映像も多く、また感情を動かれる場面が、終盤に何カ所がやってきた。全般に静かな映画だったが、余韻が残る作品だ。

 

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2018年は206本

今年はもずいぶん映画館に通った。

今年は、1月3日に京都シネマで、アメリカ映画の『ギフト~僕が君に残せるもの』(元NFLのスターアメスト選手が、ALSという徐々に筋肉が萎縮して硬直していく難病になり、生まれてくる子供に向けてのビデオメッセージ)と、
ドイツ映画の『わすれな草』(こちらは、自立してたインテルの夫婦が、妻の認知症によってその関係性変わっていく姿を、実の息子がカメラにおさめたもの。夫婦って何? 人間の尊厳って?と、考えさせられる)の、なぜか、海外ドキュメタンリー2本に始まった。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-30b0.html

12月29日には、スペイン~アルゼンチン映画の『家(うち)に帰ろう』(アルゼンチンに住む、かなり頑固な老仕立屋が、子供たちに老人ホームに入れられ、悪い足も切られることになるが、それを逃れてポーランドへ脱走、そこでさまざまの出会いのなかで、彼の過去明らかになる、ホロコースト生き残り感動作。ラストは、甘いが惜しいが、再会シーンは泪)と、

アメリカ映画の『ウィンド・リバー』(ハリウッドのすっきり謎解きサスペンスと思っていたら、ネイティブアメリカンや、特に女性の置かれた差別や厳しい現実が背景にある社会派サスペンス。悪くはなかった)で終わった。

 206本を映画館で鑑賞した。これで3年連続での200超えである。面白いと思ったり、刺激をもらったものもおおかったが、なかなかここにアップできなず、下書きのまま時期を逃すということが多かった。法座関係のものが停滞した影響を受けている。来年は、もう少し映画や本のことも発信していきたい。

 対照的に、相変わらず読書量は少ない。こちらは、たった18冊ほどで、昨年よりは若干増えた程度だ。ただ、直接、講演や講義を聞いた先生のものが多くて、年初めは、心理学者の泉谷閑示氏のもの、中旬は、並河~平岡聡先生の師弟関係にある仏教関係のものを読んだし、秋からは白井聡氏や、関連の政治関係のものを読んでいる。
映画を押さえてでも、もう少し読書をしたほうがいいなーと思っている。それでもこの年になって勉強が面白くなって、講義や講演には、定期的に出かけて刺激をもらっている。

来年もこんなペースで動くようの気はするが、そろそろ自分から発信できる基盤を造る年にしたいと思っている。

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さよなら、京都みなみ会館

Img_5923京都みなみ会館で、最後の映画を見る。本当は、今月一杯だが、最終日の土曜日は福岡に出張中である。

55年というから、ぼくの生まれたことである。ぼくの初みなみ会館は、小学生の時の夏休みだ。東映か何かの映画まつりで、学校のあっせんで映画券が売られて、同級生と観に行ったことをよく覚えている。でも、ここは、長い間、ポルノ専門の映画館だった。それが中Img_5929学校への通学路だったので、ポスター(今なら修正しないとNGのポスター)を見るだけでも、うれしい、はずかし、ドキドキの時期である。そのころ1階のパチンコ屋も健在だった。

その後、RCSが運営になって(それもまた変わるが)、ぼくの手許に一番古い上映スケジュールが、ナンバー18(やっぱりか!)からである。1998年のことだから、20年前ということになる。その時は、インド映画の「ボンベイ」や北朝鮮のプルガサリ(伝説の大怪獣)などが上映されている。でも、その時に見たのは、オバカ映画の「オースティン・パワーズ」だった。その頃は、毎月1、2本は、夫婦で仲良く映画を見に行っていたのであるから、いま思えば信じられないことである。妙なところに話が逸れそうだが、これも無常ということか。

ぼくのみなみ会館のラストは、「死刑台のエレベーター」にした。映画館で見るのは2回目だが、これほどジャズとサスペンスがマッチした映画はない。マイスルのムードは最高だ。このマイルスのレコードも、また完全版のCDも両方持っているが、大画面で見るのはまた格別。

次の映画の上映まで東寺で時間をつぶして、最後に、劇場のサイン入れのドアの写真を撮らせてもらった。

感慨深いというより、寂しい。
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 さようなら~

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アルゼンチン映画『笑う故郷』

 久々に映画館でトラブルに遭遇した。

 これまでも、落雷で上映が中断したり、映写機トラベルで何度も止まったり、痴漢が上映中に逃げ出したり、突然、大声で携帯電話で話す人(浮浪者風)と揉めたり、まあいろいろなことがあったが、すべて上映が始まってからのこと。

 朝10時前、京都みなみ会館に行くと、上映5分前なのに、皆さん、ロビーで本などを読んでいる。どうもおかしいと思っていると、映写機が故障し修理中だという。結局、15分たっても直らず、今回は中止となった。集まった人には招待券が配られたが、せっかく時間を作ったのにがっかりだ。

 映画は、アルゼンチンの『笑う故郷』。朝の1回切りで、2日間で上映終了。もともとは観る観ない半々の映画だったに、こうなると無性にみたくなる。観なかったら後悔しそうな気分。というわけで翌日は、予定変更してリベンジすることにした。
 まあ、これが予想以上に面白くて、なかなかの秀作で、ホッとした。2度も来て駄作だったら、がっかり二乗のところである。

 さて映画の感想である。

Bbc5d86c5a94d272e35cb536b1fb5ec6e15 皮肉屋で、権威に対し媚びない気難しい作家が、ノーベル賞を受賞する。タキシードや国王の礼拝を拒みも、演説もノーベル賞受賞が、芸術家としての汚点であるかのような皮肉な内容。それでも、世界的な有名人となり、作品は世界各地でベストセラー。大豪邸に住み、世界中から舞い込む講演や叙勲、政府や王室からの誘いを断る毎日が続く。そんな中で、捨てたはずのアルゼンチの田舎町から、名誉市民の授与式の知らせが届く。
  故郷の田舎町に帰って、大歓迎を受けるのだが、小さな田舎町。彼の幼なじみや元恋人、若い熱烈な女性ファンの誘惑、嫌がらやなどなど、小さなトラブルが次々と起る。

   ここでの人間の心理描写が秀逸なのだ。世界的セレブで富豪でもある彼に対する羨望、嫉妬、嫌悪、憧れに、名声を利用しようとする政治家など。作家本人にしても、ある意味滑稽である。閉鎖的な町の因習から逃げ出しながらも、その空気が常に作品に影響を及ぼしている意味を、彼自身はどこまで気付いているのか。最初は、ノスタルジー、郷愁の思いであったのに、傲慢で、粗野な本性が出てくる。成功者としてのうぬぼれや特権的な態度が現れてくる。観客は、誰に共感するのか。彼なのか、元恋人なのか、それとも屈折した感情を滲ます同級生の男なのか、または名声欲しさの市長や逆恨みする町のヤクザ者なのか。誰の心理も、皆、観るものの深層心理である。そんな感情が渦巻く描写がうまく、そして、最後に予期せぬ悲劇が待っている。このサスペンス感もいい。
 そしてラストへと続く展開の意外性も面白い。

 彼の新作は、「名誉市民」(これが映画の原題でもある)。この話は、すべては小説の題材だったのか。彼の記者に示す傷跡と、それを観るものに委ねたラストが面白かった。

 

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『ギフト~僕がきみに残せるもの』と『わすれな草』

Img_5083 今年最初の映画。京都シネマで、海外のドキュメンタリー映画を続けて2本見る。意図して選んだわけではないが、なぜかテーマも似かよっていた。一本は、難病もの。もう一本は、認知もの。共に運動機能や性格、そして人格まで崩れていく中で、家族の絆や有りようが問われる映画だった。

 まずは、アメリカ映画で『ギフト~僕がきみに残せるもの』NFL(アメリカンフットボール)スター選手が、引退後に、難病のALSを発症。ALSの啓発や研究援助のために、アイス・バケツ・チャレンジが世界中で広まったのは記憶に新しいところだ。映画では、病気の判明とほぼ時を同じくして、妻の妊娠が分かる。つまり妻は、看護(介護)と育児のたいへんな両立が始まるのである。最初はまだ見ぬ、その後は成長過程に合わせて子供に向けた父親のビデオメッセージがこの映画の元となり、同時に、知名度を活かし、治療法の研究や患者の地位向上のための運動の中心者となっていく。もちろ、そのために家族との関係が揺らいだり、進行する病気を歎いたり、ケンカしたりする等身大の姿が、克明に記録されていくのである。本人のすごさはもちろん、彼に寄り添いながら子育てをもする妻に、家族や献身的に支える仲間の存在も素晴らしかった。
 それにしても、スボーツマンとして健康そのものだった体が、徐々に、徐々に運動機能が奪われていくプロセスは、まさに残酷である。体の筋肉が動くなくなり、歩くことや立つことも困難になる。排泄も自分でできなくなる場面は象徴的だった。そんな運動障害が進行するだけでなく、口や喉の筋肉が弱り声が出なくなり、食べ物が飲み込めなくもなる。痰も吐き出せず、呼吸する筋肉まで衰える呼吸障害までおこってくる。それでいて、症状が深刻になっても、五感や意識はしっかりしているだ。つまり、意志を示せず、食事も、排泄も、痰すら出せず、息もできなくなり、悪化することはあっても回復のすることがないことが、意識しているというのは、ある意味で苛酷なものだった。しかも発症後の余命は、2~5年といわれる。ただ最新テクノロジーを使っての意思疎通や、気管切開の人口呼吸器(多額の負担と24時間介護が必要)の装着で、延命する可能性が高くなっていて、主人公もこの道を選んでいる。ただ残念ながら、いまだ原因や根本的な治療法も解明されていない難病なのである。

 もうひとつが、ドイツ映画で『わすれな草』こちらは、認知症の母親と、寄り添う年老いた父親に、息子がカメラを向けた作品だ。単なる今を写すだけでなく、若き日からの両親の歩みを振りかえていくのだが、これがなかなかユニークで波瀾に飛んだもので面白かった。妻は、テレビのキャスター、父親は数学の大学教授。同時に、社会運動家の活躍し、また夫婦関係もユニークで、結婚中でも他の異性関係が公認されていたという進歩的な歩みをした二人。しかし、年老いた時に、そんな二人が寄り添いながら、その距離が縮まり、またカメラを通して、二人の理解が深まってく息子の視点が、もの静かだが、ちょっと感動的。

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今年みなみ会館で見た28本(後編)15~28

15『ニーゼと光のアトリエ』は、60年代、ブラジルの精神病院をアートで改革しようとした女医の奮闘を描く。当時、人権(いや命)無視の治療と態度の中で、悪しき因習を破るべく、一貫した人間尊重の態度でアート療法を取り入れよう苦闘する。まるでドキュメタリーのような面白さがあった。この流れが、現代では、10番の映画のような施設を生んでいったのだろう。

16『人間爆弾・桜花』(*) -特攻を命じた兵士の遺言ー。特攻作戦の最初の志願者で、その後、出撃者を選ぶことになった男の苦悩。愚かな作戦。

17『知事抹殺の真実』(*)http://eisaku-movie.jp/ 元福島県知事の佐藤栄佐久氏の冤罪事件をおったドキュメンタリー。反原発(実際は安全性に慎重だったたけ)のレッテルをと貼られた知事が、まったく身の覚えない冤罪事件に巻き込まれ、「収賄額0円」で有罪に。国策捜査、検察の横暴を正面から描く。これは感動作。

18『海底47M』。低予算のアメリカ映画。パニックムービーだが、なかなか設定がうまかった。ラストも解釈分かれるところが面白い。

19『ウオーナーの謎のリスト』(*) 京都の空襲から守ってのはだれか。単なる俗説なのか。
https://www.cinemabox.jp/warner-list/ 

20『米軍が最も恐れた男』~その名は、カメジロー(*) これは傑作。見終わったら、会場のあちちこちらから拍手。沖縄の民衆派のカリスマ。瀬長亀次郎のかっこよすぎる生涯。

21『抗い』~記録作家・林えいだい~(*) 奇しくも今年亡くなった反骨のジャーナリスト林えいだい氏の生きざまを通して、戦後の日本の葬られた闇を描く。

22『裁き』は、まるでドキュメンターのようなインド映画。根強いカースト差別と、国家権力の横暴を描いた秀作。

23『ラオス・龍の奇跡』は、日本とラオス合作。ラオス映画が日本上映は初だという。ただ内容はいま一つで、展開は、かなりのご都合主義で終わってしまう。

24『草原に黄色い花を見つける』。こちらはベトナム映画。幼なじみの子供たらの視点での、淡く切ない恋を描く、ベトナム版の青春映画。

25『旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス』(*) タイトルどおり、フランスの写真家レイモン・ドゥパルドの撮影したフランス。

26『立ち去った女』今年、200本目に観たフィリピン映画。これは絶対に名作だ。モノクロ映像が深い深い。しかし退屈でもある。ぼくには4時間は長すぎだ。それもいいのだろう。

27『エンドレス・ポエトリーチリを舞台にした巨匠ホドロフスキー監督の自伝風映画。幻想的な映像は、まさに映画芸術。
http://www.uplink.co.jp/endless/

28『ポバティー・インク ~あなたの寄付の不都合な真実~』 実は1月2日に見ていたのリストに漏れていた。これはよかった。無邪気の善意ほど恐ろしいものはない。貧困や差別を助長するのだ。ブログに記事も書いていた。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-8e23.html

 こうしてみると、あまり見ていないと思っていたが、この映画館で、28本見ている。一ケ月にすると、2、5本くらいは見ている計算だ。傾向としては、アジア映画をよく見ている。中国、インド、韓国、北朝鮮、そしてベトナム、ラオスとパキスンカの映画は、これまで日本で公開されたことのないもの。昨年は、初めてカンボジア映画もみた。日本製作でも、映画の舞台が、ネパールやラオスのものもある。

  あとは、ドキュメタリーの秀作が多かったこともひとつ。これほぼくの好みだろうが、ドキュメンター映画が半数を占めていた。中でも、傑作といってよかったのが、20『米軍が最も恐れた男』~その名は、カメジロー、17『知事抹殺の真実』。
 あと、ブラジル映画の15『ニーゼと光のアトリエ』と、インド映画の22『裁き』も、ドキュメンタータッチでよかった。フィリピン映画の26『立ち去った女』も、2017年のベスト3に入ろだろう。若い国で、混雑とした社会状況、善悪があいまいである国情が、映画を面白くしているのだろう。

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映画の日なのに、、そして『不都合な真実2』

 12月1日は映画の日。

 朝刊の1面を見て驚いて、まだ布団の中にいた連れ合いを起した。

「京都みなみ会館、来年3月で閉館」。

 1面だったのは、京都新聞だからだが、新聞記事でショックを受けたのは、久々。最近は、ネットやテレビの方が先行していくからだ。閉館通知の告知が1枚、夕方に郵送されてきた。ビルの老朽化での耐震性の問題と、契約更新が絡んでいるようだ。

 歩いて行ける距離に2軒の映画館がある。ひとつは、大型ショッピックモールの中のシネコンだが、京都の映画館では一番縁遠く、年に数回程度利用する程度。唯一特典がないからだ。
 そしてもう一軒が、このみなみ会館だ。映画を見るようになったのも、この映画館のおかげ。京都シネマができる前は、京都で唯一のアート系映画館だった。名画もみたし、一般にはしられない佳作映画もたくさん見せてもらった。中学校への通学路にあるが、そのころはピンク映画館。お色気ポスターにドキマギしながら覗き見していた。夏休みだけは子供向けのマンガ祭りで怪獣映画などもやっていた。それが、同じ地区にある企業が買い取り、アート系の映画館に生れ変わった。かなりコアのファンも多い。ちなみに買収した業者の社長は同級生で、中学生の頃には、彼の自宅で、一緒に宿題をしていた。

 ただ、ほくは、最近は京都シネマで大半の映画を見るし、松竹系のmovix京都や桂川のイオンシネマなどのシネコンにもよく行くので、みなみ会館は4番手くらいになっている。それでも、マニアックなライナップは魅力だし、近いというメリットは大きい。法座の開始前や開始後でも通えるからだ。そして、5分前に家を出ても間に合うのだ。

 そう考えると、たいへん残念だ。来年3月まで。もう少しお世話になるだろう。

 といいつつ、今日は映画の日なので、二条にある東宝系の映画館へ。

 元アメリカの副大統領のアル・ゴア氏の『不都合な真実2』~放置された地球~

 やっぱり前作の方が、断然、面白かった。あの時は、歴史的大接戦の末、共和党のブッシュ大統領の政権下で、逆風の中での活動がこころ引かれたが、その後、民主党のオバマ政権になって、政治の中枢ともパイプが生きている。でも、 最後にトランプ大統領が登場して、今度は猛烈な暴風雨である。それだけに、映画の最期の演説は感動的だった。

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『ユリゴコロ』と『ドリーム』の2本

 寺院法座は、日曜と月曜と続くが、月曜日は朝座がなく、2時までフリー。チェックアウト後の待ち時間で、映画館に行く。りんくうタウンにある泉南イオンである。イオンの映画館は、55歳以上は1100円・6本見たら1本無料、さらに駐車場が無料というので、よく利用する。昨年は、ここで『君の名は。』を見た。

 今年は、夜と朝に映画を2本効率よく観れた。『ユリゴコロ』『ドリーム』である。

 まずは、日本映画の『ユリゴコロ』は、ダークなサスペンス。ある意味で不思議な映画だった。当初、死にとりつかれて、殺人鬼となっていく主人公の女性の心理に共感しずらくしんどかった。特に「血」がでるシーンは苦手だ。
 人との共感する力がなく、「ユリゴゴロ」-どうやら「よりどころ」のことを-もたないまま、冷たく他人の死に出会う時にだけ落ち着ける女性の一生を、まったくそんな母親とは知らずに育てられた息子が、その手記を読むことで、事実に向き合っていくという物語。若き日の両親との出会い、恋人との出会い、母親との再会など、物語の核になる人間関係の偶然の出会い方都合がよすぎるのが難点だが、最後の方は、馴染めずにいた物語にだんだとと入り込んでいく気がした。心に残ったといえばかなり残るし、苦手いえば苦手で、ぼくとしては評価は難しい。

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 一方、アメリカ映画『ドリーム』は、50年代後半、NASAに勤務する黒人の女性たちの物語だ。なかなか面白かった。でも、邦題(日本語タイトル)がいけない。「ドリーム」だけでは、まるでアメリカンドリームを想像させ、努力したものが報われていくかのような錯覚をうむ。実際は、二重の差別(黒人であること、そして女性であること)の中で、その地位を向上させるために先駆となる女性の物語だ。単なる努力だけでは如何ともしがたい差別との戦いの一コマを、宇宙開発やコンピューターという新分野での成功と重ねて描かれている。ほんとうのタイトルは、「Hidden Figures」(隠れされた人たち)というのだ。

 また、日本人には理解しがたい、時代背景の理解があると、より愉しめる。ソ連との冷戦時代、宇宙開発(軍需開発そのもの)競争が激化。ソ連に先を越される「スプートニク・ショック」で、水をあけられたアメリカは焦っていた。宇宙開発では、ソ連がリードしてきたということがある。もうひとつが、この時代は、南部では黒人差別が公然とおこなれわていたこと。バスの座席も、トイレも、職場のボットにも、白人は、有色人種を差別してきた。NASAは、南部のテキサス州ヒューストンにあるのだ。そして、黒人社会においても、女性のエリートは男性によって差別されていた。つまり、黒人であること、女性であること。この二重差別によって、どんな能力があろうとも、職業や結婚など社会の中で虐げられていく存在であるということだ。
 上司にあたる白人女性が、部下の-能力があり、管理職の仕事をさせられながらも、ヒラにとどまる-黒人女性に、「私は差別主義者ではない」といい訳シーンがあるが、そこにも差別の実態が垣間見えてくる。ほかにも、今日のネット社会の先駆けとなるIBMの導入など、今日にもつながる社会の予感が窺える。

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『ハクソーリッジ』

 『ハクソーリッジ』は、二重、三重の意味で知らないことばかりだった。

 まず、映画タイトルを聞いても意味不明。こんな時は邦題になるのだろうが、わざわざ原題のままだ。ハクソー(hacksaw)とはノコリギのこと、リッジ(ridge)は崖。第二次世界大戦の沖縄での激戦地で、断崖絶壁がノコギリの歯のように険しく、多くの死者を出したことから、アメリカ軍がこう呼んだというのだ。1945年4月1日、沖縄本島に上陸したアメリカ軍は、首里(那覇市)を目指して進軍。首里の北方3キロの防衛戦の一つが、150mの断崖で日本名「前田高地」と言われるのこの場所だった。日本軍はこの地に縦横の地下壕をめぐらし、米軍を迎え撃った。狙撃だけでなく、手榴弾、銃剣、さらに刃物での特攻精神での肉弾線で対抗。20日間の激闘が繰り広げられ双方に多大な被害がでる。が、どんなに善戦しても、補給路を断たれて孤立していては、圧倒的なアメリカ軍の武力の前に敗退しかない。ほどなく首里も陥落し、6月23日(沖縄での「慰霊の日」)に、沖縄での組織的防衛を終えることになるのだ。

 沖縄の地上戦が激戦地のひとつが前田高地で、このような白兵戦が繰り広げられていたことは、まったく知らなかった。それにしても戦闘シーンの描写は目を背向けたくなるほど迫力だった。火炎放射器で焼き殺される日本兵、特攻精神での切り込んでの肉弾線。至近距離の銃撃、血が飛び交い、腕や足や頭切れた死体が転がる生々しい戦闘シーンが繰り返されていく。

そんな激戦の中で、ひとりの「臆病者」と虐げられて、武器を持つことを拒絶した男が、多くの命を救うことになる史実に基づく映画だ。主人公は、元第一次大戦時に軍人だった父親との複雑な関係もあり、宗教的理由から「良心的徴兵拒否」を認められる。しかし、兵器を持ち殺害することには反対だが、愛国心はあり、なんとか国に貢献したいと、銃後ではなく、志願して従軍する。その意味では「良心的徴兵拒否」ではないのだが、訓練においてでも、銃さえ握らない男は、軍隊では邪魔者、お荷物以外ではない。さまざまな嫌がらせで自主的な除隊を促されるも、それも拒否。そして、最前線、もっもと激戦区のひとつに、衛生兵として送られるのである。そこで武器ひとつもたいない男が、75名もの人々の命を救い、最後は、大統領自らが名誉勲章を授与するという活躍をするのである。

 戦場描写も生々しかったが、その家庭的背景、家族(特に父親と母親)との関係や、連れ合いとの出会いなどの人間ドラマ秀逸だった。そしてなによりも彼の行動が人間を超えた神の啓示によるものであるという表現は、イエスキリストを描いた『パッション』を撮ったメル・ギブソンらしいと感じた。

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