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2024年2月の9件の記事

浄栄寺にて

 室津の浄運寺から、たつの市の浄栄寺に到着した。

 初めての参拝だ。由緒あるお寺で、たつの城から移築された、警備(監視)小屋が附属した門に迎えられる。立派な本堂が会場である。

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 仏青研修会だが、いつもの顔ぶれが中心だ。しかし現地は少し違う。高校生の友人たちが多数参加くださり、また声かけをした同じ地域の若い住職夫妻も参加してくださった。またお世話役の女性(夫人)会の会長さんも、参加くださったのも、うれしかった。

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 大歓待を受ける。おやつのお菓子や飮み物も多数ご用意くださる。初日の昼座が終わったところで、室津の海が眺められる温泉に向うが、送迎にご門徒方が車を出してくださった。その間、婦人会(女性会)の皆さんが、夕食の準備にあたってくださる。その夕食がすごかった。庭では、豪華なバーベェキュー、門徒会館では、すき焼き(しかも上等な牛肉)が用意され、別室には、おでんに、炊き込みご飯に、カレーライスに、スープにと揃えてくださった。
 若い人たちは、まずバーベェキューから。ロートル組は、主に室内のすき焼きから、別室のおでんを食べたり、若者と交代して、野外にでたときは、もうかなり満腹状態であった。アルコールも準備くださっている。

 夜座も、仏青は仏青で、大人組は2組みに分かれての座談会。といてっも、中にはかなりアルコールが入っている人もいたが、法座は法座として行なうことができた。

 仏青組はお寺に宿泊し、他は電車でホテルへ移動。それまで時間の許す限り、懇親会が盛り上がる。ご住職とも、楽しくお酒を酌み交わすことができた。懇親会でご一緒するのは初めてだったが、楽しそうに振る舞ってくだっさていのがうれしかった。

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 ご住職ご夫妻、総代様、婦人(女性)会の皆様、歓待いただき、ありがとうございました。

 

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法然上人二十五霊場~室津の浄運寺~

 京都支部法座の翌24日(土)~25日(日)にかけて、兵庫県たつの市での拡大仏青研修会である。よくよくのご因縁であるが、その話はまた後で。まずは、少し早めに出発し、有志の皆さんと法然聖人のご旧跡へ向う。高速のたつのICを降りて、しばらく山道を走っていると、急に太陽に輝く海が開けてきた。

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海岸沿いのお店にはたくさんの車が停まっている。「牡蠣」を目当てに人が集う。でも、ぼくたちの目的はここではない。さらに急な山沿いに海が迫るクネクネとして細い道を進むと、小さな漁村に出てきた。昔は、参勤交代の宿場町として本陣もあり、たいそう栄えており、小さな村に各宗派のお寺が軒を重ねていた。

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 1月の報恩講法座で、法然聖人のご恩徳をテーマに法話をした。『法然上人行状絵図』(四十八巻伝)から、流罪途中に、高砂で漁師の夫婦のご教化された聖人は、この室津の浜で、舟に乗った遊女をご教化されている。浄土真宗なら、『御伝鈔』にある山伏弁円の済度のように、浄土宗では有名な感動的なエピソードである。それがこの室津である。『御伝鈔』には「弁円」という名は出てこないのに、後に伝承に尾ひれがつくように、『法然上人行状絵図』には、遊女とだけで、その名はないのに、現地に来ると、遊女の名は「友君」であり、木曽義仲の三番目の妻で、木曽義仲が追討された時に、西に逃げ延びたものの、落人として遊女に身を落としたという逸話が加えられていた。
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 細い急な道を登って、本堂に向う。報恩講の法話から1ケ月後、現地に立つことができたのは、ほんとうに不思議なご縁である。予め連絡をしていただいていて、ご住職から詳細なご説明をいただいた。ご本尊は阿弥陀三尊像で、浄土真宗とは異なる。残念ながら、写真は不可だったが、法然聖人像や、自身の像などの宝物が見せていただく。

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 海が見下ろせる場所にある、お墓にもお参りする。お寺の真下には小学校が立っているが、以前は、ここまで海岸であって、「絵図」のとおりの風景であったという。

 風情ある町並みを散策し、いくつかのお寺にお参りする。村のコミニティーセンターでお昼を済ませて、いよいよ本番の仏青研修会。たつの市内の浄栄寺に向った。

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京都支部法座~2月の連続法座(6)

 23日(祝)の「京都支部法座」。

 「長命の集い」の余韻が残るなか、法話の前半はその時の感想。内容よりも、進め方での世話人と一参加者との温度差で感じたことで、伝道という観点から、自分なりには大切なテーマだったが、如何せん、「長命」に不参加の方が多くて、共有できなかったことが残念だった。

 後席は、広島と同じく、聖人88歳、最後のご消息を取り上げる。ただテーマは異なる。
 飢餓や疫病で、多くの人々が無残な死を迎えるなかで、それは如来(釈尊)が説かれた無常の理であって、別に驚くべきことではないこと。
そして、親鸞の身には(ここでも「身」です!)「臨終の善悪をばもうさず」、つまり死にざまの善悪は問題にはならず、「信心決定のひとは、疑いなければ正定聚に住する」のであって、たとえ、「愚痴無智の人も、おわりもめでたく候」と、信心決定の身となれば、その時、必ず正定聚不退の位に住するのだから、どんな死にかたであっても、その臨終は、浄土往生に定まっているのだから、「めでたい」のであると。

 つまり、「信心が定まるときに往生も定まる」のであるならば、その後の「死にざま」も「生きざま」の善悪は、問題ではなく、ただ信心が定まる、信心決定の身となることこそが、肝要なのである。といこうで、信心が定まる、決定するとうこきとはどういことかという問いを、皆さんに投げかけて答えてもらった。
 さまざまな答えがでたが、誰からも「地獄一定の身」になるとか、「本願の実機が知れる」という、わが身に引き寄せる答えが出なかったのは、「信心が定まる」とか「往生が定まる」というと、助かる(法)の一面にしか心が寄らなかったからであろう。どこまで共有し、伝ってたかは知れないが、それが明らかになっただけでも、尊い法座ではなかった。

 

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魚三楼での祝賀~ちょっと箸休め~

 姉も「長命の集い」に参加していたので、終了後、体調の都合などで延期していた母の米寿祝い(88歳)を行なうことにした。伏見にある老舗料亭「魚三楼(うおさぶろう)」に決めた。ミシュランの星付の有名店だが、何度か前は通っても、中に入るのはこれが初めてである。こんなことがなければ、ご縁はなかっただろう。創業260年余り。「鳥羽・伏見の戦い」では、この前の道も戦場となり(近くに徳川幕府の伏見拠点だった伏見奉行所がある)、お店の格子にその時の弾劾痕が残っているのことでも有名。伏見屋敷があった大名家(特に薩摩藩)の御用達でもある。

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《格子の弾劾痕》

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 店名に「魚」の一字があるように、新鮮な魚料理が有名で、とても上品で美味しかった。なにより、主賓の母が元気に席に着いてくれたこと、そして喜んでくれたことが一番うれしかった。

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第3回「長命の集い」2日目~2月の連続法座(5)

 「長命」(じょうみょう)の2日目は、まず、各グループでのテーマを出しあうことにした。ぼくも、一つ「一瞬の喜び、永遠の幸せ」というテーマ。もちろん、これは「信の一念と、信の相続」を念頭においたのもである。

 ここでも思わぬ収穫があった。これまでなんとなく関わりのなかでモヤモヤしていた方と、じっくりと関わることができた。あえて言葉に捕らわれず、その方の言葉の背景(気持ち)を、突っ込んで聞いていった。すると、その方自身も気づかなかった(もしくは抑圧していた)ものが、見事に立ち上がってきたのである。その理由はなく、その事実に出会えたことが尊かった。予想外の展開にうろたえておられるご本人とは別に、ぼくには、この一つだけでも今回の集いの意義を感じた。

 午後からのご法話は、伊藤康善先生の「伊藤先生の言葉」から、「信心とは、有り難いこころを育てるのではなく、その心を捨てることである」というところをテーマにした。大半の方の聞法に刃を突きつける言葉だか、さて、その反応は?

 

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第3回「長命の集い」初日~2月の連続法座(4)

 20日(火)~21日(水)は、「長命の集い」だ。初日は夜18時から開始なので、それまで華光誌の編集作業を行なう。手違いで誌上法話の文字起し依頼が出来ておらず、大急ぎでお願いをしたら、超速攻で作業してくださり大いに助かった。さすがベテラン、ありがとうございました。華光大会で法話で、三帰依文のうち「南無帰依仏」を取り上げている。

 さて、長命(じょうみょう)の集いも第3回である。参加年齢が61歳以上なので、僕が一番の若手である。平日法座ではあるが、日頃、華光会館の法座にお参りしづらい、お商売をされている方々が集う特徴もある。今回は、鹿児島、大分、福岡からの参加者が6名もあった。また北海道の古参同人も加わってくださり、遠近各地からの珍しい顔や、とても懐かしい顔もそろい、日頃の法座以上にバラエティーに富んだメンバーが集う。これだけてもワクワクと楽しみである。

まず、チャックインのあと、企画からメンバーで話し合って決めるという形でスタート。そのために小グループに分かれ忌憚ないところを話し合った。小グループで話し合って、それを全体で相談するのだが、こうなるとなかなか決定が難しい。別に強いこだわりがなくても、小グループで時間をかけて話し合ったことの中から、一つに絞るとなるだけでも時間がかかる作業となった。残念ながら潤沢に時間があるわけではないので、最後は、多数決という形になったのはしかたないことだが、少し残念。結局、テーマ別に少人数での分科会形式になったが、そのテーマは未定のままで、朝までに各自が提出して、それに基づき好きなところに入ることになった。

 後は、お楽しみの懇親会。ここでも九州支部の方が活躍されていたようだ。「長命」といっても、「前期」の方はお元気である。

 

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久しぶりの広島法座~2月の連続法座(3)

 法座ダブルヘッダーの翌18日(日)は、10月以来久しぶりに広島支部法座である。ここ1~2年、広島法座の参加者が減少していて、寂しいが、今回は、福岡からもお参りがあったのが、うれしかった。

 法話は、親鸞聖人の「御消息」(お手紙)の中から、日付が確定している聖人の最後のお手紙を取り上げた。聖人88歳のお手紙は、内容からみても聖人の私たちへの遺書と言ってもいい内容だ。それがシンプルでありながら、どの言葉も鋭く突いくる。

 そして、最後の最後は、恩師法然聖人のお言葉である。

 「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」

 賢賢(さかさか)しく振舞う身に、突き刺さる言葉であり、ご遺言となるのである。

 

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華光誌輪読は「同人さん…」~2月の連続法座(2)

 17日(土)の午後からは『華光誌輪読法座』である。83-1号の2回目。2回目なので、誌上法話(今号は『正信偈大意』なので誌上講話)だが゛今回に限り、変則的に別の箇所を読むことにした。『みなもとへ』を読み始めたこともあるが、その同じ特別講演会の夜座、同人企画「同人さん、いらっしゃーい」(1)を読むことにした。

 しかも内容が、華光会館の創建時に、華光会館に間借りして棲んでおられた古い同人と、姉との対談である。華光誌のことだけでなく、仏の子供大会や日曜学校のこと、そして古い会館での行事のことなど、ぼくにとてっも、懐かしい想い出がたくさん詰まっている回で、感銘深く聞かせてもらった。

 参加されていたMさんが、姉のことを、「法友なので」と何度かいわれた。その「法友」の言葉の響きが、耳に残った。さらに、そのころは「聴聞が大好きで、いろいろと先生に法座に連れていってもらった」という話もよかった。単なる年月の流れを懐かしむのではなく、そこに法座があり、集う法友があり、それが変わらず続いていること。今もMさんが、連続法座に出席して、「身をかけて聞かせてもらいたい」と言われたのが有難かったし、聴聞の場のあることの幸せを感じさせてもらった。

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仏書に親しむ会~2月の連続法座(1)

 とにかく行事が続いている。本来は閑散期であった二月末から三月にかけて、今年は本部主催の宿泊行事が集中してしまった。その合間に、講習会の教案作りと、華光誌の編集作業があるので、かなりハードな日程となった。 2月の東京支部法座、聖典講座と済ませて、その翌週からが法座の連続である。

 17日(土)の午前中(10時~12時)は「仏書に親しむ会」(『みなもとへ』の輪読)を行ない、午後からは「華光誌輪読法座」という、1~3月限定の朝座~昼座のダブルヘッダー法座である。
 
「仏書に親しみ会」では、伊藤康善先生の著述(『仏敵』『善き知識を求めて』『悟痰録』『死を凝視して』)を読み進んできたが、1月から休止して、発刊したばかりの『みなもとへ』を読むことにした。母も参加しているので、生の声が聞ける間に開いておきたかった。

 今回は、その2回目。『みなもとへ』「隠された下駄』第1日目の講演の後半である。前回が、若き日の廻心体験の記述であったのが、今回は、増井悟朗師との出会いから、華光会館創立前後の出来事が中心である。細々したところで止まらないで、とにかく初日の講演会を読み終えた。

 まず『みなもとへ』を読んでいただきたい。母の講演なので、けっして難しくないので、一人でも十分読める。しかし皆さんと一緒に声に出して輪読すると、また違う味わいが生れて来るので、こちらにもご参加頂きたい。

 3月30日(土)も、同じように、午前中は「仏書に親しむ会」(『みなもとへ』の輪読)を行ない、午後からは「華光誌輪読法座」を行なう。ZOOM配信を行なっているので、現地でも、ZOOMでも、どうぞご参加ください。

 

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