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日曜礼拝~超久々のオルガン~

 先生方の都合で、10数年ぶり(もっとか)に、勤行の伴奏のためにオルガンを弾くことになった。30数年前、一人で日曜学校をやっていた時、必要に迫られて、猛特訓してなんとか弾けるようになり、しばらくはぼくの担当だったが、布教活動が忙しくなって以降は、日曜礼拝を若手にお願いすることになったので、オルガンに触れてもいなかった。
なんとかなるだろうと、当日の朝、練習を始めたが、すぐに事前に練習しておかなかったことを後悔するはめになった。うまく弾ける時も1度はあったが、ほぼどこかで躓くとあとはガタガタになることがわかった。手堅く右手だけでもいいかともおもったが、メンバーもよく知っている方ばかりだったので、まあお許しねがうことにして、本番に臨んだ。プチ発表会にでた気分である。まあ結果は、あんなものである。でも、ちょっとまた練習しておこうとは思うきっかけになった。

 今年の最初の日曜礼拝は、次女が法話のトップバッター。昨年の1月デビューだったので、これが2回目だが、堂々とした話ぶりである。
自分の身の回りの人間関係、友人も、恋人も、常に関係は無常で刻々と変化し、末通らず、結局、空しさをであったというのである。しかし、無常も、人生の空しさも、実は2500年前にすでにお釈迦様が説いてくださっていた人生の実相であり、末通る幸せを教えくださっている、その教え出会った幸せというようなテーマであっただろうか。あまりにも身近なテーマすぎたこと、そして「自分の薄っぺらさを知らされた」と座談会で話していたが、もうそれが知らされたならば、たいへん尊いことでもある。

 子供の参加もなく、参加者は少なめだったが、長女が司会進行し、次女が法話を担当し、ぼくがオルガンを担当できたことだけでも、うれしいことである。

 

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