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2023年8月の4件の記事

初盆

今年もお盆参りが始まった。昨年は、間に寺院布教が入ったが、今年はなく、3連休にもなったので、ゆとりのある日程が組めた。

午前中は、ご近所の同人宅へ。このお宅は、親子共々、丁寧に仏事をされてくださるのが、有り難い。「横川法語」のご法話。泥中の中から、泥に汚されずに咲く蓮の花を、他力の念仏にお譬えになっている。

すぐに戻い大阪に向う。同人宅で、支部法座の会所も引き受けてくださっている。今年が初盆にあたる。遠方からも含め近しい親戚が集まってこられる。なんとかご家族、特に子供さんへのご縁を願われているが、まずは手を合わせてもらい、共に勤行してもらうところから。勤行一つ、称名念仏一つ、初めてならば抵抗もあるだろう。特に、「南無阿弥陀仏」と声に出すことは難しい。簡単に見えても、その意味を知り、そのこころを知り、ほんとうに身につくまでには、知らないだけで、あの手この手のお手間、ご方便があったのだ。個人の相続も難しいが、縁ある人に相続していくこも、難しい。それでも、小さなことから、一つ一つを丁寧にお伝えしていくしかない。

法座の後、場所をホテルの日本料理店に移し、和やかに会食が行なわれた。これもまた小さなご縁を造る一つになるのだろう。

 

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命日に

 孫の付き添いで、姉も仏の子供大会に参加してくれた。母から見ると、母-娘-孫-曾孫と、4代が揃ったことになる。

 翌日は、父の命日。八周忌になる。8年前の夏も猛暑だった。仏の子供大会に参加して、3日後に倒れたのである。

 6月に得度をおえた娘の調声で、家族だけでお参りをする。お「正信偈」の後の六首の和讃は、父の「三帖和讃講讃」から和讃六首と、その意味(意訳)をいただいた。

 勤行のあとで、母と姉は、昨年の母の特別講演会の原稿のチェックを念入りにしていた。最後の質疑応答のあたりで、一緒に座る。姉が編集した文章を音読して、訂正する作業だった。文章を目にした時と違い、本人を前に、声に出された文章には重みがあった。母の八十八年の生涯がこめられている。しかも、父の命日にその作業があったことも感慨深かった。60年以上も、父と母の二人三脚での伝道の歩みが、そこにはあった。
 そにれしても母の記憶力の良さには驚くばかり。 

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夏の仏の子供大会開催!

 たった1泊2日、夏も仏の子供大会を開催した。子供が集まらず中止にしてもよかったが、たとえ2~3名でも宿泊開催すると決めていた。夏はもう3年間も中止になっているので、このままならズルズルと無くなってしまう気がしたからである。
 開催してよかった。たとえ数名でも子供たちのエネルギーは大きく、皆様のおかげで、やっぱり仏の子供大会となったのだ。ご喜捨もたくさん頂き、大いに助けられた。子供の参加は少なかったが、幼児、小学生、中学生、高校生、大学生と揃ったし、大人も2日目からは多くなって、30名近い人が集って、賑やかな子供大会となった。初参加の高校生や大学生もあって、それだけでも意義があった。

 ただ班活動はできなかった。当然、班長もいなし、班のモットーや歌もなければ、班評価もない。そして野外活動も、追ハイ、ファイヤー、室内オリンピック、水泳もなかった。つまりは、すべての野外活動、団体行動の規律を重んじる面から見れば、仏の子供大会らしさはどこにもなかったのだから、一抹の寂しさもある。

 それでも、短時間の準備でスタンツ(劇)が3つ、創作活動として、昼食は「おにぎらず」という形で、みんなが会食し、ワイワイと賑やかでおいしかった。大人数で、各自が作りながら、会食するスタイルは4年ぶりで、ほんとうに楽しかった。男の子たちには、銭湯が大好評で、なかなか帰ってこなかった。
 そして、4年ぶりに、地獄(等活地獄)のスライドも見た。反応は、今ひとつだったが、これは上映したことに意義がったのだ。法話も、ぼくが担当した若手班の分級座談会も、法話を丁寧に振り返りながら、充実した内容だった。味わうこともあったが、またの機会で。
 先生方の中でも、娘が中心になって、準備の勧めてくれた。生活面の担当で、法話や「おにぎらず」の企画や会計と、最後までやりとおしてくれたのが、とてもよかった。

 もしかすると、もう以前のような仏の子供大会は難しいかもしれない。それでも、形が代わったとしても、その精神を生かしながら継続していきたい。
 来春には、2泊3日での開催を計画している。早くから呼びかけて声かけをして、なんとか班活動も実現していきたい。どうぞ皆さんもご協力をお願いします。

 

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億劫(おっくう)

 2月の北海道旅行で、ブログが止まってしまった。真冬の北海道から連日の猛暑日である。ここ2~3年、停滞気味ブログではあったが、ここまでの長期の離脱は初めてで、このまま終わった方が楽な気もする。もう役割は終わったのかもしれないね。

 この冬は、何かと億劫な感じが味わっていた。これはここ数年感じてきたことが、還暦を過ぎた歳のせいもあろう。加えて、煩わしい事務手続きが増えてきている。デジタル化で、大目に観られていたことが厳密に適用され、書類作製が増えた。それもネットで処理やスマホがなければできないこともある。この流れは、個人でも法人でも加速化されていくのは必然であろう。華光の活動自体も多岐に渡ったり、事務量が増えているのも確かであり、そんなこんなでバタバタと慌ただしくて、なかなかプログに向えなかった。

 味わうことは種々増えている。学べ学ぶほど気づくことも多い。法座でもさまざまな気づきをいただいている。そのあたりをもっと言葉にしたいとも思う。何度か、再開を考えていたが、一つが踏み出せずにいた。それが、7月末に、初のミニカン実習合宿を行ない、20数年ぶりに逐語録を作製をした。クライエント役で、今の億劫な感じを言葉にしてみたら、億劫さは相変わらずだが、何事も少しずつ動いていこうという気になった。

 ということで、ブログの再開を決めた次第である。

 

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