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大阪での葬儀

   報恩講の初日、夜座を前に、大阪同人より電話がある。予てよりお父様の葬儀を頼まれていた。1ケ月前に、危篤状態との連絡をいただいていたが、その後、回復に向かわれていたが、ご逝去の連絡である。やはり火葬場が混み合い葬儀の日程は未定。

 本業は「生きた葬式」をする場なのだが、同人の依頼があり日程が合えばご縁を結ばせてもらっている。それでも10年近く葬式がないことも珍しくない。昨年も一度もなかったが、年2回、それも1週間も開かず葬儀が続いたのは、初めてのことだ。1年以上間が開くと、勤行も七条の着付けも忘れているが、さすがに1週間以内なら、そのまますんなりと進んだ。

 初日は、電車で会場に向う。このところよく道に迷い。特に東京や大阪の地下鉄からの経路は、複雑だ。事前に地図は用意するので、だいたいの方角はあっていたが、確かめながら進むので、倍以上の時間を要して会場に到着した。ナビをするスマホがないのでしかたないが、早めに出発してよかった。

 昨今、特にコロナ禍では、家族葬、もしくは親族や友人だけの少人数の葬儀が主流になっているが、今回は、社葬でもある。創業者でもあるので、業界団体の参列あって、献花だけでも100以上、弔電も多数あり、通夜・葬儀を合せると4~500名の参列者があったのではないか。

 通夜では、少し長めにご法話も聴いていただいた。葬儀でも、ごく短いご法話をしたが、最後の喪主のご挨拶が、立派なご法話になっていた。自分の出会っている浄土真宗がいかなるものか、なぜ、僕を招いて葬儀をされたのか、そのことをきっちりとお話くたさって感心した。身近なご遺族(特に家族)にご縁を結んでもらいたいという思いを感じられて、有り難かった。亡き方の追悼をきっかけとして、いま、その縁につならっていきるものにも、少しでもご法縁が広がり、我が事として法に向き合ってもらえることになることが、ほんとうの意味での意義ではないかと思われた。

 

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