今月から『死を凝視して』
換気の都合もあり、冬季は、日曜日に、『仏書に親しむ会』と『華光輪読法座』を連続で行なっている。午前中に『仏書』、昼食を挟んで、午後は『華光誌輪読法座』である。
新年、伊藤康善先生の編著である『死を凝視して』が始まる。昨年は、『悟痰録』や『華光出仏』を読み、その関連で『死を凝視して』収録の『最後の手紙』と『死の日記』は読み終えた。
今回は、序文からの輪読し、今日は第一章「枯れ葉の最後」、第二章「私の足跡」(増田宝作)を読む。昭和27年に発行されているが、記事の大半は、戦前~戦中のものである。結核で死に向き合ったり、戦火が目の前に迫るまさに「死を凝視して」の一文ばかりである。特に、第一章の高山青年の記事は、その悲惨な最期と、伊藤先生の筆で胸を打つ。それぞれのご因縁がある。第二章の「私の足跡」は、リズミカルな文章であるが、その中に、『宿善の実が熟する頃』に登場していた「辻の婆さん」が関わっておられるシーンがあって、人事とは思えず読ませてもらった。こんな華光の先輩同人が前を歩いて下さっていたおかげで、今、私にも仏法が届いてきたのである。南無阿弥陀仏
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