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2023年1月の12件の記事

『口伝鈔』第七条「凡夫往生章」

 『口伝鈔』第9回は、第七条「凡夫往生章」。「凡夫往生の事」、つまり「凡夫が浄土に往生することについて」と題された章である。例によって、大意をいただき、分科(5段)にわけてそれぞれの難しい語句を解説し、現代語訳をいただくという流れで進む。そして最後に問題点をいただくのだが、大切なテーマなので、ほぼこれだけで時間を費やしたが、少しだけ最後に分かちもあった。

 「凡夫往生の事」と端的に標題されるように、浄土真宗は、阿弥陀如来のお働きで、凡夫が凡夫のまま浄土往生するみ教えである。それは善導大師の「凡夫入報」のお心であるが、多くは聖道門の常識に惑わされる。本願他力を疑うことは自力疑心の所為であり、善き師に出会わないからである。自身が煩悩具足だという自覚を失うことなく、「親鸞一人がためなり」と、凡夫の私こそが浄土の主とならせて頂くさくうのが、大意である。

 それを、
一、標題      (凡夫往生の事)
二、凡夫往生について(おおよそ凡夫 ~ 凡夫と談ず)
三、聖道門の人の誤認(このこと性相 ~ ところなり)
四、凡夫の実相   (そのゆゑは、 ~ 必定なるべしとなり)
五、親鸞一人がためなり(かくこころえ~ としるべし)

一段目は標題だけなので、実質四段にわけて頂いたが、詳しくは講話CDを聞いてください。

 

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寒波

 とにかく寒い。十年に1度の寒気に日本列島が覆われている。

 京都も、夕方から大雪の予報ではあったが、昼間はそうでもなかった。

 5時前に、映画館を出たら、強い北風と共に雪が横から吹きつける。急に気温も下がっている。このあたりでは稀な感じだ。この時点では、それほどの積雪はなかったが、その後、買い物に出かけた連れ合いから、電話がかかる。

 帰宅するTさんのことを心配しての電話だった。外を見ると、2時間ほどで大雪になっている。大急ぎで、ちょっどう乗車中だったTさんに声をかけるが、とりあえず、帰ってみて、もしダメなら引き返すという返事だったが、10分ほどしたら戻ってここれらた。このあたりでもこの雪なら、京都市内でも、北部は20~30センチは積かもしれない。
 結局、Tさんは会館に宿泊された。行事など以外ではなかったことだし、仕事の後では、初めて帰宅だきなかった。大阪にバイトに出かけていた娘も、途中で、お店が臨時休業になって、すぐに引き返してきた。

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 その夜、テレビでは、京都駅の前後でJRが立ち往生(注=往生の間違った転用)して、深夜まで列車に取り残されたというニュースが報道されていた。急な気温低下と、予想以上の大雪で、線路のポイントが何十カ所も、凍結してしまったというのである。同じ京都駅に入る近鉄や他の私鉄は、通常どおり動いていただけに、JR西の対応の甘さ、その後の誘導の判断ミスが大問題になっていたが、それだけ短時間に急激に天候が変化したということでもあった。

 翌日の夕方、東寺に散歩。まだ雪は残っていた。

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広島での法事

 葬儀の翌日、早朝から広島に向う。

今度は、別院の近くにあるお寺を借りての年忌法要と納骨である。

 お母様の法要は、「釈遠慶」と、父が付けている。彼女の祖父の代、広島からアメリカ移民でカリフォルニに渡った方から、逆輸入で真宗のお法りが伝えられた。浅い歴史の華光ではあるが、そのご因縁は5代渡って続いている。お母様の兄弟姉妹5名も、昔からの華光同人であったが、今も、そのお子様たち(ご姉弟)も同人としご縁を結んでくださっている。それどこなか、そのお孫さん、そして曾孫さんの代まで、仏の子供大会でのご因縁がある。だから、今日集まったご姉妹の4名も、まだご縁を結んでくださっていて、そのお子さんたちも、小さな時からの法友でもあって、その再会を懐かしんだ。

 法要や納骨は、ご住職がお導師を勤めてくださるので、参列者の一人としてお参りした。

 墓石の「南無阿弥陀仏」は父の書だ。

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 午後からの時間は、ご法話で、座談会。ところが、新幹線が名古屋から東京方面でトラブルが発生しているとのことで、慌てて帰っていかれたりしで少しバタバタとした。
改めて、手を合わせこと、勤行すること、仏事の意味について、ご説明した。中でも、何故、南無阿弥陀仏と称えるのかを、ある意味、原点に帰ってお話させて頂いた。

 

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大阪での葬儀

   報恩講の初日、夜座を前に、大阪同人より電話がある。予てよりお父様の葬儀を頼まれていた。1ケ月前に、危篤状態との連絡をいただいていたが、その後、回復に向かわれていたが、ご逝去の連絡である。やはり火葬場が混み合い葬儀の日程は未定。

 本業は「生きた葬式」をする場なのだが、同人の依頼があり日程が合えばご縁を結ばせてもらっている。それでも10年近く葬式がないことも珍しくない。昨年も一度もなかったが、年2回、それも1週間も開かず葬儀が続いたのは、初めてのことだ。1年以上間が開くと、勤行も七条の着付けも忘れているが、さすがに1週間以内なら、そのまますんなりと進んだ。

 初日は、電車で会場に向う。このところよく道に迷い。特に東京や大阪の地下鉄からの経路は、複雑だ。事前に地図は用意するので、だいたいの方角はあっていたが、確かめながら進むので、倍以上の時間を要して会場に到着した。ナビをするスマホがないのでしかたないが、早めに出発してよかった。

 昨今、特にコロナ禍では、家族葬、もしくは親族や友人だけの少人数の葬儀が主流になっているが、今回は、社葬でもある。創業者でもあるので、業界団体の参列あって、献花だけでも100以上、弔電も多数あり、通夜・葬儀を合せると4~500名の参列者があったのではないか。

 通夜では、少し長めにご法話も聴いていただいた。葬儀でも、ごく短いご法話をしたが、最後の喪主のご挨拶が、立派なご法話になっていた。自分の出会っている浄土真宗がいかなるものか、なぜ、僕を招いて葬儀をされたのか、そのことをきっちりとお話くたさって感心した。身近なご遺族(特に家族)にご縁を結んでもらいたいという思いを感じられて、有り難かった。亡き方の追悼をきっかけとして、いま、その縁につならっていきるものにも、少しでもご法縁が広がり、我が事として法に向き合ってもらえることになることが、ほんとうの意味での意義ではないかと思われた。

 

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葬儀から報恩講

 幸い、葬儀は姪っ子の連れ合いが脇についてくれることになった。彼は長く法務員を勤め、時には午前、午後と1日の2度の葬式も珍しくない葬儀のプロである。声もいいし、よく事情も分かっていて、ぼくの勤行にも合せてくれた。そして姪のRちゃんに七条を着つけてもらった。こんな日が来るとは、昔は夢にも思ったことがなかった。皆さんのおかげて、いい葬儀となったのではないか。

 家族葬だったが、親戚も多くそれなりにお参りがある。通夜の法話は、法名(釋法鈴)のおいわれを中心に、分かりやすい話に勤めた。葬儀の法話は、Rちゃんがおばあちゃんの想い出と共にお話くださる。同じ世代の従姉妹もいるので、なによりのご縁になるであろう。

 ご親戚の方はお帰りになるが、ご自宅の戻ったらご家族で還骨と初七日法要を託しておいた。ご法を中心にした家族なのでなんの心配もなく、葬儀を終えると、雨の中、京都に戻る新幹線に飛び乗った。
 
 これから報恩講である。行事前に、新幹線に向うのは遠方のお同行さんの気分である。誰かに会わないかなーと当たりを見回したが、この車両には同人とおられなかった。ただ、明日の成人式、京都三十三間堂の恒例行事である通し矢(弓道大会)があり、弓や矢をもった成人たちがたくさん乗っていた。

 ちょっと不思議な気分で、報恩講を迎える。初日は法話はあたっていないので、勤行が中心である。大師影供作法を勤め、夜座は『御伝鈔』下巻を拝読させていただいた。自信のない声明だが、皆さんの力を借りて無事に勤めることができてよかった。 

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名古屋での葬儀

 突然の訃報だった。

 火曜日の朝、名古屋に住む姉より、お義母さまが倒れて危篤状態だという連絡がある。重篤な状態で、今夜は越せるかどうかも難しい。昨日までお元気で、お正月には得意の絵を添えた年賀状を頂いていた。それが、夜には訃報となって届いた。

 火曜日のご往生。週末の報恩講とは重ならないと思っていが、火葬場が混雑していて日程はすぐに決まず、翌日、金曜日のお通夜で、報恩講の土曜日が葬儀と決まった。ただ葬儀は午前中なので、葬儀を終えてすぐ新幹線に飛び乗れば、報恩講には間に合う。ただ、初七日法要に出るのは難しい。ところが、葬儀屋から「初七日は葬儀の中ですませる(式中初七日)でお願いします」と伝えられた。葬儀に不慣れなぼくは、その言葉を初めて耳にした。今は、これが主流になっているという。収骨まで待ち、再び式場に戻って、そこで初七日法要、会食となると、葬儀会館も皆さんも二度手間なので、葬儀中にすませ、火葬、会食、収骨、そして解散となれば効率的なのだろう。残念ながら、還骨の後の初七日で、遺族の方にご法話を聞いてもらうことを最初のご縁にしていたのだか、これからは勧め方も考え直さねばならない。

 急に慌ただしくなった。報恩講の準備を早める。『御伝鈔』の拝読の練習も必要だし、法話の教案もある。また、久しぶりの葬儀で七条の着付けの確認や勤行の練習にも時間が取られる。法名を考え、参列の皆さんにその意味をお配りもする。慌ただしくても、せっかくの法縁である。しっかり勤めさせて頂きたい。

 そんな気持ちで、金曜日に新幹線に乗って名古屋に向った。

 

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報恩講始まる

 報恩講の準備のために仏具店に出かけたついでに、本山西本願寺にお参りする。

 今日から、本山は報恩講が始まっている。9日から16日の午前中で終わりとなる。初日の夕方ということで、境内は静かなものである。コロナ禍だけではないが、最近の報恩講が寂しく感じるのは気のせいだろうか。

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今月から『死を凝視して』

 換気の都合もあり、冬季は、日曜日に、『仏書に親しむ会』と『華光輪読法座』を連続で行なっている。午前中に『仏書』、昼食を挟んで、午後は『華光誌輪読法座』である。

  新年、伊藤康善先生の編著である『死を凝視して』が始まる。昨年は、『悟痰録』や『華光出仏』を読み、その関連で『死を凝視して』収録の『最後の手紙』と『死の日記』は読み終えた。

 今回は、序文からの輪読し、今日は第一章「枯れ葉の最後」、第二章「私の足跡」(増田宝作)を読む。昭和27年に発行されているが、記事の大半は、戦前~戦中のものである。結核で死に向き合ったり、戦火が目の前に迫るまさに「死を凝視して」の一文ばかりである。特に、第一章の高山青年の記事は、その悲惨な最期と、伊藤先生の筆で胸を打つ。それぞれのご因縁がある。第二章の「私の足跡」は、リズミカルな文章であるが、その中に、『宿善の実が熟する頃』に登場していた「辻の婆さん」が関わっておられるシーンがあって、人事とは思えず読ませてもらった。こんな華光の先輩同人が前を歩いて下さっていたおかげで、今、私にも仏法が届いてきたのである。南無阿弥陀仏

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そして誰もいなくなった。

 修正会が終わると、以前は、名古屋の姉一家も交えて外食に出ていたが、コロナ以降は止めにしている。母も高齢になり夜の外食もたいへんになってきてた。今夜は、いただきものの高級牛肉ですき焼きを、みんなで食べた。

 2日目のお昼まで5名でお膳を囲んだが、昼から連れ合いは、北海道に帰省した。娘たちは、友達と遊びに出かけて滋賀県に行くもお、飲食店のバイトで、新規店のヘルプで広島出張に出かけていくものと、それぞれである。

 正月3日からは、京都、滋賀、広島、北海道と、別々の場所で過ごすことになった。結果、ぼくは、正月のお雑煮やおせちを食べきる担当となった。年末年始、連れ合いと七が体調(コロナではなくよかったが)を崩したこともあり、例年以上に食べるもののが多くて頑張らなくはならない。足の早いものは、匂いをかぎなら、食べたり、(勿体ないが)捨てるものもある。例年のことではあるか、今年はかなり苦戦した。5日目になると、無の境地で使命を果たしていった。御馳走なのではあるが、勿体ないことである。

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東寺からみなみ会館へ

 昨年(2022年)も、映画館で映画を200本観た。毎年の目標にする数字だがら、今年は少し達成は難しいかなと思ったが、12月29日に達成することができた。そのことでもいろいろ書きたいのだがら、今は前に進もう。

 今年の1本目は、1月3日、京都みなみ会館で『ファイブ・デビルス』というフランス映画を観った。匂いの特殊能力を持った少女が、匂いをてがかりに過去にイムスリップして、母の秘められ青春時代の恐ろしい事故(事件)を知るというもの。でもそこには、黒人や女性差別、そしてLGBTに根強い差別が背景にあった。

 映画の前、散歩を兼ねて東寺までぐると一周歩いた。東寺でも初詣客が多くて、そこそこ賑わっていた。いつものように境内地をグルッと一周した。
 今年は穏やかな正月である。

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修正会~阿弥陀様を漢字一文字で 2023年版~

 弥陀成仏のこのかたは
 いまに十劫をへたまへり
 法身の光輪きはもなく
 世の盲冥をてらすなり

 今年も、1月1日の修正会から法座が始まる。

 年末年始は好天に恵まれた。コロナ禍以降、遠方からのお参りは減ったが、名古屋、富山から姉の家族もお参り。後は、京都、滋賀、大阪からの参詣者で、常連の方はほぼ揃ってくださった。ZOOMの参加も同じほどあって、合せると50名以上のお参りである。

 昨年12月の寺院布教の時、「今年の世相をあらわす漢字」が発表された日だったので、話題に昇った。なった。それで、急に思い出したのが、「阿弥陀様を漢字一文字で表すとどうなるか」という問いである。でも、これには正解はない。あくまで個々人のイメージの世界である。が同時に、多くがだされるなかで、阿弥陀様の性格、お心がその文字に表されるから不思議である。

 これはこのプログから生まれた企画である。ブログが始まった間もない2008年12月のことだから、14年以上前のことだ。皆さんに問いかけて、それをまとめたのが次ぎの記事である。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-0005.html

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-f294.html

 ご一読いただくとわかるが、これが結構有り難い。選ばれた一字だけでなく、その漢字を選んだ一言がいい。同時に、顔ぶれが懐かしすぎる。ハンドルなので、今の方が読まれたも分からないだろうが、ぼくには分かっている方々だ。もう故人になられた方も何名かある。華光とご縁がなくなった方もある。一方で、今も続けてご縁を結んでいる方もあるが、当日、グズグス言っておられ方が、今も、同じようにグズグズ言っておられることが、尊い。ZOOM参加者に中にも継続者が数名おられたが、面白かった。

 今回も、皆さんに一言ずつ頂く。「親」「光」「願」「智」「悲」「救」「摂」「救」……顔ぶれが代わっても、「なるほど」というお答えで、やはり14年前にも出ているものであったが、中には、「鏡」(私の姿をありのままに歪めず写し出してくださるから」とか、「断」(横超断四で、迷いを断つお働き)や「破」(同じく破闇満願)、「慚」「望」などの声もあった。

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 ぼくは、やはり「待」という一字。そのお心を頂いたが、もう多くは不要だろう。

「『迎』はむかふるといふ。まつといふ。他力をあらわすこころなり」(唯信鈔文意)

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賀正

 恭賀新年 

 皆様、明けましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願い致します。

 相変わらず、超遅れ気味、抜けがちの「かりもんブログ」ですが、今年もボチボチと進めてまいりますので、よろしくお付き合いください。

「仏法をあるじとし、世間を客人とせよといへり。仏法のうへよりは、世間のことは時にしたがひ、相はたらくべきことなりと云々」(『蓮如上人御一代記聞書』<157条>)

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<高山寺にて>

 

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