『居酒屋夢子・1961』
9月に続いて希望舞台の公演を名古屋で観ることになった。
華光大会の直前で、今夜は「真宗カウンセリング研究会」の月例会もある。無理だろうと諦めていたが、またしてもチケットの売れ行きが悪い。今回は、役者ではなく制作に回っている連れ合いが、名古屋にチケットを売りに出かけているが、如何せん、体制が整わないままうまくいっていない。せめて一人でも観客が多い方がよいだろうと思って、名古屋に向う。
地下鉄からは大須觀音の境内を横切り、商店街の中に劇場がある。前回は夜、しかも車だったので、こんなにお寺や駅から近いとは思わなかった。うまく乗り継ぎができると、新幹線なら1時間ほどで会場に入ることが出来た。
希望舞台で新作の芝居を観るのは初めてだ。コメディタッチでもあり、これまで見てきた舞台とは少し毛色は違ったが、なかなか面白かった。『釈迦内棺唄』出演していたメンバーも、何名かが舞台に立っていたが、まったく違う役柄をこなしているのは感心させられた。演歌歌手だってほんとうにそうとしか見えないし、舞台上の唄もよかった。ところが、連れ合いに言わせると、まだ出来立てで、科白が体に入っていないというのである。言葉の不思議ではあるけれど、法座でも、口先だけの正解が何も届いてこないのと同じで、上手いか下手とは別に、その人の中から生まれる言葉が、こちらにも響いてくる不思議があるのだ。そんなことも教えてもらえた。時間的に,9月も、今回も少し無理をして見に行ったが、それだけの値打ちがあったのじゃないかなーと。
高度経済成長に踊り、昭和が最も輝いていた最後の時代。演歌のメロディのなか、兄弟の背負った運命が明かされていく。
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