華光大会(4)~追悼法要法座~
今年8月にご往生された松岡先生の追悼法要を営む。
あらためて先生との出会いを思い出す。もう40年以上のご因縁だ。一緒に、アメリカや中国の聖跡、インド仏跡も旅した。国内の聞法旅行でも同室したし、この10年間は、3日間の広島カウンセリングWSでは、行き帰りの新幹線から語り合ってきた。毎月の華光の法座にはかかさず出席され、真宗カウンセリングの月例会も代表の先生を、事務局長として支えてきた。プライベートでも、自力整体でも毎週ご一緒し、二人で合宿に参加したこともある。法座、カウンセリング、自力整体と、月に10日間は、毎月お会いしていたことになる。決して量だけでない。じっくりとお話聞いてくださったこともあるれば、晩年は、先生の苦しみを聞かせてもらう側になっていた。でも、そんな想い出を一々語っている時間もない。単なる思い出話の集いになどしたくなかった。
改めて先生の書かれた記事や文章を読ませていただき、(晩年の)法話CDも聞いた。そして、ぼくなりに表白を造り、追悼法話もさせていただいた。
まさに、先生や講師として上に立つのではなく、常に一同人、しかも愚鈍な一凡夫として、自らを開き、自分の弱さや嫌らしさを、五欲に狂う凡夫の姿を、ほんとうに包み隠さずお話くださり、そして同人、同行たちに頭を下げて教えを聞いていかれた。まさに同行学を最後まで体現してくださった。そこには、悟朗先生という真の知識に出遇いという幸せあった。その元で、何度も、何度も、何度も自力を破りながら(ご自身の言葉なら「しつこく、しつこく」)求めて続け去られた姿で、同人にその範を示してくださったのだと思った。
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