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華光大会(3)~今年の企画(2)~

    これだけ見ても、どれも興味深い企画となった。しかも企画段階から、先生や講師が指導するのではなく、同人方で考えて進めて下さるのが、うれしい。ぼくは、アドバイザーという形で、(4)に参加することにした。企画者とも相談していたからだ。

(一)往生は信一念に定まり、以後は法を忘れようが疑おうが、何の関係もない。 従って信後の喜びを苦にする必要は認めない。
(二)しかし、せっかくの法を生かすためには、充分に聴聞の座を重ねて、 信心の溝さらえをしなければならぬ。(最後の手紙より)

 あらためて、80年前の華光同人である尾上さんが、後に続く者のために遺れた言葉である。これを頂くのか。中には、言葉の意味を尋ね、それが理解できれば分かるというような方もあった。でも、27年の生涯をかけたいのちの言葉である。言葉の理解に留まらず、私達の聞法のありかた、ひいては生きかたに迫る言葉ではないか。

 生きているうちに葬式をすませよ。そうすればそれですべて終わる。
 終わると同時に、そこからどこまでも終わらない歩みが続くのだ。

 歩みを留めるな。すべてを放下して求めよ。そういう叱咤のお言葉に聴こえてきた。南無阿弥陀仏

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