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2022年11月の15件の記事

今日はご示談

 華光大会、寺院報恩講と続いたが、今日はご示談のお申し出がある。

 コロナの影響で、京都でのホテル療養を余儀なくされて、もう1日、京都で宿泊された。華光大会にかけてこられたが、凡夫の予定など、あっと言う間に壊れていくのだ。その意気込みは尊かったが、無理は禁物だという思いがする。強く迫って、感情的に動くだけでは、信心とは言えない。宿善の催しは自然の道理で開けるものである。といって、自分で「宿善のまかせだから」と、長綱を引いているのは恐ろしい自力である。焦りは禁物だが、悠長に構える時間はないのだ。

 結局、凡夫が急ぐのは何か確かのものを得たいのであって、結果ばかりを焦っていて、己も聞いていないし、仏様のご恩徳もどこかに追いやっている。そのところの自分を問題にする人は少ないのである。
 今回は、相手の方の居所をよく聞かせていただいた。その方が、ずっとぼくは有り難かった。

 そして阿弥陀様のお働き、「本願力廻向」のお心をお話申し上げた。ただ有り難いところをつかむのではなく、如来さまに名指しされている己を聞いていってもらいたのだ。それでとどめを撃たれるのが、仏法。

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願寿寺の紅葉

 

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  この時期、母を連れて紅葉を愛でるのだがら、今年は、連れ合いが公演で不在であったこととなど、紅葉狩りにはどこにも行かなかった。

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 でも、この願寿寺の紅葉は見事だった。

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 時より雨も交じるあいにくの天気だったが、充分、堪能せさてもらった。
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寺院布教

 華光大会を終えた2日後、宿泊での寺院布教である。もうここの報恩講様には15年も続いてお世話になっている。最近は連れ合いも一緒にお世話になるが、今年は公演があって、今は東京にいる。

 「如来様とは?」と題して、簡単な質問を交えながら進めていった。馴染みのある正信偈の六首ご和讃、冒頭の「弥陀成仏のこのかた~」からの6首をいただき、阿弥陀様が光明の仏様であり、それは慈悲とし、そして智慧の仏様であることを窺った。その智慧とは知識ではなく、私の正体を温かく、そして真正面から明らかにして下さるお働きである。結局、仏智の働きである光明の縁にあうことがなければ、ほんとうの自分のことは分からないのである。そのことを、最後は機の立場から、「あなたは誰ですが?」という問としてお取り次ぎさせてもらった。内容はやさしいのだが、自己を問うことは一番難しいテーマである。自分のことでありながら、自分の力では知ることができないからである。
 
 すべて仏智に出会って、自分自身が、そして私の行き先が明らかに知らされる。まさに「心開明を得る」のである。

 2日間、いいご縁を頂きました。

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東寺の紅葉

 企画法座、追悼法要、そして強烈な新発意の菩薩誕生と、本願力の働きに撃たれた華光大会が終わった。連れ合いは、すぐに関東公演のために東京に向った。ぼくも、 からだは疲れているのだが、こころはすごく躍動し、活発に活動している。明日からは寺院布教だが、少しセーブして話さないと、皆さんに引かれてしまうだろう。

 散歩で東寺まで歩く。

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 天気もいいし、この時期にしてはかなり温かい。東寺の紅葉はこれからというところ。春の桜、秋の紅葉の季節、夜にはライトアップされるが、週末には長蛇の列となる。

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 この時期には冬の訪れも感じるものだが、今年はことのほか温かく、温暖化の影響があにおるのだかろうか。それでも、季節は進んでいる。紅葉も少しずつ進んでいて、京都は、今週末が見頃になるだろう。

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華光大会(5)~本願力廻向~

 ある程度予想はしていたが、想像以上に追悼法座が尊かった。皆さんからも一言を頂いたが、故人の偲ぶというセンチメンタルな思いを超えて、諸仏の讃嘆の声となっていた。皆さんの口を通して、松岡先生の讃嘆がそのままご法の讃嘆となったのである。最後の奥様のご挨拶のお言葉も尊かった。病魔に苦しめられながらも、「わが腹底には地下水のごとく真実が脈々と流れ、南無阿弥陀仏となって浮かび上がって来る。ほんとうに幸せものだ」と。

 総会を挟み、夜座の法話後の座談会。参加者は減少していたが、追悼法要の分かち合いをしたかった。みんなが、自分の計らいを超えたありのままのところで分かちあいたかった。でもこれが難しい。相変わらず、頭で作られた「分かる、分からない」「変わる、変わらない」といった話題が続く。しかし、「どうすれば~」といった問いには、司会者を制して答えなかった。同じレベルで、相手を変えようというエネルギーを使いよりも、今、このご法の力を分かち合いたかったのだ。

 すると不思議ことが起こる。

 Yさんが、自分のほっぺたを殴り涙ながらに語ってくださった。「私は、松岡先生も、悟朗先生も知りません。でも、皆さんのお口を借りて、松岡先生の人となり、悟朗先生の人となりを聞かせていただきました。そして、皆さんの口を通して、お二人の先生に流れている仏法を、今、聞かせてもらいました。ただ、私はそこに居ただけなのに、お会いしたこともない先生が伝えて下ったご法に遇わせてもらいました」と。

 実は、伏線があった。支部法座での厳しいやりとり、7月の壮年の集いでの感想、そして9月の特別講演会での感激、ずっと続いてる法の流れがあったのだ。前日もまた、グズグズいっておられた声に、司会者と二人で時間をかけて関わっていたのだ。

 おもわず、「その遇わせてもらったご法とはなんなの?」と問う。すると「分かりません」と。ああ、せっかく法の働きに撃たれたというのに、また分かる、分からんの二項対立の頭で作った世界には戻ってしまいそうだ。それで間髪入れず次の一言だけ言った。

 「さきほどの法座で、松岡先生のことを分かろうと思って聞いていたか? 違うやろう。ただそこで聞いていたら、向うから届いてきたのと違うか。遇ったこともないの方の方が、届けられたのと違うか」と。

 たたその一言だけだった。すると、突然

「ワアアアアアアアアアー バカでした。バカでした。バカでした。届いてました。届いてました。ワアアアアアアアアア」と、七転八倒しながら暴れだした。「バカでした、バカでした。バカでした」「届いてました。届いてました。届いてました」。「オオオオオオオ」と号泣し、のたうち回っている。その口から、「南無阿弥陀仏゛南無阿弥陀仏」の念仏と、「バカでした、バカでした。バカでした」「届いてました。届いてました。届いてました」と繰り返すだけであった。

 

 本願力の「力」(エネルギー)そのものは目には見えない。ちょうど、重力が目に見えないのと同じだ。しかし、その働きにあって動かされている作用は見ることができる。諸仏方の称讃から立ち上がったご法が、泥凡夫の自力の心を突き破り、自然と新発意の菩薩が誕生するのである。まさに松岡先生の還相廻向と言わざる得ない。南無阿弥陀仏

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華光大会(4)~追悼法要法座~

 今年8月にご往生された松岡先生の追悼法要を営む。

 あらためて先生との出会いを思い出す。もう40年以上のご因縁だ。一緒に、アメリカや中国の聖跡、インド仏跡も旅した。国内の聞法旅行でも同室したし、この10年間は、3日間の広島カウンセリングWSでは、行き帰りの新幹線から語り合ってきた。毎月の華光の法座にはかかさず出席され、真宗カウンセリングの月例会も代表の先生を、事務局長として支えてきた。プライベートでも、自力整体でも毎週ご一緒し、二人で合宿に参加したこともある。法座、カウンセリング、自力整体と、月に10日間は、毎月お会いしていたことになる。決して量だけでない。じっくりとお話聞いてくださったこともあるれば、晩年は、先生の苦しみを聞かせてもらう側になっていた。でも、そんな想い出を一々語っている時間もない。単なる思い出話の集いになどしたくなかった。

 改めて先生の書かれた記事や文章を読ませていただき、(晩年の)法話CDも聞いた。そして、ぼくなりに表白を造り、追悼法話もさせていただいた。

 まさに、先生や講師として上に立つのではなく、常に一同人、しかも愚鈍な一凡夫として、自らを開き、自分の弱さや嫌らしさを、五欲に狂う凡夫の姿を、ほんとうに包み隠さずお話くださり、そして同人、同行たちに頭を下げて教えを聞いていかれた。まさに同行学を最後まで体現してくださった。そこには、悟朗先生という真の知識に出遇いという幸せあった。その元で、何度も、何度も、何度も自力を破りながら(ご自身の言葉なら「しつこく、しつこく」)求めて続け去られた姿で、同人にその範を示してくださったのだと思った。

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華光大会(3)~今年の企画(2)~

    これだけ見ても、どれも興味深い企画となった。しかも企画段階から、先生や講師が指導するのではなく、同人方で考えて進めて下さるのが、うれしい。ぼくは、アドバイザーという形で、(4)に参加することにした。企画者とも相談していたからだ。

(一)往生は信一念に定まり、以後は法を忘れようが疑おうが、何の関係もない。 従って信後の喜びを苦にする必要は認めない。
(二)しかし、せっかくの法を生かすためには、充分に聴聞の座を重ねて、 信心の溝さらえをしなければならぬ。(最後の手紙より)

 あらためて、80年前の華光同人である尾上さんが、後に続く者のために遺れた言葉である。これを頂くのか。中には、言葉の意味を尋ね、それが理解できれば分かるというような方もあった。でも、27年の生涯をかけたいのちの言葉である。言葉の理解に留まらず、私達の聞法のありかた、ひいては生きかたに迫る言葉ではないか。

 生きているうちに葬式をすませよ。そうすればそれですべて終わる。
 終わると同時に、そこからどこまでも終わらない歩みが続くのだ。

 歩みを留めるな。すべてを放下して求めよ。そういう叱咤のお言葉に聴こえてきた。南無阿弥陀仏

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華光大会(2)~今年の企画(1)~

 二部制から生まれた同人のよる企画法座だが、今年は、初日の夜に開催。募集段階で、これぞと思う同人に懇親会の席で、何かやってみませんか」とお声をかける。以下のような興味深いテーマが集まった。

(1) D-pca(真宗カウンセリング)について

内容: 真宗とカール・ロジャーズ・アプローチとの交流から生まれてきたひとつの運動です。これについて真宗という側面とカウンセリングという側面のふたつから取り上げてみたいと思います。もっぱら私が話しをするこということになります。もちろんヤリトリをしながらということになりますが・・。
 真宗からは故・西光義敞先生中心に立ち上げられてきた「聞法の集い」の体験、先生とのヤリトリの思い出、そして故・松岡先生との思い出を通して語らせていただけたらなと思います。現代にまさに生きる真宗です。そして、カウンセリングの側面からは真宗と交流することによってカール・ロジャーズのアプローチに一石を投じることになる(世界的にみても)と思われ、そのことについても語りたいと思っています。

(2)Mさんの遺徳を語り合おう!

内容:*人と人をつなぐ”懸け橋”になりたい…お寺と華光・仏教とカウンセリングなど。
*『北風と太陽』の”太陽”でありたい…暖かさで相手が自ずから服を脱いでいく」と常日頃おっしゃられ、広く出会いの場を求め、「仏法」や「真宗カウンセリング」を弘めながら、たくさんの繋がりを作り、駆け抜けて行かれたMさん。ものすごい勢いで、天に駆け上る青く白い龍のようでした。Mさんが私に遺してくださった宝物を皆さんの宝物と一緒に分かち合いたくなりました。開けてびっくり玉手箱!一緒に開けてみましょう!

(3)「アジャセからの贈りもの」耳で聞く『教行信証』の世界

内容:「アジャセ」は親殺しである。恐るべき極悪人だと言えよう。だが親鸞はこのアジャセの暗黒を見つめて、そこに人類の真実のいのちの光を感受したのであった。都路恵子さんは、この書(教行信証)に満ちるアジャセの声に全身を任せたという。ただ聞いたのである。(帯より抜粋)
 皆さんとこの書の1部を輪読し、教行信証を読むから聞く体験を一緒に分かち合いたく思います。
 参照=「アジャセからの贈りもの」耳で聞く『教行信証』の世界(都路恵子著)

(4)「信一念と法の相続」について語り合う

内容:昭和20年夏ごろ、結核の病床にあった尾上実氏は、伊藤康善先生に何度か手紙を書かれています。小康状態だった病状がある時から悪化の一途をたどり、いよいよ我が身
の寿命が尽きることを感じた尾上氏は、何か形見に残せるものはないかということで、華光の朋友諸氏に残す言葉として以下のように書かれています。(最後の手紙より)

(一)往生は信一念に定まり、以後は法を忘れようが疑おうが、何の関係もない。 従って信後の喜びを苦にする必要は認めない。
(二)しかし、せっかくの法を生かすためには、充分に聴聞の座を重ねて、 信心の溝さらえをしなければならぬ。

 仏法を聞いたといっても、法を忘れたり疑ったりすることに悩んでいる人はいるでしょうか? 信後の喜びに苦しんでいる人はいるでしょうか? また、充分に聴聞を重ねているでしょうか?信心の溝さらえをしているでしょうか? その一語一語について、有志で語り合いたいと思います。求道や信仰のことに関わらず、その方の人生を語っていただき、分かち合ってまいります。

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華光大会番外編~ホテル難民とコロナ禍~

 華光大会が始まった。実は、法座か始まる前からすでに始まっていた。法座の内容とはまったく別のことである。

 今年の大会は、3年ぶりに前期・後期を分けない3日間の法座だ。それでも人数制限や宿泊、食事は中止となった。各自がホテルを予約してもらう。ところが、この時期、京都は紅葉シーズン真っ盛り。過剰気味のホテルも満室で、価格が高騰している。普段は5千円前後のシングルの部屋も、軒並み2万円以上もするのだ。法人契約をしているホテルでも行き違いがあって、予約の取り方で混乱が生じていた。金曜日はよいが、土曜日がとれなかったり、高額を請求をされたりとトラブルも起こる。

 ホテルが取れなくて何十年ぶりの参加を諦めた方々もある。体調不良でキャンセルされた方の宿を譲ってもらったのに当日キャンセルする奴もいる。ケガに、病気に、コロナ感染や濃厚接触、仕事の都合、それに加えてホテルが取れないと、法座申込後のキャンセルが数十名になる。かと思えば、同人宅に泊めてもうったり、布団を持参して車中泊を考えていた方もある。ご因縁事とはいえ、このあたりの経緯は面白い。

 会館も、ホテル難民に限定して宿泊してもらうことになった。北海道組は前泊・後泊も含めて4泊の予定。ところが予想外のトラブルが起こる。コロナ感染が判明して、事務のTさんまで濃厚接触者となってしまった。予想外と書いたが、ほんとうはこれも別に驚くことではない。でも遠方の旅先で発熱したら、この後がたいへんだ。早くホテル療養が決まってよかったが、慣れない地で心細かったことだろう。もしこれが昨年までなら法座は中止になっていただろうし、皆さんも気が気でなかっただろう。今は普通にコロナ感染が溢れていて、みんなも別に気にかけずに普段どおり法座が開かれた。少人数だったが、2日目には懇親会も開けたのもよかった。

 この3年、法座出席者の顔ぶれが固定している。コロナの影響が大きいいが、ご縁に会わない理由が正当化されるのが怖い。理由はともかく、懈怠の姿をわが身に引き受けることがないのなら、単なる今生事と同じレベルになってしまう。ご因縁とはいえ、法座一つに出るだけ起こる悲喜こもごも。これも自分を見せられ、ご法を喜ぶ種となるのだが、如何か。

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『居酒屋夢子・1961』

 9月に続いて希望舞台の公演を名古屋で観ることになった。

 華光大会の直前で、今夜は「真宗カウンセリング研究会」の月例会もある。無理だろうと諦めていたが、またしてもチケットの売れ行きが悪い。今回は、役者ではなく制作に回っている連れ合いが、名古屋にチケットを売りに出かけているが、如何せん、体制が整わないままうまくいっていない。せめて一人でも観客が多い方がよいだろうと思って、名古屋に向う。

 地下鉄からは大須觀音の境内を横切り、商店街の中に劇場がある。前回は夜、しかも車だったので、こんなにお寺や駅から近いとは思わなかった。うまく乗り継ぎができると、新幹線なら1時間ほどで会場に入ることが出来た。

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 希望舞台で新作の芝居を観るのは初めてだ。コメディタッチでもあり、これまで見てきた舞台とは少し毛色は違ったが、なかなか面白かった。『釈迦内棺唄』出演していたメンバーも、何名かが舞台に立っていたが、まったく違う役柄をこなしているのは感心させられた。演歌歌手だってほんとうにそうとしか見えないし、舞台上の唄もよかった。ところが、連れ合いに言わせると、まだ出来立てで、科白が体に入っていないというのである。言葉の不思議ではあるけれど、法座でも、口先だけの正解が何も届いてこないのと同じで、上手いか下手とは別に、その人の中から生まれる言葉が、こちらにも響いてくる不思議があるのだ。そんなことも教えてもらえた。時間的に,9月も、今回も少し無理をして見に行ったが、それだけの値打ちがあったのじゃないかなーと。
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高度経済成長に踊り、昭和が最も輝いていた最後の時代。演歌のメロディのなか、兄弟の背負った運命が明かされていく。

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『口伝鈔』第五条「仏智護念章」

 11月の聖典講座は『口伝鈔』第五条。「自力の修善はたくはへがたく、他力の仏智は護念の益をもつてたくはへらるる事」と標題され、「仏智護念章」といい習わされている。これまでの第三~四条を受けた形での展開されている。第三条で自力と他力の分別を、第四条では善悪を超えた他力本願の働きについて述べられたが、特に第四条の「この善悪の機のうえにたもつところの、弥陀の仏智をつのりとせずよりほかは、凡夫、いかでか往生の得分あるべきや」の文を受けて、私の六賊の煩悩に侵されて自力の功徳は蓄え難いが、一方、諸仏に護念される他力の仏智の功徳は莫大で、仏智の不思議をたのむべきことが述べられる。また他力の念仏が非行非善だというご教示は、『御消息』や『歎異抄』第八章との関連がある。
  
 標題の「自力の修善はたくはへがたく、他力の仏智は護念の益をもつてたくはへらるる事」(【現代語訳】「自らの力で善を修めても、その功徳を蓄えることは難しく、如来様の智慧の働き(他力の仏智)による信心は、諸仏に護られるご利益で蓄えやすいということ」)でもわかるように、大きく、1「自力の修善」(たとひ万行諸善~侵奪するがゆゑに)と、2「他力の仏智」(念仏においては~しるべし)に二分科出来る章で、それぞれ語句や現代語訳を頂いた。  

『口伝鈔』の中では、もっとも短い章なのだが、「六賊」、「他力の仏智」、「非行非善の念仏」、そして「諸仏護念の益」など、テーマにすべき内容が多く、たいへん濃厚な法座となったのではないか。中でも、仏智から、慈悲と智慧、さらに「信心の智慧」という点は、聞法の上での要点でもあるので詳しくいただいた。結局、これが華光大会やその後の法話のボイントとして頂くことになっていく。

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神鍋高原・八反瀧

ケガで不自由な中で、施主様が精一杯のおもてなしをして下さっている。

2日目の昼座は、豊岡から日髙町に会場を移して同人宅での家庭法座である。

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 お昼は、神鍋高原でのランチを御馳走して下さる。お店は仏の子供大会の会場になった合宿施設の前である。ここは、ぼくにとっては、実質、最初の佛の子供大会(それ以前もあったが、まだ参加年齢に達する前のおまけだった)の会場である。懐かしい。神鍋高原では何度も仏の子供大会を行なっているが、最初の印象は強い。もっとも2年続けてあって、どちがどちらか覚えはない。もう50年も前のことなのだ。それでも、些細なゲームやある子供(今は立派な先生)のつまらない替え歌、キャンプファイヤーの仙人の迫力、海で溺れた人、食べられなかったスイカ。地獄のスライドの衝撃…。断片的ではあるが、昔のさまざまに記憶が甦る。もっともっとあっただろうが、ただ忘れているだけだ。それでも「あった」事実は消せないのが、業の道理なのである。

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 すぐ近くに瀧がある。子供大会の会場の下見で同人宅に泊めて頂き、追跡ハイクングのコースを探すために歩いていて、偶然、見つけた場所だ。30年以上前のことで、その当日は標識もなく、道も整備されていなかったが、今はきれいに整っている。

 紅葉の見頃はこれからが見頃だが、それでも充分楽しめた。ご馳走を頂き、景色を堪能。

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 さあ、これから昼座である。

 

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日髙支部(報恩講)法座

 豊岡市での報恩講法座。施主様のケガで開催を心配してたが、無事に法座が開かれた。参加の皆さんも出入りがあった。ご縁が整い、急遽お参りを決まった方、逆に急用で涙をのんだ方もある。横浜や愛知、滋賀、大阪、京都、そして鳥取と遠方からの参加者が、豊岡の地に集う。施主の呼びかけ、彼女を慕うさまざまな力が集って、実現した。すべてこの地に流れている法の働き、威力によるものだ。

『華光出佛』から伊藤先生著の「宿善の実の熟する頃」を頂く。この地で読ませて頂くには、びったりの内容。『悟痰録』や「宿善の実の熟する頃」に登場する、赤江さんはこの豊岡の方で、後に強信でならした豊岡同人と結婚されて、始まったばかりの仏の子供大会の会所のお世話もして下さっている。もう少数になり、老苦、病苦の真っ只中におられる古老の同人たちから、古き華光の雰囲気やエネルギーを感じずにはおれない。特に、2日目の日髙町ので法座では、古老たちが皆さん揃って下さった法座となった。

 目には見えなくても、確かな「遺弟の念力」を感じさせられる法座。今の教学や知識を中心した浄土真宗ではない、一文不通の老婆が称える生きたお念仏ががここにはある。南無阿弥陀仏

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<日高を流れる円山川・悟朗先生のご旧跡>

 

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メキシコ料理

 メキシコ料理店でバイトしている次女が、皆に、お店のCMをしている。お客が少なくなって、バイトの機会が減っているからだ。今は、別のお店(BAR)で勤め出したが、ここのお店が気に入っていて、法座にお参りの方にも盛んに営業活動をしている。小さな時からうまくお願い事をするのが得意で、この子らしさでもある。

 ちょうど関西での仕事に合せ、横浜から参加されていたOさんが、もう1泊して日髙支部法座にも参加されるということで、今夜はこのお店に行くことを約束をさせられていた。いやいや、ご無理をいいます。あまり呑まない彼をお一人で行かせるのは申し訳なくなって、結局、ぼくたち夫婦もご一緒することになった。まんまと子供の策略にはまってしまった。

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 メキシコ料理なので、今夜はテキーラを呑んだ。テキーラがサボテンのお酒でないことを知った。

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仏書&華光誌輪読

 月初めの祝日。朝座に「仏書に親しむ会」、昼座は「華光誌輪読法座」と、ダブルヘッダーでの法座。大半が両方参加されたが、朝座だけの人もあれば、昼座から参加の方もあって人数は同じくらい。横浜や富山からの参加者もあって、いつも以上に賑やかだ。でも、地元の京都でも参加メンバーは固定しているのが、残念。

 「仏書」は、『華光出佛』から伊藤先生著の「宿善の実の熟する頃」の2回目。『悟痰録』の背後におられた人々の法悦の記録である。20頁程度の短い文章だが、尾上さんの付添いさんの山川さんを始め、薬師山の国嶋病院での結核患者や付添さん方々の信仰体験記を、伊藤先生が一人を4~5頁程度で短くまとめておられる。今から、80年以上前の華光誌創刊前の先輩同人方である。赤江さん、原さん、辻の婆さんの強信の法悦と、小林さん、そして山川さんという面々である。老若男女といいたが、ここは、老若「女」のみである。まったく真宗が初めての方もあれば、30年近い聞法者や、自分流の信心が潰れた人、もともとお兄さんを狙っていたら付添いの妹さんに届いた方と、さまざまな経緯がある。ただ、当時、不治の病であった結核患者だったり、その付添いとして、日々、生死を間近に感じておられるという共通点はあるのかもしれない。また、伊藤先生のお勧めぶり、その言葉に聞かせていただくことが多かんた。もうすでに往生されているが、今、それらの方に出遇っている、そしてその方々を通じてあらためて伊藤先生とも出会っているという実感を持たされる文章だ。南無阿弥陀仏

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