三年ぶりの新潟寺院布教
三年ぶりに新潟での寺院布教があった。これまでの2年間は、1カ月前まで開催を検討下さったが、8月の感染拡大のピークと重ねり中止となった。今年の感染状況も同じパターンだったが、コロナに対する対応や様子は違っていた。お斎や懇親会も換気のよい本堂で行なわれたが、それ以外は、例年どおりの開催となった。8月には、2年間延期れた富山での寺院布教もあって、北陸や新潟の同人方とご縁を結ぶ機会をいただけた。
新潟は、少し変則的な法座で、法話は門徒さん向けに3座。その後、場所を移して座談会が2回あったが、こちらは新潟や富山の同人向けである。その意味では、どちらに焦点を当てるか難しいところだ、器用に使い分けができるわけではないが、なるべくテーマは分かりやすく、それでも少しでも「問い」となってもらえるようなテーマを選んだ。やはりご門徒さんには難しかっただろう。もともと仏法は易しい法ではあるが、常識や分別を超えているという点では、聞くにがこれほど難しい教えはない。常識や分別を超えていくところでの問い、自己への疑問となるようなテーマを選ぶが、もう半歩でも出てもらうことの難しさをいつも感じている。
ところで、寺院布教では、惚れ惚れとする上手い(名人が出て来られる)声明を聞かせていただことがある。が、ここでは、住職始め出勤の僧侶たちが、全力で声を張り上げて本堂に響く声明だった。上手い、下手ではない。ぼくの腹にも、ズシン、ズシンとその声が響いてくる。これが一番、有り難かったなー。
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