姫路での披露宴
久方ぶりに夫婦で結婚式(披露宴)にお招き頂いた。しかも200名を超える大きな式である。コロナ禍で、披露宴が中止や延期となったニュースをよく聞いたが、今はコロナ対応をしながら大規模な式も行なわれるようになっていた。
新郎・新婦とも20代前半。新婦は大学卒業を待っての式なので、参列者の大半が20代の若者。新郎側はお寺関係の方が多く、地元のお寺さんや役員さんで顔見知り方ばかりで、懐かしい方との再開もあった。
連れ合いは、2年間通い続けている着物(着付)教室の成果を発揮して、着付けをして列席することになった。いわば公式戦初デビューだ。でも、それを決定するまでは紆余曲折。決まってからも特訓、特訓の日々で、結構大変だった。稽古も大切だが、実践、本番の席を経験しないと力は付かない。経験こそが自信につながることを、身をもって教えてくれた。
ぼくはぼくで、仲人のお隣の主賓席で、両家に向けてのあいさつだと会場で頼まれた。スピーチ依頼はあったけれど、よもやの大役である。新婦は初対面だし、新郎とは、何度か酒を酌み交わすしてはいるが、それほど親しくしている気持ちがない。ほとんどがお父様とのご縁である。とはいっても、その父親のことはよく知っているのかといえば、知っているようで知っていない。そう問うていくと、隣に座っている連れ合いのことが分かっているのか。結局、どれだけ、どけで出会っているのか。表面的なことは言えても芯のところでの出会いである。そして、ご法の上での出会いとなると、新郎との出会いはまだこれからだ。ということで、率直にその思いを述べた。新郎は新郎なりのご法の喜びをもっているし、自分を開きうち出せる力ももった希有な人である。だから、檀家さんたちはその姿を喜び、涙する。が、そご縁を離れた、真の仏法の喜びとなるとどうか。そこのところで出会えたとは思えないので、祝福の席だからこそ率直にそう述べさせてもらった。ぜひ、伴侶を得た節目に、真摯な仏道を歩んでほしい。それ以外に、ぼくが彼に贈る祝福の言葉はなかった。南無阿弥陀仏
| 固定リンク
« あわただしい日々 | トップページ | 仏青大会 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 億劫(おっくう)(2023.08.04)
- 報恩講始まる(2023.01.09)
- そして誰もいなくなった。(2023.01.04)
- 賀正(2023.01.01)
- メキシコ料理(2022.11.04)