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9月の高山支部法座

  奈良の寺院布教の翌日は、高山支部(家庭)法座である。

 ところが、前日の台風の影響で東海道新幹線が止まっていた。午後2時頃から順次再開で、通常運転には時間がかかるようだ。車内で足止めや、途中から引き返す便もあって、駅構内はまだ混乱していた。名古屋で芝居をしていた連れ合いの劇団も東京に戻るのに影響があったようだ。幸い名古屋からの特急列車は通常運転だったが、用心して1本遅い列車にして、名古屋駅で少し待つことにした。何度も乗っているひだ号だが、夏から運行している新車両に初乗車。車内や座席は快適だが、先頭車両はワイドビューではなくなっていたが…。おかげで、法座の開始には遅れずに到着できた。

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 珍しく富山の北陸からの参加者もなく、いつもの高山支部のメンバーに地元出身の東京の同人が加わる。人数は少ない分、ひとりひとりにお声かけ。誤魔化ていので、厳しい雰囲気になる。前回の高山支部で感じた「聴聞不足」(聞不具足)をテーマに、座談会でも関わっていった。自力と他力の水際は紙一重。分からないと嘆くのではなく、分からないことを知らされた喜びがあるのが、仏法だ。せっかくのご法を、自分に取り込んで、小さくしていては勿体ない。取り込むでなく、取り込まれるのが法の偉大さ。こんなものでも「おいしい」「おいしい」と喜んで食べて頂くのである。

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