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2022年9月の6件の記事

あわただしい日々

 あっちこっちと飛び回っていた4日間が過ぎたが、華光誌発送の準備がある。月末に発行を控えているからだ。朝、ご示談の申し入れがある。自分が安心したいだけじゃないのかと思ったが、「それだけではない。今度は仏様から押し出されている」とのこと。午後一番で、納車の約束があったので、夕方から受けることにした。こちらにお出でになると思っていたら、ZOOMがいいという。まあ、この時点でこちらの意欲は少し萎えてきた。でも、ご示談の内容は有り難かった。詳細は述べないが、こうして自分の心に捕らわれて迷っていくのだなー。仰せや教えを、都合よく持ちかえ、解釈していく迷いの恐ろしい姿を、これでもか、これでもかというほど見せていただいた。ほんとうにお芝居をして、自力の執心の根強さを、私にご教示くださっているかのようだ。
 9月は慌ただしく過ぎていた。高山法座の後も、新車の納入にご示談、そして、水曜日の「華光誌輪読法座」、木曜日の「80-4号の華光誌」の発送作業、そして金曜日は年度末(9月末)の〆日と行事や事務作業が続いた。

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9月の高山支部法座

  奈良の寺院布教の翌日は、高山支部(家庭)法座である。

 ところが、前日の台風の影響で東海道新幹線が止まっていた。午後2時頃から順次再開で、通常運転には時間がかかるようだ。車内で足止めや、途中から引き返す便もあって、駅構内はまだ混乱していた。名古屋で芝居をしていた連れ合いの劇団も東京に戻るのに影響があったようだ。幸い名古屋からの特急列車は通常運転だったが、用心して1本遅い列車にして、名古屋駅で少し待つことにした。何度も乗っているひだ号だが、夏から運行している新車両に初乗車。車内や座席は快適だが、先頭車両はワイドビューではなくなっていたが…。おかげで、法座の開始には遅れずに到着できた。

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 珍しく富山の北陸からの参加者もなく、いつもの高山支部のメンバーに地元出身の東京の同人が加わる。人数は少ない分、ひとりひとりにお声かけ。誤魔化ていので、厳しい雰囲気になる。前回の高山支部で感じた「聴聞不足」(聞不具足)をテーマに、座談会でも関わっていった。自力と他力の水際は紙一重。分からないと嘆くのではなく、分からないことを知らされた喜びがあるのが、仏法だ。せっかくのご法を、自分に取り込んで、小さくしていては勿体ない。取り込むでなく、取り込まれるのが法の偉大さ。こんなものでも「おいしい」「おいしい」と喜んで食べて頂くのである。

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教行寺永代経

 京都の同人と一緒に、奈良県河合町の教行寺に出かける。朝、昼の2座に、終了後に少し座談会も予定されている。日常とは違う演芸場や芝居の雰囲気が、まだ続いているような不思議な感覚でいる。ご門徒さんに混じり同人の方も多くお参り下さっていた。

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 朝座の法話は、「あなたは誰ですか」という、今、一番味わっているテーマ。難しい語句や教えでないが、自分に引き寄せるともっとも難しい問いである。大号尊者のエピソードや、先日の九州支部での出来事をとしてお一人お一人に問う。聞き覚えた正解では通れない厳しい世界。この関門を通っていくのは誰か?

 午後からは、「煩悩具足の凡夫」の煩悩について詳しくお話する。煩悩というと、腹が立つとか、嫉妬や欲深い浅ましい姿ぐらいで終わりだと思っている。でも、「具足」と言われる以上は、そんな生やさし話ではない。ちょっとした表面的な浅ましさで、大雑把に分かったことにしないで、少しだけ丁寧にお話した。

 煩悩とは、文字通り、「汚れたもの」という意だが、「身を煩わし、心を悩ます」ものである。煩悩に狂っているというこは、結局、我が身を狂わすことにほかならない。
   ます、隨煩悩という、いわば病気の症状のような煩悩が、二十個に分類されている。怒ったり、嫉妬したり、落ち込んだり、浮かれて平静を失うのも、煩悩の所為である。これらは、樹木でいうと枝葉のようなもので、その根には「根本煩悩」という大きな根が張られている。「無明」(痴)「貪」「愼」の三毒煩悩に加えて、「慢」「疑」「悪見」を合せて「六大煩悩」とも言われる。三毒煩悩については、よく聞かれているだろから、「慢」の七慢、「悪見」の五見(特に辺執見の「常見」(ずっと永遠に続く)「断見」(死んだらお終い)、そして「疑」(「あれこれ迷うさま、自信のない迷い」などについてお話した。日頃聞かないので実は聞いている。お正信偈でも「邪見驕慢悪衆生」とあり、「有無二見を離れる」と説かれているからだ。そして、そのさらにその一番の根っこにはあるのが、「我」への執着である。結局、これが煩悩の元ということである。そう考えると、ちょっといいことすることか、腹立ちは反省するといった生易しいものではないことが分かる。「オレが」の心の故に深く、永く迷い続けているのである。

 短時間だったが、華光の皆様との座談会も一言だったが、よかった。お世話になりました。

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<雨が降ったり止んだり、蝸牛もノロノロと>

 

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大須演芸場での「釈迦内柩唄」

  コロナ禍で本格的な活動が難しかった劇団希望舞台も、今秋から活動が活発になっている。通算千回公演を目指す『釈迦内棺唄』に加え、『居酒屋夢子』という新作の公演も決まり、連れ合いも稽古や準備で留守の日が多くなった。主要法座行事や京都での用事もあるので、東京-京都の夜行バス往復がすることも多い。

 今は『釈迦内棺唄』に出演している。東京と神奈川の公演の合間、2日間の名古屋公演。名古屋には行きたいと思っていた。この芝居を見たことのない子供たちも連れて行きたかったが、法座が続くので日程的には厳しかった。寺院布教の前夜の公演なら行けるが、子供の授業の関係で到着が公演ギリギリ、帰宅も0時近くになる。翌朝は寺院布教のために同人も同乗される。かなり迷ったが、今回は無理はしないことにした。が前夜になり、不参加だとと言っていた次女が、「行きたい」と言い出したのだ。もっと早く言ってよ。それならこんなに迷わななかったのに…。

 ということで、急きょ、長女を大学で拾い、3人で名古屋の大須演芸場に向うことにした。前座の歌は聞けなかったが、開演前に到着し,劇団関係者にもあいさつができた。中に入ってびっくり。閑散(多めの支部法座というところ)としていて会う人、会う人、東海支部の皆さんだった。後で聞いたところでは観客の1/3はぼくがお誘いした人だったらしい。

 それでも、芝居はよかった。何度も同じ芝居を見せてもらっているが、演じる人や観客が代わるとそれだけでまた違った味がある。この方が主役のふじ子役は初めて見せてもらったが、少し柔らかい雰囲気がした。(舞台上での)連れ合いの亭主役は「網走番外地シリーズ」では高倉健とも共演しているベテラン男優さんだが、これまで見た父役の中で、一番、この雰囲気にシックリしているように思えた。連れ合い以外は、初めてお会いする方々だったが、温かい雰囲気がするのは、この劇団の持ち味でもある。皆さんと記念撮影をして、急いで京都へ戻る。高速道が補修工事もあって深夜でも渋滞していたが、日常と違う雰囲気を存分に味わった。

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特別講演会

    昨年は、華光誌創刊80周年の節目の年だった。ただコロナ感染拡大もあって、記念行事の1年延期を決めた。しかし、今年もコロナは収束せず、第7波中の開催となり懇親会は中止とした。それでも参加定員に達する方がご参加くださり、実行委員の方々ご尽力もあって盛会のうちに終えることができた。ありがとうございました。

 単なる2日間の講演会で終わらず、さまざな感慨が去来し、一言でまとめることはできないが、次ぎの力をいただく集いとなった。

 2日間、特別講演会と銘打ち、米寿を迎える母のこれまでの歩みを話してもらいたかった。今となっては、華光会館創立前の事情を知る数少ない存在で、しかも内部の事情も知っているたった一人である。裏方に徹し、これまで自分のことはあまり語って来なかったこともあって、ぜひお願いしたかった。華光会館創建についての事情など、誰も知らない話もあるだろうし、悟朗師の伝道への態度や姿勢を一番身近に知る人でもある。もちろん、88年の生涯、仏法との出会いからでも75年、華光会館創立からでも65年以上もの長く貴重な時は、2日間の講演ですませることではないとは思う。同時に、体力面からも2日間通すのも難しい。ということで、4枠の法座のうち、両日の昼座(3時間程度×2枠)を特別講演会に当てることにした。 

 残りの時間、2枠分はどうするのか。1枠は、「華光誌80年の歩み」と題して、今の華光の本源である華光誌に、その源を訪ね、今の歩み、さらには次ぎにつながるようなテーマを考えた。そして、もう1枠は同人の皆さんの企画という形で投げかけた。華光誌は機関紙であると同時に、同人誌として歩んできた。同人の皆さんの声で創られてきたからである。

 そのことを含め、遅ればせながら(ほんとうは1年前にでも始めねばならなかった)運営委員を中心に有志による実行委員会を立ち上げ会議を重ねることにした。遠近各地に散らばっていても、今はZOOMのおかげで助かっている。正直、単独で企画し、数名の方に指示をしたほうが、時間のロスもなく、楽なのは分かっている。しかし、もしそれでうまく進行したとしても、皆さんは常に一聴衆のお客さんとして終わってしまう。それよりも、こころある方一人でも多く巻き込みたかった。一人一人が、自分事として取り組んだもらうことが80周年に相応しいと思ったからだ。

 その意味では、その巻き込んだ数は同人の一部だったかもしれないが、その方々が、実行委員としてはたらき、意欲的に声かけをしたり、積極的に企画や運営に携わったり、また自主的に華光誌80年の歩みを展示企画を提案、展示に尽力されたりと、それぞれの力が結集された。おかげて、夜の同人企画も、登壇した6名の方の個性がそれぞれ発揮され、華光誌(華光)の生きた歩みを聞かせていただいた。またその後も、書籍化に向けたデータお越しなども、同人の手で進んでいることが有り難い。これも楽しみです。 

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再開します(たぶん)

 8月はブログを全休した。

 9月に入っても休み癖が治らず、もう月末だ。7月下旬からなので、2ケ月も休んでことになる。

とにかくいろいろとあった。
 8月は、通常の法座に加えて、仏の子供大会と、お盆参り、広島での真宗カウンセリグWSと、いつもとは違う行事もある。子供大会は1日だけになったのは残念だった。また、2泊3日の真宗カウンセリグWSも2日間、通いのWSで短縮開催となった。一方で、父の七周忌があったり、北陸での寺院布教があったりもした。聖典講座も夏休みをしなかった。

 7月下旬、劇団の仕事から戻ってきた連れ合いが、新型コロナに感染した。発熱外来を探すのも、保健所に連絡するのも大変だったようだ。何より4日間はかなり苦しんでいたが、5日目に入ると、霧が晴れたように回復はした。それでも規定どうり11日の隔離というか、自宅療養は続けた。接触をさけ、動線も分けたりと、日ごろとは違う場所での食事や生活で、こちらも結構、煩わしかった。それが終わって日常が回復したと思ったら、大学のサークル合宿から戻ってきた娘も感染、次の自宅療養が始まった。ただ今度は、前の経験が生きて、生活はある程度、変わらず過ごせた。ただ後半は食事や洗濯などの世話があって、身動きがとりずらかった。幸いなことに二人とも後遺症もなく、すぐに元気に過ごしている。

 そんな話題も随分過去のことになった。

 9月も、福岡での九州支部法座、コロナの影響を受けた大阪法座、広島支部法座とあって、特別講演会、奈良の寺院布教、高山法座と続いた。何よりも特別講演会は事前の準備も大変だったが、その分、内容も濃厚な集いとなった。9月は華光誌もあってが、これも無事に乗り越えた。

 ということで、ぼちぼちでも再開して行こうと思います。

 

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