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2022年7月の7件の記事

「笹の墓標展示館」全国巡回展・準備会合

  会合(会議)に出席のために本願寺聞法会館へ。夫婦連名で案内が届いたが、連れ合いには外せない用事があり、ぼく一人で出席。北海道深川市の殿平先生から「これが最後の仕事になります」とのコメントが添えてある。高校時代からお世話になり続けている連れ合いが黙っているわけはない。ぼくは、その後、真宗カウンセリング研究会の月例会の担当があったので、それまでの時間参加することにした。

~強制労働犠牲者の史実を伝える~
「北海道・笹の墓標展示館」全国巡回展(大阪・京都)

の京都会場の最初の会議である。午前中は大阪の津村別院で、午後からは本願寺の聞法会館へ移動しての会議だったらしい。会場では、殿平先生を囲んで、若い皆さんが具体的な展示の相談中。どうやら全国巡回展の中心メンバーらしい。まったく何のことか分からないまま、場違いな場にいる居心地の悪さもあった。会議室に移動すると、信楽ゼミの先輩の顔があって安心。この巡回展の経緯と、実行委員の自己紹介などを通して、この集いの意図も具体的に理解できた。

日頃お会いすることの無いような多種多様な方々が集まっておられる。出版社に、宗教新聞の関係者、大学の先生方に、各種協議会の役員、そして実行委員として実働されるのは、主に在日韓国・朝鮮人で、笹の墓標展示館でのWS経験者や、そして市民活動家の皆さんなどで、濃淡はあっても、笹の墓標展示館や殿平先生とつながりのある方だった。
北海道朱鞠内湖の湖畔に立つ「笹の墓標展示館」(旧光顕寺)は、大雪の重りで破損し、また出火によって全焼してしまった。その再建のために募金活動が始まったが、そのPRの一貫で、すでに全国巡回展が始まっていて、9月に大阪、10月に京都である会合の準備、実行委員に手を挙げて方が集っておられたのだ。残念ながら、その後の懇親会は、月例会のために欠席。逆に、会議は欠席した連れ合いは、入れ代わって懇親会から出席することになった。
 
ところで、2017年の聞法旅行では、「笹の墓標展示館」も含めて、現地でのWSを行なっているのは、以下のブログに書いているので、ぜひご参照ください。you tubuの映像の解説がよくわかります。

北海道聞法旅行(5)~笹の墓標~: かりもんの実践的!真宗法座論 (cocolog-nifty.com)

北海道聞法旅行(6)~白骨ならぬ黒骨~: かりもんの実践的!真宗法座論 (cocolog-nifty.com)

日頃のぼくにはない集まりで、これもご縁があってのこと、できることがあればお手伝いさせてもらいたい。いろいろな意味で刺激を受けました。

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聴聞不足~言葉に囚われる~

 土曜日、名古屋での「東海支部法座」、日曜日は「広島支部法座」、そして翌日は祝日で「華光誌輪読法座」。3連休は連続法座で、「聴聞不足」をテーマに、東海と広島はご法話をし、京都では華光誌の巻頭言を輪読して、分かち合った。

 法話の内容は同じ素材でも、前日の法座でのエピソードが加わることで力点が変わっていった。その都度、その都度の皆さんの反応のおかげで、ぼく自身も改めて理解や味わいが深まっていったし、メンバーが変わることで、こんなにも反応が違うことに驚かされたりもした。

 ただ、どこにもずいぶん偏っていた聴き方をしておられる方がおられる。とことん自分のこだわりを大切に、そこで教えのよしあしを判断されているのである。残念ながら、その聴き方では、百座、千座の聴聞もなんの役にも立たない。約立つととか意味があるを第一に、しかもその基準がすべて自分の方にあるのだから、いくら聞いても仏法にはならない。仏法は、その判断している自分こそが、迷っている、間違っていると聞くばかりなのである。でも、世間的には頭のいい、学や社会的地位もある方に限って、理性を中心に、学問でわかったり、根拠で判断して、自分が納得したものだけを受け入れていこうとする傾向にあるようだ。しかし、そんな姿勢では、佛様がみそなわされた私自分、その自分が問われてくることは絶対にないのである。残念ながら、それをいくら指摘したとしても、平行線で終わっていくようだ。結局は、自分の判断での「分かった」とか「そう思う」「ここは信じられる」「ここはそう思わない」を繰り返すばかりである。つまりは、文字通り「さっぱり」のなのである。このサッパリにはもう一手あって、スカッと抜けたさっぱりの方もあるのだが、こちらち極々少数で、支部に一人おられるかどうかだ。

 みんな言葉に囚われていくのだ。

「聴聞不足」と聞くと、「不足」の言葉に囚われて、回数や量を増やすとする。熱心に聞いている人は、不足ではないと自惚れていくだけだ。聴聞の質を問うとても、所詮は、「もっと熱心に聞かねば」「真剣に聞かねば」と、自分の聴聞姿勢を叱咤するばかりで、法に真向きになることはない。

 そうではなく、「捨てもの・拾いもの」と「後生の一大事」の結び目のない聴聞は意味がないと聞かされると、「これからはその二点を結び目に聞きます」などと、すぐ分かったように宣言する。

 何故、言葉に囚われていくのか。言葉に囚われるのは、その言葉が理解できる、分かると自惚れているからである。そして、理解することが聴聞だと勘違いしている。だから、そうなっていないと嘆き、またそうなるように頑張ると宣言し、その仰せをスローガンのように唱え続けるだけでは、せっかくご法を聴聞しながら、自分に触れることのないまま、この貴重な人間界を空しく終えてしまうだろう。

 それでは、あまりにも勿体ないのではないか。

 聴聞はこの世の常識は役に立たない、つまり賢い私も、善い私も、役立つどころ法の妨げになるばかりだ。聞くのなら、ここを聞かせてもらいたいのだ。

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祇園祭(先祭)宵々山で、美味しいお酒を呑む

   今年は、3年ぶりに宵山や山鉾巡行が行なわれることになった。

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一時は、減少傾向にあった新型コロナが、ここに来て急増する気配だが、通常開催されることになった。ただ、ぼくは週末の三連休は、東海(名古屋)~広島~京都(輪読法座)と法座が続き、後祭は福岡での法座と重なる。今年はご縁がないかなーとあきらめていたら、思わぬところからお誘いがある。

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6月から、四条高辻にあるメキシコ料理店でバイトを始めた下の子が、宵山期間の3日間、屋台で売り子をするというのだ。祇園祭よりも娘の働く姿は見逃せない。

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ということで、昨年から着物教室で研鑚を積み、先日、見事、師範(立派な看板)となった連れ合いは、浴衣を来て、宵々山に繰り出すことにした。
さて、3年ぶりとはいえコロナ禍だ。たぶん、例年に比べれば、人出は少な目ではないかと予想していた。実際、地下鉄は混んではいたが、例年ほとの雑踏で身動きとれないというほどはなかった。

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が、地上にあがると、すでに烏丸通も四条通も歩行者専用となっていて、例年と変わらぬ人出。例年なら別に驚かないが、さすがに今年は、この人出には驚いた。が、屋外でもだいたいはマスク着用ではある。四条通の長刀鉾や函谷鉾、月鉾などを観て、南北の通りにはいって、蟷螂山などを見る。細い道に入るともう身動、きできないほどの人込み。放下鉾や船鉾のある新町通に入ると大変な雑踏で、こんなに密に人と接するのは何年ぶりかだ(2日間だけでも60万人以上の人手があったそうだ)。宵山よりも雑踏に驚くのも、コロナ禍ならではの祇園祭。

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人込みの中を、普段なら5分強の距離を30分以上かかって、やっと娘の勤めるお店にたどり着いた。

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昨夜は露店(夜店)にいたが、今日の店舗の手伝いをしている。四条高辻を一筋入った少し分かりづらい立地だか、当然、今夜は大繁昌。客が帰ったらすぐに次の客が入って、娘も大忙しで、動いている。賑やかにはしゃぐ客も多くて、久々に活気が戻っていた。カウンター席からは、中で飮み物を用意する娘の姿がよく見えた。初めて、娘に生ビールや、ワインを注いでもらった。まだ勤めたばかりだがテキパキ対応する姿に感心し、ちょっと感無量。おいしいお酒でした。

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『悟痰録』最終回

 今、華光会で販売している『悟痰録』には、貴伝名博著『春風吹かば』と尾上実著『悟痰録』の二編が収められている。今は、大先輩同人である尾上実さんの信仰体験記である『悟痰録』を輪読しているが、今月が最後だ。伊藤先生の書かれた手紙から、一気に、最後まで読み終えた。

 褌(ふんどし)担ぎが無謀にも横綱にぶつかるように、何度も何度も、倒されて転び、そして起き上がってはまた倒されるを繰り返す求道の心境の描写は、24、5歳の青年の筆とは思えない。主には伊藤先生だが、おみとさんや同時代の同人にも叱咤激励されながら、時には自暴自棄になり、時には勇猛果敢にぶっかり、または冷静沈着だったり、あきらめたり、または率直に、自分の心境を語ったりと、とにかくあの手この手で求め続けておられる。

 しかし、後生の夜明けはなかなか明けない。尾上さんも諦めないが、そこには、親身に、時に厳しく突き放しなからも、決して妥協せずに伝え、関わっていかれた伊藤先生という善知識がおられたからだ。そのお言葉が尊い。また求道の核心、廃立の要をついておられるのだが、今の華光でここを喜んでおられる方はどれほどあろうか。

 そして思わぬところから宿善開発の時尅がやってくる。法座の時でも、また身構えて待っていた時でもない。まったく日常生活の予想だにしないところでお念仏が飛び出す。しかし、それだけでは終わらなかった。その時の心境を聞かれた伊藤先生の一言。

 「やっぱりあんたは抜けているなー」と。

 それを聞いた尾上さんは、逆に狼狽して、こんなことが獲信だとは認めずに否定の言葉を出しつづける。ところが、そうすればそうするほど、「さき程の電話をかけぶりを観ていてもわかる」などと言われる。「冗談じゃない」と否定する尾上さんとの対比が面白い。私が法を追いかけうちは法は逃げるのが、法に追いかけられてくると、否定しても逃げることが出来ないものだ。

 約3年近い求道の歩み。2月から半年近く読んでくると、尾上さんと現実でも聞法上で関わっている錯覚を覚えていく。だから、結末は分かっているのに、最後は「間に合ってよかったー」とお念仏申さずにはおれない。また法を勧められる伊藤先生のお気持ちや心境をいろいろと味わうことが出来るところまでぼくもお育てを頂いてきたのである。

 最後に尾上さんに送られた伊藤先生のお手紙の一部を引用して結ぼう。

「君達は何故獲信し損ねたと喜べぬか。『獲信せよ』とは教えるけれども、『獲信した』と受け取っては一つの驕慢の喜びである。これに反して『獲信せぬ』と思うのは卑下慢の悲しみである。これでは囲碁に勝って喜び、負けて悲しむのと同様だ。更に強い名人が前に現われた時に、また獲信の喜びを取られるであろう。

 信心は棚からボタ餅が落ちるのを待つようなものではない。自分がボタ餅になって棚から落ちるのだ。信も如来も念仏も語り得る資格のない自分を知らせてもらうのではないか。子が慈悲を喜ぶのは孝養が出来るからではない。孝養出来ない自己を知る時に、慈母の前に悲泣する我を発見ずくのではないか。

 我等は久遠の昔より如来を求めたのではない。我等の求めたのは自己の浄化のみだ。我等が諸行無常と知り、罪悪深重と気づくのは、実は如来から呼ばれているからだ。」

 

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壮年の集い~法にかける執着~

 壮年の集いの印象を一言でいうと、懇親会が楽しかった。会館での懇親会は3月から再開している。今回は同世代の気楽さもあるが、2年ぶりにお会いする方やコロナ以降で初懇親会など、再開ムードの楽しさもあって、全体にも高揚感があった。個人的には、最後の方にある先生からの問いに心を奮い立たったからだ。

「先生は、毎週、毎週、法座の連続で、『今日は行きたくないな』ーとか、虚しい気持ちになることはありませんか」

というような問いだった。意外だったのでその質問の根のところを聞き返した。華光同人といえども、真に分かち合える法友がほとんどいない。下手をすると、自己満足の独りよがりの法座で終わってはいないか。参加の皆さんが、「よかった、よかった」と喜んだとしても、単なるご縁のところ、今生のところで終わっているのはないか。そんな意味内容だっただろうか。

 改めて、問いをわが胸に落としこんでみる。
 確かに、体調の悪い時や忙しくて億劫な時もある。また発言しすぎたり、不要なことを言って、落ちこむことも多い。がしかし、基本的に、ご法座はいつも楽しみにしている。特に、最近はその思いが強くある。出会いが待っているからだ。そう感じさせてもらう背景には、一つはカウンセリングを学ばせてもらったことで場を信じる力をもらったことがあるだろう。が、一番は、法座に臨む姿勢を示してくださった先達に出会ったおかげである。善知識でもある父の存在が大きい。それをお手本に歩むことが出来るからだ。

 たまたま目にした父が54歳の仏青大会での「誌上座談会」の文章(今は要約)を思い出した。

 法にかける執着(法執ではない)。すべてが法の中での出来事、生活のすべてがそこに集約されていく。今まで歩いてきた道筋は、より頑固に法に強くなってきたという気持ちが強い。法に生かされているのだから、一人で喜んでいては勿体ない。一人でも聞いてもらいたいという願いになる。見事に育てられてきた。
 
 朝のご法話は、世間、今生や自分事ではなく、法にかける執着を一つのテーマに。

 

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東寺の蓮

 散歩に東寺まで出かける。東寺の蓮池の蓮がきれいに咲いていた。例年より少しだけ早い気がする。

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 今年は、史上もっとも短く、また早く梅雨が開けたようで、6月下旬から7月にかけて一気に猛暑が始まった。京都も38度台を記録した。気温自体は、例年の夏にも達するのだか、この時期にこの猛暑。夏は、これからが本番なのに。この先、どうなるのかが心配だ。

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 蓮は、これから見頃になる。週末の「壮年の集い」でも皆さんにお伝えしよう。早朝ならもっときれいだろう。

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<鷺と蓮↑>
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<夕焼けも見事>

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突破口

 とにかくブログが滞っている。

 昔のように小まめにかけていない。一カ月に31日連続ということもあったのが、ウソのようだ。せめて法座くらいはきっちり報告したい思っているのに、なかなか進まない。 いい加減なことは書けないし、あれもこれも書きたいと思うばかりで、結局、遅れに遅れて、7月に入りやっと6月のことを書くという有様。その6月分も中途半端のうちに、7月も27日になっている。

 最近は、こんな繰り返しが続いて、頭では分かっていても、なかなか進まないのである。結局、何も間に合わないまま人生を終えていくのだろう。でも、何か間に合わせたり、意味を見いださなくてよくなった分、それはそれで気楽で、有り難いこと。それを突き詰めてると、キッパリと止めてしまってもいいのだろうが、煮え切らない。ここにまだ執着があるのだろう。わかちゃいるけど、やめらない。

 こんな愚痴を書くと、不思議と前に進むのも同じパターン。

 

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