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支部長研修会~支部長の役割~

 支部長さんに新しい顔が増えてきた。一回りして再度ベテランが受け持つ支部もあるが、主は、初参加者や2回目の方で、新鮮な顔ぶれだ。

 喜んでばかりもいられない。これまでの支部の成り立ちや背景などの学びがなく、十分なレクチャーがないまま引き受けておられる。支部長研修会の意味も分かないまま参加していると、正直に話しくださる方もある。その率直さが有り難った。とにかく支部長を決めたいと、丸投げしている支部があるようだ。そして2年ほどで、次の新人にバトンタッチでは十分な引き継ぎもできない。多くの皆さんに役割を担ってもらうことは大切だが、支部長の役割がいかなるものかを時間をかけて学んでもらう必要があるのではないか。それだけ支部長という役割は大きい。

 そもそもなぜ、各支部法座が行なわれているのか。その支部が起こってきた経緯は? そこすら理解されていない支部長もおられる。即、実践しながら学びもいいが、2年交代となると、支部長が事務係や雑用係の役割を担っているのにすぎない。支部員間のコミニケーションがとれているのか。支部長研修会の前後で、支部で会議をもたれているのか。報告のための支部法座でも報告会がもたれていないのだ。

 自分のやりたいことをやるために支部長になるのではない。まず支部長は、本部と支部のパイブ役になり、支部員を声をよく聞き、それを報告したり、2度の会議での本部での動きを伝える役割が第一番にある。そのためには、支部員の声を聞き、支部をまとめていくことが基本だ。それがうまく伝っていないのは、そのようなにお育てをしてこなかった先輩同人の責任である。以前のことだが、ある支部で、まだ3、4年目の新人を支部長にしたいとの申し出があった。その方は、社会的には人の上に立つ方で、人柄も申し分なかった。ただ仏法の上では新人だ。それをベテランの方が、「ぼくが、しっかりフォローして育てます」と宣言され、丁寧にフォローで育てあげ、4、5年後には、華光にとっても(役員になられる)なくてはならない支部長さんに成長されたケースがあった。いま、そんな実践をされている支部があろうか。丸投げして、うまくいかいなと批判するのでは、人は育たない。

 もちろん華光の場合、支部長は信仰の上で支部をリードする役割も担ってほしい。信の上で、不審がおった時、その相談を支部長にされる支部が、どれほどあるだろうか。まず、互いに信未信を厳しく問う。喜んでいる方は、さらにその味わいを深めていく。そのための支部長研修会であった。当然、真剣なビリビリするような集いだったが、何時の間にかそんなムードは消えてしまった。今回も、その点を指摘されるベテラン勢があった。しかし、それは新人の責任ではない。その時のムードを知る我々の責任であることはいうまでもない。結局、華光に関わる、またリードする一人一人の責任であることに、もう一度立ち返ろう。

 釈尊当時から、仏教教団(サンガ)には、一人前の比丘・比丘尼に育てるための教育機関という役割を果たしてきた。決まった師匠に付き、一定(5年間)の見習い期間、教育期間を経ることが必要で、それは現在に至るまで(律がない日本を除く)すべての仏教教団で受け継がれいることだという。

 その点では、我々も大いに考え直す必要があると実感させられた。今回は意味のある研修会となった。南無阿弥陀仏

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