今熊野神社
NHKの大河ドラマは「鎌倉殿の13人」を観ている。子供のころから歴史物が好きで、大河ドラマも観てきた。あまりテレビ番組には関心のない娘二人も、喜んで観ていることだ。アニメ『平家物語』の影響が大きいか。
親鸞聖人や法然上人が活躍された時代。関連する人々がしばしば登場する。毎日、経典を開かれない日がなった法然上人が、唯一出来なかった1日が、木曽義仲が平家を京都から追放した混乱の時だというエピソードが残る。やっと登場した九条兼実公が、意外の人が演じ「エー」という違和感。以前、映画で、一遍上人をウド鈴木が演じたほどの衝撃はなかったが、真宗念仏の大恩人である兼実公には思い入れはある。これからは、承元の法難の時の帝だった後鳥羽上皇が、敵対する主役となっていくのであろう。
さて、博物館へは自転車で出かけた。東大路通の高架を下ると、東福寺、泉涌寺、今熊野と続いていく。東福寺には、僕が生まれ、父が往生した京都日赤病院があり、その奥に、母校日吉ケ丘高校がある。次ぎは江戸期の天皇の御陵がある「御寺」泉涌寺で、長女の幼稚園である。すぐに、今熊野があり、今熊野神社がある。ここを東山の方にクネクネと登っていくと、親鸞聖人の荼毘地、延仁寺がある。そして、続いて智積院や妙法寺があり、法住寺という後白河天皇の御所があり、ゆかりの三十三間堂(法然上人が御白河天皇陵の戒師となったという名号碑)や御白河天皇陵、そして新日吉大社が列なっている。法然上人と後白河天皇との関係も深い。
ということで、博物館の帰り、初めて今熊野神社に立ち寄ってみた。
『御伝鈔』にある平太郎の熊野詣でにある熊野神社の本地は、阿弥陀如来である。紀伊国(和歌山県)熊野三社権現の本宮「証誠殿」と称し、本地は「阿弥陀如来」。現当二世の広大なご利益を賜るとして、平安時代より上皇、天皇、貴族、武家、庶民に至るまで競って参詣され、そのさまは「蟻の熊野詣」と称された。後鳥羽上皇は二十三年間の在位中に毎年御幸。白河、鳥羽、後白河、後鳥羽上皇の四帝だけで、百数回も行幸されている。ただ都から熊野参詣はなかなか容易なことではない。ということで、後白河帝の勅命で、京都に熊野権現を勧請し、平清盛によって創建されたのである。自らが住まう法住寺殿のすぐそばだ。今は、地名は今熊野(いまくまも)だが、もともとは新熊野と言われていたという。新熊野神社ホームページ (imakumanojinja.or.jp)
京都の熊野信仰の中心地として大いに栄え、室町時代には、将軍足利義満の前で、観阿弥、世阿弥父子による猿楽、能(今熊野猿楽)を舞ったことから「能楽発祥の地」ともされている。
今は小さな御社だが、それでも裏手にこんな熊野古道のルートができていて、いろいろとオブジェが展示されていた。
<後白河帝のお手植えの楠木は天然記念物。影向の大樟とも↓>
<八咫烏は、日本サッカーチームのエンブレム↓>
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