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6月の東京支部法座

6月の東京支部法座。

真宗法座の集いから1週間。まだその余韻が残っている。今回の世話人が、真宗法座の集いに参加され、参加者による今、今の心境告白の機会に深く感銘を受けられ、みんなが率直に声を出す機会を、東京支部法座でも持ちたいとの提案を頂く。ぼくも、その良さを味わい提案に賛成した。

日頃、関わりながらも、もう一声聞きたい。気になっている方の違う角度から話してもらいたい。もし、今、どこに留まっておられるのか、率直に声をだし、ありのままを話してもらいたい思った。加えて、東京に集う同人には、もう一歩踏み出してもらたいとの願いがある。だいだいが自称「獲信者」(たぶん)に属していると思われるが、どこで喜んでおられるのか。Aさんにも、Bさんにも、そしてCさんにも、Dさんにも、Eさんの声を聞きたかった。

もう一つは、分級座談会での発言がよく分かっておられないと思われる方が増えている。ただ正解を並べたり、事なかれとやり過ごすような無難な発言に終始しているだけなら、なんのために法座に出てくるのか。ただ法話を一方的に聞いて、それを自分に取り込む聞法なら、華光の法座に出る意味はない。その意味では、まず率直に声を出すところから初めてもらいたかった。

最初、一言ずつ話し合ったが、大半の方が、前に出ることは尻込みされていた。今度が2度目で他の先生のご縁から参加者と、企画提案のご本人が手を挙げられただけ。お願いしたいと思った方に促してみるが、せっかくのチャンスに及び腰の方が多い。

それでもやっと一人の方が惑いながらも応じてくださった。この方の話を聞いてみたいと思っていた方だ。

そして、そのことがとてもよかった。これまでのご縁を語り、おかげを喜んでおられるのはよく分かる。が、ほんとに今生のご縁のところでだけで、仏法なかたっことに、本人自身が、一番驚くことになった。後生の一大事、そして自力・他力の廃立、この2点の聴聞の結び目かない聞法は、いくら喜んだとしても、ただ今生のご縁を喜びだけで終わってしまうのである。それなら浄土真宗でなくてもいいのだ。真宗は、後生の一大事を、今に、取り詰めて、飛び込んでいかねばならない。そして、一念の時に、捨てもの(自力)と、拾いもの(他力)がはっきりする教えなのである。外からの指摘ではなく、自ら語ることで、聞法の原点に立ち返ってもらえたことが、一番、有り難い。おかげで、その後も、法座の感想メールをやりとりする機会もいただけ、改めて要点を示すことが出来た。この先は、どう進まれるのか。ここからが本当の聞法。

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