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「ブッダのお弟子さんたち」展

 龍谷大学ミュージアムに「ブッダのお弟子さんたち」展を観に行く。同展は2020年に開催直前で、新型コロナ感染拡大で中止になった展示だ。

 

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釈尊のお弟子と言えば、十大弟子が有名だ。特に指定された経典があるのではなく、伝承によって10名で、2.3名は出入りはある。それでも、舎利弗、目連、大迦葉、富楼那、須菩提、羅ゴ羅、阿難各尊者などの上足の仏弟子はだいだい同じ顔ぶれである。

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 歴史的に観れば、釈尊の成道の後、鹿野園(サールナート)での初転法輪の相手である五比丘からブッダのお弟子は始まる。彼らは、以前、共に修行したお付きの弟子でもあったが、釈尊が苦行を捨てた時、堕落したと非難して離れていった。が、釈尊がお悟りを開き「この境地を伝えたい」と思った時、すでに二人の(瞑想の)師匠は亡くなっており、彼らならばきっと聞いてもらえると思った人達である。その後の経緯は有名なので省略するが、仏教の始まりは、釈尊のお誕生でも、成道でもなく、この鹿野園(サールナート)での初転法輪で、「仏法僧」の三宝が揃った時である。特に、一番弟子のコンダンニャ(驕(りっしんべん)陳如・「大経」では了本際)が、釈尊のご説法によって、最初に法眼を得た時、おもわず釈尊も「アンニャン・コンダンニャ」(コンダンニャよ、汝は知了した)と喜ばれた。釈尊にとっての最良の時であり、その後、五名の比丘は、次々と真実の眼を開いていかれる。ここに「六人の比丘が誕生」して、仏教教団が始まるのである。

そして今度は釈尊の涅槃によって、ほんとうの意味での仏教が始まるといっていい。その時、釈尊の遺命を奉じて法灯を護っ

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て行く仏弟子十六名を、十六羅漢として尊重されている。もっとも伝説(伝承)の域をでないもので、別に『阿弥陀経』に説かれる「舎利弗」から始まり16名の仏弟子を指すこともある。それでも、実際は、釈尊の遺命を頂き、その志を引き継いで、仏教が流通していたのは、多くの仏弟子たちのおかげである。そんな伝道・伝承者たちの尊い歩みが、十六羅漢の伝承を産んだのであろう。今も有名な掛軸や絵図などに残されて語り継がれている。

他にも、釈尊滅後の第一結集の時に集った大迦葉を上首にした500名の仏弟子を、五百羅漢と称することもある。日本でも、五百羅漢の石造などをおまつりするお寺が各地にある。
 
 そして最後に、忘れてはならないことがある。この末法にあっては、無戒名字であっても念仏者こそ、立派な仏弟子であるのだ。釋〇〇という法名を頂くわけだが、本来は他力念仏を頂いたものを、釈尊は「わが善き親友よ」と讃えて下さるのである。姿、形は違っていても、他力念仏の教えには釈尊の真精神が息づいているのである。南無阿弥陀仏

 

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