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「必要・十分条件」省略されている重要なこと(2)

(3)サイコセラピーは、日常生活の中で起こる他のすべての人間関係と種類の違う、特別な人間関 係であるとも述べられていない。
 たとえばすぐれた友情関係などの日常の人間関係においても、たとえ短期間であっても、この六条件が満たされれば援助的である。つまり日常的な人間関係にも本来存在している建設的な性質を深め、時間的にも拡大したものが、この条件だという主張である。
 ※逆からいえば、六条件は、カウンセリングや心理療法のみならず、親子関係、友人関係、夫婦関係などの日常的な人間関係が、「よい関係」であるときに当てはまるのである。「暮らしの中のカウンセリング」「育ち合う人間関係」という名称にも現われる。

(4)特別な、知的な・専門的な知識-心理学的な、精神医学的な、医学的な、あるいは宗教的な- がセラピストに要求される、ということも述べられていない。
 特殊な専門的知識の獲得がセラピストの本質的な条件ではない。特に、セラピストに求められる第3、第4、第5条件(自己一致、受容・共感的理解)は、知識ではなく経験的な性質のものである。知的な学習や知識の獲得は貴重なものではあるが、セラピストになるためには、知的学習ではなく、経験的な訓練によって獲得されていくものである。
 ※治療関係において、特殊な専門知識は必ずしも有益ではなく、むしろかえって妨げになる場合もあると言い切った。

(5)セラピストがクライエントについて正確に心理学的診断をしていることが、サイコセラピーに 必要なことだとも述べられていない。
 診断的な知識が、ある安定をセラピストに与え、それで援助を促進することもあるだろが、そのような場合においても、心理学的診断、診断的な知識が、サイコセラピーにとって必須なものとはいえないのだと主張した。
 ※決して、診断無用論ではなく、それに固執するあまり、クライエントを防衛的にしてしまい、肝心の「関係の質」そのものを破壊してしまうこともあると指摘した。

 サイコセラピーの必要にして十分なものとして私が仮説設定した条件は、主としてそこに述べなかったことによって、かえって印象的で、特異なものとなる。

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