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日高支部法座~この上、何を聞くのか~

 法要の翌朝は、日髙支部法座。今日は、2座、同人宅を移って支部法座。
 すでに、前日から、家庭法座という形で、ご講師を招いた家庭法座が開かれていた。
 鳥取、広島、大阪、京都、奈良、滋賀、愛知と、遠近各地から大勢の方お参りされている。前日も、厳しくも、いい法座であったことは、皆様のお顔をみれば分かった。

 不思議なご因縁である。

 このお家の黒い柱の1本1本にも、また破れた襖にも、そして古びた畳にも、あちらこちらにお念仏がしみ込んでいる。普段は単なる田舎の古民家であるが、念仏の灯火を灯されたものが集ってくると、お念仏の火が激しく燃あがり、念仏道場となり、如来の家となるのである。

 ご法話も2座とも、仏法は、前を歩く先達、得道の人との出会いに尽きるということを、『親指のふし』の智子さんの遺言と、『悟痰録』の奥村みとさんを通した頂いた。お釈迦様が、阿難尊者に述べておられるように、善き師、善き友との出会いこそ、仏道修行の全てだといっていい。それはなにも眼に見えている、会ったことがある方だけではない。私が知らないだけで、私の前を多くの先輩念仏者が仏道を歩み、そしてその尊いお命を捨てて、この私のためにご聴聞の厳しさ、尊さ、不思議さを身をかけてお伝えくださった、その連続無窮の連綿とした歴史なのでもある。

 わざわざこの日高の地で、古老同行を前に、全国各から真摯に法を求める者が集い、仏徳讃嘆し、お念仏申している。コロナ禍の中、世間的に非常識かもしれないが、こんなに有り難い、不思議なことがあろうか。みな、生きて働き続けるお念仏様に出遇わせてもらっているのである。この上、何を聞くのか?
 
 

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