東海支部法座~灰になる頭、腐る口を頼るな!
平日の東海支部法座。華光誌にある(勝手に命名ごめんなさい)「新四天王」へのご示談となる。
華光誌の記事が、なかなか有り難かった。克明な自分の心の解説がいい。そして、ほんとうに自力の目一杯の頑張りは、すべて捨てものだ。そして、記事の中で、「今の自分はどうか。仏法を聞く気のないやつが、ドーンと寝そべっている」と書かれている。
そこまで如来様に見せていただいて、まだ何が不足なのか。そのことを巡って、お話する。
が、要はそのままでは出て行けないという。性格も真面目で、真剣に求めておられる。が、超世の悲願を前に、ムクムクと番頭の心、自力が立ち上がって、「正しい信心」「間違いない信心」得なければ、こんな中途半端なところで留まっていてはいけいないと、頑張り出されるのであった。
「伊藤先生の『仏敵』にはどうのこうの……、増井先生の『親指のふし』にはどうのこうの……、〇〇先生はどうのこう……」。
それが自力心だとは思いもせず、はからいの言葉を並ぶ。まだ話は続いていたが、話が終わる前に、ぼくの方が思わず知らず叫んでいた。
「そんな焼き場で焼かれたら灰になるこの頭で考え、腐っていくこの口で並べたことが、臨終に訳に立つのか!」「この頭で、この口で……」と、何度も叫びながら、持っていた華光誌で、自分の頭(あくまで自分自身の頭です)をバンバン、バンバン叩いていた。メガネが飛んだが、かまわず「この焼いて灰になる頭で、腐っていく口で」と叫んでいた。
ご本人も、皆さんも、瞬間、固まりシーンとなった。目の前で、ご講師が親切なご教示、生きたご説法をされているのだと。それに乗じて、一気呵成に行く人はいないのか。今の人たちは、回りを見、自分の気持ちを見、失敗したり、恥をかかないようにと考えているのだろうか。
結局、この後、蛇足ようなお説教をせざる終えない。手取り足取り、納得いくように詰めていく。後生の一大事を聞く、超世の教えなのになー。ほんとうに勿体ない。
ぼた餅になって落ちていく人はいないのか。
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