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2022年4月の16件の記事

4月下旬の法座のまとめ(2)

 23日(土)は、広島支部法座。法話は、尾上実さんやおみとさんの行実を頂く。座談に入って、ご示談で、俄然、力が湧いてきた。分別を超えた無分別、つまり言葉を超えた真実を、言葉で聞くという至難の技。こちらも世間の有り様で臨んでいては何も開けてこない。凡夫の思議が超えた五十三仏が列なり、連続無窮で途切れることなく真実が届いてくる、不思議をお聞かせに預かったいく。本来なら、凡夫に分かるはずのない超世の真実に、出会える不思議を聞くのである。もしそにく触れさせて頂いたなら、もう何も言うことはなくなるのだ。そのことを言葉だけでなく態度でも示していのだが、伝わるとなるとても難しい。「聞く」といわれると、必死に言葉にとらわれていくのが、凡夫だ。身で触れていくことも聴くことなのだけどなー。そこが分からなず、迷い続けいく。

 翌24日(日)は、聖典講座。4月から『口伝鈔』に入る。今日は総括で、全体をザーと頂いた。とにかく来月以降か楽しみである。

 

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4月下旬の法座のまとめ(1)

 4月は法座が立て込んだ。また永代経法座の準備もあって、ブログの更新が滞ってしまった。4月20日以降の法座の流れだけをまとめて追っておこう。

 4月20日(水)の昼座は、華光誌輪読法座。81-2号の「巻頭言」と「聖教のこころ」読む。共に、1400年忌に合せて聖徳太子のご持言「世間虚仮・唯仏是真」について。2月以降、たびたび法座でも取り上げてきたところ。単なる厭世的な気分や世を儚んだ言葉ではない。むしろ、唯仏是真の智慧の眼から生まれてきた如来様の言葉だと頂きかないと、ほんとうのお心は分からないのではないか。

 引き続き、夜には、真宗カウンセリング研究会の「総会」を開催。会計監査の書類の件で始まる直前にバタバタしたが、出来る限り、事務的な総会に終わらないで、メンバーの声を拾うように勤めた。今年度も、まったく予想外の新規の参加者が増えて、楽しみである。対面的なグループワークはZOOMでは難しいが、月例会や講義風の物は、遠方からも気軽に参加できるので、新型コロナのおかげ、会員が増えつづけているのは有り難い。おかげて、会計の面でも昨年度は黒字となった。

 

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春を感じる

 散歩。鴨川沿い歩くと、すっかりサクラは散っていて、菜の花が咲き誇っていた。川面に光が輝き、初夏を思わされる陽気。

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賑やかだった九州支部法座

 福岡での家庭法座の年2回は続いているが、九州支部法座としては、コロナや台風の影響があって、1年ぶりの開催となる。昨晩のZOOM拡大運営委員でも、支部長さんから、「〇〇母子も、△△さんも、□□さんも欠席で、たぶん××さんも難しくて、集まりは芳しくない」との少し沈んだ報告があった。人数が少なかったなら、逆にじっくりと関わっるご縁にすればいいのだ。

 が、ふたを開けてみると、欠席のはずのの〇〇母子や△△さん、□□さんも、××さんの他にも、名前も挙がっていなかった方のお参りもあった。久々の熊本からの一家や、大阪からの参加者まであって、支部長さんは、いい意味の想定外でずいぶんと喜んでおられた。

 賑やかな顔ぶりになっただけでなく、内容もなかなか面白かったのではないか。結局、私は地獄行きを喜ぶのか、それとも極楽行きを喜んでいるか。一人一人が問われていた。また後生は間違いなく決まっているのだから、後は、今生をどう生き、ご法をどう伝えていけるのかが問題なのか。あるお同行さんの実践的な問いかけがユニークだった。2日目の最後には、大切な信を問う告白がもあったのだが、残念ながら時間切れ。

 懇親会が四川料理での宴会だったこと、お昼は長浜ラーメンを御馳走になった。博多でのご法座は番外篇も充実していた。

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甘茶

 明日からの福岡での前に、花祭りの準備である。

 仏具屋に「甘茶」買いにいく。甘茶は、紫陽花科の植物だと聞いたことある。甘露ともいう。

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本山前にある昔から利用しているお店だ。毎年、花祭りのボスターや花祭りグッズ(記念品やボストカードなど)を買っていた。会館の2代目の誕生仏や花御堂も、ここで購入した。ちなみに初代のものは、日髙支部の日曜学校で活躍していた。日髙支部ではその後も、花祭りグッズを買え揃えて行かれることになるが、残念ながら今は倉庫に収まったままで、日の目をみない。
 
 日曜日の花祭りの法話は、娘が担当する。福岡での法座があるので聞けないのが残念だが、今年も花祭り迎えることが出来た。

 

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東海支部法座~灰になる頭、腐る口を頼るな!

 平日の東海支部法座。華光誌にある(勝手に命名ごめんなさい)「新四天王」へのご示談となる。

 華光誌の記事が、なかなか有り難かった。克明な自分の心の解説がいい。そして、ほんとうに自力の目一杯の頑張りは、すべて捨てものだ。そして、記事の中で、「今の自分はどうか。仏法を聞く気のないやつが、ドーンと寝そべっている」と書かれている。
 そこまで如来様に見せていただいて、まだ何が不足なのか。そのことを巡って、お話する。

 が、要はそのままでは出て行けないという。性格も真面目で、真剣に求めておられる。が、超世の悲願を前に、ムクムクと番頭の心、自力が立ち上がって、「正しい信心」「間違いない信心」得なければ、こんな中途半端なところで留まっていてはいけいないと、頑張り出されるのであった。

 「伊藤先生の『仏敵』にはどうのこうの……、増井先生の『親指のふし』にはどうのこうの……、〇〇先生はどうのこう……」。

 それが自力心だとは思いもせず、はからいの言葉を並ぶ。まだ話は続いていたが、話が終わる前に、ぼくの方が思わず知らず叫んでいた。

 「そんな焼き場で焼かれたら灰になるこの頭で考え、腐っていくこの口で並べたことが、臨終に訳に立つのか!」「この頭で、この口で……」と、何度も叫びながら、持っていた華光誌で、自分の頭(あくまで自分自身の頭です)をバンバン、バンバン叩いていた。メガネが飛んだが、かまわず「この焼いて灰になる頭で、腐っていく口で」と叫んでいた。

 ご本人も、皆さんも、瞬間、固まりシーンとなった。目の前で、ご講師が親切なご教示、生きたご説法をされているのだと。それに乗じて、一気呵成に行く人はいないのか。今の人たちは、回りを見、自分の気持ちを見、失敗したり、恥をかかないようにと考えているのだろうか。

 結局、この後、蛇足ようなお説教をせざる終えない。手取り足取り、納得いくように詰めていく。後生の一大事を聞く、超世の教えなのになー。ほんとうに勿体ない。

 ぼた餅になって落ちていく人はいないのか。

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車窓の富士

 東京の桜の開花は、全国一早くて、もうすで染井吉野は終わっていた。が、会場の前に公園では、八重桜が満開だった。会場との合せてショットである。

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 お参りもずいぶん増えてきた。会場の都合で夜座がなかったが、その後、居酒屋の懇親会があった。ぼちぼち懇親会も増えているが、参加者も徐々に増えてきている。ということで、2日目の終了後は、反省会という名の懇親会には出ないで、そのまま帰宅することにした。
 4月の半ばなると、かなり日が長くなってくる。夕陽が落ちるところだ。新横浜を過ぎたあたりで、富士山が見えて来た。天気がよくきれいに見えた。

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 静岡に入るとかなり薄暗くなっていたが、行きには見えなかった富士山がきれいに見えている。

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  前後に濃厚な書き込みが続くので、今日は軽いメニューで。

 

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東京支部法座~閻魔王の前で~

  東京支部法座、2日間、4座のテーマは決めていた。最近の連続している「善き知識、善き友」の働き、遺弟の念力である。全体は、このテーマで貫くことになったが、会場に入って、その雰囲気を感じて、冒頭の話題はアドリブ的に出した。

 東京法座は隔月で2日間の法座が開催され、その合間にも有志の講義や聴聞会に参加されている方もある。それでも月に数回のご縁に過ぎない。その他の日常生活、法座と法座の間は、どのように求道しておられるのか。日頃のご聴聞の姿勢や態度についてを尋ねてみた。今は、答えを記さず、各自が我が身に振り返って問いかけてほしい。

 そして、次ぎの問いかけがインパクトがあったようだ。

 よく「後生を取り詰めて聞け」とか「臨終を今に取り詰めてつめて聞け」と言われる。そう問われると、だいたい「詰まりません」「無常だとは思えません」「何もありません」といった答えが定番になっている。誰も、いい加減に聞いているわけではないが、真剣に考えようとしても、わが心は「屁の河童」なのである。
 それなら実際にやってみようということになった。後生も分からず、臨終を取り詰められないまま死んでしまい、今、みんなは、閻魔王の前に立ている。そのときに、何が言えるのかを一人一人に問うといった。

 閻魔王は問う。
「お前は娑婆で何をやってきたか?」
「お前を何を聞いてきたのか?」
 順番に、前に出て問いに真剣に答えていく。涙ぐむ方、震えている方もある。思わず「南無阿弥陀仏」と称える方もある。別に、巧みな上手い答えを求めるためではない。今の自分に向き合って引き寄せて聞いてほしいのだ。そうすると、ほんとうに、私は、毎日、毎日、毎刻、毎刻、何をやっているのか。恥ずかしい、お粗末な自分が立ち上がってくるではないか。地獄種を造り続け、仏法を蔑ろにしている自分が浮き彫りになってくる。そんな奴が、閻魔王を前に何が言えるというのか。第一、言い訳の声すら出せないかもしれない。そんな私が、今、出て行くとなったらどうなのか。

 閻魔王が続けて問う、「では、お前はどこに行くのか!」と。
 後生は、閻魔王が裁き、決めるのではない。私か、私の業で、その行き先に赴くだけのことである。ほとんどの方が、間髪いれず「地獄」と言われた。人によっては迷う人もあった。「往生極楽としかいいようない身になった」という方もおられた。「地獄行き」と言われた方には、「それでほんとうに後悔がないのか」と問い返したこともあった。「後悔しています」との声もある。しかし、もうここに至って後悔しても遅いのだ。「悔怖交々至る」と『大経』の五悪段にある。頭下足上と地獄に墜ちながら、ずっと地獄に墜ちる恐怖と、仏法を聞かなかった後悔とが、交合に起こり続けるというのだ。その時では手遅れなのだ。

 今、ここで、今の自分のまま聞くものはいないのか。それが臨終を今に取り詰めることである。
 こうして東京支部法座の2日間は始まった。南無阿弥陀仏

 

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送別会&歓迎会

 自分は元気であっても、身近に「まさか」ということが起こると、いろいろとたいへんになる。華光誌が発送され、新年度の4月が始まった。Iさんも退職されたタイミングで、事務所にトラベルが起こったのだ。お別れから、3日も立たないのに、無理を言って、Iさんに助っ人を頼むことになった。こんなに早く、手伝ってもらわねばならない事態になるとは、予想外だ。やりくりをしてTさん復帰まで、何度か顔をだしてくださり、大いに助かった。

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 今日は、コロナで延期になっていた日曜礼拝の先生方の歓迎会と送別会を一緒に開くことになっていた。送別があったばかりなのに、3日後に手伝ったもらうことになるとは思わなかったが、、、。

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 寺町二条にあるプションは、20年数年からよく使うビストロだが、リーズナブルなお店で人気があり、予約が取りづらい。今夜も満席で、予約のない常連客が断れていた。


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 帰路、二条から下って木屋町通を歩く。もう染井吉野は川面で華筏になっていた。

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 このあたりは、幕末の歴史の舞台でもある。木屋町の付近は風情がある。
 人出はもどりつつあるが、まだ以前のようなにぎやかさはなかった。

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恒例の年忌法要

  4月は、恒例のF家の年忌法要の法座である。恒例というのも、もう20年も続いているからだ。
 家族だけでなく、故人のご姉妹や親戚の方も、律儀にお参り下さってきた。しかしそれも一人欠け、一人欠けと、長らくお二人だけになり、最近は、お近くのお一人だけになってしまった。無常を感じずにはおれない。

 ご法話は、シンプルに「まさか」が起こる無常の虚仮の身と、弥陀のご本願のお働きについて。

 お宅の前の桜は、散りはじめている。桜と共

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『悟痰録』~おみとさんとの出会い~

 『悟痰録』を読んでいる。春になったので、通常通りに夜座の2時間の集まりに戻った。この時間だからお参りできる人、夜はお参りできない人、それぞれあるのは、致し方がない。

 『悟痰録』は、本当に面白い。もっともっと同人の皆さんにお読み頂きたい。
 今夜は、尾上実さんが、伊藤先生のお勧めで、竹の内(河内の中野村)に、善き知識である奥村みとさんを尋ねに行く場面だ。伊藤先生が、『仏敵』の中でも、とくに親しみやすく、一目置いておられるお同行さんだ。創刊間もない2巻2号(昭和18年)では、「思えば長い法友であった」と、追悼文を書いておられるのだ。

 おみとさんのユーモラスな語りと、深いご法の味わい、そして一撃で切り込む鋭さ。初対面の青年を求道の菩薩として大切に敬う姿勢。一行一行、法が溢れている。その後、伊藤先生の法をお勧めもまったくすごいものだ。法からと、機からと、求道の何たるかが知らされる。それにしても80年以上前も、未信者がつまづくところも、引っかかるところも、今と何も変わっていないのである。

 5月は、25日(水)夜18時50分~21時

 

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鴨川の桜

 今年もどこにも桜を見に行かなかった。
 せいぜい法座の途上か、散歩中に楽しむぐらいで終わった。
 今日は、散歩コースの一つ、鴨川沿いを歩く。

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   桜がきれいだ。満開は少し過ぎているようだか、もう少し楽しめそうだ。

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 それにしても今日は天気がいい。4月にはいると汗ばむ陽気が続く。今年の冬の寒さが厳しかったこともすっかり忘れてしまう。

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 「散る桜、残る桜も 散る桜」

 今春の法座では、よく『親指のふし』の智子さんの遺書を取り上げている。来年が50回忌にあたる。

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<シロタエという品種>

 

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日高支部法座~この上、何を聞くのか~

 法要の翌朝は、日髙支部法座。今日は、2座、同人宅を移って支部法座。
 すでに、前日から、家庭法座という形で、ご講師を招いた家庭法座が開かれていた。
 鳥取、広島、大阪、京都、奈良、滋賀、愛知と、遠近各地から大勢の方お参りされている。前日も、厳しくも、いい法座であったことは、皆様のお顔をみれば分かった。

 不思議なご因縁である。

 このお家の黒い柱の1本1本にも、また破れた襖にも、そして古びた畳にも、あちらこちらにお念仏がしみ込んでいる。普段は単なる田舎の古民家であるが、念仏の灯火を灯されたものが集ってくると、お念仏の火が激しく燃あがり、念仏道場となり、如来の家となるのである。

 ご法話も2座とも、仏法は、前を歩く先達、得道の人との出会いに尽きるということを、『親指のふし』の智子さんの遺言と、『悟痰録』の奥村みとさんを通した頂いた。お釈迦様が、阿難尊者に述べておられるように、善き師、善き友との出会いこそ、仏道修行の全てだといっていい。それはなにも眼に見えている、会ったことがある方だけではない。私が知らないだけで、私の前を多くの先輩念仏者が仏道を歩み、そしてその尊いお命を捨てて、この私のためにご聴聞の厳しさ、尊さ、不思議さを身をかけてお伝えくださった、その連続無窮の連綿とした歴史なのでもある。

 わざわざこの日高の地で、古老同行を前に、全国各から真摯に法を求める者が集い、仏徳讃嘆し、お念仏申している。コロナ禍の中、世間的に非常識かもしれないが、こんなに有り難い、不思議なことがあろうか。みな、生きて働き続けるお念仏様に出遇わせてもらっているのである。この上、何を聞くのか?
 
 

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但馬国分寺での納骨

 納骨のために、墓地があるお寺へ。といっても、ここは浄土真宗のお寺ではない。が、聖武天皇の国分寺に地にある由緒ある寺院。この復興のために、先頭を切ってご夫婦で尽力されてきたのである。

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 この薬師堂には、悟朗先生の直筆の扁額が掲げられているのだが、残念ながら拝ませてもらったことはない。せっかくのチャンスだったが、最近は無住状態になって、期限以外は観ることが出来ないそうだ。
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 墓地は、一番奥、高台にあって、その上には立派な石垣があり、桜が咲いている。それも私有地だそうだが、桜の掃除がたいへんで伐ってしまうおうとかいう話も出ているそうだが、ちょっと勿体ない景色だ。この時期に納骨選ばれた理由が分かったきもする。 山桜はこれからだが、染井吉野は今、見頃。好天で、気分もいい。

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 桜に惹かれて円山川の土手を歩いていると、蛇が日向ぼっこ中。都会のものには珍しくても、地元の人には、なんということもないようだ。

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お昼からご馳走をいただき、月忌参りをすませて、お宿のある神鍋高原へ。町は桜が咲いていても、神鍋高原にはまだ雪が残っていた。今年は豪雪だった。夕食も、娘さんたちと打ち解けてお話ができたのが、一番よかった。なんとか次ぎの仏縁を結んでいただくきっかけになればと願っている。

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日高町での三回忌法要


 豊岡市日髙町での三回忌法要。10時からの法要だが、朝、出発しても十分に間に合うのは、高速が伸長したおかげである。

 親族だけでなく、同人の方、ご近所の方、20名以上のお参りがある。最近、心がけていることは、家族や縁者の皆さんとゆっくりと丁寧に、お勤めさせていただくことである。これだけでも仏縁の一歩になるだろう。でも、それでは留まらず、ご法話も聞いていただきたい。同人の方も混じっておられ、顔見知りのご親戚の方もある。しかし、ぼくに中での正客は故人のお子様たちだ。みんな仏縁がないわけではない。子供大会にも参加されている。大病で無常の身にも触れておられる。それでも、なかなか次の一歩みを踏み出すご縁がなったのだ。
 故人のお父様は、華光同人の中心者で、責任役員を勤められ、永代経法要や聞法旅行を提案された。ご兄弟も、名うての念仏者として、僕自身も一番ご縁の深い方である。ご本人自身も、若き日は華光会館に下宿され、今日の商売のヒントを悟朗先生から聞かれた方だ。喪主であるお母様もそうなのだ。そのまたお母様から深いご因縁があり、明日は、ご実家で法座が勤まる。ごの姉妹すべてが、父にとっても、ぼくにとっても深い因縁のある方だ。ただ残念ながら、故人も、喪主様、もう一歩、深くご法に遇っていただきかったという思いはあるが、それでも華光会では、希有な外護の知識である。ご因縁があっていまここで法縁を結んでくださった。

 法話は、如来様のお心を、お釈迦様の前生譚を取り上げて、その身を私のために捨て(捨身)て、布施をくださった功徳によって、いま私が、尊い仏縁を遇っているのだか、それでいて、私はどこまでもその真実に背いている姿を取り上げた。どこまで伝わったかは分からない。しかし、これもまた宿善になると信じて、真剣に伝え、聞いていただいた。南無阿弥陀仏 
 

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お別れ~ありがとうございました

 さて、昨日の華光誌発送がIさんの最後の仕事となった。4年間、学生時代からHPや法座案内、CD作製に、音声編集、そして華光誌の版下作りに、さまざまな事務の雑用をお願いし、この2年間は、ZOOMの仕事が加わるなど、事務所にはなくてはならない存在であった。
 がしかし、残念ながら、ご家庭の事情もあって、これで一旦、事務所の仕事を終えることとなり、3月中頃からは、引き継ぎのために娘をと指導して頂いきたのである。

 お別れといっても、明後日の日髙支部法座もご一緒するし、これからも日礼も仏青もまだまだ頑張ってはもらう。それでも、これが会館でのが最後の仕事だと思うと感慨深く、お別れの時にはとても切ない気分になった。ほんとうに別れとは、不思議なものであるなー。

 長い間、ありがとうございました。さらなる飛躍を楽しみにしています。
 そして、これらかの仏青や日曜礼拝も、どうぞよろしくお願いします。

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