講習会~『御伝鈔』にみる親鸞聖人のご生涯
今年の講習会は、約2年間、聖典講座で講義してきた『御伝鈔』を総まとめの意味で取り上げた。
聖典講座で、すでに詳細なレジュメを造っているが、そのまま使うには時間がない。2日間の講義にどうまとめるのか。ダイジャストにするのか、総花的に味わうのか。今回が初めての方にも分かりやすく、かつこれまで参加者にも満足して頂きたいとの欲張った思いがある。それにしては、2日間は十分な時間ではない。
いろいろ考えた結果、各段を分科してその大意を説明し、それから現代語訳で読み進め、各段の問題点を1点だけ取り上げて深めることにした。そして上巻が終わった時点で、スライド(幻燈)の『御伝鈔』(上)を45分。下巻は、逆にスライドから始めて、各段の分科とその大意を説明し、それから現代語訳を味わった。そして上・下巻の総まとめ、一言でいうと何がテーマを探り、最後に、『御伝鈔』を貫いてる問題を味わうことにした。改めて通読して発見したことがあって、とても面白かった。
聖典講座で取り上げる以前、『御伝鈔』に対するマイナスのイメージを抱いていた。仰々しい飾った言葉、歴史的事実かどうか怪しい逸話、夢告では聖人を阿弥陀仏の化身と仰ぐなど、史実の聖人、もしくは凡夫として聖人像ではない飾られたイメージ、どうも苦手だった。しかし、今回の講座で『御伝鈔』作製までの覚如上人の学びの足跡をたどり、また当時の状況を窺っていくと、どのエピソードも、覚如様が、聖人を心から崇拝し、阿弥陀如来が来現したお姿を聖人の上に見いだすと同時に、臨終に見られるような、なんの奇瑞もない凡夫の姿としてありのままに伝え、かつ平生業成の真宗安心の要点を伝えてくださるなど、聖人を生涯を通したご法語として、尊く頂くことが出来たのである。
それにしても、親鸞聖人と蓮如上人の両巨人の狭間で、一般の門徒には知名度はほとんどないお方ではあるが、本願寺も、報恩講も、覚如上人がおられなければなかったし、また聖人のお心、浄土真宗の正統安心をお示しくださったという意味でも、覚如様のご功績がもっと讃仰されてもいいと思うのだが、専門家や僧侶からの批判の声が多いのが残念である。
今回、覚如上人を通じて頂いた親鸞聖人のご生涯をじっくり頂けたことが尊かったのである。南無阿弥陀仏
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