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大阪家庭法座~連続無窮のお働き~

 お彼岸の連休は、3連続で4法座のスケジュール。ぼくと同じように4法座、すべてに参加された方があるのが、頭が下がる。

 日曜日は大阪支部法座。コロナの影響で、2年前3月の法座が、家庭法座になって以来、華光会館での開催が続いたが、まる2年ぶりに、あるご家庭を会場(会所)に開かれた。ぼくも初めて参加する。着物教室にいった連れ合いと、京都駅ホームで待ちえわて、新快速に飛び乗った。大阪でメトロ御堂線に乗り換えて、長居まで。改札口で、お出迎えをうけて、地上にあがると、目の前に長居公園が広がっていた。駅の出口をでてすぐ側にあるマンションの8階が会場だ。交通至便で、回りには気楽な飲食店も多くて賑やかな場所であるしかも、公園前、眺望もいい。

 Ⅰさん宅での初の支部法座だ。ご聴聞をする側も、ご法話をする側も、設備の整ったホールや貸し会場の方が条件はいい。イス席に、黒板やマイクもあり、環境が整っている。が、しかし、たとえ畳で、法話の机も、黒板やマイクがなくても、また少々手狭までも、そしてトイレが一つしかなくて不便でも、家庭法座には家庭法座の味があるのだ。施主の方の意気込みも違う。参加の皆さんも物珍しくて、大勢お参りくださる。徳がないと法座を開くことができないのた。
「お釈迦様のお命が捨てててある場所なればこそ、法座の席が起こるのです。どうぞ、この壁にそして柱に、お念仏をしみこませてください」と、冒頭に申し上げていた。

 1月の同人会ニュースの巻頭に掲げた、昭和20年の伊藤康善先生の「おみとさん」の文章を読む。仏敵にも登場する、野口道場の念仏者のお一人「奥村みと」さんのご往生を偲ぶ一文である。そのおみとさんのご往生を知らせてきたのが、『悟痰録』の筆者、尾上実さんである。その彼も、同じ年(昭和20年)、27歳で肺結核のためにご往生されるのである。おみとさんと尾上さんの出会いを綴った『悟痰録』の文章を読んだ。

 尾上さんも貴伝名さん、おみとさん、戦時中の昭和20年にはご往生され、書物の中の伝説の人だ。まったく面識もない方々に、突然、現われてくる面識ある青田さんや赤江さん、みんな華光の先輩同人として、ぼくの前を歩かれていた先達のほんの一部の人たちだ。他にも名も知らない多くの念仏者がおられたのである。そこには道の前を歩く人が、後ろの人を導き、後ろの人が前の人を訪ねて、無辺の生死海尽くすために連続し尽きることも休むこともなく働き続けておられる弥陀の本願に生きた遺弟たちの姿がある。そんなお命が捨てられ上に、今の僕の歩みがあるのだ。じっくりそのあたりを味わった。

 余談ながら、そのあとの懇親会では、Ⅰさんが心を尽くしてご接待くださり、久しぶりににぎやかで楽しかったです。ありがとうございました。
 

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