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高山での法供養法座

 

 日髙支部が以前そうだったが、最近の高山支部も毎年のように法友が一人、また一人とご往生が続いて、この3年間、支部法座の一座が法供養法座となっている。

 昨年12月の支部法座が終わった日の深夜、会所の家主でもあったT子さんが危篤となり、翌日にはご往生された。支部法座が無事に終わったタイミングは、T子さんらしい。今回は特別なことはしなかったが、まもなく百ケ日ということで、皆さんと声を合せてお正信偈を唱和し、そしてT子さんを偲び、また法座にかけてくださったご苦労を味わい、ご法話のテーマとした。

 20年以上に渡り、父も、私もお世話になってきた。例年、12月の支部報恩講でふるまわれたお斎も、T子さんがおられなければできなかった。懇親会でも、さまざまな御馳走を並べてくださった。講師のお世話だけではない。毎回、6~7名の方のお宿もお世話されていた。中には、法座の前泊、後泊をする強者もあった。T子さんを「高山のお母さん」と慕っておられる方も多い。ご自宅を法座会場に提供されると、世話のためにゆっくりご聴聞ができない。それで、率先して華光会館の宿泊行事に参詣された。しかも一人ではなく、高齢(80、90歳以上)の方を、三人、四人と手を引いて引率されるのが、常であった。その会館でも、宿泊される女性陣のまとめ役で、布団の世話役だった。ご子息曰く「道場の牢名主」はぴったりのネーミングたった。布団係とは、ちゃんと後継者も育ててくださっていた。聞法旅行も大好きで、宴会では見事な踊りを披露された。インド仏跡も、シルクロードもご一緒した。まあ思い出を語りだしたらきりがないほど、お世話になった。

 そして、その具体的に凡夫の姿となってさまざまな感情や体験をさせてくださった方を通じて、その背後にある阿弥陀様のご恩徳の深さに触れさせて頂く。もしそれがなければ、単なるお世話になった方への人情話に終わってしまう。それではあまりにも勿体ない。そのことを十分に味わえる方々と、T子さんを通じて、仏徳讃嘆をさせていただいた一座となった。

 2月、3月と、京都、広島、高山と月連続して家庭法座の会所(会場)のお世話をくださった方の法供養法座を開いている。先達方の命のうえに立っているということを味わうしかない。南無阿弥陀仏

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