オミクロン株は子供たちへも感染が広がっている。春の子供大会の宿泊を残念せねばならなかった。これで3年連続の中止だ。それでも1日(半日)だけで、「春の一日子供会」と称して開催することができて、ほんとうによかった。
子供たちの参加は多くなかったが、10、20代の仏青の皆さんが参加してくれた。そこに大人も、京都や大阪、滋賀の近郊だけななく、子供大会出身のOGが、名古屋や豊岡からの参加もあり、全体としては賑やかな顔ぶれであった。
朝に法話を1座を担当。短い分級座談会を挟んで、昼食。午後からは、大人は分級座談会、子供たちは創作活動で念珠作りをした。そして、最後に法話を拝聴して、全体で分かち合い、最後の最後にみんなで一つだけームをして終わった。
法座とは関係ないが、子供や仏青の皆さんと一緒に近くの公園に出かけた。ブルーシートを敷いて、みんなでハンバーガーを食べた。2月の寒波がうそのように、日差しが強く、もう初夏の陽気のようで、時より吹く風も心地よかった。ただみんなでハンバーガーをほほ張るだけだったが、ちょっとしたビクニックのようで、それだけでも気分が晴れた。
が気分が晴れたのはそれだけではない。わずか10数名の顔ぶれだったが、大人も子供も、みんな仏の子供大会出身であったことだ。若い人達の話題も、自然と過去の子供大会の話題になる。スタンツのこと、会場のこと、班のこと、分級座談会のこと、とにかくいろいろと共通の話題が尽きない。その時の先生がおられ、班長だったものがいれば、同じ班だったというものもいる。規模は縮小し、人数は減っても、イキイキと語り合っている姿を眺めるだけでも、何かウキウキするものがあった。ただこの3年間は開催できず、いまの現役の子供たちは、華光会館での子供大会しか知らないのである。この伝統がここで途切れていくのかと思うと、とても残念ではある。
でも一方で、前のものが後を導き、後のものが先をならっていく。こににも連続無窮のお働きがあることを尊く思った。何も宝物も財産もない華光の集いだが、唯一続いてきた、華光の宝である仏の子供たちである。
最後の全体会で、高齢の女性が仰った。「いくつになろうとも、私も仏の子供なのです」と。
「我等は仏の子供なり。幼きときも、老いたるときも、み親の袖にすがりなん」