『御伝鈔』下巻第七段「廟堂創立」(1)
『御伝鈔』も、最終回を迎えた。下巻第七段の「廟堂創立」である。
前回は、聖人のご往生の様子と、荼毘にふされた一段であったので、聖人の伝記としては、一応終わっている。最後は、ご往生10年後に、廟堂が建ち、ご影像を安置されて、多くの門弟が参拝されて、浄土真宗がますます盛んになるという一段で、『御伝鈔』が結ばれていく段である。
ここを3段に分かって頂いた。今は、大意のみを述べる。
(1)まず一、「文永九年冬 ~ 影像を安ず」が、「廟堂創建」である。
1永九(1272)年冬(西暦1272年で、聖人入滅(1262年)から10年後にあたる)に、東山の西の麓、鳥辺野の北にあった大谷のお墓を改葬して、少し北の吉水の北辺に移したという段だ。
(2)次の二、「この時に当りて ~ 年々廟堂に詣す」が、「廟堂参拝」である。
2ご往生後、聖人によって相伝された真宗念仏の教えは、いよいよ興り、聖人のお言葉やお聖教はますます尊く、ご在世の昔よりもはるかに盛んだった。聖人の門弟は諸国に広まり、沢山の門徒が生まれた。皆、聖人の教え重んじ、報謝のまことを示す僧侶も俗人も、老人も若者も、みな遠近より廟堂に参拝するようになった。
(3)そして「おおよそ聖人 ~ 略するところなり」が、「むすび」にあたる。
3聖人のご在世中、奇特なことが多数あったが、詳しく述べる術がない。今は、述べること略した。
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