華光誌輪読法座~遺弟の念力~
午前中の「仏書に親しむ会」に続いて、午後からは「華光誌輪読法座」。午前だけの方もあれば、午後の参加の方もあって人数は増えた。
誌上法話「遺弟の念力」を読む1回目。
「一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ。しかれば、『専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず』と、あそばされおかれ候ふ」(『蓮如上人御一代記聞書』121条)
前半の部分を、お参りを少ない言い訳に使いがちだと反省しつつ、しかし真実の言でもある。信を獲る人、または信未信の法座にならなければ、ほんとうに意味がない。では、どうすれば繁昌するのか。後半で覚如上人のお言葉を引かれている。
「しかれば、『専修正行の繁昌は、遺弟の念力より成ず』と、あそばされおかれ候ふ」
「専修正行」とは、自力を離れた他力の念仏を専らにすること。浄土真宗と言ってもよい。その繁昌は「遺弟の念力より成ず」。浄土真宗の繁昌は、遺弟の念力より起こるのだと。遺弟とは、親鸞聖人の残されたお弟子方のこと。そのお弟子の念力、念力と言っても別に超能力のことではなく、ご信心の力である。つまりは、自力を離れて他力念仏に帰する浄土真宗の繁昌とは、一人でも信心を取る人が生まれることである。それは親鸞様の残されたお弟子方の信心の力によるのだと。「あそばされおかれ候ふ」なので、覚如上人が『報恩講式』に示されておられるのだと。親鸞聖人から覚如上人、そして蓮如上人へと、このお心が繋がっているわけである。
結局、先生の力でも、組織の力でもない。私達、一人一人、特に仏法を喜んでいると自称してるもの達が、いかにご法を喜び、相続しているのかが問われているのだ。
3月も同じく午前「仏書」、午後「輪読法座」の形式です。
◎「仏書に親しむ会」=3月19日(土)朝10時~12時
『悟痰録』尾上 実著の第一回
◎「華光誌輪読法座」=3月19日(土)昼13時30分~16時30分
『華光誌』80-1「遺弟の念力」
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