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仏書に親しむ会~尊い一句~

   『悟痰録』に収録された貴伝名博さんの『春風吹かば』に続いて、『死を凝視して』に収録される貴伝名さんの『死の日記』を読む。喉頭結核に悶絶しながらの最後の日記である。法座の感想よりも、その一部(最後の部分)をお読みいただこう。

 「もうおそらく、今生において二度とペンを執らないであろう。何か末期の一句を残したいが、喉頭が痛くてダメだ。絶えず襲いくる症状にあえぎながら、一言を探す言葉もない。しかたなく黙って目を閉じると、出てきた。
 『南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏』
 讃嘆のお六字だ。これより尊い一句があろうか。法蔵久遠の昔より流れた、一切群生に呼びかける最初にして最後の絶句だ。
 痛む喉頭の奥からまた現われる念々の称名。ああ、もうこれで記す要もない。これでの日記は完結だ。後文は、また浄土で語ろう。

 昭和十八年十月二十六日の暮れていく。(終了)」

と結ばれている。

 その後、伊藤先生の「死の友へ」の一文が添えられている。
 そこに、最後のお見舞いに行かれた師が、聞かれた貴伝名さんの言葉がある。

「先生、苦しい。ぼくはこんなに苦しまなくては死ねないのでしょうか。恐ろしい悪業に泣いています」

「だが、先生、うれしい。腹底で落ちいています。有り難い。極楽ってエライところでしょうね……」

 二十七歳を一期してのご往生であった。

 その後に続く、伊藤先生の勇ましいお言葉が胸を打つ。法蔵菩薩の命のうえに立っている。うかうかしてはおられない。南無阿弥陀仏

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