「世間虚仮・唯仏是真」(1)
「世間虚仮・唯仏是真」は、有名な聖徳太子のご持言(常の仰せ)だ。東海、京都のご法話は、この聖徳太子「世間は虚仮、ただ仏のみこれ真(まこと)」という常のお言葉を頂いた。このお言葉が残った経緯と、そしてその意味を簡単に述べておこう。
これを残してくださったのは聖徳太子自身ではない。太子の4名おられたお妃のお一人で、推古天皇の孫にあたる橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が作製した天寿国繍帳(しゅうちょう)にあるお言葉。実は、この作製のおいわれを知ることで、お言葉のお心に触れることができるのである。
天寿国繍帳とは、飛鳥時代に作製された日本最古で現存する刺繍作品である。この数奇な経緯を語るだけでも長くなるが、簡単に述べておく。
橘大郎女が、太子のご往生の直後、追悼のために製作をされたのだが、太子一族の上宮家が滅亡して、長らく忘れられていた。それが鎌倉時代に中宮寺の尼僧信如によって完全な形で発見された(親鸞聖人のご往生の後)。その時に複製品が造られるのだが、その後の戦国期の長い混乱の中でまた忘れられ、江戸時代再発見された時には断片になっていた。そして、江戸時代に、飛鳥、鎌倉、江戸期のものが無神経に張り合わされた断片が今日残れているものである。(45年前には中宮寺でガラス越しに見た記憶があるが、今は複製か。昨年の奈良国立博物館の聖徳太子展で展示されていた)。
もともとこれは聖徳太子が来世に往生を願った天寿国に往生するありさまを、太子ご逝去の後で、推古天皇の許可をえて妃の橘大郎女が作製されたものだ。天寿国とは何か。これもいろいろ議論あることろが、阿弥陀様の無量寿国である説が有力だ。しかも蓮華化生の姿や女人往生の姿など貴重な宗教表現がみられる、希有なものである。
そこに、亀甲が100個刺繍され、その一つ一つ亀甲に4文字ずつの文字確認されている。あわせると400文字の文章となっているのだ。残念なから、現存の天寿国繍帳に残るのは5個のみであるが、幸いなのことに、全文が記録されたテキストが残れてた。知恩院に伝わる国宝『上宮聖徳法王帝説』である(国宝だが写本でオリジナルはない)。そこに以下のb文章が残されている。
「我が大王(聖徳太子)、告りたまはく、『世間は虚假、唯だ仏のみ是れ真なり』と。其の法を玩味(がんみ)するに、謂(おも)えらく、我が大王は応(まさ)に天寿国(てんじゅこく)(無量寿国)の中に生まるるべし、と。而かれども彼の国の形、眼(まなこ)に看みがたき所なり。ねがわくは図像(ずぞう)に、因(よ)り、大王往生の状(さま)を観たてまつらんと欲す。」
常々、愛妻の妃や子供たち、回りの方々にも、このお言葉を語っておられたのである。そして、確かに、まっとうにこの世を生き行くならば、世間虚仮の事実を実感することがあるだろう。だか問題は「唯仏是真」である。これは言葉で語れても、それを実感をもって頷け、そう言い切ることができるのか。「ただ仏のみまこと」。その如来の浄土のみがまことで、常住の世界であると。時は、日本に仏教が伝来して日も浅く、十分に仏教が受容されていない中である。にも関わらず、在俗の身でありながら、太子は正統に、そして深い仏教理解を示され、それを伝えておられる。まさに「和国の教主」、日本に生まれられたお釈迦さまなのである。単なる現世利益を超え、来世への往生を願う、つまり現当二世利益にまで心寄せて、それを体現することはほんとうに希有なことであったのだ。
だから、妃といえでも、「世間虚仮」は理解できても、「唯仏是真」の体解は難しく、太子が往生された無量寿国のありさまが理解しがたかい、目に見えない涅槃の世界なのだ。それで、少しでもその世界を知りたい。太子の往生された世界に触れたい。同時に、太子の追悼にもなるという願いから、この天寿国繍帳が作製されたのである。(続く)
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