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貴伝名博著『死の日記』を読む

 今日は、午前中(10時~12時)が『仏書に親しむ会』、昼食休みを挟んで、午後(13時30分~16時30分)が「華光誌輪読法座」である。ということで、平日ではなくて、日曜日の開催となった。

 11月もダブルヘッダーで行ったが、その時は、13時30分~19時という時間枠。
 12月は、通常どおり夜に開いたが、コロナの感染対策として、頻繁に換気をするので、とても寒くて風邪を引かれてもこまる。それで、冬季の間(3月まで)は、日曜日(もしくは土曜日)に、昼食を挟んでこの時間帯で行うことになったのだ。

 おかげで参加者も多く、またZOOMからの参加もそれなりにあった。

 今回は、華光の先輩同人である貴伝名博さんの『死の日記』を読む。前回で、『悟痰録』に収録された、彼の『春風吹かば』を読んだが、その後に書かれたもので、こちらは『死を凝視して』に収録されている。『春風吹かば』は、善知識である伊藤康善先生と貴伝名さんが、信疑廃立の関門で向き合う求道文であった。『死の日記』は、貴伝名さんが、若くして(22歳で発症、27歳でご往生)して喉頭結核におかされ、病と死の前に綴られた、2週間ばかりの「死の日記」であり、死の直前の遺言でもある。読む人によっては、自分や家族の病や死を重ね合せて、涙される方もあった。

 それでも、常に病床で苦しむ場面ばかりではない。街でビフカツを食べる場面もあり、体調も、精神面もすこぶる調子のよい時もある。が、その何気ない日常にも、常に死の影が迫っているのが分かる。体調と共に、心境もさまざまに揺れている。たった2週間の間でも、それが現実の姿である。しかし、凡夫の心境がどんなに揺れ、また何が出ようとも、その底の底には揺るがぬ真実が光輝いているのである。なんとも尊い一文。この仏法が、今、ここに流れているのである。南無阿弥陀仏

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