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親鸞聖人報恩講

 今年も、親鸞聖人の報恩講を勤めさせて頂けた。

 昨年から、コロナ禍の影響で、法中の人数を制限している。会館は道場なので、一般の本堂のようなお内陣がなく、余間も、結界もない。皆さんと同じスペースに登礼盤があるので、複数の法中がでればそれだけスペースが必要となって、参集者が密になってしまう。それで2人だけでのお勤めにしている。勤行をリードしてくれていた方々がお休みになるので、声明は頼りないぼくが、皆さんをリードしなければならない。

 逮夜の法要は、「大師影会供作法」にならい、頌讃、画讃、正信偈は十二礼譜、そして乙回向句の勤行がある。例年のことだが、1年に1度だけなので、何度も練習をして臨んだ。

 『御伝鈔』の拝読もある。こちらも、これまでは誰かにお願いしていたが、昨年、初めて担当した。この十数年は、夜座でも少しでも信仰座談会の時間を長く持つため、『御俗姓』を拝読に切り換えていたこともある。でも今は、聖典講座で『御伝鈔』を講読しているのだから、報恩講でも、再び『御伝鈔』の拝読をさせてもらわないわけにはいかない。しかも、親鸞聖人のご往生を伝える下巻第七段を終えたばかりだ。

 『御伝鈔』は上巻の第四段~第八段だけに絞った。事前に何度も練習した。うまくあげられなくても、丁寧にお勤めしたいと思った。上巻の半分でも、40分近くはかかった。皆さんも、テキストを追いながらだったが、途中で、諦めた方や退屈された方もあったようだ。

 夜座のご法話も、これに合せて、第四~八段のご法話であった。特に、五段(信行両座)、六段(信心一異)を中心であったが、まとめという意味でも有り難かった。

 今、寺院では廃れている信仰座談会が華光の持ち味ではあるが、悟朗先生も、決して仏事を粗末にはされなかった。それで、上手い、下手というよりも、一同で唱和し、そのお心をご法話でたずね、そして座談会で分かち合い、我が身に問うといくのである。

 結局、たいへんであった分、一番トクをしたのはぼくで、初日だけでも報恩講様をお勤めさせていただいた充実感があった。

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