« おイヌさま | トップページ | 連日の一周忌法要 »

もう一歩出る

 広島へ一周忌法要に窺う。

 報恩講あたりからオミクロン株が猛威をふるっている。特に米軍基地の関係で、沖縄、山口、広島では早くまん延防止の措置が取られた。直後に、先方から連絡。遠方のご姉妹が欠席されるなどで開催の有無のご相談だった。この二年間、この手の相談はたびたび受けている。でも、こちからお断りしたことはない。これもまたご因縁事だと考えているので、一度、お引き受けしたかぎりはお参りさせてもらう覚悟をしている。

 華光との深いご因縁を思う。歴史の浅い華光にあっては、祖父、母、子、孫、さらに曾孫と、すでに五世代にご縁が広がっている。しかも、それも広島から移民としてアメリカカルフォルニアで、羽栗行道先生のご教化に遇われて、この一大事を日本の親族にもと、逆輸入の形で法縁が広がっている。この四名のごきうょだいは三代目で、そのお子さま方も仏の子供大会からの深いご縁のある方ばかりだ。

 改めて『親指のふし』の「智子さんの遺書」を中心にお話する。たった一度のご縁、病床説法で、聞き抜かれた智子さんのご縁である。そしてその後、脳腫瘍で、わずか19歳の春に、ご往生された。クライドさんも、智子さんも、ご親戚として身近な存在の方々である。
 喪主からすれば、智子さんは「いとこ」にあたり、しかも同級生にあたる。幼いころは広島の近くにおられたのだ。他のご姉妹の方もよくご存じで、そのご往生もショックなら、遺書の内容にも驚いたという。その智子さんは来年五十回忌を迎えられる。『親指のふし』のこの場面は、何度も読んだといわれるが、改めてその章を聞いていただいた。すると「何度も聞いてきたが、この歳になって初めて聴こえてくることがある」と言われた。

 智子さんの遺書も、また亡くなられたお母様のご遺志も、「仏法を聞いてください」の一点に掛かっている。みな、「散る桜、残る桜も散る桜」なのだ。そのことをお子さま方は、身にしみて分かっておられる。あとは、もう一歩出るだけだ。その一歩にこそ、智子さんの命が捨てられ、阿弥陀様のお命がかけられているのだ。南無阿弥陀仏

|

« おイヌさま | トップページ | 連日の一周忌法要 »

法座と聞法」カテゴリの記事