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『御伝鈔』下巻第六段「洛陽遷化」(1)

 新暦の1月16日。『御伝鈔』の話題に触れておこう。下巻第六段「洛陽遷化」、聖人のご往生と葬送の様子を示す段が終わった。以下の四段に分けて頂いた。

 (1)聖人は、弘長二年十一月下旬頃、ご病気になられた。口には世俗事は交えず、仏恩の深きことを述べ、声には他の言葉を出さず、ただ称名念仏されていた。
 (2)十一月二十八日の十二時、釈尊の入滅のように頭北面西右脇に臥し、ついにお念仏の息が断えられた。御歳九十歳であった。
 (3)ご往生の地は、押小路の南、万里小路より東で、そこから鴨川を渡り、東山の鳥辺野の南の辺の延仁寺で荼毘(火葬)、翌日、その北の大谷に遺骨を納められた。
 (4)聖人のご往生にあった門弟や、ご教化を受けた方々は、聖人の在世を追慕し、いまご往生に接して悲泣せぬものはなかった。

 覚如様は、親鸞聖人のご往生の様子を

「口に世事をまじへず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらさず、もっぱら称名たゆることなし。しかうしておなじき第八日 午時 頭北面西右脇に臥したまひて、つひに念仏の息たえをはりぬ」

と記載されている。奇瑞も、不思議もなにもない、また臨終の行儀もない、まことに静かな静かなご往生の様子を淡々と記されている。そこが、た一段と尊く、真宗教義の特色、核心部分でもあるからだ。

 親鸞聖人もお手紙の中で

「真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず。」(『御消息』第一通)

 と述べておられるとおりのご臨終であった。死に際は善し悪しは問題にならないのである。がしかし、凡夫の心情としては、臨終の善しや不思議を求めたいものであろう。事実、臨終に立ち会た末娘の覚信尼公(覚如上人の祖母)は、尊き僧侶である父に何の奇瑞もなかったことへの疑問を、母である恵信尼公に手紙を問うておられるのだ。
 しかし、覚如様は自督でもある『執持鈔』で、

「しかれば平生の一念によりて往生の得否は定まれるものなり。平生のとき不定のおもひに住せば、かなふべからず。平生のとき善知識のことばのしたに帰命の一念を発得せば、そのときをもつて娑婆のをはり、臨終とおもふべし。」(『執持鈔』)

 と、一念帰命の平生業成の教えを、端的に述べてくださっているおかげで、聖人の教えが正しく伝わってきたのである。覚如様、ありがとうございました。南無阿弥陀仏

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