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華光誌輪読法座~弥陀直々の名乗り~

 12月の華光誌輪読法座は久しぶりに平日の昼間の開催で、参加者は少な目。皆で、孤杉師の『弥陀の一心』を声に出して読み進む。

 御文章『疫癘の章』は、別名『勅命の章』と呼ばれる。阿弥陀様が、蓮如様のお口を通して「我を一心にたのめ。必ず救うぞ」とのご勅命、ご命令が示されているのだ。

では、それをを教えてくださったのはどなたなのか。『蓮如上人御一代記聞書』に、次のような条がある。
 蓮如上人が弟子の法敬坊に、「この弥陀をたのめということを、お教え下さった人を知っているか」とお尋ねになられる。法敬坊は「存じません」と答えると、「弥陀をたのめということを教えられた人は、阿弥陀如来である。阿弥陀如来が、我をたのめ、とお教えになっているのである」と。
 
 もちろん、阿弥陀様のお心を取り次いで教えて下さったのは、お釈迦様。そして親鸞聖人や蓮如上人。しかし、それを何々聖人の話、何々先生の話と思って聞いてるうちはダメ。法座は「浄土の出店」。仏様や菩薩方が、浄土からやって来て、法を聞くための座を、こうして設けて下さっている。つまり、ここは極楽浄土と直接、パイプで繋がっている。華光の法座は、パイプを通して極楽浄土の今現在説法を今、聞かせてもらっている。私が、これまで聞かせてもらったお説教は、極楽浄土から届けられる阿弥陀如来のご説法を聞かせてもらっている。
 まして、南無阿弥陀仏は、阿弥陀様から私への直々の生の呼び声、血潮沸き立つような呼び声。この罪悪深重の私に向かって、「罪はいかほど深くとも、我を一心にたのまん衆生を必ず救う」と、名乗りをあげて下さっているのだと。
 
 南無阿弥陀仏

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