『御伝鈔』下巻五段「熊野霊告」(1)
12月の聖典講座の前に、パスしていた11月の聖典講座に少しだけ触れておこう。
11月は、下巻第五段で「熊野霊告」とか「平太郎夢告」「平太郎熊野詣」といわれる一段を頂く。ここは御伝鈔』で一番長い段で、以下の四段に分けて味わった。その大意は次の通り。
(1)帰洛後の聖人は住まいを転々としておられたがも五条西洞院にとどまり、しばしば関東の門弟が尋ねて来られた。
(2)大部の平太郎が、職務で熊野権現に詣でることとなり、聖人に相談される。
(3)聖人は、真宗の根本である一向専念の伝統を示すと共に、真宗の神祇観を説く。
この第3節「聖人のご教示」を次ぎの三節に分科していた炊いた。
(a)時機相応の教え(三国七高僧の伝承)
(b)一向専念の教え
(c)本地垂迹のこころ(真宗の神祇観)
(4)平太郎が泥凡夫のまま参詣していると、夢に熊野権現が現われて、「なぜ精進潔斎せず参詣するのか」と詰問された。すると親鸞聖人が現れ、「この者は他力念仏を喜ぶ者だ」と告げられると、権現はただ平伏するばかりであった。後にそのことを聖人に申すと「そういうことである」と申された。
長い段であること、史実かどうか曖昧であること、何よりも聖人の神祇観とは毛色が異なることもあって、簡単に読みとばしてきた段であった。が、今回、第3節の聖人のご教示が読み応えがあったし、ここまで『御伝鈔』読んできたおかげで、以前は、馴染めなかった覚如上人の意図が尊く思えてきて有り難かった。
決して、覚如さまは、親鸞様が阿弥陀様の生れ変わりだと仰っているのではない。いま、私一人のために、阿弥陀様が親鸞様という姿を通して現われてきてくださっているのだと頂いておられるのだと思う。どちらも同じように聴こえてくるかもしれないが、ぼくの中ではこの差は大きい。そのことに気づかせてもらっただけでも、『御伝鈔』を読ませていただいた甲斐があったと思っている。南無阿弥陀仏
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